2011/01/04 - 2011/01/04
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SUOMITAさん
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1139栃木県へ.国道121号線を南下する.途中五十里ダムの展示場ではかつてここに「五十里湖」のいう災害湖があったことを知る.東照宮の先の縞屋で昼食.そばはわりとおいしかったが,「ゆばそば」の湯葉は甘く煮られていて,そばとは合わなかった.その後,輪王寺,東照宮,二荒山神社という定番コース.私は日光は趣味でないので,中禅寺湖に行きたかったが,名古屋出身の後輩は,初めての日光.フィンランド人のマリちゃんも留学中に1回来ただけというので,見学した.東照宮の奥社には後輩だけが行き,走って上まで登ってきたと.この日光の風景が日本の社寺の一般的風景と思われるとかなしい.また閉門が1530と早いので,大猷院みそこなった.一度は日光宇都宮道路に乗ったが,あまりにも夕暮れの風景が美しかったので,今市でUターン,再度清滝までのぼった.期待ほど男体山は見えなかったがやはり夕暮れはきれいだった.その後帰京.今回の旅行はフィンランド人のマリちゃんに大内宿を見せたくて企画したが,湯野上温泉もまあまあでゆっくりしたお正月を過ごすことができた.
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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1139山王トンネルを越えて栃木県に,中三依を過ぎる
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1159五十里湖の最上流につく
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五十里トンネル435m
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1208五十里ダムに停車
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ダム下流側
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ダム上流側
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江戸時代に海尻橋付近の山腹の崩壊によってできた天然ダムによる堰き止め湖として五十里湖が存在していたという記録が日光東照宮の輪番記録に残されている。この堰き止め湖は高さ70mで湛水面積は現在の五十里湖より大きく、40年間存在していた。この間会津藩により洪水吐き工事が行われたが失敗。その後大雨によって遂に天然ダムは決壊し、濁流は宇都宮まで押し寄せ多数の死傷者を出したという.
wikipedia 1683年9月1日の大地震でのことだったようだ.それらの記録が展示室にある.とても勉強になった.この図は1688年のもの.
湖が描かれている -
1226川治温泉を通過
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通るつもりはないのに有料道路の「龍王峡ライン」にひきこまれ,150円取られた.損した感じ.そのため鬼怒川道路には引き込まれないよう用心し,一般道路を通った.
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今市に近いところからの日光連山
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今市では日光市役所までいき,その隣の郵便局による.そこでフィンランド人のマリちゃんはやっとキャッシュを手に入れることができた.クレジットカードが満足に使えない日本てなんだろう..その後日光へ
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杉並木
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1330日光駅周辺で車の停められる,食堂を探したが無かった.東照宮を過ぎて,すこしいったところの縞屋によった.http://www.monzenmachi.org/tenpo/36.html
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刺身湯葉セット1000円,湯葉の刺身はおいしいが350円はちと高い.
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ゆばそば1050円.甘く煮てあって,あまりそばとはマッチしない.刺身の方がおいしい.
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1415東照宮に,二社一寺の共通拝観券1300円を買う.まず江戸時代の日本庭園「逍遥園」と「宝物殿」
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きれいな庭だが,回りには宝物殿のビルもあり,何ともせせこましい感じ
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池が氷っていた
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工事中の三仏堂,無粋.日光三社権現本地仏
(千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)
東照三社権現本地仏
(薬師如来・阿弥陀如来・釈迦如来)がまつられている.江戸時代の仏像. -
大護摩堂
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東照宮に
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五重塔
慶安3年(1648)若狭の国(福井県)小浜藩主酒井忠勝公によって奉納されました。文化12年火災にあいましたが、その後文政元年(1818)に同藩主酒井忠進公によって再建されました。http://www.toshogu.jp/shaden/index.html
以下の説明も同ホームページより -
表門(仁王門)を通る
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神厩舎は、ご神馬をつなぐ厩(うまや)です。昔から猿が馬を守るとされているところから、長押上には猿の彫刻が8面あり、人間の一生が風刺されています。中でも「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻が有名です。
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神庫・中神庫・下神庫を総称して三神庫と言い、この中には春秋渡御祭「百物揃千人武者行列」で使用される馬具や装束類が収められています。
また、上神庫の屋根下には「想像の象」(狩野探幽下絵)の大きな彫刻がほどこされています。 -
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御水舎(おみずや)
神様にお参りする前に、手を洗い、口をすすぎ、心身を清める為の建物です。水盤は元和4年(1618)九州佐賀藩主鍋島勝茂公によって奉納されました -
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陽明門
日本を代表する最も美しい門で、宮中正門の名をいただいたと伝えられています。いつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」ともよばれ、故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など500以上の彫刻がほどこされています -
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廻廊 陽明門の左右に延びる建物で、外壁には我が国最大級の花鳥の彫刻が飾られています。いずれも一枚板の透かし彫りには、極彩色がほどこされています。
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鐘楼
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裏からの陽明門
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神輿舎
春秋渡御祭(5月18日、10月17日)に使われる、三基の神輿(みこし)が納められています。 -
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後輩は初めての日光だったので奥社に行く.私たちは別料金でもあり,日光は趣味ではないので,陽明門のところで待つが,待てど暮らせど帰ってこない.汗をかいて帰ってきた.奥社の上まで行ってきたと.
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東福門院の奉納した一本燈籠
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鳴竜のある,薬師堂へ
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竜の頭の下で拍子木を打つと、天井と床が共鳴して鈴のような鳴き声に聞こえる。もとの絵は狩野永真安信-かのうえいしんやすのぶ-の筆によるが、堂とともに焼失したため堅山南風-かたやまなんぷう-画伯が復元した。
http://www.nikko-jp.org/perfect/toshogu/nakiryu.html -
亀の形の石
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二荒山神社へ
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拝殿
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http://www.nikko-jp.org/perfect/futarasan/shinyosha.html
元和-げんな-3(1617)年に東照宮の仮殿の拝殿として建てられたものを、寛永年間(1624〜44)に現在の位置に移し替えている。日光では、現存するなかでもっとも古い建物で、重要文化財に指定されている。 -
大国殿
祭神は大己貴命-おおなむちのみこと-だが、別名は大国主命-おおくにぬしのみこと-。これが仏教の大黒天-だいこくてん-と同一視されて、幸福を招く福の神としてまつられている。毎月第2土曜日に縁日が開かれ、6月には「だいこくまつり」が開催される。3間(5.4メートル)四方の建物は柿-こけら-ぶきの宝形造り-ほうぎょうづくり-。重要文化財。 -
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霊泉
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ご神木
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1535 5分遅れで,「大猷院」に.徳川三代将軍「家光公」の廟所だ.既に閉まっていた.せめて4時までにすべきと思う.他の観光客もぶうぶういっていた.8時開門だから仕方ないかもしれないが,やはり殿様商売だ.
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駐車場に帰り,日光宇都宮道路へ.1606日光IC
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1611日光口PA,景色がきれいだ
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あまりの夕焼けのきれいさに今市ICで下りて,もう一度清滝方向に向かうことにした.男体山など見えるかもしれない
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男体山だろう
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清滝の先,足尾にいく国道122号線を500m行きUターン.帰りにコンビニによる.
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1633清滝桜ヶ丘町ファミリーマート駐車場からの山々
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再度日光宇都宮道路へ,東北自動車道,首都高速,中央道で帰る.ICをおりたら2030すぎ,食事をしてからマリちゃん等をおくる.
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