2010/12/20 - 2010/12/20
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アリヤンさん
トゥール・スレン刑務所は、元高等学校の校舎だった。
ポルポト派が実権を握ったあと、革命の敵を殲滅するため、アメリカのスパイを洗い出すために創り出した、特務機関S21(セキュリティ21)本部=拷問して白状させ、スパイのレッテルを貼って、キリングフィールドに囚人を送り込む、世にもおぞましい、装置だったのです。
ここに来る前に日本で、200万人とも言われる「大量虐殺=ジェノサイド」に関する本を数冊読みました。
ジャーナリストの書いたS21に関する本、虐殺された側のヒト(生き残り)が書いた詳細なノンフィクション、が印象に残っています。
映画=キリングフィールド、はどこかで見ました。
ざっくり言えば、総人口1000万人のうち、2割の200万人のジェノサイドです。
日本で言えば、2000万人以上が虐殺されたことになるのです。
殺した側は同民族なのです。
史上、稀なるジェノサイドです。
ショッキングな写真が多く出てきますが、国家機密でも何でもありませんので、公開致します。
まあ、きょうび、ウィキ・リークやYou Tubeでいくらでもショッキングな映像がオン・エアしていますので、コレくらいは許してください。
緊急避難ページ;
http://www.geocities.jp/cnmxx867/eurasia5_050.html
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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宿(ホン・パン・ホテル)をでて、南を目指します。
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途中の横丁に、小さな生活市場がありました。
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イチオシ
宿の通りを真っ直ぐ南に行くと、ズバリ、トゥール・スレン博物館に出くわしました。
その姿は、正に学校の建物です。
もと高等学校の建物を、ポルポト共産党政権が接収して、特務機関の本部として、S21(セキュリティ21)と番号をふった。
スパイ糾弾施設=拷問して、白状させて、キリング・フィールドに無実の人を送り込み、虐殺する、だったのです。
アンコール・ワットに描かれている、地獄そのものだったのです。 -
S21刑務所の説明。
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ジェノサイドを指示した張本人=ポル・ポト の遺体写真が玄関にあります。
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S21が開放されたときに、構内に放置されていた死体が14あった。
そうした人びとが葬られているお墓。 -
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イチオシ
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アメリカの自動小銃M17の薬莢バコ?
何に使われたか、不明。 -
学校からの見学も奨励されているようです。
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イチオシ
体育用具だっただろう。
ここに人間を後ろ手に縛り、つるした。
そして、棒or鉄棒で殴った。 -
気を失うと、汚物の入った壷に逆さに突っ込む。
気が戻る。
また、つるす、殴る。
S21のミッションは、スパイであったことを自白させて、その調書を取って、残す、ことだった。
だから、死なないように拷問するよう指導されていたらしい。 -
体育用具がどのように使用されたかの説明。
容疑者とは=無実な労働者、農民、市民、 宗教者、学者、それらの家族、果ては、為政者自身まで。
要するに、国民全部だったのだろう。
(ポルポト自身以外?) -
民主カンプチア(ポルポト共産党政権)軍がプノンペンに入城した時、市民は喜んで歓迎した。
地獄絵の開始であったことも知らずに、、、 -
ポル・ポト軍のプノンペン入城の様子。
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中国では、ちょうど文化大革命の最中だった。
紅衛兵が年長のものを引きずり出し、糾弾していた時代でした。
ポルポトは、自らの権力維持のために文化大革命を引き起こした毛沢東に見込まれ、その手法を真似たようです。
子供をポルポト兵に仕立て、カンボジアでも文化大革命を起こそうとしたようです。 -
ポル・ポト軍の進軍と同時に、プノンペン100万市民は強制移住を強いられた。
市民は全員、強制労働所に分けて送り込まれたのです。
その徒歩移動の最中にもかなりの人びとが死んだ。
強制移動がいかに過酷だったか、を物語っている。
(弱い、年寄り子供が多かったらしい)
だって、過酷な移動を強制したにも関らず、ロクに食料も呉れなかったのです。 -
強制移住先は、全国規模です。
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強制移住は幾度か繰り返された。
家族は散りじりバラバラになり、生死さえ分からなくなった。
与えられる食料は日に日に乏しくなり、強制労働はより厳しくなる。
多くが弱って死んだ。
毎夜、数十人が呼ばれて、連れて行かれて、殴り殺された。 -
些細なことで、すぐ処刑された。
棒で延髄を殴って殺す。
気を失うだけの人も多くいただろうケド、生き埋めにされた。
乳児、幼児は、投げ殺されたり、くびり殺された。
この収容所に収容された人びとの衣類。 -
S21は、几帳面に写真資料を大量に残しています。
ここに拉致してきた人々の写真。
みんなに番号を振って、以後、人々を番号で呼んだ。
(人格を破壊するために、人間を番号で呼んだ) -
その数はおびただしい。
おもての看板には、「約8900人がここに連れて来られて、生き残ったのは、たったの6人だった」と書かれてありました。 -
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集団強制労働の現場。
用水路建設や、ダム建設や、大型工事をやらせた。
その殆どが、何の役にも立たなかったそうだ。
国民を、ただタダ疲弊させることが目的だったのか?
配給する食料は微々たるもので、肉体労働は過酷なものだった。 -
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自白調書をとって、有罪確定して、すぐ処刑。
処刑直後の写真も、克明に撮っているのです。
これは、どういう神経なのか?
理解できません。 -
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みんな自分が何の罪を犯したのか、さえ、全くワケが分からないまま、殺されてしまったのです。
ただ殺されたのではなく、拷問に掛けられ、人間の尊厳を踏みにじられ、地獄の苦しみの中、自分の時間が止められてしまったのです 。
ポルポト組織=オンカーは、自らのおぞましい犯罪の証拠を克明に記録しながら、同国民であり、同民族を虐殺し続けたのです。 -
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みんな、「オレが、いったい何をしたんだ? と言うんだ!?」っと訴えているように見えます。
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みんな、ここに滞在するのは短く、長くても数日だったらしい。
重要人物のみ数週間だったらしい。
数が増えてくると、写真撮影も雑になってきています。 -
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この女性の場合、すでに拷問された跡が残っています。
強制労働所では、日常的に性的暴力、強姦などがあったらしい。 -
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無実の一庶民。
何かを訴えています。 -
中でも悲惨なのは、子供のケースです。
子供は国の宝です。
彼らにも、悪魔の仕業は容赦なく襲い掛かったのです。 -
ベトナム軍にバックアップされた「救国戦線軍」に解放された、強制労働所周辺やキリングフィールドの発見直後の凄惨な現場。
このとき、先進国の政府+メディア(日本も含む)はこぞって、ベトナムを非難して、ポルポト政権を擁護した。
わが国の大手新聞社(A社)の有名なジャーナリストも、現場を踏まずに、ポルポト擁護に回ったりしていた。 -
カンボジア全土が、キリング・フィールドだったでしょう。
先の大戦でのドイツ軍のユダヤ人虐殺、最近の中央アフリカでのフツ族ツチ族の民族浄化虐殺、スーダンのダルフール地方でのアラブ系傭兵の地元民虐殺、等々どれもが、他民族虐殺です。
カンボジアだけが、同民族の虐殺なのです。
おとなしく、優雅でシャイでナイーブな民族=クメール人がどうして、一部とは云え、どうしてこんな狂気に走るのか?
ナゾです。
ポルポト派のフランス留学組の青きエリートたち(ポルポト本人含む)は、パリで何を学んだのか?
共産主義+毛沢東主義=他の抹殺??? -
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イチオシ
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高等学校の教室を、このように狭い房に分けて、ここに無実の一般人を閉じ込めた。
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イチオシ
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動物以下の扱いだ。
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恐ろしかったが、独房の中に入ってみた。
これは、独房の中からの写真です。 -
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校舎の2階。
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イチオシ
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S21に収容されて、たまたま絵が上手かったので、S21側に協力させられていた人が描いた。
このS21で何があったかを、絵にして残してくれた。 -
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足かせの付いた、浴槽。
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イチオシ
強制労働所では、毎夜のごとく数人から数十人が連れ出されて、このように棒で殴り殺され、自分で掘った穴に蹴落とされて、埋めら れた、と言う。
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ハイジャックしたり、山荘で仲間を殺したりした1970年代、80年代のあの張本人たち、パレスチナ解放戦線と共闘して、国際テロを引き起こした人たち、大学構内で覆面・黒ヘル姿で簡体字タテカンを前にアジってた連中の方々、アナタ方が当時、間違って日本の政権を握っていたら、お隣の某大国の後ろ盾と武器供給を受けていたら、、、
日本もひょっとして、こうなってたンジャアありまセンカネ。
よっく、考えてみてつか~さい。
一度、トゥール・スレン博物館に来て、みてください。
今からでも、関連の本を読んでください。
そして、勝手に今から、、、、
もうやめときます。
怖いですから。 -
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これからは、当S21の元職員だった人たちの告白と、反省と現在の姿の紹介です。
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これは、ポルポト派軍に仕立てられた、当時の若者たちと思われる。
文化大革命時代の紅衛兵みたいなものか? -
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イチオシ
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この旅行記へのコメント (4)
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- arfaさん 2018/03/19 22:36:29
- ポルポト政権
- 私は2度目にトゥールスレンに行った際には友人達を入れて自分は入らず入口のところの職員の休憩所で待ってました。霊感が強い訳ではないのですがここだけは恐ろしく霊気が感じられて入る気がしませんでした。
ポルポトは最期の頃には「毛沢東に騙された」と言っていたそうです。
毛沢東はカンボジア人の若い娘を500人中国に送らせて中国人の子を産ませ、自分に忠実な洗脳されたカンボジア人を製造して、一方で国家を運営する力のある政治家、官僚、学者、文化人などを根絶やしにして運営不能にしておいてカンボジア人と中国人の混血児の配下を送り込みカンボジアを中国の実質一部にする計画だったと言われています
ポルポトはまさか国境を接していないのでチベットや西双版納のように中国に飲み込まれるとは思っていなかったようですが甘かったようです。
事実このやり方はチベットで洗脳したチベット人をスパイとして送り込んでいる事を見れば同じことをやっているんですね。
毛沢東からの指示の栄養量は3年目に栄養失調で死ぬように指示されていて残虐さを感じます。
目的は1年に3度も収穫できる豊かなカンボジアの農地だったそうです。
- アリヤンさん からの返信 2018/03/20 09:59:10
- Re: ポルポト政権
- なるほど~ 70年代、毛沢東主義に感化されて簡体字の看板を立ててゲバ棒に五寸釘をつけて暴れていた学生運動していた連中のほとんどはミーハーのなんちゃって左翼運動家だったけど、その経験者たちの今の心境を聞いてみたい!そしてこのポルポトによる惨禍の感想も聞いてみたい! ですナア。
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- MKTさん 2011/08/26 23:08:43
- 薬莢箱は
- 薬莢箱は拘束された人たちの糞尿入れ、つまりトイレに使われたといいます。
- アリヤンさん からの返信 2011/08/27 10:31:09
- RE: 薬莢箱は
- > 薬莢箱は拘束された人たちの糞尿入れ、つまりトイレに使われたといいます。
そうなんだ!
食事入れにでも使われたのか?とばかり思っていました。
それにしても、悲惨な状景が見えてきますネエ、、、、
MKTさん、貴重な情報、ありがとうございました。
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