2010/11/23 - 2010/11/23
206位(同エリア431件中)
jiuさん
最近、松江から米子を経由で福山へ高速バス(一日一往復)が走っているのを発見。長崎に戻る途中、このバスを利用して「いろは丸事件」ゆかりの鞆の浦に寄ることにしました。
前編の続き、午後の部(^^)です。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 JR特急
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医王寺から下りてきて、沼名前(ぬなくま)神社へ。途中にお寺がたくさん並んでいます。
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山中鹿之助(やまなかしかのすけ)首塚
山陰地方の戦国大名・尼子氏の家臣だった山中鹿之助は、備中の国で殺されたあと将軍・足利義昭による首実検(いわゆる本人確認)のため鞆の浦に運ばれてきたそうです。
織田信長に京を追われた足利義昭が鞆の浦に滞在していたことを初めて知りました。 -
沼名前神社
大綿津見命(おおわたつみのみこと)と須佐之男命(すさのおのみこと)が祀られています。
石畳の参道が微妙に折れ曲がっているのは何故でしょう? -
沼名前神社
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沼名前神社
木造の建物は豊臣秀吉が愛用した能舞台で京の伏見城にあったもので、戦場にも運べる組立式の舞台です。秀吉ってワガママ。^^;
案内板によると、江戸時代に徳川秀忠から福山藩主水野勝成が譲り受け、後の藩主が神社に寄進し、元文3年(1738年)からここにあるんだそうです。 -
沼名前神社 本殿
かなり奥行きがあります。 -
小烏(こがらす)神社
沼名前神社の参道を道なりに歩いていくと左側にあります。
鞆の鍛冶屋の氏神だそうです。 -
正面には烏の彫刻。
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いろは丸事件のとき、紀州藩と龍馬による談判が行われたと言われる対潮楼へ向かいます。写真は途中の町並み。
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入江保命酒
別の保命酒(ほうめいしゅ)のお店。飲み物よりお腹がすいてきました。 -
対潮楼の近くにあるギャラリー喫茶「櫻や」
江戸時代中期の建物を利用しています。表紙の写真です。 -
格子戸をくぐり抜け〜「櫻や」で昼食を食べることにしました。
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テーブルにデジカメを置いて撮ってみました。
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窓の方に向けてもう1枚。
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さくら麺セット800円。食後にコーヒーor紅茶付き。
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福禅寺
対潮楼は本殿の隣にあり拝観料200円(小学生以上)。 -
対潮楼
元禄年間(1690年代)に建立。朝鮮通信使の宿泊所でもあったので、座敷から見える景色はおもてなしに最高です。
午前中の晴れてるうちに来れば良かった・・・ -
対潮楼から
仙酔島(せんすいじま)に向かう渡船・平成いろは丸が通って行きました。 -
御舟宿いろは
いろは丸事件の談判が行われた旧魚屋萬蔵宅です。現在は旅館兼喫茶。
談判は毎回同じ場所を使っていたわけではないのね? -
大可島城跡(たいがしましろあと)
大可島城は鎌倉時代末期〜南北朝時代に築城(推定)。名前のとおり、もとは島でした。戦国時代には村上水軍の拠点にもなっています。
1600年に廃城となり圓福寺(えんぷくじ)が建立されました。このとき地続きになったそうです。 -
鞆港をはさんで医王寺がよく見えます。真ん中より少し左上に太子堂が見えています。
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圓福寺から下りてくる途中、猫を見かけました。
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どちらも馴れ馴れしくもなく怖がるでもなく、お行儀のいい猫ちゃんでした。
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平成いろは丸
船首がパカッと開いて乗客を乗せます。往復で240円です。 -
わずか5分で仙酔島に到着。着岸前に準備のため船首を開くので、船首が閉じているのは2、3分の間だけです。
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国民宿舎仙酔島で「龍馬といろは丸展」が行われていました。
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仙酔島に渡ってはみたものの、曇っているは冷たい風が吹くはで、そそくさと遊歩道を往復。写真は沖に浮かぶ皇后島(こうごじま)。
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渡船場
鞆の浦に戻ってきました。もう16時前。 -
「鞆の浦」バス停
ともてつバスセンターの建物に観光情報センターも併設。ん?逆かな? -
手動両替器
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切符日付刻印器
いにしえから各時代の歴史を刻んできた鞆の浦。
江戸時代からの建物もたくさん残っており、とても魅力的な町でした。
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