2010/11/09 - 2010/11/11
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buchijoyceさん
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時間を気にしているので、結局は浅い眠りのもまま時間を迎え、3時には起きた。とはいえ眠くはない。前もって旅のしたくはしてあるので、着替えをしてパソコンを開けたりして、時間の来るのを待っている。
4時半家を出る。寒さを気にしていたのだが、今朝は寒くない。外はまだ暗く、星影もない。送られて駅に向かう車、きっと仲間の車だろう。荷物はバッグひとつ。いつものカメラバッグは持たずに大き目のバッグに、レンズつきの一眼レフ一と換えのロングレンズを入れたが、ロングをつかうことはなかった。カメラはもうひとついつもポシェットに入っているコンパクトデジカメ。国内旅行なら、必要なものは買えるから余計なものは持たない。でもめずらしく着替えを一組と幅広のショールを用意した。
今回の総員は7人。全員揃った。始発4:44に乗る。心配は横浜での乗り換え、羽田直行は乗り換え時間が4分しかない。足に自信のない私には特に心配だった。6人はスイカを持っているが、1人は乗車券を買わなければならない。横浜駅の先の方は京急に接続する通路があると教えらていたのでついていく。ほんと乗換えはすぐだったし、早朝のことでもあり、空いていたのも幸いした。乗換えで乗車券を買っても、4分があまるほどだった。これに乗れれば、羽田での時間は1時間ある。
と、1人が航空券を出して、往きの航空券はあるが帰りのがないという。探してみたが、ない。どうも別々に仕分けしてお金といっしょにおいてきてしまったらしい。帰ろうか、なんていい出す。なんとかなるよ、お金はみんなから少しずつ借りればいいよ、とはげます。搭乗のとき、案内係に帰りの航空券を忘れてしまった旨伝えると、「大丈夫です。身分証明書になるものがあれば」と。「身分証明書になるもの持ってる?」「保険証がある」「なら大丈夫だ」ひとまず安心。暗い顔をしていた彼女の顔も明るくなる。離陸。真鶴半島が見える。富士山も見える。
福岡の空は曇っている。福岡空港に着くと、予約しておいた西日本自動車の運転手さんが出迎えてくれていた。ジャンボタクシーだ。空は天気予報通り曇り。運転手さんが絶えまなく説明してくれる。
まずは上野焼(あがのやき)の里をたずねる。
途中飯塚市を走っているとき、左に見える三角の山を指して、あれがボタ山だと教えてくれた。予めボタ山を見せてくれと頼んでおいたのだ。木々に覆われたボタ山は、まさに低いけど山で、土門拳や本橋成一の筑豊のイメージとは全然違う。ふ〜ン、あれがボタ山ねぇ。それでもふるさとを離れていた人たちにはボタ山を見ると、懐かしく、故郷に帰った気になるそうだ。
福智町という名前がみえてきた。福智町は2006年赤池町 金田町 方城町の三町が合併して出来た町だ。町名は近くの福智山に由来するとか、この町は、かつてそれぞれ財政破綻した3町が合併して出来た町だ。福智町のHPで大変だった財政再建の経過を読ませてもらった。。
上野焼は、小堀遠州の七窯にも入っている、いわゆる「きれいさび」。
◇上野焼:上野焼(あがのやき)は福岡県田川郡香春町、福智町、大任町で焼かれる陶器。江戸前期に高名な茶人でもあった大名、細川忠興が小倉藩主となった際、朝鮮人陶工、尊楷(上野喜蔵)を招いて、豊前国上野に登り窯を築かせたのが始まり。江戸時代には遠州七窯の一つにも数えられるほど、茶人に好まれた。明治期には衰退の様相を見せたが、明治35年に復興、1983年には通産省(現在の経産省)指定伝統的工芸品の指定を受けた。
上野焼の特徴は他の陶器と比べると生地が薄く、軽量であることである。また使用する釉薬も非常に種類が多く、青緑釉、鉄釉、白褐釉、黄褐釉など様々な釉薬を用い、窯変(窯の中で釉薬が溶け、千変万化の模様を作り出すこと)を生み出すのが特徴で、絵付けはまず用いていない。
上野焼については福智町のHP↓にもその説明があるからそちらもどうぞ。
http://www.town.fukuchi.lg.jp/shiru/aganoyaki_1.html
道の両側に窯元の名前が見える。まず訪ねた陶芸館は休み。1軒目は留守。2軒目も留守。3軒目、人の姿はないが明かりがついている。運転手さんが様子を見に行く。開いているらしい。横を見ると八幡窯の看板。階段をあがり左手にあるショーケースに飾られてある作品に、おもわず「素敵!」と叫んだ。中に入ると並べられた作品はどれもいい。要するに現代感覚で、私の嗜好にあっている。上野焼は買って帰るつもりで来たが、伝統的なものも見本としてほしい。そこでご主人に尋ねてみた。詳しく説明してくれた。いつのころからか、上野焼というと青い釉薬を連想させるようになってしまったが、歴史的に見ても上野焼全体が青い釉薬を使っていたわけではないらしい。なら、気に入ったものを買っていこう。いろんな手法の皿を買った。同じ釉薬でも土によって発色が違う。ましてや酸化と還元では同じ釉薬でもまったく違う。うふ、これこそ銘々皿だ。そう辰砂を酸化で焼いた皿も買った。均窯と同じ効果なんだ。もう年だから、飾ったりするものはいらない。楽しんで使えるものだけでいい。
ここの主人は日展の会友とかで、意欲的な作品が並んでいた。日展には大作を出展するがそういう大作はなかなか売れないので、倉庫にごろごろしていると言っていた。絵だって、200号とか大作を出すから、大変みたいだ、なんて話が盛り上がる。壁に仲間たちとの作品共同展のポスターが貼ってあった。「この中に萩の作者が4人いますが、わかりますか?」どれも現代感覚の作品ばかり、目を凝らしても萩とはわからない。「わからないでしょう?これは・・の息子」と萩のみならず、唐津も有田も、次々に知っている親の名前が飛び出す。おもしろい。
「茶道具は高すぎる」という。「ほんとうですね。抹茶茶碗が5万円以下で、審美眼を楽しませてくれるものがあれば、うれしいですよ」「5万でも高いと私は思っています」「ええっ〜、それはなおのこと。1万円ぐらいで買えれば、お茶をやっていなくても、日常的にお茶が楽しめますよ。お願い、作って!」
陶器は使う前に、米のとぎ汁に一晩漬けて、乾燥させてから使うと、変色も少ないと教えてくれた。たぶん米のとぎ汁が糊の代わりで、土の空間を埋めるからだろう。
八幡窯:http://www.aganoyaki.com/
次いで窯元の名前は忘れたが、お庭がとても素敵なお宅。仲間が買ったので、ここは私はパス。
その次は城之窯、ここのお庭もよかった。たたきと座敷に品物が並んでいた。鬼萩に似た茶碗を手に取り「鬼萩みたいですね」というと、「よくご存知ですね。私は萩が好きなので」「釉薬は?」「藁灰です」Papasanの分とふたつ鬼萩様の湯飲みを買った。
城之窯:http://www.earthland.jp/agano/kama/jyono.htm
福智町役場の前を通った。今度来たときは訪問させてもらおう。福智町を後にして、小石原ヘ向かった。はるかかなたのあの山の向こうが小石原。山を上る小石原に着いた。寒い。
◇小石原焼:小石原焼:小石原焼(こいしわらやき)は福岡県東峰村で焼かれる陶器。1682に黒田藩主が伊万里から陶工を招いて窯場を開いたのが始まり。筑豊で最初の焼ものの産地となる。刷毛目、飛び鉋、櫛描きなどによって表現される独特の幾何学的な紋様が特色で、素焼きを行わず、釉薬を流し掛ける。後にその技法は大分県日田市の小鹿田焼に伝わっており、小鹿田焼とは姉妹関係にある。日本の陶芸界に大きく影響を与えたバーナード・リーチによって、「用の美の極致である」と大きく称賛された。小石原には窯元が56軒ある。
急に雨が降り始めた。まずは小石原焼窯元熊谷善光による。包み紙には小石原村皿山と印刷してあるが、ここも平成17年に小石原村と宝珠山村が合併して、東峰村になっている。窯元の主人は若い。デザインも斬新。ここで急須と茶碗のセットを買った。お茶を出してくれた。お茶の温かさがご馳走だった。買い物を済ませて外に出るころは雨は上がっていた。若いご主人が外に出て見送ってくれた。
熊谷善光窯:http://www1.vill.toho.fukuoka.jp/info/prev.asp?fol_id=4063
もう一軒訪ねた。ご主人が私たちのためにわざわざストーブに火をつけてくれた。こんな時期だからか、辺りには客の姿はなかった。
小鹿田焼の里に向かう。小鹿田焼は小石原の流れを汲むものだが、現在の行政区は大分県日田市。夏ごろだったが、日田市の観光課に資料をお願いしたところ、担当の女性が親切な手紙まで添えて、資料を送ってくれた。行って来たら、お礼状を出そうと、お名前は取っておいたのだが、どこかにまぎれさせてしまった。しかたがないので、日田市に電話して感謝の意を伝えておいた。
小鹿田焼は10軒の窯元を守っているので技法が保存されていると言われている。テレビでもよく紹介されている里だ。テレビの効果か、ここには観光客がバスでやってきていた。山間の里なので、上から覗きながら降りていく。ここは飛びカンナや刷毛目の技法が有名。テレビでもおなじみの水車が土をつく音が響く。青空の下ではないが、紅葉をのこした山もきれいだ。飛びカンナ、刷毛目の皿を買った。飛びカンナのやっているところを見たいと思っていたのだが、どこも工房は見せてはもらえなかった。1軒だけ、鉢に刷毛で白化粧しているのを遠くから見た。一番下の窯元で飛びカンナや刷毛目などの作品を見本をかねて買った。刷毛目のつけ方もそこで教わった。
小鹿田焼:http://www.hitakusu.com/jibasan/ontayaki.htm
◇鹿田焼は、江戸時代中期の1705年(宝永2年)若しくは、1737年(元文2年)に、幕府直轄領(天領)であった日田の代官により領内の生活雑器の需要を賄うために興されたもので、福岡県の小石原から招かれた陶工の柳瀬三右衛門と日田郡大鶴村の黒木十兵衛によって始められた。元は、享和年間に小石原焼の分流の窯として開かれていたものであるという[1]。このため、小鹿田焼の技法には小石原焼と共通するものがある。
李朝系登り窯で、飛び鉋、刷毛目、櫛描きなどの道具を用いて刻まれた幾何学的紋様を特徴とする。また、釉薬の使い方には打ち掛け、流し掛けなどといった技法が用いられる。陶土を搗くための臼は「唐臼(からうす)」と呼ばれるもので、ししおどしのように受け皿に溜まった水が受け皿ごと落ちる反動によって陶土を挽いている。その音は「日本の音風景100選」の一つにも選ばれている。
民芸運動を提唱した柳宗悦が1931年(昭和6年)にこの地を訪れ、「日田の皿山」と題して評価する内容の一文を発表したこと、さらに、日本の陶芸界に大きく名を残したイギリスの陶芸家、バーナード・リーチも陶芸研究のため、1954年(昭和29年)、1964年(昭和39年)に滞在して作陶を行ったことにより、小鹿田焼は日本全国や海外にまで広く知られるようになった。
山を下り、日田は初めてだというと豆田町商店街に「通るだけ」と言って連れて行ってくれた。商店街に行けば、「歩きたい!」そこで歩かせてくれた。ここ豆田町は城下町で、歴史的建造物も多く、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。この商店街は、かつて天領であった日田の,交易の中心街でにぎわったそうだ。いろんなものを売っている。あっちへ寄り、こっちへ寄り、それぞれ買い物をしながら歩く。明日のために、そば饅頭と老舗の福寿で栗饅頭を買った。
日が暮れ始めた。高速道路を鳥栖で九州自動車道で博多に向かった。途中、大宰府辺りで渋滞した。なんでも工事中とのことだった。
今日の宿は「ちさんホテル」、各自チェックインする。料金前払い。ホテルのレストランもイタリアンでよさそうだったが、荷物を置いて、ロビーに集合して外に夕食を食べに行く。海鮮市場といったようなところに入ったがどうもここは居酒屋みたいで、大した料理はなかった。それでも「博多の森」ともう一種類とって、一杯飲んだら、眠くなって、そうそうにひきあげてホテルに帰って、風呂には入ったが、何もせずに寝てしまった。当然だよね、早朝から今まで居眠りもせずよくもったものだよ。
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- タクシー JALグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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