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市内観光<br />二日目。朝食はホテルのレベル相当の内容でお粗末。ビュッフェスタイルではなく、予めセットされた四種類のメニュ−から選んで注文することになっている。内容は卵一個、ハム(二〜三切れ)、チ−ズ(二〜三切れ)、ト−ストパン一枚に菓子パン一個、それにコ−ヒ−または紅茶といった内容である。まあ、朝食付きだけましだと思わなくては心寂しい。<br /> <br /><br />朝九時、半日市内観光(三時間半二、一〇〇円)に出かける。フォラムホテルを出発したバスは主なホテルをめぐりながら観光客を拾っていく。結局、二十人ぐらいのグル−プになったが、その中に珍しくも一人の日本人男性が混じっている。話しかけると、プラントメ−カ−の日揮の社員だという。休暇を取っての旅だそうで、ワルシャワ在住の知人を訪ねてきたという。今日は奥さんとは別行動だそうだ。また、元米空軍パイロットの退役軍人夫妻が乗っている。彼の話によると、過去の戦争のことは一切思い出したくないらしく、思い出話はタブ−だという。他人には言えぬ、よほど苦い体験があったのだろう。<br /> <br /><br />バスは旧市街へ向かう。その途中、古い教会に立ち寄り、中に入って礼拝堂に置かれた偉人たちの銅像や壁画などについてガイドが一つひとつ丁寧に英語で説明を加えていく。だから、やたらと時間がかかり、ここで三十分以上も時間を費やすことになる。旧市街の入口でバスを降り、説明を受けながらガイドと一緒に散策して回る。<br /> <br /><br />旧市街<br />さほど広くないこの旧市街一帯は、その外郭を赤レンガの城壁で囲まれている。ガイドの説明によると、この辺り一帯も第二次大戦末期の市街戦によって八十四%も破壊されてしまったという。しかし戦後、廃墟となったワルシャワに戻ってきた市民たちの不屈の精神は、この街並みを見事に復元したのだという。復興作業にあたっては、絵画や写真、映画などの資料はもちろん、生き残った住民の記憶まで参考にしながらレンガひとつ狂わせず、壁の割れ目一本にいたるまで再現したという。<br /><br /><br />さすがにプラハの旧市街ほどの歴史的趣は感じられないが、それでも十六世紀〜十七世紀のバロック調やゴシック様式の建物が見事に立ち並び、中世の面影を漂わせている。こうして眺めていると、戦災に遭ったのがウソのようである。さらに奥へ進んでいくと赤レンガの城壁に突き当たり、その端に十五〜六世紀に造られたという馬蹄型の砦が見える。この辺りには観光客目当てのみやげ物屋が店開きし、結構賑わっている。<br /> <br /><br />新市街<br />ここを通り抜けて新市街へ入ると、間もなく右側にキュリ−夫人の生家が現れる。現在ではキュリ−夫人記念博物館になっており、夫人の研究に関するものや所持品などが展示されているという。時間がないのか、ここへは立ち入らないで素通りする。彼女はこの国が生んだ偉大な科学者で、夫のフランス人科学者ピエ−ル・キュリ−と放射能の研究を続け、ラジウムの分離によって共にノ−ベル物理学賞を受賞、だがその三年後に夫ピエ−ルは事故死している。夫人は一回目の受賞から八年後に、再び金属ラジウムの分離によってノ−ベル化学賞を受賞している。<br /><br /> <br />キュリ−夫人は一九三四年に白血病と思われる病気で亡くなったが、彼女が放射線による最初の犠牲者だといわれる。また彼女の娘イレ−ヌも、その夫とともに母の死去一年後にノ−ベル化学賞を親子二代にわたって受賞している。そして、キュリ−夫人の孫娘に当たるエレ−ヌは、現在仏オルセ−原子核研究所特別研究部長を勤めるという世界第一級の科学者一家なのだ。<br /> <br /><br />バスに戻ると、今度は市の中心部を通りながら逆方向のワジェンキ公園へと向かう。その途中に珍しいモニュメントが目にとまる。それはソ連占領下時代に蹂躙された折の記念物として、焼け落ちた一台の貨車の残骸が線路の一部とともに、そのまま残されている。焼け落ちた台車の上には何本もの十字架がびっしりと立てられ、台車もろとも真っ黒に塗られた異様な光景が人の目を引いている。これをじっと見ていると、それからにじみ出ているワルシャワ市民の怨念が生々しく感じ取れるようだ。<br /><br /> <br />ワルシャワ・ゲットー<br />そしてバスは、ワルシャワ・ゲット−記念碑の前で止まる。第二次大戦中、ワルシャワではここにゲット−があり、多くの狩り集められたユダヤ人たちがここに一度収容され、それから各地の強制収容所へと送られて行った。その殺害されたユダヤ人たちの霊を弔うために建てられたのが、この記念碑だという。この場所はアパ−トが建ち並ぶ住宅街の一角にあり、ちょっとした広場の空間が設けられていて、その片隅に記念碑が建てられている。その近くでは一人の露店商がテ−ブルを広げ、ユダヤ人虐殺に関する写真や記念品を売っている。またお金を払えば、その当時ナチスが使っていた例の星型をしたユダヤ人烙印マ−クのスタンプを押してくれる。<br /><br /><br />別の資料によれば、第二次大戦中のホロコ−スト(ナチスによるユダヤ人大量虐殺)では、その厳しさにおいて国により程度の差があったらしく、ここポ−ランドのユダヤ人たちはドイツ・ナチスの占領下で徹底的に抹殺の対象になったという。紀元前の昔、ロ−マ帝国の支配に抵抗、敗れて故地パレスチナを追われ離散の民となったユダヤ人だが、ヨ−ロッパでは長く異教徒として差別されてきた。特に中世後半以降はゲット−(ユダヤ人区)への強制移住など組織的迫害・差別が行われてきた。<br /><br /><br />今世紀に入り反ユダヤ主義が台頭したが、ナチスによるホロコ−ストはその極端な例である。今でもパレスチナ問題はくすぶり続け、故国イスラエルに建国したユダヤ人も今なおパレスチナ人との間に流血を繰り返すという悲しい現実が続いている。悲劇のユダヤ人である。明日は、そのホロコ−ストの残虐な痕跡を確かめるため、アウシュビッツを訪ねる予定だ。<br />  <br /><br />ワジェンキ公園<br />ゲットー記念碑を後にしたバスは、最終地点のワジェンキ公園で止まる。ここは市の南にある広大な公園で、木々の緑や季節の花に彩られ、散歩する足元にはリスが寄ってくるという自然味あふれる公園である。この公園が造られたのは十八世紀で、三十年もの歳月を費やしたという。園内には池のほとりに建つワジェンキ宮殿や野外劇場、ショパン像があり、夏のシ−ズンには土・日曜日ごとにショパン像の前で無料の野外コンサ−トが開かれる。<br /><br /> <br />ガイドの案内でワジェンキ宮殿を見学する。その入口には、教師に引率された見学の生徒たちがあふれている。しばらく、その列に並んで入場すると、靴の上から大きなスリッパを履いて宮殿内を観覧して回る。相変わらずガイドの懇切丁寧な解説が続く。よく内容を覚えているものだと感心させられる。<br /><br /><br />この宮殿は、十八世紀にこの公園を造ったポ−ランド最後の王スタニスワフ・アウグスト・ポニヤトフスキが夏の離宮として建てたものである。第二次大戦でドイツに占領された際、この宮殿の美術品はほとんどドイツに持ち去られ、その後一九四四年には放火されて内部は完全に破壊されてしまったという。しかし戦後修復され、現在国立博物館の分館として十七〜八世紀の美術品を展示している。<br /> <br /><br />宮殿は広い池のほとりにたたずみ、涼しげで落ち着いた雰囲気に包まれている。裏側に回ると、池の水面が間近に迫る宮殿の静かな風景が森の中から望まれる。<br /><br /><br />表の玄関前では、ちょうど二羽の孔雀が遊んでいて、観光客たちの目をよそに、その美しい羽根をいっぱいに広げながらオスがメスに向かって盛んに求愛のアピ−ルをしている。その美しく、珍しい光景にしばし時を過ごす。<br /><br /><br />チケットの手配<br />バスは最初の出発地点フォラムホテルに戻り、そこで解散となる。付近をうろついていると、ケンタッキ−・フライド・チキンの店が目にとまり、そこでチキンにポテトチップス、ジュ−スをとって昼食にする。これで五・七ズウォティ(二五〇円)。お腹が落ち着いたところで、明日のアウシュビッツ行きの列車チケット手配に動き出す。今度はオルビスの所在地を間違わないように方向を確認し、おもむろに歩き出す。間もなく大きなオルビス旅行社のビルを発見、ガランと空いた窓口には全て女性の係員が座っている。ここならゆっくり相談できそうだ。<br /> <br /><br />アウシュビッツはワルシャワから南に遠く離れており、特急で二時間半、さらにロ−カル列車で一時間もかかるスロバキア国境に近い所にある。アウシュビッツはドイツ語名で、ポ−ランドではオシフィエンチムという。だから駅名もオシフィエンチムになっている。そこまで行くのにはカトヴィツェ駅でロ−カル線に乗り換えるのだが、その接続時間がなかなかうまくゆかない。<br /><br />(この続きはこちらへ⇒ http://yasy7.web.fc2.com/ )<br /><br />

ポーランド:ワルシャワの旅

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1996/06/03 - 1996/06/05

1041位(同エリア1164件中)

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14

yasyas

yasyasさん

市内観光
二日目。朝食はホテルのレベル相当の内容でお粗末。ビュッフェスタイルではなく、予めセットされた四種類のメニュ−から選んで注文することになっている。内容は卵一個、ハム(二〜三切れ)、チ−ズ(二〜三切れ)、ト−ストパン一枚に菓子パン一個、それにコ−ヒ−または紅茶といった内容である。まあ、朝食付きだけましだと思わなくては心寂しい。
 

朝九時、半日市内観光(三時間半二、一〇〇円)に出かける。フォラムホテルを出発したバスは主なホテルをめぐりながら観光客を拾っていく。結局、二十人ぐらいのグル−プになったが、その中に珍しくも一人の日本人男性が混じっている。話しかけると、プラントメ−カ−の日揮の社員だという。休暇を取っての旅だそうで、ワルシャワ在住の知人を訪ねてきたという。今日は奥さんとは別行動だそうだ。また、元米空軍パイロットの退役軍人夫妻が乗っている。彼の話によると、過去の戦争のことは一切思い出したくないらしく、思い出話はタブ−だという。他人には言えぬ、よほど苦い体験があったのだろう。
 

バスは旧市街へ向かう。その途中、古い教会に立ち寄り、中に入って礼拝堂に置かれた偉人たちの銅像や壁画などについてガイドが一つひとつ丁寧に英語で説明を加えていく。だから、やたらと時間がかかり、ここで三十分以上も時間を費やすことになる。旧市街の入口でバスを降り、説明を受けながらガイドと一緒に散策して回る。
 

旧市街
さほど広くないこの旧市街一帯は、その外郭を赤レンガの城壁で囲まれている。ガイドの説明によると、この辺り一帯も第二次大戦末期の市街戦によって八十四%も破壊されてしまったという。しかし戦後、廃墟となったワルシャワに戻ってきた市民たちの不屈の精神は、この街並みを見事に復元したのだという。復興作業にあたっては、絵画や写真、映画などの資料はもちろん、生き残った住民の記憶まで参考にしながらレンガひとつ狂わせず、壁の割れ目一本にいたるまで再現したという。


さすがにプラハの旧市街ほどの歴史的趣は感じられないが、それでも十六世紀〜十七世紀のバロック調やゴシック様式の建物が見事に立ち並び、中世の面影を漂わせている。こうして眺めていると、戦災に遭ったのがウソのようである。さらに奥へ進んでいくと赤レンガの城壁に突き当たり、その端に十五〜六世紀に造られたという馬蹄型の砦が見える。この辺りには観光客目当てのみやげ物屋が店開きし、結構賑わっている。
 

新市街
ここを通り抜けて新市街へ入ると、間もなく右側にキュリ−夫人の生家が現れる。現在ではキュリ−夫人記念博物館になっており、夫人の研究に関するものや所持品などが展示されているという。時間がないのか、ここへは立ち入らないで素通りする。彼女はこの国が生んだ偉大な科学者で、夫のフランス人科学者ピエ−ル・キュリ−と放射能の研究を続け、ラジウムの分離によって共にノ−ベル物理学賞を受賞、だがその三年後に夫ピエ−ルは事故死している。夫人は一回目の受賞から八年後に、再び金属ラジウムの分離によってノ−ベル化学賞を受賞している。

 
キュリ−夫人は一九三四年に白血病と思われる病気で亡くなったが、彼女が放射線による最初の犠牲者だといわれる。また彼女の娘イレ−ヌも、その夫とともに母の死去一年後にノ−ベル化学賞を親子二代にわたって受賞している。そして、キュリ−夫人の孫娘に当たるエレ−ヌは、現在仏オルセ−原子核研究所特別研究部長を勤めるという世界第一級の科学者一家なのだ。
 

バスに戻ると、今度は市の中心部を通りながら逆方向のワジェンキ公園へと向かう。その途中に珍しいモニュメントが目にとまる。それはソ連占領下時代に蹂躙された折の記念物として、焼け落ちた一台の貨車の残骸が線路の一部とともに、そのまま残されている。焼け落ちた台車の上には何本もの十字架がびっしりと立てられ、台車もろとも真っ黒に塗られた異様な光景が人の目を引いている。これをじっと見ていると、それからにじみ出ているワルシャワ市民の怨念が生々しく感じ取れるようだ。

 
ワルシャワ・ゲットー
そしてバスは、ワルシャワ・ゲット−記念碑の前で止まる。第二次大戦中、ワルシャワではここにゲット−があり、多くの狩り集められたユダヤ人たちがここに一度収容され、それから各地の強制収容所へと送られて行った。その殺害されたユダヤ人たちの霊を弔うために建てられたのが、この記念碑だという。この場所はアパ−トが建ち並ぶ住宅街の一角にあり、ちょっとした広場の空間が設けられていて、その片隅に記念碑が建てられている。その近くでは一人の露店商がテ−ブルを広げ、ユダヤ人虐殺に関する写真や記念品を売っている。またお金を払えば、その当時ナチスが使っていた例の星型をしたユダヤ人烙印マ−クのスタンプを押してくれる。


別の資料によれば、第二次大戦中のホロコ−スト(ナチスによるユダヤ人大量虐殺)では、その厳しさにおいて国により程度の差があったらしく、ここポ−ランドのユダヤ人たちはドイツ・ナチスの占領下で徹底的に抹殺の対象になったという。紀元前の昔、ロ−マ帝国の支配に抵抗、敗れて故地パレスチナを追われ離散の民となったユダヤ人だが、ヨ−ロッパでは長く異教徒として差別されてきた。特に中世後半以降はゲット−(ユダヤ人区)への強制移住など組織的迫害・差別が行われてきた。


今世紀に入り反ユダヤ主義が台頭したが、ナチスによるホロコ−ストはその極端な例である。今でもパレスチナ問題はくすぶり続け、故国イスラエルに建国したユダヤ人も今なおパレスチナ人との間に流血を繰り返すという悲しい現実が続いている。悲劇のユダヤ人である。明日は、そのホロコ−ストの残虐な痕跡を確かめるため、アウシュビッツを訪ねる予定だ。
  

ワジェンキ公園
ゲットー記念碑を後にしたバスは、最終地点のワジェンキ公園で止まる。ここは市の南にある広大な公園で、木々の緑や季節の花に彩られ、散歩する足元にはリスが寄ってくるという自然味あふれる公園である。この公園が造られたのは十八世紀で、三十年もの歳月を費やしたという。園内には池のほとりに建つワジェンキ宮殿や野外劇場、ショパン像があり、夏のシ−ズンには土・日曜日ごとにショパン像の前で無料の野外コンサ−トが開かれる。

 
ガイドの案内でワジェンキ宮殿を見学する。その入口には、教師に引率された見学の生徒たちがあふれている。しばらく、その列に並んで入場すると、靴の上から大きなスリッパを履いて宮殿内を観覧して回る。相変わらずガイドの懇切丁寧な解説が続く。よく内容を覚えているものだと感心させられる。


この宮殿は、十八世紀にこの公園を造ったポ−ランド最後の王スタニスワフ・アウグスト・ポニヤトフスキが夏の離宮として建てたものである。第二次大戦でドイツに占領された際、この宮殿の美術品はほとんどドイツに持ち去られ、その後一九四四年には放火されて内部は完全に破壊されてしまったという。しかし戦後修復され、現在国立博物館の分館として十七〜八世紀の美術品を展示している。
 

宮殿は広い池のほとりにたたずみ、涼しげで落ち着いた雰囲気に包まれている。裏側に回ると、池の水面が間近に迫る宮殿の静かな風景が森の中から望まれる。


表の玄関前では、ちょうど二羽の孔雀が遊んでいて、観光客たちの目をよそに、その美しい羽根をいっぱいに広げながらオスがメスに向かって盛んに求愛のアピ−ルをしている。その美しく、珍しい光景にしばし時を過ごす。


チケットの手配
バスは最初の出発地点フォラムホテルに戻り、そこで解散となる。付近をうろついていると、ケンタッキ−・フライド・チキンの店が目にとまり、そこでチキンにポテトチップス、ジュ−スをとって昼食にする。これで五・七ズウォティ(二五〇円)。お腹が落ち着いたところで、明日のアウシュビッツ行きの列車チケット手配に動き出す。今度はオルビスの所在地を間違わないように方向を確認し、おもむろに歩き出す。間もなく大きなオルビス旅行社のビルを発見、ガランと空いた窓口には全て女性の係員が座っている。ここならゆっくり相談できそうだ。
 

アウシュビッツはワルシャワから南に遠く離れており、特急で二時間半、さらにロ−カル列車で一時間もかかるスロバキア国境に近い所にある。アウシュビッツはドイツ語名で、ポ−ランドではオシフィエンチムという。だから駅名もオシフィエンチムになっている。そこまで行くのにはカトヴィツェ駅でロ−カル線に乗り換えるのだが、その接続時間がなかなかうまくゆかない。

(この続きはこちらへ⇒ http://yasy7.web.fc2.com/ )

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
同行者
一人旅
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
個別手配
  • 見事に復旧したワルシャワの旧市街<br /><br />

    見事に復旧したワルシャワの旧市街

  • 37階建ての高層ビル・文化科学宮殿<br />

    37階建ての高層ビル・文化科学宮殿

  • ワルシャワの旧市街<br />

    ワルシャワの旧市街

  • キュリー夫人の生家<br />

    キュリー夫人の生家

  • 貨車の残骸のモニュメント<br /><br />

    貨車の残骸のモニュメント

  • ワルシャワのメインストリート<br /><br />

    ワルシャワのメインストリート

  • ワルシャワ・ゲット−記念碑<br />

    ワルシャワ・ゲット−記念碑

  • 美しく広大なワジェンキ公園<br />

    美しく広大なワジェンキ公園

  • ワジェンキ宮殿の裏側<br />

    ワジェンキ宮殿の裏側

  • 宮殿前の噴水<br />

    宮殿前の噴水

  • ワジェンキ宮殿<br />

    ワジェンキ宮殿

  • 孔雀の求愛ポーズ(ワジェンキ公園)<br />

    孔雀の求愛ポーズ(ワジェンキ公園)

  • ワルシャワのオペラハウス・ホール<br /><br />

    ワルシャワのオペラハウス・ホール

  • バレーが終わってカーテンコール<br />

    バレーが終わってカーテンコール

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