サマルカンド旅行記(ブログ) 一覧に戻る
前回の続きである第二回シルクロードの旅を3年振りに行くことが出来、今回はキルギス・ウズベキスタンに訪れました。前回同様にリーマンパッカーなので2weekの旅でした。<br />●日程<br />10/20 成田→<br />10/21 タシケント→A→ビシュケク<br />10/22 ビシュケク→B→カラ・コル<br />10/23 カラ・コル→B→ビシュケク<br />10/24 ビシュケク→A→オシュ→T→フェルガナ→ST→タシケント(陸路の国境越え)<br />10/25 タシケント<br />10/26 タシケント→T→サマルカンド<br />10/27 サマルカンド(レンタルチャリ)<br />10/28 サマルカンド→B→ブハラ<br />10/29 ブハラ<br />10/30 ブハラ→ST→ヒバァ<br />10/31 ヒバァ<br />11/1  ヒバァ→ST→タシケント<br />11/2  タシケント<br />11/3  タシケント→A→成田 <br />●移動手段(上記の英字)<br />・都市間の移動手段<br />A:飛行機<br />B:バス<br />ST:シェアタクシー<br />T:電車<br />・市内の移動手段<br />レンタルサイクル<br />マルシュルートカ<br />タクシー<br />歩き<br />●費用<br />・チケット代¥103,140<br /> →ウズベキスタン航空(1フライト付き)<br />・現金<br /> $820(約¥70,000)と日本円¥10,000<br />・現地移動費<br /> 1)チケット代:約$80(ビシュケク→オシュ)<br />  現地のツーリスで現地購入<br /> 2) Visa代:\3,000<br /> 3)バス代:¥$30<br /> 4)タクシー代:約$140<br /> 5)宿泊費:約$280<br /> 6)食事:約$80<br /> 7)お土産:約$180<br /> 8)国境わいろ約$15<br /> 9)その他雑費:約$20<br />・合計約¥80,000位<br /><br />●一日目 (成田→タシケント空港)<br />午前中は会社で仕事を済ませて夕方成田へ向う出発ロビーで待つ。ウズベク航空はトルコや中近東への中継空港として利用されている関係で幾つかのツアーご一行様がいる。時刻通りに20:20出発しあっと言う間に関空へ到着。<br />ここで一度セキュリティーチェクの為に機内から出て関空内へ。23:40頃に予定通りにタシケントへ向け出発。<br />隣の席は外人のおばちゃん。。話をするとイスラエルからツアーで来たとの事で、無類のイスラエル好きに私は嬉しくなり、イスラエル行ったよ〜・・と話に花が咲きました。<br /><br />●二日目 (タシケント空港→ビシュケク)<br />タシケントには03:30(+1)に到着しました。空港内で時間を潰しウズベキスタン航空(HY779)06:30に乗り08:45にキルギスのビシュケクに到着しました。<br />空港内も見渡す限りキリール文字ばかり・・。そお、あのロシアの文字です。。Здравствуйте<br />外へでればこの日は寒く雨が・・。この天候に少ししょげてタクシーでビシュケク市内に行きツアー会社へ。<br />先ずは、オシュの街と国境ゲートの状況をヒアリング。そして、ビシュケクとオシュのAirチケットを購入(約¥7,000)。これで、この先の目処が立ったので近くのカフェで昼食して15時にツアー会社へ行き頼んだ航空チケットを手にする。<br /><br />街は昼ごろから雪にかわり始めたが街をブラブラ散歩しながら「さくらゲストハウス」へ。5人部屋のドミトリーで一泊¥600位。共同バス・トイレだが綺麗でした。<br />夕方には雪は止み街をブラブラ散策しツム百貨店へ行く。日本の所謂デパートと感じが異なり作りも殺風景で店と店はパーティションだけで区切られている。テナント別なんて物はない。。<br />ヤハリ一番人気なるのは携帯やTVなどの家電で次いで服と言った感じで人が沢山いる。<br />人種はキルギス系やロシア系、ウイグル系など様々だ。巷はロシアやEUのTV・音楽・文化がどんどん入ってきている。(元ソ連なので当たり前ですが・・)若者の格好は日本と大差ないが、金持ちとそうでない物の差は一目両全だ。<br /><br />●三日目 (ビシュケク→カラ・コル)<br />ビシュケクのオシュバザールの北にあるブス(現地ではバスをブスと呼ぶ)ターミナルからカラ・コル行きのマルシュルートカ(乗り合いミニバス)を探し、値段交渉!<br />人が集まるまで隣接している売店で朝ご飯を購入。暖かいサモサがあったので購入し昨日買ったバナナを車内で食す。20分程で人が集まり10:30頃に出発し20分も走ると家々は無くなりステップの風景が現れる。峠道に入り周囲は雪景色が現れ3時間位で峠の中腹に差し掛かりドライブインで昼食。<br />余りお腹が空いて無かったので、挙げパン2つと持参したリンゴで済ませる。2時間程でイシ・ククル湖のチョルポン・アタを通過して更に2時間位でカラ・コルに到着。結局16:00頃に目的地に着いたので6時間程だったた。<br /><br />道路は雪と解けた雪でビチャビチャだったのでタクシーに乗り、目当てのHotelに行く。しかし・・・誰も出てこない。。10分待ったが来ないので、タクシーDriveの知っているHotelへ!<br />うわ立派!!高そう・・。一泊朝食付き35SだがS30で交渉成立。<br />受付は若い女の子で英語もOKでした。お湯も問題ない!<br />街をブラブラするがかなり寒い。標高1,700m位との事。<br />カフェを探すがちょっと離れているので売店でパンとカップラーメンを買いHotelでお湯と緑茶を貰い夕食にした。<br /><br />●四日目 (カラ・コル→ビシュケク)<br />09:00にHotelで朝食を済ませてチェクアウトし古いロシア正教会を見に行く。想像より小さかったのでちょっとガッカリ(よくある事だが)。。<br />バザールを除きながらブスターミナルへ行き丁度ビシュケク行きのブスが出発する所だったので掛け乗る。これが早とちりだった。。公営ブスだったので隣接の街々に寄り乗客を乗せるのでえらい時間がかかる。しかし安い!!<br />結局10時半過ぎに出発しビシュケクには18:30を過ぎていた。<br />ノンビリした時間だったが・・。<br />タクシーでまた「さくらゲスト・ハウス」へ。<br />今夜は翌日が早いのでシングルルームにした。<br />近くのカフェでラグマンとシャシリク(串焼き)とBeerを食べる。<br /><br />●五日目 <br />(ビシュケク→オシュ→国境ゲート→フェルガナ→タシケント)<br />朝06:40にHotelを出てタクシー拾い約20分でマナス空港へ。<br />空港1Fの右側が国内線入り口があり入ると既に50人位の人だかりが、<br />カウンター入り口でごった返している。。<br />我先にと手続きを済ませたい感じで並んでいない。。<br />掲示板には搭乗する便の「check-In]表示は出ているが、人だかりが凄く前に進めない・・・。<br />このままでは乗れないと人だかりを割り込みチェックインカウンターで手続きを済ませ搭乗ロビーに行くと出発10分前で、バスが待機しており飛び乗る。遅いじゃ無いか!と係り員に言われた。。冗談じゃない空港の搭乗システムが悪いからだろう、と英語で言えない悔しい思いを堪え移動。<br />飛行機は久し振りの双発機で50人乗りのAircraftだった。マナス空港には米軍機がかなりの数で待機していた。対アフガンへの中継基地になっている様だ。<br /><br />オシュ空港には2時間弱で到着しマルシュルートカに乗りバザールへ向い、両替商で$30分をウズベキ通過のCymに変える。。札束だらけ!<br />焼きたてナンとリンゴを買い公園で昼食を取り、タクシーを拾い国境ゲートまで約10分で到着。ゲート手前で降ろされ徒歩で建物に入り出国手続きを行う。が、ここで案の定。。先ずは別室に通され荷物とカメラチェックを行う。キルギス側の国境ゲートを撮った写真を消せと言われしかたなく消去。。<br />そして、「ウズベキスタンに行きたいのなら」と指を擦り合わせたジェスチャーをしているではありませんか!一言「$$」と連呼しました。やはり噂には聞いておりましたが本当に出くわしたのには、ちょっと驚きと現実にあるんだ、と言う嬉しさと、さて困ったなぁ〜と複雑でした。何で払う必要があるんだ!と10分程ゴネましたが埒があかず$10渡しました。するともっとだ言って来たのでキルギスの余り通過を¥400程渡したが、納得していない感じでした。<br />そこへ、新たなスタッフが来て呼ばれたらしくこの場は終わり、無事に出国スタンプを押印されました。<br />ゲートを出て国境を約50m程を歩いて自らゲートを開け閉めしてウズベキスタンの地に踏み込む!<br />ウズベキスタン側のゲートスタッフはどんなだろう?と心配しながら、入国用扉を開けると、「Hi!Are you Tourist?」と陽気な声が聞こえ握手。。とても明るく感じが良い。<br />入国手続きをしここでVisa(自分で用意した)に入国スタンプを押される!ちょっと感激!!で、次の税関&セキュリティーチェックの建物には4,5の軍スタッフがいたが、みな陽気で色々な話をしながら淡々と1h位で手続きは終了した。<br /><br />ゲートを出ると乗合タクシーが1台停まっていて、フェルガナ迄110kmの値段交渉し、60,000cym(約\3,000)で決まり2.5hのドライブ。<br />フェルガナで安宿に数件Telするがどこま満室・・。空いているのは1泊$40,50のHotel。。ドライバーが英語の出来る友達にTelしてくれて探すがやはり満室・・・。。その友達と解決策を見いだしタシケントまでの交渉をした。タシケントまでは350km程あり1,800mの峠を越えてなので6時間は掛るとの事。時計は16時を過ぎている・・。タシケント行きを決断!ドライバーは「Oh!No・・・」と半分呆れていた。<br />値段はトータルで157,000cym(\7,000)で決まりお互い笑いながら握手<br />をした。<br />途中で郊外のドライブインに寄り夕食を取ったり、LPガススタンドに寄ったり、峠の山頂で立ちションをしたり、しながら0時過ぎにタシケントに着きここでドライバーがタシケント市内のタクシーを捕まえHotelまでの値段交渉もしてくれて、ドライバーとハグして別れた。<br />目的地のHotel ORUZまでは15分位で着き、ここれ又値段交渉して$40→$35にしてもらい、シャワーを浴びベッドへ。。<br /><br />●六日目 (タシケント市内)<br />Hotelの朝食を済ませブラブラしながら30分程でタシケント駅に到着。駅舎の切符窓口に行き外人専用窓口でサマルカンドまでの切符を18,000cym(\1,000)購入する。地下鉄タシケント駅から乗り継いでMINOR(ミナール)駅まで乗る。地下鉄の雰囲気は薄暗く湿っぽい感じがする。正にソ連の雰囲気を味わえる場所です。。インターコンチHotelの隣にあるビジネスセンターの6FにあるJICA日本センターに行き日本語可能なPCを1h借り(\50)借りてメールをする。。<br />歩いてブラブラしながらアライ・バザールを散策。服・食糧品・食べ物や・宝石屋などが立ち並ぶ。<br /><br />●七日目 (タシケント→サマルカンド)<br />07:40にチェックアウトしてタクシーでタシケント駅に行く。ホームには1台の電車しか停まっていなかったので係員に聞き指定席に座る。<br />08:15分に出発し車内は満席。サマルカンドまで3.5h程の一人世界の車窓から気分に浸る。。サマルカンド駅のホームに降りると早速ナン売りおばさんが、あちらこちらで売っている。食べたいのを堪え駅から、73aのマルシュルートカ400cym(\20)に乗り込み、レギスタン広場で降りる。憧れのサマルカンドに降りウルグベルグ・メドレセを目の前にした時には鳥肌が立った。。<br />歩いて10分位のHotel Furukatに行き交渉。バックを置き8,000cymの入場料を払い三つのメドレセを思う存分見学する。案の定「ミナレットに登りますか?」と日本語で係員が話しかけ$10と言うので値切り$5で交渉。狭く暗い階段を上るとサマルカンドが一望出来る風景でした。<br /><br />あっという間に17時を過ぎたので広場の前にあるチャイハネ風カフェの「ラビ・ゴール」で、ラグマン・マンティー・ナン・Beer(地ビール)を8,000cym(\400)で食べる。メドレセや風景をボーと観て時間が過ぎ暗くなってきたので、歩いてライトアップされているグリアミール廟に行く。<br /><br />●八日目 (サマルカンド市内)<br />Hotelで朝食を済ませてレンタルサイクル屋にTelをしてHotelまでPickupしてもらう。1日$15を$10に値切り(高いが・・)借りた。。<br />気分よく先ずはビビハニム・モスクへ行き隣接しているシヤブ・バザールは通り越して、シャーヒズィンダ廟群に行った。ここのモザイク柄もすごく素敵だった。坂道を下り絨毯工場を目指すが場所が良く分からないので断念・・。<br />シヤブ・バザールに行きウロウロし、待ちに待ったサマルカンド・ナンと果物類を買いながらブラブラする。近くの公園でお昼タイム!<br />坂道を下り上りして新市街へ行き、郵便局にAirMailを出した。<br />新市街は店が多く人が老若男女が沢山集まっていた。<br />ナボォイ通りにある公園のカフェでアイスを食べて一休み。。<br />新市街をチャリでブラブラするが既にお尻と腿が痛くつらい・・。Hotelに戻ったら17時近くだった。歩いてタシケント通りにある土産物屋をブラブラした。タクシーでカフェオアジスに行って、チョップビーフとナン、Beerで夕食11,000cym(約\750)。タクッってHotelに戻る。<br /><br />●九日目(サマルカンド〜ブハラ)<br />08:00にHotelで宿泊しているウズベク人と向かい合わせで朝食を済ませて、<br />昨日同様にお湯が運ばれて来たので体と髪を洗い、09:30にHotelを出発。<br />タクシーを拾いブハラ用バスターミナルへ行く。<br />タシケント用とその他地域用で若干場所が異なるので注意!!。<br /> (Hotelのオヤジに教えてもらった)<br />ブハラ行きか確かめ値段交渉し15,000cym→11,000cymで了承し、人が集まるまで待機・・。<br />待つこと30分で出発。走って直ぐに金型職人らしき人が商売道具を10個程積むんで走ると何か異音がした・・、バスはUターンし再度バスターミナルへ戻って来た。もしやと思ったら、運転手が大きな声で発したと同時に乗客が一斉に降り始めた・・。<br />バスが故障し交換と思い急いで降りて待っていたバスに乗り込む。何とか席は確保出来た。何だかんだで11:00頃に出発し満員御礼で立ち乗り者もいる状態で、隣は現地人だが何とも言えない臭いが・・・、夏でなく良かったと思った。。<br />順調に進み自由乗降なのであちこちで止まりながらも、広大な綿花畑の中を走ってゆく。そんな車内でウズベク人とロシア系?っぽい家族で口論がヒートアップして、手足のでる喧嘩になってしまった・・・。スタッフが間に入り仲裁したがかなり激しかった。<br />しかし、ウズベク人が途中で降りた時、外から笑顔でロシア家族に手を上げていた。。<br /><br />ブハラバスターミナルには16:00頃に付きタクシーで旧市街のラビ・ハウズまで行った。この辺りがHotelが集まり観光の起点になる。<br />Hotelを探していると「こんちは・」と声を掛けられた。そのおばさんはHotel経営者らしく紹介し始めた。車に乗るとドイツ人カップルが乗っていて、見るだけ見る事にした。<br />乗って2,3分で降り歩いて5分ほどの場所だった。繁華街を過ぎ住宅街の中で自宅を改装した、B&amp;Bだった。共同トイレ・バス朝付きでシングル$15、お湯も問題ないので決まり!<br />早速、街へ繰り出しブラブラしお土産を買う為の下調べで何件かの絨毯屋を除く。。ただ物と値段の相場を知る為に訪れたが、1枚のスザニ(絨毯みたいな物)に出会い、心を奪われた。。色・模様・品質が気に入った!値段はなんと$250!!<br />Whooo出たーツーリストプライス!少しだけ交渉し閉店を過ぎていたので退散した。<br />近くのカフェで、ラグマンとシャシリクとBeerで夕食を取った。ラビ・ハウズ周辺のお土産物屋をブラブラしてHotelに戻る。3日振りにシャワーを浴びサッパリ。中庭でティーをもらい夜空を見ながら恒例の日記を書いた。<br /><br />●十日目<br />中庭でドイツ人カップルと一緒に朝食を取りながら、お互いの今回の旅や旅仕事などを、話しながら楽しく食べた。<br />始めに近くのカラーン・モスクとミナレット(光の塔)に行き、次にミル・アラブ・メドレセに行った。ラビ・ハウズからタクシーでブハラ大学まで10分程乗り、校内にあるブハラ日本センターに行った。JICAが運営するタシケントの分室で日本語可能なPCでメールを1時間800cym行った。若い日本人スタッフがいてまだ三ケ月との事。<br /><br />タクシーで新市街まで行きブラブラしながらモスクやメドレセを観光しながら、チャミル・モスクへ行く。目の前でナンを焼いている店?があり見ていると焼き立てを少し、分けてくれた。昼飯時でもあり焼き立てに引かれ1枚買う事に・・。<br />椅子に座り焼き上がりを待ってティーも頼み昼飯にした。。<br />歩いて30分程にあるイスマイール・サーマーニ廟やチャシュマ・アイユブ、アルク城を、観光しブラブラと戻りながら土産物屋をはじごしながら夕方になったのでHotelに戻る。<br />歩き疲れたので早めのシャワーと洗濯を済ませて、昨日の絨毯屋へ・・。<br /><br />昨日の同じ店員がいたので、今日何軒かスザニを見たがやっぱりこの(昨日の)スザニは高いよ〜、と開口し交渉開始!<br />お互い値段の応戦をああだこうだと言いながら1h程が過ぎ、結局$250→$160(\14,000)で、握手を交わした。$150に持ち込みたかったがこちらの英語不足と交渉能力が足りず、残念だった。。<br />この値段は現地人からすれば高くツーリストプライスなのだが、<br />それは仕方ないと思う。経済が豊かな国の人は現地で購入し外貨を使う事で、その国には外貨が入り経済が潤うのであるのだから、気に入った物であるなら、多少高くても購入する事が旅行者の一つの役割と思っているので。。<br /><br />ラビ・ハウズのカフェでフライド・ラグマンとBeerで夕食を取りHotelに戻る。中庭でティーを頼み座っていたらドイツ人カップルも帰宅して来た。別の部屋から新たな外人が出てきたがドイツ人カップルと知り合いらしくビックリしながら挨拶をしていた。<br />そんなこんなで中庭でティーを飲みながら、日本人×ドイツ人カップル×フランス人で、お互いの話をしながら仕事や趣味、過去話に話が咲き内容がエスカレートして、いつの間にやらウオッカが出てきて日本人としてのプライドもあり飲まない分けにはいかず、ティーカップで一揆飲みを。。味が良かったので美味しかった。<br />こおなると話はお酒やド○ッ○に・・。<br />直ぐに空になりBeerとウォッカを買いに行き宴が行われた。。<br />二本目のウォッカは超マズくエタノールと言うか化学系の味がした。<br />みな口を揃えて「chemistry!」と言っていた。<br />宴は0時頃まで続いた。。<br /><br />●十一日目<br />朝07:30にノックの音で起こされた。何か言っている・・、聞くとヒバァ行きのタクシーが見つかり1h後にPickupするけどどおする?と言われ一瞬悩んだが、「OK!」と答えバタバタと支度し朝食を食べてタクシーを待った。値段も交渉してくれて$20との事。350kmの距離を$20とは安い。<br />運が良いなぁ〜と思いアッラーに感謝しました。。<br />ドイツ人カップルとフランス人も見送りしてくれて乗合タクシーに乗り込んだ。先客に現地人とフランス人オヤジ(またまた・・)がいた。このフランスオヤジが変わった人で面白かった。<br /><br />ブハラを出て40分走ると周囲は砂漠というか土漠の中の一本道になりこれから200km以上はこれが続く。<br />陳腐な路面なのでアスファルトは剥げたりボコボコ・ガタガタの道だった。日差しは強い。窓を開けるが場所に寄っては砂埃が凄まじい。。<br />途中の道端には車が故障し直している場面を何度も見た。車乗る人は自分たちである程度直せる人が多いのもお国柄だなぁ〜と思った。<br />トルクメニスタン国境と直ぐ近かったり、トラックやトレーラーが多く多種メーカが走っておりナンバーもロシアやトルコと言った他国車が走っており、ユーラシア大陸の広大さとシルクロードの交易を感じる事が出来た。<br />何百年前はここをラクダでのキャラバン隊を組んでオアシスを点々としながら交易をしていたのだなぁ〜と思った。<br />砂漠道を通り抜け郊外のカフェに入り、羊肉だけの煮込みとナン、ティーを昼食にする。<br /><br />ヒバァには16:30頃に到着しドライバーの親戚が経営しているHotelへ。。<br />泊まるリストに入っていたHotelだったので好都合!やはりアッラーに感謝。。さてさて値段と部屋チェックを行い$20→$12まで値切り交渉。<br />早速、イチャン・カラ内へ行きブラブラする。既に薄暗く店も閉まりかけておりちょっと寂しい感じ。夕食はイチャン・カラ内にあるファルールへ行き、ユルタの中でラグマンとナン、Beerを食べた。<br />Hotelに戻りティーを部屋で飲みながら洗濯とあすの予定を立てた。<br /><br />●十二日目(ヒバァ〜タシケント)<br />08:00にHotelのレストランに行くとU.Kの老夫婦と韓国男性と例のフランス人オヤジと、5人で朝食を取った。<br />09:30にHotel出てウルゲンチのバスセンターまで乗合タクシーで行った。<br />すぐさまタクシーの呼び込みが群がって来たので値段交渉。<br />乗合タクシーで一人$35を$32で交渉。現地人で$30と聞いていたので良しとしよう。<br />参考までに隣の公営バスは25,000cym(約$12)だが所要時間は20h位なので、<br />それを考えるとタクシーの目安12h/$32は安い。<br />タシケントまで約1,000kmの距離を本当にタクシーがあるのか?と、半信半疑だったが、実在するのにちょっと驚きと感動があった。トイレに行って10分で戻って来ると人が見つかったらしく10:30頃に出発。もう一人はウズベク人のオヤジだった。<br />しかしドライバーも乗客も英語は通じないが・・良しとしよう。<br />しかしこのドライバーは飛ばす飛ばす。一昨日来た砂漠道を通りブハラまで来た時よりも1hは早い。<br /><br />夕方頃に途中の街で食事を取りガスを何度か補給し、タシケントのイパドロームバスターミナルには0時頃に着いた。<br />安いHotelにTelするが満室だったり外国人はお断りなどで7,8軒駄目で全然見つからない・・・。<br />マズイ・かなりまずい状況だ!手持ちの現金は少ないのでカード払いが可能なHotelを探して何とか見つかったのでタクシーで向かう。<br /><br />ラディスJSSHotelは$50だが値切って$45でOK。$40まで粘ったが$40は現地人価格らしい。<br />部屋や設備はそれなりに良かったので仕方ないと思った。<br />洗濯をすませBedで横になる。。<br /><br />●十三日目(タシケント)<br />1週間振りのタシケントだが幾分寒くなり冬の気配が感じられた。<br />Hotelで朝食を済ませ泊るHotelを決めなくてはならない。。<br />手持ちの$はすっからかんになったので、唯一の現金である1万円札を両替しなくてはならない。お土産や成田から家までの交通費を計算し今日はカードが使えるHotelにと思い、歩いて30MのOruzHotelに決めた!前回もここだったので地理的にも分かっているので安心だ。<br />チェックアウトし早速OruzHotelに行き値段交渉しやはり1泊$35、<br />選択の余地はないので荷物を置き市内観光へ。<br />先ずは、歩いて5分程にある5つ星Hotelのグランド・ミールに行き両替を試みる。本当に日本円から両替出来るのか少し不安だったが、両替窓口には$と?と¥の表示があった。<br />¥10=205cymなので¥10,000=205,000cymでまた凄い量の札束になり金持ち気分に!!(昨日は現金がなく気分が少々下がり気味だったが・・。)<br /><br />ご機嫌気分で地下鉄に乗りインターコンチ近くにある日本センターに行きPCを借りメールをする。<br />気分良くタクシーを止め地下鉄チョルスー駅にあるチョルスーバザールへ。<br />とても大きく様々な店が乱舞しオールド・バザールの気分を味わえる場所だ。一角にあるチャイハネが集まった建物がありここで昼飯を食べた。<br />更に、アライ・バザールに行きブラブラ歩きしお土産を調達した。<br />ティムール広場の一角にある青空露天商をブラブラ歩き、一般の店で土産用のチョコレートやタバコを購入。<br />Hotel近くの店でパンとBeer、お菓子を買って部屋で済ませた。<br />1週間振りにTVを観てシャワーを浴び明日は4時起きなので荷造りをなんとなくした。0時半頃横になったが旅の振り返りで感傷的になったり朝早い緊張感などで、余り寝れずに・・・<br /><br />●十四日目(タシケント〜成田)<br />昨夜遅くから雨が降りまだ降っていた。。<br />ウトウト寝をしながら4時に起きて荷造りとチェックアウトを済ませて、<br />タクシーを呼んでもらい5時にタシケント空港に到着。何と空港の出発ゲート入口まで車の乗り入れが出来ずに、手前で降ろされ周囲は着いた人、これから出発する人で沢山の人がいた。<br />仕方なく雨の中を歩いて国際線出発ロビーまで行ったが、人が沢山いた。<br />中央アジア最大の都市であり24時間ハブ空港の熱気や交易の力を感じられた。<br /><br />搭乗手続きは難なく終わりCheck-Inゲート内へ。<br />しまった!余った現地通貨を$に両替するのを忘れた・・・。<br />手元には使う出番が無い現地通貨が¥3,000分位残ってしまった。<br />最後になって非常に感じの悪い出来事をしてしまった。。<br /><br />機内は空いており2/3位の乗車率で隣席も空きで快適に過ごせました。<br />航路上、ウイグル自治区のトルバン上空を飛行していたので、3年前の事を思い出しながら景色を楽しみました。<br />予定通り成田には18:55に到着しました。<br /><br />以上<br /><br />第一回目のウイグル自治区周遊から始まり二回目となるが、ユーラシア大陸の歴史・文化・人種・大きさ・繋がりを実感出来、有意義な時間を過ごせた。一サラリーマンなので二週間と言う長期休暇を取るのは簡単ではないが、昨今の世界情勢から各国の情勢は常に変動しているので今行ける国でも、明日行けなくなる国があると言う現実を踏まえ、今しか出来ない事をしたいと思い実行しました。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /> <br /><br /><br /><br />

第二回シルクロードの旅/キルギス・ウズベキスタン編

9いいね!

2010/10/20 - 2010/11/03

331位(同エリア610件中)

5

101

kojiさん

前回の続きである第二回シルクロードの旅を3年振りに行くことが出来、今回はキルギス・ウズベキスタンに訪れました。前回同様にリーマンパッカーなので2weekの旅でした。
●日程
10/20 成田→
10/21 タシケント→A→ビシュケク
10/22 ビシュケク→B→カラ・コル
10/23 カラ・コル→B→ビシュケク
10/24 ビシュケク→A→オシュ→T→フェルガナ→ST→タシケント(陸路の国境越え)
10/25 タシケント
10/26 タシケント→T→サマルカンド
10/27 サマルカンド(レンタルチャリ)
10/28 サマルカンド→B→ブハラ
10/29 ブハラ
10/30 ブハラ→ST→ヒバァ
10/31 ヒバァ
11/1  ヒバァ→ST→タシケント
11/2  タシケント
11/3  タシケント→A→成田 
●移動手段(上記の英字)
・都市間の移動手段
A:飛行機
B:バス
ST:シェアタクシー
T:電車
・市内の移動手段
レンタルサイクル
マルシュルートカ
タクシー
歩き
●費用
・チケット代¥103,140
 →ウズベキスタン航空(1フライト付き)
・現金
 $820(約¥70,000)と日本円¥10,000
・現地移動費
 1)チケット代:約$80(ビシュケク→オシュ)
  現地のツーリスで現地購入
 2) Visa代:\3,000
 3)バス代:¥$30
 4)タクシー代:約$140
 5)宿泊費:約$280
 6)食事:約$80
 7)お土産:約$180
 8)国境わいろ約$15
 9)その他雑費:約$20
・合計約¥80,000位

●一日目 (成田→タシケント空港)
午前中は会社で仕事を済ませて夕方成田へ向う出発ロビーで待つ。ウズベク航空はトルコや中近東への中継空港として利用されている関係で幾つかのツアーご一行様がいる。時刻通りに20:20出発しあっと言う間に関空へ到着。
ここで一度セキュリティーチェクの為に機内から出て関空内へ。23:40頃に予定通りにタシケントへ向け出発。
隣の席は外人のおばちゃん。。話をするとイスラエルからツアーで来たとの事で、無類のイスラエル好きに私は嬉しくなり、イスラエル行ったよ〜・・と話に花が咲きました。

●二日目 (タシケント空港→ビシュケク)
タシケントには03:30(+1)に到着しました。空港内で時間を潰しウズベキスタン航空(HY779)06:30に乗り08:45にキルギスのビシュケクに到着しました。
空港内も見渡す限りキリール文字ばかり・・。そお、あのロシアの文字です。。Здравствуйте
外へでればこの日は寒く雨が・・。この天候に少ししょげてタクシーでビシュケク市内に行きツアー会社へ。
先ずは、オシュの街と国境ゲートの状況をヒアリング。そして、ビシュケクとオシュのAirチケットを購入(約¥7,000)。これで、この先の目処が立ったので近くのカフェで昼食して15時にツアー会社へ行き頼んだ航空チケットを手にする。

街は昼ごろから雪にかわり始めたが街をブラブラ散歩しながら「さくらゲストハウス」へ。5人部屋のドミトリーで一泊¥600位。共同バス・トイレだが綺麗でした。
夕方には雪は止み街をブラブラ散策しツム百貨店へ行く。日本の所謂デパートと感じが異なり作りも殺風景で店と店はパーティションだけで区切られている。テナント別なんて物はない。。
ヤハリ一番人気なるのは携帯やTVなどの家電で次いで服と言った感じで人が沢山いる。
人種はキルギス系やロシア系、ウイグル系など様々だ。巷はロシアやEUのTV・音楽・文化がどんどん入ってきている。(元ソ連なので当たり前ですが・・)若者の格好は日本と大差ないが、金持ちとそうでない物の差は一目両全だ。

●三日目 (ビシュケク→カラ・コル)
ビシュケクのオシュバザールの北にあるブス(現地ではバスをブスと呼ぶ)ターミナルからカラ・コル行きのマルシュルートカ(乗り合いミニバス)を探し、値段交渉!
人が集まるまで隣接している売店で朝ご飯を購入。暖かいサモサがあったので購入し昨日買ったバナナを車内で食す。20分程で人が集まり10:30頃に出発し20分も走ると家々は無くなりステップの風景が現れる。峠道に入り周囲は雪景色が現れ3時間位で峠の中腹に差し掛かりドライブインで昼食。
余りお腹が空いて無かったので、挙げパン2つと持参したリンゴで済ませる。2時間程でイシ・ククル湖のチョルポン・アタを通過して更に2時間位でカラ・コルに到着。結局16:00頃に目的地に着いたので6時間程だったた。

道路は雪と解けた雪でビチャビチャだったのでタクシーに乗り、目当てのHotelに行く。しかし・・・誰も出てこない。。10分待ったが来ないので、タクシーDriveの知っているHotelへ!
うわ立派!!高そう・・。一泊朝食付き35SだがS30で交渉成立。
受付は若い女の子で英語もOKでした。お湯も問題ない!
街をブラブラするがかなり寒い。標高1,700m位との事。
カフェを探すがちょっと離れているので売店でパンとカップラーメンを買いHotelでお湯と緑茶を貰い夕食にした。

●四日目 (カラ・コル→ビシュケク)
09:00にHotelで朝食を済ませてチェクアウトし古いロシア正教会を見に行く。想像より小さかったのでちょっとガッカリ(よくある事だが)。。
バザールを除きながらブスターミナルへ行き丁度ビシュケク行きのブスが出発する所だったので掛け乗る。これが早とちりだった。。公営ブスだったので隣接の街々に寄り乗客を乗せるのでえらい時間がかかる。しかし安い!!
結局10時半過ぎに出発しビシュケクには18:30を過ぎていた。
ノンビリした時間だったが・・。
タクシーでまた「さくらゲスト・ハウス」へ。
今夜は翌日が早いのでシングルルームにした。
近くのカフェでラグマンとシャシリク(串焼き)とBeerを食べる。

●五日目 
(ビシュケク→オシュ→国境ゲート→フェルガナ→タシケント)
朝06:40にHotelを出てタクシー拾い約20分でマナス空港へ。
空港1Fの右側が国内線入り口があり入ると既に50人位の人だかりが、
カウンター入り口でごった返している。。
我先にと手続きを済ませたい感じで並んでいない。。
掲示板には搭乗する便の「check-In]表示は出ているが、人だかりが凄く前に進めない・・・。
このままでは乗れないと人だかりを割り込みチェックインカウンターで手続きを済ませ搭乗ロビーに行くと出発10分前で、バスが待機しており飛び乗る。遅いじゃ無いか!と係り員に言われた。。冗談じゃない空港の搭乗システムが悪いからだろう、と英語で言えない悔しい思いを堪え移動。
飛行機は久し振りの双発機で50人乗りのAircraftだった。マナス空港には米軍機がかなりの数で待機していた。対アフガンへの中継基地になっている様だ。

オシュ空港には2時間弱で到着しマルシュルートカに乗りバザールへ向い、両替商で$30分をウズベキ通過のCymに変える。。札束だらけ!
焼きたてナンとリンゴを買い公園で昼食を取り、タクシーを拾い国境ゲートまで約10分で到着。ゲート手前で降ろされ徒歩で建物に入り出国手続きを行う。が、ここで案の定。。先ずは別室に通され荷物とカメラチェックを行う。キルギス側の国境ゲートを撮った写真を消せと言われしかたなく消去。。
そして、「ウズベキスタンに行きたいのなら」と指を擦り合わせたジェスチャーをしているではありませんか!一言「$$」と連呼しました。やはり噂には聞いておりましたが本当に出くわしたのには、ちょっと驚きと現実にあるんだ、と言う嬉しさと、さて困ったなぁ〜と複雑でした。何で払う必要があるんだ!と10分程ゴネましたが埒があかず$10渡しました。するともっとだ言って来たのでキルギスの余り通過を¥400程渡したが、納得していない感じでした。
そこへ、新たなスタッフが来て呼ばれたらしくこの場は終わり、無事に出国スタンプを押印されました。
ゲートを出て国境を約50m程を歩いて自らゲートを開け閉めしてウズベキスタンの地に踏み込む!
ウズベキスタン側のゲートスタッフはどんなだろう?と心配しながら、入国用扉を開けると、「Hi!Are you Tourist?」と陽気な声が聞こえ握手。。とても明るく感じが良い。
入国手続きをしここでVisa(自分で用意した)に入国スタンプを押される!ちょっと感激!!で、次の税関&セキュリティーチェックの建物には4,5の軍スタッフがいたが、みな陽気で色々な話をしながら淡々と1h位で手続きは終了した。

ゲートを出ると乗合タクシーが1台停まっていて、フェルガナ迄110kmの値段交渉し、60,000cym(約\3,000)で決まり2.5hのドライブ。
フェルガナで安宿に数件Telするがどこま満室・・。空いているのは1泊$40,50のHotel。。ドライバーが英語の出来る友達にTelしてくれて探すがやはり満室・・・。。その友達と解決策を見いだしタシケントまでの交渉をした。タシケントまでは350km程あり1,800mの峠を越えてなので6時間は掛るとの事。時計は16時を過ぎている・・。タシケント行きを決断!ドライバーは「Oh!No・・・」と半分呆れていた。
値段はトータルで157,000cym(\7,000)で決まりお互い笑いながら握手
をした。
途中で郊外のドライブインに寄り夕食を取ったり、LPガススタンドに寄ったり、峠の山頂で立ちションをしたり、しながら0時過ぎにタシケントに着きここでドライバーがタシケント市内のタクシーを捕まえHotelまでの値段交渉もしてくれて、ドライバーとハグして別れた。
目的地のHotel ORUZまでは15分位で着き、ここれ又値段交渉して$40→$35にしてもらい、シャワーを浴びベッドへ。。

●六日目 (タシケント市内)
Hotelの朝食を済ませブラブラしながら30分程でタシケント駅に到着。駅舎の切符窓口に行き外人専用窓口でサマルカンドまでの切符を18,000cym(\1,000)購入する。地下鉄タシケント駅から乗り継いでMINOR(ミナール)駅まで乗る。地下鉄の雰囲気は薄暗く湿っぽい感じがする。正にソ連の雰囲気を味わえる場所です。。インターコンチHotelの隣にあるビジネスセンターの6FにあるJICA日本センターに行き日本語可能なPCを1h借り(\50)借りてメールをする。。
歩いてブラブラしながらアライ・バザールを散策。服・食糧品・食べ物や・宝石屋などが立ち並ぶ。

●七日目 (タシケント→サマルカンド)
07:40にチェックアウトしてタクシーでタシケント駅に行く。ホームには1台の電車しか停まっていなかったので係員に聞き指定席に座る。
08:15分に出発し車内は満席。サマルカンドまで3.5h程の一人世界の車窓から気分に浸る。。サマルカンド駅のホームに降りると早速ナン売りおばさんが、あちらこちらで売っている。食べたいのを堪え駅から、73aのマルシュルートカ400cym(\20)に乗り込み、レギスタン広場で降りる。憧れのサマルカンドに降りウルグベルグ・メドレセを目の前にした時には鳥肌が立った。。
歩いて10分位のHotel Furukatに行き交渉。バックを置き8,000cymの入場料を払い三つのメドレセを思う存分見学する。案の定「ミナレットに登りますか?」と日本語で係員が話しかけ$10と言うので値切り$5で交渉。狭く暗い階段を上るとサマルカンドが一望出来る風景でした。

あっという間に17時を過ぎたので広場の前にあるチャイハネ風カフェの「ラビ・ゴール」で、ラグマン・マンティー・ナン・Beer(地ビール)を8,000cym(\400)で食べる。メドレセや風景をボーと観て時間が過ぎ暗くなってきたので、歩いてライトアップされているグリアミール廟に行く。

●八日目 (サマルカンド市内)
Hotelで朝食を済ませてレンタルサイクル屋にTelをしてHotelまでPickupしてもらう。1日$15を$10に値切り(高いが・・)借りた。。
気分よく先ずはビビハニム・モスクへ行き隣接しているシヤブ・バザールは通り越して、シャーヒズィンダ廟群に行った。ここのモザイク柄もすごく素敵だった。坂道を下り絨毯工場を目指すが場所が良く分からないので断念・・。
シヤブ・バザールに行きウロウロし、待ちに待ったサマルカンド・ナンと果物類を買いながらブラブラする。近くの公園でお昼タイム!
坂道を下り上りして新市街へ行き、郵便局にAirMailを出した。
新市街は店が多く人が老若男女が沢山集まっていた。
ナボォイ通りにある公園のカフェでアイスを食べて一休み。。
新市街をチャリでブラブラするが既にお尻と腿が痛くつらい・・。Hotelに戻ったら17時近くだった。歩いてタシケント通りにある土産物屋をブラブラした。タクシーでカフェオアジスに行って、チョップビーフとナン、Beerで夕食11,000cym(約\750)。タクッってHotelに戻る。

●九日目(サマルカンド〜ブハラ)
08:00にHotelで宿泊しているウズベク人と向かい合わせで朝食を済ませて、
昨日同様にお湯が運ばれて来たので体と髪を洗い、09:30にHotelを出発。
タクシーを拾いブハラ用バスターミナルへ行く。
タシケント用とその他地域用で若干場所が異なるので注意!!。
 (Hotelのオヤジに教えてもらった)
ブハラ行きか確かめ値段交渉し15,000cym→11,000cymで了承し、人が集まるまで待機・・。
待つこと30分で出発。走って直ぐに金型職人らしき人が商売道具を10個程積むんで走ると何か異音がした・・、バスはUターンし再度バスターミナルへ戻って来た。もしやと思ったら、運転手が大きな声で発したと同時に乗客が一斉に降り始めた・・。
バスが故障し交換と思い急いで降りて待っていたバスに乗り込む。何とか席は確保出来た。何だかんだで11:00頃に出発し満員御礼で立ち乗り者もいる状態で、隣は現地人だが何とも言えない臭いが・・・、夏でなく良かったと思った。。
順調に進み自由乗降なのであちこちで止まりながらも、広大な綿花畑の中を走ってゆく。そんな車内でウズベク人とロシア系?っぽい家族で口論がヒートアップして、手足のでる喧嘩になってしまった・・・。スタッフが間に入り仲裁したがかなり激しかった。
しかし、ウズベク人が途中で降りた時、外から笑顔でロシア家族に手を上げていた。。

ブハラバスターミナルには16:00頃に付きタクシーで旧市街のラビ・ハウズまで行った。この辺りがHotelが集まり観光の起点になる。
Hotelを探していると「こんちは・」と声を掛けられた。そのおばさんはHotel経営者らしく紹介し始めた。車に乗るとドイツ人カップルが乗っていて、見るだけ見る事にした。
乗って2,3分で降り歩いて5分ほどの場所だった。繁華街を過ぎ住宅街の中で自宅を改装した、B&Bだった。共同トイレ・バス朝付きでシングル$15、お湯も問題ないので決まり!
早速、街へ繰り出しブラブラしお土産を買う為の下調べで何件かの絨毯屋を除く。。ただ物と値段の相場を知る為に訪れたが、1枚のスザニ(絨毯みたいな物)に出会い、心を奪われた。。色・模様・品質が気に入った!値段はなんと$250!!
Whooo出たーツーリストプライス!少しだけ交渉し閉店を過ぎていたので退散した。
近くのカフェで、ラグマンとシャシリクとBeerで夕食を取った。ラビ・ハウズ周辺のお土産物屋をブラブラしてHotelに戻る。3日振りにシャワーを浴びサッパリ。中庭でティーをもらい夜空を見ながら恒例の日記を書いた。

●十日目
中庭でドイツ人カップルと一緒に朝食を取りながら、お互いの今回の旅や旅仕事などを、話しながら楽しく食べた。
始めに近くのカラーン・モスクとミナレット(光の塔)に行き、次にミル・アラブ・メドレセに行った。ラビ・ハウズからタクシーでブハラ大学まで10分程乗り、校内にあるブハラ日本センターに行った。JICAが運営するタシケントの分室で日本語可能なPCでメールを1時間800cym行った。若い日本人スタッフがいてまだ三ケ月との事。

タクシーで新市街まで行きブラブラしながらモスクやメドレセを観光しながら、チャミル・モスクへ行く。目の前でナンを焼いている店?があり見ていると焼き立てを少し、分けてくれた。昼飯時でもあり焼き立てに引かれ1枚買う事に・・。
椅子に座り焼き上がりを待ってティーも頼み昼飯にした。。
歩いて30分程にあるイスマイール・サーマーニ廟やチャシュマ・アイユブ、アルク城を、観光しブラブラと戻りながら土産物屋をはじごしながら夕方になったのでHotelに戻る。
歩き疲れたので早めのシャワーと洗濯を済ませて、昨日の絨毯屋へ・・。

昨日の同じ店員がいたので、今日何軒かスザニを見たがやっぱりこの(昨日の)スザニは高いよ〜、と開口し交渉開始!
お互い値段の応戦をああだこうだと言いながら1h程が過ぎ、結局$250→$160(\14,000)で、握手を交わした。$150に持ち込みたかったがこちらの英語不足と交渉能力が足りず、残念だった。。
この値段は現地人からすれば高くツーリストプライスなのだが、
それは仕方ないと思う。経済が豊かな国の人は現地で購入し外貨を使う事で、その国には外貨が入り経済が潤うのであるのだから、気に入った物であるなら、多少高くても購入する事が旅行者の一つの役割と思っているので。。

ラビ・ハウズのカフェでフライド・ラグマンとBeerで夕食を取りHotelに戻る。中庭でティーを頼み座っていたらドイツ人カップルも帰宅して来た。別の部屋から新たな外人が出てきたがドイツ人カップルと知り合いらしくビックリしながら挨拶をしていた。
そんなこんなで中庭でティーを飲みながら、日本人×ドイツ人カップル×フランス人で、お互いの話をしながら仕事や趣味、過去話に話が咲き内容がエスカレートして、いつの間にやらウオッカが出てきて日本人としてのプライドもあり飲まない分けにはいかず、ティーカップで一揆飲みを。。味が良かったので美味しかった。
こおなると話はお酒やド○ッ○に・・。
直ぐに空になりBeerとウォッカを買いに行き宴が行われた。。
二本目のウォッカは超マズくエタノールと言うか化学系の味がした。
みな口を揃えて「chemistry!」と言っていた。
宴は0時頃まで続いた。。

●十一日目
朝07:30にノックの音で起こされた。何か言っている・・、聞くとヒバァ行きのタクシーが見つかり1h後にPickupするけどどおする?と言われ一瞬悩んだが、「OK!」と答えバタバタと支度し朝食を食べてタクシーを待った。値段も交渉してくれて$20との事。350kmの距離を$20とは安い。
運が良いなぁ〜と思いアッラーに感謝しました。。
ドイツ人カップルとフランス人も見送りしてくれて乗合タクシーに乗り込んだ。先客に現地人とフランス人オヤジ(またまた・・)がいた。このフランスオヤジが変わった人で面白かった。

ブハラを出て40分走ると周囲は砂漠というか土漠の中の一本道になりこれから200km以上はこれが続く。
陳腐な路面なのでアスファルトは剥げたりボコボコ・ガタガタの道だった。日差しは強い。窓を開けるが場所に寄っては砂埃が凄まじい。。
途中の道端には車が故障し直している場面を何度も見た。車乗る人は自分たちである程度直せる人が多いのもお国柄だなぁ〜と思った。
トルクメニスタン国境と直ぐ近かったり、トラックやトレーラーが多く多種メーカが走っておりナンバーもロシアやトルコと言った他国車が走っており、ユーラシア大陸の広大さとシルクロードの交易を感じる事が出来た。
何百年前はここをラクダでのキャラバン隊を組んでオアシスを点々としながら交易をしていたのだなぁ〜と思った。
砂漠道を通り抜け郊外のカフェに入り、羊肉だけの煮込みとナン、ティーを昼食にする。

ヒバァには16:30頃に到着しドライバーの親戚が経営しているHotelへ。。
泊まるリストに入っていたHotelだったので好都合!やはりアッラーに感謝。。さてさて値段と部屋チェックを行い$20→$12まで値切り交渉。
早速、イチャン・カラ内へ行きブラブラする。既に薄暗く店も閉まりかけておりちょっと寂しい感じ。夕食はイチャン・カラ内にあるファルールへ行き、ユルタの中でラグマンとナン、Beerを食べた。
Hotelに戻りティーを部屋で飲みながら洗濯とあすの予定を立てた。

●十二日目(ヒバァ〜タシケント)
08:00にHotelのレストランに行くとU.Kの老夫婦と韓国男性と例のフランス人オヤジと、5人で朝食を取った。
09:30にHotel出てウルゲンチのバスセンターまで乗合タクシーで行った。
すぐさまタクシーの呼び込みが群がって来たので値段交渉。
乗合タクシーで一人$35を$32で交渉。現地人で$30と聞いていたので良しとしよう。
参考までに隣の公営バスは25,000cym(約$12)だが所要時間は20h位なので、
それを考えるとタクシーの目安12h/$32は安い。
タシケントまで約1,000kmの距離を本当にタクシーがあるのか?と、半信半疑だったが、実在するのにちょっと驚きと感動があった。トイレに行って10分で戻って来ると人が見つかったらしく10:30頃に出発。もう一人はウズベク人のオヤジだった。
しかしドライバーも乗客も英語は通じないが・・良しとしよう。
しかしこのドライバーは飛ばす飛ばす。一昨日来た砂漠道を通りブハラまで来た時よりも1hは早い。

夕方頃に途中の街で食事を取りガスを何度か補給し、タシケントのイパドロームバスターミナルには0時頃に着いた。
安いHotelにTelするが満室だったり外国人はお断りなどで7,8軒駄目で全然見つからない・・・。
マズイ・かなりまずい状況だ!手持ちの現金は少ないのでカード払いが可能なHotelを探して何とか見つかったのでタクシーで向かう。

ラディスJSSHotelは$50だが値切って$45でOK。$40まで粘ったが$40は現地人価格らしい。
部屋や設備はそれなりに良かったので仕方ないと思った。
洗濯をすませBedで横になる。。

●十三日目(タシケント)
1週間振りのタシケントだが幾分寒くなり冬の気配が感じられた。
Hotelで朝食を済ませ泊るHotelを決めなくてはならない。。
手持ちの$はすっからかんになったので、唯一の現金である1万円札を両替しなくてはならない。お土産や成田から家までの交通費を計算し今日はカードが使えるHotelにと思い、歩いて30MのOruzHotelに決めた!前回もここだったので地理的にも分かっているので安心だ。
チェックアウトし早速OruzHotelに行き値段交渉しやはり1泊$35、
選択の余地はないので荷物を置き市内観光へ。
先ずは、歩いて5分程にある5つ星Hotelのグランド・ミールに行き両替を試みる。本当に日本円から両替出来るのか少し不安だったが、両替窓口には$と?と¥の表示があった。
¥10=205cymなので¥10,000=205,000cymでまた凄い量の札束になり金持ち気分に!!(昨日は現金がなく気分が少々下がり気味だったが・・。)

ご機嫌気分で地下鉄に乗りインターコンチ近くにある日本センターに行きPCを借りメールをする。
気分良くタクシーを止め地下鉄チョルスー駅にあるチョルスーバザールへ。
とても大きく様々な店が乱舞しオールド・バザールの気分を味わえる場所だ。一角にあるチャイハネが集まった建物がありここで昼飯を食べた。
更に、アライ・バザールに行きブラブラ歩きしお土産を調達した。
ティムール広場の一角にある青空露天商をブラブラ歩き、一般の店で土産用のチョコレートやタバコを購入。
Hotel近くの店でパンとBeer、お菓子を買って部屋で済ませた。
1週間振りにTVを観てシャワーを浴び明日は4時起きなので荷造りをなんとなくした。0時半頃横になったが旅の振り返りで感傷的になったり朝早い緊張感などで、余り寝れずに・・・

●十四日目(タシケント〜成田)
昨夜遅くから雨が降りまだ降っていた。。
ウトウト寝をしながら4時に起きて荷造りとチェックアウトを済ませて、
タクシーを呼んでもらい5時にタシケント空港に到着。何と空港の出発ゲート入口まで車の乗り入れが出来ずに、手前で降ろされ周囲は着いた人、これから出発する人で沢山の人がいた。
仕方なく雨の中を歩いて国際線出発ロビーまで行ったが、人が沢山いた。
中央アジア最大の都市であり24時間ハブ空港の熱気や交易の力を感じられた。

搭乗手続きは難なく終わりCheck-Inゲート内へ。
しまった!余った現地通貨を$に両替するのを忘れた・・・。
手元には使う出番が無い現地通貨が¥3,000分位残ってしまった。
最後になって非常に感じの悪い出来事をしてしまった。。

機内は空いており2/3位の乗車率で隣席も空きで快適に過ごせました。
航路上、ウイグル自治区のトルバン上空を飛行していたので、3年前の事を思い出しながら景色を楽しみました。
予定通り成田には18:55に到着しました。

以上

第一回目のウイグル自治区周遊から始まり二回目となるが、ユーラシア大陸の歴史・文化・人種・大きさ・繋がりを実感出来、有意義な時間を過ごせた。一サラリーマンなので二週間と言う長期休暇を取るのは簡単ではないが、昨今の世界情勢から各国の情勢は常に変動しているので今行ける国でも、明日行けなくなる国があると言う現実を踏まえ、今しか出来ない事をしたいと思い実行しました。





















 



旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
2.5
グルメ
3.5
ショッピング
3.5
交通
3.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
10万円 - 15万円
交通手段
鉄道 高速・路線バス 自転車 タクシー 飛行機
航空会社
ウズベキスタン航空
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • キルギスの首都であり札幌と同じ緯度に位置する街。標高750-900mにあり天山山脈のキルギス・アラ・トーの北斜面にある山の美しい街である。<br /><br />写真はビシュケク市街<br />中心地であるツム百貨店近くの交差点。この階段を降りるとお店が数十件とある。

    キルギスの首都であり札幌と同じ緯度に位置する街。標高750-900mにあり天山山脈のキルギス・アラ・トーの北斜面にある山の美しい街である。

    写真はビシュケク市街
    中心地であるツム百貨店近くの交差点。この階段を降りるとお店が数十件とある。

  • オシュ・バザール<br />ビシュケク市民の台所といわれる。人々の活気にあふれており、米・野菜・肉屋・乳製品などが沢山ある。ブラブラ歩きしながら干しブドウを買ったお店の人。

    オシュ・バザール
    ビシュケク市民の台所といわれる。人々の活気にあふれており、米・野菜・肉屋・乳製品などが沢山ある。ブラブラ歩きしながら干しブドウを買ったお店の人。

  • ビシュケクの西バスターミナル<br />このマルシュルートカ(乗合ミニバス)で、イシ・ククル湖の奥にあるカラ・コルまで約7時間を500cym(約\1,100)に行く。

    ビシュケクの西バスターミナル
    このマルシュルートカ(乗合ミニバス)で、イシ・ククル湖の奥にあるカラ・コルまで約7時間を500cym(約\1,100)に行く。

  • 峠の中腹にあるドライブインでの風景。ここで標高1,300m程。

    峠の中腹にあるドライブインでの風景。ここで標高1,300m程。

  • カラ・コルにあるロシア正教会。

    カラ・コルにあるロシア正教会。

  • さくらゲストハウス近くのカフェでラグマン(写真)や肉とジャガイモのスープ、シャシリク(焼き鳥)、Beerで200com(=約$4)の夕食でした。

    さくらゲストハウス近くのカフェでラグマン(写真)や肉とジャガイモのスープ、シャシリク(焼き鳥)、Beerで200com(=約$4)の夕食でした。

  • オシュのバザールの風景。<br /><br />キルギス第二の都市で人口25万人の「南の首都」とも呼ばれる。<br />オシュはオアシス都市として起源は3,000年以上にさかのぼり、住民自身や宗教や言語も時代により様々に変容と融合を重ねてきた。人口の3割がウズベク人であり国境に近い平野部と都市に集中している。

    オシュのバザールの風景。

    キルギス第二の都市で人口25万人の「南の首都」とも呼ばれる。
    オシュはオアシス都市として起源は3,000年以上にさかのぼり、住民自身や宗教や言語も時代により様々に変容と融合を重ねてきた。人口の3割がウズベク人であり国境に近い平野部と都市に集中している。

  • バザールでナンを買っていたら、お肉屋がありました。

    バザールでナンを買っていたら、お肉屋がありました。

  • ウズベキスタン側の国境ゲートでVisaに出向スタンプをおされた。<br />

    ウズベキスタン側の国境ゲートでVisaに出向スタンプをおされた。

  • フェルガナ地方のコーカンドを過ぎた郊外のドライブインで夕食。<br />ここではラグマン、シャシリク(写真の真ん中)、ナン、ティーで5,000cym(約\400)でした。

    フェルガナ地方のコーカンドを過ぎた郊外のドライブインで夕食。
    ここではラグマン、シャシリク(写真の真ん中)、ナン、ティーで5,000cym(約\400)でした。

  • レストランの店員さん。

    レストランの店員さん。

  • タシケント駅<br /><br />ウズベキスタンの首都であり中央アジアの首都の街。人口200万人の大都市で中央アジアで唯一地下鉄がある。新市街と旧市街に分かれており、新市街は地震後に再建された街でソ連時代の非個性的な建物だが、旧市街はバザールや中世のイスラーム建築がある街。

    タシケント駅

    ウズベキスタンの首都であり中央アジアの首都の街。人口200万人の大都市で中央アジアで唯一地下鉄がある。新市街と旧市街に分かれており、新市街は地震後に再建された街でソ連時代の非個性的な建物だが、旧市街はバザールや中世のイスラーム建築がある街。

  • バス亭<br /><br />この様に行き先番号のマルシュルートカを止めてバスに乗る。<br />

    バス亭

    この様に行き先番号のマルシュルートカを止めてバスに乗る。

  • ティムール広場<br />タシケントの中心であり新生ウズベキスタンのシンボルであるティムール像とソ連時代を思わせるウズベキスタンHotel。

    ティムール広場
    タシケントの中心であり新生ウズベキスタンのシンボルであるティムール像とソ連時代を思わせるウズベキスタンHotel。

  • カフェで夕食<br />ビーフストロガノフもどきと、ナンとBeerを外のテーブルで食べる。美味しかったですが、Beerはちょっと軽い感じです。8,000cym(\500)

    カフェで夕食
    ビーフストロガノフもどきと、ナンとBeerを外のテーブルで食べる。美味しかったですが、Beerはちょっと軽い感じです。8,000cym(\500)

  • 電車の切符<br />タシケントを毎朝08:15に出発し12時頃にサマルカンドに到着

    電車の切符
    タシケントを毎朝08:15に出発し12時頃にサマルカンドに到着

  • 電車内の様子<br />2−2の4席で車両の半分で向き合う配列。真ん中の天井にはTVが設置されロシアドラマが流れていた。

    電車内の様子
    2−2の4席で車両の半分で向き合う配列。真ん中の天井にはTVが設置されロシアドラマが流れていた。

  • サマルカンド駅のホーム<br />流石!ナンと言えばサマルカンドと言われる位に有名であるのが良く分かる。

    サマルカンド駅のホーム
    流石!ナンと言えばサマルカンドと言われる位に有名であるのが良く分かる。

  • サマルカンド駅<br />「青の都」・「イスラーム世界の宝石」など多くの異名を持つサマルカンドはシルクロードの中心都市として栄えてきた。<br />青空と壮大なイスラーム建築の青色のドームが映え、迫力がある街。

    サマルカンド駅
    「青の都」・「イスラーム世界の宝石」など多くの異名を持つサマルカンドはシルクロードの中心都市として栄えてきた。
    青空と壮大なイスラーム建築の青色のドームが映え、迫力がある街。

  • ウルグベルク・メドレセ<br />サマルカンドのシンボル的なレギスタン広場にある三つのメドレセ。ウルグベルク・メドレセ、シェルドル・メドレセ、ティラカリ・メドレセは1,400年代〜1,600年代に建てられたモザイクの綺麗なメドレセ(神学校)。

    ウルグベルク・メドレセ
    サマルカンドのシンボル的なレギスタン広場にある三つのメドレセ。ウルグベルク・メドレセ、シェルドル・メドレセ、ティラカリ・メドレセは1,400年代〜1,600年代に建てられたモザイクの綺麗なメドレセ(神学校)。

  • メドレセの東側から。手前は公園で綺麗に手入されていて、家族や学生、カップルの憩いの場になっている。

    メドレセの東側から。手前は公園で綺麗に手入されていて、家族や学生、カップルの憩いの場になっている。

  • ウルグベグ・メドレセ内にあるミナッレトの頂上からの風景。

    ウルグベグ・メドレセ内にあるミナッレトの頂上からの風景。

  • ウルグベグ・メドレセの中庭。モザイク建築の素晴らしさに感動!

    ウルグベグ・メドレセの中庭。モザイク建築の素晴らしさに感動!

  • モザイク模様の一部。

    モザイク模様の一部。

  • モザイク壁の綺麗さに、思わずシャッターを。。

    モザイク壁の綺麗さに、思わずシャッターを。。

  • ティラカリ・メドレセの天井モザイクの見事さに、思わずシャッターを。。。

    ティラカリ・メドレセの天井モザイクの見事さに、思わずシャッターを。。。

  • 2泊したHotel Furukat。建物や内装が気に入りましたが、お湯が出ずシャワーに入れず。。が、朝になるとお湯を3L程沸かしてくれて運んできてくれた!お陰で体を拭いたり頭は何とか洗えた。

    2泊したHotel Furukat。建物や内装が気に入りましたが、お湯が出ずシャワーに入れず。。が、朝になるとお湯を3L程沸かしてくれて運んできてくれた!お陰で体を拭いたり頭は何とか洗えた。

  • Hotelの中庭。ここのチャイハネ風でWelcom teaをもらう。。<br />

    Hotelの中庭。ここのチャイハネ風でWelcom teaをもらう。。

  • 共同トイレ・シャワー朝飯付きシングルで$15。古さはあるが程々の清潔さはある。

    共同トイレ・シャワー朝飯付きシングルで$15。古さはあるが程々の清潔さはある。

  • ん〜・・凄い!

    ん〜・・凄い!

  • ラビ・ゴールと言うチャイハネ風の2Fで夕食。ラグマン、マンティー、ナン。

    ラビ・ゴールと言うチャイハネ風の2Fで夕食。ラグマン、マンティー、ナン。

  • マンティーです。半生風の細切り麺に羊肉の細切りを混ぜた物。水餃子の様な感じで真ん中にサワークリームが付いていた。羊肉の軽〜く臭みはあるが美味しかったです。

    マンティーです。半生風の細切り麺に羊肉の細切りを混ぜた物。水餃子の様な感じで真ん中にサワークリームが付いていた。羊肉の軽〜く臭みはあるが美味しかったです。

  • グり・アミール廟のライトアップ。タジク語で「支配者の墓」と言う意味で、ティムールをはじめ彼の息子たちが眠る霊廟。

    グり・アミール廟のライトアップ。タジク語で「支配者の墓」と言う意味で、ティムールをはじめ彼の息子たちが眠る霊廟。

  • 店で買ったサマルカンドの地ビールである「Pulsar・Gold」とスナックといつもの干しブドウをつまみにHotelのベンチで・・・。

    店で買ったサマルカンドの地ビールである「Pulsar・Gold」とスナックといつもの干しブドウをつまみにHotelのベンチで・・・。

  • レンタルサイクル。<br />1日$10とデポジットが$25だが、見ての通り普通のチャリ。<br />しかし現地人のチャリはもっと古いので結構ジロジロと見られました。。<br />サマルカンドは丘陵地帯なので大変でした。

    レンタルサイクル。
    1日$10とデポジットが$25だが、見ての通り普通のチャリ。
    しかし現地人のチャリはもっと古いので結構ジロジロと見られました。。
    サマルカンドは丘陵地帯なので大変でした。

  • ビビハニム・モスク<br />かつては最大規模のモスクで1399年に建設がスタートし1404年に異例の速さで完成した。<br />だが、完成後は崩落などが相次ぎ発生した。原因は建築を急いだ事と巨大過ぎた構造にあったという。

    ビビハニム・モスク
    かつては最大規模のモスクで1399年に建設がスタートし1404年に異例の速さで完成した。
    だが、完成後は崩落などが相次ぎ発生した。原因は建築を急いだ事と巨大過ぎた構造にあったという。

  • シャーヒズィンダ廟群<br />サマルカンド有数の聖地であり今も巡礼で訪れる人々が絶えない場所。装飾の多様さと美しさは中央アジアでも指折りの場所である。<br />ティムールゆかりの人々の霊廟が11個ある。<br /><br />写真は、入口を過ぎると現われる「天国の階段」といわれている。

    シャーヒズィンダ廟群
    サマルカンド有数の聖地であり今も巡礼で訪れる人々が絶えない場所。装飾の多様さと美しさは中央アジアでも指折りの場所である。
    ティムールゆかりの人々の霊廟が11個ある。

    写真は、入口を過ぎると現われる「天国の階段」といわれている。

  • シャーヒズィンダ廟群のメインストーリートの一部。<br />モザイク模様がギッシリと並び、日の当たり具合で表情が異なる。左右の入口を入ると霊廟になっている。<br />

    シャーヒズィンダ廟群のメインストーリートの一部。
    モザイク模様がギッシリと並び、日の当たり具合で表情が異なる。左右の入口を入ると霊廟になっている。

  • ある霊廟内部の天井と壁面のモザイク模様。<br />

    ある霊廟内部の天井と壁面のモザイク模様。

  • シヤブバザールの風景<br />地元の台所でもあるので人・物が多く活気がある。バザールはどこもそおだがブラブラしていると声を掛けて来て食べろ味見しろ、と言って食べさせてくれる。

    シヤブバザールの風景
    地元の台所でもあるので人・物が多く活気がある。バザールはどこもそおだがブラブラしていると声を掛けて来て食べろ味見しろ、と言って食べさせてくれる。

  • 焼きたてのナンを購入。<br />温かくてモチモチした食感でアジア・中近東と何カ国が訪れたが一番ナンが美味しかった!サマルカンドのナンはナンの王様と言われ、水をつけて焼きな直せば2年後でも食べられると言われている。

    焼きたてのナンを購入。
    温かくてモチモチした食感でアジア・中近東と何カ国が訪れたが一番ナンが美味しかった!サマルカンドのナンはナンの王様と言われ、水をつけて焼きな直せば2年後でも食べられると言われている。

  • バザール内でとあるドライフルーツ屋。<br />メロンを干して巻いたのもを切って味見させてくれた。味はまあまあ。。

    バザール内でとあるドライフルーツ屋。
    メロンを干して巻いたのもを切って味見させてくれた。味はまあまあ。。

  • 近くのHotelで$100(約\8,500)を現地通貨に両替した。<br />$1=2,200cymなので220,000cymになった・・この分厚さは圧倒!<br />お金持ちになった気分。<br />しかし、両替後に金額確認するのに一苦労した。。<br />この金額で1週間近く過ごせた。

    近くのHotelで$100(約\8,500)を現地通貨に両替した。
    $1=2,200cymなので220,000cymになった・・この分厚さは圧倒!
    お金持ちになった気分。
    しかし、両替後に金額確認するのに一苦労した。。
    この金額で1週間近く過ごせた。

  • サマルカンドからブハラ行きのバス。<br />これが直ぐに壊れて違うバスに乗り換えた。

    サマルカンドからブハラ行きのバス。
    これが直ぐに壊れて違うバスに乗り換えた。

  • ブハラ行きの車内の様子。<br />乗客が多く立ち乗り状態であった。<br />みんな前にあるTVに釘付け状態だった。。ロシア番メロドラマって感じのが流されていた。<br /><br />後ろ姿のギレーの服を着ている人が、一番後ろに座っていたロシア系?家族と喧嘩をしていた当事者である。。<br /><br />

    ブハラ行きの車内の様子。
    乗客が多く立ち乗り状態であった。
    みんな前にあるTVに釘付け状態だった。。ロシア番メロドラマって感じのが流されていた。

    後ろ姿のギレーの服を着ている人が、一番後ろに座っていたロシア系?家族と喧嘩をしていた当事者である。。

  • サマルカンドとブハラの途中にあるキジュドゥヴァンで小休止。<br />この街は独特の陶器産業が盛んで有名な陶芸家の工房などもある。<br />

    サマルカンドとブハラの途中にあるキジュドゥヴァンで小休止。
    この街は独特の陶器産業が盛んで有名な陶芸家の工房などもある。

  • ホテルの外観。<br />裏路地にある開業して2年目のB&amp;BのHotel。名前は忘れました・・。<br />ちゃぁ〜んと滞在証明書も発行してくれます。左の青い扉が玄関で部屋のカギと一緒に扉の鍵も一人一人に付いてきます。

    ホテルの外観。
    裏路地にある開業して2年目のB&BのHotel。名前は忘れました・・。
    ちゃぁ〜んと滞在証明書も発行してくれます。左の青い扉が玄関で部屋のカギと一緒に扉の鍵も一人一人に付いてきます。

  • 先ほどの青い扉を開けると、こんな感じの中庭があります。<br />この女性がオーナーでラビ・ハウズで声をかけて来ました。<br />奥の正面の部屋に泊まりました。左手前がトイレで開いている青い扉が、<br />オーナー家族が住んでいる部屋です。<br />感じの良い人で親切でした。(ご主人には厳しそうでしたが・・・。。)

    先ほどの青い扉を開けると、こんな感じの中庭があります。
    この女性がオーナーでラビ・ハウズで声をかけて来ました。
    奥の正面の部屋に泊まりました。左手前がトイレで開いている青い扉が、
    オーナー家族が住んでいる部屋です。
    感じの良い人で親切でした。(ご主人には厳しそうでしたが・・・。。)

  • 泊まったシングル部屋で朝食付きで$15です。4畳半位の大きさで見ての通りとってもシンプルです。壁のスザニが綺麗でした。<br />右側の茶色のスザニの後ろには扉がありドミトリー部屋があります。もちろん扉は空きません。。

    泊まったシングル部屋で朝食付きで$15です。4畳半位の大きさで見ての通りとってもシンプルです。壁のスザニが綺麗でした。
    右側の茶色のスザニの後ろには扉がありドミトリー部屋があります。もちろん扉は空きません。。

  • 素晴らしい模様だ

    素晴らしい模様だ

  • タキと呼ばれる交差点バザールの様子。<br />タキとは通りの交差点を丸屋根で覆ったバザールでシルクロードの交易中は関所の様な役割をしていた。<br />

    タキと呼ばれる交差点バザールの様子。
    タキとは通りの交差点を丸屋根で覆ったバザールでシルクロードの交易中は関所の様な役割をしていた。

  • 聖なるブハラはイスラームの文化的中心地として繁栄をし、イスラーム王朝の庇護のもと優秀な宗教者や科学者、神学生、商人が各地からブハラに集まり歴史に残る人物を輩出したり、水路なども整備され都市生活も成熟していた。<br /><br />ブハラの街は新市街と旧市街に分かれており、遺跡が保存されているのは旧市街で茶色の街である。<br /><br />写真は、カラーン・モスクとカラーン・ミナレット。<br />このミナレットは1127年に建てられ高さ46mあり内部は105段の狭いらせん階段になっている。$5で登れますが相当疲れますよ。。

    聖なるブハラはイスラームの文化的中心地として繁栄をし、イスラーム王朝の庇護のもと優秀な宗教者や科学者、神学生、商人が各地からブハラに集まり歴史に残る人物を輩出したり、水路なども整備され都市生活も成熟していた。

    ブハラの街は新市街と旧市街に分かれており、遺跡が保存されているのは旧市街で茶色の街である。

    写真は、カラーン・モスクとカラーン・ミナレット。
    このミナレットは1127年に建てられ高さ46mあり内部は105段の狭いらせん階段になっている。$5で登れますが相当疲れますよ。。

  • タキの中にある絨毯屋。<br /><br />このスザニに一目惚れ・・。<br />二日間に渡り交渉し$250→$170で手に入れる・・。<br />ツーリストプライスだが仕方ない。。<br />英語力と交渉ベタに悔しさを感じるが、とても楽しい時間を過ごせた。<br /><br />スザニとは・・、<br />「装飾的な刺繍を施した布」で女の子が生まれると母親が縫い始め嫁入り道具に持たせる、刺繍が施された布をスザニという。地方や家族によって模様は様々で独特の色合いがある。壁掛けやベットカバーなど用途は広い。

    タキの中にある絨毯屋。

    このスザニに一目惚れ・・。
    二日間に渡り交渉し$250→$170で手に入れる・・。
    ツーリストプライスだが仕方ない。。
    英語力と交渉ベタに悔しさを感じるが、とても楽しい時間を過ごせた。

    スザニとは・・、
    「装飾的な刺繍を施した布」で女の子が生まれると母親が縫い始め嫁入り道具に持たせる、刺繍が施された布をスザニという。地方や家族によって模様は様々で独特の色合いがある。壁掛けやベットカバーなど用途は広い。

  • 夕食はチョップド・ビーフとスチームライス、ナン、Beer。<br />味は普通です。

    夕食はチョップド・ビーフとスチームライス、ナン、Beer。
    味は普通です。

  • ナディール・ディヴァンベキ・メドレセの中庭。<br />中庭の周囲は土産物やが多く昼も夜も住民の憩いの場であり、チェスの様なボードゲームを楽しんでいる。<br />

    ナディール・ディヴァンベキ・メドレセの中庭。
    中庭の周囲は土産物やが多く昼も夜も住民の憩いの場であり、チェスの様なボードゲームを楽しんでいる。

  • カラーン・モスクの中庭。<br />広さは1ヘクタールあり1万規模の礼拝が可能。回廊は208本の柱で天井を支え288の丸屋根で覆われている。

    カラーン・モスクの中庭。
    広さは1ヘクタールあり1万規模の礼拝が可能。回廊は208本の柱で天井を支え288の丸屋根で覆われている。

  • 礼拝堂の中心でありこの方向にメッカがある。しかし素晴らしい造形や模様である。。

    礼拝堂の中心でありこの方向にメッカがある。しかし素晴らしい造形や模様である。。

  • タキ近くの路上土産物屋さん。<br />朝の10時前に商品を並べ開店準備をしている。暗くなれば商品を片づけて店じまい・・。毎日繰り返して生活をしている。そお、こうやって何世紀の前から変わらぬ生活を紡いで来た証なのだろう。

    タキ近くの路上土産物屋さん。
    朝の10時前に商品を並べ開店準備をしている。暗くなれば商品を片づけて店じまい・・。毎日繰り返して生活をしている。そお、こうやって何世紀の前から変わらぬ生活を紡いで来た証なのだろう。

  • タキの外側。<br />交差点の丸屋根は高く大きく外光が入りやすいように、窓が取り付けてある。この中に土産物屋や職人の店が軒を連ねている。

    タキの外側。
    交差点の丸屋根は高く大きく外光が入りやすいように、窓が取り付けてある。この中に土産物屋や職人の店が軒を連ねている。

  • ウルグベグ・メドレセ<br />ウルグベグは真の教育施設にと願ってサマルカンド、ブハラ、キュドゥヴァンの3か所に建てた。1418年の創設し1585年に修復され中央アジア最古の神学校である。

    ウルグベグ・メドレセ
    ウルグベグは真の教育施設にと願ってサマルカンド、ブハラ、キュドゥヴァンの3か所に建てた。1418年の創設し1585年に修復され中央アジア最古の神学校である。

  • ラビ・ハウズ<br />ハウズとは池のこと。池の周囲には樹齢何百年の老樹が茂り木陰を作り、昔も今の社交場として活躍している。

    ラビ・ハウズ
    ハウズとは池のこと。池の周囲には樹齢何百年の老樹が茂り木陰を作り、昔も今の社交場として活躍している。

  • チャル・ミナル<br />4本のミナレット(塔)と言う意味。

    チャル・ミナル
    4本のミナレット(塔)と言う意味。

  • チャル・ミナルの前でナン焼く店<br />窯の奥にはナンが焼かれている。

    チャル・ミナルの前でナン焼く店
    窯の奥にはナンが焼かれている。

  • 母親がナンに模様を作り、それをおばあさんが窯で焼き、子どもがそれを見ながら遊んでいる。

    母親がナンに模様を作り、それをおばあさんが窯で焼き、子どもがそれを見ながら遊んでいる。

  • 焼きたてのナンの香ばしい匂い負けて、ついその場でナンとお茶で昼飯にしてしまった。。ミナレットを見ながらウズベキ・クラシカルミュージュックが流れ気分はキャラバン帯の感じだった。

    焼きたてのナンの香ばしい匂い負けて、ついその場でナンとお茶で昼飯にしてしまった。。ミナレットを見ながらウズベキ・クラシカルミュージュックが流れ気分はキャラバン帯の感じだった。

  • イスマイール・サーマーニ廟<br />イスラーム初期の建築様式の霊廟で、892年から943年にかけ造られた中央アジアに現存する最古のイスラーム建築。

    イスマイール・サーマーニ廟
    イスラーム初期の建築様式の霊廟で、892年から943年にかけ造られた中央アジアに現存する最古のイスラーム建築。

  • チャシュマ・アイユブ<br />チャシュマとは泉、アイユブは旧約聖書に出てくる預言者ヨブのことで、ヨブの泉と言う名前である。ヨブがここを杖で叩いたら泉が湧き出たという伝説がある。内部には泉があり水が湧きだしていた。

    チャシュマ・アイユブ
    チャシュマとは泉、アイユブは旧約聖書に出てくる預言者ヨブのことで、ヨブの泉と言う名前である。ヨブがここを杖で叩いたら泉が湧き出たという伝説がある。内部には泉があり水が湧きだしていた。

  • 車といい看板の文字といい、ソ連時代を彷彿とさせる感じが滲みでている。

    車といい看板の文字といい、ソ連時代を彷彿とさせる感じが滲みでている。

  • 絨毯バザール内の様子<br />圧巻である。。

    絨毯バザール内の様子
    圧巻である。。

  • 土産物屋さんの店員さん<br />なかり値切り土産を買いました。。

    土産物屋さんの店員さん
    なかり値切り土産を買いました。。

  • ラビ・ハウズにある店で夕食<br />フライド・ラグマンと地ビール。見ての通りトマト味のラグマンでした。

    ラビ・ハウズにある店で夕食
    フライド・ラグマンと地ビール。見ての通りトマト味のラグマンでした。

  • やっぱりビールにはこれでしょ!

    やっぱりビールにはこれでしょ!

  • 同じHotelの宿泊者でドイツ人カップルとフランス人。ドイツ人の男の人はモザイクのデザイナー(職人)でフランス人はフリーの写真家との事。。中庭でビール、ウォッカで宴が始まった。。ウォッカの一揆はきつい・・。

    同じHotelの宿泊者でドイツ人カップルとフランス人。ドイツ人の男の人はモザイクのデザイナー(職人)でフランス人はフリーの写真家との事。。中庭でビール、ウォッカで宴が始まった。。ウォッカの一揆はきつい・・。

  • 翌朝、ブハラからヒバァへ乗り合いタクシーで200km程続く砂漠(土漠)道を横断中。路面はこんな感じ・・・まだ良い状態ですが。。

    翌朝、ブハラからヒバァへ乗り合いタクシーで200km程続く砂漠(土漠)道を横断中。路面はこんな感じ・・・まだ良い状態ですが。。

  • 土漠の中を進みア左手にアムダリヤ川を見ながら、その数十km向こうはトゥルクメニスタン領が・・。

    土漠の中を進みア左手にアムダリヤ川を見ながら、その数十km向こうはトゥルクメニスタン領が・・。

  • 土漠道を抜けて道沿いにあった郊外のレストランで遅い中食を取る。画面右がドライバーで、左が現地人の乗客で後ろが変わったフランスおやじの乗客。

    土漠道を抜けて道沿いにあった郊外のレストランで遅い中食を取る。画面右がドライバーで、左が現地人の乗客で後ろが変わったフランスおやじの乗客。

  • 羊肉の塩茹?(ほんのり味付けは付いては)とナンで昼食。肉は脂が凄いので玉ねぎスライスが口直しと胃を和らげてくれます。

    羊肉の塩茹?(ほんのり味付けは付いては)とナンで昼食。肉は脂が凄いので玉ねぎスライスが口直しと胃を和らげてくれます。

  • レストランの子供たち。兄弟仲良くじゃれあっていてカメラを向けると恥かしそうにして段々後ろに後ずさりして家の中に入ろうとしていた。。

    レストランの子供たち。兄弟仲良くじゃれあっていてカメラを向けると恥かしそうにして段々後ろに後ずさりして家の中に入ろうとしていた。。

  • 郊外は一面綿花畑が数十kmと続く景色で丁度綿花の収穫時期でありあちこちで綿花を積んでいた。

    郊外は一面綿花畑が数十kmと続く景色で丁度綿花の収穫時期でありあちこちで綿花を積んでいた。

  • 綿花を積み終え一家で休憩しながら道端で収穫したメロンを売っていた。

    綿花を積み終え一家で休憩しながら道端で収穫したメロンを売っていた。

  • 午後4時頃にヒバァに到着しドライバーの親戚が経営しているHotelアルカンチに到着。シングルを1泊を$20→$12まで値切る。。

    午後4時頃にヒバァに到着しドライバーの親戚が経営しているHotelアルカンチに到着。シングルを1泊を$20→$12まで値切る。。

  • ヒバァは外壁と内壁の二重の城壁で囲われており内壁をイチャン・カラと言われ20のモスク、20のメドレセ、6基のミナレットがあり数多くの遺跡があり世界遺産に登録されている。<br />かつては中央アジア最大の奴隷市場があり3万人の奴隷がいたとされる。

    ヒバァは外壁と内壁の二重の城壁で囲われており内壁をイチャン・カラと言われ20のモスク、20のメドレセ、6基のミナレットがあり数多くの遺跡があり世界遺産に登録されている。
    かつては中央アジア最大の奴隷市場があり3万人の奴隷がいたとされる。

  • Hotelを出ると見える景色。イチャン・カラ内にあるイスラーム・ホジャ・メドレセとミナレット。

    Hotelを出ると見える景色。イチャン・カラ内にあるイスラーム・ホジャ・メドレセとミナレット。

  • イスラーム・ヒホジャによって1910年に建てられたヒバァで最も新しい建物。ミナレットは45mあり118段の階段ある。

    イスラーム・ヒホジャによって1910年に建てられたヒバァで最も新しい建物。ミナレットは45mあり118段の階段ある。

  • 内壁はこんな感じの通りで出来ている。これがヒバァの街の色でもある。<br />

    内壁はこんな感じの通りで出来ている。これがヒバァの街の色でもある。

  • 夕食はイチャン・カラ内にあるファルーフでラグメンと地ビールを食べる。

    夕食はイチャン・カラ内にあるファルーフでラグメンと地ビールを食べる。

  • 夜のムハマンド・アミン・ハーン・モドレセ<br />1852年に完成し中央アジアで最も規模の大きい神学校であった。今はHotelとして利用されている。

    夜のムハマンド・アミン・ハーン・モドレセ
    1852年に完成し中央アジアで最も規模の大きい神学校であった。今はHotelとして利用されている。

  • オタ・ダルヴァサ門と言ってイチャン・カラの西門にある。観光バスが発着場になっておりヒバァの正門となっている。門をくぐるとチケット売り場がある。

    オタ・ダルヴァサ門と言ってイチャン・カラの西門にある。観光バスが発着場になっておりヒバァの正門となっている。門をくぐるとチケット売り場がある。

  • 昼のムハマンド・アミン・ハーン・モドレセ

    昼のムハマンド・アミン・ハーン・モドレセ

  • キョフナ・アルク<br />17世紀に建てられた「古い宮殿」と言う意味のアラクリ・ハーン宮殿。中は執務の公邸、くつろぎの部屋、モスク、ハーレム、兵器庫、火薬工場、造幣場、牢獄などがあった様だ。

    キョフナ・アルク
    17世紀に建てられた「古い宮殿」と言う意味のアラクリ・ハーン宮殿。中は執務の公邸、くつろぎの部屋、モスク、ハーレム、兵器庫、火薬工場、造幣場、牢獄などがあった様だ。

  • イチャン・カラを出て歩いて10分位にあるレストラン。昼休み中で夕方から開くと言っていた・・・、が夕方行くと見事に閉まっていた。。

    イチャン・カラを出て歩いて10分位にあるレストラン。昼休み中で夕方から開くと言っていた・・・、が夕方行くと見事に閉まっていた。。

  • イチャン・カラの外壁際にはバザールがある。いつ来てもバザールは活気があり楽しい場所だ。。

    イチャン・カラの外壁際にはバザールがある。いつ来てもバザールは活気があり楽しい場所だ。。

  • バザールの不思議!この柿の量は凄いがこれを1日で売るのだろうか?売れ残った場合にトラックに戻すのはどうやって戻すのだろう・・・?バザールにはこの様に日本では見れない光景や不思議と思う事が多々ある。

    バザールの不思議!この柿の量は凄いがこれを1日で売るのだろうか?売れ残った場合にトラックに戻すのはどうやって戻すのだろう・・・?バザールにはこの様に日本では見れない光景や不思議と思う事が多々ある。

  • これがプロフ!!そお日本でいうピラフでしょう。<br />ウイグル自治区のトルファンで食べてこの美味しさを知ったプロフ。油っこいので昼に主に食べるらしい。。

    これがプロフ!!そお日本でいうピラフでしょう。
    ウイグル自治区のトルファンで食べてこの美味しさを知ったプロフ。油っこいので昼に主に食べるらしい。。

  • イチャン・カラ内のスザニ工房で働く縫い子。<br />生地の上に立てかけてあるデザインを見て音楽を聴きながら楽しそうにおしゃべりしながら縫っていた。

    イチャン・カラ内のスザニ工房で働く縫い子。
    生地の上に立てかけてあるデザインを見て音楽を聴きながら楽しそうにおしゃべりしながら縫っていた。

  • 寒いお国柄の特徴ですね。。11月なので冬支度が始まるのだなぁ〜。。

    寒いお国柄の特徴ですね。。11月なので冬支度が始まるのだなぁ〜。。

  • この乗合タクシーでウルゲンチ→タシケントを約13時間かけて移動・・・。。<br />乗客はスーツの男で途中でメロンを3個購入しているところ。

    この乗合タクシーでウルゲンチ→タシケントを約13時間かけて移動・・・。。
    乗客はスーツの男で途中でメロンを3個購入しているところ。

  • 途中の街道の脇にあるいわゆる直売所で果物と搾りたてジュースを売っている。

    途中の街道の脇にあるいわゆる直売所で果物と搾りたてジュースを売っている。

  • 現地の車はガソリンとLPガスの両方でチャージが出来運転が可能。。今風に言うとHV者・・?

    現地の車はガソリンとLPガスの両方でチャージが出来運転が可能。。今風に言うとHV者・・?

  • タシケントの地下鉄を乗り継いで来た、「CHOR-SU BOZORI」チョルソーバザールの風景。タシケントの台所と言われる位に広さ・品物・店・人の規模は面白く飽きない・・。

    タシケントの地下鉄を乗り継いで来た、「CHOR-SU BOZORI」チョルソーバザールの風景。タシケントの台所と言われる位に広さ・品物・店・人の規模は面白く飽きない・・。

  • チョルソーバザールの一角にある食堂街。。50m程の両脇に様々の店が軒を開き肉料理を始め美味しい現地料理が食べられる。店の後ろはテーブル&イスが置いてありオーダーすると運んで来て食べられる。混んでいると現地人と相席なので一層美味しくなる。

    チョルソーバザールの一角にある食堂街。。50m程の両脇に様々の店が軒を開き肉料理を始め美味しい現地料理が食べられる。店の後ろはテーブル&イスが置いてありオーダーすると運んで来て食べられる。混んでいると現地人と相席なので一層美味しくなる。

この旅行記のタグ

9いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

この旅行記へのコメント (5)

開く

閉じる

  • Gruss Gott さん 2011/09/14 20:20:39
    参考になりました
    はじめまして。

    とても参考になりました。
    またじっくり読ませていただきますし、
    教えていただくかと思いますがよろしくお願いします。

    この冬にトルコ航空でチケット、とりました。

    kojiさん からの返信 2011/09/16 12:39:03
    RE: 参考になりました
    > はじめまして。
    >
    > とても参考になりました。
    > またじっくり読ませていただきますし、
    > 教えていただくかと思いますがよろしくお願いします。
    >
    > この冬にトルコ航空でチケット、とりました。



    はじめまして。。
    書き込みありがとう御座います。

    読んで頂きありがとう御座います。
    冬のウズベクを楽しんでくださいね。。


    ではでは。。

    Gruss Gott

    Gruss Gott さん からの返信 2011/09/17 14:16:20
    RE: 参考になりました
    さっそくお返事ありがとうございました。

    お忙しいのにあつかましくてすみません、
    少し教えていただけますでしょうか?


    タシケントから

    →サマルカンド(1泊)→ブハラ(1泊)→ヒバ(1泊)
    という一泊ずつの移動はキツすぎますでしょうか?
    なんとかギリギリ、さっと見て回りたいのです。
    無理なら泊数を増やさないといけないとは思っています。

    ヒバを2泊にしておいたほうがいい気がするのですが、
    できればウズベクの前に、ドシャンベ→ホジャント→タシケントの陸路移動を考えているものでして。

    また、移動は、よくわからないのですが、現地でタクシーを交渉しようと思っていますが、そのあたりも簡単に見つかるものでしょうか?

    kojiさん からの返信 2011/09/20 13:26:52
    RE: 参考になりました
    こんにちは。

    移動について当方が言えるのは・・・、
    ●サマルカンド⇒ブハラ間 (バスで5-6時間)
     バスの便数もかなりあるようです。
     私は10時頃に長距離バスセンターまで行って運良く20分位の待ちで出発出 来ました。席が満席状態(立ち乗り客もいる)で出発でした。
     その時にもう1台別会社のバスもいました。
     シェアタクシー同様長距離バスセンターに集まって来てました。
    ●ブハラ⇒ヒバ間 (シェアタクシーで8時間位)
     ブハラも長距離バスセンターに行けばバスとシェアタクシーがいるので、
     捕まります。
     頻度は・・・?どちらも乗客集まり次第なので何とも言えませんが。。
     シェアタクシーの時間もドライバー次第で飛ばす人・飛ばさない人で、
     変ります。。因みに私のドライバーは飛ばさない人でした。

    観光ですが(個人的意見として)・・・、
    サマルカンド・ブハラ・ヒバとも有名どころはコンパクトにまとまっているのでポイントだけ抑えるのであれば1泊でも可能かと思います。
    要は移動次第で現地に着くや滞在時間が変るので。。

    シェアタクシー(長距離)はじめ街乗りタクシーとも値段交渉しかありません。。
    特に長距離タクシーのドライバーは英語は通じない人が多いので、
    それらを仕切る人(親方?)は英語が通じるので、値段交渉します。バスセンターには大体いると思います。



    こんな感じです。。








     






    Gruss Gott

    Gruss Gott さん からの返信 2011/09/20 13:39:13
    助かりました。
    kojiさんこんにちは。

    とってもわかりやすいご説明、ありがとうございました。
    僕が知りたいこと、そのものズバリでした。
    これでコース取りが決まりそうです。

    サマルカンド・ブハラについては一泊として、
    ヒバは二泊していたほうが、確かかなと感じました。

    もう少し考えて決めたいと思います。

    本当にありがとうございました。


kojiさんのトラベラーページ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

ウズベキスタンで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ウズベキスタン最安 1,760円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

ウズベキスタンの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP