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ご承知のとおり2007年、2008年、2009年と、毎年北海道へ渡っているが、今年は海外へ3度行けたので無いと思っていた。しかし、何となく眺めていた新日本海フェリーのHPに就航40周年記念とやらで新潟・小樽間往復3万円、という記事を見つけてしまい、昨年から暖めていたプランを実現するのは今でしょう。ということで、さっそく申し込む。<br /><br />暖めていたものとは、北海道最東端、すなわち本土最東端までマイカーで行き、北方領土をこの目で見てみようという大胆不敵なもの。しかも日数はわずか6日間。新潟から往復フェリーなので船中泊を除くと3泊4日、走行距離の予想は約2000kmという相変わらずのハードドライブである。<br /><br />表紙の写真は美瑛の「青い池」。なんのてらいも無い名前が北海道らしいですね。

2010年 北海道旅行記:冬の日本海は要注意

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2010/10/22 - 2010/10/27

35位(同エリア405件中)

4

82

chiaki-k

chiaki-kさん

ご承知のとおり2007年、2008年、2009年と、毎年北海道へ渡っているが、今年は海外へ3度行けたので無いと思っていた。しかし、何となく眺めていた新日本海フェリーのHPに就航40周年記念とやらで新潟・小樽間往復3万円、という記事を見つけてしまい、昨年から暖めていたプランを実現するのは今でしょう。ということで、さっそく申し込む。

暖めていたものとは、北海道最東端、すなわち本土最東端までマイカーで行き、北方領土をこの目で見てみようという大胆不敵なもの。しかも日数はわずか6日間。新潟から往復フェリーなので船中泊を除くと3泊4日、走行距離の予想は約2000kmという相変わらずのハードドライブである。

表紙の写真は美瑛の「青い池」。なんのてらいも無い名前が北海道らしいですね。

旅行の満足度
4.0
観光
4.5
ホテル
3.5
グルメ
2.5
ショッピング
1.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
自家用車
旅行の手配内容
個別手配

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  • 10/22<br /><br />この年になっても興奮しているせいか、寝ようとしてもなかなか寝付けない。やっと寝付いたら1:30に目が覚めてしまう。その後うとうとしたかと思うとやっと2:30。もう面倒になったので3:00に起床し3:30に出発してしまう。単独行はこれが出来て楽しい。<br /><br />佐久ICから上信越道に入り松代SAで30分ほど仮眠した後、上信越道から北陸道へ入り米山ICで休憩。6時からスナックコーナーが営業していたのでさんま丼定食を食べ、フェリーの待つ新潟港山の下埠頭まで一気に突っ走る。<br /><br /> 新潟市山の下埠頭で新日本海フエリー「ゆうかり」に乗船。乗船受付カウンターはガラガラで、もう4度目ということもあり、すんなりと受付を済ませる。往復の乗船チケットを受け取ってから埠頭を離れ近くのコンビニでちょっとした買い物。もう慣れたものだ。

    10/22

    この年になっても興奮しているせいか、寝ようとしてもなかなか寝付けない。やっと寝付いたら1:30に目が覚めてしまう。その後うとうとしたかと思うとやっと2:30。もう面倒になったので3:00に起床し3:30に出発してしまう。単独行はこれが出来て楽しい。

    佐久ICから上信越道に入り松代SAで30分ほど仮眠した後、上信越道から北陸道へ入り米山ICで休憩。6時からスナックコーナーが営業していたのでさんま丼定食を食べ、フェリーの待つ新潟港山の下埠頭まで一気に突っ走る。

     新潟市山の下埠頭で新日本海フエリー「ゆうかり」に乗船。乗船受付カウンターはガラガラで、もう4度目ということもあり、すんなりと受付を済ませる。往復の乗船チケットを受け取ってから埠頭を離れ近くのコンビニでちょっとした買い物。もう慣れたものだ。

  • 往復3万円(2等船室)ということで気が大きくなり、ツインの一等船室をセレクト。(片道6000円UP)部屋の作りはちょっと狭いビジネスホテルといった感じで、さすがにバス・トイレは無いがTVやポットも付いて快適だった。なお、乗り込んだ乗用車はたったの14台。車両甲板はガラガラだった。<br /><br />* 安い料金には訳があったのですが、帰りに、よーく解りました。

    往復3万円(2等船室)ということで気が大きくなり、ツインの一等船室をセレクト。(片道6000円UP)部屋の作りはちょっと狭いビジネスホテルといった感じで、さすがにバス・トイレは無いがTVやポットも付いて快適だった。なお、乗り込んだ乗用車はたったの14台。車両甲板はガラガラだった。

    * 安い料金には訳があったのですが、帰りに、よーく解りました。

  • ゆうかりのプロムナードデッキから見た日本海へ沈む夕日。新日本海フェリーはこれで4度目だが、こんな綺麗な夕日は初めて見た。<br /><br />18:00 夕食はフェリーのレストランでカフェテリア方式の夕食。味のほうはそこそこといったところだったが、写真撮り忘れる。21:00 船のエンジン音を遠くに聞きながら就寝する。平和な夜だった。

    ゆうかりのプロムナードデッキから見た日本海へ沈む夕日。新日本海フェリーはこれで4度目だが、こんな綺麗な夕日は初めて見た。

    18:00 夕食はフェリーのレストランでカフェテリア方式の夕食。味のほうはそこそこといったところだったが、写真撮り忘れる。21:00 船のエンジン音を遠くに聞きながら就寝する。平和な夜だった。

  • 10/23<br /><br />3:00 起床。船室でカップ麺の朝食。4:00 待合いデッキに移動。窓からは小樽港の灯りが見えるが空は真っ暗。まあ10月下旬はこんなもの。4:30 小樽・勝納埠頭に接岸する。<br /><br />4:45 小樽上陸後、脱兎のごとく札樽道へ。あっという間に札幌を通り過ぎ道央道へ。岩見沢SAで休憩後三笠ICから下道へ。桂沢湖経由の道を快調に走り抜け、富良野到着。写真は富良野大橋から近道し、右にワイン工場がある場所。朝もやの為、富良野岳はうっすらとしか見えなかったが、富良野の朝はいつも感動する。

    10/23

    3:00 起床。船室でカップ麺の朝食。4:00 待合いデッキに移動。窓からは小樽港の灯りが見えるが空は真っ暗。まあ10月下旬はこんなもの。4:30 小樽・勝納埠頭に接岸する。

    4:45 小樽上陸後、脱兎のごとく札樽道へ。あっという間に札幌を通り過ぎ道央道へ。岩見沢SAで休憩後三笠ICから下道へ。桂沢湖経由の道を快調に走り抜け、富良野到着。写真は富良野大橋から近道し、右にワイン工場がある場所。朝もやの為、富良野岳はうっすらとしか見えなかったが、富良野の朝はいつも感動する。

  • 7:43 上富良野から抜け道を通り、美瑛町・白金にある「青い池」に到着。最近すっかり有名になったので、わかりやすい標識が立っている。早朝だったので乗用車が5~6台と観光バスが1台駐車していただけ。

    7:43 上富良野から抜け道を通り、美瑛町・白金にある「青い池」に到着。最近すっかり有名になったので、わかりやすい標識が立っている。早朝だったので乗用車が5~6台と観光バスが1台駐車していただけ。

  • 青い池が木々の間から見えてきた。<br />

    青い池が木々の間から見えてきた。

  • これが「青い池」。もともとはただの林だったが、美瑛川・白金温泉地区の防災工事により、このような青い水が貯まり、新名所になったもの。<br /><br />ここで青い池について、ちょこっとスタディ。<br /><br />昭和63年12月に十勝岳が噴火後、北海道開発局は火山災害から美瑛町を守るため、火山泥流を貯める施設として、早期に工事の完成が可能なコンクリートブロックによる、えん堤が平成元年6月に着手され、同年の12月に完成、その結果、ブロックえん堤に水が溜まり、いつの頃からか、「青い池」とよばれるようになりました。<br /><br />写真のように青く見えるのは、白金温泉地区で湧出している「白髭の滝」などから、アルミニウムを含んだ水が流れてくるこの水が、美瑛川の水と混ざると目に見えないコロイドが生成されます。太陽からの光が水中のコロイド粒子と衝突し、色々な方向に散乱され、コロイド粒子が、光の散乱を促し、波長の短い青い光が散乱されやすいため、その光が私たちの目に届き、青く見えると言われております。<br /><br />但し、水が青く見える原因について、過去に水質調査がされておりますが、明確な原因については解明されておりません。十勝岳噴火後、自生した白樺のように、予期せず生み出された自然現象から生まれた神秘な場所です。(社団法人美瑛町観光協会HPより抜粋)

    これが「青い池」。もともとはただの林だったが、美瑛川・白金温泉地区の防災工事により、このような青い水が貯まり、新名所になったもの。

    ここで青い池について、ちょこっとスタディ。

    昭和63年12月に十勝岳が噴火後、北海道開発局は火山災害から美瑛町を守るため、火山泥流を貯める施設として、早期に工事の完成が可能なコンクリートブロックによる、えん堤が平成元年6月に着手され、同年の12月に完成、その結果、ブロックえん堤に水が溜まり、いつの頃からか、「青い池」とよばれるようになりました。

    写真のように青く見えるのは、白金温泉地区で湧出している「白髭の滝」などから、アルミニウムを含んだ水が流れてくるこの水が、美瑛川の水と混ざると目に見えないコロイドが生成されます。太陽からの光が水中のコロイド粒子と衝突し、色々な方向に散乱され、コロイド粒子が、光の散乱を促し、波長の短い青い光が散乱されやすいため、その光が私たちの目に届き、青く見えると言われております。

    但し、水が青く見える原因について、過去に水質調査がされておりますが、明確な原因については解明されておりません。十勝岳噴火後、自生した白樺のように、予期せず生み出された自然現象から生まれた神秘な場所です。(社団法人美瑛町観光協会HPより抜粋)

  • 紅葉した木々を青い水面に映している。<br />

    イチオシ

    紅葉した木々を青い水面に映している。

  • 美瑛川側から撮影。この時間、観光客はまばら。<br />

    美瑛川側から撮影。この時間、観光客はまばら。

  • 美瑛川の堰堤にも青い水が。<br />

    美瑛川の堰堤にも青い水が。

  • 青い池から白金温泉へ向かう道にあった「望岳台5km」の標識が気になったので行ってみる。写真の場所が「望岳台」の駐車場。目の前には十勝岳を初めとする十勝連峰の山々が。逆光のため山々がよく見えない。

    青い池から白金温泉へ向かう道にあった「望岳台5km」の標識が気になったので行ってみる。写真の場所が「望岳台」の駐車場。目の前には十勝岳を初めとする十勝連峰の山々が。逆光のため山々がよく見えない。

  • 駐車場にBLを置いて5分ほど登るとこのモニュメントがある。大正15年の大噴火のときはこの辺まで泥流が押し寄せた。<br />

    駐車場にBLを置いて5分ほど登るとこのモニュメントがある。大正15年の大噴火のときはこの辺まで泥流が押し寄せた。

  • これがそのときの泥流で出来た道で、石ころだらけだが初心者でも登りやすい登山道が出来ていた。<br />

    これがそのときの泥流で出来た道で、石ころだらけだが初心者でも登りやすい登山道が出来ていた。

  • 後を振り返ると望岳台のレストハウスや美瑛の町が見える。<br />

    後を振り返ると望岳台のレストハウスや美瑛の町が見える。

  • 富良野岳<br />

    富良野岳

  • 美瑛岳(右)と美瑛富士(左)<br />

    美瑛岳(右)と美瑛富士(左)

  • そして十勝岳の勇姿が日が昇るにつれ、はっきりと見えるように。<br />

    そして十勝岳の勇姿が日が昇るにつれ、はっきりと見えるように。

  • 火口のクローズアップ。大正15年の大噴火で西側半分が吹き飛んでしまった。お釜の淵から水蒸気が昇っているのが良く見える。<br />

    火口のクローズアップ。大正15年の大噴火で西側半分が吹き飛んでしまった。お釜の淵から水蒸気が昇っているのが良く見える。

  • 主峰・旭岳や大雪の山々もきれいに見えてきた。北海道の高い山の標高は皆2000m級だが、緯度が高いのでその内容は本州の3000m級に匹敵する。2009年の旅行記にも記述したが、2009年7月、大雪山系のトムラウシで悪天候による凍死者が、ガイドも含め8人出ている。

    主峰・旭岳や大雪の山々もきれいに見えてきた。北海道の高い山の標高は皆2000m級だが、緯度が高いのでその内容は本州の3000m級に匹敵する。2009年の旅行記にも記述したが、2009年7月、大雪山系のトムラウシで悪天候による凍死者が、ガイドも含め8人出ている。

  • 白樺街道を過ぎしばらく先を左折。道道824号線に入る。新星館手前で右折、丘に駆け上がると写真のような風景がいきなり目に飛び込んできた。<br />

    白樺街道を過ぎしばらく先を左折。道道824号線に入る。新星館手前で右折、丘に駆け上がると写真のような風景がいきなり目に飛び込んできた。

  • 哲学の木。葉っぱは、ほとんど落ちてしまったが、秋まきの麦が青々と芽吹いていた。何度も以前の旅行記に書いたとおり、この木は2016年に危険防止のため、伐採されてしまった。

    哲学の木。葉っぱは、ほとんど落ちてしまったが、秋まきの麦が青々と芽吹いていた。何度も以前の旅行記に書いたとおり、この木は2016年に危険防止のため、伐採されてしまった。

  • 三愛の丘。2009年とは打って変わったようなお天気。

    三愛の丘。2009年とは打って変わったようなお天気。

  • 四季彩の丘は、ちらっと寄っただけ。

    四季彩の丘は、ちらっと寄っただけ。

  • クリスマスツリーの木。雲の形がいいね。

    イチオシ

    クリスマスツリーの木。雲の形がいいね。

  • 12:00になったので美瑛町の国道脇にある「山頭火」へ。土曜日にしては空いており塩ラーメンの大盛りを食す。いつもながら、うまし。

    12:00になったので美瑛町の国道脇にある「山頭火」へ。土曜日にしては空いており塩ラーメンの大盛りを食す。いつもながら、うまし。

  • お腹の虫が治まったところでロケハン再開。写真はおなじみケンとメリーの木。<br /><br />なお、昼食後に美瑛のセルフスタンドで給油するが、524.7kmを 38.42Lで走破したので燃費は 13.78km/Lであった。

    お腹の虫が治まったところでロケハン再開。写真はおなじみケンとメリーの木。

    なお、昼食後に美瑛のセルフスタンドで給油するが、524.7kmを 38.42Lで走破したので燃費は 13.78km/Lであった。

  • セブンスターの木。中国人観光客を乗せた観光バスと遭遇。

    セブンスターの木。中国人観光客を乗せた観光バスと遭遇。

  • すぐ近くで大雪山をバックに畑を耕すトラクターを撮ったつもりが、家に帰ってよく見るとオペレーターさん降りちゃってます。美瑛はこれで5回目。2回は雨だったので、これで3勝2敗。はたして6回目はあるんだろうか。

    すぐ近くで大雪山をバックに畑を耕すトラクターを撮ったつもりが、家に帰ってよく見るとオペレーターさん降りちゃってます。美瑛はこれで5回目。2回は雨だったので、これで3勝2敗。はたして6回目はあるんだろうか。

  • 美瑛を離れ、旭川空港前を通過するが、ここで初使用のゴリラ(カーナビ)の反乱。経由地にした訳でもないのにとにかく空港へ引き返せという指示の乱発。仕方なく目的地の再入力。しばらく良かったのだが、こんどはある場所から動かなくなってしまった。結局一旦電源を落としてリセットしたら直った。<br /><br />写真は国道39号線(大雪国道)の最高地点、石北峠。標高1050m。積雪無し。

    美瑛を離れ、旭川空港前を通過するが、ここで初使用のゴリラ(カーナビ)の反乱。経由地にした訳でもないのにとにかく空港へ引き返せという指示の乱発。仕方なく目的地の再入力。しばらく良かったのだが、こんどはある場所から動かなくなってしまった。結局一旦電源を落としてリセットしたら直った。

    写真は国道39号線(大雪国道)の最高地点、石北峠。標高1050m。積雪無し。

  • 17:00 今夜の宿である「ホテルルートイン北見駅前」到着。荷物を部屋に置いたあと、ホテルから10分ほど歩いた場所にある「オホーツク・ビアファクトリー」へ向かう。おつまみより早くメインの油焼きそばが先に来てしまったが、これがまたうまい。ちなみに北見は塩焼きそばが名物。なお、ジョッキのビールは濾過前ピルスナー。

    17:00 今夜の宿である「ホテルルートイン北見駅前」到着。荷物を部屋に置いたあと、ホテルから10分ほど歩いた場所にある「オホーツク・ビアファクトリー」へ向かう。おつまみより早くメインの油焼きそばが先に来てしまったが、これがまたうまい。ちなみに北見は塩焼きそばが名物。なお、ジョッキのビールは濾過前ピルスナー。

  • 写真は2杯目に飲んだマイルドスタウトだが地ビールらしい濃厚な味が最高。<br /><br />

    写真は2杯目に飲んだマイルドスタウトだが地ビールらしい濃厚な味が最高。

  • おつまみは北見産北あかりを使用したポテトフライ、ハバネロウィンナーそして北見産のタマネギを揚げたもの。どれもおいしかった。<br /><br />19:00 ホテルに戻り、一汗流してからPCをケーブルに繋いでネット三昧。おかげでせっかくの温泉もパス。21:00 眠くなったので本日はこれで終了~。おやすみなさい。

    おつまみは北見産北あかりを使用したポテトフライ、ハバネロウィンナーそして北見産のタマネギを揚げたもの。どれもおいしかった。

    19:00 ホテルに戻り、一汗流してからPCをケーブルに繋いでネット三昧。おかげでせっかくの温泉もパス。21:00 眠くなったので本日はこれで終了~。おやすみなさい。

  • 10/24<br /><br /> 7:30 牛乳もついたおいしい朝食をいただいた後、北見を出発。美幌町を通過してR243美幌国道を駆け上がること1時間で美幌峠、道の駅に到着。気温は10℃位。

    10/24

    7:30 牛乳もついたおいしい朝食をいただいた後、北見を出発。美幌町を通過してR243美幌国道を駆け上がること1時間で美幌峠、道の駅に到着。気温は10℃位。

  • 展望台の一番上から眺た屈斜路湖。樹木が消え、熊笹に覆われた風景は本州では2000m以上の場所でなければ見られない。なお、屈斜路湖の真ん中にある島は中島。

    展望台の一番上から眺た屈斜路湖。樹木が消え、熊笹に覆われた風景は本州では2000m以上の場所でなければ見られない。なお、屈斜路湖の真ん中にある島は中島。

  • 左側には斜里岳が見える。となりは知床の山々か。<br />

    左側には斜里岳が見える。となりは知床の山々か。

  • 中島の向こう側に摩周岳(カムイヌプリ)の頭が見える。摩周湖もきっと見えていることだろう。<br />

    中島の向こう側に摩周岳(カムイヌプリ)の頭が見える。摩周湖もきっと見えていることだろう。

  • 屈斜路湖、摩周湖、裏摩周、神の子池もすべてあきらめ、国道を一路弟子屈へ降りる。弟子屈で左折し、いよいよ根釧台地を突っ走る、ほとんど直線の道路へ突入。<br /><br />写真は何処までも真っ直ぐな根釧台地の道。ただいまの速度は・・・・コメント出来ません。

    屈斜路湖、摩周湖、裏摩周、神の子池もすべてあきらめ、国道を一路弟子屈へ降りる。弟子屈で左折し、いよいよ根釧台地を突っ走る、ほとんど直線の道路へ突入。

    写真は何処までも真っ直ぐな根釧台地の道。ただいまの速度は・・・・コメント出来ません。

  • 10:09 開陽台到着。BLの向こうには遮る物がなにもない台地が広がる。なお、今回万が一の降雪に備えてスタッドレスタイヤ(ピレリ・アイスストーム)を装着。ハイブロックによるフワフワ感はどうしようもないが、コーナーでは結構ネットリと粘ってくれ、地元車に負けるようなことは無かった。

    10:09 開陽台到着。BLの向こうには遮る物がなにもない台地が広がる。なお、今回万が一の降雪に備えてスタッドレスタイヤ(ピレリ・アイスストーム)を装着。ハイブロックによるフワフワ感はどうしようもないが、コーナーでは結構ネットリと粘ってくれ、地元車に負けるようなことは無かった。

  • 開陽台展望台の屋上はこんな形のサークルになっており、寝転がって星を観察することも可能。

    開陽台展望台の屋上はこんな形のサークルになっており、寝転がって星を観察することも可能。

  • 展望台からの眺め その1・南方向<br />

    展望台からの眺め その1・南方向

  • 展望台からの眺め その2・西方向<br />

    展望台からの眺め その2・西方向

  • 展望台からの眺め その3・北方向<br />

    展望台からの眺め その3・北方向

  • 展望台からの眺め その4・東方向<br /><br />開陽台は根釧台地を望む高台にある展望台で北海道の広さをこの目で見れる場所。またライダーの聖地とも言われている。風に乗って牧場のかほり(たい肥のにおい)が漂ってくるが地元の皆さんは平気のようだ。また、これも猛暑のせいかテントウムシが大発生しており、気軽に窓が開けられなかった。

    展望台からの眺め その4・東方向

    開陽台は根釧台地を望む高台にある展望台で北海道の広さをこの目で見れる場所。またライダーの聖地とも言われている。風に乗って牧場のかほり(たい肥のにおい)が漂ってくるが地元の皆さんは平気のようだ。また、これも猛暑のせいかテントウムシが大発生しており、気軽に窓が開けられなかった。

  • 中標津から根釧台地を根室方面へ抜けるR243を別名パイロット国道という。名の由来は、延々とパイロットファーム(実験牧場)の中を走り抜けるのでつけられた名と思われる。BLはパイロット国道を快調に飛ばし、厚床でR44・根釧国道に入り一路根室方面を目指す。<br /><br />写真は12:00ジャストに着いた根室の少し手前にある「道の駅スワン44ねむろ」

    中標津から根釧台地を根室方面へ抜けるR243を別名パイロット国道という。名の由来は、延々とパイロットファーム(実験牧場)の中を走り抜けるのでつけられた名と思われる。BLはパイロット国道を快調に飛ばし、厚床でR44・根釧国道に入り一路根室方面を目指す。

    写真は12:00ジャストに着いた根室の少し手前にある「道の駅スワン44ねむろ」

  • 根室は野鳥の宝庫で、ここ風蓮湖は渡り鳥のメッカとなっている。湖の向こうにある島のようなものは砂州で「春国岱(しゅんくにたい)」という。

    根室は野鳥の宝庫で、ここ風蓮湖は渡り鳥のメッカとなっている。湖の向こうにある島のようなものは砂州で「春国岱(しゅんくにたい)」という。

  • いました、いました、白鳥さん達が。なお、根室に向かう途中で2羽の丹頂鶴を目撃したが撮影は間に合わなかった。<br />

    いました、いました、白鳥さん達が。なお、根室に向かう途中で2羽の丹頂鶴を目撃したが撮影は間に合わなかった。

  • 道の駅レストランでリクエストした「花咲かにてっぽう汁定食」かにを箸でつつくのが、鉄砲を掃除しているのに似ているところから名付けられたとのこと。味はまずまずだったが、小さめのかにだったので少々食べづらかった。<br />

    道の駅レストランでリクエストした「花咲かにてっぽう汁定食」かにを箸でつつくのが、鉄砲を掃除しているのに似ているところから名付けられたとのこと。味はまずまずだったが、小さめのかにだったので少々食べづらかった。

  • 道の駅で昼食をとったり、土産を買ったり、風蓮湖の写真を撮ったりしていて、1:30も費やしてしまったので大急ぎで根室へ向かう。温根沼にかかる橋を渡ると根室の町が見えてきた。

    道の駅で昼食をとったり、土産を買ったり、風蓮湖の写真を撮ったりしていて、1:30も費やしてしまったので大急ぎで根室へ向かう。温根沼にかかる橋を渡ると根室の町が見えてきた。

  • 根室の町を過ぎ、根室半島を時計回りに廻る。途中に北方原生花園あり。<br />

    根室の町を過ぎ、根室半島を時計回りに廻る。途中に北方原生花園あり。

  • 根室市の立てたアピール広告。はやりのゆるキャラは不要なのでは?<br />

    根室市の立てたアピール広告。はやりのゆるキャラは不要なのでは?

  • やがて「平和の塔」が見えてきた。あそこが終点の納沙布岬。<br />

    やがて「平和の塔」が見えてきた。あそこが終点の納沙布岬。

  • 納沙布岬に到着。BL5のバックにあるモニュメントは(財)北方領土返還祈念シンボル像建設協会の建てた「四島のかけ橋」。11/3に見たロシア大統領の北方領土訪問抗議集会のTVニュースもここが映っていた。これでBL5は本土最北端と最東端を制覇。今回のドライブの目的を達成する。

    納沙布岬に到着。BL5のバックにあるモニュメントは(財)北方領土返還祈念シンボル像建設協会の建てた「四島のかけ橋」。11/3に見たロシア大統領の北方領土訪問抗議集会のTVニュースもここが映っていた。これでBL5は本土最北端と最東端を制覇。今回のドライブの目的を達成する。

  • 岬からは戦後65年経った今も、未だにロシアに実効支配されている歯舞群島が肉眼で見ることが出来る。左から水晶島(すいしょうじま)、貝殻島(かいがらじま・燈台)、勇留島(ゆりとう)、萌茂尻島(もえもしりとう)、秋勇留島(あきゆりとう)そして納沙布燈台となっている。なお、水晶島の蔭になっているのが色丹島(しこたんとう)。

    岬からは戦後65年経った今も、未だにロシアに実効支配されている歯舞群島が肉眼で見ることが出来る。左から水晶島(すいしょうじま)、貝殻島(かいがらじま・燈台)、勇留島(ゆりとう)、萌茂尻島(もえもしりとう)、秋勇留島(あきゆりとう)そして納沙布燈台となっている。なお、水晶島の蔭になっているのが色丹島(しこたんとう)。

  • モニュメントの立ち並ぶ場所から見た納沙布岬と納沙布燈台。点在する建物はほとんどがお土産屋。<br />

    モニュメントの立ち並ぶ場所から見た納沙布岬と納沙布燈台。点在する建物はほとんどがお土産屋。

  • 納沙布燈台。明治7年に建てられた北海道最初の燈台。当初は木造だったが、昭和5年に現在のコンクリート製に建て替えられる。<br />

    納沙布燈台。明治7年に建てられた北海道最初の燈台。当初は木造だったが、昭和5年に現在のコンクリート製に建て替えられる。

  • 燈台の下には難破したロシア船の残骸が今でも残っている。これも失礼な話だ。<br />

    燈台の下には難破したロシア船の残骸が今でも残っている。これも失礼な話だ。

  • 水晶島。右側の船の左後方に燈台らしきものが見える。<br />

    水晶島。右側の船の左後方に燈台らしきものが見える。

  • 貝殻島燈台。ここと納沙布岬の中間がロシア連邦が主張する国境。なお、画面に写っている船は漁船と思われるがロシアの船なのか特別に採取許可を得た日本の船なのかわからない。<br />

    貝殻島燈台。ここと納沙布岬の中間がロシア連邦が主張する国境。なお、画面に写っている船は漁船と思われるがロシアの船なのか特別に採取許可を得た日本の船なのかわからない。

  • 勇留島。この島が一番はっきり見えた。<br /><br />ここで北方領土問題についてスタディ。興味のない方は飛ばしてください。<br /><br />-------------北方領土問題について-------------<br /><br />北方領土問題とは、北海道根室半島の沖合にある島々で、現在ロシア連邦が実効支配している択捉島(えとろふとう)、国後島(くなしりとう)、色丹島、歯舞群島に対して、日本が返還を求めている領土問題。これらの島は、北方地域、北方四島と呼ばれている。<br /><br />日本の主張<br /><br />(1)日本はロシアより早く、北方四島(択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島)の存在を知り、多くの日本人がこの地域に渡航するとともに、徐々にこれらの島々の統治を確立しました。それ以前も、ロシアの勢力がウルップ島より南にまで及んだことは一度もありませんでした。1855年、日本とロシアとの間で全く平和的、友好的な形で調印された日魯通好条約(下田条約)は、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の国境をそのまま確認するものでした。それ以降も、北方四島が外国の領土となったことはありません。<br />(2)しかし、第二次大戦末期の1945年8月9日、ソ連は、当時まだ有効であった日ソ中立条約に違反して対日参戦し、日本がポツダム宣言を受諾した後の同年8月28日から9月5日までの間に北方四島のすべてを占領しました。当時四島にはソ連人は一人もおらず、日本人は四島全体で約1万7千人が住んでいましたが、ソ連は1946年に四島を一方的に自国領に「編入」し、1949年までにすべての日本人を強制退去させました。それ以降、今日に至るまでソ連、ロシアによる不法占拠が続いています。<br />(外務省HPより抜粋)<br /><br />ロシアの主張<br /><br />サンフランシスコ講和条約に対しても、ロシア側の主張は日本側のものとはかなり食い違っている。当時のソ連側から見れば、大戦当時ソ連・アメリカ・イギリス・中国は連合国であり、日本・ドイツ・イタリアの枢軸国とは敵対していた。枢軸国のイタリアやドイツが降伏した後、ソ連は連合国の求めに応じて対日参戦した。ヤルタ会談で千島・南樺太の割譲は米英ソの三者で合意されているし、ソ連も参加しているポツダム宣言を日本は無条件で受け入れている。平和条約の締結こそしていないがロシアは占領地区を既に自国へ編入している。さらに、サンフランシスコ条約で日本はクリル列島を放棄しており、クリル列島には、択捉島・国後島・色丹島・歯舞群島の所謂小クリル列島が含まれるとしている。そして、日本が領有権を主張している北方四島(小クリル列島)は第二次世界大戦の結果、旧ソ連が獲得した正当な領土であるため、日露間に領土問題は存在しないとしている。<br />(Wikipediaより抜粋)<br /><br />確かにロシアの主張する「戦争の結果」と言ってしまえばそれまでだが、日ソ中立条約の一方的破棄、日本の降伏宣言を無視しての攻撃続行、大勢の孤児と犠牲者を生むことになった中国北東部侵攻、ポツダム宣言違反の65万人に上る日本人捕虜のシベリア抑留と強制労働、留萌沖での樺太からの引き揚げ者を乗せた船を攻撃した三船殉難事件、最近では大韓航空機撃墜事件など、旧ソ連という国は全く、ろくなことをしていない。↑の言い分も勝手な解釈に満ち満ちていると言わざるを得ない。<br /><br />日本政府は強制退去させられた旧島民などに対し生活援助・資金援助などしてきたが、当初19,435人(漁業権者含む)だった対象者も、平成15年には8,920人に、恐らく現在では8,000人を切っていることだろう。墓参などは何とかほそぼそと、ビザ無しで続いているようだが、旧島民が島に戻れる日は、はたしていつ来るのか全く見通しが立たないのが現状である。<br /><br />*2022年にウクライナ戦争がはじまってビザ無し渡航も中断された。

    勇留島。この島が一番はっきり見えた。

    ここで北方領土問題についてスタディ。興味のない方は飛ばしてください。

    -------------北方領土問題について-------------

    北方領土問題とは、北海道根室半島の沖合にある島々で、現在ロシア連邦が実効支配している択捉島(えとろふとう)、国後島(くなしりとう)、色丹島、歯舞群島に対して、日本が返還を求めている領土問題。これらの島は、北方地域、北方四島と呼ばれている。

    日本の主張

    (1)日本はロシアより早く、北方四島(択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島)の存在を知り、多くの日本人がこの地域に渡航するとともに、徐々にこれらの島々の統治を確立しました。それ以前も、ロシアの勢力がウルップ島より南にまで及んだことは一度もありませんでした。1855年、日本とロシアとの間で全く平和的、友好的な形で調印された日魯通好条約(下田条約)は、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の国境をそのまま確認するものでした。それ以降も、北方四島が外国の領土となったことはありません。
    (2)しかし、第二次大戦末期の1945年8月9日、ソ連は、当時まだ有効であった日ソ中立条約に違反して対日参戦し、日本がポツダム宣言を受諾した後の同年8月28日から9月5日までの間に北方四島のすべてを占領しました。当時四島にはソ連人は一人もおらず、日本人は四島全体で約1万7千人が住んでいましたが、ソ連は1946年に四島を一方的に自国領に「編入」し、1949年までにすべての日本人を強制退去させました。それ以降、今日に至るまでソ連、ロシアによる不法占拠が続いています。
    (外務省HPより抜粋)

    ロシアの主張

    サンフランシスコ講和条約に対しても、ロシア側の主張は日本側のものとはかなり食い違っている。当時のソ連側から見れば、大戦当時ソ連・アメリカ・イギリス・中国は連合国であり、日本・ドイツ・イタリアの枢軸国とは敵対していた。枢軸国のイタリアやドイツが降伏した後、ソ連は連合国の求めに応じて対日参戦した。ヤルタ会談で千島・南樺太の割譲は米英ソの三者で合意されているし、ソ連も参加しているポツダム宣言を日本は無条件で受け入れている。平和条約の締結こそしていないがロシアは占領地区を既に自国へ編入している。さらに、サンフランシスコ条約で日本はクリル列島を放棄しており、クリル列島には、択捉島・国後島・色丹島・歯舞群島の所謂小クリル列島が含まれるとしている。そして、日本が領有権を主張している北方四島(小クリル列島)は第二次世界大戦の結果、旧ソ連が獲得した正当な領土であるため、日露間に領土問題は存在しないとしている。
    (Wikipediaより抜粋)

    確かにロシアの主張する「戦争の結果」と言ってしまえばそれまでだが、日ソ中立条約の一方的破棄、日本の降伏宣言を無視しての攻撃続行、大勢の孤児と犠牲者を生むことになった中国北東部侵攻、ポツダム宣言違反の65万人に上る日本人捕虜のシベリア抑留と強制労働、留萌沖での樺太からの引き揚げ者を乗せた船を攻撃した三船殉難事件、最近では大韓航空機撃墜事件など、旧ソ連という国は全く、ろくなことをしていない。↑の言い分も勝手な解釈に満ち満ちていると言わざるを得ない。

    日本政府は強制退去させられた旧島民などに対し生活援助・資金援助などしてきたが、当初19,435人(漁業権者含む)だった対象者も、平成15年には8,920人に、恐らく現在では8,000人を切っていることだろう。墓参などは何とかほそぼそと、ビザ無しで続いているようだが、旧島民が島に戻れる日は、はたしていつ来るのか全く見通しが立たないのが現状である。

    *2022年にウクライナ戦争がはじまってビザ無し渡航も中断された。

  • 北海道東部は日本で一番先に日が昇り、一番先に日が暮れる所なので午後4時前には早くもライト点灯。明るければ霧多布方面もという淡い期待は、あっさりボツとなり、すっかり暗くなったR44を西へ西へとひた走る。<br /><br />納沙布岬を後に、根室、浜中町も通過して、厚岸(あっけし)の道の駅にある厚岸味覚ターミナル・コンキリエ2Fの炭焼き炙屋で早めの夕食。厚岸は牡蠣が有名な所で、得得セットという組み合わせを食べるが、ちょっと量が足りない。(写真無し)そこで、厚岸の道の駅にあるレストランエスカルで写真の夕食。普通牡蠣はフライで食べるのが一般的だが、これは天ぷら。これもあり。<br /><br />とっぷりと日も暮れたR44根釧国道を西へ向かってひた走り、19:00、釧路の東横インホテル釧路十字街にチェックインする。

    北海道東部は日本で一番先に日が昇り、一番先に日が暮れる所なので午後4時前には早くもライト点灯。明るければ霧多布方面もという淡い期待は、あっさりボツとなり、すっかり暗くなったR44を西へ西へとひた走る。

    納沙布岬を後に、根室、浜中町も通過して、厚岸(あっけし)の道の駅にある厚岸味覚ターミナル・コンキリエ2Fの炭焼き炙屋で早めの夕食。厚岸は牡蠣が有名な所で、得得セットという組み合わせを食べるが、ちょっと量が足りない。(写真無し)そこで、厚岸の道の駅にあるレストランエスカルで写真の夕食。普通牡蠣はフライで食べるのが一般的だが、これは天ぷら。これもあり。

    とっぷりと日も暮れたR44根釧国道を西へ向かってひた走り、19:00、釧路の東横インホテル釧路十字街にチェックインする。

  • 10/25<br /><br />7:15 ホテル出発。釧路湿原北斗展望台を目指す。有料の展望台は8:30からですよ。と、隣に駐まっている北九州ナンバーのセレナに乗った男性が教えてくれた。5分ほど立ち話をすると、定年を機会に日本全国を旅行しており、車内で宿泊したりしながら、一人で北海道をドライブしているとのことであった。

    10/25

    7:15 ホテル出発。釧路湿原北斗展望台を目指す。有料の展望台は8:30からですよ。と、隣に駐まっている北九州ナンバーのセレナに乗った男性が教えてくれた。5分ほど立ち話をすると、定年を機会に日本全国を旅行しており、車内で宿泊したりしながら、一人で北海道をドライブしているとのことであった。

  • 湿原展望遊歩道というコースを発見したので、ちょいと歩いてみることに。<br />

    湿原展望遊歩道というコースを発見したので、ちょいと歩いてみることに。

  • 北海道には少ない、もみじの紅葉がきれいな木道が続いている。<br />

    北海道には少ない、もみじの紅葉がきれいな木道が続いている。

  • 釧路湿原・北斗展望台。他に誰もおらず貸し切り状態。今にも雨が降りだしそうなお天気のため遠方は霞んでいるが、スケールの大きさは充分感じることが出来た。<br />

    釧路湿原・北斗展望台。他に誰もおらず貸し切り状態。今にも雨が降りだしそうなお天気のため遠方は霞んでいるが、スケールの大きさは充分感じることが出来た。

  • 一段と高い場所にある展望台から釧路の街方面を眺める。<br />

    一段と高い場所にある展望台から釧路の街方面を眺める。

  • 弟子屈方面はこんな感じ。紅葉と黄葉がきれい。遊歩道の入口に「熊が目撃された」との張り紙があったので、風で枯葉がガサゴソ鳴るたびビクッとした。<br />

    弟子屈方面はこんな感じ。紅葉と黄葉がきれい。遊歩道の入口に「熊が目撃された」との張り紙があったので、風で枯葉がガサゴソ鳴るたびビクッとした。

  • 9:00 北斗展望台を後にR38釧路国道を再び西へ向けて出発。白糠町で右折、R392白糠国道に入る。白糠町から5kmほど走った所で札幌ナンバーのハリアーに抜かれる。直線はハリアーの方が早いのだが、コーナーに来るとあっさり追いついてしまう。<br /><br />離れては追いつき、追いついては離れるを延々50kmほど繰り返しているうちに、いつのまにか釧勝峠も越え栄穗まで出来ていた道東道入口まで来てしまった。ここで道東道に入らなかったハリアーとはお別れ。ああ楽しかった。<br /><br />十勝平原SAで休憩した後、終点の占冠(しむかっぷ)ICで降り、道の駅「自然体感しむかっぷ」で昼食と思ったが。

    9:00 北斗展望台を後にR38釧路国道を再び西へ向けて出発。白糠町で右折、R392白糠国道に入る。白糠町から5kmほど走った所で札幌ナンバーのハリアーに抜かれる。直線はハリアーの方が早いのだが、コーナーに来るとあっさり追いついてしまう。

    離れては追いつき、追いついては離れるを延々50kmほど繰り返しているうちに、いつのまにか釧勝峠も越え栄穗まで出来ていた道東道入口まで来てしまった。ここで道東道に入らなかったハリアーとはお別れ。ああ楽しかった。

    十勝平原SAで休憩した後、終点の占冠(しむかっぷ)ICで降り、道の駅「自然体感しむかっぷ」で昼食と思ったが。

  • ここで自衛隊のご一行様と遭遇。なんと自衛隊仕様のメガクルーザーとパジェロに挟まれてしまった。食堂も自衛隊員や一般客で劇混みだったので道の駅をあきらめ、近くのスーパーYOKOKAWAで菓子パンを購入する。

    ここで自衛隊のご一行様と遭遇。なんと自衛隊仕様のメガクルーザーとパジェロに挟まれてしまった。食堂も自衛隊員や一般客で劇混みだったので道の駅をあきらめ、近くのスーパーYOKOKAWAで菓子パンを購入する。

  • 占冠から道路は山岳路となり道道610号線経由でR274・石狩樹海ロードに入る。天気が良ければもう少し良かったのだろうが、雨と霧、頻繁に現れる道路工事、そして北海道にしては混んだ道だったので、とくに印象は無い。<br /><br />新夕張で右折、R452・夕張国道に入る。20分ほど走ると夕張の町に入る。夕張と言えば財政再建の町、悪く言うと倒産した町である。あちらにポツン、こちらにポツンと公的施設や観光地のようなものがあるが、どこが中心かわからない町も含めて人の気配が無い。市役所前も通過したが、やたら建物ばかり大きいのだが、やはり人気が無い。<br /><br />夕張で唯一元気なのがここ夕張・花畑牧場。写真はたまたま観光バスの一団が引いたあと。手前が売店で、向こうの白いビルが工場。

    占冠から道路は山岳路となり道道610号線経由でR274・石狩樹海ロードに入る。天気が良ければもう少し良かったのだろうが、雨と霧、頻繁に現れる道路工事、そして北海道にしては混んだ道だったので、とくに印象は無い。

    新夕張で右折、R452・夕張国道に入る。20分ほど走ると夕張の町に入る。夕張と言えば財政再建の町、悪く言うと倒産した町である。あちらにポツン、こちらにポツンと公的施設や観光地のようなものがあるが、どこが中心かわからない町も含めて人の気配が無い。市役所前も通過したが、やたら建物ばかり大きいのだが、やはり人気が無い。

    夕張で唯一元気なのがここ夕張・花畑牧場。写真はたまたま観光バスの一団が引いたあと。手前が売店で、向こうの白いビルが工場。

  • 1台出てしまったが観光バスが3台来ていた。なお、11月からショップはお休みになってしまうそうだが、残念。<br />

    1台出てしまったが観光バスが3台来ていた。なお、11月からショップはお休みになってしまうそうだが、残念。

  • そうとうお金をかけたと思われる昔の映画の看板を掛けた商店街もこのとおり。こう言っては頑張っている皆さんに申し訳ないが、夕張再生への道は険しい。<br /><br />夕張を離れ道東道→道央道→苫東道路と進み沼ノ端西ICで高速を降り下道へ。まだ4時だというのに苫小牧の街に入ってしまった。時間つぶしの意味もあり、イオン苫小牧ショッピングセンターに立ち寄り、限定生産のサッポロクラシック・ビールを1ケース購入。こういうときマイカーって便利。<br /><br />17:00 苫小牧駅前のホテルにチェックインするが、何故か食欲が湧かなかったこともあり、夕飯はホテルのサービスであったカレーライス。お味はまあまあだったが、これが北海道の最後の晩餐。

    そうとうお金をかけたと思われる昔の映画の看板を掛けた商店街もこのとおり。こう言っては頑張っている皆さんに申し訳ないが、夕張再生への道は険しい。

    夕張を離れ道東道→道央道→苫東道路と進み沼ノ端西ICで高速を降り下道へ。まだ4時だというのに苫小牧の街に入ってしまった。時間つぶしの意味もあり、イオン苫小牧ショッピングセンターに立ち寄り、限定生産のサッポロクラシック・ビールを1ケース購入。こういうときマイカーって便利。

    17:00 苫小牧駅前のホテルにチェックインするが、何故か食欲が湧かなかったこともあり、夕飯はホテルのサービスであったカレーライス。お味はまあまあだったが、これが北海道の最後の晩餐。

  • 10/26<br /><br />6:00 ホテルの部屋のカーテンを開けると日が差しており良いお天気。これなら小樽でどこか1箇所くらい見れると思い、すぐに支度を調え、朝食を済ませると、そそくさと苫小牧を出発する。道央道を北上、千歳付近は快晴。しかし、行く手には白い雲が。

    10/26

    6:00 ホテルの部屋のカーテンを開けると日が差しており良いお天気。これなら小樽でどこか1箇所くらい見れると思い、すぐに支度を調え、朝食を済ませると、そそくさと苫小牧を出発する。道央道を北上、千歳付近は快晴。しかし、行く手には白い雲が。

  • 道央道を快調に北上しているうち、だんだん空が曇ってきて雨が降り出す。外気温度計の数字が最初は10℃だったのがみるみるうちに下がりだし3℃で雨が雪に変わった。写真は小樽手前の金山PAの状況。

    道央道を快調に北上しているうち、だんだん空が曇ってきて雨が降り出す。外気温度計の数字が最初は10℃だったのがみるみるうちに下がりだし3℃で雨が雪に変わった。写真は小樽手前の金山PAの状況。

  • 幸い冬タイヤに交換してきたので、スピードダウンする地元車を次々と追い越し、すんなり小樽到着。町を通過して行った先は石狩湾を望む日和山燈台の近くにある北海道指定有形文化遺産の小樽市・鰊御殿(にしんごてん)。<br />

    幸い冬タイヤに交換してきたので、スピードダウンする地元車を次々と追い越し、すんなり小樽到着。町を通過して行った先は石狩湾を望む日和山燈台の近くにある北海道指定有形文化遺産の小樽市・鰊御殿(にしんごてん)。

  • 鰊御殿の近くから見た石狩湾。湾の奥が小樽の街。幸い雪はやんだ。<br />

    鰊御殿の近くから見た石狩湾。湾の奥が小樽の街。幸い雪はやんだ。

  • この建物は明治30年(1897年)、古宇郡泊村に田中福松氏によって建てられたものであるが、昭和33年に現地に移築復元されたもの。移築後小樽市に寄贈され、昭和35年「北海道有形文化遺産」に指定される。<br />

    この建物は明治30年(1897年)、古宇郡泊村に田中福松氏によって建てられたものであるが、昭和33年に現地に移築復元されたもの。移築後小樽市に寄贈され、昭和35年「北海道有形文化遺産」に指定される。

  • 当時の写真(撮影OK)。ものすごいニシンの量である。<br /><br />江戸-明治-大正と北海道の経済を支えたニシンの来遊も、次第に南から順に途絶え、昭和29年小樽市忍路沿岸で確認されたのを最後に、昭和30年には日本海春ニシン漁は完全に幕を下ろす。

    当時の写真(撮影OK)。ものすごいニシンの量である。

    江戸-明治-大正と北海道の経済を支えたニシンの来遊も、次第に南から順に途絶え、昭和29年小樽市忍路沿岸で確認されたのを最後に、昭和30年には日本海春ニシン漁は完全に幕を下ろす。

  • 9:30 小樽勝納埠頭にある新日本海フェリーターミナルへ。チケットは新潟で入手済みなので乗船の列に並ぶだけでOK。車両甲板に車を駐車すると甲板員がすぐに車輪止めをかける。これはいったい?<br />

    9:30 小樽勝納埠頭にある新日本海フェリーターミナルへ。チケットは新潟で入手済みなので乗船の列に並ぶだけでOK。車両甲板に車を駐車すると甲板員がすぐに車輪止めをかける。これはいったい?

  • 10:30 定刻でゆうかりは小樽港を出港。湾内は静かに進んでいるが・・・<br />

    10:30 定刻でゆうかりは小樽港を出港。湾内は静かに進んでいるが・・・

  • 沖合に出るとこの状況。<br />

    沖合に出るとこの状況。

  • 波の高さは4m位。船内は何かに捕まらないと真っ直ぐに歩くのも難しいほど揺れまくる。それならば船に酔う前に酒に酔っちまえと、ビールのロング缶を2本開ける。昼食(トンカツ丼)もしっかり食べ、ちょっと眠くなったので部屋に戻って昼寝をするが・・・・・。<br /><br />ピッチングとローリングで体は前後左右に揺れ、ときおり船体が大きな波にぶつかる音を聞きながら、目を覚ますと胃がむかつく。結局、昼に食べたものを3回に分けて全部吐き出すと少し落ち着いた。しかし、酒はもちろん水も食事も受け付けないので、夕食・入浴はパスし、まんじりともしない一晩を揺れるベッドの上でゴロゴロと過ごす。<br /><br />秋田沖を離れ、新潟に近づくにつれ揺れは多少内輪になったので、恐る恐るお茶を飲み、大丈夫なことを確認してからカップ麺を食べる。新潟港には予定を10分ほど遅れ6:10到着。新潟中央ICから北陸道に入り、11:00に帰宅する。

    波の高さは4m位。船内は何かに捕まらないと真っ直ぐに歩くのも難しいほど揺れまくる。それならば船に酔う前に酒に酔っちまえと、ビールのロング缶を2本開ける。昼食(トンカツ丼)もしっかり食べ、ちょっと眠くなったので部屋に戻って昼寝をするが・・・・・。

    ピッチングとローリングで体は前後左右に揺れ、ときおり船体が大きな波にぶつかる音を聞きながら、目を覚ますと胃がむかつく。結局、昼に食べたものを3回に分けて全部吐き出すと少し落ち着いた。しかし、酒はもちろん水も食事も受け付けないので、夕食・入浴はパスし、まんじりともしない一晩を揺れるベッドの上でゴロゴロと過ごす。

    秋田沖を離れ、新潟に近づくにつれ揺れは多少内輪になったので、恐る恐るお茶を飲み、大丈夫なことを確認してからカップ麺を食べる。新潟港には予定を10分ほど遅れ6:10到着。新潟中央ICから北陸道に入り、11:00に帰宅する。

  • 写真は帰宅時のBL5のメーター。走行距離は意外と少なく1616kmであった。これで「2010年 小樽・納沙布岬往復旅行記」は終了です。本日も最後まで古い旅行記を、ご覧いただきありがとうございます。<br /><br />2020/6/23 一部加筆・修正、 2024/02/24 一部修正

    写真は帰宅時のBL5のメーター。走行距離は意外と少なく1616kmであった。これで「2010年 小樽・納沙布岬往復旅行記」は終了です。本日も最後まで古い旅行記を、ご覧いただきありがとうございます。

    2020/6/23 一部加筆・修正、 2024/02/24 一部修正

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  • Rさん 2010/11/21 23:58:53
    私も行きました!
    chiaki-kさん、はじめまして。
    足あとからお邪魔しました。

    私も先日北海道に行ってきました。
    釧路→根室→納沙布岬→野付半島と走ったので
    chiaki-kさんとは逆回りでしょうか。
    自身の旅と照らし合わせて楽しく旅行記拝見しました。
    新潟からだとフェリーで行けるんですね。
    フェリーの旅も楽しそうです。
    小樽からですと本当にハードドライブですが、北海道の雄大な景色が旅のお供だと
    ドライブも気分が変わって楽しいですよね。
    今回納沙布岬に行ってみて北方領土がものすごく近く見えることにビックリしました。
    同時に色々と考えることも多くて…。
    やはり現地に行ってみないとわからないことはたくさんありますね。

    またお邪魔いたします。

    Rita

    chiaki-k

    chiaki-kさん からの返信 2010/11/22 17:06:27
    RE: 私も行きました!
    Ritaさん、こちらこそはじめまして。

    > 新潟からだとフェリーで行けるんですね。

    はい、今回で3往復半利用しました。「半」というのは、昨年の帰路は自走で帰ってきたからです。

    > フェリーの旅も楽しそうです。

    波が穏やかであれば楽ちんで快適なんですが、今回の帰りのように大荒れになると、たいへんです。

    > 小樽からですと本当にハードドライブですが、北海道の雄大な景色が旅のお供だとドライブも気分が変わって楽しいですよね。

    まあ、私のようなハードドライバーにとって北海道の道路は天国のようなものです。何時間も連続して走っていると、北海道の道路事情の視察をやっているんじゃないかと思うこともありますよ。

    > 今回納沙布岬に行ってみて北方領土がものすごく近く見えることにビックリしました。

    ロシアでは対日戦争の終戦日は1945年9月2日(降伏文書調印の日)なんだそうです。だからそれまで戦争は継続しており戦争(8月15日以降、日本軍は武装解除の準備を進めており、「占守島の戦」以外、戦闘らしい戦闘は無い)でぶんどったものは返す必要は無いという理屈なんですよね、これが。

    Ritaさんの旅行記、再度読ませていただきました。10/26の旅行記は作成中のようですがUPをお待ちしてます。
  • zzr-cさん 2010/11/15 12:10:54
    はじめまして
    chiaki-kさま こんにちは!

    zzr-cと申します。

    小樽・納沙布岬往復ハードドライブ記見させていただきました。

    新潟⇔小樽間が往復3万円は安すぎますよね!
    かなりお得です。

    私も9月に初めて北海道に行きました。
    北海道は海の幸が本当に美味しく、移住したいくらいです(笑)

    北方四島の無血占領、お互いの主張が食い違っているようですが、
    やはり約束を破って占領したのですから、あまり後味は良くないですね。

    じぃ〜

    chiaki-k

    chiaki-kさん からの返信 2010/11/16 17:30:13
    RE: はじめまして
    zzr-cさん、こちらこそ、はじめまして。
    このたびはコメントありがとうございます。

    旅行記にも書いておきましたが、今年はソウル−ベトナム−ソウルと3度海外へ行ってきましたので、国内長距離旅行は無理かなって思っていました。ところが、何の気なしに眺めていた新日本海フェリーのHPに新潟・小樽往復3万円の記事を見つけてしまい即決というか、見事に釣られてしまいました。

    ところで、zzr-cさんも9月に行かれたんですね。私はこれで4年連続となりましたが、北海道は一度はまるとなかなか抜け出せなくなります。ただ、冬場の寒さを想像すると、移住はちょっとためらっちゃいますね。

    北方領土ですが、言ってみれば「火事場泥棒」にあったようなものですから返還要求は当然でしょう。

    これで北海道の主なところは制覇したので来年以降は未定ですが、もしかするとかみさん連れで飛行機andレンタカーってことになるかも知れません。(^^;;

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