2010/10/30 - 2010/10/30
75位(同エリア156件中)
吉備津彦さん
土日祝日高速道路千円乗り放題を利用して九州へまずは九州最南端の一宮枚聞神社を参拝しました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
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29日の山口での出張終了後、直ちに九州へ向かいました。檀之浦サービスエリアでふくと釜飯御膳を食べて腹拵えをして一路鹿児島を目指しました。
檀之浦サービスエリアから撮った関門海峡です。関門橋 名所・史跡
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イチオシ
指宿有料道路須々原展望台から桜島を望む
桜島 自然・景勝地
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指宿有料道路の展望台から観た桜島
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イチオシ
池田湖のイッシー
池田湖 自然・景勝地
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南国の雰囲気漂うイッシー
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池田湖の大ウナギ
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屋久杉の彫り物
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イチオシ
開聞岳と池田湖
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創始の年月日は社伝でも不明であり、かなり古くからあった神社と考えられている。元々は開聞岳を神体とする山岳信仰に根ざした神社であったと考えられる。信頼できる史料での初出は『日本三代実録』貞観2年(860年)3月20日庚午条にある従五位上から従四位下へ神階を陞叙すると言う記事であり、少なくとも1200年ちかい歴史がある。延長5年(927年)の『延喜式神名帳』では小社に列している。
鎌倉時代以降は新田神社(薩摩川内市)と薩摩国一宮の地位を巡って激しい争いを繰り広げるようになる。戦国時代は島津氏の有力家臣であった頴娃氏の庇護下にあったが、元亀2年(1571年)に「証恩寺崩れ」と言われるお家騒動が起こり、その巻き添えとなって社殿を失う。しかし、すぐに島津氏の庇護を受けて再興、同氏は当神社の籤により作戦を決めたという。現在の社殿は慶長15年(1610年)に島津義弘が寄進したものを天明7年(1787年)に島津重豪が改築した物である。
外洋に面した立地から古くから「航海神」としても崇められ、江戸時代以降は琉球からの使節の崇敬も集めるようになった。
しかし江戸時代になると宇佐八幡宮の五社別宮ともされていた新田神社の方が次第に重く扱われるようになったらしく、明治4年(1871年)5月に国幣小社に列したが、対して新田神社は同18年(1885年)に上位の国幣中社に列している。
第2次世界大戦後に近代社格制度が廃止されると、当社は神社本庁に参加、その別表神社に定められた。
参道から本殿の方を向くと、本殿の屋根の上に開聞岳が位置する構造になっているが、現在は背後の樹木が繁茂して見通すことはできなくなっている。 -
枚聞神社 寺・神社・教会
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拝殿
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拝殿アップ
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御朱印
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大クスノキ
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御神体の開聞岳
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