2010/10/30 - 2010/10/30
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井上@打浦橋@上海さん
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上海で私が参加しています上海歴史散歩の会の10周年記念が、2010年10月24日にありました。
上海歴史散歩の会とは、その名の通り上海の歴史的建築物を巡り歩く会でして、詳しくは、このブログの後段で説明しますが、2000年11月5日に第1回が行われたのでした。2ヶ月か3ヶ月に1回、日曜日に行われ、この日が第50回となったのでした。
主催者はK山さんという、中国でのお仕事を長くやられていた方で、上海の歴史に詳しい方です。
そして、顧問の先生が、このブログに出てきます、陳祖恩氏なのです。
当時は上海社会科学院の教授でしたが、現在は上海東華大学の教授をやられてる方です。
その陳先生と歴史散歩の仲間で、6・7年前に、コテコテ上海の下町にある労働者諸君の食堂で食事会をしたことがあったのです。その事を、10周年記念の時の宴会の後にチラッと思い出し、陳先生に「あの時の店は、まだやっていますか、やっているなら、また、あそこでやりたいですね」と言いましたら、「ええ、まだやってます」・・・じゃあ、ということで、その6日後の土曜日に、そこで、やろうとなったのでした。
その労働者諸君の食堂は、もうスグ再開発のために姿を消してしまうという街並みの中にある、チョッと入るのに、躊躇してしまうと言いますか、いや、まず普通だったら、入ることないだろうと言う店構えの店なのです。
その店の様子や、そこまでの街並みの様子や、その日、どんなものを食ったのかを、ココにアップしましたので、興味ある方は、ご覧になってください。
後段には、前述したように、上海歴史散歩の会の由来や、その会の趣旨などもアップしました。
-
ここに掲げましたのは陳先生の関わった本です。
そのうち、私が陳先生に初めてお会いするきっかけになった本が、2000年に発刊されました「日本僑民在上海」という本です。1870年から1945年の間の上海の日本人関連の写真集です。その写真とは、当時上海に住んでいた日本人の生活行事風景や、日本人関連の建造物などが主なものですが、中には戦争へ向かって行く様子を伝える画像などもあるのです。
この本のことが、上海エクスプローラーというサイトの掲示板で紹介されていましたので、早速購入を希望したところ、陳先生自身が我が家に、持って来てくれたのです。それが最初の陳先生との出会いでした。
その次にお会いしたのが、第1回の上海歴史散歩の時だったということです。
3・4年前に書かれた「尋訪東洋人」は、最近日本語に訳され、「上海に生きた日本人」というタイトルで大修館書店から出版されました。
一番新しいのが、「上海の日本文化地図」という本でして、日本人が関連した施設や建物などを地図入りで紹介した本で、正に、上海の日本人関連の歴史を巡り歩くのに最適な本です。
コレはシリーズ化されていまして、イギリス文化地図や、ユダヤ文化地図や、フランス、アメリカ、ロシアなどもあるようです。 -
これは、コテコテ上海の下町にある労働者諸君の食堂・金坤飲食店の案内図です。
どこあるかと言いますと、昔、南市と言われていた地域ですね。
豫園より、南東方向、黄浦江に近いところにあるのです。
金坤飲食店は董家渡路と言う道沿いにありまして、ここ2・3年のうちに確実に消えていくであろう街並みの中にあるのです。そんな道ですが、教会があったりするのです。
いずれ道は広くなり、両側には高層マンションなどが建ってしまうんでしょう。 -
食事会は土曜日だったんですが、参加者に行き方や、店の様子などを知らせるために、2日前の木曜日に、店まで出かけました。
陳先生は、まだやってると言っていた訳なんですが、1週間で変わってしまう上海ですので、それを確かめる意味もあったのです。
金坤飲食店がある董家渡路は、我が家からは非常に近いのです。
出かけたのは昼下がり・・・
まずは、43路バスで、4つ目で降り、南倉街を行きました。
南倉街には南外灘軽紡面料市場がありまして、いつも賑わう道です。
南倉街から董家渡路に出ました。
この道もコテコテ上海の下町・・・・
お約束のパジャマおばさんが道を闊歩しています。
そして、スグそばには、パジャマ専門店もあるということです。 -
董家渡路を東に行きますと、赤い横断幕が見えてきました。
これは、もうスグ、この街並みが消えて行くことを示しています。
なんと書いてあるのか・・・・
加快旧区改造 為民造福 為上海添彩
・・・書かれています。
脇道に入り、そこから董家渡路を撮りました。
電柱が3本並んで立っていますが、コレは、もう、格好の洗濯物干し場になってしまうのです。
3本が、こんなに近寄って並んでるんですから、しょうがないでしょう。
遠くには栓抜きビルが見えます。 -
電柱の隣にはここは鍵の専門店があります。
スペアキーを作ってくれるんでしょう。
また、上門開鎖と言う看板も掛かっていますので、鍵をなくした人の家の扉も開けてくれるんでしょう。
これがスペアキーを作る機械です。
董家渡路を更に東に行きますと、靴屋が見えてきて、その先にあるのが金坤飲食店です。 -
コレが、金坤飲食店ですね。
どうですか、チョッと身を引いてしまうでしょう。
中に入ってみました。
皆さん、この時間ですから、トランプをやっています。
店員に、明後日の土曜日に、ここで食事する者なんだが、写真を撮らせてくれと・・・
そして、我々はビールは冷えてないとダメだから、土曜日はビールを冷やしておいてくれと頼んでおきました。
手前左の背中を見せてるおばさんが、老板の奥さんらしいです。
日本人だといいましたら、アア、そうかという感じで、既に土曜日のこと、知っていたようでした。
陳先生から連絡が入っていたんでしょう。 -
店を出て、教会に向かいました。
董家渡路をもう少し東に行ったところに教会があるのです。
教会はもうスグです。
はい、これが董家渡天主堂です。 -
7・8年前は塀で囲われていまして、道からは姿が見えなかったんですが、5年前に塀が壊されました。
この教会が出来た当時も、こういう形で、道に開かれていたんでしょうが、文革時代に塀で隠されてしまったものと見ています。
この教会は1853年に建てられたものでして、当時は、中国最大の教会だったとか・・・。
教会の敷地に入りました。
そこから、道を挟んだ南の風景を撮りました。
向うに敷地は、今は更地になっていますが、5年前までは、董家渡軽紡面料市場という大きな布市場があったのです。
これが、2005年10月の董家渡軽紡面料市場です。
コレに替わって新たに出来たのが南外灘軽紡面料市場ということです。 -
さて、ここからは、当日のことです。
この日も43路バスで行き、南倉路辺りで降りました。
5時過ぎですが南外灘軽紡面料市場近辺は大賑わい。
ココに来る客目当ての露天がいくつもあります。
殆どがチベット人とウィグル人がやってる露天です。
そして、市場に来る客は、欧米人が多いので、ウィグル人と欧米人で、ココはどこなんだ、という感じです。
シシカバブーの屋台の周りには、白人、黒人、白い長髭のウィグル人。
ココのシシカバブーは、一串一串が、馬鹿に大きいです。
1本10元位するのかもしれません。
なんか本格的です。 -
地元の中国人がやってる屋台もありますが、人気はイマイチですね。
ココはフライパンで、いろんなものを焼いています。
ココでは、炭焼きですね。
一串が小さいので、こちらは1本1元なのか・・・。
南倉街の北方向を見ましたら、栓抜きビルが・・・・
手前のコテコテ上海の風景と、近未来都市の風景・・・・・
コレをブレードランナーの世界という。 -
では、夕方の南倉街の街並みをどうぞ・・・
果物屋です。
裸電球の明かりが、色鮮やかな果物に合っています。
コレは、大昔日本でも見ました。
爆弾と呼んでいたはずです。
密閉した鉄の容器に、とうもろこしなど穀物を入れ、
それを回転させながら火であぶり、パン、パン、パン・・・そして最後はドカァーンと爆発させるヤツです。
この店の瓦屋根は、たわんでいますね。 -
また北方向を望遠で・・・・栓抜きビルが見えます。
コレもブレードランナーの世界です。
向うには、いろんなものがぶら下がっています。
豚のモモやら、アバラ肉など・・・鶏やアヒルも・・・・うさぎみたいなものも・・・
そろそろ南倉街は終わりです。
向うに見えてきた道が董家渡路です。 -
董家渡路に出ました。
コレを東に行きます。
横断幕があるところまで来ました。
横断幕の向うに道は狭くなります。 -
狭くなる手前の脇道に入りました。
そこにトイレがありますので用を足してきます。
用を足して、その脇道から董家渡路を撮りました。 -
脇道から董家渡路に戻り、東にチョイ行ってたどり着きました。
昼下がりの金坤飲食店は眠っていましたが。今は起き出してる感じです。
材料は店先に並べられていまして、それをいくつか選んで料理してもらいます。
調理場は店先と、隣の部屋で行われます。 -
1階の食堂は、こんな感じ・・・
小さなテーブルがいくつかありますが、我々10人は座れそうもありません。
ということで案内されたのが2階の部屋です。
2階へは、奥の出入り口の脇にある階段で上がるんですが、その階段の狭いこと狭いこと・・・
そして、傾斜が急でして、怖いのなんのって・・・ -
そして、これらが、その日提供された料理です。
臭豆腐は、どうしても出てくるわけです。
貝は、大丈夫かなと恐る恐る食いましたが、なんともなかったです。
モツは私のリクエストでした。 -
野菜モノもたくさん出てきました。
スープはなんだったか・・・
その頃はいい加減酔っ払っていましたので覚えていません。 -
コレがその日のハイライト。
甕入りの紹興酒です。
会稽山という銘柄です。
5リットル入りですが、いくらだったのか・・・・
全部、飲み干したのかどうか・・・
その辺は定かではありません。
蓋部分は、陶器で封印されていますので、小さなハンマーで叩き壊して明けます。
八年・・・と見えますが、まず八年陳と書かれているんでしょう。
会稽山という銘柄はよく見かけますが、紹興市南部に実際ある山の名のようです。
http://item.rakuten.co.jp/fbgodai/679736/#679736
を見ますと、会稽山8年陳瓶入り750mlが1800円ですから、5リットルなら、12000円ですね。
それの甕入りなんですから、日本で飲めば、20000円でしょう。いや、もっとかな・・・
その日のハイライト、もう1つが、この上海蟹の雄雌一対です。
コレも、日本で食べれば・・・・いくらするんだろう・・・??? -
5時半から始めまして、なんだかんだ9時ごろまでやっていました。
参加者はイロイロ・・・
上海B級グルメ会会長さんも来ました。
日本人学校の先生ご夫妻も。
半分は上海歴史散歩の仲間でした。
普段は酒をたしなまないという日本人学校の先生も、紹興酒をグイグイ行き、イイ気持ちになり、リコーダーって言うんですか縦笛を吹き始め、蘇州夜曲など中国関連のメロディーを奏でてくれました。隣のテーブルに若い女性3人グループがいましたので、そのテーブルまで行き、演奏を披露しましたら大喝采を受け、大いに盛り上がったんですが、彼、翌朝、奥さんからは、もうやめなさい、と言われたとか・・・。 -
コレが上海歴史散歩の会の起源となった、一連のやり取りです。http://www.shanghai.or.jp/yorozu/4135_1.html
「上海エクスプローラー」(現在は「エクスプロア上海」となっています)という、上海に住んでる日本人が一番よく見てるであろうと思われスサイトがあるんですが、そこに「よろず情報交換」という掲示板があります。
そこでの呼び掛けから、上海歴史散歩は始まったのです。
そして、最初に手をあげたのが、私ということです。
当時の私のハンドルネームは「野毛の万穴馬券師」です。
野毛とは横浜の下町でして、そこに場外馬券場があるんです。
私は、そこに、毎週土日、30年以上通っていたのです。
そして買う馬券は、大穴狙い。万馬券狙いだったので、そういうHNにしたということです。
今は、上海にいますから野毛まではいけませんが、馬券はパソコンでシッカリ買っています。
今でも、勿論、大穴狙い。今年の春の天皇賞では、91万馬券を取りました。200円が192万円になったのでした。
その証拠画像は下記です。
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/pict/18966945/src.html
上海歴史散歩の話に戻しまして、結局、最初に行われたのが、2000年の11月5日だったのです。
当日の参加者は30人になりました。
朝9時半から初めて午後4時半まで。歩数計を携帯していた人の話によりますと14000歩になったとか。
その後、2回、3階と続けるうちに、この会のことが知れ渡り、会員は、ドンドン増えていき、一時は70人で散歩なんてな時もあり、その後は50名で打ち切りという措置が取られました。 -
これは2005年の「上海ウォーカー」(現在は「ウェネバー上海」) の記事です。http://gd.shwalker.com/shanghai/contents/special/200507/index.html
歴史散歩の主催者の片山さんと顧問の陳先生の対談です。
歴史散歩誕生の話や、実際の歴史散歩の様子などが語られています。 -
これは上海歴史散歩の会の第50回、満10周年記念の様子です。
その案内メールを転記します。
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さて、次回の「上海歴史散歩」が、2000年11月に第1回目を開催して以来、第50回目に当り、また、満10周年となるのを記念して、「特別企画」とすることについては、既にお知らせした通りです。
「特別企画」とは、
開催日時: 2010年10月24日(日) 10;30〜14;00
開催場所: 虹橋機場賓館(虹橋路2550号)
記念講演: 東華大学・陳祖恩教授による「上海と日本文化」
資料展示: 過去49回分の「歴史散歩資料」と「記念写真」
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そして以下が、私の感謝メールです。
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上海歴史散歩の皆さん、おはようございます、井上@打浦橋@上海です。
昨日は、記念すべき第50回の歴史散歩の会に出席させていただきました。片山先生、陳先生、また倉貴さんなど、この会の開催に当り、いろいろご苦労された方々に感謝いたします。
テーブルに並べられた、今までの集合写真を懐かしく拝見し、あの方のお顔もある、日本に帰られてしまった方のお顔もある、ああ、この方は、不幸にも今は・・・というお顔もある、と、10年続けられたこの会の歴史を大いに実感させられてしまいました。その写真とともに、展示されていましたのが、片山先生が作られたという今までの歴史散歩の資料なんですが、コレがもう圧巻。分厚いファイルにまとめられたものが、4冊だったか・・・・や、私じっくり見たわけではないのです。椅子が置かれていて、ユックリ見ていただこうと言う、配慮はされていたんですが、なかなか、自分自身と周りの雰囲気が、じっくり見る環境になかったので、パラッと覗いただけなんです。そのチョット見の感想なんですが、いやぁ、凄いなぁ、コレはと思ったものです。いつかこのファイルはじっくり拝見したいなと思ったのでした。
さて、9割がたが集まった段階で始まりました陳先生の講演にも大いに満足しました。いや、実は私、その講演は2回目なんですが、改めて、上海と日本人との関わりを、感慨深く拝聴させていただきました。
講演はパソコン画面の表示とともに行われたんですが、最後の画面に出てきました「中日友好、世世代代」という胡錦涛主席の言葉は、今こういう状況にある日中関係、なんとかならないの、いや、日本をもっと分かっていただければ、そうなるはずだという思いを私に抱かせたのでした。いや勿論、こちら側も、もっと中国を理解すべきなんでしょうけどもね。
ところで、今回で、この会は終わってしまうのかどうか・・・・続けてもらいたいと言う声の方が、勿論、圧倒的に多いわけですが、どうなってしまうのか・・・でも、まあ一区切りで、一休み・・・・ということもあります。
それに片山先生も、達成感に満足して居られたようですし、一休みされることになるのかと思っています。
出来れば、歴史ある歴史散歩のことを片山先生が、本にするなりして、公開していただき、歴史散歩のメンバーだけでなく、上海に居る日本人が、跡をたどること出来るようになればイイのかなと、思うわけです。
では、改めて・・・・片山先生、陳先生、また倉貴さん・・・昨日は有難うございました。
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私は第1回から第7・8回までは連続して参加したんですが、その後の参加率は2割程度。
それは、日曜日が、家族との食事の日になることが多くなってきたことと、参加希望者が多くなり、50人打ち切りとなり、なかなか参加できなくなってしまったことなどがあるからでした。
それと以前回ったコースなどですと、新規メンバーが増えてる状況の中にあって、経験したことある私などは、遠慮したほうが良いかもと思ったからです。
片山先生に、第3・4回の頃、もう、そろそろネタ切れになるのでは、と冗談を言ったんですが、いや、いや、上海にはいくらでもある、日本人との関連でも、また、ここ150年の中身の濃い歴史関連でも、とおっしゃりました。実に、そういうことなんです。そういう意味では上海は、本当に面白い都市なんです。
この私の散歩ブログも、そういうところに根差しているのです。
これで「陳祖恩先生との食事会はコテコテ上海の下町で」は終わりです。 -
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この旅行記へのコメント (4)
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- りっちゃんさん 2010/11/26 08:33:50
- なつかしいです
- 打先生、お元気ですか。
まだ横浜ですね。
薫家、まだまだコテコテ度が濃いですね。
お食事会のお店はなかなか、入ってみるには勇気がいりそうです。
でも通りはちょっとだけきれいになったように見えます。
たっちゃんが2005年に上海赴任になって、
その夏にそのへんを散歩をしたのが懐かしいです。
お茶のお店でお土産に茉莉花茶を買いました。
まだ薫家の渡しはありますか?
ことしの年末はたっちゃんが帰らないので、
わたしが2週間上海にお邪魔するかも。
もしお会いできたらうれしいです。
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2010/11/26 11:36:34
- 年末上海でお会いしませう。
- りっちゃん、どうも。
階段上り下り運動をして、タップリ汗を流して、
今家に戻り、シャワーを浴びて、サッパリしたところです。
> 薫家、まだまだコテコテ度が濃いですね。
> お食事会のお店はなかなか、入ってみるには勇気がいりそうです。
いやぁ、そうなんですよ・・・
あの店、普通でしたら、私でもパスしちゃう店なんですよね。
貝の料理が2種類でまして、一瞬身を引きましたが、
陳先生が隣にいましたので、箸を持って行き、食ってみたところ、
なかなか旨い。
翌日も、問題ありませんでした。
> まだ薫家の渡しはありますか?
あそこにフェリーありましたっけ・・・・??
調べましたら、確かにありますね。
よし、今度は、このフェリーに乗ってみます。
> ことしの年末はたっちゃんが帰らないので、
> わたしが2週間上海にお邪魔するかも。
> もしお会いできたらうれしいです。
是非是非お会いしませう。
-
- ミントwaパンダさん 2010/11/12 09:31:06
- 惹かれます
- 井上@打浦橋@上海さんへ
おはようございます、ミントwaパンダです。
そして、大変ご無沙汰しております。
お変わりありませんか?その節は、
ディープな上海の夜をありがとうございました。
自分のPCが未だWin98のため、最近では思うように
サイトをみることができず、遠のいておりました。
実は9月の終わりに、上海万博と世博パンダを見に
上海へ行きました。すっかり変わった街を見て
驚いたところでしたので、下町上海の町並みを拝見して、
なんだか、とても懐かしい気持ちになりました。
食い入るように旅行記を読ませていただきました。
これからも旅行記楽しみにしています
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2010/11/12 15:05:15
- RE: 惹かれます
- ミントwaパンダさん、どうも。
上海は小春日和です。
来週には、また横浜に戻ります。
> 実は9月の終わりに、上海万博と世博パンダを見に
> 上海へ行きました。すっかり変わった街を見て
> 驚いたところでしたので、下町上海の町並みを拝見して、
> なんだか、とても懐かしい気持ちになりました。
9月の終わりでしたら、もう暑さの盛りも
とっくのとおに過ぎ去り、上海も過ごしやすい天気だったのでは・・・
今回、行きました、あの下町の街並みは、
6・7年前から、なくなってしまうなんて聞いていましたが、
まだ、残っていたということです。
しかし、今回、赤い横断幕を見て、その日が近いことを、感じました。
住んでる人たちにとって見れば、どうなのか・・・??
上海に13年住んでる私の見方ですと、
大方の人たちは、この日が、やっと来たかと、
待ち望んでいたのかと。
今や、上海の中心部から離れたところに移り住んでも、
地下鉄が八方巡らされていますので、遠くに来てしまったなぁ
という感覚は薄くなっているはずなんです。
逆に、空気が良くて、部屋も広くなり、トイレもバスもあり、と
大喜びしてる人のほうが、多いのかと思っています。
しかし、ああいったコテコテ上海の下町の街並みがなくなってしまうのは、
それはそれで、寂しい気持ちを持ってしまうのは、私だけでなく、
そこに住んでた人達、ほとんど、そうなのかなと思っています。
陳先生は、日本の上海の紹介テレビ番組などでも、
よく出てきます。
日本にもよくいかれています。
あの日に行った食堂の店主のお兄さんが、陳先生とお友達のようで、
文革時代に、同じ職場にいたそうです。
あとで、ミントwaパンダさんの旅行記も拝見させていただきます。
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