2009/04/29 - 2009/04/30
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A_KASAIさん
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長野から妙高高原に向う。
新幹線が開通してからか、信越本線といいながら特急は通らない。
単身赴任の終わりがけに家族を連れてお父さんの仕事場を見せに来た。
まだ子供たちは5歳と2歳。初めて旅館に泊まる旅であった。
そのときと同じ旅館を予約した。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- JR特急 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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赤倉温泉の夜明け。
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確かにこの玄関は見覚えがあった。
当時リニューアルの直後らしかったし、泊り客も我が家族だけだったので風呂も貸しきり状態であった。
建物は随分傷んだが、当時を懐かしく思い出した。 -
食事の前に散歩。ゲレンデが見えるところまで登っていった。
桜が咲いている。 -
雪解けと、土筆もイヌフグリも水仙も桜も一度に春が来る。
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列車の時刻まで、旅館で勧められて「いもり池」へ、車で送ってもらった。
水芭蕉には少し遅かったが、美しい妙高山を眺めることができた。 -
妙高
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奥方には楽しいスキーの思い出、私には辛かった仕事の思い出・・。
そんな思いで探しの旅・・・かなあ。 -
妙高を出て山を下る。
関山 二本木 とスイッチバックの駅だったのだが二本木だけになっている。
特急を回避する必要も無く、工場の輸送も無くなった。
スイッチバックも忘れられる運命なのか? -
新井の駅に降り立つ。
駅前は変わらないが、道路が変わっている。
記憶をたどっていくが、 この店は記憶にあった。
この鳥井があったかどうか・・鳥井のむこう、駐車場になっている所に越中屋デパートがあった。 -
越中屋の裏手、市神社の境内公園。
外されていたがこのブランコで子どもたちも遊んだ。越中屋の地下への入り口も閉ざされている。 -
越中屋は倒産して建物は古い部分を取り壊し、増築した部分を残してコミュニティセンタとして使われていた。
エスカレータも、当時斬新だったシースルーエレベータも無い。
当時多雪寒冷地では考えもしなかったヒートポンプマルチエアコンに替えられている。
ガス焚ボイラを屋上の機械室に入れたことを思い出す。 -
1階は何の売り場だっただろうか、今はフードコートのように使われている。
地産品のお店や、障害者の働くお店がある。ラーメンを食べた。
仕事も30年を過ぎると担当した建物も壊され始める。これが残ってくれていたのも不思議なくらいだ。 -
道路の反対側にタワーパークを作った。越中屋が倒産して老朽化が激しくなり市議会でも取り扱いについて議論されたらしいが既に無い。
唯一引き込み柱とターンテーブルを埋めた跡が残っていた。電柱の製造銘板に当時を思い出す。 -
町を散歩する。
昔は煙草の生産も盛んであったらしい。専売になる前のことだそうだが、このタバコ屋さんも当時は栄えたのだろう。
立派なお屋敷である。 -
駅前から新しい道路ができ商店街も作られていたが、空き地に面したアーケード。
古くからのお店は何とか続けられていても、新しい店は呼び込めない。
何か寂しい町になってしまったなあ。 -
営業所のあった高田へ。
駅前は全く当時の面影をとどめていない。雁木のつながる通りだったと思ったのだが、駅の近くはアーケードがあったのだっけ?
駅舎も変わってしまった。 -
マンションが成立するような町だったか?
城址、公園までは遠いが町中を少し散歩した。記憶がたどれないくらい変わっている。 -
駅のホームは変わらない。
高校生のスタイルは・・変わった。 -
特急に乗り継ぐために直江津で降りる。
この駅も変わった。 もっと海のすぐそばにあったような気がしていたが、
雁木が残っている。 -
吹雪く中で列車を待ったこともある。
どんなところでちょっとひっかけるようなスナックが畑の真ん中にあったりする。 -
雁木のあるお菓子屋で笹団子でも買って帰ろうか。
帰路の回り道に入る。
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