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◎エカテリーナ宮殿観光。<約2時間><br /><br />出発地関西発.トラピックス秋限定!<br />◆水色と白のコントラストに金箔が随所にあしらわれたロシアバロック様式を代表するエカテリーナ宮殿を観光。庭の幾何学模様が美しく面白い。<br />サンクトペテルブルグの南部の町にあり、ピョートル大帝が母エカテリーナ1世のために建てものでその後エカテリーナ2世もこの宮殿を愛しロシア女帝の権威を誇示してきた。ここは皇帝が夏に過ごしたところでエカテリーナ宮殿をはじめ豪華な宮殿や庭園が広がっている。<br /><br />10/11 9:00/ホテル発。ツァールスコエ・セローへ。着後、ロシアバロック様式の贅を尽くした◎エカテリーナ宮殿観光。<約2時間><br /> 昼食後、ペトルゴーフへ。サンクロペテルブルグに戻ります。夕食、その後ホテルへ。20:00/ホテル着(OP)オペラ又はバレエ観賞 ~嬉しいゆったり2連泊~ <br />【宿泊地:サンクトペチェルブルク泊】スタンダードクラス <br /><br />■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。<br />copyright(C)2006 Taketori no Okina YK. All rights reserved.

華麗なるロシア7日間!②「エカテリーナ宮殿」サンクトペチェルブルク

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2010/10/10 - 2010/10/10

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koi

koiさん

◎エカテリーナ宮殿観光。<約2時間>

出発地関西発.トラピックス秋限定!
◆水色と白のコントラストに金箔が随所にあしらわれたロシアバロック様式を代表するエカテリーナ宮殿を観光。庭の幾何学模様が美しく面白い。
サンクトペテルブルグの南部の町にあり、ピョートル大帝が母エカテリーナ1世のために建てものでその後エカテリーナ2世もこの宮殿を愛しロシア女帝の権威を誇示してきた。ここは皇帝が夏に過ごしたところでエカテリーナ宮殿をはじめ豪華な宮殿や庭園が広がっている。

10/11 9:00/ホテル発。ツァールスコエ・セローへ。着後、ロシアバロック様式の贅を尽くした◎エカテリーナ宮殿観光。<約2時間>
 昼食後、ペトルゴーフへ。サンクロペテルブルグに戻ります。夕食、その後ホテルへ。20:00/ホテル着(OP)オペラ又はバレエ観賞 ~嬉しいゆったり2連泊~
【宿泊地:サンクトペチェルブルク泊】スタンダードクラス

■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。
copyright(C)2006 Taketori no Okina YK. All rights reserved.

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
ホテル
2.5
ショッピング
3.0
交通
2.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
25万円 - 30万円
交通手段
観光バス 飛行機
航空会社
JAL
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
阪急交通社

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  • ツァールスコエ・セロー◎エカテリーナ宮殿<br /><br />エカテリーナ宮殿は、サンクトペテルブルクから南へ約30km、プーシキン市(旧ツァールスコエ・セロー)にある。イタリアの建築家ラストレッリによって建てられた女帝エカテリーナ2世の夏の離宮。全長325メートルに渡るファサードの装飾は見事。大黒屋光太夫がエカテリーナ2世に謁見したのもここ。「琥珀の間」は1770年に完成した。だが、第二次世界大戦中にここを占拠したドイツ軍によって持ち去られ、今もそのありかを探している人たちがいる。「琥珀の間」の修復は、1979年から始まり、2003年に完成した。<br /><br /> 

    ツァールスコエ・セロー◎エカテリーナ宮殿

    エカテリーナ宮殿は、サンクトペテルブルクから南へ約30km、プーシキン市(旧ツァールスコエ・セロー)にある。イタリアの建築家ラストレッリによって建てられた女帝エカテリーナ2世の夏の離宮。全長325メートルに渡るファサードの装飾は見事。大黒屋光太夫がエカテリーナ2世に謁見したのもここ。「琥珀の間」は1770年に完成した。だが、第二次世界大戦中にここを占拠したドイツ軍によって持ち去られ、今もそのありかを探している人たちがいる。「琥珀の間」の修復は、1979年から始まり、2003年に完成した。

     

  • ◎エカテリーナ宮殿の大広間(舞踏の間)長さ47メートル、幅17メートル。<br /> 「謁見の間」舞踏会が出来る玉座の間の大広間 <br /><br />漂流しロシア人に助けられた日本人大黒屋光太夫が苦難に満ちた10年後の1791年にこの部屋でエカテリーナ2世から帰国の許可を得たと言われている。井上靖の小説「おろしや国酔夢譚」は緒方拳主演で映画化もされた。<br /><br /><br /><br /><br /><br />

    ◎エカテリーナ宮殿の大広間(舞踏の間)長さ47メートル、幅17メートル。
     「謁見の間」舞踏会が出来る玉座の間の大広間 

    漂流しロシア人に助けられた日本人大黒屋光太夫が苦難に満ちた10年後の1791年にこの部屋でエカテリーナ2世から帰国の許可を得たと言われている。井上靖の小説「おろしや国酔夢譚」は緒方拳主演で映画化もされた。





  • ◎エカテリーナ宮殿<br /><br />エカテリーナがドイツの建築家Johann-Friedrich Braunsteinを雇って夏の避暑用の離宮として1717年に作らせたのが最初のもので、その後、第4代ロシア皇帝アンナ(在位:1730年 - 1740年)がロシア人建築家に命じて増築させた。<br />

    ◎エカテリーナ宮殿

    エカテリーナがドイツの建築家Johann-Friedrich Braunsteinを雇って夏の避暑用の離宮として1717年に作らせたのが最初のもので、その後、第4代ロシア皇帝アンナ(在位:1730年 - 1740年)がロシア人建築家に命じて増築させた。

  • ◎エカテリーナ宮殿<br />中央階段を2階へ上ると東側窓側に目覚める天使、西側に眠れる天使の彫刻がある。<br /><br />

    ◎エカテリーナ宮殿
    中央階段を2階へ上ると東側窓側に目覚める天使、西側に眠れる天使の彫刻がある。

  • ◎エカテリーナ宮殿

    ◎エカテリーナ宮殿

  • ◎エカテリーナ宮殿・絵画の間<br /><br />壁全体が絵画で覆われた絵画の間は、エカテリーナ2世や最後の皇帝ニコライ2世などの肖像画などが飾られた部屋である。

    ◎エカテリーナ宮殿・絵画の間

    壁全体が絵画で覆われた絵画の間は、エカテリーナ2世や最後の皇帝ニコライ2世などの肖像画などが飾られた部屋である。

  • ◎エカテリーナ宮殿<br />  <br /> 古代ローマ風の浮き彫りや壁画が見事な緑の食堂を見学する。<br /> 部屋の壁はローマをモチーフしている <br />

    イチオシ

    ◎エカテリーナ宮殿
      
     古代ローマ風の浮き彫りや壁画が見事な緑の食堂を見学する。
     部屋の壁はローマをモチーフしている

  • ◎エカテリーナ宮殿

    ◎エカテリーナ宮殿

  • ◎エカテリーナ宮殿

    ◎エカテリーナ宮殿

  • ◎エカテリーナ宮殿

    ◎エカテリーナ宮殿

  • ◎エカテリーナ宮殿

    ◎エカテリーナ宮殿

  • ◎エカテリーナ宮殿<br /><br />  後方の角に宮殿内部の陶器の暖炉がある。

    ◎エカテリーナ宮殿

      後方の角に宮殿内部の陶器の暖炉がある。

  • ◎エカテリーナ宮殿「琥珀の間」<br />  右の後方が「琥珀の間」。<br />琥珀とは、植物の樹脂が5000万年!かけて化石化し、琥珀となる。琥珀はバルト海沿岸の特産品である。 <br /><br />

    ◎エカテリーナ宮殿「琥珀の間」
      右の後方が「琥珀の間」。
    琥珀とは、植物の樹脂が5000万年!かけて化石化し、琥珀となる。琥珀はバルト海沿岸の特産品である。

  • ◎エカテリーナ宮殿「琥珀の間」<br /><br />エカテリーナ宮殿内の一室で、その名のとおり部屋全体の装飾が琥珀で出来ており、これは世界で唯一のものです。<br />エカテリーナ2世によって1770年に完成されたこの部屋は、祝典応接室として使われた。エカテリーナ2世は、この部屋が気に入り自らが許す者以外の入室を禁じて禁断の部屋となった。部屋全体が琥珀で装飾された部屋、残念なことに、琥珀は第二次世界大戦の時にドイツ軍によって持ち去られた。24年にわたる復元作業を終えて2003年5月に国家事業として復元され完成した。5月31日にプーチン大統領は完成後初めての公式公開として各国首脳をここに招いている。<br />琥珀の間には4枚のモザイク画がある。東に2枚、北と南に各1枚ずつである。1枚ずつのモザイク画にはテーマがあり「視覚」「聴覚」「味覚」「触覚と嗅覚」というように人間の5感をあらわしている。最上段の写真、左下に写っているものがそのモザイク画のひとつ。しかし、この琥珀の間は1941年ナチス・ドイツによって解体され持ち去られ、今尚その所在は不明である。現在のエカテリーナ宮殿にある琥珀の間は、ロシアが国家を挙げて復元した。サンクトペテルブルクに建都300年、ドイツ軍に持ち去られてから62年後の2003年5月のことである。<br /><br /> 残念ながら「琥珀の間」は、撮影禁止のために別室から撮った1枚しかありません。

    ◎エカテリーナ宮殿「琥珀の間」

    エカテリーナ宮殿内の一室で、その名のとおり部屋全体の装飾が琥珀で出来ており、これは世界で唯一のものです。
    エカテリーナ2世によって1770年に完成されたこの部屋は、祝典応接室として使われた。エカテリーナ2世は、この部屋が気に入り自らが許す者以外の入室を禁じて禁断の部屋となった。部屋全体が琥珀で装飾された部屋、残念なことに、琥珀は第二次世界大戦の時にドイツ軍によって持ち去られた。24年にわたる復元作業を終えて2003年5月に国家事業として復元され完成した。5月31日にプーチン大統領は完成後初めての公式公開として各国首脳をここに招いている。
    琥珀の間には4枚のモザイク画がある。東に2枚、北と南に各1枚ずつである。1枚ずつのモザイク画にはテーマがあり「視覚」「聴覚」「味覚」「触覚と嗅覚」というように人間の5感をあらわしている。最上段の写真、左下に写っているものがそのモザイク画のひとつ。しかし、この琥珀の間は1941年ナチス・ドイツによって解体され持ち去られ、今尚その所在は不明である。現在のエカテリーナ宮殿にある琥珀の間は、ロシアが国家を挙げて復元した。サンクトペテルブルクに建都300年、ドイツ軍に持ち去られてから62年後の2003年5月のことである。

     残念ながら「琥珀の間」は、撮影禁止のために別室から撮った1枚しかありません。

  • ◎エカテリーナ宮殿<br /><br /> 素晴らしい彫刻です。

    ◎エカテリーナ宮殿

     素晴らしい彫刻です。

  • ◎エカテリーナ宮殿

    ◎エカテリーナ宮殿

  • サンクト・ペテルブルグの町はドイツ軍に長期間包囲されエカテリーな宮殿も略奪破壊された。当時の写真が物語っている。<br /><br />■ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。<br />copyright(C)2006 Taketori no Okina YK. All rights reserved.

    サンクト・ペテルブルグの町はドイツ軍に長期間包囲されエカテリーな宮殿も略奪破壊された。当時の写真が物語っている。

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