2009/08/30 - 2009/08/30
22757位(同エリア44132件中)
muccさん
8月の終わりに洛西の西山・大原野の寺社を巡ってきました。
のどかな田園と竹林が広がる大原野は、京都山城地方でも最も古くから開けたところ。
紅葉も桜もない時期の、静かな普段の大原野散策です。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
PR
-
まず最初に大原野神社へ。
田舎の山里に突然現れる立派な鳥居。
周りは田んぼばっかりだったのに‥‥。
長岡京遷都に伴って移り住んだ藤原氏が氏神である春日大社の分霊をうつし祀ったのが大原野神社の起こり。 -
六国史、大鏡等、源氏物語など、有名な古典にもしばしば大原野神社の名前が出てくるそうです。 -
-
大原野神社参道。 -
春日大社と違い、本物の鹿はいない。残念。 -
奈良の猿沢池をまねて造った、鯉沢の池。
かきつばたや水蓮の花が咲くらしいが、花のないこの時はただの鬱蒼とした池。
池のそばに建つお茶屋さんも、オフシーズンの為かお休みでした。 -
古歌にも詠まれた瀬和井(せがい)の清水。
名泉といわれた頃の面影はなく、よどんだ水溜りとでも言った方がいい雰囲気。
でっかい蛙と足の生えたオタマジャクシと蚊がわんさかいました。
「大原や せがいの水を てにむすび 鳥は鳴くとも 遊びてゆかん」
大伴家持 -
カエデの緑がと鳥居の朱色が美しい。 -
-
鹿発見! -
大原野神社本殿。 -
本殿前には狛鹿が鎮座。
目が大きすぎてちょっとコワイ‥‥。 -
御神木。 -
続いて花の寺勝持寺へ。
桜と紅葉の名所であり西行ゆかりの寺ということで期待に胸を膨らませて歩いて向かうことに。
これが間違いでした。
荒れ果てた竹林の坂道をのぼることのぼること‥‥。
夏の暑さも加わりかなりキツイ。 -
勝持寺の山門。
気分は地獄の門。
しかも裏側には血でつけたような赤い手のあとがびっしり‥‥。
(呪われそうなので写真は撮りませんでした。)
何だったんだろう。 -
かなり歴史を感じさせる朽ち果てた仁王さん。
鬱蒼とした竹林のなかにたたずむ腕の無い仁王さん。恐怖!
まさに地獄の赤鬼の様。
ばちあたりなのはわかっていますとも。 -
やっとのことで入り口へ。
へとへとだがちょっとだけ元気が戻る。 -
勝持寺到着。 -
勝持寺は別名「花の寺」と呼ばれ、この寺で出家した西行法師が植えたと伝えられる「西行桜」のほかに、境内には約500本の桜があり、春にはみごとな桜の花が咲き乱れる。
春のみならず、秋の紅葉も有名。 -
こじんまりとした境内。
夏まっさかりの為か、花は全く無い。
青々とした木が生い茂る。 -
西行桜。
桜の季節なら、どれだけきれいなことか。 -
かなり急勾配の坂をのぼり、善峰寺に到着。
善峯寺は西国33ヵ所観音霊場の第20番札所として、また境内の「遊竜の松」(天然記念物)で有名。
1030年に源算上人が創建、応仁の乱によりことごとく焼失したとされる。その後、江戸時代になって桂昌院により再建された。 -
善峰寺山門。
現存の山門は元禄5年、桂昌院によって再建されたもの。
両脇の金剛力士像は運慶の作。 -
西国33ヵ所観音霊場の第20番札所、善峰寺。 -
山門を入り石段をのぼると、正面に観音堂が見えてくる。
現存の観音堂は元禄5年に再建されたもの。 -
山門の裏側。
緑の多い境内。 -
お守りも有名。 -
つりがね堂。
桂昌院が徳川綱吉の厄除けのため寄進したことから、厄除けの鐘といわれている。 -
天然記念物、遊竜松。
はってます。 -
-
遊竜松根元付近。 -
五代将軍綱吉の母である桂昌院がお玉と呼ばれた幼い頃、両親に連れられて参詣していたのが善峰寺の薬師堂だったそうです。
玉の輿にのれたのは薬師仏のおかげ?
「たらちねの 願いを込めし寺なれば 我も忘れじ南無薬師仏」 -
京都が眼下に広がる。 -
-
桂昌院廟。
この廟には79歳で他界した桂昌院の遺髪が納められているという。 -
阿弥陀堂の前の参道。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
36