2010/09/08 - 2010/09/14
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haichaoluさん
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西蔵南路、延安路付近の歴史的建築物をいくつかご紹介します。
延安路の北は旧英国租界(後に共同租界)で旧フランス租界との境界でしたが、南北では街の雰囲気も少し異なります。
英国人は「一旗組」が多く、国に錦を飾る出稼ぎ型だったが、フランス人は「生活を楽しむ」住民が多く、人生観の違いがあったとも言われています。
「東洋のパリ」とも言われた上海は、フランス人住民が故郷を偲んで造り上げたものですね。
旧フランス租界はプラタナスの並木道が多く、中国の他の街と雰囲気を異にしています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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1930年建築の南京大劇院は、ハリウッド映画の新作が上映されていましたが、現在はクラシック音楽演奏会用の「音楽庁」として利用されています。
1959年に市内の数十の映画館や劇場の中から、音楽演奏会に適した建物として選ばれ、取り壊されずに改装されました。 -
元在った場所から建物ごと数100m移設されました。
中国人建築士が設計した洋風古典建築の成功例として、建物は評価されています。 -
入り口ホール中央には2方向の螺旋階段があり、その奥は約1,000人を収容できる休息庁となっているそうです。
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これは、旧フランス租界のメインストリートだった准海路のレストランから見た鳥瞰図。
建物の横には野外演奏会用の広場も見えますね。 -
美術に音楽に演劇と、上海のアートは着々と整備されています。
旧共同租界では1879年に初のプロ楽団「上海パブリックバンド」が結成され、野外演奏会やマナチュア劇団の伴奏などを始めたそうです。
1922年には市民の税金で運営される工部局交響楽団へと発展し、1930年代末には欧州からのロシア人難民音楽家を加え、極東一と称されるほど演奏水準を誇りました。
1927年には中国初の音楽学校「国立音楽院」が旧フランス租界内に設立され、多くのロシア人音楽家を教師として招きました。
1936年には「上海第一ロシア音楽学校」も創設されました。
白系ロシア人の到来によってオペラやバレエが定期的に上演され、
当時、上海はアジアでもまれに見る「音楽の都」だったそうです。 -
2003年8月の工事中の写真。
南京大劇院を66m水平移動させる工事です。 -
駐在時代にすんでいたマンションから、たまたま撮影した2003年当時の写真ですが、
この辺りに租界時代の上海の顔役「黄金栄」や「杜月笙」の豪邸があったそうです。
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