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<br /><br />8月13日、大連からの五日間の出張を終えた後のことになるが、佐野眞一氏執筆の「甘粕正彦 乱心の曠野」(新潮社)を読む。500頁近くの大作であったが、読み始めると面白く、殆ど一気に読み終えてしまった。<br /><br />今の若い人に「甘粕正彦」と言っても殆ど知らないかも知れない。戦前・戦中、或いは歴史に詳しい人であれば、有名な元軍人、憲兵大尉である。満州国設立の表の顔が石原莞爾とすれば、裏で支えた一人と言えるだろう。<br /><br />その最後は昭和20年8月20日、押し迫ったソ連軍の襲来を前にして、新京(現長春)満州映画社理事長室で服毒自殺(青酸カリ)し、54年の生涯を敢え無く閉じた人物であったが、時代の波に翻弄された一人でもあった。しかし仮に彼の蔭の働きが無かったとしても、時代の趨勢として満州国は成立し、日本の敗戦と共に、潰えていったに違いない。<br /><br />関東大震災の発生は、もう今から90近く前の1923年(大正12年)9月1日、未曾有の大地震が関東地方、取り分け当時の東京府、横浜市等を襲い、10万人を越える死者を出したが、この混乱に乗じて陸軍中枢は当時の「赤狩り」、共産党員やそのシンパへの一掃を図ったのだった。<br /><br />その現場責任者として選ばれたのが、甘粕正彦で、当時彼は東京憲兵隊・渋谷分駐隊長の職、32歳にあったが、地震の翌日、急遽麹町分駐隊長の兼任を命じられ、それから2週間後の9月16日、共産主義者であり、且つアナーキスト大杉栄が、愛人伊藤野枝とその子供7歳と共に、該麹町分駐隊敷地に置いて惨殺され、敷地内の古井戸に投げ込まれたものだった。<br /><br />共産党員の有力なリーダー、大杉栄を排除しようとの企図は元々陸軍中央部の考えであり、その中枢にいて、天津、ハルピンの特務機関長を歴任した土肥原賢二(後極東軍事裁判所で死刑判決)辺りから発せられたものと思われるが、甘粕は一切の責任を自分一人の身に負い、軍事裁判で懲役10年の判決を得、後、昭和大帝の恩赦で、僅か2年10ヶ月で仮釈放となったものであるが、その後満州に渡ってからの約15年、表の顔、裏の顔、二つの顔を使い分け、暗躍していたものである。<br /><br />大杉栄の下手人とすれば、ソ連軍逮捕後の命の保証はなく、その直前に自決するのは彼とすれば当然の結論であったが、自殺の直前満州映画社の社員1000余名を講堂に集め、最後の訓示を行った後、自己一人で死地に赴いた行動は賞賛すべきものでもあった。<br /><br />五族協和は夢に終わり、戦後60数年経った現在の満州、大連にはその片鱗すらないが、彼にしても石原莞爾にしても、そうした民族の融和、アジアの平和、白人支配からの脱却を強く願い、満州国独立をその試金石としたものと思われるが、歴史は変えようとして変えられるものでもなく、今ある60年前とは違った現状を眺めることにより、ただ単に歴史の変貌を知ることが出来るのかも知れない。<br /><br />4年前と6月、それに今回、この3回の大連訪問により感じたこと、日本との結びつき、そこにまだ尚名残を残す戦前の建物。果たして大連が1905年以来の日本の租界、即ち植民地であった事実、当時も既に高級住宅地であった星が浦の大邸宅もソ連軍に接収され、今は星海街、星海地区の高級住宅街として大発展している事実、「二木三介」と言われても殆ど知る人もいない現在、当時とあっては国の命運をかけた東条英機、星野直樹、鮎川義介、松岡洋介、岸信介がそれぞれ満州国独立の前後、子の地に於いて活躍し、その蔭で立ち動いた甘粕正彦。<br /><br />甘粕が嫌っていた一人、乃木将軍が3万人余の兵の命と引き換えに贖えた大連・旅順港。嘗て日本人は海の向こうの植民地任那日本府が失われた後々までも思い出の地、憧憬の地として記憶の中に留め置いていたが、果たしてこの大連・旅順港もそうした日本人の心の裡にいつまでも残されるであろうか・・・。<br /><br />

大連の5日間、「大連賓館に泊まる」(終章) 大連あとさき。甘粕正彦と満州。

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2010/08/09 - 2010/08/13

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ちゃお

ちゃおさん



8月13日、大連からの五日間の出張を終えた後のことになるが、佐野眞一氏執筆の「甘粕正彦 乱心の曠野」(新潮社)を読む。500頁近くの大作であったが、読み始めると面白く、殆ど一気に読み終えてしまった。

今の若い人に「甘粕正彦」と言っても殆ど知らないかも知れない。戦前・戦中、或いは歴史に詳しい人であれば、有名な元軍人、憲兵大尉である。満州国設立の表の顔が石原莞爾とすれば、裏で支えた一人と言えるだろう。

その最後は昭和20年8月20日、押し迫ったソ連軍の襲来を前にして、新京(現長春)満州映画社理事長室で服毒自殺(青酸カリ)し、54年の生涯を敢え無く閉じた人物であったが、時代の波に翻弄された一人でもあった。しかし仮に彼の蔭の働きが無かったとしても、時代の趨勢として満州国は成立し、日本の敗戦と共に、潰えていったに違いない。

関東大震災の発生は、もう今から90近く前の1923年(大正12年)9月1日、未曾有の大地震が関東地方、取り分け当時の東京府、横浜市等を襲い、10万人を越える死者を出したが、この混乱に乗じて陸軍中枢は当時の「赤狩り」、共産党員やそのシンパへの一掃を図ったのだった。

その現場責任者として選ばれたのが、甘粕正彦で、当時彼は東京憲兵隊・渋谷分駐隊長の職、32歳にあったが、地震の翌日、急遽麹町分駐隊長の兼任を命じられ、それから2週間後の9月16日、共産主義者であり、且つアナーキスト大杉栄が、愛人伊藤野枝とその子供7歳と共に、該麹町分駐隊敷地に置いて惨殺され、敷地内の古井戸に投げ込まれたものだった。

共産党員の有力なリーダー、大杉栄を排除しようとの企図は元々陸軍中央部の考えであり、その中枢にいて、天津、ハルピンの特務機関長を歴任した土肥原賢二(後極東軍事裁判所で死刑判決)辺りから発せられたものと思われるが、甘粕は一切の責任を自分一人の身に負い、軍事裁判で懲役10年の判決を得、後、昭和大帝の恩赦で、僅か2年10ヶ月で仮釈放となったものであるが、その後満州に渡ってからの約15年、表の顔、裏の顔、二つの顔を使い分け、暗躍していたものである。

大杉栄の下手人とすれば、ソ連軍逮捕後の命の保証はなく、その直前に自決するのは彼とすれば当然の結論であったが、自殺の直前満州映画社の社員1000余名を講堂に集め、最後の訓示を行った後、自己一人で死地に赴いた行動は賞賛すべきものでもあった。

五族協和は夢に終わり、戦後60数年経った現在の満州、大連にはその片鱗すらないが、彼にしても石原莞爾にしても、そうした民族の融和、アジアの平和、白人支配からの脱却を強く願い、満州国独立をその試金石としたものと思われるが、歴史は変えようとして変えられるものでもなく、今ある60年前とは違った現状を眺めることにより、ただ単に歴史の変貌を知ることが出来るのかも知れない。

4年前と6月、それに今回、この3回の大連訪問により感じたこと、日本との結びつき、そこにまだ尚名残を残す戦前の建物。果たして大連が1905年以来の日本の租界、即ち植民地であった事実、当時も既に高級住宅地であった星が浦の大邸宅もソ連軍に接収され、今は星海街、星海地区の高級住宅街として大発展している事実、「二木三介」と言われても殆ど知る人もいない現在、当時とあっては国の命運をかけた東条英機、星野直樹、鮎川義介、松岡洋介、岸信介がそれぞれ満州国独立の前後、子の地に於いて活躍し、その蔭で立ち動いた甘粕正彦。

甘粕が嫌っていた一人、乃木将軍が3万人余の兵の命と引き換えに贖えた大連・旅順港。嘗て日本人は海の向こうの植民地任那日本府が失われた後々までも思い出の地、憧憬の地として記憶の中に留め置いていたが、果たしてこの大連・旅順港もそうした日本人の心の裡にいつまでも残されるであろうか・・・。

旅行の満足度
4.5
  • 空から見る旅順港。港の入り口が閉じられているのが良く分る。

    空から見る旅順港。港の入り口が閉じられているのが良く分る。

  • 203高地と向き合う砲台、東鶏冠山の頂上には、今巨大な慰霊塔が立っている。

    203高地と向き合う砲台、東鶏冠山の頂上には、今巨大な慰霊塔が立っている。

  • 大発展しつつある大連。誰が嘗てこのような発展を想像出来ただろうか・・

    大発展しつつある大連。誰が嘗てこのような発展を想像出来ただろうか・・

  • 大連賓館(旧ヤマトホテル)1階ロビー。ヤマトホテルは他に、奉天(現瀋陽)、新京(現長春)、ハルピン、旅順にもあった。

    大連賓館(旧ヤマトホテル)1階ロビー。ヤマトホテルは他に、奉天(現瀋陽)、新京(現長春)、ハルピン、旅順にもあった。

  • 甘粕正彦は満州映画社理事長時代、自宅の大連星が浦に家族を残し、自身は新京ヤマトホテルのスイートを定宿としていた。<br />戦前のことはイザ知らず、戦後も中曽根総理、竹下総理、など等、VIPがこのホテルを訪れている。

    甘粕正彦は満州映画社理事長時代、自宅の大連星が浦に家族を残し、自身は新京ヤマトホテルのスイートを定宿としていた。
    戦前のことはイザ知らず、戦後も中曽根総理、竹下総理、など等、VIPがこのホテルを訪れている。

  • このホテルは2001年、旧大和旅館として、中国重要文化財に指定された。

    このホテルは2001年、旧大和旅館として、中国重要文化財に指定された。

  • ホテルの正面には中山広場の向こう側に当時の横浜正金銀行、旧東京銀行の前身が、今でも中国の銀行業務を行っている。

    ホテルの正面には中山広場の向こう側に当時の横浜正金銀行、旧東京銀行の前身が、今でも中国の銀行業務を行っている。

  • 1階から4階までの吹き抜けのパテオ風の喫茶ラウンジ。当時としては珍しいドーム型のガラス張りだが、流石に70数年の風雪は厳しく、風雨の際の雨漏りもある。

    1階から4階までの吹き抜けのパテオ風の喫茶ラウンジ。当時としては珍しいドーム型のガラス張りだが、流石に70数年の風雪は厳しく、風雨の際の雨漏りもある。

  • 多分半世紀前と変わらない散髪店。左側のリクライニング台が洗髪用。

    多分半世紀前と変わらない散髪店。左側のリクライニング台が洗髪用。

  • 大連賓館も夜はライトアップされえてお洒落だ。

    大連賓館も夜はライトアップされえてお洒落だ。

  • 嘗て路面電車の街も今はモダンな2階建てバスが走っている。

    嘗て路面電車の街も今はモダンな2階建てバスが走っている。

  • 21世紀に向け、更なる発展を遂げている大連新開発地区。

    21世紀に向け、更なる発展を遂げている大連新開発地区。

  • 大連・東芝工場。鮎川義介の時代を超えて・・・

    大連・東芝工場。鮎川義介の時代を超えて・・・

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