2010/08/13 - 2010/08/13
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Giraudさん
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ロンドンから日帰りで、主にイングランドのゴシック建築を巡る旅。
2日目の前半はピーターバラ。
雨天でもあり、短時間の滞在でピーターバラ大聖堂のみ見学しました。
西正面にあるゴシック様式の巨大な三連アーチが有名な建築物。
修道院としても長い歴史を有していた教会堂です。
以下はパンフレットに記されていたピーターバラ大聖堂の歴史。
655年・・・・・・・最初の修道院が建立
870年・・・・・・・ヴァイキングが修道院を破壊、修道士たちが殺される
970年・・・・・・・ベネディクト会により二番目の修道院が完成
1116年・・・・・・二番目の修道院が火災で焼失
1118年・・・・・・三番目の修道院(現在の建物)が着工
1238年・・・・・・西正面が完成、献堂式が行われる
1500年・・・・・・建物東端を増築
1541年・・・・・・ヘンリー8世により大聖堂(主教座教会)とされる
1882年・・・・・・塔を解体・再建
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朝一番でロンドンのウェストミンスター大聖堂を見学してから、
ロンドン・キングス・クロスLondon Kings Cross駅11:10発
ピーターバラPeterborough駅11:56着
今回の旅行ではブリット・イングランドパスを利用しました。 -
ピーターバラ駅前。
ロンドンと同じ黒タクシーが停まっています。
案内標識があるので地図は不要でした。 -
チャーチ・ストリート
Church Street
残念ながら工事中で殺風景。 -
大聖堂広場。
ピーターバラ大聖堂の尖塔が見えています。
このあたりで雨が降り始めたため、早足で大聖堂の中へ。 -
ノーマン・ゲート
Norman Gate
ピーターバラ大聖堂の敷地内への入口。
ノルマン時代からある門、ということなのでしょうか?
ちなみにこれは帰りに撮影したものです。
行きは雨で写真どころではありませんでした。 -
ピーターバラ大聖堂
Peterborough Cathedral
一時的に雨が上がった帰りに撮影した写真。
ウエスト・フロント(西正面)の三連アーチが圧倒的。 -
ウエスト・フロント
West Front
ゴシック様式のアーチを下から見上げたところ。
ピーターバラ大聖堂の建築史では後期の1238年に完成。 -
ピーターバラ大聖堂の平面図。
建物本体は12世紀に完成したノルマン様式のまま。
大規模な増改築をされなかったので、シンプルな形状です。 -
ピーターバラ大聖堂の身廊。
大理石製の洗礼盤(Font)は13世紀から設置してあるもの。 -
西暦800年のピーターバラ修道院。
ピーターバラに最初の修道院が建築されたのは655年。
アングロ・サクソン七王国のひとつマーシアの王子ペーダは、強大な父王ペンダによって衛星国ミドル・アングリアの王位に就き、北の大国ノーサンブリアの王女と婚姻。
異教信仰が残っていたマーシア王国とは異なり、アイルランドからケルト系キリスト教が伝播していたノーサンブリア王国の文化に感化されたペーダは、マーシアとミドル・アングリアの国境の地ミーズハムステッド(Medeshamstede)に聖ペテロに捧げる修道院を建立しました。
父の没後マーシアの王となったペーダは半年もしないうちに妻に謀殺されますが、聖ペテロの修道院は発展を続け、ミーズハムステッドはやがてピーターバラ(Peterborough=ペテロの町)と呼ばれることになります。
この当時の修道院は、漆喰塗りのまだ素朴な建物。
敷地は垣根で囲まれただけ。
本堂は木製の屋根ですが、付属施設はわら葺きでした。 -
西暦1070年のピーターバラ修道院。
最初の修道院は870年のデーン人、いわゆるヴァイキングの襲撃により一度壊滅しました。
しかし970年にはベネディクト修道会により二番目の建物が完成。
今度は身廊の外側に側廊を備えた大きな教会堂になりました。
西塔は“ライン川の兜(Rhenish helm)”と呼ばれるドイツ風。
外敵の襲撃に備えて、修道院長センウルフが1000年に敷地周囲に石壁を構築しました。 -
西暦1190年のピーターバラ修道院。
征服者ノルマン人の治下で、同時代の他の多くの教会と同じく、当時最新のフランス式(大陸のロマネスク様式、イングランドのノルマン様式)に建替。
これが現在まで残るピーターバラ大聖堂の建物となります。
ピラミッド屋根のセントラル・タワーは、現在より高い塔でした。 -
最盛期のピーターバラ修道院。
ゴシック様式のウエスト・フロントと建物東端を追加。
ほぼ現在のピーターバラ大聖堂と同じとなりました。
当時はイングランドでも有数の大修道院で、聖具室係、食料品保管係、養護士、施物分配吏など、総勢120人の修道士が院内で生活していました。 -
石材の運搬の図。
遠くの石切場から、はしけ船でネーン川を遡上。
流れが急な所では、両岸から人力で引っ張りました。 -
ピーターバラ大聖堂の身廊の壁面。
端正な半円アーチのノルマン様式です。
彩色された木製の天井は1230年〜1250年頃の製作。
同種のものでブリテン島に現存する唯一のものだとか。 -
ピーターバラ大聖堂の側廊。
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側廊の壁面のブラインド・アーケード(装飾列柱)。
半円アーチが重なって、内側に尖頭アーチができています。
イベリア半島のイスラム建築にも見られる意匠。
のちのゴシック様式の象徴である尖頭アーチの原型という説も。 -
吊り下げられた十字架
The Hanging Crucifix
1975年の奉納物。 -
北西の鐘楼にあった時計。
1450年〜1836年まで使われていました。
腕の立つ職人でもあった修道士たちが自作したもの。
規則正しさが求められる修道院の生活は、機械式時計の進歩に大きく貢献しました。 -
聖歌隊席
The Choir Stalls
現在のものは1800年代後期の製作。 -
聖歌隊席の背に描かれた図章。
コンパス。 -
聖歌隊席の背に描かれた図章。
ダヴィデの星。 -
真鍮の鷲の聖書台。
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セントラル・タワー
The Central Tower
高さ44mの塔。 -
内陣
Sanctuary
身廊と同じ建築様式。 -
イングランド国教会のピーターバラ主教座。
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内陣の天井。
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王妃キャサリン・オブ・アラゴンの墓
Queen Katharine of Aragon's tomb
ヘンリー8世の最初の妻。
1536年1月にここに埋葬されました。
スペインのカトリック両王(カスティーリャ女王イサベルとアラゴン王フェルナンド2世)の娘で、神聖ローマ帝国の皇帝カルロス5世の伯母という由緒ある血統。
墓所に掲げられた旗にも、イングランド(三頭の獅子)、フランス(百合)の他、カスティーリャ(城、キャッスル)、アラゴン(赤と黄のストライプ)、レオン(獅子)などスペイン王家の紋章も見えます。
のちにイングランド女王となる娘メアリーを得ましたが、男児には恵まれず、ヘンリー8世が申し立てた婚姻の無効(離婚)をローマ教皇が却下したことから、イングランドがカトリックと決別するきっかけとなりました。
ただしローマ教皇が婚姻の無効を認めなかったのはハプスブルク家のカルロス5世への配慮とも言われ、イングランド国教会成立の原因は、単純にヘンリー8世が侍女のアン・ブーリンと再婚したかっただけではなく、政治的な問題でもありました。 -
建物東端
The Eastern Building
内陣を囲むように増築された、大聖堂で最も新しい建築箇所。
1500年完成。
イングランド・ゴシックの特色である華麗なファン・ヴォールト天井。 -
ヘッダ・ストーン
The Hedda Stone
ピーターバラ大聖堂に現存する最古の遺物。
870年にブリテン島に侵攻して七王国のひとつイースト・アングリアの王エドマンドを“殉教”させたデーン人(ヴァイキング)の一団がピーターバラにも襲来、修道院長ヘッダを含め当時の修道士全員が殺されるという惨事が起きました。
この石はそのときの修道士たちの墓碑。
屋外にあったものが、増築された建物東端に移設されました。 -
スコットランド女王メアリーの前埋葬場所
The former resting place of Mary, Queen of Scots
イングランド女王エリザベス1世に反逆を企てたとして刑死。
1587年に一度はここに埋葬されました。
しかし息子がのちにステュアート朝のジェームズ1世としてイングランド・スコットランド両国の王として即位したため、母メアリーの遺体は1612年にロンドンのウェストミンスター寺院に“栄転”となりました。 -
宝物庫
The Treasury
銀食器などの聖具を展示。
ドイツやフランスの大聖堂の宝物に比べると、イングランドのは素朴。 -
ピーターバラ大聖堂の東側外観。
円形のところが内陣、四角形の外周が増築された建物東端。 -
大聖堂敷地内の墓碑。
十字に丸を重ねたケルト十字架はアイルランド系キリスト教の象徴。 -
中庭
Cloister -
日時計。
南の壁面に貼られたもの。
VII(午前7時)からV(午後5時)までを表示。
残念ながら曇天のため用を成していませんでした。 -
日時計。
ウエストフロントに貼られたもの。
II(午後2時)からVIII(午後8時)までを表示。
西面にあるため、針と目盛が普通の日時計と異なります。 -
大聖堂広場。
また雨が降り始めてきました。
しかも折り畳み傘では折られてしまいそうなほどの風も。
遠くの空には晴れ間が見えているのですが・・・
ネーン渓谷鉄道の見学はあきらめ、次の訪問地イーリーへ。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 迷子さん 2010/10/06 01:19:50
- 今晩はです。
- 凄く重量感のある堂々とした聖堂ですね、
天井までも見事なこと!
それに丁寧な解説にも勉強になりますm(__)m。
ここがスコットランドのメアリー女王が
(ウェストミンスターに栄転?)するまで
埋葬されていた場所だったんですね〜。
キャサリンのアラゴンもここだったんだっ!
一応は一時皇太后だったのにここなんだ・・・・・・・。
(離縁されちゃうとウェストミンスターには入れてもらえない?!)
この2人の女王様を埋葬した埋葬人の肖像画が
飾られてるそうですね、ご覧になりました?
続きの大聖堂ご訪問も楽しみにしています、ヨロシクです。
(リンカーンも行ったかなぁ〜、自分が行けないので期待するです)
- Giraudさん からの返信 2010/10/07 07:28:33
- RE: 今晩はです。
- 迷子さん
私の旅行記に訪問いただきありがとうございます。
>それに丁寧な解説にも勉強になります
ほとんど帰ってきてから調べたことです。
旅行中は何もわからず写真だけ撮っていました。
残念ながらリンカーンは行っていません。
ピーターバラと次のイーリーをのぞくと、あとは有名どころばかりです。
迷子さんはリンデスファーンも訪れていてすごいですね。
時間のあるときに、ゆっくり旅行記拝見させていただきます。
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