2010/09/20 - 2010/09/20
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granateさん
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3日ぶりのサンパウロは、雨でした。
そして今日は、月曜日。
これから4時間のサンパウロ市内観光に出かける予定なのですが、当初考えていた博物館や資料館は、揃いも揃って皆休館日。
さて、どこに行きましょうか?
空港では、日系2世の女性ドライバーガイドのHさんが、私を出迎えてくれました。
顔は確かに日本人、でも、とてもパワフルで歯に衣を着せぬ彼女は、間違うことなく確かにブラジルの女性なのでした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
14時少し前に飛行機は、サンパウロ・グアルーリョス国際空港に到着いたしました。
-
外は、なんだか曇っているようでした。
-
夜のJALサンパウロ線に乗るまでの、限られた時間での観光です。
どうかこの先は、スムーズに進みますように。 -
入国審査を受け、預けたスーツケースを取りに行きます。
-
意外にも、スーツケースは既に飛行機から全て下ろされているようでした。
-
こちらは私の物ではありませんが、南米各国やスペインの空港で見かけた、
<スーツケース・黄緑色にグルグル巻きラッピング>された物のようです。 -
スーツケースを受け取ると、その後方に両替カウンターがあったので、
とりあえず120ドルをヘアイス(レアル)に両替しました。
ブラジルで話されているポルトガル語となると、また r の発音がハ行に変わったりするので、注意が必要です。 -
ここでは、現地の日本語ドライバーガイドさんが待っていてくれる予定になっています。
日本から予約をした際に、N社の方が、ドライバーとガイドにするよりも、
ドライバーガイドの方が経済的なのでと教えてくれたからです。
出口付近を見ますと、一見日本人の女性が、私の名前のプレートを持っておりました。
g「gです。はじめまして、よろしくお願いします。」
ドライバーガイドさんは、Hさんという日系2世の女性でした。 -
g「N社の方からは、サンパウロに着いてからドライバーガイドさんと行く所を相談してくださいって、言われているんですけど、
今日は月曜日なんですよね。
博物館も資料館もみんなお休み。移民関連の博物館に行きたかったんですけど。」
Hさん「そうですね。こちらでもどこがいいか考えてみたんですけど、
どうですか?
アイルトン・セナのお墓にまず行ってみませんか?」 -
g「セナのお墓!
行きたいです。いいんですか?」
実はアイルトン・セナのお墓はサンパウロでも少し遠い感じだったので、
行きたいと思いながらもあきらめていたのです。
Hさんによれば、まず遠い所から再度空港に戻ってくるつもりで考えていたそうで、全く問題は無いとのことでした。 -
おみやげの うなぎパイを渡し、さっそくHさん運転の車に乗り込みます。
しばらくは、郊外のハイウェイといった風景が続きましたが、
それにしても平日の午後の早い時間にしては、ものすごい交通量です。 -
やがて車は市街地へと入りました。
画像は、サンパウロ市街が一望できるという銀行のタワービル。
15時には閉まってしまうので、今回は見送りとなりましたが、
Hさんのイチオシポイントなのだそうです。 -
今回サンパウロにやってきたのは、JALの便が出るからということもありますが、日系人の人々のことをもっと知りたかったからということがありました。
実は私の母方の祖父の兄は、遠い昔ブラジルに移民しています。
確か<アサイ市>というところに住んでいたはずなのですが、
ネットで調べてみても、イマイチその市について知ることができませんでした。 -
Hさんに聞いてみたところ、アサイ市は、実はアサヒ市のことで、
おそらくパラナ州なのではないかとのことでした。
実際のところ、サンパウロからは遠いようでした。
その他、Hさんの話からいろいろと情報をもらえたので、
また日本に帰ってからネットで調べてみようと思いました。
「昔、<ブラジルは人種のるつぼである>って社会科で習ったんですよね。
あ、Hさん、<るつぼ>って分かります?」
「るつぼ?????」 -
さらに車は、高級住宅街を抜けてゆきます。
Hさんについては、旦那様や友人とこのドライバーガイドの会社を経営しており、最近になりホームページを立ち上げたとのことでした。
ちなみに旦那様も日系人で2人のお子さんがおり、家の中では日本語で話すというルールを作ってきたのに、お子さんたちが次々と脱落して、結局のところ現在は家でもポルトガル語になってしまったのだそうです。
でも、高校生になったお子さんが、
「どうして日本語を話せるようにしてくれなかったんだ!」
と言ったため、
「あなたがやめちゃったんじゃない!」
と少々やりあったそうです。 -
「日本語って、難しいですよね。裏と表があったり、本音を隠したりすることのある言葉ですから。」
と 私が言うと、
「そう、そう!」
と Hさんも言いました。 -
日系人としてもちろん日本語も話すHさんですが、やはりブラジル人。
考え方は、すでにブラジル人としての方が強いようでした。
Hさん「たとえばブラジル人から、『今度家に遊びにきてね!』って言われたとするでしょ、これは本当に来てねってことなの。
ブラジルでは絶対にキライな人には こんなことは言わないの。
実際に来ちゃうし、来られたら嫌だから。」
g「でも、日本人なら言いますよね。社交辞令で。来られても嫌だけど、まさか本当に来るとは思わないから言ってしまう。」
Hさん「そうそう、それがブラジル人と日本人の違いね。
それとね、ブラジルの人ってみんなとても優しいの。
日本人から見るとおせっかいな位に。
知らない人でも、困っている人がいると放っておけないの。」 -
g「でも、サンパウロには駐在員さんとか日本人が多いから、いろいろとあるでしょうね。」
Hさん「そうなの。あるんだけど、そういった違いは分かっているから、その辺は割り切っているよ。」
g「そうなんですか。最近は景気が悪くて減っているみたいですけど、一時は大勢いた日本に働きに来ている日系ブラジルの人から見ると、
日本って、ひどく冷たい国に見えたでしょうね。」
Hさん「私は日本には行ったことが無いけど、あらかじめそういった違いについて理解していった人は大丈夫だったみたいだけど、そうでない人は、かなり精神的に辛かったみたいよ。」 -
などなどいろいろな話をしておりましたが、
時折日本人である私には、キッツ〜いコメントもありましたが、
そこはHさんは日系いえどブラジル人。
表裏の無い、率直な気持ちから来ているのでした。 -
空港からかなりありましたが、アイルトン・セナの眠る
モルンビー墓地にやってきました。 -
駐車場に車を止め、そのまま真っすぐ歩きます。
-
アスファルトが切れると、そこは一面、芝生の様な草で覆われておりました。
-
墓地の中には道は無く、こうしたプレートのみのお墓の脇を通っていきました。
ブラジルでは、亡くなられた方々は火葬ではなく土葬されているので、
もしかしたら、その一部の上を通ってしまっているのではと、
ちょっと気がひけますが、そのまま横を歩いてゆきます。 -
アイルトン・セナのお墓には多くの人々が通うため、そこへ行く部分だけが踏みしめられて、芝生のような草が、無くなってしまっています。
そのため、また生えてくるようにと、肥料がまかれていました。 -
こちらが、セナの墓です。
辺りにロープが張られているのも、お墓の周りの芝生のような草が踏まれて枯れてしまわないようにとのことでした。
有名人のお墓だから、てっきりロープが張られているものとばかり思っていました。 -
彼についてのウィキペディア内の事項を、一部抜粋させていただきます。
アイルトン・セナ(1960.3.21-1994.5.1)
史上最速、最高のF1ドライバーと称される彼は、サンパウロの裕福な多角経営者の子として生まれ、4歳の時に父からレーシングカートを与えられています。
13歳にはカーレースに参加するなどその頭角を現していきます。
1994年4月末、背水の陣で迎えた第3戦サンマリノGPは、予選から重大事故が多発します。
まず予選1日目には、親密な間柄であったのルーベンス・バリチェロが大クラッシュを起こし、翌4月30日の予選2日目には、クラッシュしたローランド・ラッツェンバーガーが死亡しました。
F1グランプリ中、12年ぶりに起きた死亡事故に、セナの心も揺れます。
これら一連のアクシデントの中で、セナは心理的に不安定な状態となり、
電話で恋人に「走りたくない」と話していたことが後に語られていますが、夜には落ち着きを取り戻していたといいます。
セナは決勝をスタートし、1コーナーでも首位をキープしましたが、後方での事故があり、再スタートが切られた後の7周目(現地時間午後2時17分)にコースアウトし、コース右脇のコンクリートウォールに激突、病院に搬送されましたが、そのまま帰らぬ人となりました。
その時、まだ34歳の若さでした。 -
セナの墓碑(プレート)には、
NADA PODE ME SEPARAR DO AMOR DE DEUS
<神の愛より我を分かつものなし>
と 刻まれています。
ブラジル政府は、セナの死に対し国葬を執り行い、
また彼の命日は、<交通安全の日>に制定されました。
それだけに、どれだけ彼が偉大な人物であったのかが偲ばれます。 -
ちなみに今年は彼の生誕50周年にあたり、
セナのドキュメンタリー映画が製作され、この10月より日本でも公開されています。
セナの墓に花が絶えることはなく、今回は私たちだけでしたが、
世界中から彼のファンが彼を偲んでここを訪れるそうです。 -
幾度ともなくテレビや雑誌で見たセナが、ここに眠っている・・・。
墓碑を目の前にしていても、なんだか不思議な気がしました。 -
先ほどまで降っていた小雨は、どうやら止んだようでした。
先ほどまで別の葬儀が行われており、参列していたと思しき人々が、
遠くに見えました。 -
ブラジルだけあり、お墓に備えられている花も、カラフルでした。
-
途中、名の刻まれていない番号だけのプレートもありましたが、
そのお墓は空いているのだそうです。 -
その他はこのように、墓碑のプレートが置かれています。
-
こうして私たちは、モルンビー墓地を後にしました。
-
次に向かいましたのは、サンパウロFCスタジアムです。
-
駐車場に車を置き、中に入ります。
-
一面に広がるスタジアムに、
-
圧倒されます。
-
ズームで、なんとかエンブレムを撮ります。
-
こちらは、かつてのトヨタカップ
-
優勝記念にまつわる品々です。
-
こちらの観客席の後ろは、
-
サンパウロFCのオフィシャルショップになっています。
-
サッカーファンの甥っ子が来たら、
大喜びすることでしょう。 -
流石にオフィシャルショップだけのことはあり、
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品は良いけど、やっぱり高い!
-
甥っ子2人と私のためにキーホルダーを3個購入しました。
エンブレムの物を2個と、Tシャツ型のものを1個です。
オフィシャルショップだけあり、包装も丁寧で、
一度開けたらそれまでです。 -
自分用にと、試しに1個開けてみたら、Tシャツのものでした。
-
その他、珍しい物として、水着が売られていました。
-
せっかくのサンパウロFCスタジアムなので、職場にも何か買おうと思いましたが手頃な物はありませんでした。
-
「日本だったら、クッキーとかおまんじゅうとか売っているんですけどね。」
と Hさんに言ったところ、
「無いね。ブラジルには無いね。」
と スパーンとやられました。
エンブレムのクッキーとかあったら、買ったのに。 -
サッカーといえば、ワールドカップもブラジルで開催される予定ですが、このサンパウロFCスタジアムも開会式会場に名乗りをあげたところ、
-
7万人も収容できる規模であるにも関わらず、近隣に満足な駐車場を確保できないとのことで、却下されてしまったそうです。
-
ちなみに本日、駐車場料金はタダでした。
-
オフィシャルショップは物の値段が高いと言っていたら、
-
そこから少々西に車を走らせ、
-
Hさんがよくお客さんを連れてくるという、
サッカー関連のお土産屋さんに連れて行ってくれました。 -
そこでブラジル国旗のタオルを3枚購入。
1枚 56ヘアイス
ちなみにその前に、ハンドタオルかハンカチがないか尋ねてみたところ、
Hさんいわく、ブラジルにハンカチは存在せず、Hさんの家にはお土産にもらったハンカチが未使用のまま山積みされているそうです。 -
g「じゃあ、汗とかは何で拭くんですか?」
Hさん「汗はかかない。」
g「トイレで手を洗った後は、何で拭くんですか?」
Hさん「ティッシュで!」
Hさん・・・、たぶんそれってペーパータオルのことなんでしょうけど。。。。
ここでも、異文化コミュニケーションとなりました。
画像は、タオルのおまけにもらったキーホルダーです。 -
これで、あとはお菓子のお土産が買えれば・・・というところです。
道端では、サッカーのユニフォームのTシャツが売られています。 -
さらに車を走らせ、サンパウロ市街方面に向かいます。
-
やっぱり渋滞しています。
-
なんとこの3連、
-
バスなのだそうです。
-
と、辺りをみているうちにカフェに到着しました。
ここでは、ガイド料と別に、駐車場代とガイドさんの分も含めた飲食代を後で払います。 -
キレイなカフェです。
「いつも来るんですか?」とHさんに尋ねたところ、
「仕事でしか来ないよ。」
とのことでした。 -
甘いものも、
-
軽食風のものもあります。
-
ドリンクは、こちらから。
せっかくブラジルに来たのですから、本場のポン・デ・ケージョが食べたいと言ったら、
ブラジルでもそれは大人気で、焼くのが追い付かず、15分待ちだとお店の人に言われてしまいました。 -
何にしようか迷いましたが、せっかくなので、
これぞブラジル!というものをHさんに選んでもらうことにしました。 -
こちら、COXINHA コシーニャと言いまして、
<小さいもも>という意味なのだそうです。
ちなみにHさんの発音が<桃>の発音だったので、 -
中から鶏肉が出てきて意外に思ったのですが、
同じ<もも>でも、<腿>の方だったのですね。
本来は、鶏の腿肉を、丸ごとジャガイモベースの生地で包んで作るのだそうです。
中身は、鶏肉、玉ねぎ、トマト、チーズなどで、これなら日本に帰ってからも作る事ができそうです。 -
そしてこちらが、Hさんの注文した、
EMPADA エンパーダと言いまして、 -
同じくジャガイモベースの中に、練った肉が入っておりました。
名前は似ていますが、エンパナーダとは別物とのことでした。 -
そしてこちらは、CROQUETE DE CARNE クロケッテ デ カルネ
牛肉コロッケとのことでしたが、なんでしょう、コンビーフのような味がしました。
ここでジャガイモベースの軽食を食べたこともあってか、日本に帰ってからコロッケにハマリ、fさんの家にお土産を持って行った時にも、コロッケを買って持って行くほどでした。
お肉屋さんで揚げてもらったものと、コンビニのコロッケを持って行ったのですが、コンビニのものの方が、サンパウロでの物に近い味でした。 -
飲み物はカプチーノを注文しました。
-
こちらのミニ炭酸水で、カプチーノを割って飲むのだそうです。
-
お次は甘いものということで、進められたのがこちら、
BRIGADEIRO ブリガデイロです。 -
これがまた、極甘!!!
誕生日などの祝い事で食べるお菓子とのことでした。
チョコレートを、さらにコンデンスミルクで練ったものなのだそうです。 -
そして、Hさんは
「ちょっとコレ見ててね。」
と言って、椅子に荷物を置いたままお手洗いに行きました。
*ここは、ブラジルサンパウロ。
手荷物は体から離さないようにしましょう!* -
これにHさんのコーヒー代を付けて、22ヘアイスでした。
駐車場代は、3ヘアイスちょっとで、12〜3ドル位でしょうか。 -
カフェを後にし、今度にスーパーに向かいました。
-
こちら、サンパウロのどこかにあるカルフールです。
実は、ブラジルのスーパーでもしたいことがありました。 -
それは、そう、我が愛するBIMBOのパンの、南米内南限探しです。
ちなみにアルゼンチンには、なさそうでした。
「BIMBOっていう、本来はメキシコの会社のパンを探しているんです。」
と パン売り場にてHさんに言ったところ、
「パン?パンって主食でしょ?この豊かなブラジルが他国からパンを輸入するなんて、ありえない!」
と これまた一蹴されてしまいました。
流石Hさん、ハッキリしてる。。。
画像は、3年前のペルー・クスコにて
我が愛するBIMBOのパン
BIMBOのパンの南米南限って、一体どこにあるのでしょう? -
時間の無い中、美味しくて、重さがそんなになくて、体積も取らない
お土産用のお菓子を探します。
こちらは、中が個別包装されたウエハースサンドのお菓子です。
もう2種類位の味がありました。 -
左側:気持ちが落ち着くというお茶。
そしてインスタントコーヒーを探していると言ったところ、
Hさんの表情が途端に険しくなりました。
Hさん「インスタントコーヒーなんて!
あんなもの飲み物じゃない!!!
コーヒーは、ちゃんと豆から入れなきゃダメ!」
それでもここはカルフール。
たくさんのインスタントコーヒーが並んでいます。
g「その中でも、少しは美味しいインスタントコーヒーは無いですか?」
Hさん「無いっ!!!インスタントコーヒーに美味しいものなんて存在しない!」
(スゲー!ブラジル人スゲー!)
と思いましたが、それほどまでにブラジルのコーヒー豆を愛して誇りに思っている訳ですね。
Hさんのプライドを傷つけて大変申し訳ないのですが、それでも日本人は、
<世界のネスカフェのブラジルのインスタントコーヒー>を買いました。 -
という訳で、こちらHさんから勧められたコーヒー豆も、ちゃんと購入しました。
最近では、サンパウロ州よりも、ミナ州のコーヒーの方が質が良いとのことでした。
その他、Hさんおすすめのカロリーゼロのフルーツ味の炭酸水を購入しましたが、画像を撮り忘れた上、飲む前に出国手続き前の荷物チェックで、やむなくお別れという憂き目に合いました。 -
などと、いろいろおもしろいことがありまして、最後はカルフールの地下駐車場にて最終的なスーツケースの荷造りをします。
少しでも空きを作るため、ウェットティッシュやデオドラントシートは、Hさんに引き取ってもらいました。
そして、山のようにあった水に流せるティッシュをHさんに見せ、
「Hさん、コレ、なんとトイレに流せるテイッシュなんですよ!!!
・・・あ、ブラジルじゃあ流さないんでしたよね、元々。。。」
Hさん「はい。」
などといったやり取りをしながらも、結構なペーパー系をHさんに押しつけてしまいました。
Hさん、すみません。その節は大変お世話になりました。 -
ここから空港までは、まだまだ時間がかかるとのことでした。
日も暮れてきましたが、日本からリクエストしていたリベルダージの日本人街行きのことを尋ねてみたところ、
「最近のあそこは、おもしろくないから。」
と、またしても一蹴。
「あそこに行きたかったんですよ。。。」
と言ったところ、丁度空港までの近道になるからと通ってくれることになりました。 -
ただ今の時刻は、18時過ぎ。
ちょうど仕事を終え、夜間の大学に行く人々を多く見かけました。
ブラジルでは、何よりも優先されるものはまず<経験>で、人々も働いてから大学に通うのが大半なのだそうです。
逆に高校を出てすぐに大学に行った人は、
「あなた何をやってきたの」
と 就職活動時に言われてしまうそうで、働きながら大学に通う人の方が有利になるのだそうです。
国によっても、いろいろと事情が変わってくるのですね。 -
「あ、あそこ!」
とHさんが言いました。 -
今日カフェで食べた軽食は、普通はこのようなお店で食べたりするのだそうです。
「きれいなカフェもいいんですけどね、旅行者の一部は、こういった普通のお店に入りたかったるするものなんですよ。」
と、新たに日本人観光客獲得業に意欲を燃やすHさんに伝えました。 -
そろそろリベルダージの日本人街に入って来たようです。
-
昔はその名の通り日本人の街だったのですが、
今ではそれ以外のアジアの国の人がメインになってしまったのだそうです。
そしていろいろあって面白かった看板にもその大きさに近年規制が入り、
撤去せざるを得なかったそうです。
そのあたりから、Hさんの「最近のあそこは おもしろくない。」
という発言が出たのでしょう。 -
最初は車内から撮影しようかと思いましたが、
「少しだけなら、降りる時間あるよ!」
とHさんが言ってくれたので、その言葉に甘えます。
夜の鳥居と -
大坂橋。
-
これで、サンパウロでの希望がすべて叶いました。
Hさん、本当にありがとうございました。 -
気がゆるんだためか、ここで一気に眠気が来ました。
「JALのチェックインカウンターは、7時にならないと開かないし、
まだまだ空港までは時間がかかるから、眠っていても大丈夫よ。」
と いうHさんの言葉に甘えて、私もうつらうつらとし始めました。 -
車を走らせながらも、Hさんの話は続きます。
Hさんは最近になり沖縄そばを食べに行ったそうで、沖縄そばが出てくるまでものすごく待たされたものの、その分の美味しさは格別だったとのことで、その話しぶりも、それはそれは嬉しそうでした。
まだ、日本を訪れたことのないというHさん、ぜひ京都に行ったり、
沖縄に行って、本場の美味しいソーキそばを食べて欲しいなぁと、私は半分眠りながら思いました。
なんだかこの景色、本当に一昔前の日本のどこかのようです。
一時期止んできた雨も、また降り始めてきたようです。
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