2002/09/21 - 2002/09/22
231位(同エリア7215件中)
エンリケさん
旅行7日目。
モンペリエでの一夜が明け、体調も回復してきました。
この日はいよいよスペイン・バルセロナへ。
何度も写真で見たガウディの建築群への期待にモチベーションが再び高まります。
そして・・・バルセロナの街はサグラダファミリアをはじめとするガウディの建築群の実物に驚き・圧倒の連続でした。
その塔から眺めるサグラダファミリア自身とバルセロナの夕景は一生忘れられないものになりました。
<旅程表>
2002年
9月15日(日) 成田→アムステルダム→ニース
9月16日(月) ニース→エズ
9月17日(火) エズ→アンティーブ
9月18日(水) アンティーブ→マルセイユ→アルル
9月19日(木) アルル→アヴィニョン
9月20日(金) アヴィニョン→ポンデュガール→ニーム→モンペリエ
○9月21日(土) モンペリエ→バルセロナ
○9月22日(日) バルセロナ
9月23日(月) バルセロナ
9月24日(火) バルセロナ(メルセ祭)→フィゲラス→バルセロナ
9月25日(水) バルセロナ→アムステルダム→
9月26日(木) →成田
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- KLMオランダ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
9月21日(土)
前日はモンペリエでダウンしてしまいましたが、早めに宿で休んだおかげで体調はなんとか回復してきました。
この日はいよいよスペイン・バルセロナ入りです。
スペインの特急列車タルゴ(Talgo)に乗って国境のピレネー山脈を越え、バルセロナへと向かいます。早朝から4時間半の列車の旅。
国境を越えたところで車掌が切符を確認しにやってきます。
フランス・スペインはシェンゲン協定加盟国であり、またこの年の1月から統一通貨ユーロを導入しているため、パスポートチェックも両替も要りません。
便利になったものだと感心してバルセロナまで行けるはずが・・・ここでトラブル。
車掌から、切符が違っているとのことで次の駅で降りるよう指示されてしまいました。。
モンペリエの国鉄の窓口でタルゴの特急切符を買ったつもりだったのですが、どうやら通常の切符だったようです。どうりで安いと思った。。
観光客だから大目に見てくれたせいか、違法乗車の罰金を要求されないだけマシでした。
仕方なく次の駅で降り、鈍行でバルセロナを目指します。
時間がかかりながらもお昼を過ぎた頃にバルセロナの中心部パセジ・ダ・グラシア(Passeig De Gracia)駅に到着。
そして日本から予約していた、カタルーニャ広場近くのランブラス通りに面したホテル“ジョレット”(Lloret)にチェックイン。
古いながらも交通の便がよく廉価で経済的なホテルです。
荷物を置いて街歩きへ。
まずはやはりサグラダファミリアを目指します。
地下鉄サグラダファミリア(Sagrada Familia)駅を出るとすぐ目の前に憧れのガウディの傑作が・・・でも写真で見ていた姿と何か違う? -
実はサグラダファミリアには東西南北違ったファサード(正面)があり、日本でよく目にするのは東側の“生誕のファサード”。
こちらは西側の“受難のファサード”なのです。
最初に西側に来てしまったため、あれっと違和感を覚えてしまいました。。
しかしこちら側にもサグラダファミリアを象徴するクレーンが見え、この大聖堂がいまだ建設中であることを物語っています。
この日は土曜日だからか観光客の数もかなり多く、周りのみやげ屋が大賑わいです。
この時のサグラダファミリアは世界遺産登録前でしたが(登録は2005年)、芸術にはそんなこと関係ないですね。 -
しばし西側の“受難のファサード”に見入ります。
“受難”とはイエスの受難を差し、イエスの最後の晩餐から磔刑、昇天までの有名な場面が彫刻されています。
よく目にする東側の“生誕のファサード”とは異なり、こちらはカクカクした現代彫刻で表現されているのが特徴です。
そしてファサードの上の4本の塔にはイエスの12使徒のうち4人が現代彫刻で表現されています。
左からヤコブ、バルトロマイ、トマス、ピリポ。
彫刻の左側にちゃんと名前も刻印されています。 -
こちらの使徒はヤコブとバルトロマイ。
バルトロマイは皮剥ぎの刑で殉教したといわれ、自分の皮とナイフを持った姿で描かれることが多いのが特徴で、この彫刻も例にもれずナイフと皮を手に持っています。
そういえば、ミケランジェロの“最後の審判”にも、若きイエスの右下に剥がれた自分の皮とナイフを持った姿で描かれていますね。 -
あらためて、西側の“受難のファサード”を見上げます。
塔の高さは100mもあり、全体が写真に収まりきりません。
なお、東西南北の4つのファサード(うち南側の“栄光のファサード”は未完成)のうち、東西南の3つにはそれぞれ12使徒を表す4本ずつの鐘塔(高さはみな100m)が建てられる予定です。
東(生誕)はベルナベ、シモン、タダイ、マティアス、西(受難)はヤコブ、バルトロマイ、トマス、ピリポ、そして南(栄光)はアンデレ、ペトロ、パウロ、ヤコブです。
正確には12使徒にはベルナベ(小アジアとキプロスで布教)とパウロ(ご存じローマで殉教)は含まれませんが、別に建てられる福音書家マタイと裏切り者ユダの代わりに入れたのだそうです。
そして中央に最大のイエス(170m)、その周りの少し低い位置に4人の福音書家(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)、北側には第二の高さのマリア(125m)の鐘塔が建てられ 塔は最終的には計18本になるとのことです。
高さ170mのイエスの塔が完成すれば、157mのケルン大聖堂を抜いて世界第2位の世界遺産になります(第1位はエッフェル塔で高さ324m)。 -
キリスト教の物語が分かると塔を見る目も変わってきますね。
さて、サグラダファミリアの入口にはかなりの観光客が並んでいて待ち時間がかかりそうだったので、また後で来ることにし、バルセロナに来たもうひとつの目的、FCバルセロナの試合観戦のチケットを買うべく、カンプノウスタジアムに行くことにしました。
この日の試合は同じくバルセロナに本拠を置くRCDエスパニョールとのバルセロナダービーだったのですが、少し並んで当日券を買うことができました。
そのあとはスタジアムに併設されているFCバルセロナミュージアムを見てしばしサッカーに浸ります。 -
バルセロナダービーは21時からで、まだかなり時間があったので、気になってサグラダファミリアに戻ってみました。
すると、開館時間を過ぎているのに東側にたくさんの観光客が集まっています。
何かと思って注目していると、白いズボンにピンクやブルー、グリーンなどの衣装で色分けされた何組かのチームが、“人間の塔”(巨大な組み体操ようなもの)をつくり始めているではありませんか!
巨大なサグラダファミリアをバックに人間が積み重なって塔を作り上げていく姿はなんとも壮観です。
中にはチビッ子のチームもあり、周囲の応援の中、残念ながら途中で崩れてしまっています・・・。
“人間の塔”はバルセロナのあるカタルーニャ州に伝わる伝統行事のひとつで、おそらく24日に予定されているメルセ祭の前夜祭的なものだったのでしょう。
急だったのでデジカメには残せませんでしたが、“イベントシティ”バルセロナでいきなりおもしろいものを見せてもらって、何だかトクした気分です。
【参考:AFPBB News(2007年8月31日)より“人間の塔”コンテスト】
http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2274762/2059553?pageID=2 -
さて、サグラダファミリアはこの日はイベントがあったせいか19時にはすでに閉館していたのですが、先ほどとは違う西側の“生誕のファサード”に惹きつけられ、しばし立ち尽くします。
写真で見ていたとおりの何とも表現しがたい威容。
そもそもこの教会は、民間カトリック団体“サン・ホセ協会”が、貧しい人々のために聖家族(サグラダファミリア=イエス、母マリア、父ヨセフ)に捧げる贖罪教会として建設を計画したものです。
初めは建築家フランシスコ・ビリャールが無償で設計を引き受け、1882年3月19日に着工したのですが、意見の対立から翌年辞任。
その後を引き継いで任命されたのが、当時無名だった31歳の建築家アントニ・ガウディです。
以降、ガウディは設計を一から練り直し、1926年に亡くなるまでライフワークとしてサグラダ・ファミリアの設計・建築に取り組んだのだそうです。
しかし、ガウディ自身が寄付を求めて奔走するも建築は遅々として進まず、ガウディの死後もいまだに完成には至っていません。
現在も贖罪教会というポリシーから入場料や寄付など細々とした収入で建築が進められており、完成するのは当分先のようです。
【サグラダファミリアHP】
http://www.sagradafamilia.cat/sf-eng/ -
左側(南側)の“栄光のファサード”に続くあたりは工事の足組がなまなましく、外壁もまだできたばかりのような新しい色をしています。
思うにサグラダファミリアは工事中だからこそ未完成・成長途中の良さがあるのであって、完成してしまったら魅力が半減してしまいそうです(笑)。 -
少しホテルで休んだ後、いよいよバルセロナダービーを観戦に、カンプノウへと向かいます。
スペインでは昼の暑い時間にシェスタ(昼寝)をして夜を楽しむ文化があるため、21時や22時開始の試合がザラにあります。
カンプノウはバルセロナ中心部に近い地下鉄マリア・クリスティーナ(Maria Cristina)駅から徒歩10分程度と非常に交通の便のいい場所にあるスタジアムです。
当日券を売っていたのでどうかと思っていましたが、スタジアムは最上席に空席が少しあるくらいでほぼ満員。
やはりダービーマッチは熱いです。 -
席はピッチに近い1階席。迫力ある試合が楽しめました。
当時のバルセロナはファンハール監督の下、クライファート、サビオラ、ルイス・エンリケ、シャビ、そして前シーズンまでのリバウドに代わって10番を背負うリケルメなど、豪華な攻撃陣がそろうタレント集団。
この日もクライファート、ルイス・エンリケの得点でエスパニョールを2対0で下し、最高のスタジアムでおもしろい試合を見せてくれました。
試合後、スタジアムを後にし、まだ賑わっている街中で夕食を済ませ、ホテルへ戻って長かった一日を終えました。 -
9月22日(日)
窓の外の大きな音に促され、目を覚まします。
外を見てみるとゴミ清掃車があちらこちらでゴミを収集しており、街をきれいにしていきます。
人が気付かない時間帯に街を掃除するのも大観光都市の重要な機能ですね。
さて、この日は日曜日。バルセロナの朝は遅いので、ゆっくりして10時過ぎに街にくり出します。
カタルーニャ広場を通って北のいちばんの大通りであるグラシア通りに出ると、前日は気づきませんでしたがいつの間にか歩行者天国になっています。
そして3mはあろうかというのっぽの民族衣装の男女が道を練り歩いています。 -
イベント用のテントもあちこちに張られていて、鼓笛隊もいます。
24日に予定されているバルセロナ最大の秋祭り、メルセ祭のプレイベントのようです。 -
観光客もたくさん集まってきています。
楽器を鳴らしながら街を練り歩いていきます。
最初バルセロナ旅行を計画したときは、メルセ祭のことは全く知らなかったのですが、思いもよらないイベントに出会えることになりました。
本当にラッキーです。 -
カサ・バトリョをバックに楽しい演奏が行われています。
ヨーロッパのお祭りはその伝統的な街並みと一体化して、落ち着いていて本当に平和な気分にさせてくれます。 -
さて、イベントの後を追っていたらいつの間にかカサ・バトリョ(Casa Batllo=バトリョ邸)の前まで来てしまいました。
ガウディがバルセロナに残した作品のひとつで、グラシア通りの普通の建物の中にとけこんで屹立しています。
バルセロナに来て感じたガウディ建築のすごいところは、こうした一見奇抜で街並みにあわないと思える建物が、それほど違和感なく街並みの中にとけこんでいるところです。
わたしは建築学に詳しくありませんが、根本的なデザインや色などが周りとの一体感を損ねていないということなのでしょうか。
この微妙な感じは現地に行ってみないと分からないかもしれません。
【カサ・バトリョHP】
http://www.casabatllo.cat/ -
最上階のアップです。
青を基調とした屋根と壁面のタイルが鮮やかです。
この邸宅の造形には様々な説があり、そのひとつとして、屋根が丸く盛り上がり、竜の背のように見えることから、カタルーニャの守護聖人であるサン・ジョルディの竜退治の伝説をなぞっているという解釈もあるそうです。
この解釈によれば左に見える塔は聖人の構える槍とされるとのこと。
カサ・バトリョはもともと1877年に建設された集合住宅だったのですが、大繊維業者ジュゼップ・バトリョ・イ・カザノバスの依頼を受け、1904年から1906年にかけてガウディが増改築を行ったものです。
この改築でガウディは、建物に5階と地下室を加え、玄関広間を広げ、階段や内壁を作り直し、各部屋に曲線的なデザインを持ち込んで、タイルやステンドグラスの装飾をほどこしたのだそうです。 -
1階(地上階の上の実質2階)部分です。
カサ・バトリョには、ファサードの石柱が骨を想起させることから、“骨の家”(Casa dels ossos)というあだ名もあり、前記の竜退治説によればこの骨も竜の犠牲になった者たちの骨と理解されているそうです。
この広い窓から分かるように、ガウディは邸内に自然光を効果的に取り込めるよう設計しています。そしてそのタイルの濃淡を変え、これらの光と色の効果により海底洞窟をイメージして作られたとする説もあるそうです。
ちなみに、カサ・バトリョの邸内は所有者であるベルナ家の方針でそれまでずっと非公開だったのですが、2002年、ガウディ生誕150周年の目玉イベントとして、1年限りの期間限定ということで内部見学ができるようになりました。
ちょうどその時期に訪れることができてラッキーだったのですが、好評だったせいか翌年も公開が延長され、その後も2005年に他のガウディ建築群と一緒に世界遺産に登録されたこともあり、恒常的に公開が行われるようになっています。 -
カサ・バトリョの内部見学を終え、次はグラシア通りを北西に進んでカサ・ミラ(Casa Mila=ミラ邸)へ。
ガウディが設計し、1905年から1907年にかけて実業家のペレ・ミラとその妻ルゼー・セギモンの邸宅として建設されたものです。
当初バルセロナ市民に毛嫌いされ、“ラ・ペドレラ”(石切り場)というあだ名をつけられたこの建物は、それ自体が曲線が強調された抽象彫刻作品となっており、今ではバルセロナを代表する歴史的建造物となっています。
現在はカイシャ・デ・カタルーニャ財団所有になっていますが、内部の二つのパティオ(中庭)と、煙突や通気孔などユニークなデザインの屋上が一般公開されています。
当初1984年に“バルセロナのグエル公園、グエル邸、カサ・ミラ”の名称で世界遺産登録されましたが、2005年にサグラダ・ファミリアやカサ・バトリョなどが拡大登録された際、世界遺産登録名が“アントニ・ガウディの作品群”に改められました。 -
屋上をズームアップしてみました。
なにやら奇妙な塔が立っています。
バルコニーのデザインも特徴的です。 -
カサ・ミラは直線部分を全く持たない建造物になっているそうで、それがとても印象的です。
外観の波打つ曲線は地中海をイメージして作られたそうで、一つ一つ異なるバルコニーは、鉄という本来固い素材を使いながら、まるで波に漂う海藻のような、柔らかな造形を生み出しています。 -
カサ・ミラの入口にはすでに多くの観光客が並んでいましたが、ここまできたからには時間を惜しまず並んで入って見ます。
屋上に行ってみるとそこには曲線を基調としたクリーム色の月面のような世界が。 -
塔のように見えるのは煙突なのだそうです。
この世にこんな建築物があるなんて・・・どこにもない世界、まるで夢の中の風景のようです。 -
宇宙人?のようにも見えます。
ガウディ独特のタイル使いです。 -
写真を何回撮っても飽きない風景です。
-
屋上からはサグラダファミリアの西側“受難のファサード”も見えます。
ガウディ建築はこうやってつながっているんだなあと感慨がこみ上げてきます。 -
中庭につながる地上階の天井です。
色鮮やかな洞窟のような印象です。 -
中庭は屋上まで吹き抜けており、採光を意識したつくりになっています。
内側の壁面もよくみると薄い青を基調とした彩色がなされており、海底をイメージしたデザインとなっています。 -
本当に色鮮やかな天井です。
波を打っていて、海底にいるような奥深さに包まれます。 -
最後に出入り口の門の写真をパチリ。
名残惜しいですが、まだまだたくさんのガウディの作品群が待ち受けているので、これでカサ・ミラを後にします。 -
続いてグエル公園(Parque Guell)へ。
市の中心部から少し北に離れた住宅街の中にあり、地下鉄レセップス(Lesseps)駅から歩いて10分ほどで着きました。
グエル公園は写真のように市内や地中海を見渡せる高台になっており、レセップス駅からだと登り坂がきついので、もうひとつ北のバルカルカ(Vallcarca)駅から歩いた方がいいかもしれません。
この公園はもともと1900年から1914年にかけてエウゼビ・グエル伯爵がガウディに依頼して自然と芸術に囲まれた公園都市の開発をしていたもので、当初62棟の分譲住宅を計画していましたが、売れ行きが悪かったため開発を断念。土地は市に寄付され、1922年からは市営公園となっています。
そして前述のように1984年世界遺産に指定されました。
波打つようなセラミック・ベンチの広場や“百柱広間”(Sala de Cien Columnas)へ続く階段からは、ガウディ独特の芸術性を感じます。 -
このグリム童話の“ヘンゼルとグレーテル”の物語に出てくる“お菓子の家”のようなかわいらしい建物は、ガウディが建築・分譲したものを自ら買い取って一時住んでいた家で、現在はガウディ記念館として公開されています。
中にはガウディがデザインした家具などが集められて展示されています。 -
さて、18時をまわって、前日入れなかったサグラダファミリアに入場すべく、みたびこの場所にやってきました。
まず西側の“受難のファサード”をもう一度見つめなおします。
西日に照らされ神々しく輝いているようです。 -
受難のファサードの中心にあるイエスの磔刑の像です。
カクカクした直線的な現代アートで表現されています。
この像の下にはカサ・ミラの屋上で見た宇宙人のような像もあり、ガウディ作品はつながっていることを再認識させてくれます。 -
12使徒のひとりバルトロマイの像です。
-
こちらも12使徒のトマスとピリポの像です。
夕日に照らされ、前日と印象が変わって見えます。 -
ぐるっと回って東側の“生誕のファサード”にやってきました。
下から見上げた天に向かって屹立する姿は、まさに“天国への道”のようです。 -
4本の鐘塔の中央には、永遠の命の象徴として“生命の木”の彫刻があります。
周りには祝福するようにハトが飛び交っています。
この木は、次に説明する“聖母マリアの戴冠”の上部に位置しています。 -
“生誕のファサード”は3つの門から成っています。
中央門はイエス、左門はヨセフ、右門はマリアをそれぞれ象徴し、聖家族(=サグラダファミリア)を表しています。
写真は中央門と左門の一部。
イエスを象徴する中央門では、受胎告知、キリストの降誕、祝福する天使、東方の三博士や羊飼いたちなどが彫られています。
写真右側の中ほどに“マリアの受胎告知”の像が見えます。
大天使ガブリエルがマリアに神の子の母として選ばれたことを告げる瞬間を表した一場面です。
受胎告知の下に見えるイガイガは、イエスの誕生を告げるベツレヘムの星を表しています。
写真右側の上部には“聖母マリアの戴冠”が見えます。
この写真は、イエスが天と地の女王であるマリアに冠を授ける一場面です。 -
上の写真の中央を拡大したものがこれです。
左側のヨセフの門には“聖母マリアと聖ヨセフの婚姻”すなわち薔薇とシュロの葉で飾られた神殿でヨセフとマリアが結ばれる一場面が表されています。
すぐ脇で天使たちがラッパを鳴らして祝福しています。 -
鐘塔を見上げます。
このトウモロコシのようにも見える塔の形は、バルセロナの北西60kmの位置にあるマリア信仰の聖地(黒いマリア像のある修道院があります。)で、別名“のこぎり山”ともいわれるモンセラートの山がモデルになっているのだそうです。
トウモロコシの食べ跡のように壁に穴があいているのは、鐘の音が市内に響き渡るよう計算されたものだそうです。
【モンセラート修道院HP】
http://www.abadiamontserrat.net/ -
目を落として再び中央門へ。
入口にはキリストの降誕、祝福をする天使、東方の三博士や羊飼いたちなどが彫られています。
これらの彫刻は1978年からサグラダファミリアの建築に携わっている日本人の彫刻家、外尾悦郎氏の作品としても有名です。
白亜の非常に優美な彫刻で、まさに天使のお出迎えのようです。教会内に入る前に祝福された気持ちになります。 -
こちらは左門です。
ヨセフを象徴するこちらの門ではローマ兵による嬰児虐殺、家族のエジプトへの逃避、父ヨセフの大工道具などが彫られています。
ちなみに、マリアを象徴する右門の写真は残せませんでしたが、聖母マリア、イエスの洗礼、父ヨセフの大工仕事を手伝うイエスなどが彫られています。 -
中に入って鐘塔を登ってみました。
らせん状の階段を上へ登っていきます。
東の“生誕のファサード”側の塔からは、西側の“受難のファサード”の4本の塔が、バルセロナの夕景とともにきれいに見渡せます。
鐘塔には“Excelsis”(いと高き)、“Hosanna”(神を賛美する叫びの言葉)と刻まれています。
そして鐘塔の尖端には“ピナクル”と呼ばれる小尖塔が付いており、この部分はイエスの使徒たちの務めを引き継ぐ者である司教を象徴しています。
いちばん上の小さな珠で飾られた部分が司教冠、司教冠から真っ直ぐ下に伸びている部分が牧杖、さらにその下の窪みは権威を象徴する指輪を表しているのだそうです。 -
塔と塔を結ぶ通路からピナクルを撮影してみました。
遠くからは見えにくい部分ですが、妥協を許さないような、細かい、凝ったつくりになっています。 -
下を見るとたくさんの足場が組まれ、本当に工事現場そのものです。
サグラダファミリアの完成がまだまだ遠いことを物語っています。
2002年に訪れてから何年も経ちましたが今はどうなっていることでしょうか。 -
“生誕のファサード”から東側に広がるバルセロナの街並みです。
夕暮れに赤く染まったこの街並みは、碁盤の目のような整然とした区画に均一な高さ・色調の建物が並び、きちんとした都市計画に基づき設計された街であることを物語っています。
遠くには地中海も見渡せ、なんだか落ち着く風景です。 -
イチオシ
最後にもう一度西側の塔をパチリ。
夕暮れに浮かぶ4本の塔のシルエットは、天国へ通じる壮麗な教会の姿とともに、一生忘れられないものになりました。
(バルセロナ観光3日目に続く。)
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この旅行記へのコメント (2)
-
- hirootaniさん 2011/03/04 00:12:40
- 詳細な解説ですね。
- エンリケさん、はじめまして。
私の旅行記に投票いただきありがとうございました。
たまたま、2006年の古いバルセロナ旅行記をupした直後に、エンリケさんに投票をいただき、エンリケさんの旅行記を訪問させていただきました。
早速、バルセロナの旅行記を拝見させていただきましたところ、2002年のご旅行にもかかわらず、その記述が詳細にわたっていて、大変感心いたしました。私の場合は、とても当時を思い出せずに、かなりいい加減なコメントでにげてしまっていたので・・・。これだけ、詳細にコメントできるのは、旅行時にしっかり記録をとられたのでしょうか?参考までに、秘訣を教えてください。
プロフィールを拝見させていただきますと、ヨーロッパがお好きとのこと。また、訪問された国々も私が訪れた場所とかなり重なっていて、親しみがもてました。
是非、私の「お気に入り」に登録させていただき、今後の旅行記を読ませていただきたいので、よろしくお願いいたします。
hirootani
- エンリケさん からの返信 2011/03/06 19:25:24
- ご訪問ありがとうございます。
- hirootaniさん
こんばんは。
ご訪問ありがとうございます。
hirootaniさんはお仕事でベルギーに駐在している際にヨーロッパ中をまわられたんですね。
わたしもヨーロッパ好きなもので、そういう機会があってうらやましいです。ご苦労も当然あったことと思いますが・・・。
バルセロナの旅、2002年のことでしたが、わたしにとっては1992年のバルセロナオリンピックでこの街を知って、以来ガウディの建築物などこの街にずっと興味を持ち続け、いつか訪れたいと思っていたところでした。
それが実現して非常に印象深い旅だったため、自然と記憶力がよかったものと思われます(笑)。
したがって、特にメモもとっておらず、秘訣というほどのものはありません。。
わたしも是非、hirootaniさんの旅行記を“お気に入り”に登録させてください。
ヨーロッパだけでなく、国内含めたくさんの国を訪問されているようで、今度旅行を計画する際の参考にさせていただきたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
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