2010/09/03 - 2010/09/04
20位(同エリア41件中)
シベックさん
2年前、旧東海道の宿場町・有松で行われた開村400年祭で「おわら風の盆」を見て、本場八尾の街並みをバックに、幻想的で優美な踊りを、是非、見たいと思っていました。今年、願が叶い現地で少しだけ見ることができました。旅行記は、黄昏時の「町散歩」と「おわら風の盆」の2部構成です。
写真は、明りが燈る坂の諏訪町本通り。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車
-
東海北陸自動車道・ひるがの高原サービスエリア
東海北陸道の飛騨清見IC〜白川郷ICが2008年7月5日に開通し、早くも2年が過ぎました。全線開通後この道を通っての富山行きは初めてです。昼前自宅を出発し、分水嶺に近いひるがの高原SAで一休み。
猛暑の名古屋から来た私には気温が低く爽やか・・と、言うより寒いくらい。
正面の大日岳の裾野にはスキー場が望めます。昔、何度か来たダイナランドスキー場と高鷲スノーパークですが、緑に覆われたスキー場を見ると、豊かな日本の四季を感じます。もう少しで銀世界にかわります。 -
ひるがの高原SAから見る大日岳
この道路の高鷲〜荘川の間に架けられた鷲見橋は、橋脚の高さが118mと日本一だそうです。乗用車では側壁にけられて見えませんが、背の高いバスなどではゾッ〜とする高さだとか・・。道路上に橋脚の高さ日本一の看板が立っています。
30分ほど休み出発。
このSAからはあと少しは登り道で、日本の高速道路最高地点の松の木峠1,086mで登りつめた後は、延々と富山平野に向って下り続けていきます。途中の飛騨トンネルを抜けると白川郷・・。飛騨トンネルは日本の道路トンネルでは関越トンネルに次いで2番目の長さで10,710mだそうです。
五箇山を過ぎたあたりで猛烈な雨に遭遇・・。視界も悪く、チェーンで掘られたわだちに雨がたまりハンドルを取られ低速運転。砺波あたりで雨は上がり、北陸自動車道では雨の降った形跡はありませんでした。
富山西インターで下り、R472で八尾に向かい指定のスポーツアリーナに駐車。午後4:30頃のシャトルバスで八尾の町に・・。
駐車場はほぼ満車状態でしたが、待ち時間もなく停められ、シャトルバスもすぐに乗車できました。 -
町の境に鎮座する地蔵さま
乗ったシャトルバスは町の北から東側を大きく迂回して20分ほどで八尾社会体育館近くに着きました。帰りのバス乗り場も降りたところから乗るそうです。シャトルバスは23時まで運転されています。
それ以降は、車を停めたスポーツアリーナまで歩いて帰るか、タクシーを利用するそうです。
シャトルバス乗降場からゆるやかな坂道を登ると左側に観光客の無料休憩所になっている社会体育館があり、直進し坂を下りると東町のメインストリートです。私は体育館を過ぎ左折・・。人の通らない静かな裏通りを道なりに進みましたら、小さな社がある賑やかな通りに出ました。
立てられた行灯には「すわ町」と書かれていました。東町と諏訪町の境にでたようです。
西の通りは「日本の道100選」に選ばれている諏訪町・東新町のメインストリート。祭りの行灯がズラッと立ち並んでいました。 -
諏訪町・日本の道百選通り
こちらも夕立があったようで、石畳はしっとりと濡れています。風もなくべとつく湿気を感じます。通りはビッシリと歴史を感じる民家が建ちならび、祭りの行灯が並んでいました。すでに沢山の観光客・・。
人口2万の町に3日間で25万人の人たちが訪れるそうです。人様のことは言えませんが・・まだ踊りが始まる2時間前でご覧の様子・・。 -
諏訪社
鳥居の注連飾りは緑色、本殿の注連縄は黄金色・・。沢山の方がお参りされ、おもいおもいに休憩をとられていました。諏訪社は南北朝時代の領主、諏訪左近の崇敬社と伝わる神社。
伝承によると境内の大ケヤキは正和4年(1315)に左近が植栽したものだと言われています。 -
楽しそうな家
-
諏訪町の街並み
「日本の秘境100選」に選ばれている八尾の里。
ほとんどの民家は間口が狭く奥に長い感じの建て方。
八尾町(やつおまち)は、富山県の南部に位置した、人口2万人余りの町。
現在は富山市の地域の一つです。
八尾町「やつおまち」の八尾の「八」は数の多いことを、「尾」は山の尾根を意味し、地形に由来する名前だとか・・。
坂と石崖の町と言われる所以が分かる気がします。 -
行灯と夏の花
オレンジ色のノウゼンカズラが華をそえて・・。 -
街角の飾り
編み笠風の雨よけにひょうたんが二つ・・。
なんとも・・地方色豊かな趣向に気持ちが和みます。 -
祭りの行灯が並ぶ
町屋は黒光りする木と白壁、うだつが目立ち往時を忍ばせてくれます。
八尾の町は、かっては蚕糸や和紙、薬草などの集積地として経済的に発展し「富山藩の御納戸」とまで呼ばれた程で、天明8年(1788)には紙問屋が34軒もあったそうです。 -
白い朝鮮朝顔
ご存知のヘブンリーブルーの白花種。
カメラマンが群がっていたので
何事かと来てみると、
この花がしっとりと咲いていました。
葉はサツマイモに似た蔓植物。 -
頑丈な造りの民家
冬は雪の積もる八尾、建物は雪の重さに耐えられるよう、しっかりした用材が使われており、庇などの木も太く頑丈に造られています。
町屋は切り妻屋根の平入り、黒い木と白壁、袖壁風のうだつがたちます。 -
常夜塔と古民家
間口は狭くとも、味わい深い造りの民家。
細部にも手がこんでいます。 -
街角の歌碑
町のところどころに立てられていました。
御影石でつくられた同じ意匠の歌碑。
諏訪町に立っていた碑は、
佐藤惣之助さんのうたが刻まれた
石碑でした。
佐藤さんは川崎市出身の詩人・作詞家。
赤城の子守唄、男の純情、人生の並木路、
人生劇場、湖畔の宿、新作おわら
などを作詞されておられます。 -
東新町と諏訪町・石畳の通り
この町の左の高台には
蚕を祭った社(蚕宮)として、
若宮八幡社があり、
八尾町民に親しまれています。 -
公民館の掲示板
おわら風の盆のあでやかなポスターが貼ってありました。
祭りの期間中は、住民のためのお知らせというより、観光客のために掲示されているようです。
公民館というのは、東新町の公民館で、十一の町内それぞれにあり、「会所」とも言われる町の人たちの集会場。
おわら風の盆の発着などの場になっているようです。 -
季節の玄関飾り
-
ズラリと並ぶ行灯
時間と共にどんどん増える観光客・・。
諏訪町の本通りは混み合ってきました。 -
曳山展示館
曳山展示館には、5月の八尾曳山祭で使われている曳山3台が、常設展示されています。併設されているおわら会館では、一年を通しておわら踊りを鑑賞することができるそうです。
おわらの時期、広場に面して特設ステージが設けられ、各町のおわら踊りがしっとりと展開されます。 -
屋上に親鸞さまの像がたつ祐教寺
元禄3年(1690)熊野村から現在地へ移転し、
上新町300年の歴史と供に
歩んできたお寺だそうです。
その当時は、祐教寺大門も
諏訪町の家並みもなかったとか・・。
明治のころ何度か火災にあい、
現在の本殿は昭和48年再建のもので、
屋上には宗祖親鸞聖人の銅像が
祀られているそうです。 -
おたや階段
おわら風の盆が俯瞰で見られる
階段がありました。
写真左には「おたや地蔵」が鎮座。
すでに近辺は場所取りが完了していました。
おたや・・・
伊勢神宮の御師(神職)が地方へ
神徳宣布に出た時の拠点とした宿舎を
「御旅屋」(おたや)と呼んでいたそうです。
また、加賀藩主の鷹狩、民情視察の際に
宿泊や休憩のために使用された
施設もおなじ「おたや」・・。
どちらかに関係があるのでしょうか。 -
崖地の道
ほとんど人の通らない道にも
ぼんぼりに明りが燈っていました。
町中で踊りが始まると
通りは人垣で遮断され通過できない
こともしばしばらしい。
その迂回路なのかも・・。 -
行灯の立つ裏通り
歌にもうたわれる酔芙蓉。
この日、町の通りにも裏通りにも
花は見かけませんでした。
聞くところによれば、
風の盆の頃には咲かずに遅れて咲くらしい。 -
急勾配の坂道
滑り止めの模様が付いた
コンクリートの坂道がありました。
お年寄りにはきつい坂道・・。 -
井田川と富山平野
井田川を挟んで左側には町民広場があり、
遠くには富山平野が広がっています。 -
崖と坂の道
黄昏時、ぞくぞくと団体さんが坂道を登ってこられました。
幻想的で優美な踊り「おわら風の盆」で知られる八尾の町。坂が多く、道幅も狭いですが、格子戸のある旅籠や土蔵造りの民家など、今なお往時をしのばせる街並みが残ります。雰囲気のある街。 -
西町・玉石積みの崖地
井田川に沿った崖地は玉石を積んだ
石垣が見事です。
少し前までは、コンクリート製の
土留め壁だったそうですが、
今では景観を考慮した玉石積みの
土留め壁に造りなおされたそうです。
さながら城壁のようにも見えます。
ずうっと昔は
玉石積みだったのでしょうか。 -
禅寺橋から西町への坂の道
黄昏時、行灯にも明りが入りました。
時は間もなく19時、風の盆の町流しや特設ステージでの踊りが始まります。
蒸し暑い中、2時間ほど歩き回り、身体はすでにクタクタ・・。
これからが本番、どこかで腹ごしらえを・・。
→ 2/2につづきます。
車で富山 ★越中八尾 2/2 二百十日風封じ三日三晩踊る おわら風の盆
http://4travel.jp/traveler/breeze63/album/10505300/
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この旅行記へのコメント (2)
-
- いっちゃんさん 2010/09/28 11:27:41
- 古き街並みに・・
- しべっくさん こんにちは
猛暑が去って、彼岸を境に 秋雨前線の影響でいきなり晩秋の気候に・・
おわらの街歩き 楽しく拝見いたしました。
>諏訪町の街並み
>「日本の秘境100選」に選ばれている八尾の里。
>ほとんどの民家は間口が狭く奥に長い感じの建て方。
民家の間口の狭いのは高山でも知りました 理由は豪商が財力を隠すためと聞いたことがあります、八尾も同じような理由なのでしょうか・・
奥は豪華で広い造りとのこと。
>八尾町「やつおまち」の八尾の「八」は数の多いことを、「尾」は山の尾>根を意味し、地形に由来する名前だとか・・。
>坂と石崖の町と言われる所以が分かる気がします。
八尾の町名の由来、良く解りました
日本海側の貧困の土地柄を巧みに利用した由来に感じました。
坂と石崖の町は情緒があり大好きです。
いっちゃん
- シベックさん からの返信 2010/09/29 20:08:34
- RE: 古き街並みに・・
- いっちゃんさん、こんばんは!
>猛暑が去って、彼岸を境に 秋雨前線の影響でいきなり晩秋の気候に・・
おわらの街歩き 楽しく拝見いたしました。
本当に・・!
こないだまで一日中クーラーをつけていたことが、嘘のようです。
八尾の街を見ていただき有難うございました。
はじめて行った町でしたが、想像とは少し違っていました。
もう少しひなびた町かと思っていたのですが、建物も立派で驚きました。
>民家の間口の狭いのは高山でも知りました 理由は豪商が財力を隠すためと聞いたことがあります、八尾も同じような理由なのでしょうか・・
奥は豪華で広い造りとのこと。
初めてで時間もなく民家の中までは見ていませんが、昔、蚕や紙で栄えた町だそうですから
多分、坪庭などがあり造りも立派なんでしょうね。
京都の町屋や宿場町の民家などこんなスタイルが多いですね。
間口税とかいわれ、間口が広いと税が高くなるため、
間口を狭くして奥行きの長い家を造ったりした・・とも聞きます。
今日は楽しんでいただけてよかったです。
またいつか時期を変えて言ってみたい八尾でした。
シベック
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