2010/09/03 - 2010/09/03
243位(同エリア379件中)
猫熊堂さん
国指定の重要文化財、日本煉瓦製造株式会社の旧事務所が公開されています。
※毎週土曜、日曜、午前9時〜午後4時まで(2015年1月〜) 無料。
明治期の木造洋館なんて、そうあちこちにあるものではありません。
が、この洋館、実は、我が家のすぐ近く。ちょこっと見に行ってきました。
【日本煉瓦製造株式会社・旧煉瓦製造施設】
埼玉県深谷市上敷免28−10、11
(地図)http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&q=%E5%9F%BC%E7%8E%89%E7%9C%8C%E6%B7%B1%E8%B0%B7%E5%B8%82%E4%B8%8A%E6%95%B7%E5%85%8D%EF%BC%92%EF%BC%98%EF%BC%8D%EF%BC%91%EF%BC%90&lr=lang_ja&ie=UTF8&hq=&hnear=%E5%9F%BC%E7%8E%89%E7%9C%8C%E6%B7%B1%E8%B0%B7%E5%B8%82%E4%B8%8A%E6%95%B7%E5%85%8D%EF%BC%92%EF%BC%98%E2%88%92%EF%BC%91%EF%BC%90&gl=jp&ei=TQyBTMygAouIvgOmooGvBA&ved=0CCcQ8gEwAA&ll=36.208823,139.297371&spn=0.063437,0.076389&z=13&brcurrent=3,0x601edbb388cce31d:0x528e854367d9ea83,0
施設見学についての問い合わせ先「深谷市文化振興課」 TEL: 048-577-4501
- 交通手段
- 徒歩
-
日本煉瓦製造株式会社旧事務所は国指定重要文化財。
その理由は?
写真を拡大しても読めないかもしれませんね。内容は下記です。
『 建物は明治21年頃の建設で、煉瓦製造施設の建造と煉瓦製造技術の指導にあたったネスチェンテス・チーゼ技師が住宅兼事務所として使用したと伝えられている。地元の人々からは「教師館」「異人館」の名で呼ばれていた。
日本煉瓦製造株式会社は、明治政府が計画した洋風建築による官庁街建設を推進するため、煉瓦を大量供給する民営工場として、渋沢栄一らが中心となって設立された。工場建設地は、当時政府に招かれていた建築技師ウィルヘルム・ベックマンやチーゼらのドイツ人技術者の指導により選定され、良質の粘度を産出し、水運による東京への製品輸送が可能であることから、当地(現・深谷市上敷免、深谷市新井)に決定された。
チーゼは娘クララと友に明治22年12月に帰国するまでここで生活し、彼の帰国後は会社事務所として使用された。』 -
日本煉瓦製造株式会社旧事務所の正面。
・・・植え込みがボーボーですな。ホントに重文?(笑)
だかしかし、いやいやいやいや、懐かしい!!!
実は、私、激しく地元なんです。子供時代は、煉瓦工場の敷地内が遊び場でした!
この旧事務所の建物の中に入ったことは無かったですけど。
それと、私が遊んだ時代とは、建物の場所が少し変わってます、か?
あれれ? パンフレットを見てみましょう。
> 旧事務所は、工場内で「異人館」「教師館」と呼ばれていたように、ドイツ人煉瓦技師ナスチェンテス・チーゼが令嬢クララと暮らしていた事務所兼住宅です。
> 明治21年(1888)、チーゼ自らが設計し、建築されたと伝わっています。
> チーゼが明治22年(1889)帰国した後は、工場の事務所として使われていました。
> 昭和53年(1978)から平成18年(2006)までは、日本煉瓦製造株式会社の沿革を示す資料を展示する資料館となっていました。
> 寄棟瓦葺下見板張りの洋風建築で、規模は、間口約27m、奥行き約16mで、裏側に約3mのベランダが接し、その左端が便所となっています。天井、壁は漆喰、床は板張りとなっています。
> 工場創業以来の建物として重要な建造物といえます。
> 当初は別の敷地内にあり、建造以来3回の曳屋移転がなされ、現在の位置となっています。
※私、地元ですが、「異人館」「教師館」と呼んだことはありません。少なくとも、昭和に入ってからは「異人館」「教師館」とは呼ばれていないと思います。なぜなら、バリバリの地元民(大正14年に生まれてから現在まで引越し経験ナシ)の私の父がそんな呼び方は知らないと言っているので。
※あぁ、そういえば! 最後の曳屋は、おぼろげながら記憶が。
新しく事務所を新しく建てるにあたり、旧事務所が敷地のはじっこの方に移されたのでした。(曳屋の現場は見ていません。) 私が子供で敷地内で遊んだ時代より後、煉瓦工場の事業規模がどんどん縮小していった時代のこと、と記憶しています。 -
さぁ、中に入りましょう。
日本煉瓦製造株式会社旧事務所、ここが入り口です。
ていうか、むしろ“玄関”というべきかな? -
入り口を入って左手に、受付。
「どこから来たのか」を記入します。(名前は書かなくてOK)
市内よりもむしろ県外の方が多かったりするそうです。
日本煉瓦製造(株)の煉瓦製造施設についてのパンフレットも、ここでもらえます。
説明をしてくださる方が、おふたり、いらっしゃいましたよ。廻りながら煉瓦や煉瓦工場についてのお話を聞くことも出来ます。 -
旧事務所は、“明治期の木造洋館”という側面と、“煉瓦製造施設資料館”という側面を持っています。
まず、木造洋館という面から見ていくことにしましょう。
ということで、まず、1番最初の部屋の角にあるコレ。
素敵にレトロなこの扉。何でしょう? -
電話室!
電話機も、映画やドラマでしか見たことがないようなシロモノ。
ダイヤル直通の電話が当たり前の我々にはちょっと考えられませんが、まず電話局に繋がって、交換手さんに相手を呼び出してもらうスタイルのものですよね、コレ。明治期のものかな?
電話室の壁、けっこう厚いんですよ! 当時の通話の音声状態がしのばれます。 -
玄関の柱に埋め込まれた、電話番号のプレート。
両手の親指と人差し指で囲んだくらいの小さめサイズですが、プレートマニア垂涎の古さ、だそうで。 -
どうしても目が行く、素敵なシャンデリア。
植物文様の磨りガラス。天井の丸いところにも植物の模様。
ただ、日本煉瓦製造に電灯線が引かれたのは明治39年、深谷町に電灯が導入されたのはその翌年なので、シャンデリアは、チーゼとクララが暮らした時代のものではないかもしれません。 -
欄間も洋風。なんとなくオシャレな感じ。
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窓です。こちらも、なんとなくオシャレ。
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電話室があるメイン展示室の隣の部屋のシャンデリア。
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欄間と廊下に面する窓。
何故か懐かしいような心地よさがあります。 -
更に奥の部屋のシャンデリア。
先ほどのものと同じもののように見えますが、良く見ると、天井の模様が違います。 -
先ほどの欄間と窓を、中廊下側から見たところ。
なんだか良い雰囲気でしょう? -
中廊下は展示スペースとして使われています。
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中廊下のシャンデリア。
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先ほどとは逆の方向=東側から西を向いて、中廊下を見たところ。
突き当たりに窓があって光が入ると、また雰囲気が変わります。 -
資料置き場に使われている部屋の天井の灯り。
他の部屋のシャンデリアより新しい?と思いましたが、灯りの周囲が、やっぱり素敵。 -
会議室。
あぁ、もぅ、映画のロケにいかがでしょうか?みたいな。
(重要文化財なので、撮影に使うのは難しいのかな?と思いますけど) -
とっても素敵なシャンデリア。
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建物の北側から玄関の方を見たところ。
「ラッフルズ・ホテルだよ」と言われれば、そうかな、と思ってしまいそう。
え、思わない?建てられた時代はけっこう近いんですよ。 -
またまた素敵なシャンデリア。
これは、東翼の中廊下のものです。
灯りの形、金具、天井の模様など、他とは違っています。 -
中央の通路から東に伸びる、東翼の中廊下。
やっぱりロケに・・・と思ってしまう。 -
入り口から入って右手の部屋の天井。
-
玄関の横にある水道の蛇口。
一見したところ、ただの古臭い蛇口のように見えますよね。
が、以前、初代支配人の諸井さんの子孫の方と懇意にされているという建築家の方が来館なさった時に、わざわざこの蛇口の写真を撮っていかれたのだそうです。
どうやらとても古く、価値が高いものらしいです。
・・・私には、良くわかりませんが。
そうです!この事務所、わかる人にはわかる、お宝の山、なのです!
・・・私には、よくわかりませんが。 -
旧事務所を東側から見たところ。
右手に張り出しているのは「バルコニー」です。
バルコニー、床下がかなり高いんですよ。私、小さい頃、ここらへんで遊んだから良く知ってます。かくれんぼの時、下に入りましたから、ハイ。 -
ここからは、煉瓦製造施設資料館としての面を見て行きましょう。
部屋に入ると、会社設立者の渋沢栄一氏と、初代支配人の諸井恒平氏の銅像があります。 -
『日本煉瓦製造會社設立願』
明治20年10月25日の日付。
凄い人たちが名を連ねていますよ〜。
そして、明治中期の時代の空気、申請者の中にある勢いや気合みたいなものを感じます。 -
『日本煉瓦製造會社設立願』の認可状。
-
日本煉瓦製造會社株金負担人名
一、金拾万圓 池田榮亮
一、金五万圓 渋澤栄一
一、金貳万圓 益田孝
一、金壹万圓 木村正幹
一、金貳万圓 隅山尚徳
ちょっと待って。明治20年の10万円って、今、いくらよ!? -
渋澤栄一が、逓信大臣伯爵黒田清隆に出した、
『深谷 上敷免間 鉄道敷設願』 (明治27年7月23日)
河川を使った煉瓦の運搬には限界があるので、鉄道を使って、速く大量に運びたいということで、提出。
コレ、物凄く画期的な申請だったらしいですぞ!!!!! -
第一号 運輸免許状 (明治28年7月19日)
鉄道を工場まで引き込んで煉瓦の運輸を始めることを許可する免許状。
日本最初の民間企業の専用鉄道。 おぉ、凄い!
で、専用鉄道規則による大臣免許の第一号、とのこと。 なるほどォ。
当時、深谷駅から発送される荷物の9割が煉瓦で、深谷駅に到着する荷物の4割が煉瓦を焼くために使われる石炭だったとのこと。
ちなみに、所管の逓信大臣は、黒田清隆から渡邉國武にかわっています。 -
煉瓦製造の歴史を物語る写真たち
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最盛期のレンガ工場のジオラマ。
ちなみに、私が子供だった頃よりはるか昔ですから。念のため。 -
煉瓦製造に使われた道具類の展示。
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諸井恒平の著書『煉瓦要説』(明治35年8月刊行)
日本初の本格的な煉瓦に関する研究解説書。
“附録 会社概覧”は、日本煉瓦製造株式会社の創立から刊行時までの社史のようなもの、とのこと。
明治時代ですよ。何もかもが手探りのような状態からから始めて、ここまでくるのがどんなに大変だったか、ということを想像してみてください。この本の重みが、ぐっと増します。 -
諸井恒平の『煉瓦要説』の刊行に寄せた、渋澤栄一の書翰
煉瓦事業については、決して順風満帆であったわけではなく、諸井氏も渋澤氏も、様々な辛酸を舐めたのだそうです。
十数年にわたる諸井氏の精進尽力の結果として、事業の現在があること、更に『煉瓦要説』というこの書を得たことを感慨深くつづっている、そうです。
会社設立願の頃とは違って、時間の重み、現実の重みを実感している手紙だと思います。 -
中央停車場(現在の東京駅)向け煉瓦の請求書 (明治40年8月21日)
大正3年に完成した東京駅は、ココの煉瓦で作られていたのだ!
納入した東京駅の構造用煉瓦は8332000個に及び、どうやら分割払いになっていたようですね。 -
煉瓦の刻印のアレコレを紹介するコーナー。
時代によって、また煉瓦の種類によって、刻印が変わったようです。
これは桜の花の刻印の普通煉瓦。 -
○を2つ重ねた形の刻印が入った四分の三形(七五)煉瓦 (大正初期)
この刻印の煉瓦のカケラは、ウチの周囲にもゴロゴロしている。大正初期の煉瓦だったのかと思うと、感慨深いものがあるなぁ。 -
梅の形の刻印がある明治期の普通煉瓦。
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左:“日本”という刻印入りの普通煉瓦
右:“日煉”という刻印が入った横迫煉瓦 -
煉瓦制作の工程を説明したボードと模型
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こねた粘土の生地を煉瓦のサイズに切断する機械
なんだか家庭用のパスタマシーンの大型みたいな感じ。意外な程ローテクって言うか、「こんなので、あの大きなホフマン炉いっぱいの煉瓦を切ったのか!?」という驚きがある。 -
煉瓦を焼くホフマン輪窯の設計図
大変美しい図面です!
パリ・オペラ座の設計図と似たようなニオイ、と言ったら美しさが伝わりますか? -
旧事務所のベランダ部分に展示されていた道具類。
手前右側にはシャンデリアの金具もありました。 -
これも重要文化財の『旧変電室』
この写真は、旧事務所のベランダの窓から撮っています。見えている側は建物の裏側にあたります。
これが重文になった時、私は驚愕した。
なぜなら、子供の時分、正面側の階段のわきのスロープを滑り台がわりにしてさんざん遊んでいたから。近所の子供たちにとっては、格好の遊び場だったのよね。
それに、『恋は緑の風の中』という原田美枝子さんがデビューして間もない頃に主演した映画のロケに使われて、その時は建物を外から撮るだけでなく、中でもバンバン撮影していたし。 -
日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設『旧変電室』の説明
『 明治39年頃の建造と言われている。室内には変電設備が設置されていた。
日露戦争後の好景気による建築・土木事業の拡大がもたらした煉瓦需要の増加に対応するため、日本煉瓦製造株式会社は、設備投資の一環として電力の導入を開始した。諸産業への電力利用の普及もあり、従来から使用していた蒸気式原動機を電動機に転換することにしたのである。
明治39年8月、会社は高崎水力電気株式会社と契約を締結、電灯線を架設し、電動機を導入した。これは、当時の深谷町に電灯が導入される1年前のことであり、先端技術を積極的に導入しようとする会社の姿勢をうかがうことができる。
変電設備事態はすでに失われているが、建物は建設当時の外観をとどめている。当時の煉瓦業界の隆盛を物語る貴重な建物である。』
そうだったんですか! あぁ、遊び倒して、汚して、ごめんなさい。。。
深谷市、というか、ウチの近くを高圧線が通っていて鉄塔が並んでいるのですが、それは「渋澤栄一が通したんだよ」と聞いたことがあります。たぶん、このことですね。 -
入り口に貼ってあった煉瓦講座のポスター。
内容は、というと。
国指定重要文化財旧煉瓦製造施設の公開に先立ち、煉瓦講座を開催します。
日本の近代化を支えた深谷の赤レンガの歴史について、全3回の講座で学びます。
第1回「日本煉瓦製造株式会社について」講師金子祐正氏(日本煉瓦製造株式会社元会長)
第2回「深谷市内のレンガ建物を見学しよう!」講師NPO法人深谷にぎわい工房
第3回「横浜と日本煉瓦について」講師天野賢一氏(かながわ考古学財団)
※受講者の募集は2010年8月16日(月)〜9月22日(水)先着30名
※参加費(資料代)¥1000
※申し込み・問い合わせは「深谷市教育委員会 生涯学習課 文化財保護係」TEL:048−572−9581
平成22年度の旧煉瓦施設(ホフマン輪窯6号窯、旧変電所外観を含む)の臨時公開が、10月30日(土)、31日(日)に行われます。時間は10時〜15時(12時〜13時を除く)です。
煉瓦製造にご興味をお持ちの方は、是非!
<2015年1月追記>
日本煉瓦製造(株)旧事務所は、現在、毎週土曜日、日曜日に公開中。
時間は、午前9時〜午後4時です。
見学者さんは、あんまり多くないので、ゆったりゆっくり見学できますよ。
問い合わせは「深谷市 文化振興課」まで
電話:048-577-4501 ファックス:048-574-5861
URL: http://www.city.fukaya.saitama.jp/shibusawa_eiichi/isekishisetsu.html
ちなみに、深谷駅からのアクセスは非常に悪いです。
距離は約4km。駅前からのバスはありません。
市役所前から市内循環バスがでていますが、
本数が少ないうえ、あちこち回るので時間がかかります。
手っ取り早いのはタクシーです。
自家用車の場合は、旧煉瓦製造施設の道を隔てて東側の
深谷市浄化センターの庭が臨時駐車場になると思われます。
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