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また音楽家編です。<br />愛好家以外の方には面白くもなんともないと思いますが、<br />ベートーヴェンとシューマンゆかりの場所めぐりをされる方の<br />参考になれば幸いです。<br />表紙写真の中央辺りにあるピンクの家が、<br />ベートーヴェンの生家です。<br /><br />今回は、ベートーヴェンに関しては、<br />ボン市による &quot;Beethoven-Rundgang&quot; <br />http://www.bonn-region.de/fileadmin/redaktion/Sightseeing/PDF/beethovenrundgang.pdf<br />に沿って写真を載せました。<br />文章内の、括弧書きの中の数字は、このRundgangに対応しています<br /><br />ボンはベートーヴェンの生地であると同時に、<br />シューマンの没地でもあります。<br />シューマンの亡くなったサナトリウムと、<br />シューマン夫妻のお墓の写真も載せました。<br />(サナトリウムのあるEndenichは、<br />当時は別の自治体でしたが、<br />1904年にボンに合併されています)<br /><br />旅行記の最後には、Beethovenがハイドンと出会った<br />Bad Godesbergの写真を入れました。<br /><br /><br />参考図書 (Rundwegのパンフレット以外で)<br />Polyglott on tour &quot;BONN Siebengebirge Ahrtal&quot;<br />青木やよひ「ゲーテとベートーヴェン」平凡社新書249<br /><br />(※「旅行期間」は大嘘です。ボンはちょこちょこ訪れているので、色々な時の写真が混ざっています。)

Bonnでベートーヴェンとシューマンゆかりの場所を訪ねて

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2007/01/01 - 2007/01/01

97位(同エリア146件中)

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bienenstich

bienenstichさん

また音楽家編です。
愛好家以外の方には面白くもなんともないと思いますが、
ベートーヴェンとシューマンゆかりの場所めぐりをされる方の
参考になれば幸いです。
表紙写真の中央辺りにあるピンクの家が、
ベートーヴェンの生家です。

今回は、ベートーヴェンに関しては、
ボン市による "Beethoven-Rundgang"
http://www.bonn-region.de/fileadmin/redaktion/Sightseeing/PDF/beethovenrundgang.pdf
に沿って写真を載せました。
文章内の、括弧書きの中の数字は、このRundgangに対応しています

ボンはベートーヴェンの生地であると同時に、
シューマンの没地でもあります。
シューマンの亡くなったサナトリウムと、
シューマン夫妻のお墓の写真も載せました。
(サナトリウムのあるEndenichは、
当時は別の自治体でしたが、
1904年にボンに合併されています)

旅行記の最後には、Beethovenがハイドンと出会った
Bad Godesbergの写真を入れました。


参考図書 (Rundwegのパンフレット以外で)
Polyglott on tour "BONN Siebengebirge Ahrtal"
青木やよひ「ゲーテとベートーヴェン」平凡社新書249

(※「旅行期間」は大嘘です。ボンはちょこちょこ訪れているので、色々な時の写真が混ざっています。)

  • Bonngasse (表紙写真とは逆の方向から撮影)の20番地に

    Bonngasse (表紙写真とは逆の方向から撮影)の20番地に

  • (1) Ludwig van Beethovenの生家 があります<br /><br />当時ボンはケルン選帝侯領の事実上首都。<br />フランドル人であった同名 (Ludwig) の祖父も、<br />選帝侯の宮廷音楽家としてボンに移住してきたのです。<br /><br />ベートーヴェン(本当は片仮名で書くなら<br />ベートホーフェンだと思うのだけれど)は<br />ボンで5軒の家に住んだそうですが、<br />残っているのはここだけだそうです。

    (1) Ludwig van Beethovenの生家 があります

    当時ボンはケルン選帝侯領の事実上首都。
    フランドル人であった同名 (Ludwig) の祖父も、
    選帝侯の宮廷音楽家としてボンに移住してきたのです。

    ベートーヴェン(本当は片仮名で書くなら
    ベートホーフェンだと思うのだけれど)は
    ボンで5軒の家に住んだそうですが、
    残っているのはここだけだそうです。

  • Beethoven-Rundgang の各スポットには、<br />この説明書きがついています

    Beethoven-Rundgang の各スポットには、
    この説明書きがついています

  • 生家(厳密に言えばその隣)で売られているお土産物<br />ミサ・ソレムニスの時の肖像画ですね♪

    生家(厳密に言えばその隣)で売られているお土産物
    ミサ・ソレムニスの時の肖像画ですね♪

  • Friedrichstraße (この辺りは旧市街でも<br />特にエレガントな家が並ぶ)を通って<br />

    Friedrichstraße (この辺りは旧市街でも
    特にエレガントな家が並ぶ)を通って

  • Wenzelgasse 25<br />この場所にもLudwig少年は住んでいたようです<br />(但し、当時の建物はすでにありません)

    Wenzelgasse 25
    この場所にもLudwig少年は住んでいたようです
    (但し、当時の建物はすでにありません)

  • (2) St. Remigius 教会<br />ベートーヴェンがボンに住んでいた当時は、<br />フランチェスコ派修道院教会 (Minoritenkirche) でした。<br /><br />フランス革命の最中に本来のRemigius教会が廃止され、<br />この教会がその名を引き継ぎました。

    (2) St. Remigius 教会
    ベートーヴェンがボンに住んでいた当時は、
    フランチェスコ派修道院教会 (Minoritenkirche) でした。

    フランス革命の最中に本来のRemigius教会が廃止され、
    この教会がその名を引き継ぎました。

  • Ludwig少年は、ここで10歳にしてミサのオルガンを弾いていたそうです。<br />オルガン自体も名オルガン工 Ludwig König の1748年の作品で、<br />価値の大きいものだそうです。<br />(但しオリジナルは第二次世界大戦時に破壊)

    Ludwig少年は、ここで10歳にしてミサのオルガンを弾いていたそうです。
    オルガン自体も名オルガン工 Ludwig König の1748年の作品で、
    価値の大きいものだそうです。
    (但しオリジナルは第二次世界大戦時に破壊)

  • 続いて、1776年にベートーヴェン一家が引っ越してきた<br />(3) Rheingasse 24 へ…って、<br />あの、24番地がないのですが(工事現場)<br /><br />かわりにライン川が拝めました<br />

    続いて、1776年にベートーヴェン一家が引っ越してきた
    (3) Rheingasse 24 へ…って、
    あの、24番地がないのですが(工事現場)

    かわりにライン川が拝めました

  • (4) ケルン選帝侯のお城(今はボン大学)<br />      ↑宮廷音楽家一族ベートーヴェンの雇い主<br />お城は1779年のもの(1777年にそれまでの宮殿は焼失)<br /><br />1786年に就任した選帝侯はフランツ・マクシミリアン (Maximilian Franz von Österreich, 1756-1801)。<br />マリア・テレジアの息子にして<br />当時の神聖ローマ帝国皇帝ヨーゼフ2世の弟<br />という家系からもうかがえるように啓蒙的な人物。<br />フランス革命軍がライン左岸を占領した際、ボンを離れたが、<br />(ボンやケルンは左岸だけれど、<br />それより西のデュッセルドルフは右岸)<br />宮廷に新しい空気を運んできた。<br /><br />そんな彼が招いた知識人の1人がWaldstein伯爵。<br /> (ピアノソナタ Nr. 21 C-Dur op. 53 が捧げられた人物。<br />三十年戦争時に活躍したWallensteinも同族らしい)<br />これが、ベートーヴェンが後にウィーンに赴くきっかけともなった。

    (4) ケルン選帝侯のお城(今はボン大学)
    ↑宮廷音楽家一族ベートーヴェンの雇い主
    お城は1779年のもの(1777年にそれまでの宮殿は焼失)

    1786年に就任した選帝侯はフランツ・マクシミリアン (Maximilian Franz von Österreich, 1756-1801)。
    マリア・テレジアの息子にして
    当時の神聖ローマ帝国皇帝ヨーゼフ2世の弟
    という家系からもうかがえるように啓蒙的な人物。
    フランス革命軍がライン左岸を占領した際、ボンを離れたが、
    (ボンやケルンは左岸だけれど、
    それより西のデュッセルドルフは右岸)
    宮廷に新しい空気を運んできた。

    そんな彼が招いた知識人の1人がWaldstein伯爵。
    (ピアノソナタ Nr. 21 C-Dur op. 53 が捧げられた人物。
    三十年戦争時に活躍したWallensteinも同族らしい)
    これが、ベートーヴェンが後にウィーンに赴くきっかけともなった。

  • お城の前<br />向こうに見える建物は、<br />ベルリンに沢山建築を残したシンケルの作品です<br />今はAkademisches Kunstmuseum <br />http://www.antikensammlung.uni-bonn.de/<br />になっていて、<br />古典時代(ギリシャ・ローマ)時代の美術品が見られるようです

    お城の前
    向こうに見える建物は、
    ベルリンに沢山建築を残したシンケルの作品です
    今はAkademisches Kunstmuseum
    http://www.antikensammlung.uni-bonn.de/
    になっていて、
    古典時代(ギリシャ・ローマ)時代の美術品が見られるようです

  • (5) Schlosskirche (城教会) (1779)<br />少年ベートーヴェンが宮廷オルガニストNeefeから授業を受け、<br />14歳にして自分も選帝侯のオルガニストとして働いていた場所です。<br /><br />ただこの教会はとても見つけにくいです。<br />入り口は、東西で言うとお城の西側で、<br />それでメインの口から少し次のMarktの方(北)に歩いた所にあります。<br />または、メインの口の中庭の北側を抜けても着きます。<br /><br />私が訪れた時は休暇中だったためか、<br />火水木の13〜15時しか中を見ることはできませんでした。

    (5) Schlosskirche (城教会) (1779)
    少年ベートーヴェンが宮廷オルガニストNeefeから授業を受け、
    14歳にして自分も選帝侯のオルガニストとして働いていた場所です。

    ただこの教会はとても見つけにくいです。
    入り口は、東西で言うとお城の西側で、
    それでメインの口から少し次のMarktの方(北)に歩いた所にあります。
    または、メインの口の中庭の北側を抜けても着きます。

    私が訪れた時は休暇中だったためか、
    火水木の13〜15時しか中を見ることはできませんでした。

  • Marktplatz<br />ここの…

    Marktplatz
    ここの…

  • 中央の、黄色い現在カメラ屋さんになっているお店が、<br />(6) Zehrgarten<br /><br />当時、啓蒙的な選帝侯ゆえ、<br />ボンには文化・教養人が集まっていました。<br />そして文学・音楽の中心にあったのが<br />このKoch夫人のサロンでした。<br />ベートーヴェンがボンを去ってウィーンへ旅立ったとき、<br />Waldsteinの「ハイドンの手から<br />モーツァルトの魂を受けとりたまえ」(青木 S.69f)など<br />はなむけの言葉を綴った記念帳は、<br />このクライスのものだそうです。<br />

    中央の、黄色い現在カメラ屋さんになっているお店が、
    (6) Zehrgarten

    当時、啓蒙的な選帝侯ゆえ、
    ボンには文化・教養人が集まっていました。
    そして文学・音楽の中心にあったのが
    このKoch夫人のサロンでした。
    ベートーヴェンがボンを去ってウィーンへ旅立ったとき、
    Waldsteinの「ハイドンの手から
    モーツァルトの魂を受けとりたまえ」(青木 S.69f)など
    はなむけの言葉を綴った記念帳は、
    このクライスのものだそうです。

  • (7) Münster<br />起源は3世紀で、この写真の左下に見えているのは<br />ローマ遺跡だそうです。<br />ただ今日の教会は11世紀のロマネスク。

    (7) Münster
    起源は3世紀で、この写真の左下に見えているのは
    ローマ遺跡だそうです。
    ただ今日の教会は11世紀のロマネスク。

  • これがベートーヴェンが<br />祝祭時に宮廷音楽家として弾いたオルガン。

    これがベートーヴェンが
    祝祭時に宮廷音楽家として弾いたオルガン。

  • Kreuzgangの東側には、今はPfarrhausになっているKapitelhaus。<br />ここが、ベートーヴェンが通っていた<br />公立ラテン語学校だったそうです。

    Kreuzgangの東側には、今はPfarrhausになっているKapitelhaus。
    ここが、ベートーヴェンが通っていた
    公立ラテン語学校だったそうです。

  • (8a) Beethovendenkmal<br /><br />ベートーヴェン像<br />第1回のベートーヴェン音楽祭(1845年)の際に<br />公開されたものらしいです<br />後ろの、今は郵便局になっている建物には、<br />この時ボンが属していたプロイセンの国王<br />フリードリヒ・ヴィルヘルム3世のみならず、<br />大英帝国ヴィクトリア女王ご夫婦もいらっしゃったそうです<br />(↑夫君はコーブルクの人)

    (8a) Beethovendenkmal

    ベートーヴェン像
    第1回のベートーヴェン音楽祭(1845年)の際に
    公開されたものらしいです
    後ろの、今は郵便局になっている建物には、
    この時ボンが属していたプロイセンの国王
    フリードリヒ・ヴィルヘルム3世のみならず、
    大英帝国ヴィクトリア女王ご夫婦もいらっしゃったそうです
    (↑夫君はコーブルクの人)

  • 側面には、幻想曲・戯曲・交響曲と宗教音楽を表す<br />寓意的な彫像があります

    側面には、幻想曲・戯曲・交響曲と宗教音楽を表す
    寓意的な彫像があります

  • (8b) Breuningsches Haus<br />ベートーヴェン像の右後ろ、<br />今現在Kaufhofが建っている場所に、<br />かつてブロイニング家のお屋敷があったそうです。

    (8b) Breuningsches Haus
    ベートーヴェン像の右後ろ、
    今現在Kaufhofが建っている場所に、
    かつてブロイニング家のお屋敷があったそうです。

  • (10) Beethovenhalle (ホール)と、その前にある像<br />(9) Beethon<br /><br />ベートーヴェン・オーケストラの本拠地です<br /><br />市内には他に歌劇場があり、<br />ボン近郊では、ケルンにWDRの交響楽団があります<br />ブリュールのAugustusburgなどでWDRがコンサートをやっていることもありますので、<br />音楽目的でボン・ケルンにいらっしゃる方は、是非あれこれ前もってチェックしておいてくださいませ

    (10) Beethovenhalle (ホール)と、その前にある像
    (9) Beethon

    ベートーヴェン・オーケストラの本拠地です

    市内には他に歌劇場があり、
    ボン近郊では、ケルンにWDRの交響楽団があります
    ブリュールのAugustusburgなどでWDRがコンサートをやっていることもありますので、
    音楽目的でボン・ケルンにいらっしゃる方は、是非あれこれ前もってチェックしておいてくださいませ

  • Beethovenhalle<br />コンサート前のホール内の様子

    Beethovenhalle
    コンサート前のホール内の様子

  • 場所は飛んで、(11) Alter Friedhof 旧墓地<br /><br />手前がベートーヴェンのお母様のお墓です<br />3軒くらい向こうにあるのは、シラーの奥様とご子息のお墓<br /><br />他にもショーペンハウアーの奥様のお墓があったり、

    場所は飛んで、(11) Alter Friedhof 旧墓地

    手前がベートーヴェンのお母様のお墓です
    3軒くらい向こうにあるのは、シラーの奥様とご子息のお墓

    他にもショーペンハウアーの奥様のお墓があったり、

  • そしてもちろんシューマン夫妻のお墓も

    そしてもちろんシューマン夫妻のお墓も

  • 疑惑もありましたが、<br />ちゃんとクララも同じお墓に眠っているので、<br />妙に嬉しくなりました

    疑惑もありましたが、
    ちゃんとクララも同じお墓に眠っているので、
    妙に嬉しくなりました

  • その向こうには、August-Macke-Haus<br />http://www.august-macke-haus.de/<br />残念ながら、2010年10月5日までは修復中で非公開

    その向こうには、August-Macke-Haus
    http://www.august-macke-haus.de/
    残念ながら、2010年10月5日までは修復中で非公開

  • また場所は変わって、バス604/605/606/607 番でEndenich地区へ<br />(604/605は、上のお墓の脇も通る路線です)<br />Alfred-Bucherer-Straßeで下車<br /><br />植物園 (Poppelsdorfer Schloss) をご覧になる方は、<br />そこから徒歩でいらっしゃってもよいかもしれません

    また場所は変わって、バス604/605/606/607 番でEndenich地区へ
    (604/605は、上のお墓の脇も通る路線です)
    Alfred-Bucherer-Straßeで下車

    植物園 (Poppelsdorfer Schloss) をご覧になる方は、
    そこから徒歩でいらっしゃってもよいかもしれません

  • ここに、シューマンが亡くなる1856年まで<br />最後の2年間をすごしたサナトリウムがあります。<br />現在はシューマン博物館 (Schumannhaus Bonn) <br />になっています<br />http://www.schumannhaus-bonn.de/index2.htm

    ここに、シューマンが亡くなる1856年まで
    最後の2年間をすごしたサナトリウムがあります。
    現在はシューマン博物館 (Schumannhaus Bonn)
    になっています
    http://www.schumannhaus-bonn.de/index2.htm

  • そして、音楽図書館も入っているようです

    そして、音楽図書館も入っているようです

  • ちなみにシューマンは、1854年に自殺未遂を起こすまで、<br />デュッセルドルフのこの家に住んでいました。<br />ブラームス青年が訪ねて来たのもここです。<br />http://www.schumann-gesellschaft.de/kontakt/index.html<br /><br />この辺り、Karstadt (Carsplatz付近) は<br />Altstadtと違って優雅で、<br />18〜19世紀の雰囲気が漂っていてお勧めです<br />(グルメ向けの洗練されたお店も多いです)

    ちなみにシューマンは、1854年に自殺未遂を起こすまで、
    デュッセルドルフのこの家に住んでいました。
    ブラームス青年が訪ねて来たのもここです。
    http://www.schumann-gesellschaft.de/kontakt/index.html

    この辺り、Karstadt (Carsplatz付近) は
    Altstadtと違って優雅で、
    18〜19世紀の雰囲気が漂っていてお勧めです
    (グルメ向けの洗練されたお店も多いです)

  • Bonnに戻って、Bad Godesberg へ。<br />こちらには中央駅から地下鉄兼路面電車16・63番などで行けます。<br />途中にMuseumが沢山あるので、併せて訪れてみられてもいいかもしれません。<br />(ついでに、元首都機能もこの辺に揃っています)<br /><br />この(12) Redoute は、ハイドンとベートーヴェンが出会った場所です

    Bonnに戻って、Bad Godesberg へ。
    こちらには中央駅から地下鉄兼路面電車16・63番などで行けます。
    途中にMuseumが沢山あるので、併せて訪れてみられてもいいかもしれません。
    (ついでに、元首都機能もこの辺に揃っています)

    この(12) Redoute は、ハイドンとベートーヴェンが出会った場所です

  • 古城Godesburgがそこから見えます

    古城Godesburgがそこから見えます

  • Hoftheater<br />この隣の緑の建物に恩師ネーフェ先生が<br />住んでいたとのことなのですが、<br />どの建物のことなのか、分かりませんでした

    Hoftheater
    この隣の緑の建物に恩師ネーフェ先生が
    住んでいたとのことなのですが、
    どの建物のことなのか、分かりませんでした

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