2010/08/12 - 2010/08/13
697位(同エリア942件中)
fluffyさん
- fluffyさんTOP
- 旅行記3冊
- クチコミ29件
- Q&A回答14件
- 30,391アクセス
- フォロワー0人
ずっと行きたかった関門海峡と下関・萩を歴史中心にまわりました。
台風が来たり晴れたりお天気はいろいろでしたが、まわりたかった街を満喫できて、感動の3日間になりました!
歴史の街を回りながら、ちょっとかわいいものも見つけながら古い時代に思いを馳せてみました。
2日目、萩、3日目、下関~長府です。
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
下関から厚狭(あさ)、長門市と乗り継いで東萩駅へ向かいます。
-
なんと厚狭から長門市間は数日前の豪雨で通行止めとなっていて、臨時バスで移動しました!
のどかな風景が広がって、バスの道を通れてなんだか得した気分です。 -
東萩に到着したら、駅前の自転車を借りました。
いろんなタイプの自転車が選べてかわいい自転車に乗ったら気分もなんだか嬉しくなってきます。
駅前から自転車でまずは松陰神社に向かいます! -
「明治維新胎動之地」と書いた石碑が立っています。
ここからたくさんの人物が輩出されたと思うと、この地はまさに胎動の地、なのでしょう。 -
松陰の字が石に刻まれています。
やさしくて力強い文字です。 -
松下村塾です。
ずっと行きたかった場所に来れて、大感動でした。
思ったよりも小さく、それでも何か愛情のこもった力強さを感じました。 -
ここで学んだ一部の塾生たちの写真がありました。
みんな少年時代にここで学び、激動の人生を送っていたのでしょう。
実際こうやって目にするとこの時代の熱い想いが伝わってくるようで胸がいっぱいになってしまいます。 -
隣には塾生がみんなで建て増しした校舎がありました。
-
松陰が暮らし、幽囚の身になって過ごした家があります。
-
-
ここが幽囚の部屋でした。
せまい場所でしたが、ここで松陰はさまざまな事を考え、感じ、それを広めていこうと思ったのでしょう。 -
-
お庭も静かでとてもいい場所でした。
-
松陰神社の鳥居です。
-
あまりに名物のなつみかんソフト!
あ、一口食べちゃいました。。。
このあと吉田松陰歴史館という70体以上の蝋人形(!)で松陰先生の生涯を分かりやすく説明しているところに入りました。
最後はとても切なく、悲しくなりました。。 -
松陰神社を出てすぐのところに門下生の吉田稔丸の誕生地があります。
-
伊藤俊輔(博文)の旧宅・邸宅です。
邸宅は東京から移築したそうです。 -
旧宅は外からの見学になります。
-
身分の低かった博文ですが、ここで育ち、幕末〜明治を駆け抜けていったのでしょう。
-
邸宅には中に入って見学ができ、いろいろな資料を見ることができます。
写真がたくさん残っているので、アルバムも何冊かあり、見たことのない写真も見ることができました。
レトロな窓から街が見えました。 -
松下村塾を作り、幼少時代の吉田松陰を教育した松陰の叔父、玉木文之進の邸宅です。
-
中に入って見学ができました。
彼のすさまじい教育があったからこそ松陰という人間が生まれたのかもしれません。
彼は明治に入ってから先祖のお墓の前で自害しています。 -
吉田松陰誕生の地を通り、松陰のお墓へ向かいます。
ここからの坂がとてもきつく、自転車を押しながら灼熱の太陽にやられ、もうちょっとでくじけそうになりました・・・(汗) -
墓地にはほかに久坂玄瑞のお墓、杉家のお墓、など、数々の人たちが眠っています。
吉田松陰の墓石には二十一回猛士と刻まれていました。
吉田松陰と弟子の金子重輔の銅像がありました。 -
墓地をあとにすると、次は萩城下町へと向かいます。
自転車で地図を見ながら10分ぐらいで当時の面影が残る萩城下町へとやってきました。
円政寺。高杉晋作の母は晋作の幼少時代に度胸を付けさせるためにここにある天狗を見せにやってきたいたそうです。
境内では高杉晋作と伊藤俊輔がよく遊んでいたそうで、その姿が目に浮かぶようです。 -
その隣には青木周弼の邸宅があります。
-
-
次は木戸孝允の邸宅を見学するのですが、あまりに暑くいので、向かい側にあるKimono Style Cafeで夏みかんジュースと小倉トーストを食べました。
-
萩焼の食器で出てきました。とても温かみがあって素敵です。
ここは着物の着付けをしてくれるらいです。
着物を着て萩の城下町を散策・・・なんて素敵ですねぇ。。
でもこの暑さでは私は・・・無理・・・です・・・。。 -
そして木戸孝允(桂小五郎)の家を見学します。
広い立派な家で、中には彼が生まれた部屋や、柱に残った落書き、10歳・17歳の時に書いた手習いの書に朱色でとても褒められているものが残っていたりして、小さいころから賢かったこと、小さな時の姿が思い浮かべられました。
彼は20歳までここで過ごしていたそうです。 -
こんな現代のランプもなんだかマッチしていました。
-
-
菊屋横丁を通り、高杉晋作の生まれた家へ向かいます。
-
城下町が当時のまま残っています。
-
-
高杉晋作の邸宅の門です。
ここには人がたくさんいました。
彼の生涯を思い、ここからすべてが始まったのかと思うととても感動しました。 -
初湯の井戸というのが残っていました。
お部屋は外から見学ができます。 -
木戸孝允(桂小五郎)の妻幾松と高杉晋作の一人息子東一の写真がありました。
-
高杉晋作の家をあとにすると、少し離れた場所の久坂玄瑞の邸宅跡地に向かいます。
-
家は現存していませんが、りっぱな石碑が建っていました。
-
-
明倫館へ向かう途中、山形有朋の大きな銅像がありました!
-
明倫館が見えてきました。
-
とても大きく、立派な建物です。
自転車で走りながら写真撮影を・・・・ -
門から中へ入ると、本当に立派な校舎がありました。
-
長州藩の藩校で、吉田松陰、木戸孝允、高杉晋作たちもここで学びました。
-
「坂本龍馬と萩」について説明がありました。
他国からの修行者との試合として敷地内にある有備館が使われていたようです。 -
威厳のある校舎が並びます。
-
有備館です。
-
-
ホテルからすぐ近くにある野山獄・岩倉獄です。
岩倉獄は身分の低い人が収容されました。 -
吉田松陰の弟子、金子重輔は岩倉獄へ入れられ、ここで病死してしまいます。
-
-
向かいの野山獄は道を挟んですぐです。
ここでは吉田松陰がほかの囚人たちに「孟子」や「孝経」を講義しました。
また高杉晋作も脱藩の罪でここに入りました。 -
時間がなかったので、萩城跡へはいけませんでした。
ホテルの窓からは萩の街が一望でき、本当にすてきな町だと思いました。 -
夕日がきれいに見えました!
逆光でうまく映っていません(泣) -
かわいらしいサイダー発見!
-
次の日は下関へ向かい、小倉からのぞみで帰ります。
短い滞在でしたが、萩の街、ありがとーー☆ -
今日は日本海をぐるっと回って帰ります。
途中田んぼに鷺がたくさんいました。 -
小倉初の新幹線までまだ3時間ほどあるので、下関で下車、バスで30分ほどの長府という町へ短い散策へいきました。
-
突然すごい雨が降ってきました!
雨に濡れた練壁の街並みもなんだか素敵です。 -
長府毛利邸を通りますが、時間がなく、中は見学できませんでした。。
-
功山寺に到着しました。
古い門に威厳があります。 -
山門はとてもすばらしく、下関市指定文化財となっています。
-
仏殿は鎌倉末期のものです。
とても美しいものでした。 -
高杉晋作が伊藤俊輔率いる力士隊や遊義隊を率いて挙兵した場所でもあり、馬に乗った晋作の像がたっています。
-
五卿潜居の間があり、見学ができます。
そこからの庭の眺めはとても美しく、落ち着いた気持ちになります。
京を追われ、五卿がここにいたのかと実感します! -
功山寺敷地内には長府博物館があり、そこにはたくさんの貴重な資料があるそうで、とーても見たかったのですが、何しろ時間がなくてダメでした・・・
次までおあずけ・・・。
晋作も駆け上ったのか?!と妄想をふくらませながら功山寺の階段を下り、もと来た道を帰ります。 -
美しい練壁がどこまでも続きます。
-
-
菅家長屋門は当時そのままで残っています。
すばらしい家柄だったのでしょう。 -
帰りに「忌宮神社」の前を通りましたが、なんだかながーーーい竹??のようなものがたくさん建っていて、すごかったです。
なにかお祭りなのでしょうか・・・・ -
バスに乗り、初日に通った壇ノ浦から関門海峡を見ながら下関へ帰り、小倉から帰宅の途へつきました。。
歴史に想いを馳せたすてきな3日間になりました!
次はもっとゆっくり散策に訪れたいです。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
萩(山口) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
73