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http://sankei.jp.msn.com/world/asia/100726/asi1007261929003-n1.htm<br /><br />http://4travel.jp/traveler/u-hayashima/album/10057748/<br />筆者がカンボジアを訪問したのは1999年12月06日〜12月10日であるから早11年の時が流れた。当時内戦の爪痕を各所で目撃し心を悼めたものである。<br />当時の上記旅日記から内戦の爪痕の部分を抜粋すると以下の如くである。<br /><br />観光地ではどこへ行っても、あどけない顔の子供の物売りが付きまとってくる。彼らの学校は二部制になっていて午前と午後に分かれているらしい。そのため非番の子供達が観光客に付きまとうことになるのである。年齢を聞いてみると中には五歳の子供もいるが概ね8〜12歳位までの学童である。木製の笛や絵葉書、観光案内書、Tシャツ、色とりどりの布地等を売りにくる。商品を持っていない子供はバナナの葉で作った扇を片手に観光客に風を送ったり、階段を昇降する観光客の手をとり、誘導しては小遣いをねだるのである。子供達はどことなく謙虚でまだ悪賢く擦れていないだけになんともいじらしい。豊かな国土に恵まれた国だけに内乱さえなければ、国自体もそれなりに発展して子供達が物売りをしなくても済んだであろうにと飽食の国で贅沢な生活をしながら、塾通いをしている日本人の学童達を思い出していた。同時に祖国が平和国家として発展を続け豊かな生活を営んでいる日本国民であることの幸せを噛みしめていた。<br /><br />有名な観光地だけに限定して見られる現象であるが、膝から下の片足や両足を失った若い男性の乞食達が帽子を差し出してくる。彼らはついこの前までの内戦に従軍して地雷の被害を受けた戦士達であろう。なんとも痛ましい限りである。その数があまりにも多いので一人だけに施しをするわけにもいかず、また乞食全員に施すほどの小金の持ち合わせもないので相手と視線が合わないようにして通りぬけるのだが、内心忸怩たるものがあり実に嫌な気分であった。<br /><br />ポルポト派が1975年に政権を握ってから1979年にベトナム軍が侵攻してくるまでの4年間に虐殺した知識階級、芸能芸術家、富裕階級、旧政府関係者の人数は200万人から300万人にのぼるといわれており、シェムリアップにも虐殺の行われた場所があって慰霊碑が田畑の中に建っていた。<br /><br />それにしても肥沃な平野と豊穣の湖に恵まれ、大半の国民がクメール族で構成された単一民族国家と言ってもいいほどの統治しやすい国でありながら、第二次世界戦争終結後のカンボジアの歴史は混乱と動乱の連続であった。<br /><br />世界大戦後もフランスによる植民地支配が復活し、1953年に独立してからはアメリカ、ベトナム等の侵略が相次いだうえに国王が国外へ亡命せざるを得ない政情下でソンセン派、シアヌーク派、ポルポト派、ヘンサムリン派等が集合離散しながら抗争や内戦を続けたので社会と経済は停滞し民衆の被った被害は甚大で痛ましい。<br /><br />ガイドに聞いたところによれば公務員の月収は30ドルだというから民衆の生活程度は相当ひどいものであることが予想できる。バスの車窓から田舎の農家の建物を見ると高床式になっておりニッパ椰子の葉を束ねて壁に用い、屋根も椰子の葉で葺かれている粗末なものが多い。しかも電信柱も電線も見かけなかったので田舎では未だに灯火で明かりをとる生活が営まれているのであろう。国民の一人当たりGNPは年間300ドルで世界最貧国のひとつに数えられる。しかし、その反面昔ながらの自然がそのまま残っており、道路を行き交う自動車も数えるほどしかなく、夜空の星は大きく明るく輝いており空気は清浄で長閑な田園風景の中に時間が悠然と流れていた。<br /><br />

"カンボジア裁判 「暗黒の歴史」清算へ一歩"を読み悪夢の残滓を垣間見たカボジアの旅を回顧

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1999/12/06 - 1999/12/10

6739位(同エリア8874件中)

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早島 潮

早島 潮さん

http://sankei.jp.msn.com/world/asia/100726/asi1007261929003-n1.htm

http://4travel.jp/traveler/u-hayashima/album/10057748/
筆者がカンボジアを訪問したのは1999年12月06日〜12月10日であるから早11年の時が流れた。当時内戦の爪痕を各所で目撃し心を悼めたものである。
当時の上記旅日記から内戦の爪痕の部分を抜粋すると以下の如くである。

観光地ではどこへ行っても、あどけない顔の子供の物売りが付きまとってくる。彼らの学校は二部制になっていて午前と午後に分かれているらしい。そのため非番の子供達が観光客に付きまとうことになるのである。年齢を聞いてみると中には五歳の子供もいるが概ね8〜12歳位までの学童である。木製の笛や絵葉書、観光案内書、Tシャツ、色とりどりの布地等を売りにくる。商品を持っていない子供はバナナの葉で作った扇を片手に観光客に風を送ったり、階段を昇降する観光客の手をとり、誘導しては小遣いをねだるのである。子供達はどことなく謙虚でまだ悪賢く擦れていないだけになんともいじらしい。豊かな国土に恵まれた国だけに内乱さえなければ、国自体もそれなりに発展して子供達が物売りをしなくても済んだであろうにと飽食の国で贅沢な生活をしながら、塾通いをしている日本人の学童達を思い出していた。同時に祖国が平和国家として発展を続け豊かな生活を営んでいる日本国民であることの幸せを噛みしめていた。

有名な観光地だけに限定して見られる現象であるが、膝から下の片足や両足を失った若い男性の乞食達が帽子を差し出してくる。彼らはついこの前までの内戦に従軍して地雷の被害を受けた戦士達であろう。なんとも痛ましい限りである。その数があまりにも多いので一人だけに施しをするわけにもいかず、また乞食全員に施すほどの小金の持ち合わせもないので相手と視線が合わないようにして通りぬけるのだが、内心忸怩たるものがあり実に嫌な気分であった。

ポルポト派が1975年に政権を握ってから1979年にベトナム軍が侵攻してくるまでの4年間に虐殺した知識階級、芸能芸術家、富裕階級、旧政府関係者の人数は200万人から300万人にのぼるといわれており、シェムリアップにも虐殺の行われた場所があって慰霊碑が田畑の中に建っていた。

それにしても肥沃な平野と豊穣の湖に恵まれ、大半の国民がクメール族で構成された単一民族国家と言ってもいいほどの統治しやすい国でありながら、第二次世界戦争終結後のカンボジアの歴史は混乱と動乱の連続であった。

世界大戦後もフランスによる植民地支配が復活し、1953年に独立してからはアメリカ、ベトナム等の侵略が相次いだうえに国王が国外へ亡命せざるを得ない政情下でソンセン派、シアヌーク派、ポルポト派、ヘンサムリン派等が集合離散しながら抗争や内戦を続けたので社会と経済は停滞し民衆の被った被害は甚大で痛ましい。

ガイドに聞いたところによれば公務員の月収は30ドルだというから民衆の生活程度は相当ひどいものであることが予想できる。バスの車窓から田舎の農家の建物を見ると高床式になっておりニッパ椰子の葉を束ねて壁に用い、屋根も椰子の葉で葺かれている粗末なものが多い。しかも電信柱も電線も見かけなかったので田舎では未だに灯火で明かりをとる生活が営まれているのであろう。国民の一人当たりGNPは年間300ドルで世界最貧国のひとつに数えられる。しかし、その反面昔ながらの自然がそのまま残っており、道路を行き交う自動車も数えるほどしかなく、夜空の星は大きく明るく輝いており空気は清浄で長閑な田園風景の中に時間が悠然と流れていた。

同行者
一人旅
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
  • いたいけな幼児たちが物売りに来た

    いたいけな幼児たちが物売りに来た

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