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  バンコックから遺跡探訪の拠点地シェムリアップまで約一時間の飛行であるが、眼下にはメコンデルタの肥沃で広大な田野が広がっている。洪水でも発生しているのではないかと錯覚させる湿地帯も見える。田はほぼ長方形や方形に区画されていて田一枚の面積は小さく、集約農業が営まれているのではないかと思わせる。<br /><br />  シェムリアップ市内のプノン・バケンという高さ60mの小高い丘に登って見下ろすと五つの塔を持ったアンコール・ワットが緑の密林の中にその秀麗な黄褐色の姿を誇るかのように聳え建っている。1,858年にこの地を訪問したイエズス会の神父C・Eブィユヴォーによって世界に紹介されるまでは密林の中にひっそり眠っていた遺跡であったということがよく判る。<br /><br />  ワットとは寺院を意味し1113年に即位したスリーヤバルマン二世が約30年の歳月をかけて建造し、ヒンズー教のビシュヌ神(太陽の光を神格化した正義と慈悲の権化)に捧げた寺院である。当時王は神の化身であるという思想があり、王の偉業を示すためにその生前から予め、葬儀を行い冥福を祈るための寺院として西向きに建てられたものと考えられている。<br /><br /> 建物は東西1,025m、南北820mの周壁に囲まれた長方形の敷地の中に約200haに拡がって建っている。そして外壁の周囲は幅約190mの堀りが取り巻いている。建物は中央の祀堂を取り囲んで四隅に塔が配されている。これらの塔や中央の祀堂は段のついたピラミッド状になっており、中央の祀堂には段違いに三重の回廊が巡らされていて中央祀堂の高さは65mに及ぶ。この回廊の砂岩で出来た壁面には神話「乳海攪拌」やインド古代の二大叙事詩<br />「ラーマーヤナ」と「マハーバーラタ」物語の各場面、そして「天国と地獄」等の浮き彫りが無数に施されており保存状態も比較的よくて、その高度な芸術性には目を見張るばかりである。またアプサラと呼ばれる美女達の像も沢山彫られており流れるような曲線美と美しい肢体、あやしい手の動き、優しく微笑む口元等芸術性の高いものが多い。これらのレリーフは当時の宮廷の舞姫や女官をモデルにしており、当時の生活や風俗を知る手掛かりともなる。<br />                    <br /><br />  アンコールワットは当時世界最大のヒンズー教寺院であったが、13世紀に小乗仏教が伝わると衣替えして仏教寺院として使われた。<br />  第一回廊と第二回廊を結ぶ中回廊の柱に、寛永九年正月に肥州住人森本右近太夫一房という人物の残した墨書きの落書きがあった。父の菩提を弔い、老母の後生を祈るため数千里の海上を渡りアンコール・ワットに仏像を奉納しに参じた旨記されている。落書きとはいえ長い時を経るとそれなりの歴史的な価値が出てくるところが面白い。<br /><br />  アンコール・ワットの北側に位置しているのがアンコール・トムである。トムとは大王都という意味であり、クメール族のアンコール朝ジャヤバルマン7世(1181〜1220)の治下、文化的にも最も爛熟していた時代に建造された。この一辺3kmの方形の広大な敷地には、バイヨン寺院をはじめとする数多くの素晴らしい建造物が遺跡として残されている。王都の城壁もまた幅130mの方形の環濠に囲まれている。<br /><br />  ジャヤバルマン七世の治世は40年に及ぶが、この王はベトナム中部に住んでいたチャンバ人に30年間近くも侵され続けていた国土を奪回し、乱れた国内を統一して善行と美徳を愛した中興の英雄である。彼は仏法をもって国力を回復したいと考えた王で、アンコール朝としては最初の仏教徒の王者である。仏教的な色彩の強い宗教性を持つ数多くの建造物を建てると同時に、外敵から国を守る難攻不落の都城の機能も持たせようとしたのがアンコール・トムである。この都城を囲む城壁には東西南北の中央に各一門宛、さらに勝利の門と合計五つの門を備えている。<br /><br /> 城壁の内部にはバイヨン寺院、ビミアナカス宮殿、男池、女池、パブーオン寺院、北クリヤン祀堂、南クリヤン祀堂、五つのプリヤピトウ聖堂群、テッププラナム聖堂、癩王のテラス、象のテラス等の遺跡が残されている。これらの遺跡の中での圧巻は都城の中心に位置するバイヨン寺院の54基の塔の四面に刻まれた巨大な観音菩薩の顔である。優しい眼差しと頬に湛えた微笑はこれを仰ぎみる人にえも言われぬ安らぎを与えてくれる。<br /><br />  またトムの南大門の前にかかる橋の両脇には向かって左側に神々の大きな石像が54体、右側には阿修羅像が五十四体並んでいる。これらの像は巨大な蛇を綱引きの綱代わりに握っていて左右両陣営で綱引きをしている。これは乳海攪拌といわれるヒンズー教の神話を表現しているのである。南大門の彫像は顔の残っているものが多く、顔の表情は全て異なっており、豊かな個性ある表情は見ていて見飽きない。<br /><br />  小回りコースにあるタ・プロムは仏教寺院であるが、発見当時から修復を施さず保存し自然崩落も致し方なしとする措置が取られているため、巨大なガジュマルの根が建物に覆いかぶさっているさまは異様で自然の脅威を感じさせる。樹木に浸食されて今にも崩落しそうな門や塔が至るところにみられるが、今後も修復の措置は取らず自然の成り行きに任せることになっているという。<br /><br />  観光地ではどこへ行っても、あどけない顔の子供の物売りが付きまとってくる。彼らの学校は二部制になっていて午前と午後に分かれているらしい。そのため非番の子供達が観光客に付きまとうことになるのである。年齢を聞いてみると中には五歳の子供もいるが概ね8〜12歳位までの学童である。木製の笛や絵葉書、観光案内書、Tシャツ、色とりどりの布地等を売りにくる。商品を持っていない子供はバナナの葉で作った扇を片手に観光客に風を送ったり、階段を昇降する観光客の手をとり、誘導しては小遣いをねだるのである。子供達はどことなく謙虚でまだ悪賢く擦れていないだけになんともいじらしい。豊かな国土に恵まれた国だけに内乱さえなければ、国自体もそれなりに発展して子供達が物売りをしなくても済んだであろうにと飽食の国で贅沢な生活をしながら、塾通いをしている日本人の学童達を思い出していた。同時に祖国が平和国家として発展を続け豊かな生活を営んでいる日本国民であることの幸せを噛みしめていた。<br /><br />  有名な観光地だけに限定して見られる現象であるが、膝から下の片足や両足を失った若い男性の乞食達が帽子を差し出してくる。彼らはついこの前までの内戦に従軍して地雷の被害を受けた戦士達であろう。なんとも痛ましい限りである。その数があまりにも多いので一人だけに施しをするわけにもいかず、また乞食全員に施すほどの小金の持ち合わせもないので相手と視線が合わないようにして通りぬけるのだが、内心忸怩たるものがあり実に嫌な気分であった。<br /><br />  ポルポト派が1975年に政権を握ってから1979年にベトナム軍が侵攻してくるまでの4年間に虐殺した知識階級、芸能芸術家、富裕階級、旧政府関係者の人数は200万人から300万人にのぼるといわれており、シェムリアップにも虐殺の行われた場所があって慰霊碑が田畑の中に建っていた。<br /><br />  それにしても肥沃な平野と豊穣の湖に恵まれ、大半の国民がクメール族で構成された単一民族国家と言ってもいいほどの統治しやすい国でありながら、第二次世界戦争終結後のカンボジアの歴史は混乱と動乱の連続であった。<br /><br />  世界大戦後もフランスによる植民地支配が復活し、1953年に独立してからはアメリカ、ベトナム等の侵略が相次いだうえに国王が国外へ亡命せざるを得ない政情下でソンセン派、シアヌーク派、ポルポト派、ヘンサムリン派等が集合離散しながら抗争や内戦を続けたので社会と経済は停滞し民衆の被った被害は甚大で痛ましい。<br /><br />  ガイドに聞いたところによれば公務員の月収は30ドルだというから民衆の生活程度は相当ひどいものであることが予想できる。バスの車窓から田舎の農家の建物を見ると高床式になっておりニッパ椰子の葉を束ねて壁に用い、屋根も椰子の葉で葺かれている粗末なものが多い。しかも電信柱も電線も見かけなかったので田舎では未だに灯火で明かりをとる生活が営まれているのであろう。国民の一人当たりGNPは年間300ドルで世界最貧国のひとつに数えられる。しかし、その反面昔ながらの自然がそのまま残っており、道路を行き交う自動車も数えるほどしかなく、夜空の星は大きく明るく輝いており空気は清浄で長閑な田園風景の中に時間が悠然と流れていた。<br /><br />  遺跡の見学が終わってからトンレサップ湖をボートでクルーズし水上生活者の生活状況を垣間見ることができた。木製船の上に粗末な住居を作り漁をしながら湖上で生活しているのである。上流の船で大小便を流したかと見れば、すぐ下流の船では住民が洗顔し歯を磨いているのを現実に目撃した。清潔好きで胃腸の弱い日本人にはなんとも不潔で我慢できない光景であるが、水上生活者達は意にも介さない強かさと頑健な胃腸を持っている。これらの水上生活者を相手にする学校や警察、寺院、ガソリンスタンド、雑貨屋、散髪屋等が船の上にあり湖上に漂っているのは珍しく今までに見たことのない風景であった。<br /><br />  トンレサップ湖は東南アジア最大の水産資源豊富な湖で琵琶湖の約五倍の面積を持ち、毎年6月から10月の雨期には、メコン川の氾濫水が流入するので貯水池の役割を果している。この時期には乾期の面積の三倍になるという。メコン川の氾濫は周辺の田畑に自然の肥料をもたらし米の三期作が施肥なしに可能であり、カンボジアの穀倉地帯の形成に大きな役割を果している。淡水魚が三百種もいることでは世界最大の湖といわれている。<br /><br />  カンボジアは肥沃な平野に恵まれている上、ほぼ単一民族の国家であるし、仏教国であるため、ヒンズー社会特有のカースト制もないのでその勤勉で礼儀正しい国民性からして指導者に人さえ得られれば立憲君主制国家として今後おおいに発展していくものと思われる。<br /><br /><br />

内戦の傷痕残るカンボジア

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1999/12/06 - 1999/12/10

9516位(同エリア10761件中)

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23

早島 潮

早島 潮さん

バンコックから遺跡探訪の拠点地シェムリアップまで約一時間の飛行であるが、眼下にはメコンデルタの肥沃で広大な田野が広がっている。洪水でも発生しているのではないかと錯覚させる湿地帯も見える。田はほぼ長方形や方形に区画されていて田一枚の面積は小さく、集約農業が営まれているのではないかと思わせる。

シェムリアップ市内のプノン・バケンという高さ60mの小高い丘に登って見下ろすと五つの塔を持ったアンコール・ワットが緑の密林の中にその秀麗な黄褐色の姿を誇るかのように聳え建っている。1,858年にこの地を訪問したイエズス会の神父C・Eブィユヴォーによって世界に紹介されるまでは密林の中にひっそり眠っていた遺跡であったということがよく判る。

ワットとは寺院を意味し1113年に即位したスリーヤバルマン二世が約30年の歳月をかけて建造し、ヒンズー教のビシュヌ神(太陽の光を神格化した正義と慈悲の権化)に捧げた寺院である。当時王は神の化身であるという思想があり、王の偉業を示すためにその生前から予め、葬儀を行い冥福を祈るための寺院として西向きに建てられたものと考えられている。

 建物は東西1,025m、南北820mの周壁に囲まれた長方形の敷地の中に約200haに拡がって建っている。そして外壁の周囲は幅約190mの堀りが取り巻いている。建物は中央の祀堂を取り囲んで四隅に塔が配されている。これらの塔や中央の祀堂は段のついたピラミッド状になっており、中央の祀堂には段違いに三重の回廊が巡らされていて中央祀堂の高さは65mに及ぶ。この回廊の砂岩で出来た壁面には神話「乳海攪拌」やインド古代の二大叙事詩
「ラーマーヤナ」と「マハーバーラタ」物語の各場面、そして「天国と地獄」等の浮き彫りが無数に施されており保存状態も比較的よくて、その高度な芸術性には目を見張るばかりである。またアプサラと呼ばれる美女達の像も沢山彫られており流れるような曲線美と美しい肢体、あやしい手の動き、優しく微笑む口元等芸術性の高いものが多い。これらのレリーフは当時の宮廷の舞姫や女官をモデルにしており、当時の生活や風俗を知る手掛かりともなる。


アンコールワットは当時世界最大のヒンズー教寺院であったが、13世紀に小乗仏教が伝わると衣替えして仏教寺院として使われた。
第一回廊と第二回廊を結ぶ中回廊の柱に、寛永九年正月に肥州住人森本右近太夫一房という人物の残した墨書きの落書きがあった。父の菩提を弔い、老母の後生を祈るため数千里の海上を渡りアンコール・ワットに仏像を奉納しに参じた旨記されている。落書きとはいえ長い時を経るとそれなりの歴史的な価値が出てくるところが面白い。

アンコール・ワットの北側に位置しているのがアンコール・トムである。トムとは大王都という意味であり、クメール族のアンコール朝ジャヤバルマン7世(1181〜1220)の治下、文化的にも最も爛熟していた時代に建造された。この一辺3kmの方形の広大な敷地には、バイヨン寺院をはじめとする数多くの素晴らしい建造物が遺跡として残されている。王都の城壁もまた幅130mの方形の環濠に囲まれている。

ジャヤバルマン七世の治世は40年に及ぶが、この王はベトナム中部に住んでいたチャンバ人に30年間近くも侵され続けていた国土を奪回し、乱れた国内を統一して善行と美徳を愛した中興の英雄である。彼は仏法をもって国力を回復したいと考えた王で、アンコール朝としては最初の仏教徒の王者である。仏教的な色彩の強い宗教性を持つ数多くの建造物を建てると同時に、外敵から国を守る難攻不落の都城の機能も持たせようとしたのがアンコール・トムである。この都城を囲む城壁には東西南北の中央に各一門宛、さらに勝利の門と合計五つの門を備えている。

 城壁の内部にはバイヨン寺院、ビミアナカス宮殿、男池、女池、パブーオン寺院、北クリヤン祀堂、南クリヤン祀堂、五つのプリヤピトウ聖堂群、テッププラナム聖堂、癩王のテラス、象のテラス等の遺跡が残されている。これらの遺跡の中での圧巻は都城の中心に位置するバイヨン寺院の54基の塔の四面に刻まれた巨大な観音菩薩の顔である。優しい眼差しと頬に湛えた微笑はこれを仰ぎみる人にえも言われぬ安らぎを与えてくれる。

またトムの南大門の前にかかる橋の両脇には向かって左側に神々の大きな石像が54体、右側には阿修羅像が五十四体並んでいる。これらの像は巨大な蛇を綱引きの綱代わりに握っていて左右両陣営で綱引きをしている。これは乳海攪拌といわれるヒンズー教の神話を表現しているのである。南大門の彫像は顔の残っているものが多く、顔の表情は全て異なっており、豊かな個性ある表情は見ていて見飽きない。

小回りコースにあるタ・プロムは仏教寺院であるが、発見当時から修復を施さず保存し自然崩落も致し方なしとする措置が取られているため、巨大なガジュマルの根が建物に覆いかぶさっているさまは異様で自然の脅威を感じさせる。樹木に浸食されて今にも崩落しそうな門や塔が至るところにみられるが、今後も修復の措置は取らず自然の成り行きに任せることになっているという。

観光地ではどこへ行っても、あどけない顔の子供の物売りが付きまとってくる。彼らの学校は二部制になっていて午前と午後に分かれているらしい。そのため非番の子供達が観光客に付きまとうことになるのである。年齢を聞いてみると中には五歳の子供もいるが概ね8〜12歳位までの学童である。木製の笛や絵葉書、観光案内書、Tシャツ、色とりどりの布地等を売りにくる。商品を持っていない子供はバナナの葉で作った扇を片手に観光客に風を送ったり、階段を昇降する観光客の手をとり、誘導しては小遣いをねだるのである。子供達はどことなく謙虚でまだ悪賢く擦れていないだけになんともいじらしい。豊かな国土に恵まれた国だけに内乱さえなければ、国自体もそれなりに発展して子供達が物売りをしなくても済んだであろうにと飽食の国で贅沢な生活をしながら、塾通いをしている日本人の学童達を思い出していた。同時に祖国が平和国家として発展を続け豊かな生活を営んでいる日本国民であることの幸せを噛みしめていた。

有名な観光地だけに限定して見られる現象であるが、膝から下の片足や両足を失った若い男性の乞食達が帽子を差し出してくる。彼らはついこの前までの内戦に従軍して地雷の被害を受けた戦士達であろう。なんとも痛ましい限りである。その数があまりにも多いので一人だけに施しをするわけにもいかず、また乞食全員に施すほどの小金の持ち合わせもないので相手と視線が合わないようにして通りぬけるのだが、内心忸怩たるものがあり実に嫌な気分であった。

ポルポト派が1975年に政権を握ってから1979年にベトナム軍が侵攻してくるまでの4年間に虐殺した知識階級、芸能芸術家、富裕階級、旧政府関係者の人数は200万人から300万人にのぼるといわれており、シェムリアップにも虐殺の行われた場所があって慰霊碑が田畑の中に建っていた。

それにしても肥沃な平野と豊穣の湖に恵まれ、大半の国民がクメール族で構成された単一民族国家と言ってもいいほどの統治しやすい国でありながら、第二次世界戦争終結後のカンボジアの歴史は混乱と動乱の連続であった。

世界大戦後もフランスによる植民地支配が復活し、1953年に独立してからはアメリカ、ベトナム等の侵略が相次いだうえに国王が国外へ亡命せざるを得ない政情下でソンセン派、シアヌーク派、ポルポト派、ヘンサムリン派等が集合離散しながら抗争や内戦を続けたので社会と経済は停滞し民衆の被った被害は甚大で痛ましい。

ガイドに聞いたところによれば公務員の月収は30ドルだというから民衆の生活程度は相当ひどいものであることが予想できる。バスの車窓から田舎の農家の建物を見ると高床式になっておりニッパ椰子の葉を束ねて壁に用い、屋根も椰子の葉で葺かれている粗末なものが多い。しかも電信柱も電線も見かけなかったので田舎では未だに灯火で明かりをとる生活が営まれているのであろう。国民の一人当たりGNPは年間300ドルで世界最貧国のひとつに数えられる。しかし、その反面昔ながらの自然がそのまま残っており、道路を行き交う自動車も数えるほどしかなく、夜空の星は大きく明るく輝いており空気は清浄で長閑な田園風景の中に時間が悠然と流れていた。

遺跡の見学が終わってからトンレサップ湖をボートでクルーズし水上生活者の生活状況を垣間見ることができた。木製船の上に粗末な住居を作り漁をしながら湖上で生活しているのである。上流の船で大小便を流したかと見れば、すぐ下流の船では住民が洗顔し歯を磨いているのを現実に目撃した。清潔好きで胃腸の弱い日本人にはなんとも不潔で我慢できない光景であるが、水上生活者達は意にも介さない強かさと頑健な胃腸を持っている。これらの水上生活者を相手にする学校や警察、寺院、ガソリンスタンド、雑貨屋、散髪屋等が船の上にあり湖上に漂っているのは珍しく今までに見たことのない風景であった。

トンレサップ湖は東南アジア最大の水産資源豊富な湖で琵琶湖の約五倍の面積を持ち、毎年6月から10月の雨期には、メコン川の氾濫水が流入するので貯水池の役割を果している。この時期には乾期の面積の三倍になるという。メコン川の氾濫は周辺の田畑に自然の肥料をもたらし米の三期作が施肥なしに可能であり、カンボジアの穀倉地帯の形成に大きな役割を果している。淡水魚が三百種もいることでは世界最大の湖といわれている。

カンボジアは肥沃な平野に恵まれている上、ほぼ単一民族の国家であるし、仏教国であるため、ヒンズー社会特有のカースト制もないのでその勤勉で礼儀正しい国民性からして指導者に人さえ得られれば立憲君主制国家として今後おおいに発展していくものと思われる。


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  • アンコールワット

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  • アンコール・トム。南大門の神々

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  • 乳海攪拌

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