2010/07/06 - 2010/07/06
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ちゃおさん
東京府中市が嘗ての武蔵国の国衙で、その北およそ10キロの場所に武蔵国・国分寺、国分尼寺が、今、国分寺市となっているがあり、その隣町が当方の住む小金井市。
今日訪問している小金井は、栃木県下野市にあって、この町には国分寺もあれば、奈良時代の日本3大戒壇の一つ、下野薬師寺もある。
関東(坂東)の北と南に小金井と国分寺、二つの町名、史跡があるから、知らない人にとっては、混乱するかも知れない。
斯く言う自身も少しばかり混乱し、前回このブログで、栃木県の嘗ての地名を「下州」と書いてしまったが、正しくは「野州」。
実は、昨日、当方ブログを見て頂いた「風太」さんと言う、栃木県在住の方にその指摘を受け、今日ここに訂正する次第である。
当方、不明を恥じると共に、貴重なご指摘を頂いた「風太」さんに感謝する次第である。
そう下野「野州」。この国分寺の横を流れる黒川を挟んで「壬生」の町があり、今から約1200年前、丁度延暦寺が創建されたころ、この地で生まれたのが慈覚大師・円仁さん。
宇都宮氏・壬生一族の御曹司としてこの町で生まれた円仁さんは、嘗て生誕の頃使ったとされる産湯の井戸もまだ尚壬生寺の境内に残され、この町の人々の誇りとし、敬愛とするところでもある。
円仁さん。幼少の頃より秀で、この町の近く小野寺の里にある大慈寺で修行し、後、比叡山に登り、留学僧として9年間、混乱しつつある大唐国において更なる研鑽をし、五臺山・清涼寺を始めとして大唐全土に足跡を残し、帰国後は世界で2番目に古い優れた旅行記「入唐求法巡礼行記」を著したのは、あまねく人の知るところである。
時の天皇から最初に「大師号」を貰った「慈覚大師」。天台宗第三代座主として、その後も各地を歴訪し、仙台「瑞巌寺」、山形「山寺」、象潟「甘満寺」、ああ、そう言えば、ついこの間参詣した「目黒不動尊」もそうであった。
天台、真言を開闢した最澄、空海さん程は有名でないとしても、東日本に数々の名刹を創建し、今尚人々の崇拝を受けている。
奇しくも先週、中国洛陽の近郊の町で、円仁さんが長安から難を逃れて、日本に帰国すべく寧波或いは山東に向った途次、この町の古寺の境内で、その行状を印した石板が、「圓仁」の名前と共に発見されたという。
これも今日のお盆、亡くなった家族、先人との魂の交流をはかる何かのよすがかも知れない。・・・今はどうか・・・、つい100年ほど前までは、世界に誇れる日本人は数多いたのだが・・・
今は、やや大分、技術に偏り過ぎてしまったのだろか・・・
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