2010/07/06 - 2010/07/06
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ちゃおさん
山手線の駅員に「小金井はどう行ったら良いですか?」と聞いても、駅員は返事に困るかも知れない。
東京周辺には小金井駅は2箇所あり、近い方の駅は中央線、三鷹の先にあり、次ぎの国分寺の手前にある。
もう一つは、宇都宮線(東北本線)の宇都宮に到着する手前にある駅で、以前は北関東の人でないとそれ程知名度は高くなかったが、ここ数年、湘南ラインと言うJR線が茅ヶ崎ー小金井間を頻繁に往復し、その北の終点が小金井となっていて、この電車を利用する人にとっては、都下の小金井よりむしろこちらの方の知名度が高まっているかも知れない。
梅雨の合間、その下州小金井を訪ねることにした。当初、この一つ先の自治医大前にある薬師寺、更に岩舟町にある小野寺・大慈寺、或いは、ここ小金井の国分寺、のどこに行こうか、迷ってもいたが、いつ雨になるかも分からず、又、この地を訪問するに際し、先ずは円仁さんの故地を訪ねるべき、とのことで、新宿からの湘南ライン、小金井行きに飛び乗った。
幸いに雨もなく、下野国分寺、「天平の丘公園」の広い敷地には、訪問客もなく、鬱蒼とした樹木の中、「防人の路」など散策し、往時を偲ぶことが出来た。
この下野、元々はこの辺一体は「毛の国」、「毛野(けぬ)国」と呼ばれていたが、いつの頃からか、上下二つの国に別れ、今の群馬県が「上毛」、所謂「上州」と呼ばれ、ここ栃木県が「下野」(しもつけ)、又は「下州」と呼ばれるようになった。元々この辺一体には「栃木県」の名称にも残されている「栃の木」がいっぱいに密生していた土地とも言われている。
聖武天皇の御世、天平の時代、皇后光明子の病気平癒を願い全国津々浦々の国都の地に国分寺、国分尼寺が建立され、今でも現存する建物もあれば、礎石しか残っていない所でも「国分寺」としての地名が残されている。
この「下野国分寺」。今周辺は緑なす稲穂の海となっているが、今から1300年前の天平の時代には、この辺りにも大きな集落があったのかも知れない。
黒川を挟み、対岸の壬生と比べ一段高くなっている丘陵地帯は、国の施設としての国分寺、国分尼寺を建立するには最適の地だったかも知れない。幼少の頃の円仁さん、慈覚大師も黒川を渡り、この寺に詣でかと思うと、懐かしく思われた。
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旧、下野国分寺跡は、今は大きな森になっている。
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梅雨のさなか、訪れる人もない森に足を踏み入れるのは、森厳な気持ちにさせるものがある。
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遠くに見える紫式部のお墓。二つ並んでいるのが奇妙である。
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何故ここに式部の墓があるのか、今は誰も知らないが・・
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国分寺、国分尼寺の嘗ての広大な境内を利用しての「天平の丘公園」は、鬱蒼とした林の中にあった。
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公園内には万葉の頃の植物、それ以前の防人の道、なども残されていた。
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もう既に万葉集を口ずさむ人も日々少なくなってきている。
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1300年経っても枯れずに湧き出ている泉。
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林の先に古墳のようなものもあったが、これは最近人工的に作られたものだった。・・止めて下さい!
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誰の発想か知らないが、この神聖な土地にこの様なまがい物を作るのは「止めて下さい!」。
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「夏草に 礎石も隠る 国分尼寺」。
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国分寺、五重の塔基壇。今もその当時が偲ばれる。
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当時の建築技術は高かった。整然と並ぶ礎石。
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今生まれたばかりの青ガエルが礎石の上を飛び跳ねている。多分、1300年前と変わらぬ光景。
「廃寺の 礎石の上に カエル哉」 -
天平の丘公園に植えられていた「やまもも」。こんな場所にこの様な南方系の果樹が植えられているとは珍しい。
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先日大連を旅行した際、町で「やまもも」を売っていたので買って食べたが、日本のも全く同じ味だった。同行の三人はこの「やまもも」の名前すら知らず、皆初めて食べたという。
「やまもも」「ハシバミ」「さるごけ」「栃の実」など古代人が好んで食べていた果実も今の日本人には遠い過去のものとなっているのだろうか・・
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