2010/04/16 - 2010/04/16
712位(同エリア842件中)
ソフィさん
2008年4月16日(水)
荒れるにまかされていた城は、19世紀になり、観光の対象として注目されるようになる。
住民が勝手に持ち出して使っていた城の石は、現状保存のため保護され始めた。
廃墟となった城や古い街並みは、ロマン主義芸術家たちを魅了し、詩人や画家が集まる。
ゲーテ(1749-1832)は、生涯に8回ハイデルベルクを訪ねた。
66歳のときハイデルベルクで出会う、最後から二番目の恋人は、16歳でマリアンネと称したが、彼女の日記の一文が石碑に刻まれている。
「ここで私は、ゲーテと愛し愛され幸せだった。」
1840年に開通した鉄道は、この街の発展を加速する。
マイヤー・フェルスターが1901年に発表した「アルト・ハイデルベルク」は、ヨーゼフ・フィクトール作の同題の歌と共に、この街を古き良き時代の学生生活への夢を歌い上げ、世界の関心を集める
1871年に2万人だった人口は、半世紀後には8万人と急成長する。
1930年にはアメリカからの寄付があり、大学はいっそうの発展を見た。
戦争被害を受けなかったハイデルベルクは、さらに多くのドイツ人を受け容れた。
ハイデルベルクは、アメリカ米軍やNATO軍の基地ともなり、軍事的にも存在を高める。
その結果、現在の人口はほぼ15万人に達しようとしている。
最近ハイデルベルク城と旧市街は、ユネスコの世界文化遺産に登録申請されたが、2005年、2007年の二回拒否された。
ハイデルベルクの古い面影を残す地区は、どこを歩いても中世の街を歩いている感じがする。
広場から、ネッカー川を渡るアルト・ブリュッケのたもとに達し、アルト・ブリュッケを背にして繁華街を大通りに抜け、教会の前の喫茶店で一服する。
帰りはほぼ同じ道を通って、マンハイムの美しく花や緑に飾られた大通りを、船に向かう。
マンハイムには立派なLRTが走っており、綺麗に洗練された街をゆっくり下車してみたいのだが、次に機会に譲る。
船は、今日の晩がお別れのディナー。
アムステルダムからはるばる上って来た道のりをかえりみながら、ややセンチメンタルな気持ちでビンのワインを飲み干す。
写真は、「ソフィーさんのマイページ」(写真6,600枚)、
http://4travel.jp/traveler/katase/
スイスアルプスの写真が美しい、「片瀬貴文さんのマイページ」(写真2,400枚)
http://4travel.jp/traveler/takafumi/
掲載順に並び、文字が大きくて読みやすい、「片瀬貴文の記録」
http://blog.alc.co.jp/d/2001114
などもご覧ください。
(片瀬貴文)
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