2010/06/20 - 2010/06/20
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フルリーナさん
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先日、南アフリカのエイズの方々への支援のコンサートが世田谷のカトリック赤堤教会であると、NGO「ニバルレキレ」の小山さんを通してご紹介いただいて、友人たちと聴きに行ってきました。
そして、歌、津軽三味線などのすてきな音楽とともに、
小山さんをはじめ、南アフリカでボランティアで働かれていた方々のお話を聴くことが出来ました。
南アフリカの方々は今回のワールドカップを、南アフリカで開催できることを本当に喜んでいるそうです。
それだけ、アパルトヘイト・アパルトヘイト後の南アフリカは、大変な状況の中でがんばってきたのだと思います。
ワールドカップとともに、ニバルレキレのこと、南アフリカのこと、そこで何が起こったか。
南アフリカの記事に関しては、以前私のヤフーブログにアップした2006年の古い記事ですがご紹介できたらと思います。
読んでいただけたら嬉しいです。
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小山えりこさんは、「ニバルレキレ」という南アフリカのエイズ孤児の支援をするNGOをなさっています。
そのHPからちょっとご紹介しますね。
「2003年から始めた、ニバルレキレ。ニバルレキレというのは、「あなたはあなたであるだけですばらしい」という意味のズールー語です。南アフリカ共和国のヨハネスバーグという大都市に隣接するエクルレニ市を中心としたタウンシップとスクウォッターキャンプ(スラム)で、HIVエイズとともに生きる人々と一緒に活動しています。NGOというよりは、生き方の姿勢をともにする仲間の集まりです。
7年目に入った今年は、サッカーワールドカップが南アで開催されます。
アフリカに関心を持たれる人も多いかもしれません。私たちもブログを始めることにしました。7年間には様々なことがありました。分かち合うこと、ともに生きていくことの意味について、私たちはわかっているようで、わかっていないことがたくさんあります。皆さんと一緒に、考えていけたらうれしいです。 」 -
小山さんのHP「ニバルレキレ」はこちらで、
↓
http://d.hatena.ne.jp/ngibalulekile/
アフリカのこと、エイズのこと、南アフリカのエイズの人々と共に生きた故・根本昭雄神父のことなど、たくさんの記事が書かれています。 -
また、ニバルレキレでは
ニバルレキレ展を開催してくれる場所に、子供たちのえや作品を貸し出してくれます。
学校や、グループなどで、イベントやチャリティーを行うとき、ぜひぜひニバルレキレ展を開催してくださる方々が増えるといいなあと思います。
↓
http://info.linkclub.or.jp/nl/2004_06/anata.html
http://d.hatena.ne.jp/ngibalulekile/20100613/1276366252
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(2006年・ヤフーブログの記事から)
ご報告が遅れてしまいましたが、
先月(2006年)、(故)根本昭雄神父の南アフリカでのエイズの状況などの講演会がありました。
お話は、アフリカ、中国、ロシア・・・に及び、さまざまな大変な状況の報告がありました。
その後、六本木の修道院でさらにお話を伺い、共に祈る時間を与えていただきました。
今日は、そんな中から根本神父様のお話からご紹介しようと思います。
*〜*〜*〜*
南アフリカは、人口4千万人、じつに、その中HIV患者は500万を超える数です。
2010年までに国民の平均寿命は40歳以下に低下すると予想されるそのエイズの状況は
まさに、大変なものです。
エイズはアフリカ全体が抱える大きな問題であり、
さらにいまや地球規模での大きな問題となっています。
南アフリカのエイズの問題は、
その背景として、大国がもたらした植民地支配の問題・・・貧困やアパルトヘイトがあります。
アパルトヘイトは1948年に法制化され、
もともとアフリカに住んでいた人々は人権をうばられ差別され大きな苦しみを負わされました。
黒人の人たちは、国土の13%にすぎない辺境不毛の地に設けたホームランドといわれるところに住まわせられました。
1976年、アパルトヘイト政策を敷く南アフリカ政府は、
白人支配の象徴である「アフリカーンス語」の授業を学校に導入を決定しました。
アフリカーンス語はアパルトヘイトを強化した政府の言語として一般に考えられていたので、
この法令は黒人の人たちを憤慨させました。
そして1976年4月30日、ソウェトの小学校の子供たちが学校へ行くことを拒否してストライキに入りました。
そして彼らの反乱はソウェトの多くの他の学校に広がっていきました。
学生たちは1976年6月16日に、デモ行進を行いました。
*〜*〜*〜
1976年6月16日の朝に、学校でアフリカーンス語の学習を強制されることに抗議するため、
何千という黒人学生がデモ行進のために集まった。
多くの学生はこれから何が起こるかを知らずに登校し、その朝になってデモ行進について知ったが、
大部分が参加に同意した。
抗議は平和的に行うよう意図されており、より広い黒人意識運動からの支援のもとで
ソウェト学生代表評議会(SSRC)の行動委員会によって慎重に計画されていた。
行動委員会が十分な統制と平和的な運動を強調した後、教師達も行進を支援した。
学生たちは行進を始めたが、
すぐに彼らの計画したルート全体に警察がバリケードを築いていたことが分かった。
行動委員会のリーダーは警察を刺激しないように群衆に依頼し、
行進は別のルートに進んだあとオーランド高等学校の近くで終わった。
3,000から10,000人の学生の群衆は学校のエリアに向かって進んだが、
同時に警察が警察官の増員を要求した。
その後に起こった大虐殺に関して、何がきっかけだったのかは様々な風評がある。
学童が石を投げていたと主張した報告があるが、
抗議行動は平和的で子供たちからは乱暴な行動はなかったと主張するものもいる。
警察は石を投げ始めた学生を散らすために催涙ガスのキャニスターを投げた。
ガスにより群集は少し後退させられたが、彼らは歌いながら
「ビバ・アザニア」、「もし我々がアフリカーンス語を話さなくてはならないなら、
フォルスター(大統領)がズールー語を話さなくてはならない」、
「アフリカーンス語反対」といったスローガンのプラカードを振り回し続けた。
ひとりの白人男性の警官がピストルを引き抜き銃を発射したことで、パニックと大混乱が起こった。
学生が金切り声を上げて走り始めると、さらに発砲された。
最初にヘースティングス・ヌドロフ、次に13歳の子供ヘクター・ピーターソンという具合で、
少なくとも4人の子供たちが撃たれた。
彼の死体を撮った写真は警察の暴力のシンボルになった。
学生がパニックになったため暴力はエスカレートした。
政府が黒人を統制するためにアルコールを使っていたと多くの人が信じていたために、
酒屋とビヤホールが襲撃された。
救急車が往復するに連れ、救急病院は傷ついて血まみれの子供たちで一杯になった。
収容された子供たちのほとんどすべてが銃弾傷を受けていた。』
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)「ソウェト蜂起」より引用』)
*〜*〜*〜
この「ソゥエト蜂起」で約200人もの子供たちが犠牲となり銃を受け亡くなりました。
そしてこれに怒った多くの市民が政府が子供たちを殺したことに講義し、
また、白人の学生たちも政府に対する抗議の行進を行いました。
そしてこの悲惨な出来事は多くの国で報道され、南アフリカは、多くの国々から非難を浴びていきました。
「このできごとは、子供たちが彼ら自身の中で考え、話し合い、炸裂していった出来事でした。
町中が、抗議で集まったこどもたちで埋めつくされました。」
そうおっしゃいながら、根本神父様は、この時の子供たちの写真を見せてくださいました。
銃に撃たれ、叫び声が聞こえてくるような悲しい写真でした。
そして暴動の後には、街は血まみれになった子供たちでいっぱいになったそうです。
しかし、この子供たちの犠牲は、アパルトヘイト終焉にむけてのはじまりとなりました。
彼らの尊い命の一つ一つの犠牲が、アパルトヘイトという大きな壁を崩していったのです。
南アフリカはこのような悲惨な歴史を繰り返しながら、次第に変わっていきました。
しかし、アパルトヘイトの弊害はいまだに克服されずに
多くの黒人の人たちは、ひどい貧困から抜け出せずにいます。
貧富の差は広がり、貧しい人々はスラムの中で、大変な生活を送っています。
多くの問題がありますが、もっとも重要なのは「いのちの教育」だと根本神父様はおっしゃいます。
これからの未来を背負っていく子供たち・・・そこに希望があると。
しかし、スラムに住む黒人の子供たちには教育を受ける余裕はありません。
そこで根本神父様が働かれていた施設のひとつ「聖アンソニー教育センター」では
スラムの子供たちが無償で教育を受けられる学校です。
政府からの援助もあるようですが、継続してなされているものではないらしく、
援助がストップしては交渉を続け、何とか再開し、
「ことしは学校を閉めずにすんだ・・」という、学校をいつ閉めなくてはならないか・・・
という綱渡りのような状態での教育支援のようです。
若い人々は家族のために都会に出て働きます。
そして、家族の生活を支えるために体を売ってお金を得る女性もいます。
そんな中でエイズは爆発的に増え、
潜伏期間が長いエイズは、キャリアだと気づかないままに結婚し、母子感染としても大きく広がってしまっています。
根本神父様はおっしゃいます。
「今、神様が私たちに必死に何かを求め、訴えられているように思うのです。
・・・愛とは何か・・・・ 平和とは何か・・・
今、私達は核戦争の影にも覆われつつあります。
しかし、みんなで何かを求め続け、連帯していけば、
何かの形で<大きな力>になっていくのではないでしょうか・・・」
そうおっしゃいながら、南アフリカで、アパルトヘイトの後の処理問題として行われた
とても珍しい、そしてすばらしい人間の可能性を感じさせてくれる
「真理と和解委員会」についてのお話をなさってくださいました。 -
アパルトヘイト後、南アフリカはさまざまな犠牲と苦しみのもと、新しい道を模索始めます。
その先頭となって指導して行ったのはN・マンデラ氏です。
マンデラ氏は、1944年にアフリカ民族会議(ANC)に入党し反アパルトヘイト運動に取り組みました。
そかしアパルトヘイト政策はさらに厳しくなり、1956年にはANCなどのメンバー156人が逮捕され、
さらに1960年には警官がデモ隊に発砲して69人の非武装の黒人が殺されるシャープヴィル大虐殺が発生しました。
そしてANCのリーダーだったマンデラ氏は62年には逮捕、投獄され25年後の1990年2月11日に,やっと解放されました。
1994年4月に南ア史上初の全人種参加選挙が実施され、マンデラ氏は大統領となりました。
彼は民族和解・協調を呼びかけ、アパルトヘイト体制下での白人・黒人との対立や格差の是正、黒人間の対立の解消、復興へと取り組みました。
*〜*〜*〜
一方、反アパルトヘイトのもう一つの大きな力・・ツツ大主教がいました。
ツツ氏は、黒人として初めてヨハネスバーグ大聖堂主任司祭となったツツ氏は、
説教などを通して、自由と平等について語りはじめます。
彼のユーモアにあふれた魅力的な人柄は人を引きつけ、良心的な白人への支持も広がりました。
ツツ氏は、積極的に反アパルトヘイトを訴え、黒人を代表して南アフリカ政府に抗議を行い、
外国を訪れてはアパルトヘイトの不当性を説き、
アメリカなどに対しては、南アへの政治的圧力や経済制裁を訴え、
「アパルトヘイトはナチス以来の悪政策」と主張し、非暴力での反アパルトヘイト運動を続けました。
そしてアパルトヘイトに対して、平和的な手段で抵抗を続けている南アの黒人たちの勇気をたたえ、
1984年、ノーベル平和賞が贈られました。
授賞式でツツ氏はこう語りました。
「人々の人間性を無視することは、自分達の人間性を無視することなのです。
抑圧することは、被抑圧者と同じくらい抑圧者の人間性を損ないます。
人間となるには、真に自由になるには、お互いが必要なのです。
私たちは人間の仲間、共同体、平和の中にのみ人間となれるのです。」
その後、アパルトヘイトを強く推し進めてきたボタ大統領が病気で退陣し、
1992年までにアパルトヘイト関連法はすべて廃止されました。
しかし、アパルトヘイトの傷跡は深く、
新しい国を作っていくために、何よりも黒人と白人の人々の和解が必要でした。
そこで、大統領となったマンデラ氏は大胆な、
しかし、まさに「人間の可能性」を示すような方策を打ち出しました。
*〜*〜*〜*
それは
「真理と和解の委員会(Truth and Reconciliation Commission of South Africa)」といいます。
かつて、国家の政策としてはこのようなものは例のないものだったのではないでしょうか・・・。
これは、南アフリカの村々の伝統的な長老たちの話し合いによる解決方法を取り入れたものだそうです。
裁判で解決するには、あまりにも傷の深い、たくさんの悲惨な出来事を経験してしまった人々・・。
その黒人、白人が同じ国民として新しく手を取り合って生きていくために・・・。
マンデラ大統領をはじめとして、南アフリカの人々が選択した道は、
真実を明らかにし、謝罪し、赦しあう・・・という道でした。
つまり、アパルトヘイト時代に起きた人権侵害や暴力事件を明らかにし、
互いに赦しあう・・・そしてそのために「真理と和解委員会」の設置を決め、
その委員長としてマンデラ大統領はツツ大主教を指名しました。
−アパルトヘイトの時代に、多くの罪もない人々が虐殺され、暗殺されていった。
しかし、自らが自分の犯した罪を認め見つめ、心から謝罪するなら、
たとえその人が100人の人を殺していようと赦します−
このような、とんでもなく難しい「罪」と「赦し」の問題に
南アフリカの加害者と被害者の人々は向き合い、話し合い、理解しようとしていきました。
その中にこんな話があります。
*〜*〜*〜
バンデ・ブロイクという警官が他の警官たちとともに起こしたことです。
彼らは18歳の少年を銃で撃ち、その遺体を燃やしました。
8年後バンデ・ブロイクは同じ家に戻り、今度は少年の父親をつかまえガソリンを体にかけ火をつけ、
それをおくさんは強制的に見せられたそうです。
「委員会」で、長男と夫を殺されたその奥さんに発言の機会が与えられ、
「バンデ・ブロイク被告にどうしてもらいたいですか。」と尋ねられた奥さんはこう答えたそうです。
「夫の体を焼いた場所へ行って灰を集めてほしい。そうすれば夫をきちんと埋葬してやれるから・・」
警官は頭を垂れ、うなずいそうです。
おくさんはさらに続けました。
「私はバンデ・ブロイクさんに家族全員を奪われました。
でも私にはまだ愛がたくさん残っています。
彼に月に2回ゲットーに来て私と一日を過ごしてもらいたい。
そうすれば私はブロイクさんの母親のようになれますから。
そしてブロイクさんが神に赦されていること、そして私も彼を赦していることを知ってほしいのです。
ブロイクさんを抱き締めていいでしょうか。
そうすれば私の赦しが本物だということがわかるでしょうから。」
そして彼女が法廷の証人台に向かって歩き始めると、
誰かが「アメイジング・グレイス」を歌い始めたそうです。
このとき被告は感極まって気絶してしまったといいます。
*〜*〜*〜
もちろん、全ての事柄がこのような話ではないでしょう。
被害者にとって愛する人を殺された人々の痛みは、謝罪されたからといって薄れるものではないでしょう。
赦したいという気持ちと、割り切れない苦しみや悲しみ・・・
もしかしたら捨てきれることのない憎しみとの狭間で揺れ動くこともあると思います。
加害者のほうも、謝罪したからといって、その人の罪が全くなにも行わなかったかのように
白紙になるということではもちろんないでしょう。
謝罪したほうも、赦されたことによってその罪を・・・
もしかしたら今までよりも大きく背負っていくことになるのかもしれません。
本当に悔いる・・・謝罪する・・・とは、そういうことのような気もします。
しかし、それでも、そんないろいろな思いを心におそらく抱いたままであっても、
赦されない罪であることを心に痛く感じながら、罪を告白して真実を明らかにすること
そして、赦すことが自分にできるかどうかわからないままにも赦そうとすること・・・
そんな、お互いの苦しみや葛藤の中で、この法廷はなされていったのではないでしょうか。
そして、こうして多くの人々が当時の罪を告白し、被害者に謝罪しました。
多くの人々が寛大な処置によって赦されました。
これは、罪を真実に告白したら、赦しあいましょう・・・という、
そういう伝統のあるアフリカの人々だからできることかもしれません。
しかし、これは人間にとって大きな可能性を感じることのできることですよね。
憎しみは、憎しみしか生み出さない。
そうして、どれだけ長い間、人間は悲しい憎しみや殺し合いの歴史を繰り返してきたことでしょうか。
「・・・赦しあう事・・・とても、そんなことできない」
「・・・そんなこと不条理ではないか・・・」
そう思う方もたくさんおられると思います。
しかし、アパルトヘイトの傷跡を癒す唯一の方法は、
真実を明らかにし、謝罪し、赦しあう事・・・
そう信じて、このとてつもなく難しいと思われることを、やりとげたマンデラ大統領とツツ大主教、
そしてそれを支持した南アフリカの人々・・・
とくに、自らが大きな苦しみと悲しみを背負わされながら、
憎しみではなく、赦しを選択した南アフリカの黒人の方々は
ほんとうにすごい・・・って思います。
そしてこんなことができる「人間」のわたしたちも同じ人間の一人なんだって思います。
ツツ氏はこういいます
「 過去に目を閉ざせば同じことの繰り返しです。
過去の真実を見つめなければいけません。
その時初めて、新しい社会を作ることが出来るのです。」
この委員会で約2年半の間に約2万件の事件を扱ったといいます。
その最終報告書をマンデラ氏に渡すとき、ツツ大主教はこう語ったといいます。
「きょうプレトリアから、癒しの水を流そう。
私たちの大地、人々を潤すための癒しの水を。
そして、団結と和解をもたらす癒しの水を。
私達はこの報告書を通して、自分たちの目に獣が宿っていることを知るだろう。
しかし黒人も白人も手をつなぎ、それを乗り越え、未来へと歩き出そう」
*〜*〜*〜*〜
こうして南アフリカは新しい道を歩き出しました。
しかし、アパルトヘイトの残したものは大きく、まだまだ大きな課題を抱えているようです。
変わりつつある、南アフリカではありますが、貧困という大きな問題はなかなか克服できません。
とくに、貧困層の貧しさ、そして教育の遅れ、エイズの知識不足から来る感染の広がり、
「いのちの教育」、それはコンドームを配れば解決する問題ではないと
根本神父はおっしゃいます。
「いのち」をみつめ、「いのち」を大切にし、「いのち」をはぐくみあう・・・
わたしたちが、これからの未来に向け、
自分の利益だけをおいもとめ、敵を作り、憎しみと破壊への道を選ぶのか・・・
悲しみや苦しみを背負うことになるかもしれないけれども
人々の苦しみや悲しみを理解しあい、自らの非を見つめ告白し、その罪を背負いながらも
赦しあい、助け合い、愛し合っていく道を選ぶのか・・・
この選択は、今の時代に課せられた、地球の未来への大きな分岐点のような気がします。
*〜*〜*〜
今、プレトリアで行われているワールドカップの試合を見ながら、これを書いています。
祈りを込めて、マティー君の詩を最後に・・。
大人になる(パート?)
ぼくたちは大人になる。
ぼくたちにはいろいろな肌の色がある。
ぼくたちにはいろいろな言葉がある。
ぼくたちにはいろいろな年齢や体のおおきさがある。
ぼくたちにはいろいろな国がある……
でもぼくたちはひとつの地球にいる。
ぼくたちひとりひとりにひとつのこころがある。
ぼくたちひとりひとりにひとつの命がある。
ぼくたちはいっしょに大人になる。
だからひとりひとりが
こころをひとつにして
いっしょに生きていかないと。
ひとつの家族のように。
『すてきなすてきな世界のために』−ハートソング2−
マティ・ステパネク[著] 廣瀬裕子[訳]
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この旅行記へのコメント (4)
-
- 潮来メジロさん 2011/01/18 03:37:18
- 難しい問題ですが・・・。ヾ(^o^)
- フルリーナさん、こんばんは! ヾ(^o^)
> 憎しみは、憎しみしか生み出さない。
> そうして、どれだけ長い間、人間は悲しい憎しみや殺し合いの歴史を繰り
> 返してきたことでしょうか。
その通りですね。私も理屈としては理解できるのですが、もし、実際に肉親や兄弟が目の前で虐殺されるのを見たら、果たして許す事ができるのでしょうか・・・。
きっと復讐を誓ってゲリラ活動に参加するとか、恐怖に慄いて逃げ出すかも知れません。
本当に南アフリカの人達が、憎しみを捨てお互いを許しあい協力していけるなら、世界有数の豊富な地下資源もある事ですし、上手に富の再分配をして貧困から抜け出して豊かな国に生まれ変わる事でしょうね。
難しい問題ですが、ぜひ、そのようになって欲しいと思います。
(潮来メジロ)
- フルリーナさん からの返信 2011/01/19 22:28:15
- RE: 難しい問題ですが・・・。ヾ(^o^)
- メジロさん
コメントありがとうございます。
南アフリカのある部族には、「許す」という言葉がないそうなんです。
許すことが当たり前の文化としている、それを知って、このような裁判が可能かも・・・ということになったと聞きました。
この地であったから、可能だった裁判かもしれませんね。
でも、まだまだアパルトヘイトの爪あと、貧困の問題、エイズの問題・・・
難しいことだらけですね。
途上国も、先進国も、それぞれほんとにいろいろ難しい問題を抱えているのでしょう。
美しい地球で、みんなが仲良く安心して暮らせる日が早くじつげんするといいですよね。
-
- Michyさん 2010/07/05 19:16:48
- 拍手!
- フルリーナさん、
素晴らしい旅行記をありがとう!
先日フルリーナさんに書いたお返事では、私の言いたかったことが伝えられなかった気がして…改めてコメントさせてもらいます。
タイミングがぴったりと書いた以上に、ここに書かれている内容は私の友達の問題に共通していて、とても重く心に響きました。
マンデラ氏が解放された時、私はロンドンに住んでいてマンデラ氏の過去とアパルトヘイトの歴史については、新聞を読んだりドキュメンタリーなど見たりして知っていたつもりでしたが、この今改めて南アフリカでワールドカップが行われていることの奇跡!をフルリーナさんの旅行記を拝見しながら実感しました。
私がロンドンに住んでいた頃、パレスチナ人の友人がいた私は、旅行記に書かれている”憎しみは憎しみしか生み出さない”という言葉が痛い位にわかる話を何度も聞かされてきました。
ロンドンでずっと勉強を続けていきたいと思っていた友人は、危険が度重なっていた家族の元へ戻り、その後連絡を取り合う約束をしていたのに音信普通に…。
今でもイスラエルの問題のニュースを耳にする度に、彼のことを思い出します。
長々とすみません。
旅行記に書かれていたコメントを読みながら、南アフリカが変われたのだから、これから変わることができる国もあることを信じて止まない気持ち、どこかで生きていて欲しい友人を祈るような気持ちでいっぱいになりました。
Michy
- フルリーナさん からの返信 2010/07/06 22:02:59
- Michyさん ありがとうございます
- Michyさん
ありがとうございます。
何よりもまず先に
パレスチナのご友人のご無事をお祈りいたします。
ずいぶん前ですが、憎しみを乗り越えるために・・・
パレスチナ人の子供たちとユダヤ人の子供たちが
一緒に話し合ったりキャンプをしたりする試みをしているドキュメンタリーを見て、とても心に残りました。
憎しみを断ち切ることは本当に難しいけど
そこにしか、希望は生まれてこないような気がします。
難しい問題ですけれど・・・。
以前、元テロリストの牧師さんのインタビューを読んで書いた記事があります。
もし、お読みいただけたら嬉しいです。
http://blogs.yahoo.co.jp/fururina2000/10050523.html
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