2010/04/28 - 2010/05/07
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ひぐらしさん
毎年恒例の北海道の旅。
5月の連休に、生まれの地根室は約30年ぶり、8年間住んだ釧路は約15年ぶりというかなり久々の凱旋の旅をした。いつも通り食べ道楽はもちろん、生まれ育った家が残っているか、通っていた学校、プール、スーパー等、当時の足取りをたどる旅でもあった。
札幌でキリンビール園など2日間楽しんだ後、釧路空港でレンタカーを借りて根室へ。4歳まで住んでいた町である。
最東端納沙布岬ははずせない。市街地は4歳児の数少ない記憶に残っている風景とは大きく変わっていた。
根室港は数えるほどしか船が停泊していなく、寂しい印象だった。
駅前のカニ屋も少なかった。住んでいた頃は、違法合法含め多量に花咲ガニが獲れていた。大阪のたこ焼き屋状態で小さなスタンドがあちこちにあったと記憶している。
今回一緒に行った父が曰くには飲食店も当時の活気がなくなったとのこと。
父が若い頃に行った事のあるという居酒屋『俺ん家』でホッケ、花咲ガニ、お酒は北の勝。美味。
翌日からは、中標津~知床~摩周へ行ったが、それは別立てで写真を紹介することとして、その後13歳まで住んだ釧路に2泊した。
釧路は、漁業、炭鉱、観光と1・2・3次産業がバランスよく発達した街だった。
当時、遠洋漁業が好調でサケ・マスの他、タラ・イワシ・サンマがよく獲れていて水揚高日本一だった。
当時旧釧路川の河岸にびっしり停泊していた中~小型船が,
今はなくなって幣舞橋~久寿里橋間が公園化されていた。観光地として親水空間を設けたと考えると良い取り組みだ。
獲れた魚が入っているプラスチック箱(たまに40cm位のサメが入っていたりする)をのぞきながら漁船の横を歩く風情も良かったんだけどね。
九州や空知の炭鉱がエネルギー革命と事故の影響で閉山する中、釧路の炭鉱は無事故の安全な炭鉱として有名だった。
小~中学校の頃、クラスにも炭鉱マンや関連会社の子供が何人かいて、まさに炭鉱のお膝元という地域だった。
住宅地の間を石炭を運ぶトロッコが走っていて、採れた量によって編成と本数が増減していた。運転する人によるのか、架線に火花が飛ぶほどのスピードで走るトロッコもあれば、踏み切り待ちでジレルほとゆっくり走るトロッコもあった。
現在、炭鉱は規模を縮小して別会社として運営されており、トロッコも廃止され、線路跡に住宅が建っていた。
以前はこの街の家は、外に石炭箱と灰捨て場があったが、それも見当たらない。平成のエネルギー革命か。
興津坑を掘ったときの土を積み上げた真っ黒いズリ山が緑化されているのには驚いた。景観に金と人手をかけるのはなかなかできないだけに良い取り組みだ。
泊まった18階建の全日空ホテルは当時はなかったし、他にも東横インやらパコやらチェーンホテルが増えていた。
増えるのは観光産業の面では良いが、突如ノッポビルが現れる無秩序な街並み、釧路の街が好きなだけに残念だった。
買い物のため、幣舞橋から駅方向へ北大通を歩いてみると、目抜き通りがシャッター街。。。ドアにはテナント募集の看板多数。
連休の影響があるにせよ、開いてる店はわずか、人も数人しか歩いていない。自動車も少ない。
駅のバスターミナルは閑散としており、バスの本数自体が少ない模様。当時は、ターミナルに入りきれずバスが順番待ちしていたのに。。。
それでも以前と比べて人口が1割程度しか減っていないのは上出来か。
地図を見るとここ30年くらいで市街が北~西方向へシフトしたようだ。北にはラムサール条約で指定されている釧路湿原が広がっているが、条約の指定地から外れている湿原の南端が切りとられていってるようだ。地震の多い町で湿地を陸化させた住宅地、、、大丈夫か?
小学生の頃、毎日のように通ったプール、毎月訪れた青少年科学館、いずれもここ5年くらいの間に閉館されており、建物が残っているだけに寂しさが一層際立った。自分が通わなくなったから閉館になったのか?
あと、ガイドブックにも乗っている和商市場。当時は市民の台所であり自分たちの食べる用の魚や親戚に送る魚を買う人が多かった。
今回見たところ、半分以上が観光客。威勢の良い売り声もまったくなし。
当時は、買わないのが悪いみたいに喧嘩腰の荒っぽい売り声が多く、幼稚園の頃は市場を歩くのが怖いくらいだった。
そんな市場も今はまったり感?あきらめ感?が漂っており、勝手丼の具をうれしそうに選ぶ観光客を相手にしているのが寂しかった。
といいながら、自分も勝手丼の具を選んでみたり、すじこをサービスしてもらったり。結構楽しめるものである。
思い入れのある街だけに、変わり行くのが残念で元気のない部分ばかりスポットライトを当ててしまったが、大好きな2つのものは変わっていなかった。
その1つは『夕日』。小学生の頃、幣舞橋から見る夕日が好きで塾やプールの通い道によく眺めたものだ。ロマンチスト(?)としては欠かせない。
今回、ホテルの予約の際、夕日が見える部屋を準備してもらったので部屋から見ようと思ったが、やっぱりソワソワと幣舞橋まで見に行った。
今回は時期的に海に沈むのではなく、さらに西の陸の向こうに沈むのだが、それでもよく映える夕日は健在で、刻々と色が変化するのを眺めていると時が経つのも忘れる。この夕日は、飛行機乗ってでも見に来る価値がある。
変わっていないものの2つめは、『食』。
夕食は、釧路の伝統的炉端で魚をと思い、『かじか』さんに入ってみた。
自分で焼かず、若女将が焼場で全員分を焼く仕組みで、これがポイントのようだ。自分で焼くと、ついつい強火になったり、焼きすぎたりして素材の食感と風味が楽しみづらいが、ここは弱火で時間をかけて焼いてくれる。
しかも、ネタが最高に美味い。ホタテ、ツブ、柳カレイ、ホッケ・・・お酒は北の勝。美味美味美味。
やっぱり自分はこの街が好きなんだと改めて実感。
そうやって釧路の夜が更けていった。
(知床・摩周編へ続く)
- 交通手段
- レンタカー
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4月29日時点では、ソメイヨシノの開花はまだ先の模様
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大雨で濁流と化した豊平川
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札幌の夜景@JRタワー
住んでいたのはあの辺り。。。この15年ほどで秩序なく大きな建物(ほとんどがホテル)が増えた。
お気に入りはこの反対側にある旭山公園から見る夜景。 -
千歳市街上空を飛ぶ戦闘機。たいてい4機編隊。この騒音に耐えるからこそ、市営住宅・水道が安い等の行政サービスが受けられるそうだ。
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5月になっても渡らない白鳥@ウトナイ湖
この後、奴さんが手をかまれることに。。。 -
100回以上の搭乗経験で最も怖かったフライトだった。
着陸約10分前に揺れが強まり約5秒落ち続けた。。。備え付けの紙袋を活用した人もいた。 -
最東端 納沙布岬灯台。
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根室の名酒メーカー『北の勝酒造』明治20年創業
旨みのあるお酒。魚やカニに合います。 -
街の看板①@歯舞漁港
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街の看板②@歯舞漁港
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この街の夕日は美しい。左右から突堤が伸びてその先に沈むのが絵になる。
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海に沈む夕日はまさに七変化。刻一刻と色が変わる。
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写真を撮ってる人を発見。同じアングルで。。。いい雲だね。
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日没後の旧釧路川。以前は、川沿いに漁船が並んでいて水揚げされたカゴにサメが入っていてびっくりした。釣り人も多かった。
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絶妙の火加減で焼いてくれる炉ばた『かじか』さん。
自分でテキトーに焼くより美味い。しかも、具材が美味いしデカイ。 -
ホタテ@炉ばた かじか
肝もデカくて食べごたえ充分。 -
泳ぎを覚えた炭鉱のプール。。。閉鎖されてました。
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毎月のように通った青少年科学館。。。閉鎖されてました。
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小学校の遠足で訪れ、美味い水をたっぷり飲んだ『シャモトラの井戸』。あの甘い懐かしい味を再び。。。
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飲用禁止されてました。。。
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よく遊びに行った興津海岸。見覚えのある廃車(ギャランシグマ)がガレキに。。。
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興津海岸の岩壁。以前は、左側がつながっていて人が通れるサイズの円状になっていた。
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何もかもが変わっていく中で、小学校は健在。遊具が減ったなぁ。以前は、ターザンやら登り棒やらがあった。
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8年間住んでいた家(右)も健在。
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1500年前の家も健在@北斗遺跡
北海道は縄文文化が長く、平安時代に入ってもこのような住居に住んでいたらしい。 -
ルームサービスのステーキ定食@全日空ホテル釧路。この後、部屋はニンニク臭で大変なことに。。。
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釧路和商市場の勝手丼。具材1切れ100〜200円程度。
ご飯が隠れるまで具を載せると寿司屋の海鮮丼位の値段になる。昔ながらの1パックとか1ブロック売りでこそ市場の安さが実感できるのにねぇ。25年位前は地元の人でごった返して活気があったが、今回は観光客も少なくて閑散としていた。何より、売り声が少なく静かになってしまった。 -
エゾシカハンバーグ@釧路空港
臭みは抑え目、ソースが石井のハンバーグみたいな甘目。本当にそれが合うのか?
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