2009/12/17 - 2009/12/20
21位(同エリア81件中)
ぱぶさん
母の7回忌と言うことで、久し振りに田舎に帰った。瀬戸内海の小島である周防大島は、明治の頃より移民の島、出稼ぎの島として知られており、また近年過疎化・高齢化が進み、静かな・のどかな田舎に戻りつつある。ぱぶさんの故郷である、平野地区を中心に地に足をつけたリポートでその辺りをお伝えしよう。
この写真は裏山に当たる白木山(しらきさん)の頂上から平野・森地区を撮ったものである。番号で説明しよう。
① は 森地区にある神の山(こうのやま)
② は ぱぶさんの故郷、平野地区
③ は 隣部落で、ぱぶさんの同級生もいる森地区
④ は ぱぶさんが子供の頃、夏に良く、ろこぎ和船で弁当持って家族で魚釣りに行った鍋島
⑤ は 森の波止場
⑥ は ぱぶさんの子供の頃は白砂海岸があったが、今ではすっかり埋め立てられて学校や文化交流センターと言った公共設備(箱物)、星野哲郎記念館等がある
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<久し振りの帰郷(法事)、片添ケ浜、神の山、みかんの島、農道?>
羽田で弟夫婦と落ち合い、午前8:15の飛行機で広島に飛ぶ。10時前、広島空港近く、着陸前の景色である。 -
空港でレンタカーし、弟の嫁さんのお姉さんが予約している高台にある厳遊庭(がんゆうてい)と言うレストランに行く。眺めが良く、眼下に広島西空港の滑走路を見る。
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お姉さんとレストランで会い、豪華なコース料理を美味しくご馳走になる。別注文で名物の大きな牡蠣2ケづつを頂くも、皆さん完食あたわず!
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豪華お刺身の盛り付けはこのよう。
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食事のあとは、一路周防大島を目指して高速・国道をドライブ。
2時間くらいで大島大橋をわたり、まだ午後4時頃だったので、橋を渡ってすぐの飯の山に車で登り、瀬戸内海の景色を見渡す。(これは柳井の方角) 金魚の尻尾の方に位置する平野には夕方6時頃着く。 -
母の7回忌法要の日には兄弟姉妹が各地より参集し、全員揃った。
これは姉が何年も掛けて完遂した四国88ケ所礼所巡りで集めたスタンプを軸装したものである。ぱぶさん他の兄弟も皆、その偉業に感動し、良くやったねと賛意を惜しまなかった。早速これを飾り、お寺さんを向かえた。 -
法要そのものは、ぱぶさん家のプライベートなことなのでさらりと1枚のコラージュにまとめた。お寺参りやお墓参りも含めてイメージはわかっていただけるだろう。
お勤めのサービスが終わって、和尚さんに弟が88ケ所巡礼の軸装について感想を求めた。「たいしたものですね!」の賛辞かもと期待していたところ、何と和尚さん曰く「巡礼は観音様信仰であって、キリスト教で言えばマリアさん信仰。キリスト教ではキリスト様が中心であるように、仏教では仏様が中心、即ち、「南無阿弥陀仏の軸の方がよろしい!」とのご託宣!
あ、あ!!姉は、軸装をしばらく田舎の家に置いておこうかと当初考えていたのだけど大阪の家に持ち帰ることとした。(ぱぶさんも姉のお宝なのだからそれが良いと賛成した。) -
法要の後は、ぱぶさん達の部落から車で10分くらいなところに位置しているサンシャイン・サザンセトで会食し、夜は温泉に入り、1泊した。
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翌朝早く、温泉のサウナに入っていたら、地元の人が入っており、ひょんなことからこの人は森部落の人で、ぱぶさんの2級下で、若いうちは大阪にいたが故郷に帰ってきて今は、近くでお土産屋さんをやっていると言うことであった。部落の人たちや諸々の近況について聞いた。
朝食の後、ホテルの前で全員集合の記念撮影を行い、兄弟姉妹はそれぞれに帰路に付いた。 -
もう大分以前の事となるがサンシャイン・サザンセトでは中学の同窓生で還暦祝いの同窓会をここで持ったことがある。
中学当時の同級生の約半数近くが集まり、恩師を囲み近況報告、歓談、カラオケ、温泉と一時を楽しんだスナップがあるのでつけておこう。
周防大島の特性の如く、地元に住んでいるものは2名くらいで本土の山口県下、広島、関西地区に住んでいるものが大多数であった。(出稼ぎの村の伝統?) -
ぱぶさんは法要の前日と当日午前中のちょっとした時間(2〜3時間)を使って、平野・森地区を歩いてみた。
先ず森の波止場に行ってみた。2つあって、一つは漁師用、もう一つはレジャー・ボート用となっておりこのスナップの右側が漁船、左側がレジャーボート。また、背後の山は神の山(こうのやま)。 -
レジャーボートはこの様。
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また、昔、沖どりといって2隻の網船で底引き網をしていた船はこの様に陸に上がっていた!
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当時、ハンド島と呼ばれるこのスナップに見える、沖の小島辺りで魚を捕っていた。またこの島の近くはタイ釣りの場所でもあった。
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これは神の山神社への鳥居。秋祭りに良くここに来たことがある。
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この石段を登ると、社がある。
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神の山神社の近くを歩いていると、この様なキャンピング・カーが止まっていた。リタイヤーした様な人が車に出入りしていたので、先のレジャーボートとも合わせ、田舎にもこの様な人生エンジョイ派もいるのだなとなにか納得した。
しばらくこの森地区を散策する。中学時代の級友の家もこの辺りにあり、ブラブラするも、しかとは特定できず。そう言えば、中学の学芸会で「ビルマの竪琴」(まだ戦後が終わってない当時で、観客からはお涙一杯の大喝采を得た)を部隊仲間として演じたN君も数年前に亡くなったとの風の便りであった。 -
一方、このスナップの様に昔はこんなに狭い道を家の軒スレスレにバスが走っていて、良くすれ違い等上手に出来たものだなと感心させられる。病院は院長先生が亡くなっていらい、廃院となったままでちょっと哀れ。薬師寺は昔のままであった。
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このスナップはぱぶさん家の代々の土地である。ここから白木山が左バックに見える。
ぱぶさんが子供の頃はここは田んぼであった。中学・高校生の頃に水田からみかん畑に転換。
今は地元で農業する兄弟もいないのでみかんの木も全て切ってしまい、この地を管理している弟は、人に頼んで草刈等メンテしてもらっている。 -
周防大島では、まだみかんは沢山生産されている。また、山の中の段々畑は車の走れる立派な農道(?)でみかんの収穫にも便利となっている。このスナップは農道からのものであるが、今後、農道の維持・管理も大変であろう。
いずれにしても、今回紹介したように、周防大島には、沢山見るべきものがあるし、遊んで楽しいところでもある。
星野哲郎作詩の大島音頭に言う、“のんた大島よいところ、ほんにさいさいきんさいね!”(良いところなので、何度でもいらしてくださいね!)である。
今回、ぱぶさんは兄の特権で、弟に無理を言い、またその協力を得て、周防大島各地を回ってもらい、この4tra 報告記が書けた。弟には感謝・感謝である。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 385さん 2010/05/23 12:42:35
- 周防大橋(屋体島)「きんさいね」!!”(最終回)
- ぱぶさん
いつも暖かなブログで心引き込まれてしまいます。
自然がいつぱいな故郷を持ち、心の宝石が詰まっていますね!!
お姉さんの「心が詰まった軸装」を和尚さん曰く「巡礼は観音様信仰」で
あって・・・托宣!私の様な凡人には「心」で、深い事よりも素直さでは
ないかな?☆”お姉さんを自分に置き換えて(軸装は大変な財産)です。
屋台島の風景より毎度魅了される大橋〜柳井の内海の青さや、当時ハンド島
と言われた青海は想像を掻き立てられます。
お陰さまで私の心までが童心に変えさせられました。
- ぱぶさん からの返信 2010/05/23 13:50:40
- RE: 周防大橋(屋体島)「きんさいね」!!”(最終回)
- 385さん:
いつもぱぶさんサイトをご訪問&一票有難うございます。
いろいろ丁寧に読んでいただきコメントを感謝です。
> 屋台島の風景・・・
これは、笑っちゃいました!済みません、「屋代島」です。「屋台島」も
良いですね! 笑) 屋体島は風情がちょっと不足でしょうか?
ぜひ、周防大島をよろしくお見知りおきお願い致します。 (*^_^*)
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