1997/11/29 - 1997/11/30
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北風さん
今でこそ、チリと言えば「アニータ」さんが有名だが、本来この国には世界的に非常に有名な観光名所「イースター島」があった。
世界7不思議の一つ「イースター島」、俺の南米旅行のチェック・ポイントの一つでもあったのだが、昔高校で習った地理の授業なぞとっくに脳細胞から削除されているので、南米に上陸するまでイースター島はチリ近海に浮かぶ島との認識しかなかった。
(・・・情けない)
しかし、南米に上陸してから既にかなりの情報は集めた。
万全の体制で挑む観光名所なぞ、俺の旅行では非常に珍しい事かもしれない。
モアイの夢まで見るようになった1997年11月29日、俺はチリの国内線ラパヌイ行きに乗り込んだ!
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自転車
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旅日記
『イースター島の為にその一』
1997年10月14日、俺は南米と言うのにメチャ寒い、ペルーのアレキパにいた。
何故ならイースター島行きの航空チケットを南米一格安で買えるのが、この街だと聞いていたから。
アレキパは、確かに寒い!
しかも、「首絞め強盗のメッカ」として名高いこの街で朝から地図を片手に街外れをうろつく場合、背筋にもゾッとする冷たさを感じる。
数々の怪しい方々の熱い視線がもし眼に見えるなら、俺の背中はまるでヤマアラシみたいになっているのではないだろうか?
首絞めのターゲットにされる前に、目指す Lan CHILE Air のオフィスが見えてきた。
転がり込むようにドアを開ける。 -
まるでモデルのような受付のお姉ちゃんの、朝日に輝く金髪が安堵と共に眼に飛び込んできた。
「イースター島行きのチケットを一枚!」
まるで列車の切符を買うような話し方だったかもしれない。
が、しかし、お姉ちゃんの即答も列車の切符売り場並みに早かった。
「チリからの往復でUS$899」
・・・これは、外気温より冷たい一言だった。
一瞬呆然となった脳みそに南米の基本ルールが蘇る。
武器は唯一つ「言い訳と泣き落としの南米」!
「友達はこの前、US$500で行ったのに、どうして俺には・・」と、まるで噂を本当のように並べ立てる。
お姉ちゃんの白熊並みに毛深い白魚のような指を、もう一度コンピューターの上で走らせるまで泣き言5分、結果「あら、特別割引期間があったわ」との答えが返ってきた。
ビンゴ!
Lan CHILE Air は、年に2回、サンチアゴ〜イースター島の特別割引機関を設定していた。
期間中は、なんと料金US$399!(97年は10月〜12月10日)、割引条件は飛行機が土曜発着の便しか使えない為、島に最低1週間は滞在しなければならないらしいが、そんなもの俺の旅には No Problem !
モアイまであと、3500km! -
旅日記
『イースター島の為にその二』
チリの首都サンチアゴから車で2時間の所にビーニャという港町があった。
そして、ビーニャには、日本人宿「汐見荘」があった。
基本的には日本人宿には泊まらない主義なのだが、盗難のメッカ南米じゃ背に腹は変えられない。
4日間の滞在中、お土産7kgを船便で日本に送った。US$38!安い!しかも速くて確実らしい。確かに「南米で荷物を送るならチリ」との評判は真実かも。
塩見荘では、イースター島へ行く準備に明け暮れた。
昼は玄関にモアイ像が立つ、サンチアゴの「モアイ博物館」へ行き、夜はイースター島を題材とした「RAPA NUI」のビデオを見てひたすら予備知識を高める。
なんと言っても、俺にとって南米旅行の一大イベント!飛行機の離陸前にありったけの知識を蓄えなければ! -
<イースター島とモアイの謎>
モアイと製作した人々は、ある日突然歴史上から姿を消していると言う。
島に残されたのは、眼をくり抜かれ、うつぶせに倒された無数のモアイ像だけだったらしい。
一つの仮説として、島の王が奴隷階級の島民にモアイを大量に作らせた結果、モアイ移動の為に島中の木々を切り倒し丸太に使った。木の無くなった島からは土砂が流れ出し、作物が育たなくなった可能性が高い。食料不足に怒った奴隷の反乱によって王のシンボルであったモアイは全て倒され、人肉まで食う程に最後には食料が無くなった為、島民は飢え死にしたとの事。
つまり、モアイを造りすぎた結果、島が亡びたらしい。
しかし、語り手のいなくなった真相は、未だ謎とされている。 -
世界7不思議の一つ「イースター島」、そしてここへの観光は俺の南米旅行の目的の一つでもあった。
しかし、昔高校で習った地理の授業なぞとっくに脳細胞から削除されている俺には、イースター島は地理近海に浮かぶ島との認識しかなかった。
そこで今回、いざ飛び立つこの日にこの島がチリから「3500km」もの彼方に存在している事を知る。
・・・どうしてこんな南太平洋の孤島がチリの一部なんだろう?
あと4000kmも行けば、オーストラリアに着いてしまうのだが? -
1997年11月29日、とうとうイースター島へ上陸!
世界的では「イースター島」で知られているこの島は、現地ではこの島を「Isla de Pascua (LAPA-NUI)」と呼んでいた。
飛行機の銀翼の下に浮かぶその島は、意外と大きいものだった。
タラップを降りると同時に詰め掛ける人、人、人!
一瞬、インドでバスを降りた時の思い出とオーバーラップする。
どうやら、ここでも現地の民宿で客の争奪戦が繰り広げられているらしい。
憧れの地、イースター島での最初の出迎えの文句は、「こっちの宿は安いよ!」だった。 -
<ハンガロア村>
「ハンガロア村」
この島で唯一スーパーマーケットまで備える町の名前だった。
飛行場からあっという間に村のメインストリートにたどり着くと、村とは呼ばれてはいるが、立派なショーウィンドーまでついた土産物屋まである。
さすが、世界的な観光地という所か。
そして、そのモダンな店の軒先を走るのは、なんと馬!きれいに整備されたアスファルトの路上には、日本製のジムニーがあちこちに停められてはいるのだが、どうやらこの島民の日常の足には未だに馬も使われているらしい。
ふと、普通の家の庭先に目がいくと、そこには・・
さりげなく飾られてはいるが、あれは世界遺産モアイじゃないのだろうか? -
旅日記
『モアイとの遭遇』
宿を選ぶのは簡単だった。
いや、正確には百戦錬磨の長期旅行者のグループ(飛行機の中で日本人旅行者何人かと知り合った)で、団体で泊まることを条件に、引く手あまたの民宿の値段を値切り倒すのは簡単だった。
「うちの民宿は、歩いてすぐの所にモアイが立っているわよ」の一言で、ホテルは決まった。
空港から民宿の自動車で数分、この島で一番大きいハンガロア村にたどり着く。
俺たちの民宿は、村はずれの海に面した場所にあった。
荷物を置くと同時にカメラを引っ張り出す。
今脱いだばかりのブーツの紐を締めなおす。
やる事は決まっていた。
歩いてなぞいられなかった。
待ち望んでいたモアイが遠くに見えているこの状況で、そんなにのんびりと余裕を見せていられない。
でこぼこの急斜面を抉り取るように、ブーツの底から土が跳ね上がる!
息が上がるほどに走る速度は増していた。
夕焼けに染まる草原の彼方に、いろんな雑誌で登場しているシルエットが浮かんでいる。
世界7不思議まで、あと3分! -
「アフ・タハイ遺跡」
ガイドブックには、夕日が最高に美しい、しかも街から歩いて10分の遺跡と紹介されていた。
まぁ、早く言えば「お手軽モアイ」というところかもしれないが・・・
そんな事はどうでもいい!
ここまでの道のりが走馬灯のように頭を・・・
感動とは、それまでの過程で成り立つものかもしれない。
1997年11月29日、俺はモアイと対面した! -
旅日記
『フル・オリジナルのモアイって目があるの?』
イースター島の映画「ラパ・ヌイ」では、島の長耳族の王が神への信仰心を示す為にモアイを作らせていた。
最初はスリムで小さなモアイだったらしいが、次第に大きくなり赤い帽子まで追加されたらしい。 -
そして、現在、そのフル・オリジナル状態の復元モアイが目の前に立っている。
なんと、ギョロッとした眼までついて!
ガンダムで言えばフル・オプション状態の、赤い帽子にギョロ眼のこのモアイ、妙にコミカルだ。
俺の中の神秘のイメージで包まれたモアイが、今、まぬけなロシア人のイメージに変わっていく。 -
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夕闇が風を連れてきた。
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風が雲を水平線へと追い込んでいく。
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イースター島に夜が来る。
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とりあえず、村から歩いていけるという「ラノ・カオ」なる死火山を見に行く事にした。
が、しかし、一歩村を出ると・・
まるでニュージーランドの様な禿山の草原が広がっている。
目指すラノ・カオが遠く霞んでいるのは気のせいだろうか?
本当に歩いていける所なのだろうか? -
・・・2時間後、海沿いの道に出てきた。
しかし、まだ着かない!
Tシャツから吹き出した汗は既に塩に変わり始めていた。 -
延々と続くかと思っていた上りが急に平坦に!
眼前に巨大なカルデラ湖?みたいな景色が・・・ -
<RANO KAO (ラノカオ死火山)>
やっとたどり着いたラノカオ死火山は、巨大な火口に広がる無数の水溜りに青空が溜まっていた。 -
「おおおっ!」
モアイ以外でもこの島は魅せてくれる! -
<ORONGO NATIONAL PARK(オロンゴ国立公園)>
オロンゴ岬でしばし休憩
ガイドブックによれば、あの沖合いの島は「モツ・ニュイ島」との事。
古代、あの島は「鳥人儀礼」なる儀式の舞台として、村の代表が鳥の卵を取りに競って泳いで渡ったらしい。 -
ふと、岬の岩に手を突くと、どー見てもヒヨコに手足をくっつけた様な物が岩肌に刻まれていた。
これが、「ロンゴロンゴ文字」との事。
メキシコのマヤ文字は人の顔だったから、別にヒヨコで文字を作ってもいいのかもしれないが、じっと見ていると、ベトナムで食べた有性卵(半分形が整ったひよこが入っているゆで卵)を思い出してしまう。 -
石室なる部屋の入り口は、人一人がやっと入れる大きさだった。
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旅日記
『イースター島の宿事情』
「あなた達、悪いけど明日出て行ってくれる?」
「寝耳に水」との格言を思い出したのは、この島について2日目の夜のことだった。
現在、目の前で強制退去を言い渡すこの白人系チリ人のおばちゃんは、確か2日前の空港で「1週間泊まってくれるのなら、1日US$10で、キッチン付よ!」とのたまった方と同一人物に思えるのだが・・
追い出す理由もすごかった。
「明日、知り合いが泊まりに来るのを忘れていたの」ときたもんだ。
謝るかわりに
「次のホテルは見つけといてあげたわよ。あ、それと、キッチンのガス代US$5はそっち持ちよ!」
とたたみかけられた。
「イースター島で観光客ズレしていないのは、モアイだけ」との噂を証明してくれる人物が早くも登場!
しかし、この悪どさはインド人もビックリだ!
おばちゃんをモアイの下にでも埋めたろかぐらいに散々言い争いをしたがなんか馬鹿らしくなった。
さっさと移動した次のホテルは、シャワーがかぎりなく水に近い温度だった事は玉にキズだが、ロケーションは最高で村のど真ん中!
最初口うるさいだけのおばちゃんも最後は、一緒に写真を撮るぐらいに親しくなった。
俺にとっての不満は、部屋の外に出していたブーツが翌朝忽然と姿を消していた事ぐらいだろうか?
まぁ、あれほど使い倒したブーツに未練はないが、この島の住民はモアイ同様なかなか謎の部分が多いかもしれない。
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