2010/03/06 - 2010/03/07
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korotamaさん
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掛川で楽しみにしていたのは掛川城。
復元天守は鉄筋コンクリート製が当たり前の中、このお城の天守はなんと木で復元してくれました!
味わいある天守を楽しみました。
- 交通手段
- 自家用車
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徳川幕府が一国一城令、武家諸法度を発するとともに、1644年、諸大名に提出させた城絵図「正保城絵図(しょうほう しろえず)」。
実物と異なっていると罰せられたため、正確なのだそうです。
有難い、貴重な資料ですね。
掛川城は逆川(さかがわ)と倉真川(くらみがわ)が合流する平野に築かれた、川と丘を利用した平山城です。掛川城天守閣 名所・史跡
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こちらの方がわかりやすいですね。
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正保城絵図を元に造られた模型。
本丸を城郭の隅に配置し2方向を他の曲輪で囲む梯郭式の縄張です。 -
城郭に入る前に、逆川から天守を眺めました。
小高い丘の上に美しくそびえています。 -
城の始まりは室町時代まで遡りますが、1590年に全国を平定した豊臣秀吉により山内一豊が掛川城に入り、城下の整備を始めとし、天守を造るなど城郭の整備を行いました。
一層一階の付櫓を持つ、複合式望楼型三重四階の天守です。掛川城天守閣 名所・史跡
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正保城絵図を元に復元された、本丸門「四足門(よつあしもん)」から入城します。
門の内側には入城者を調べる番所があったそうです。 -
四足門の前に掘られた「三日月堀(みかづきぼり)」。
その名のごとく、三日月の形をしています。 -
本丸門から北に伸びる「十露盤堀(そろばんぼり)」。
端から水が染み出していました。 -
1854年に建てられた、時を告げる「太鼓櫓」。
1955年(昭和30)に三の丸から本丸に移築されました。掛川城天守閣 名所・史跡
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天守への登城路から眺めます土手。
入館料は天守閣・御殿のみだと300円。
敷地内にある二の丸美術館のみは200円。
セットだと400円です。 -
くねくねとした登城路をのぼり、天守を見上げました。
ここには天守閣を守る二層の櫓門があったそうです。
今は木の門が代わりを務めています? -
天守のある曲輪「天守丸」は一豊入城前は本丸として使われていましたが、天守閣を造った際に本丸とは独立させたとか。
天守丸内の「霧吹き井戸」。 -
天守を真下から眺めます。
東海地震により天守は何度か倒壊しているそうで、1854年(安政元年)に倒壊して以降は再建されませんでした。
1994年(平成6)に日本初の本格木造によって復元されました。
復元に当たっては、山内一豊が掛川城の天守と同様の姿で造ったと言われている高知城の天守を参考にしたそうです。掛川城天守閣 名所・史跡
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ん?
天守台から斜めにはみ出ているー。 -
おぉ。
石落としを設けるためなんですね。 -
木造、好きです。
復元材は青森ひばだとか。 -
武者走り?
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1階にはなにやら興味深いものが多々展示されています。
難攻不落の要塞「高天神城」?
家康、遠州制覇の夢「横須賀城」?
このエリア、また来なくっちゃねぇ(^^ゞ -
間の階に武者隠し、あり。
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掛川の名産、葛の繊維を織り上げた「葛布(くずふ)」でできた襖が入っている天守最上階。
ここには城ガイドの方がいらして、掛川のこと、掛川城のこと、いろいろと教えてくれました。 -
天守は何度か地震により倒壊し、再建されているため、創建時の造りは不明なのだとか。
そこで、一豊が高知城を築城した際に、掛川の城と同じように造ったという資料が残っていることから、復元に当たっては、高知城を参考にしたそうです。
高知城天守閣の最上階天井もこのように枡目状になっているのだとか。
訪れたときは気がつかなかったなぁ…(/_;) -
天守閣の東に位置する二の丸。
左は二の丸美術館。
右は江戸時代後期の建物が現存する「掛川城御殿」。 -
天守閣南に位置する本丸の、東より。
手前に、くねっと曲がった登城路。
その向こうに見えるのが、1854年に建てられ、1955年に三の丸から本丸に移築された、時を告げる「太鼓櫓」。
太鼓櫓の左手には「四足門」。
四足門の手前には「十露盤堀(そろばんぼり)」。掛川城天守閣 名所・史跡
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城の南を走るJR。
掛川駅に新幹線が滑り込むところでした。掛川駅 駅
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山並みのむこーには、遠州灘。
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足元には、かつては城を守る一役を担った「逆川(さかがわ)」が流れています。
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天守丸と十露盤堀の間にあった「腰曲輪(こしぐるわ)跡」。
明治期に削られてしまったため、今は狭い通路のようになっていますが、江戸期には2つの櫓と井戸があったそうです。 -
二の丸に建つ茶室。
これは平成になってから造られたそうです。
こじんまりとした庭もあって、落ち着ける雰囲気です。
2月に将棋の王将戦がここで開かれたそうです。 -
二の丸茶室は入館料が500円ほどかかります。
ちょっとだけ、外から拝見。
季節がら、雛飾り、しかもkorotamaこれが2度目に見る「御殿ひな飾り」が普通の雛段飾りの隣に飾られていました。 -
二の丸茶室の庭園で…
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しっとり。
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二の丸茶室の裏庭から天守を仰ぎ見ました。
石落としの部分が出っ張っていて、ちょっと珍しい感じがします。 -
二の丸に建つ、現存の「掛川城御殿」。
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玄関屋根には「起破風(むくりはふ)」という上向きに膨らんだ破風が付いています。
懸魚は「蕪懸魚(かぶらけぎょ)」というそうな。
かぶに形が似ているから、だそうです。
1854年の地震により倒壊したため、1855年(安政2)から1861年(文久元)にかけて再建された時の城主、太田資功の家紋、太田桔梗も施されています。 -
廃藩までの14年間、掛川藩の公式式典の場、城主の公邸、役所として使われてきました。
廃藩後は、徳川兵学校、女学校、町役場、市庁舎、農協、消防署などとして使われてきましたが、壊されることなく、江戸時代後期の姿を今に残しています。
保存修理を経て、1980年、国の重要文化財に指定されました。
御殿が現存する城郭:
掛川城、二条城、高知城、川越城の4つ。 -
書院造の御殿の一室に、掛川城のジオラマ (^.^)
櫓もいっぱい建っていたのですね。
御殿でも、ボランティアの方が詳しく説明をしてくれました。
木造天守復元は掛川市民の強い願いと多額の募金により実現したとのこと。
天守でも御殿でも、詳しく説明もしてもらえて、なんだか、感謝、です。 -
この高低差が美しい。
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御殿から天守を仰ぎ見ます。
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外部から二の丸御殿を隠す目的で造られた「黒土塁」が御殿脇にひっそりとありました。
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御殿を後にしつつ、天守を仰ぎ見ます。
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本来の位置から50m北に復元された「掛川城大手門」。
二層式の櫓門(楼門)です。
右手前にちょこっと見えるのが、1854年(嘉永7)の大地震により倒壊したのち、1859年(安政6)に再建された「掛川城大手門番所」。
明治から昭和にかけては別の場所に移築されていたそうです。 -
ブルー・モメント、掛川城。
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夜空に浮かび上がる掛川城、天守。
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