2010/02/21 - 2010/02/21
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korotamaさん
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都合により車を買い替え、その初ドライブの場を信州に求めました。
北と西への旅行の狭間の週末ゆえ、日帰りのドライブ。
佐久にあるお気に入りの造り酒屋と蕎麦屋で舌包みをうったのち、函館とともに日本に2つ残る星形稜堡の洋式城郭、龍岡城を訪れました。
- 交通手段
- 自家用車
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中央道を西に向けて走ります。
一宮御坂IC辺りで雪をかぶった南アルプスの峰々が見えてきました。 -
南八ヶ岳もきれいに見えました。
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中央道を走るときの定点撮影の場となった八ヶ岳P.A.に寄ります。
付近の田んぼでは野焼きが行われていました。
春に向けての準備着々、なんですね。 -
南に見える南アルプス。
中央のこんもりしたのが、標高2,967mの甲斐駒ケ岳。
左の雪をかぶっているなだらかな山は鳳凰三山と呼ばれる山々。
右手は鋸岳かな? -
甲斐駒ケ岳にズ〜ムっ
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続いて、北に見える八ヶ岳。
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岡谷を過ぎたあたりだったか、北アルプスの山々も見えてきました。
雲がかかっていて、ちょっと残念。 -
姥捨S.A.で休憩。
まだまだ雪が積もっています。 -
長野市街地を中心として南北40kmに広がる善光寺平。
間を千曲川が流れています。 -
善光寺平を流れる千曲川。
善光寺(長野県長野市) 寺・神社・教会
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スキー場がある山は斑尾かな?
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こちらは飯綱山かなぁ。
山を見るときはいつも思います。
必要な時だけ、お子様ランチみたいに、名前が書かれた旗がピロンッと立ってくれないかなぁ、って(^^ゞ
セカイカメラみたいな感じでー。
…と、調べてみたら、iPhoneアプリであるみたい!
でも、日本の山は弱いみたいー(/_;) -
佐久に近づき、浅間山が噴煙まではっきりと見えました。
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標高2,568mの活火山、浅間山。
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佐久で降りて最初に寄ったのが「千曲錦酒造」。
創業はお犬将軍徳川綱吉の世、1681年!
敷地内の売店は休日も営業しています。
千曲錦酒造株式会社
長野県佐久市長土呂1110 -
ちょうど、在庫を切らしていたのでー(^_^;)
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続いては、蕎麦処「磊庵はぎわら」(らいあん)。
長野県で採れた厳選の玄そばを石臼で手で碾き、浅間山麓の湧水を使って打った「手碾蕎麦」はともかく美味しい。
磊庵はぎわら
佐久市岩村田南西ノ久保2426-1磊庵はぎわら グルメ・レストラン
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そして、ドライブの最終目的地「龍岡城五稜郭」。
資料を展示する「五稜郭 であいの館」が目印。
ここで事前学習してから五稜郭へ向かいます。
五稜郭 であいの館
長野県佐久市田口2975-1 -
龍岡城五稜郭は、函館とともに日本に2つしかない5つの稜が星形に突き出た稜堡式の城郭。
現在は小学校の敷地となっています。 -
龍岡城五稜郭は、幕末に老中・陸軍総裁などの要職に就いていた龍岡藩主松平乗謨(のりかた)により、1864年に着工、江戸幕府が幕を閉じる1867年に完成されました。
本領三河が手狭になったため、ここに藩庁を移したのだそうです。
松平乗謨は三河国加茂郡大給(おぎゅう)を本領とする大給松平家の人で、城を持つ資格のない「陣屋格」だったために、天守などの防御施設はなく、大手門、藩主の御殿、家中屋敷など造られました。 -
大手橋。
藩主松平乗謨は、廃藩後は大給恒(おぎゅう ゆずる)と名を変え、日本赤十字社の前身・博愛社を設立したり、明治政府のもとでは勲章制度を創設するなどの活躍をしたそうです。 -
大手門から敷地内に入ると、右手に「田口招魂社」。
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田口招魂社 狛犬。
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田口招魂社 本殿。
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城址に建つ「佐久市立田口小学校」。
五稜郭の中で学べるなんて、なんだかいいなぁ。 -
プールの更衣室? に工夫あり。
堡塁に造られていますー。 -
児童たちが可愛がっているのですねー(^。^)
ウコッケイが日向ぼっこ。 -
庭石のようですがー。
メタセイコイアの石化木だそうです。 -
校庭の片隅に建つ「御大所」。
大きかったため買い取り手がなかったために、1871年(明治4)の藩籍奉還、稜郭取り壊し令の難を免れ、現存しています。
長いこと小学校として使われてきました。
現在は保存のために入場制限を行い、申し込み制で内部を見学できるそうです。
申し込み先:
平日は小学校職員室、休日は臼田文化センター。 -
さて、五稜郭の雰囲気を味わいます。
本当は空から見たいところではありますね。
北東から大手橋方面。
角々した堀に五稜を感じてみます。
う〜ん、それにしても水が凍っていて、あの時の寒さがよみがえります〜〜〜(~_~;) -
東北から南方。
左から、土塁、水堀、稜堡。
稜堡には武者返し(はねだし)が施されています。 -
北西の堀、武者走りから眺める。
幕府の軍備の遅れに危機感を持っていた松平乗謨は洋学を志すとともに、洋式城郭に憧れを抱いていたそうです。 -
こちらは南側(校舎の裏手)。
堀はなく、射撃場に面していました。 -
水堀の終わり。
左から、稜堡、水堀、土塁。
遊び場としてはワクワクするような学校の敷地です。 -
東南の通用門があったところに架かる橋。
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ぐるり一周し、大手橋から北の稜堡と水堀を眺めます。
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校庭の草地で・・・
うーん、ビンズイさん? -
八ヶ岳高原線(JR小海線)と浅間山を眺めつつ、帰路につきました。
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