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ワープロで描いた俳画・・・入日が印象的だったハバナの海岸<br /><br />平成12年8月9日(水)<br /> 今回のキューバ周遊の旅は日航が直行便を非定期にチャーター便として就航させることになり、その第二便を利用しての企画であった。第一便が8月1日に飛び、テレビや新聞にも報道された。関西空港から出発のため羽田から乗り継がなければならなかった。横浜市民としては成田からよりは羽田からのほうがはるかに楽である。京浜急行の鶴見駅まで送って貰い羽田まで行った。料金も400円だから成田へ行くよりもはるかに安い。ちなみに成田エクスプレスを利用すれば4380円かかる。<br /><br /> 羽田12時06分離陸で関西空港へ13時15分に着地した。予定より30分程遅れてしまったので、国際線のチェックイン手続きに時間がかかり、とても慌ただしい思いをした。免税店で日本酒紙パック10個入り(2000円)とジョニ黒のポケット瓶一本を買い、マイレージの手続きをするのが精一杯でゲートを潜ったときには既に出発時間の11時35分になっていた。ところが国内線が遅れた影響でババナ行きのJAL3014便にはまだ70人もの乗客が遅れているということが判った。彼らが搭乗するのを待ったため50分離陸が遅れる結果となった。この飛行機には野球少年らしき団体が乗っていたのでなにかと喧しい。<br /><br /> JAL3014便は15時10分に離陸しバンクーバーに8時05分に着地した。時差があるので実飛行時間は9時間である。バンクーバーでは9時40分に離陸しハバナへ到着したのは18時25分であった。実飛行時間6時間で日本との時差は13時間である。 折からハバナでは夏時間を適用している。東廻りの飛行機に乗ると日付変更線を通過するので一日が非常に長い。飛行機の中で一晩明かした筈なのにハバナへ到着したのはまだ9日の夕方ということになる。マジックにかかったような気になってしまう。機中ではコスモス文学の随筆編を読み耽った。コスモスの随筆編には丁度還暦を迎えたか少しばかり過ぎた人の投稿が多く、同年代の人々の考え方が判って参考になるし面白い。旅行の体験記が多いのもこの年代の特徴かもしれない。なかには独りよがりの作品もあるが、それはそれで微笑ましいと思う。<br /><br /> バンクーバーを離陸してシアトル上空を通過中、機内放送があって窓の外に雪を頂いたレイニエール山4392mの美しい姿を見ることができた。またキューバ上空で眼下を見下ろすと珊瑚礁が沢山あり海が美しかった。本島は山がなく平板な島という感じである。 ハバナのホセ・マルティ空港に到着して運よく空いた入国審査の窓口に先着できたので外へでるのが早かった。つかつかと日航の職員らしき外人が近寄ってきて紙袋を渡そうとするのだが、何か売りつけられるのかと思って「ノー・サンキュー」と受け取りを拒否した。後で判ったことだが、これはこの飛行機を利用したお客には全員プレゼントされたもののようである。中には白い野球帽が入っていたらしい。荷物の受け渡し場所の向こうにはキューバの少年少女達が着飾って色とりどりの風船をもって歌い踊っている。どうも歓迎の行列のようである。日本からの遠来の客を歓迎するための社会主義国特有の動員かと思ったが悪い気はしない。後で判ったことだが、これは野球少年団を歓迎するためのものであった。<br /><br /> ホセ・マルティー空港では、荷物が出てくるのに時間がかかり過ぎるとの印象が強かった。この空港は2年前に開港した新しいものでカナダの援助でできたものである。<br /><br /> 出迎えたガイドはパブロさんといいスペイン系の中年の男性だが、とても発音の綺麗な日本語を喋る人柄の良い人であった。彼が中学生の頃、国の政策として外国語を教える専門学校が開かれた。日本映画をよく見ていたので日本への興味が強く、日本語学科へ入学して日本語教師に教わったという。最初30人程同期生がいたらしいが、現在も日本語を生業としている人は僅か5人しかいないという。彼は引っ張りだこの名日本語ガイドなのである。<br /><br /> コモドールホテルは社会主義の国に似つかわしくない洒落た感じのホテルだと思ったのでフロントで聞いてみると1952年にオープンしたというから革命前のバチスタ政権時代のものであるらしい。<br /><br /> ホテルへ着くまでにマリアナ地区とジボネイド地区を通り抜けてきたが、マリアナ地区は下町の雰囲気があり、建物も見すぼらしく上半身裸の男たちが家の前に屯していてなんとなく低所得階層の町といった佇まいである。これに対してジボネイド地区は革命前にはアメリカ人達が住んでいた高級住宅地である。敷地も広く瀟洒な建物が多い。現在では外交官の居住地として或いは国の文化施設として使われているということで手入れもよく行き届いていてそれなりに美しい。ホテルまでの道中の印象は道路を走る車の数が異常に少ないことと、マリアナ地区の建物は補修されておらず薄汚い建物が多いということであった。このような廃墟寸前の建物を見ると何故かドレスデンやプラハの町を歩いたとき感じた社会主義のもたらした負の遺産をここでも再確認した。<br /><br /> ホテルへ到着するとウエルカムドリンクが用意されており、女性シンガーが男3人の伴奏で体をゆすりながら歌を歌って歓迎してくれた。ドリンクはラム酒とコカコーラのカクテルである。なるほどラテン音楽とラム酒の国である。折から海岸ではサンセットでとても美しかった。<br /><br /> 部屋割りも決まって同室の人は名古屋からきた横井さんという小学校の事務職員をしている39歳の独身者であった。感じは陰鬱で愛想のない人である。話の中で多少左翼に傾倒しているのではないかという節が窺えた。持参したウイスキーを勧めたが酒は飲めないという。どうも付き合いにくい人であった。夕食は食べず21時30分に就寝。<br /><br /> 見知らぬ人との同室は今回初めてであるが、まあこの程度の人ならうまく合わせていけばトラブルもなく過ごせるだろう。チュニジアへ行った時の須田さんの悩みが判るような気がした。<br /> 先に入浴を勧めたので横井氏が先に入った。入浴を済ませて浴室から出てきて困ったような顔をしている。浴槽の水が抜けないのだという。フロントや添乗員に電話しても通じない。そこで万能ナイフを取り出してこじてみるとうまい具合に栓をぬくことができた。そこで持参の水栓を持ち出して応急措置をして面目を施した。<br />

ワープロで描いた俳画・・・入日が印象的だったハバナの海岸

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2000/08/09 - 2000/08/09

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早島 潮

早島 潮さん

ワープロで描いた俳画・・・入日が印象的だったハバナの海岸

平成12年8月9日(水)
 今回のキューバ周遊の旅は日航が直行便を非定期にチャーター便として就航させることになり、その第二便を利用しての企画であった。第一便が8月1日に飛び、テレビや新聞にも報道された。関西空港から出発のため羽田から乗り継がなければならなかった。横浜市民としては成田からよりは羽田からのほうがはるかに楽である。京浜急行の鶴見駅まで送って貰い羽田まで行った。料金も400円だから成田へ行くよりもはるかに安い。ちなみに成田エクスプレスを利用すれば4380円かかる。

 羽田12時06分離陸で関西空港へ13時15分に着地した。予定より30分程遅れてしまったので、国際線のチェックイン手続きに時間がかかり、とても慌ただしい思いをした。免税店で日本酒紙パック10個入り(2000円)とジョニ黒のポケット瓶一本を買い、マイレージの手続きをするのが精一杯でゲートを潜ったときには既に出発時間の11時35分になっていた。ところが国内線が遅れた影響でババナ行きのJAL3014便にはまだ70人もの乗客が遅れているということが判った。彼らが搭乗するのを待ったため50分離陸が遅れる結果となった。この飛行機には野球少年らしき団体が乗っていたのでなにかと喧しい。

 JAL3014便は15時10分に離陸しバンクーバーに8時05分に着地した。時差があるので実飛行時間は9時間である。バンクーバーでは9時40分に離陸しハバナへ到着したのは18時25分であった。実飛行時間6時間で日本との時差は13時間である。 折からハバナでは夏時間を適用している。東廻りの飛行機に乗ると日付変更線を通過するので一日が非常に長い。飛行機の中で一晩明かした筈なのにハバナへ到着したのはまだ9日の夕方ということになる。マジックにかかったような気になってしまう。機中ではコスモス文学の随筆編を読み耽った。コスモスの随筆編には丁度還暦を迎えたか少しばかり過ぎた人の投稿が多く、同年代の人々の考え方が判って参考になるし面白い。旅行の体験記が多いのもこの年代の特徴かもしれない。なかには独りよがりの作品もあるが、それはそれで微笑ましいと思う。

 バンクーバーを離陸してシアトル上空を通過中、機内放送があって窓の外に雪を頂いたレイニエール山4392mの美しい姿を見ることができた。またキューバ上空で眼下を見下ろすと珊瑚礁が沢山あり海が美しかった。本島は山がなく平板な島という感じである。 ハバナのホセ・マルティ空港に到着して運よく空いた入国審査の窓口に先着できたので外へでるのが早かった。つかつかと日航の職員らしき外人が近寄ってきて紙袋を渡そうとするのだが、何か売りつけられるのかと思って「ノー・サンキュー」と受け取りを拒否した。後で判ったことだが、これはこの飛行機を利用したお客には全員プレゼントされたもののようである。中には白い野球帽が入っていたらしい。荷物の受け渡し場所の向こうにはキューバの少年少女達が着飾って色とりどりの風船をもって歌い踊っている。どうも歓迎の行列のようである。日本からの遠来の客を歓迎するための社会主義国特有の動員かと思ったが悪い気はしない。後で判ったことだが、これは野球少年団を歓迎するためのものであった。

 ホセ・マルティー空港では、荷物が出てくるのに時間がかかり過ぎるとの印象が強かった。この空港は2年前に開港した新しいものでカナダの援助でできたものである。

 出迎えたガイドはパブロさんといいスペイン系の中年の男性だが、とても発音の綺麗な日本語を喋る人柄の良い人であった。彼が中学生の頃、国の政策として外国語を教える専門学校が開かれた。日本映画をよく見ていたので日本への興味が強く、日本語学科へ入学して日本語教師に教わったという。最初30人程同期生がいたらしいが、現在も日本語を生業としている人は僅か5人しかいないという。彼は引っ張りだこの名日本語ガイドなのである。

 コモドールホテルは社会主義の国に似つかわしくない洒落た感じのホテルだと思ったのでフロントで聞いてみると1952年にオープンしたというから革命前のバチスタ政権時代のものであるらしい。

 ホテルへ着くまでにマリアナ地区とジボネイド地区を通り抜けてきたが、マリアナ地区は下町の雰囲気があり、建物も見すぼらしく上半身裸の男たちが家の前に屯していてなんとなく低所得階層の町といった佇まいである。これに対してジボネイド地区は革命前にはアメリカ人達が住んでいた高級住宅地である。敷地も広く瀟洒な建物が多い。現在では外交官の居住地として或いは国の文化施設として使われているということで手入れもよく行き届いていてそれなりに美しい。ホテルまでの道中の印象は道路を走る車の数が異常に少ないことと、マリアナ地区の建物は補修されておらず薄汚い建物が多いということであった。このような廃墟寸前の建物を見ると何故かドレスデンやプラハの町を歩いたとき感じた社会主義のもたらした負の遺産をここでも再確認した。

 ホテルへ到着するとウエルカムドリンクが用意されており、女性シンガーが男3人の伴奏で体をゆすりながら歌を歌って歓迎してくれた。ドリンクはラム酒とコカコーラのカクテルである。なるほどラテン音楽とラム酒の国である。折から海岸ではサンセットでとても美しかった。

 部屋割りも決まって同室の人は名古屋からきた横井さんという小学校の事務職員をしている39歳の独身者であった。感じは陰鬱で愛想のない人である。話の中で多少左翼に傾倒しているのではないかという節が窺えた。持参したウイスキーを勧めたが酒は飲めないという。どうも付き合いにくい人であった。夕食は食べず21時30分に就寝。

 見知らぬ人との同室は今回初めてであるが、まあこの程度の人ならうまく合わせていけばトラブルもなく過ごせるだろう。チュニジアへ行った時の須田さんの悩みが判るような気がした。
 先に入浴を勧めたので横井氏が先に入った。入浴を済ませて浴室から出てきて困ったような顔をしている。浴槽の水が抜けないのだという。フロントや添乗員に電話しても通じない。そこで万能ナイフを取り出してこじてみるとうまい具合に栓をぬくことができた。そこで持参の水栓を持ち出して応急措置をして面目を施した。

同行者
一人旅
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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