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世界遺産旅行記番外編【世界遺産登録基準ヨーロッパ編】

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3

漣

漣さん

世界遺産には登録に際し、10の基準が存在します。
その内6つが文化、4つが自然の基準です。

ここでは各遺産が登録時に満たしていた基準がどのような解釈をされたかを考察するコーナーです。

各遺産の登録概要はユネスコのHPに記載されているものを自分なりに和訳してみたものです。

主に世界遺産リストに明記されているものを扱っていますが、時代を下るに従い、リストに記載されていないものが多くなります。
 その場合はICOMOS・IUCNの評価書を参考していますが、それでも登録概要を見つけられないものは別個適当と思われるものを採用しており、適宜注記してあります。
それでも見つからないものは本リスト未記載になっています。

完全な趣味の産物ですので、暇な時の時間潰し程度に楽しんで頂けたら幸いです。

なお、記載国は順不同です。

【2010/08/07】
登録理由の判明した新規登録物件(アムステルダム、アルビ、レユニオン)および拡大登録(エッゲンベルク城、スチェヴィツァ修道院、シエガ・ヴェルデ)および登録理由の判明した物件(ピリン国立公園、レーロース)を掲載しました。
【2010/09/15】
ハルツ地方の水力管理組織を追加しました。
【2011/06/22】
本年度の委員会においてICOMOSから登録勧告の出されている、ファグス製靴工場、ロンゴバルド族繁栄の地、湖畔住居遺跡群を追加しました。

その他の地域

【アジア編】
http://4travel.jp/traveler/classical_city/album/10442973/
【アフリカ編】
http://4travel.jp/traveler/classical_city/album/10435786/
【北米編】
http://4travel.jp/traveler/classical_city/album/10428955/
【中南米編】
http://4travel.jp/traveler/classical_city/album/10428945/
【オセアニア編】
http://4travel.jp/traveler/classical_city/album/10355180/

【オランダ】

スホクラントとその周辺地域

 《3》《5》スホクラントと周辺地域には海水の一時的・永続的な流入の継続的な脅威下にある湿地帯の集落での不安定な生活に順応させた先史時代及び歴史時代初期の社会の唯一現存する証拠が残されている。
     それはオランダの人々の水に対する終わること無き闘いの断片であり20世紀の最も偉大で最も非現実的な人類の偉業の1つである、ゾイデル海の干拓により生み出された農業景観の内に広がっている。    

アムステルダムのディフェンスライン

 《2》《4》《5》アムステルダムの防衛線は19世紀後半に築かれ現代まで良好な状態で残る近代の一貫した大規模防衛設備の稀な例である。
       この防衛線は首都防衛の為に編成されたオランダの水力工学の才能における独自の手法として重要なものである。

キンデルダイク・エルスハウトの風車群

 《1》《2》《4》キンデルダイク・エルスハウトの風車網は水力工学の発展と利用によるこの地域の排水・保護における1000年近くに及ぶ人類の創造性と不屈の精神の力強い証拠を有する顕著な人工景観である。
 
ウィレムシュタットの歴史地区

 《2》《4》《5》ウィレムシュタットの歴史地区は300年を超える多文化社会の有機的発展を示し、絡まりあい多文化社会を生み出した数々の異国の重要な要素を高い度合いで残す顕著な価値と完全性を有するカリブ海地域におけるヨーロッパの植民都市である。

D.Fウォーダ蒸気水揚げポンプ場

 《1》動力資源としての蒸気の出現はオランダの技師達に水力管理の1000年に渡る課業における強力な道具となった。
   ウォーダ揚水場は今までに建造されたこの種の類型の中で最大のものである。

 《2》ウォーダポンプ場は数百年の間、全世界の基準・見本とされたオランダの水力工学の最高点を表している。

 《4》ウォーダの揚水施設は特にオランダの技師らの水力調整への利用による、自然の力の統御における蒸気の力の稀な証拠を有している。

ベームスター干拓地
 
 《1》ベームスター干拓地は干拓地の設計に古代・ルネサンスの理想を盛り込んだ創造的計画の傑作である。

 《2》革新的で知的想像性に富んだベームスター干拓地の景観はヨーロッパや周辺地域の干拓計画に深く永続的な影響を与えた。

 《4》ベームスター干拓地の造成は社会的・経済的拡張の重大な時代の人類と水との相互関係において重要な一歩が踏み出されたことを表している。

リートフェルト設計のシュレーダー邸

 《1》ユトレヒトに建つリートフェルト=シュレーダー邸は近代建築運動の象徴であり、デ=ステイル運動の中で発展した思想と概念の純粋性における人類の創造性の才能の顕著な表現である。

 《2》その意匠・空間使用への急進的な試みにより、リートフェルト=シュレーダー邸は近代の建築の発展において萌芽的な役割を果たした。

アムステルダムの運河網

 《1》アムステルダムの運河地域は16世紀終わりの意匠と17世紀の建造様式の全く新しく全体的に人工的な「港湾都市」である。
   それは水力工学・都市計画・急進的建設計画と資本家建築の傑作であり、独特で革新的かつ広大ではあるが均質的な都市の総体である。

 《2》アムステルダムの運河地域は土木工学・都市計画・建築だけでなく技術的・海事的・文化的分野の多くにおいて約200年に及ぶ深い影響の交流の証拠を有している。
   17世紀、アムステルダムは国際商業貿易や人文主義思想の形成と普及等、知的交流の重要な中心地となり最盛期には経済世界の頂点であった。

 《4》アムステルダムの運河地域は水力工学・土木工学・都市計画・建造や建築の知識における専門性が求められた、造られた都市的総体の顕著な例を表しており、それらを例証している。
   17世紀には全体的に人工的な「港湾都市」の見本、ネックギャブル(棒付きの破風屋根)を持つフランダース地方の一戸建ての類型となった。
   この都市は近代世界史における重要な時代の最高水準の証拠である。

【ポーランド】

クラクフ歴史地区

 《4》13世紀にはヨーロッパ最大の市場を持つに至った歴史地区には多くの歴史のある家屋・宮殿、・教会が建てられた。
   また14世紀には街の南側にシナゴーグを伴ったユダヤ人地区が形成された。

補足 明確な登録理由は不明。概略から抜き出したものである。

ヴィエリチカ岩塩鉱

 《4》ヴィエリチカ岩塩鉱は管理上・技術上良好に組織された大産業施設の例と中世以降の順応の過程により保障されたものの存在を備えている。
   数百年に渡る全段階の採掘方法の進展は独特な設備を備えた古い坑道の補強と保存により完璧に示されている。
   坑内に展示されている完全な採掘道具の集積は同様に欧州史の長きに渡る採掘技術の進展の貴重で完璧な物証となっている。

アウシュビッツ強制収容所

 《6》アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所は男性・女性・子供に至るまでの数百万人の犠牲と抵抗の記念碑である。
   ここには人間性を無視した繰り返してはならない最大の過ちの強い証拠を残している。世界平和への貢献のため、事件への戒めのためにアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所は残されることとなった。(〜2006)

   ナチ政権によるユダヤ人の計画的虐殺やその他数え切れない死の記念碑であるアウシュビッツとビルケナウは、人類に対して行われた最大の過ちの1つの反駁することの出来ない証拠を有している。
   それは自由や思想を抑圧し全ての民族を抹消しようとしたドイツナチ政権の工作に反抗した、燦々たる状況下での人類の精神の強靭さの記念碑でもある。
   この場所は人類史上の暗黒面の集約的記憶である大虐殺・人種差別主義・残虐行為を全人類に伝え、次代に伝達する重要な記憶の地であり、極端な観念形態や人類の尊厳の否定の多くの脅威や悲劇的結果へ警告を促すものである。(2007〜)   

ベラヴェシュスカヤ・プーシャ/ビャウォヴィエジャの森

 《7》ベラヴェシュスカヤ・プーシャ/ビャウォヴィエジャの森はヨーロッパで最も人の手が及んでいない独特な自然の集合体である。
   ここは保護された絶滅が危惧される動植物の個体群が生息する時代の古い原生林を有する巨大地塊である。

ザモシチ旧市街

 《4》ザモシチはイタリアと中欧の建築伝統を融合させた顕著な重要性を有する建設当時の地取り・要塞・数多くの建造物群を維持する16世紀後期のルネサンス様式の計画都市の顕著な例であ
る。

中世都市トルン

 《2》《4》トルンは建設当時の街路構造と優れた初期建造物群を注目すべき度合いにて残し、中世の生活様式の際立って完璧な全体像を示す小規模な歴史的交易都市である。

マルボルクのドイツ騎士団城郭

 《2》《3》《4》マルボルクの城郭は東欧のチュートン騎士団の独特な建築様式を示す中世の煉瓦製城郭の最高の例である。
       また、近代の修復・保護の原理・慣習の発展の証拠が示されることによる重要な歴史的意義をも有している。

カルヴァリア・ゼブジドフスカ=マニエリスム様式の景観複合体と巡礼公園

 《2》カルヴァリア・ゼブジドフスカは自然景観がキリストの受難の出来事の礼拝堂・街道の形態における象徴的表現の舞台として使われたことの優れた文化的記念碑である。
   その結果、自然と人工の要素が協和的な手法により纏められた卓越した美観と精神的価値を有する文化的景観が生み出された。

 《4》16世紀後半の反宗教改革はヨーロッパにおけるカルヴァリアの丘の創造の絶頂を導いた。
   カルヴァリア・ゼブジドフスカは精神的目的を伴う優れた美観とバロック様式の庭園設計の原理を組み入れた、この種の広大な規模の景観設計の顕著な例である。

ヤーヴォルとシフィドニッツァの平和教会

 《3》これらの平和教会は30年戦争後の時代においてシレジア地方のプロテスタント社会に対するカトリック側のハプスブルク帝国の一部での容認という例外的行動の稀な証拠である。

 《4》皇帝により課された条件の結果、これら平和教会の建築士に求められた木造建築における後にも先にも無い規模と複雑性を有する技術上の構造的・建築的解決策が実施された。

 《6》これらの平和教会は強い精神性と規約を有する17世紀ヨーロッパにおける著しい政治的発展の優れた証拠である。

リトルポーランド南部の木造教会群

 《3》これらの教会群は中世からの教会建造物の伝統の稀な証拠を有すると考えられ、地方の村落や景観環境の背景の中に保存されている。

 《4》推薦された教会群は寄贈者達の野心に関わった中世の教会の型の良好に保存された典型的な例である。

ムスカウ/ムザコフスキ庭園

 《1》ムスカウ庭園は新しい土地を切り開き何度も手を入れて理想的な景観を求めて発展していったヨーロッパ庭園の顕著な例である。

 《4》ムスカウ庭園は都市における公園設計の先駆けであり、いち分野としての“景観建築”の発展に影響を与えた。

ヴロツワフの百周年記念会館

 《1》ヴロツワフの百周年記念会館は巨大な鉄筋コンクリート建造物の建設技術の発展における創造的で革新的な一例である。
   百周年記念会館は建築の補強方法の発展において重要な位置を占め、構造強化における金属の使用の歴史の最終段階に位置するものの1つとなっている。

 《2》百周年記念会館は20世紀初期の重要な価値の交流を示す近代技術・近代建築の先駆的作品の1つであり、後の鉄筋コンクリートの建造物の発展において重要な参考資料とされた。

 《4》ヴロツワフの展示会場の一部として百周年記念会館は会議・展示会・演奏会・舞台・歌劇といった多彩な目的に合わせた近代の多目的建築の顕著な例である。

【ルクセンブルク】
   
ルクセンブルクの旧市街と要塞

 《4》ルクセンブルクの要塞都市は数百年の間の欧州史に重要な役割を果たし、優れた自然環境の中に印象的な要塞と旧市街の主要な遺構が保存されている。
   
【エストニア】

タリン歴史地区

 《2》《4》タリンは経済・社会共同体の独特な型の顕著な特徴を際立った度合いで残す北欧の中世交易都市の顕著で極めて完璧で良好に保存された例である。

【ラトビア】

リガ歴史地区

 《1》《2》中世と後の時代の都市構造が比較的残っているリガ歴史地区は世界で右に出るものは無いアールヌーヴォー(ユーゲントシュティール)建築と19世紀の木造建築の質と量により、顕著で普遍的な価値を有している。

【リトアニア】

ヴィリニュス歴史地区

 《2》ヴィリニュスは数百年に渡り東欧の広大な地域の建築的・文化的発展に深い影響を与えた中世の基盤の顕著な例である。

 《4》ヴィリニュスは保存されている町並みと多様な建造物群に500年の時代を超えて有機的に発展してきた中欧の都市の優れた実例が表れている。

クルシュー砂州

 《5》クルシュー砂州は海風や潮汐といった自然の力の変わらぬ脅威の下にある砂丘の景観の顕著な例である。
   生存に脅威を与えた破滅的な人的干渉の後、砂州は19世紀以降に始められ現代まで続く大規模な保護・安定作業によって救われた。

ケルナヴェ考古遺跡

 《3》ケルナヴェ考古遺跡は10000年余りに及ぶバルト海地域の人類集落の発展の稀な証拠を表している。
   この遺跡は土着信仰とキリスト教の葬儀の伝統の接触の稀な証拠を有している。

 《4》この遺跡の集落の形式と丘の要塞は先キリスト教時代における類型の構造物の発展とそれらの使用の歴史の顕著な例を表している。

【ドイツ】

アーヘン大聖堂

 《1》ギリシャ式の柱・イタリア風の彫刻・青銅製のドア・現在は破壊されてしまったドームの大きなモザイク画・王家の礼拝堂などを備えたアーヘン大聖堂は優れた芸術的創作物とされる。
   ここは古代以降のアルプス以北で最初のアーチ構造を有するものである。

 《2》古代とビザンツの伝統を色濃く残すアーヘン大聖堂はカロリング朝ルネサンスや中世の始まりの時期において幾つも模倣された宗教建築の1つの原型である。
   
 《4》カール大帝の王家の礼拝堂は中央に司教座を持つ宮廷礼拝堂として優れた典型的な例である。

 《6》アーヘン大聖堂はカール大帝の下での西洋の統一と精神的・政治的再生を象徴するものである。
   814年にカール大帝がここに埋葬されてから1531年まで歴代の皇帝がここで戴冠された。
   大聖堂に収められた宝物の考古学的・美術的・歴史的価値は計り知れない。

シュパイヤー大聖堂

 《2》シュパイヤー大聖堂は11世紀から12世紀においてロマネスク建築の発展に影響を与えただけではなく、18世紀から現在までの世界規模での修復理念の発展に寄与した。

ヴュルツブルクの司教館

 《1》ヴュルツブルクの司教館はその野心的事業・創造性の独自性・製作法の国際的特徴による独特で芸術的な実現である。

 《4》ヴュルツブルクの司教館は18世紀のヨーロッパにおいて歴史的にも最も優れた宮廷の1つであった。

補足 《1》の登録理由は不明。報告書から適宜抜き出したものである。

ヴィースの巡礼教会

 《1》ヴィースの教会は18世紀ロココ芸術の完璧な傑作である。

 《3》18世紀においてヴィースはプレモントレ修道会の重要な聖地であり、ドイツのみならず、オーストリア・ボヘミア・果てはイタリアからも巡礼者が訪れていた。

補足 《3》の登録理由は不明。報告書から適当と思われる部分を要約したものである。

ブリュールのアウグストゥスブルク宮殿と別邸ファルケンルスト

 《2》アウグストゥスブルク宮殿と別邸ファルケンルストはドイツにおける最初のロココ様式の重要な創作品である。
   数百年に渡りここは多くの王宮の模範となり続けた。

 《4》ヴュルツブルクの司教館同様、城館と庭園は18世紀の広大な王宮の卓越した例である。

ヒルデスハイムの聖マリア大聖堂と聖ミカエル教会

 《1》聖ベルンヴァルトの青銅作品や天井は独特な芸術的成果を表している。

 《2》2つの教会、特に聖ミカエル教会は後の建築に多大な影響を与えた。

 《3》2つの教会と収められている芸術的至宝は西洋キリスト教をロマネスク様式の教会における他の装飾品よりもより全体的に捉え、より直接的に理解することの出来るものである。

トリアーのローマ遺跡、大聖堂と聖母聖堂

 《1》2つの4階建ての半円形の塔を接する巨大な石造要塞“ポルタ・ニグラ”は2世紀におけるローマ建築の独特な偉業である。
   1034年から1042年にかけてポッポ大司教の命で城壁内に建てられた2階建ての教会の回廊や聖歌隊席の遺構がこの建造物を際立たせている。

 《3》トリアーは橋梁や城壁・公衆浴場・円形闘技場・貯蔵庫等の遺構といった建造物の密集度や特性によりローマ文明の稀な証拠を有している。
   埋葬芸術・陶工技術・硝子工芸・貨幣鋳造が特に栄えていた。

 《4》トリアーはコンスタンティノープル同様、ローマ帝国の分裂後の広大なローマ帝国の都の例である。
   皇帝の宮殿・“アウラ・パラティーナ”・皇帝浴場の遺構はその大きさにおいて印象的である。
   皇帝の一族と見られる人物達が地下に眠る大聖堂の天井の装飾に当時の宮廷の建築の特徴を見て取ることができる。

 《6》トリアーは313年のミラノ勅令の前兆となりローマ帝国の国教としてのキリスト教の認知の重要性を有した312年のマクセンシウスに対するコンスタンティヌス帝の行進という人類史上の主要な出来事に深く関係している。

ハンザ同盟都市リューベック

 《4》リューベックは重要な歴史構造を有する都市の顕著な特徴を残している。

ポツダムとベルリンの庭園と宮殿群

 《1》ポツダムとベルリンの庭園と宮殿群はその独自性を強める折衷的・進化的な特徴を有する優れた芸術的偉業であり、数々の建築・造園の傑作は1つの空間の内に造られ、時を越え漸次設計された全体的な構成の調和の価値を落とすことのない相反する様式を例証している。

 《2》プロシアのベルサイユと呼ばれるサンスーシ宮殿と庭園はイタリア・イギリス・フランドル地方・パリ・ドレスデンからの様々な影響の具現である。
   18世紀のヨーロッパの都市や宮廷の芸術的流行の統合により城館や庭園は後の記念芸術やオーデル川の空間構成に多大な影響を与えた新たな型を示している。

 《4》ポツダムとベルリンの宮殿群と庭園群はヨーロッパの君主の思想と権力に関連した建築的創造性と造園の発達の顕著な例である。
   これらの王家の建造物群は特に際立った王宮に区分される。
   
ロルシュの王立修道院

 《3》独特で素晴らしい保存状態で残る建造後1200年経つ門楼を伴うロルシュ修道院に代表される宗教建造物群は、当時の印象的な彫刻・絵画を有するカロリング朝時代の希少な建築的記録を構成している。

 《4》カロリング朝の門楼が残るロルシュ修道院は、カール大帝の治世下での中世初期〜中期の傾向へといたる西洋の開眼の建築的証拠である。
  
ランメルスベルク鉱山と古都ゴスラー

 《1》中欧の金属生産の場所として最大で、最も長く続いた鉱山と冶金工場は数百年の間、ヨーロッパの経済に主要な役割を果たしてきた。
   ランメルスベルク鉱山とゴスラーは人類の創造性の才能の傑作である。

 《4》中世の広大な採鉱・冶金地域と付随して成長してきた行政・商業区画は都市と産業の複合体の極めて典型的な形態の1つであり、ヨーロッパにおけるその最も完璧で最良に保存された表現をランメルスベルク・ゴスラーは有している。

【2010年にハーツ山地の水力管理組織が追加登録】

 《1》ランメルスベルク鉱山と歴史的都市ゴスラー、ハルツ地方北部の水利管理組織は欧州の非鉄金属の採掘・冶金の最大規模の複合体の1つを構成している。
   古より存在していたことが知られており、中世にシトー会の修道僧の勢力下から始まり後代ではゴスラーを都の1つと定めた神聖ローマ帝国の地方君主の統制下になるなど継続的使用が成された。
   この総体は採掘技術と産業的水利管理の分野における人類の創造性の才能の顕著な例である。

 《2》ランメルスベルク鉱山と歴史都市ゴスラー、ハルツ地方北部の水利管理組織の歴史的採掘網は欧州における中世から近現代までの採掘と水利管理技術の分野の人間的価値の重要な交流を示している。
   それはルネッサンス期の冶金・採掘における権威ある作品であるアグリコラ著「デ・レ・メタリカ(金属について)」に意を体したものである。

 《4》ランメルスベルク鉱山と歴史的都市ゴスラー、ハルツ地方北部の水利管理組織の歴史的採掘網は採掘技術・非鉄冶金・排水と水力管理の分野における顕著で非常に包括的な技術的総体を構成しており、その広さと継続的運用の期間は傑出している。
   それはまたヴァルケンリート修道院の遺構や歴史的都市ゴスラーの都市計画を通して中世・ルネッサンス期の行政・商業組織の特徴的な例を呈している。

マウルブロンの修道院

 《2》マウルブロンのロマネスクからゴシックへの過渡期の建造物は中・北欧の大部分を網羅したゴシック建築の波及において基礎的な重要性を有した。

 《4》マウルブロンの修道院は特にその貯水槽や水路などの広大な水利設備が現存することにより、ヨーロッパのシトー会の修道院の中で最も完璧に残るものの1つとされる。

バンベルク旧市街

 《2》中世及びルネサンス期のバンベルクの町並み・建築群は、11世紀以降の中欧の国々の都市の形態・発展に強い影響を与えた。

 《4》バンベルクはその平面や現存する数多くの教会・世俗建築において中欧の初期の中世都市の顕著で典型的な例である。

クヴェートリンブルクの旧市街と城、教会

 《4》クヴェートリンブルクは優れた価値を有する木組みの家々が高い度合いで残る中世の佇まいを伴うヨーロッパの都市の顕著な例である。

フェルクリンゲン製鉄所

 《2》フェルクリンゲン製鉄所で幾つもの銑鉄の生産の重要な技術的革新が考えられ、工業規模での初の採用が成功した。
   現在では世界中でその技術が普遍的に使用されている。

 《4》フェルクリンゲン製鉄所は19世紀から20世紀初頭にこの産業に著しく影響を与えた銑鉄生産工場が併設された型の顕著な例である。

メッセルピット

 《8》メッセルピットでは始新世中期ごろからの小動物の化石が見つかっている。
   ここでは始新世の哺乳類の進化の過程を見ることが出来る。
   ここでの始新世の生態系に関する発見は他に類を見ないほどである。

ケルン大聖堂

 《1》《2》《4》ケルン大聖堂は人類の創造的才能の傑作であり、600年以上の工期を経て建てられた、中世・現代ヨーロッパのキリスト教信仰の強さと永続性を物語るものである。

バウハウスと関連建造物

 《2》《4》《6》登録された建築群はバウハウス建築の重要な作品であり、20世紀における芸術と建築の思考と慣習の革新を目指した近代建築運動の礎となった。

アイスレーベンとヴィッテンベルクのルター記念建造物群

 《4》《6》アイスレーベンとヴィッテンベルクのルター記念建造物群は世界の宗教史・政治史における重要な事件であるプロテスタントによる宗教改革の重要な証拠を示しており、19世紀の歴史主義の顕著な例を構成している。

古典主義の都ワイマール

 《3》内外の公共・世俗建築や公園の高度な芸術的価値はワイマールの古典主義時代の稀な文化的繁栄の証となっている。

 《6》啓蒙思想に感化された公爵による出資によりゲーテ・シラー・ヘルダーなどの多くの文筆家や思想家が18世紀後期から19世紀初頭にかけてワイマールに呼び寄せられ、当時のヨーロッパの文化的中心地となった。
   
ベルリンの博物館島

 《2》ベルリンの博物館島は100年以上の間の近代の博物館設計の発展を示す独特な博物館建造物の集合体である。

 《4》美術館の建設は啓蒙思想に端を発する社会現象であり、フランス革命以降大衆にまで及んだ。
   博物館島は物理的形態と象徴的な都市中央部の環境が与えられたこの概念の最も顕著な事例である。

ヴァルトヴルク城

 《3》ヴァルトヴルク城は中欧における封建時代の顕著な記念碑である。

 《6》ヴァルトヴルク城は文化的関連性が豊かであり、新約聖書をドイツ語に翻訳したルターの亡命先としての役割が特に重要とされる。
   ここはドイツ統一の象徴でもある。

デッサウ=ヴェルリッツ庭園王国

 《2》デッサウ=ヴェルリッツ庭園王国は啓蒙時代の哲学原理を景観設計に盛り込んだ顕著な例であり、芸術・教養・秩序が見事に調和している。

 《4》18世紀は景観設計にとって重要な時代であり、デッサウ=ヴェルリッツ庭園王国のそれは広範囲に及ぶ優れた例証である。

ライヒェナウ修道院島

 《3》ライヒェナウ創建の遺構は中世初期に力を持ったベネディクト会修道院の宗教的・文化的役割の顕著な証拠を有している。

 《4》ライヒェナウ島の教会は建築構造の発展の幾つもの段階の優れた要素を留めており、それ故9〜11世紀の中欧における修道院建築の顕著な例を示している。

 《6》ライヒェナウ修道院島は10〜11世紀のヨーロッパにおける美術史に高い重要性を持った場所であったことがその記念碑的壁画や彩飾によく示されている。

エッセンの関税同盟鉱山の産業遺構

 《2》ツォルフェライン第12立坑の産業建造物群はその建築群が全ての産業的背景における近代建築運動の受容の顕著な例であるという事実的価値により優れた産業記念碑とされる。

 《3》ツォルフェライン第12立坑の技術的・その他の建造物は顕著な価値を有する建築設計の好意的・積極的な受容がなされた時代のヨーロッパの伝統的な重工業の発展の重要な段階の代表性を有している。

ライン渓谷上流中部

 《2》ヨーロッパの重要な交易路に位置したライン渓谷中部は、2000年以上の間地中海地域と北方の文化的交流の要衝であり続けた。

 《4》中部ライン渓谷は2000年以上に渡り続けられた土地利用・基幹整備・住居の形成等の人的干渉及び地勢的・地形的立地に決定付けられた現在見られる特徴を有する顕著な有機的景観である。

 《5》中部ライン渓谷は伝統的な生活形態や多くの伝達手段が狭小な渓谷に働きかけてきた顕著な例である。
   段丘には2000年の間に形作られた景観が広がるが、近年の社会・経済の急激な転換による脅威に瀕している。

シュトラールズントとヴィズマールの歴史地区

 《2》ヴィズマールとシュトラールズントは13世紀から15世紀のウェンド人支配のハンザ同盟都市であり、17世紀から18世紀にはスウェーデン王国の防衛と行政の要衝であった。
   ここはハンザ同盟都市の特徴を残し、かつレンガ建築の技法と様式の流布と発展に寄与した。
   スウェーデンの支配下では防衛施設の発展にも寄与している。

 《4》シュトラールズントとヴィズマールは主要な教区聖堂・シュトラールズント市庁舎・ディールンハウスの様な商業建築様式に例証されるハンザ同盟都市の典型となった都市形態と建築技法の発展における重要な段階を示している。
   
ブレーメンの市庁舎とローラント像

 《3》ブレーメンの市庁舎とローラント像は神聖ローマ帝国の治世下で発展した市民の自治権と統治権の稀な証拠である。

 《4》ブレーメンの市庁舎とローラント像は市民の自治権と交易の自由を表す顕著な建造物である。
   また市庁舎は中世の庁舎建造のザールゲショスバウ様式(大広間を有する為の多層構造の建築法)の典型であり、北部ドイツで発展したヴェーザールネサンスと呼ばれる様式の顕著な例である。
   ブレーメンのローラント像は市場権と自由の象徴とされたローラント像の最古のものの1つであり、最も代表的なものである。

 《6》象徴性を有するブレーメンの市庁舎とローラント像は神聖ローマ帝国の治世における市民の自治権と交易権の考えの発展に直接結びつくものである。
   ブレーメンのローラント像はカール大帝の守護騎士として、フランスの「武勲詩」やその他中世やルネサンス期の歌劇や叙事詩にも謳われた歴史的人物を参考にしている。

ドレスデンのエルベ渓谷【2009年削除】

 《2》ドレスデンのエルベ渓谷はヨーロッパの文化・科学・技術の交流があった場所である。
   この地の芸術収集品・建築・庭園・景観の特徴は18〜19世紀の中欧の発展の重要な資料となっている。

 《3》ドレスデンのエルベ渓谷は宮廷や祭事及び近代の産業化時代におけるヨーロッパの都市発展を反映する中産階級の建築や産業遺産の稀な証拠を有している。

 《4》ドレスデンのエルベ渓谷は渓谷に沿って高名なバロック様式の情景と郊外の田園都市とが芸術的な一体感を醸し出している顕著な文化的景観である。

 《5》ドレスデンのエルベ渓谷は主要な中欧の都市の傑出した発展を示す土地利用の顕著な例である。
   この地の文化的景観の価値は昔から知られていたが、現在は変化の波が押し寄せている。

レーゲンスブルク旧市街とシュタットアムホーフ

 《2》レーゲンスブルクの建築は中世の交易の中心地としての都市の役割とアルプス以北の地域における影響を示している。
   レーゲンスブルクはイタリア・ボヘミア・ロシア・ビザンツ帝国への大陸交易路における重要な交差点にあり、大陸間交易路であるシルクロードとも様々な繋がりを持っていた。
   この様にレーゲンスブルク市街は都市景観を形作っていった文化的・建築的影響の重要な交流を示している。

 《3》レーゲンスブルク旧市街は中世中期には帝国議会の殆どが開催された場所として神聖ローマ帝国の文化的伝統の稀な証拠を有しており、1663〜1806年の間永久帝国議会が開催された場所として、現代欧州史に重大な貢献を成した。
   これらの行事の証拠として9世紀からの2つの宮廷や数多くの良好に保存された歴史的建造物群があり、社会の富と政治的重要性の証明となっている。
   
 《4》レーゲンスブルク旧市街は歴史層が良好に保存された、特に11〜14世紀の商業の発展の優れた例証である中欧の中世交易都市の顕著な例である。

ベルリンの近代様式集合住宅群

 《2》6つのベルリンの集合住宅はベルリンの住宅・生活環境の改善に重要な貢献を成した、広範な住宅改革運動の顕著な表現である。
   それらの都市・建築・庭園の設計の質はこの時代に発展した住宅基準と同様に設計以降、ドイツ内外の社会住宅の基準となった。

 《4》6つのベルリンの集合住宅は社会的生活環境の改善の模索により設計された、新たな都市的・建築的類型学の優れた例である。
   斬新な設計上の解決法や技術的・美的革新は設計や建造に参加した先導的近代建築家らによりまとめられた。

ワッデン海

 《8》ワッデン海は規模と多様性において他に並ぶものの無い堆積海岸である。
    それは小規模河川のみを伴うにも関わらずほぼ全域が潮汐平底と沖積層であるのが特徴的であり、海面上昇の条件下にある複雑な温帯気候の砂礫堆積海岸の大規模発展の顕著な例である。
    高度で劇的な自然過程は本資産の大部分において阻害されておらず、異なる砂州島・流床・干潟・海溝・塩性湿地その他の沿岸堆積の特徴の多様性を生み出している。
    それは地球上で最良の研究がされた沿岸地域の1つであり、国際的重要性を有する湿地・沿岸の管理にとって広範な学術的重要性のある課題を呈している。

 《9》ワッデン海は自然過程がほとんど影響を受けずその機能を継続する、最後の大規模な天然の潮間生態系の現存するものの1つである。
    その地質学的・地形学的特徴は生物物理学的過程と密接に関係しており、地球の変動に対する進行中の沿岸環境の動的な適応の極めて価値のある記録を提供している。
    そこには本資産の種の多様性の基礎となる陸地・海洋・淡水間の多数の移行地帯が存在している。
    ワッデン海の生物量の生産性は世界有数であり、魚類・貝類・鳥類において著しく証明されている。
    本資産は渡り鳥にとって主要地点であり、その生態系は国境を超え野生生物の個体群を良好に維持している。

 《10》沿岸の湿地帯は植物多様性との関連性においては最も豊富な場所とは必ずしも言えないが、ワッデン海にはこれは当てはまらない。
    塩性湿地は2300種もの動植物相を、海洋・汽水地域においてはそれを超える2700種、及び30種の繁殖鳥を育んでいる。
    本資産の重要性の最も明瞭な指針は成長・換羽・越冬地域として渡り鳥を支えていることである。
    610万羽をもの鳥類が同時期に居合わせる事が出来、本資産を通じて毎年平均1000〜1200万羽の渡り鳥が訪れる。
    食糧調達の可能と低度の阻害は移動性種の生存を支える上で推薦資産の重要な役割に貢献する必要不可欠な要因である。
    推薦資産は東大西洋とアフリカ-ユーラシア地域の渡り路の機能を果たすことを可能にする必要不可欠な中継地点である。
    地球規模での生物多様性はワッデン海にかかっている。 

アルフェルトのファグス製靴工場

 《2》アルフェルトのファグス製靴工場は急進的で近代的な建築を立ち上げたドイツ、欧州、北米の異なる年代の建築家らの深い交流の瞬間を明らかにしている。
   それは技術的・芸術的・人道的なこれらの影響が統合された場所であり、多くの建築作品に影響を与え、バウハウス運動の起点となった。

 《4》建築における近代性の表現であるファグス製靴工場によってその設計者であるヴァルター=グロピウスは世界的名声を博した。
   それは光度と明度の両方を最適化したカーテンウォールの革新の良例である。
   それは労働環境の生産性と人道性の点における産業総体の機能性の具体的な表現であり、工業的な美学と意匠の概念が構成に統合されている。
  
【ポルトガル】   

アングラドエロイズモの歴史地区

 《4》大西洋中部のアフリカやインド諸国からの船団の立ち寄りが義務化された港であったアングラの港は一大探検調査の構想の中での海事世界に関連した創造作品の卓越した例である。

 《6》リスボンのベレンの塔やジェロニモス修道院やゴアの修道院同様、アングラ・ド・エロイズモは地球規模での重要な文明間の交流が可能になった海事上の発見という普遍的な重要性を有する歴史事件に明白に関連している。

リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔

 《3》《6》リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔は大航海時代のポルトガル王国が隆盛を極めた時代の象徴である。
     
バターリャの修道院

 《1》《2》バターリャの修道院は長期に渡り世界の文化地域の建築への影響を与えた、優れた建造物である。

トマールのキリスト修道院

 《1》この基準はテンプル騎士団の初期の教会であることとそのルネサンス様式の構造に適用される。

 《6》トマールの修道院は元は国土回復運動の象徴であったが、マヌエル1世の時代にはポルトガルが外界の文明に開かれたという正反対の事象の象徴となった。

エヴォラ歴史地区
 
 《2》エヴォラの都市景観はそれだけでサルヴァドール・デ・バイーア等のブラジルへのポルトガル建築の影響性を理解することが可能である。

 《4》エヴォラは1755年の地震によるリスボン壊滅の後、ポルトガルの黄金時代の都市の最も良好な例となった。

アルコバッサの聖マリア修道院

 《1》その壮大な規模・建築様式の明快さ・使用された建材の美しさ・建造時の配慮によりアルコバッサのシトー会修道院はシトー会のゴシック芸術の傑作である。
   ここは聖ベルナルドの存命時にブルゴーニュ地方にて発展した風雅な様式の広まり及びフォントネーの様に規約の初期の確立を特徴付ける禁欲的理想観念の現存する証拠を有している。
   ペドロ1世とイネス=デ=カストロの墓はゴシック様式の埋葬彫刻の中で最も美しいものの1つである。

 《4》アルコバッサの修道院は水利設備と機能的な建造物の独自の構造基盤を有する重要なシトー会施設の顕著な例である。
   18世紀建造の調理場は中世からの回廊・水盤・参事会室・居間・共同寝室・僧房・食堂といった修道院の建造物群の趣に加味している。
   
シントラの文化的景観

 《2》《4》《5》シントラの山並みと町の文化的景観はヨーロッパ各地の発展に顕著な影響を与えたロマン主義の造園への先駆的試みを表している。
       ここは連続する多様な文化の典型として必要不可欠な完全性を維持してきた特殊な立地の文化的占有の独特な実例である。
       この地の建造物群は文学的・芸術的影響を受けた結果人類により作り出された優雅で洗練された景観と固有の植物相とを調和させている。
       この地の完全性は放置や好ましくない管理・使用に対して脆く傷つきやすいものである。
       
ポルト歴史地区

 《4》ポルトの都市構造や多くの歴史的建造物群はその文化的・商業的連結の為西方へと目を向けたヨーロッパ都市の過去1000年を超えた発展の注目すべき証拠を有している。

コア渓谷の岩絵群コア渓谷とシエガ・ヴェルデの岩絵群

 《1》コア渓谷の後期旧石器時代の岩絵は人類の文化的発展の黎明期において突如として花開いた創造性の才能の顕著な実例である。

 《3》コア渓谷の岩絵は全体的に優れた様式となっている初期の人類の祖先の生活における社会的・経済的・精神的生活様式に光を投げかけるものである。

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 《1》後期旧石器時代からマドレーヌ期・中石器時代の終焉(紀元前22000〜8000年頃)に遡るコア渓谷とシエガ・ヴェルデの岩絵群は人類の象徴的創造性の最初の表現と文化的発展の始まりの独特な例を表しており、それらが相互に補完しあい先史芸術の理解に無二の資源を構成している。

 《3》コア渓谷とシエガ・ヴェルデは共に考慮することで我々の初期の祖先の社会的・経済的・精神的生活様式に非常に明るい光を投げかけている。

マディラ島の月桂樹林

 《9》《10》マディラ島の原生林に見られる植生はかつてはヨーロッパ全土に見られるものであった。
     現在では多くの希少種・絶滅危惧種が生息し、特に脊椎動物やシダ植物・花卉植物などを多く見ることが出来る。

ギマランイス歴史地区

 《2》ギマランイスは中世にこの地で発展した専門的な建造技術がアフリカや新世界のポルトガル植民地へと伝わり、それらの典型的な特徴となっていることにより重大な普遍的重要性を有している。

 《3》ギマランイスの初期の歴史は12世紀におけるポルトガルの言語や国家的独自性の確立に密接に関係している。

 《4》一際良好に保存された都市であるギマランイスは中世の集落から現代の都市まで、特に15〜19世紀の特殊な建造物の類型の発展を例証している。

アルト・ドウロのワイン生産地域

 《3》アルト・ドウロ地方は2000年近くワイン生産が続けられ、その景観は人類活動により形作られてきたものである。

 《4》アルト・ドウロの景観の構成物件は段丘・大農場・村落・礼拝堂・農道といったワイン生産に関連した全ての活動の領域の見本となっている。
   
 《5》アルト・ドウロの文化的景観はヨーロッパの伝統的ワイン生産地域の顕著な例であり、時を越えたこの種の人類活動を反映している。

ピコ島ワイン畑の文化的景観

 《3》《5》ピコ島の景観は15世紀に最初の入植者が到達して以来発展し続けてきた、小火山島での葡萄栽培に対する独自の対応策を反映している。
     小規模な石積壁で囲われた農地の一際美しい人工景観は苛酷な環境において持続可能な生活様式と非常に価値の高いワインを生み出した何世代にも渡る小規模農家の証である。 
   
【フィンランド】

ラウマ旧市街

 《4》ラウマ旧市街は北欧の旧市街の建築・都市性の典型であり、最も美しく最も広く保存されたものの1つである。

 《5》ラウマはヨーロッパのこの地域における伝統的集落の紛れも無い温室である、北欧の木造による旧市街の顕著な例である。

スオメンリンナの要塞
 
 《4》軍事建築史において、スオメンリンナの要塞は当時の一般的な要塞の定石と特殊な特徴の両方の性質を有する顕著な例である。

ペタヤヴェシの古い教会

 《4》ペタヤヴェシの古い教会はスカンジナビア半島東部の建築伝統における木造教会の顕著な例である。

ヴェルラの製材、板紙工場

 《4》ヴェルラの製材・板紙工場と関連施設は19〜20世紀初めに北欧及び北米で盛んであったパルプ生産・製紙・製材に関連した小規模な地方産業施設の現在まで残る数少ないものの中で、顕著で際立って良好に保存された実例である。

サンマルラハデンマキの青銅器時代遺跡

 《3》サンマルラハデンマキの積石墓地はスカンジナビア半島の青銅器時代の社会構造の稀な証拠である。

 《4》サンマルラハデンマキの墓地はスカンジナビア半島における青銅器時代の埋葬慣習の顕著な実例である。

【ハンガリー】

ブダペスト

 《2》ブダペストは中・東欧の中継点として文化・技術の発展により現代に見られる都市景観を築き上げていった。

 《4》ブダペストには時代ごとに流行した建築様式が調和した都市景観を見ることが出来る。

ホローケー

 《5》ホローケーは伝統的な活動を失ってしまった博物館村ではなく、農業活動を含むだけでなくその成果を保証する保護を有する生活共同体である。
   ホローケーはその土地も含めた伝統的村落の自発的保護の間違いなく優れ、独特ともされる実例である。
   土地の再編成により修正された構想は1983年の“保護された自然地域”計画の枠組みにおいて、家族経営の農業に関係した土地占有という昔の制度の非常に特徴的な元来の細長い形へと戻された。
   歴史的真正性を重んじた完璧な保護が取られたことにより葡萄畑・果樹園・菜園は再び作られ森林環境同様、生態系の均衡は回復した。
   ホローケーはマジャール人の中のパローツ民族を象徴するだけでなく、中欧全体において20世紀の農業改革により全体的に失われてしまった田園生活の伝統的な形態の証拠を有している。

アグテレックカルストとスロバキアカルスト

 《8》アグテレックとスロバキアのカルスト地帯は熱帯性気候と氷河作用による数千万年に及ぶ地質学の研究が可能である。

パンノンハルマのベネディクト会修道院

 《4》《6》パンノンハルマの修道院は1000年以上の継続的使用において発展してきた初期キリスト教修道院の構造と立地の優れた様相に顕著で普遍的な価値が例証されるものである。
     その立地と創建の早さは中欧におけるキリスト教の伝播と継続の独特な証拠である。

ホルトバージ国立公園

 《4》ハンガリーのプスタと呼ばれる景観は牧畜社会の作り上げた文化的景観の顕著な例である。

 《5》ホルトバージ国立公園の景観は2000年に及ぶ伝統的な土地利用の跡を現在まで目に見える形で残し、人類と自然の調和した相互作用を表している。

ペーチの初期キリスト教墓地遺跡

 《3》ペーチの埋葬用の玄室や追悼礼拝堂はローマ帝国後期のキリスト教社会の強大さと信仰心の顕著な証拠を有している。
 
 《4》ペーチの墓地遺跡はローマ帝国の支配地域の北・西部の独特な初期キリスト教時代の埋葬芸術や墓地建築を十分に良く例証している。

フェルトゥー/ノイジードラー湖の文化的景観

 《5》フェルトゥー/ノイジードラー湖は自然環境と人類との相互作用の発展・共生の作用の結果であるその変化に富んだ景観にありありと示される、8000年に及ぶ文化揺籃の地である。

トカイ地方のワイン生産地域の歴史的文化的景観

 《3》トカイ地方のワイン生産地域は少なくとも1000年以上続いてきた特徴的な葡萄栽培の伝統を表し、現在でもその伝統を保持し続けている。

 《5》トカイ地方のワイン生産地域の葡萄畑や村落などを含む景観は、それが示す様な伝統的な土地利用の特化された形状を鮮明に例証している。

【サンマリノ】

サンマリノ歴史地区とティタノ山

 《3》サンマリノとティタノ山は13世紀以降、独立共和国の首都として独特かつ途切れず続いた市民自治と自治統治に基づく典型的な民主主義の確立の稀な証拠である。
   サンマリノは700年以上に渡り続いた現存する文化的伝統の稀な証拠である。

【イタリア】

カモニカ渓谷の岩絵

 《3》カモニカ渓谷の線刻画は現代以前の8000年の長きに渡り作成され続けてきたものである。
   これらは言うまでも無く古代の重要性を有する人類の表現の顕著で貴重な性質を持っている。

 《6》カモニカ渓谷の岩絵は先史時代の慣習や精神性の特に象徴的な記録となっている。
   これらの石に刻まれた図象における体系的解釈・幾何学分類・年代研究は先史学・社会学・民族学の分野に多大な貢献をもたらした。

ローマ歴史地区

 《1》サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂の前庭や身廊・勝利門・聖歌隊席のモザイク装飾やサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ聖堂やサン・パオロ・フオリ・レ・ムーラ聖堂の神聖なエルサレムの表象のままに豊かな装飾が施された5世紀の建造物群や12世紀の社会生活の理想を目指したグレゴリウス改革の遺産の完璧な表現、13世紀のヴァザレッティによる大理石の柱廊といった傑作群に領土を越えた資産群が独特な芸術的成果であることを窺い知ることが出来る。

 《2》ローマに残る多くの建造物や記念芸術は、何百年にも渡りキリスト教世界の建築・記念芸術の発展に多大な影響を与えた。
   ローマ世界から引き継がれた構造の伝達における重要な聖堂群の規範的役割は知られるところであり、またコンスタンティヌス帝により建てられ5世紀に再建されたサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ聖堂の八角形の洗礼堂による西洋の大建造物へのこの様式の採用における蓋然的な役割についても認識されて然るべきものである。
   さらにサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂のシスティーナ礼拝堂とパオリーナ礼拝堂やサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ聖堂の内装や聖堂正面といったバロック様式の宗教芸術の傑作のヨーロッパ及びその他の地域への派生的な影響は新世界におけるキリスト教徒による布教政策により非常に複雑なものとなっている。   

 《3》紀元前753年に築かれたと伝えられるローマは人類の歴史と絶えず関連し続けてきた。
   500年に渡り地中海世界を支配した帝国の都としてローマはその後キリスト教世界の中心となり、現在まで極めて重要な宗教的・政治的重要性を保持し続けている。

 《4》サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂やサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ聖堂、城壁外のサン・パオロ・フオリ・レ・ムーラ聖堂は4〜5世紀の間にローマに建てられた重要な初期のキリスト教聖堂の顕著な例である。

 《6》聖パウロの聖像が安置された礼拝堂の敷地の上に386年に建造されたサン・パオロ・フオリ・レ・ムーラ聖堂はヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂同様、キリスト教の起源の歴史と明確に結びつくものである。

ヴァチカン市国

 《1》ヴァチカンは数百年に渡り発展し続けた芸術的創造作品であり、フラ=アンジェリコにより装飾されたニコラウス5世礼拝堂やピントゥリッキオのフレスコ画に彩られたボルジアの間、ラファエロとその弟子達の間、ボッティチェリやその他多くのフィレンツェの画家に始まり穹窿のフレスコ画や「最後の審判」の作者であるミケランジェロにより16世紀に完成を見た壁面装飾を有するシスティーナ礼拝堂、同様にミケランジェロの作品が描かれたパオリーナ礼拝堂といった数々の最も良く知られた人類の創作品を集約した空間表現の独特な傑作である。

 《2》ヴァチカンの建築は16世紀以降の芸術の発展に根本的な影響を与えた。
   建築家達はブラマンテのサン・ピエトロ大聖堂やベルヴェデーレの中庭、ミケランジェロのサン・ピエトロ大聖堂の円蓋、ベルニーニのサン・ピエトロ大聖堂の柱廊や大天蓋といった建造物に学ぶ為にこの地を訪れた。
   ヨーロッパ内外においてヴァチカンの建造物、ラファエロやミケランジェロのフレスコ画、「ラオコーン」や「ベルヴェデーレのアポロン」等の博物館に収蔵された古代の芸術品は大量に模倣・模造された。
   
 《4》ヴァチカンはルネサンス・バロック芸術の理想的かつ模範的な素晴らしい創造作品である。

 《6》聖ペテロの聖像が安置され巡礼の中心地であるヴァチカンはキリスト教の歴史と実質的に関わっており、1000年以上に渡って人類はこの特別な地に図書館の記述書や書籍である記憶の集積や多方面に渡る才能の至宝を蓄積してきた。

フィレンツェ歴史地区

 《1》芸術的傑作の実現であるフィレンツェの町並みは600年にも及ぶ継続的創造の成果である。
   考古博物館やウフィツィ美術館・ピッティ宮殿内の美術館や博物館・アカデミア美術館を考慮に入れなくとも、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂やジョットの手による洗礼堂や鐘楼、ヴェッキオ宮殿やウフィツィ宮殿が聳え立つシニョーリア広場、サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂、サンタ・クローチェ聖堂、パッツィ家礼拝堂、フラ・アンジェリコの絵画を収めたサン・マルコ修道院、サント・スピリト聖堂、サン・ミニアート・アル・モンテ聖堂といった世界に知られた普遍的な芸術作品の重要な集中が見られる。

 《2》4世紀以降フィレンツェはイタリア及びヨーロッパ全体の建築・記念芸術の発展に顕著な影響を及ぼした。
   ルネサンスの美学原理はブルネッレスキ・ドナテッロ・マサッチョにより16世紀初頭に定義された。
   レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロの2人の万能の芸術の天才はフィレンツェの環境において育まれたと見られる。

 《3》フィレンツェは中世及びルネサンス期の商業都市としての権力をその優れた有様・独特な一貫性において証明している。
   過去の時代よりフィレンツェは全体的な街路やスピーニ宮・ポデスタ宮・シニョーリア広場に面する宮殿等の要塞化宮殿、ビガッロの開廊・ランツィの開廊・イノチェンティの開廊・新市場の開廊といった開廊群、噴水、店舗を併設した14世紀のヴェッキオ橋を保存してきた。
   繁栄した芸術活動の中で組織された多方面にわたる交易活動はオル・サン・ミケーレ聖堂の様な幾つもの記念碑を残していった。 

 《4》フィレンツェの14〜17世紀の経済的・政治的な力はルッチェライ宮・ストロッツィ宮・ゴンディ宮・リカルディ=メディチ宮殿・パンドルフィーニ宮・ピッティ宮殿やボーボリ庭園、サン・ロレンツォ聖堂の聖具保管室、メディチ家の礼拝堂、ラウレンツィアーナ図書館等の職人・上流階級の気風の良さを示す一流の建造物群により網羅されている。

 《6》フィレンツェは新プラトン主義の学究的世界の環境でのルネサンスの概念の進展という普遍的重要性を有する出来事に実質的に関連している。
   フィレンツェはランディーノ・マルシリオ=フィツィーノ・ピコ=デラ=ミランドーラらにより考え出された近代人文主義発祥の地である。

ヴェネツィアとその潟

 《1》118の小島の上に築かれ、潟の上に浮いているように見えるヴェネツィアは独特な芸術的偉業であり、カナレット、グアルディ、ターナーやその他大勢の画家を触発した測り知れないほど重要な美観を創り上げており、そのことはヴェネツィア自身に明らかである。
   ヴェネツィアの潟はトルチェッロ島の大聖堂からサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂まで世界の傑作の高い集中が見られる場所の1つであり、何百年にも渡った黄金時代がサン・マルコ大聖堂やドゥカーレ宮殿、サン・マルコ信者会やサンティッシミ・ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂、サン・ロッコ大信者会、サンタ・マリア・グロリオーサ・ディ・フラーリ聖堂、サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂といった優れた美的価値を有する記念碑により象徴されている。

 《2》ヴェネツィアの建築や記念芸術への影響は多大であり、ダルマツィア地方の海岸沿いの共和国の全ての交易市場・拠点や小アジア・エジプトへの影響を始めとして、イオニア海の島々・エウボイア島・ペロポネソス半島・クレタ島・キプロス島にはヴェネツィアを手本にした建造物が建てられた。
   この海の覇者が始めての敗北を喫するとベルニーニやジョルジョーネ、その後に続くティティエン・ティントレット・ヴェロネーゼ・ティエポロらによって創られた全く異なる絵画の一派は空間認識・陰影・色彩を変化させ、ヨーロッパの絵画や装飾の潮流において決定的な影響を与えた。

  • 【アルメニア】<br /><br />ハフパットとサナヒンの修道院<br /><br /> 《2》《4》ハフパットとサナヒンの修道院は10〜13世紀にアルメニアで発展した、ビザンツ様式の教会建築とこの地域特有の伝統的な建造物の様式の要素の混成により独特とされる教会建築の優れた例である。<br />   <br />エチミアツィンの大聖堂、聖堂とズヴァルトゥノツの遺跡<br /><br /> 《2》エチミアツィンの聖堂群とズヴァルトゥノツの考古遺跡による優れた手法に表される教会建築の発展は、広域に渡る教会設計に深い影響を与えた。<br /><br /> 《3》エチミアツィンの聖堂群とズヴァルトゥノツの考古遺跡はその創建以降のアルメニア教会の精神性と革新的な芸術達成を鮮明に描き出している。<br /><br />ゲガルトの修道院とアザト渓谷上流<br /><br /> 《2》注目に値する岩窟教会と墓地を伴うゲガルトの修道院は周辺地域の後の発展に深い影響を与えた数多くの革新的特徴を有する中世アルメニアの修道院建築と装飾芸術の極めて良好に保存された完璧な例である。<br /><br />【アゼルバイジャン】<br /><br />城塞都市バクー<br /><br /> 《4》城塞都市バクーはゾロアスター教・ササン朝・アラブ・ペルシャ・シルヴァーン朝・オスマン=トルコ・ロシアの文化の影響を受けた歴史的都市・建築の顕著で稀な例である。<br /><br />ゴブスタンの岩石画の文化的景観<br /><br /> 《3》ゴブスタンの刻画は特にこの地域の気候・植生が今日より温暖かつ湿潤であった時代を反映する、狩猟・漁獲に関連した行動を生き生きと表す、消滅した生活様式の稀な証拠である。<br /><br />【グルジア】<br /><br />博物館都市ムツヘタ<br /><br /> 《3》ムツヘタの教会群はその地域の中世史に重要な役割を果たした、消滅したグルジア王国の芸術・文化とその高い地位の証拠を有している。<br /><br /> 《4》ムツヘタの歴史的教会群はコーカサス地方の中世教会建築の顕著な例である。<br /><br />バグラチ大聖堂とゲラチ修道院<br /><br /> 《4》バグラチ大聖堂とゲラチ修道院は中世グルジアの建築の最高点を示すものである。<br /><br />アッパー・スヴァネティ<br /><br /> 《4》《5》アッパー・スヴァネティ地方はその人類集落の配列・形態・建築において特筆すべき、建設当時の中世の様相を際立った度合いで残す優れた景観である。<br /><br />【チェコ】<br /><br />プラハ歴史地区<br /><br /> 《2》プラハ歴史地区は中世から現代に至るまでの継続的な都市発展の過程を見事に例証している。<br />   14世紀以降の中欧の政治的・経済的・社会的・文化的発展の重要な役割と建築的・芸術的伝統はプラハが中・東欧の大部分の都市発展の重要な見本とされたことを意味している。<br /><br /> 《4》プラハは個々の記念碑や町並みにおいて顕著な価値が見られる都市建築物群であり、世界中に知られている。<br /><br /> 《6》中欧での中世のキリスト教の発展及び都市の発展・形成への影響におけるプラハが果たした役割は顕著である。<br />   中世後期及びそれ以降の政治的重要性により、このことはプラハの建築的・芸術的至宝の富裕さに貢献したヨーロッパ全土の建築家・芸術家を引き寄せた。<br />   15世紀のカレル大学の創設によりプラハは良く知られた学問の中心地となり、その評判は現在まで響いている。<br />   カール4世の治世以降プラハはその地域の知的・文化的中心地となり、またウォルフガング=アマデウス=モーツァルトやフランツ=カフカといった世界的な著名人との永久的な関係性を有している。<br /><br />チェスキークルムロフ歴史地区<br /><br /> 《4》チェスキークルムロフはその経済的重要性と500年余りの比較的影響を受けていない独自の発展による歴史地区の構造や建造物群を有する、中世に遡る中欧の小都市の顕著な例である。<br />   チェスキークルムロフは雄大な自然美を有する自然環境を備えたヴルタヴァ川の蛇行部にて発展した。<br />   時を越えたその発展はその建造物群や都市構造に驚くほど鮮明な証拠を見ることが出来る。<br /><br />テルチ歴史地区<br /><br /> 《1》テルチは顕著な価値を有する建築的・芸術的全体効果を見せるものである。<br />   現在まで良好に保存された、見事な壁面装飾を有するルネサンス様式の建造物群に囲まれた三角形の市場広場は重要な文化的価値と共に卓越した美と調和を有している。<br /><br /> 《4》中欧における中世後期は政治統制と経済拡張の理由による原生林地域への計画的入植の植民地化の時代と考えられ、テルチは最も良好な状態で現存する例である。<br /><br />ゼレナー・ホラの巡礼聖堂<br /><br /> 《4》聖ヨハネ=ネポムーク巡礼聖堂はゴシックからバロックへの伝統の推移の橋渡しをする建築様式の顕著な例である。<br /><br />補足 ICOMOSの報告書では《1》での登録も勧告されている。<br /><br /> 《1》ズジャール・ナト・サーサヴォウのゼレナー・ホラの聖ヨハネ=ネポムーク巡礼聖堂はバロック・ゴシック様式の建築の傑作である。<br /><br />クトナーホラ歴史地区<br /><br /> 《2》《4》クトナーホラは銀採掘により富や繁栄を得た中世都市の顕著な例をその都市構造や建造物群の中に構成している。<br />     その結果、後の中欧の建築の発展に深い影響を与えた聖バルバラ教会に著しい、高い建築的・芸術的価値を有する数多くの建造物群を得てきた。<br />     また、良好に保存された歴史地区の建造物群は同様の集落とは一線を画す社会的・経済的要素を示すため非常に重要である。<br /><br />レドニツェ=ヴァルチツェの文化的景観<br /><br /> 《1》《2》《4》レドニツェ=ヴァルチツェの文化的景観は啓蒙運動の中で発展し、その後ある一族の管理下にあった設計された景観の優れた例である。<br />       ここは続く時代の協和的な文化記念碑と固有・外来の自然要素を1つにまとめ、人類の創造性の傑作を創り上げる事に成功した。<br /><br />クロムニェジーシュの庭園と城館<br /><br /> 《2》クロムニェジーシュの庭園と城館、特に「喜びの庭園」は中欧におけるバロック様式の庭園と城館設計の発展に重要な役割を果たした。<br /><br /> 《4》クロムニェジーシュの庭園と城館は17〜18世紀の王宮と関連する景観の特に完璧で良好に保存された実例である。<br /><br />ホラショヴィツェの歴史的集落保存地区<br /><br /> 《2》ホラショヴィツェは南ボヘミア風バロックとして知られる耐久性の高い優れた様式を生み出した、2つの地方建築の伝統の融合を表していることに特別な重要性が見られる。<br /><br /> 《4》ホラショヴィツェの建造物群はその際立った完全性と極めて優れた維持活動により中欧の伝統的な農村集落の顕著な例となっている。<br /><br />リトミシュル城<br /><br /> 《2》リトミシュル城は最初にイタリアで発展し、チェコの大地で修正されることにより特別な建築特性を有する発展形態を生み出した建造物の型である拱廊型城館の顕著で完璧に保存された例である。<br /><br /> 《4》リトミシュル城はルネサンス期の中欧の貴族の館及びそれらの新たな芸術運動の下での後の発展がその特別優れた様相の中に示されている。<br /><br />オロモウツの聖三位一体柱<br /><br /> 《1》オロモウツの聖三位一体柱は中欧におけるバロック芸術の表現の最高点の中でも最も優れた実例の1つである。<br /><br /> 《4》聖三位一体柱の建造はバロック様式の時代の中欧における宗教的信仰心の独特な物証となっており、オロモウツの例はその最も顕著な表現を表している。<br /><br />ブルノのトゥーゲントハット邸<br /><br /> 《2》ドイツ人建築家ミース=ファン=デル=ローエは近代建築運動の急進的な新概念をトゥーゲントハット邸を通して居住用建造物の設計に取り入れることに成功した。<br /><br /> 《4》1920年代の近代建築運動により建築は刷新され、トゥーゲントハット邸に縮図的に示されるミース=ファン=デル=ローエの業績は世界規模でのその建築の波及と受容において主要な役割を果たした。<br /><br />補足 ICOMOSの報告書には《1》での登録も勧告されている。<br /><br /> 《1》トゥーゲントハット邸は近代建築運動の傑作である。<br /><br />トゥシェビチのユダヤ人地区と聖プロコピウス聖堂<br /><br /> 《2》トゥシェビチのユダヤ人地区と聖プロコピウス聖堂はユダヤ教とキリスト教という2つの異なる文化の何百年にも渡る共存と交流の証拠を有している。<br /><br /> 《3》トゥシェビチのユダヤ人地区は中欧におけるユダヤ人の離散に関わる文化的伝統の稀な証拠である。<br /><br />【エストニアをはじめとする10ヶ国】<br /><br />シュトルーヴェ測地弧<br /><br /> 《2》地球の正確な規模・形状の立証を助けた世界初の長大な経線の正確な測地は、地球科学の発展における重要な段階を示している。<br />   また様々な国からの科学者達が学術的協力の形をとったことによる人間的価値の交流の驚くべき例であると同時に学術的な理由から強国の君主達が協力した実例でもある。<br />   <br /> 《4》シュトルーヴェの測地弧は測地技術の不動・無形の断片を成す経線の三角測量地点を示す技術的集合体の紛れも無い顕著な例である。<br /><br /> 《6》弧の測定とその結果は人類が地球の形状・規模に関して抱いていた疑問に直接的に関係しており、地球が正確な球体ではないというアイザック=ニュートンの学説とも関連している。<br /><br />【アルバニア】<br /><br />ブトリント<br /><br /> 《3》中世の終わり頃に住民にブトリントを放棄させることになった古の自然環境の発達はこの考古遺跡が現代のアルバニアの領土上に存在していた古代と中世の文明の貴重な証拠を呈していることを意味している。<br /><br />ギロカストラの博物館都市<br /><br /> 《3》ギロカストラ旧市街は殆ど途絶えてしまったオスマン=トルコ時代のイスラム教の文化・伝統に影響を受けた、長期間続いたが殆ど途絶えてしまった社会・生活形態の稀な例証である。<br /><br /> 《4》ギロカストラの歴史都市は13世紀建造の城塞に囲まれた大農場主らによって建てられた、良好に保存されたオスマン=トルコ時代の都市の希少な例である。<br />   その建築はギロカストラが幾つもの顕著な例を表すトルコ語で“クル”と呼ばれる塔状家屋の建造によって特徴付けられている。<br /><br />【拡大登録】ベラートとギロカストラ<br /><br /> 《3》ベラートとギロカストラはバルカン半島の都市社会の多様性及び今日では殆どが消滅してしまった長期間続く生活様式の顕著な証拠を有している。<br />   ギロカストラの都市計画や家屋群は中央権力に直結させることに意識を向けた土地所有の名士により建てられた、城塞都市である。<br />   ベラートはその手工芸や商業機能に関連する、より独立した生活様式の足跡を有している。<br /><br /> 《4》ギロカストラとベラートは共に、オスマン帝国古典時代の記念碑・地方都市住居の様々な類型の顕著な証拠を有している。<br />   特にベラートでは先立つ様々な中世の文化が継続して残り、大規模な少数派のキリスト教徒と共に平和的に共存する状態であった。<br /><br />【ベラルーシ】<br /><br />ミール城の建造物群<br /><br /> 《2》ミール城は見事に混成しこの地域の歴史の印象的な記念碑を生み出したゴシック・ルネサンス・バロックといった連続する文化的影響をその意匠・設計に反映する中欧の城館の優れた例である。 <br /><br /> 《4》ミール城が建つ地域は長きに渡る政治的・文化的な対面・合成の歴史を有しており、そのことは城の建造物群の型・外観に鮮明に表されている。<br /><br />ネスヴィシェにあるラジヴィル家の建築・住居・文化的遺産群<br /><br /> 《2》ネスヴィシェにあるラジヴィル家の建築・住宅・文化複合体は中欧における新たな建築の流派の樹立を導いた、西洋の伝統の統合に基づく新概念の植え付けの為の揺籃の地であった。<br /><br /> 《4》ラジヴィル家の遺産群は16〜17世紀の中欧の建築史における類型建造物の発展における重要な段階を表している。<br />   このことは特にその十字円蓋型教会に関連した類型の聖体祝日教会において重要である。<br />  <br /> 《6》ラジヴィル家は南・西欧からの影響の解釈と中・東欧の思想の伝達に関係していた特に重要な存在であった。<br /><br />【ボスニア・ヘルツェゴヴィナ】<br /><br />モスタル旧市街の古い石橋地区<br /><br /> 《6》多様な文化的・民族的・宗教的背景からなる共同体の共存の優れた普遍的な象徴としてモスタル市街の象徴的意義は古い石橋と周辺地区の復興を伴うことにより強められ、大破壊に直面した時の人類の平和に向けた結束と力強い協力の限りない努力を際立たせている。<br /><br />メフメド・パシャ・ソコロヴィチ橋<br /><br /> 《2》戦略地政学的重要性を有する地に置かれた事からこの橋は長い歴史の間のバルカン半島・オスマン帝国・地中海世界及びキリスト教・イスラム教間の重要な文化的価値の交流の証拠を有している。<br />   この橋の管理や修繕はオスマン帝国の後はオーストリア=ハンガリー二重帝国・ユーゴスラビア連邦・ボスニア=ヘルツェゴヴィナ共和国と様々な政治的・文化的権力に委ねられた。<br />   この地域の住民の自己認知の問題はセルビアに近接していることからも複雑である。<br /><br /> 《4》ヴィシェグラードの橋はその価値観や偉業が人類史上重要な段階に位置するオスマン帝国の古典時代の最盛の顕著な建築的証拠である。<br /><br />【ベルギー】<br /><br />フランドル地方のベギン会修道院<br /><br /> 《2》フランドル地方のベギン会修道院はフランドル地方の文化圏に特化した様式における都市・田舎の計画立案と宗教・伝統建築の結合の顕著な物理的特徴を示している。<br /><br /> 《3》ベギン会は中世のヨーロッパ北西部における宗教的に独立した女性の文化的伝統の稀な証拠である。<br /><br /> 《4》ベギン会は世俗的・女子修道院的な価値観に結びつく中世の宗教運動の特徴に関連した複合建築の顕著な例である。<br /><br />ブリュッセルのグラン・プラス<br /><br /> 《2》グラン・プラスはこの地方一体の文化・社会を特徴付ける建築・芸術の様式の折衷・大成功を収めた融合の顕著な例である。<br /><br /> 《4》公共広場としてその建築・顕著な特性の本質・価値を通してグラン・プラスは優れた手法にて繁栄の絶頂を迎えたヨーロッパ北部の高い名声を得た商都の発展と業績を示している。<br /><br />四つのリフト<br /><br /> 《3》中央運河にかかる船舶昇降機は19世紀ヨーロッパの水力技術の際立った発展の稀な証拠である。<br /> <br /> 《4》これらの昇降機は運河建設への工学技術の応用の最高点を象徴している。<br /><br />ベルギーとフランスの鐘楼群<br /><br /> 《2》鐘楼群はヨーロッパの公共建築の優れた代表的建造物であり、その“機能的”な形態の多様性と領主の権力の保持から商業権の保護のためへの目的の変遷から、鐘楼群は13世紀以降のヨーロッパの公共建築の重要な一面となっている。<br /><br /> 《4》鐘楼群は中世以降のこの地域一帯の歴史に刻まれた、市民権の発展を映し出す建造物である。<br />   また、人類史において重要なその地方特有の民主主義を導いた自由への渇望の独特な実現である。<br /><br />ブルッヘ歴史地区<br /><br /> 《2》ブルッヘ歴史地区は特に煉瓦製ゴシック様式に見られる建築の発展への多大な影響の交流の証拠であり、フランドル派の誕生の地であることによる中世絵画の発展における革新的な芸術の影響を裏付けている。<br /><br /> 《4》ブルッヘ歴史地区は公共・社会・宗教の施設が生きた証拠となっている、中世ヨーロッパの商業的・文化的領域における重要な段階を例証する建築集合体の顕著な例である。<br /><br /> 《6》ブルッヘの町はフランドル派絵画の誕生の地であり、ヤン=ファン=エイクやハンス=メムリンクらといった芸術家達により中世における絵画の発展・庇護の中心地であった。<br /><br />ヴィクトール=オルタの主な邸宅群<br /><br /> 《1》ブリュッセルのヴィクトール=オルタの邸宅群は芸術・建築に重要な役割を果たしたアール=ヌーヴォーの様式の高度な表現を示す、人類の創造的才能の傑作である。<br /><br /> 《2》19世紀末のアール=ヌーヴォーの出現は起こりうる後の発展を成功させた建築の発展における重要な段階を表しており、ブリュッセルのヴィクトール=オルタの邸宅群はその急進的な新たな試みの優れた証拠を有している。<br /><br /> 《4》オルタの邸宅群は芸術・思想・社会における19〜20世紀の変遷を鮮やかに例証するアール=ヌーヴォー建築の顕著な例である。<br /><br />スピエンヌの燧石採掘鉱<br /><br /> 《1》スピエンヌの新石器時代の燧石採掘鉱は人類黎明期の発明と応用の優れた証明である。<br /><br /> 《3》新石器文化の出現はスピエンヌの古代の燧石採掘鉱に鮮明に例証される人類の文化的・技術的発展の重要な段階を示している。<br /><br /> 《4》スピエンヌの燧石採掘鉱は人類の技術的・文化的発展の重要な段階を示す、新石器時代の燧石採掘の顕著な例である。<br /><br />トゥルネーのノートルダム大聖堂<br /><br /> 《2》トゥルネーのノートルダム大聖堂はゴシック建築の全盛に先立った12世紀初頭の短期間におけるイル・ド・フランス、ラインラント、ノルマンディーの建築間での重要な影響の交流の証拠を有している。<br /><br /> 《4》その壮大な規模においてトゥルネーのノートルダム大聖堂は広大なゴシック様式の大聖堂の前兆となるセーヌ川以北の流派の大規模建造物の顕著な例である。<br /><br />プランタン=モレトゥス家屋・工房・博物館複合体<br /><br /> 《2》プランタン印刷所の発行物を通して、プランタン=モレトゥスの複合体は学術・芸術の発展における16世紀ヨーロッパの人文主義の重要な中心地として主要な役割を果たしたことの証明となっている。<br /><br /> 《3》「世界の記憶」の全ての要素を考慮すると、印刷所の仕事記録・商業帳簿を含むプランタン家の記録資料や、世界的に知られた数多くの学者や人文主義者らの書簡は最重要性を有する文化的伝統の顕著な証拠とされる。<br /><br /> 《4》16〜18世紀の間の仕事世界や商業世界と家庭の生活環境との関係性の顕著な例として、プランタン=モレトゥスの複合体はルネサンス・バロック・古典主義の欧州史の重要な時代に関連する他に類の無い記録資料的価値を有している。<br /><br /> 《6》プランタン・モレトゥスの複合体は顕著で普遍的な重要性を有する思想・信仰・技術や文学・芸術作品に明白に関連している。<br /><br />ストックレー邸<br /><br /> 《1》建築家であり室内装飾家でもあったヨーゼフ=ホフマン監修の下で創られたストックレー邸はその総合芸術の美的・概念的要項、建築的語彙、独創性および装飾・家具・芸術作品・庭園の傑出した質からウィーン分離派の創造的資質の傑作である。<br />   それは20世紀初頭の西洋における構成的かつ美的な近代性の非常に良好に保存された象徴である。<br /><br /> 《2》ウィーン分離派やコロマン=モーザー、グスタフ=クリムトを含むそこに与する多くの芸術家等の価値を考慮すると、ストックレー邸はこの一派の最も典型的で精巧な作品である。<br />   アールヌーヴォーにとって重要拠点であったブリュッセルで創られたことにより、それは建築の近代化やアールデコの誕生に深い影響を及ぼした。<br /><br />【ロシア】<br /><br />サンクト・ペテルブルグ歴史地区と関連建造物群<br /><br /> 《1》都市設計の分野においてサンクト・ペテルブルグはその計画への熱望・計画の一貫性・施工の速度における独自の芸術的成果を表している。<br />   1703〜1725にかけてピョートル大帝は湿地・泥炭地・岩だらけの景観から、彼が望んだヨーロッパで最も美しい都市、サンクト・ペテルブルグの都のための石造・大理石製の建築様式を造り上げた。<br /><br /> 《2》ラストレッリ・ヴァーリン=デ=ラ=モーテ・カメロン・ロナルディ・ザカロフ・ヴォロニキーニェ・ロッシ・モンフェランらによりサンクトペテルブルグと周辺に設計された建造物群は18〜19世紀のロシアおよびフィンランドの建築・記念芸術の発展に重大な影響を与えた。<br />   都の規範的価値は科学学士院の創設により高められ、美術学士院の創設へと受け継がれた。<br />   エカチェリーナ2世やアレクサンドル1世・ニコライ1世の下で完成された未来の業績により明示されたサンクト・ペテルブルグの都市の型は、1812年の火災後のモスクワの再建やオデッサ・セヴァストーポリといった帝国南部に点在する新しい都市群の建設において見本とされた。<br /><br /> 《4》推薦された文化財はバロック・新古典主義様式の非常に優れた都であるサンクト・ペテルブルグの建造物群を含めたバロック様式の皇宮群の顕著な例である。<br />   第2次世界大戦における破壊後に修復されたペトロドヴァレツやツァールスコエ・セロの宮殿群は最も重要な建造物群の内の幾つかである。<br />   <br /> 《6》サンクト・ペテルブルグは2つの普遍的重要性を有する出来事と関係している。<br />   デカブリスト広場に建つファルコンによるピョートル大帝の騎士像に思い出される、1703〜1725年にかけてのサンクト・ペテルブルグの建設は西洋世界に向けてロシアが開かれたことと国際情勢における専制君主“ツァーリ”の帝国の出現を象徴している。<br />   ボリシェヴィキ革命は1917年にペトログラード(当時の名称)にて勝利を収めた。<br />   サンクト・ペテルブルグの中心にある巡洋艦オーロラ号やマティルデ=クシェシンスカヤの邸宅(現ロシア政治史博物館)は、ソ連形成の象徴である。<br /><br />キジー島の木造教会<br /><br /> 《1》カレリア地方の人々に世界の8番目の不思議と考えられたキジー島の木造教会は実際、独特な芸術的偉業である。<br />   同じ敷地内に2つの多数の丸屋根を持つ教会と鐘楼を兼ね備えているだけでなく、これら珍しい設計がなされた完璧な外見を有する木造建造物群は周囲の景観との完璧な調和を見せている。<br /><br /> 《4》ロシア領内北西部に5つしか現存していない木造教会の中でキジー島のものは福音伝道者が遠方のキリスト教社会や苛酷な環境にうまく対処しなければならなかった、人がまばらに住んでいる地域における中世及びそれ以降の典型的な建築複合体の顕著な例となっている。<br />   この木造教会は例えば拝廊や身廊が食堂や会議場とされた様な特別な目的に使われた宗教建造物を形成している。<br />   <br /> 《5》キジー島南部に野外博物館を形成している木造教会と建造物群はカレリア地方及びより全体的に見てロシア北部やフェノスカンディア地方の伝統的木造建築の優れた例である。<br /><br />モスクワのクレムリンと赤の広場<br /><br /> 《1》クレムリンはその城壁内に聖母受胎告知聖堂や聖母昇天総主教座大聖堂・アルハンゲルスキー聖堂・イヴァン大帝の鐘楼や聖母生誕教会・テレムノイ宮殿を併設するクレムリン大宮殿といった多くの建築・造形美術の傑作を有している。<br />   赤の広場に建つ聖ワシリー聖堂はロシア正教の主要建造物の1つである。<br /><br /> 《2》ロシア建築はクレムリンから発せられた影響力によりその歴史上何度も影響を受けたことが明らかである。   <br />   著しいのがイタリアルネサンスの影響で、アリストーテリ=フィオラヴァンティが聖母昇天総主教座大聖堂を建造した時代にその様式の影響が感じられ、マルコ=ラフォーとピエトロ=アントニ=ソラリによるグラノヴィータヤ宮殿にてその影響がより強くなり、同時期にソラリがミラノの技師によって確立された原則に則って建造したニコリスカヤ塔やスパスカヤ塔の城壁の塔にも同様に確認できるものである。<br />   ルネサンスの表現はアレヴィズ=ノーヴィにより1505〜9年にかけて再建されたアルハンゲルスキー聖堂の古典的な柱頭部分や外観により鮮明に見ることが出来る。<br /><br /> 《4》5つの門が貫き29の塔により強化された三角形の城壁を持つクレムリンはモスクワ川とネグリンナヤ川の合流地点の丘の上に1156年、ユーリー=ドルゴルーキーにより建てられた木造要塞の記憶を保存している。<br />   14世紀にドミトリー=ドンスコイが木造の城壁を建てさせ、後に最初の石造城壁が建てられたというその変遷の歴史と外観からモスクワのクレムリンはプスコーフ・トゥーラ・カザン・スモレンスクといった古のロシアの町々の中心部に築かれた城塞“クレムリ”の原型とされる。<br /><br /> 《6》13世紀からサンクト・ペテルブルグの創建まで、クレムリンはロシア史上の全ての主要な出来事に密接に関係してきた。<br />   200年に及ぶ暗黒の時代は再び政府の中枢となった1918年に終わりを告げ、今日ではソ連時代の閣僚会議や最高評議会・大会宮殿が入っている。<br />   赤の広場のレーニン廟はソ連を象徴する記念碑的建築の最高の例である。<br />   ニコリスカヤ塔とスパスカヤ塔の間の城壁内に組み入れられた革命の志士達の埋葬墓はロシア革命の普遍的重要性をはっきりと示している。<br />   クレムリンと赤の広場はそれ故近代史における最も重大な出来事の1つの現在まで残る証拠を伴う、過ぎ去りし日々の痕跡を優れた手法にて結合させている。<br /><br />補足 ICOMOSの報告書には《3》での登録も喚起されている。<br /><br /> 《3》クレムリンはその空間構成・建造物群・武器庫などのクレムリンの歴史と切り離すことが出来ない収集品による帝政ロシアの文明の独自の証拠を有している。<br /><br />ソロヴェツキー諸島の歴史的・文化的建造物群<br /><br /> 《4》ソロヴェツキー諸島の建造物群は中世の宗教社会の信仰心・不屈の精神・進取の気性を見事に例証するヨーロッパ北部の厳しい環境における修道院の顕著な例である。<br />   現存する数多くの全ての類型の遺構が続く歴史を生き生きと示している。<br />   <br />ノヴゴロドと周辺の歴史的建造物群<br /><br /> 《2》ロシアの石造建築の誕生の場所として、またロシア最古の絵画の一派が生まれた場所として、ノヴゴロドは中世のロシア芸術の発展に大いに影響を与えた文化的中心地であった。<br /><br /> 《4》広大な領域に記念建造物群が残るノヴゴロドは中世以降(11〜19世紀)のロシア建築の紛れもない“温室”である。<br />   これらの建造物群はそれだけでロシア建築の発展を説明するに十分である。<br /><br /> 《6》ノヴゴロドはその記念碑や宝物が生きた証拠を有しているロシアの主要な文化的・精神的中心地の1つである。<br />   <br />セルギエフ・ポサドのトロイツェ・セルギー大修道院の建造物群<br /><br /> 《2》セルギエフ聖三位一体大修道院はロシアの伝統建築と西欧のそれとを融合させ、東欧の広大な地域の建築の発展に強い影響を与えた東欧の様式を創り上げた。<br /><br /> 《4》大修道院は15〜18世紀の発展と拡張の時代の特徴的な軍事機能を備えた現在も機能する正教修道院の顕著で際立った完璧な例である。<br /><br />コローメンスコエの主昇天教会<br /><br /> 《2》コローメンスコエの主昇天教会は東欧の広い地域の教会建築に深い影響を与えたロシア正教の教会設計における創造的で革新的な前進を表している。<br /><br />コミの原生林<br /><br /> 《7》《9》コミの原生林に見られるヨーロッパロシアのタイガは亜寒帯の原生林における生物多様性に影響を及ぼす自然作用の研究に非常に優れた機会を提供するものであり、その規模や自然状況により独自のものとなっている。<br />     この地域は学術的に重要であることが証明されており、気候変動や産業伐採を通した亜寒帯の針葉樹林帯の保護への影響を調査する上でこのうえない自然の水準点である。<br /><br />バイカル湖<br /><br /> 《7》山岳や亜寒帯の森林・針葉樹林帯・湖沼群・湖島・大草原地帯を伴うバイカル湖の窪地周辺の絵の様な景観は傑出した自然美を誇っている。<br />   地球上の20%もの淡水を保有するバイカル湖は至上の自然現象を見せるものである。<br /><br /> 《8》バイカル湖は中生代以降の地質学的なリフト帯の作用により出現し、それ故世界最古・最深の湖である。<br />様々な地殻運動の影響は湖底に近年出来た熱水の噴き出る穴により現在でも進行中であることが証拠付けられる。<br /><br /> 《9》長期間での水生動物の生態の進化は傑出した独特な固有の動植物相を育んだ。<br />   バイカル湖は「ロシアのガラパゴス」とされ、進化科学の重要な価値を有している。<br /><br /> 《10》バイカル湖は745種の固有種を含む1340種の動物と、150種の固有種を含む570種の植物が確認されている地球上で最も生物の多様性を見せる湖の1つである。<br />   湖周辺の森林には代表的な亜寒帯の種全てと国際的な10種の絶滅危惧種が生息している。<br /><br />カムチャッカ火山群<br /><br /> 《7》カムチャッカ火山群は火山群・湖沼群・野趣溢れる河川・優美な海岸線等が均整の取れた傑出した自然美を有する景観を見せている。<br />   また鮭の遡上する場所やベーリング海の海岸線沿いに広がる海鳥の営巣地などが野生生物の集中する至上の自然現象を内包している。<br /><br /> 《8》カムチャッカ火山群は世界でも有数の活火山の密度と様々な噴火形式(ストロンボリ式・ハワイ式・プレー式・ヴェスヴィオ式・プリニー式)と関連する全ての火山の特徴(間欠泉・泥溜まり・温泉・カルデラ・鉱化作用)を含む、地質学的作用と大地形成の傑出した例を見せている。<br /><br /> 《9》カムチャッカは広大な陸塊大陸と太平洋の間の特殊な立地の中で、島峡に相似する生物多様性を育み特有のものとしている、進行中の火山活動と大地形成を伴う自然作用を見せている。<br /><br /> 《10》カムチャッカ火山群は少なくとも16種の固有種と多くのロシアの絶滅危惧種を含む旧北亜区の植物相において傑出しており、またオオワシやコシジロイヌワシ・シロハヤブサ・ハヤブサといった多くの鳥類も遡上する鮭に引き寄せられて来ている。<br />   内部、あるいは隣接する河川は世界でも有数のサケ科の魚類の多様性で知られており、全部で11種もが共生している。<br />   <br />アルタイ山脈<br /><br /> 《10》アルタイ地域は多くの希少種・固有種を含むアジア北部の山地性の動植物の多様性の重要な原始の姿を留める場所である。<br /><br />西コーカサス<br /><br /> 《9》最後の氷河作用以降、西コーカサス山脈では生態学的遷移が起こった結果、生態系の多様性が生まれた。<br />   手付かずで残る森林はヨーロッパの視点から見て生態学的過程が1000年以上に渡り続いている顕著な場所であり、植生は家畜の放牧による影響を受けずに来ている。<br />   また、有蹄類や狼の個体群にとって重要であり、家畜と捕食動物間の競争関係の相互作用の研究に最適である。<br />   <br /> 《10》コーカサス山脈は国際的な植物多様性が見られる場所であり、西部には第三紀の遺存種や地中海、アジアのテューラニア=イラン原産のものも含む6000種の植物が確認されており、高山帯に生息する3分の1程、森林の3分の1程が固有種である。<br />   動物相も豊かで、野生のものと再移入されたヨーロッパバイソンの亜種が生息しており、また多くの大型哺乳類が群れを成している。<br />   鳥相も豊富で多くの固有種を含んでいる。  <br />   <br />フェラポントフ修道院の建造物群<br /><br /> 《1》フェラポントフ修道院の聖母生誕大聖堂に描かれたディオニシーによるフレスコ画は15〜16世紀のロシアの壁画芸術の最高の表現である。<br />   <br /> 《4》フェラポントフ修道院の建造物群はロシアの文化的・精神的発展における決定的な時代である15〜17世紀の東方正教の修道院の最も純粋で最も完璧な例である。<br /><br />カザンクレムリンの歴史的建造物群<br /> <br /> 《2》カザンクレムリンの建造物は異なる文化により生み出された重要な価値の交流が行われることとなった、長期に渡る歴史的継続と文化多様性の優れた証拠を表している。<br /><br /> 《3》カザンクレムリンは汗による支配時代の稀な証拠を表す建設当時の都市計画の構想の痕跡を伴う現存する唯一のタタール城塞である。<br /><br /> 《4》カザンクレムリンの主要建造物群はブルガール・モンゴル帝国・タタール・イタリア・ロシアの異なる文化を統合した、建築におけるタタールとロシアの影響の統合の顕著な例であり、イスラム教やキリスト教の影響も示している。   <br /><br />シホテ=アリン山脈中央部<br /><br /> 《10》シホテ=アリン山脈中央部は世界でも最も特徴的な自然地域の1つであり、氷河期の歴史・気候・氷河の後退により世界有数の豊かで独特な温帯林が発達している。<br />   他の温帯性の生態系と比較してみても固有の植物種・無脊椎動物の水準の高さが伺える。<br />   トラやヒマラヤグマの様な亜熱帯の動物と北方タイガのヒグマやトナカイが生息地を共にしており、またコウライアイサやシマフクロウ・アムールトラなどの絶滅危惧種の生息地として重要である。<br /><br />デルベントの城塞と古代都市<br /><br /> 《3》デルベントの古代都市遺跡は紀元前1000年以降カスピ海西岸地域の南北の縦断路を押さえるのに極めて重要であった。<br />   5世紀にササン朝により築かれた防御建造物はその後ペルシャ人・アラブ人やモンゴル帝国・ティムール帝国と続く支配者に1500年余りに渡って継続的に使用された。<br />   <br /> 《4》デルベントの古代都市跡と防御建造物はササン朝により北方の国境線に沿って設計・建造され、19世紀にロシアの占拠を受けるまで続く支配者達が維持してきた戦略的防御網の最も重要な部分である。<br /><br />ウヴス湖盆地<br /><br /> 《9》ウヴス湖の盆地内だけで発達した塩湖の分類体系は気候的・水文学的変動の型の研究にとって国際的に重要であり、遊牧民による放牧に何千年もの間使われてきたウヴス湖盆地の草原地帯はその自然性を失っておらず、その結果ウヴス湖と周辺の湖は塩水湖となり栄養分が豊富になったことが明らかになっている。<br />   これらの過程は現在でも進行中であり、地球物理学的・生物学的特徴からウヴス湖盆地は地球温暖化の調査地域にも選ばれている。<br /><br /> 《10》ウヴス湖地域は数多くの固有種を含むユーラシア大陸東部の主要な植物群集の幅広い生態系を見せている。<br />   ウヴス湖盆地は何千年も前から人類の遊牧生活が行われてきたが、山岳・森林・草原・砂漠などは多くの絶滅危惧種を含む幅広い野生動物の重要な生息地であり続けている。<br />   草原地帯の生態系は豊富な鳥類多様性を育み、砂漠地帯はアレチネズミやトビネズミ・マダライタチ等の多くの種が生息している。<br />   盆地西部の山岳地帯は国際的に絶滅が危惧されているユキヒョウ・アルガリ・アジアアイベックスなどの種の重要な生息地である。<br />   ウヴス湖自体は水鳥やシベリアから南下してくる渡り鳥の重要な営巣地となっている。<br /><br />ノヴォデヴィチ修道院の建造物群<br /><br /> 《1》ノヴォデヴィチ修道院はモスクワ周辺地域で流行した「モスクワバロック」と呼ばれる建築様式の優れた例である。<br />   その見事な建築や精細な装飾もさることながら、ノヴォデヴィチ修道院は都市計画的価値基準により特徴付けられるものである。<br /><br /> 《4》ノヴォデヴィチ修道院は17世紀後期の建築の特に「モスクワバロック」様式を表す飛び抜けて良好に保存された修道院の顕著な例である。<br /><br /> 《6》ノヴォデヴィチ修道院の建造物群は既に世界遺産となっているモスクワクレムリンの政治的・文化的本質を集約している。<br />   修道院自体はロシア正教及び特に16〜17世紀のロシア史に密接に関係している。<br />   <br />ウランゲル島保護区の自然形態<br /><br /> 《9》ウランゲル島保護区は固有の島の生態系を育んでおり、第4紀の北極圏のほぼ全てを覆った氷河作用に影響されずに長期に渡る進化の過程が起こってきたことの十分な証拠である。<br />   急速に発展し凍土帯の植物相を埋める幾つもの群落を伴う固有の植物種や近年のマンモスの牙や頭蓋骨の発見・狭小な地理的空間での種々の地形や地質形成はウランゲル島の豊かな自然史や北極圏での独特な進化状況に目に見えて示されている。<br />   これらの過程は現在も続いており、他の北極圏の地域には見られないレミングの特徴的な生態や密度・トナカイの物理的順応に観察され、現在では本島の同類から切り離された個体群の中で進化している。<br />   種々の相互作用による環境への適応は高度であり、それらは島全体、特にシロフクロウの他種からの保護や移住性の種やキツネの集団の危険を知らせる役割を果たす営巣に表われている。<br />   <br /> 《10》ウランゲル島保護区は高緯度の北極圏内でも高度な生物多様性を見せており、アジア地域で唯一の絶望的な個体数から少しづつ回復の兆しを見せるハクガンの営巣地である。<br />   海洋環境はメキシコからやって来るコククジラの営巣地として重要になりつつある。<br />   チュコト海最大の海鳥の集団を持つ島々はハヤブサ等の絶滅危惧種を含む100種以上の渡り鳥の最北の営巣地であり、凍土帯の鳥類が北極やそれ以外の地域からやってくる種と共生しており、また何代にも渡るホッキョクグマの群れの世界で最も高い密度を誇っている。<br />   ウランゲル島は時期になると重要な海岸のペンギンの群れにタイヘイヨウセイウチの群れなど100000体程の動物が集まってくる。<br />   ウランゲル島は高度な生物多様性と地域毎の気候・環境を持ち、全体的な時期毎の種の生殖活動の失敗は聞かれていない。<br />   比較的この地域が小さいことを考慮してもウランゲル島保護区はカナダ北部の北極圏地域の中でも特異な場所とされる。<br /><br />ヤロスラヴリ市街の歴史地区<br /><br /> 《2》17世紀の教会建築と新古典主義の公共建築と放射状の都市平面を有するヤロスラヴリの歴史都市は、西欧とロシア帝国の文化的・建築的影響の交流の顕著な例である。<br /><br /> 《4》ヤロスラヴリはエカチェリーナ2世が全ロシアで1763〜1830にかけて行った都市改革の中でも顕著な例である。<br /><br />プトラナ高原<br /><br /> 《7》広大で多様な印象的な自然美の景観を誇るプトラナ高原は人類の基盤が及んでいない原始のままの場所である。<br />   その至高の自然の特徴は数多くの渓谷により分かたれた広大な玄武岩の層位トラップ、数千もの滝を伴った数え切れないほどの冷水の河川・小川、大規模な高低差の変動に関連したフィヨルド風の地形に特徴付けられる25000以上の湖を含んでいる。<br />   広大な北極圏の亜寒帯の景観が今に残り、一面に広がる地衣類や森林はこれほどの北緯では稀である。<br /><br /> 《9》プトラナ高原はその多様な北極圏・亜北極の生態系に関連した生物学的・生態学的過程の包括的な一例を表している。<br />   そのツンドラとタイガのバイオームの境界であり東西シベリアの移行地帯にあるという生物地理学的立地によりプトラナ高原は北極圏における数少ない植物種の豊富さを誇る場所の1つとなっている。<br />   景観の多様性、遠隔性、自然性、保護の度合は並はずれている。<br />   加えてプトラナ高原は適正な調査・研究が行われれば大規模な北極圏の自然の生態系への気候変動の影響に価値のある証拠が得られるとされている。<br /><br />【イギリス】<br /><br />グウィネズのエドワード王の城郭<br /><br /> 《1》グウィネズの城郭群はその外観と石工術や中央平面に大いに関係した13世紀後期の軍事建築に特徴的な二重壁構造を兼ね備えていることにおける独特な芸術的偉業である。<br />   これらは1290〜3年にハーレフの指揮官となった王の主任建築家ジェームズ=オブ=セント=ジョージの傑作である。<br /><br /> 《3》グウィネズにある古の公国の王城群は中世の構造様式の独特な証拠であり、王の権限が記録資料にて十分に立証されるものである。<br />   1963年にロンドンで発行された「王の業績の歴史」の帳簿はイングランドの各地から連れてこられた職人達の素性を明細に記しており、その地において切り出された石材の使用を記述している。<br />   それらは建造作業の資金調達法の要点を述べ、職人達の日常生活の解釈を示していることにより中世史の重要な参考資料の1つとなっている。<br /><br /> 《4》グウィネズの城郭と城塞都市は13世紀後期から14世紀初頭のヨーロッパの軍事建築の中でも最も良好に保存された実例である。<br />   その建造は1283年に始まり1294年のウェールズ人マドック=アプ=ルーエリンの反乱により遅れ、カナーヴォンでは1330年まで、ボーマリスでは1331年まで続いた。<br />   それらは最小限度の修復だけが行われ、初期のままの状態にて物見櫓・跳ね橋・要塞門・障害物・砦・地下牢・塔・非耐力壁といった中世建築の類型の紛れもない宝庫の様を呈している。<br />   <br />ダラムの城と大聖堂<br /><br /> 《2》ダラム大聖堂はイングランドにおけるノルマン様式建築の最大かつ最も完璧な記念建造物である。<br />    その一部が小規模な城付属の礼拝堂は11世紀のロマネスク様式の彫像の発展を示している。<br /><br /> 《4》ダラム大聖堂は最初のゴシック様式の記念建造物と考えるには語弊があるが(12世紀にイル・ド・フランス地域に建造された教会との関連性も指摘されるが定かではない)、革新的な穹窿の大胆さによりシュパイヤーやクリュニーの大聖堂同様、この建造物は当時の最先端を行く試作的な雛型の類型である。<br /><br /> 《6》カスバートやベーダといった聖人の聖遺物を中心として、ダラムはノーサンブリアの福音伝道と初期のベネディクト会の修道生活の記憶を留めている。<br /><br />ジャイアンツコーズウェイとコーズウェイ海岸<br /><br /> 《7》アントリム高原の先端に露出する巨大な玄武岩の石柱は傑出した自然美を持つ景勝地であり、コーズウェイ海岸の断崖の際立った一画と露出した石柱の特性は数々の重要な特徴を表している。<br /><br /> 《8》第3紀の地質活動はコーズウェイ海岸にその跡が残る玄武岩を内包する地層と溶岩流の継起によって示されており、その解釈から北大西洋における第3紀の事象の詳細な分析が可能となっている。<br />  <br />アイアンブリッジ峡谷<br /><br /> 《1》コールブルックデイルの溶鉱炉は1709年にコークスによる製鉄法を発見したエイブラハム=ダービー1世の創造的な業績を不朽のものとしている。<br />   その製法とトーマス=ファーノス=プリチャードの製図に基づいてエイブラハム=ダービー3世により1779年に建てられた世界初の鉄製の橋であるアイアンブリッジは人類の創造性の才能の傑作である。<br />   <br /> 《2》コールブルックデイルの溶鉱炉とアイアンブリッジは技術と建築の発展に重大な影響を与えた。<br /><br /> 《4》アイアンブリッジ峡谷は近代の産業地域の発展の魅力的な概略を示している。<br />   採掘地区・変化を示す遺構・製造工場・労働者居住区・輸送網は良好に保存され、教育的潜在性が非常に高い首尾一貫した集合体を作り上げている。<br /><br /> 《6》毎年30万人の訪問客に門戸を開くアイアンブリッジ峡谷は18世紀の産業革命の世界に知られた象徴の1つである。<br /><br />セントキルダ<br /><br /> 《3》セントキルダは200年に及ぶ過酷な条件下での生活が営まれてきたことの稀な証拠である。<br /><br /> 《5》セントキルダの文化的景観は狩猟・農業・牧畜によって自給自足の経済を行ってきたことによるものの顕著な例である。<br />   これには長年にわたる伝統と土地利用が含まれるが、最後の居住者がこの島を去って以来その文化は消滅の危機を迎えている。<br /><br /> 《7》第三紀の火山による列島の景観は風化し、氷河に覆われることによって劇的な外見を生み出している。<br />   3つの主要な島のヨーロッパでも最大級の断崖は最高で海抜375mの高さから緑の草原を突き抜け海へと繋がっている。<br />  <br /> 《9》セントキルダは狭小地域でありながら非常に多数の鳥類が生態的地位を占めている。<br />   この地域は生態系を保つ上で重要な3つの海洋地域を含んでいる。<br /><br /> 《10》セントキルダには100万羽を超えるヨーロッパ最大の海鳥の営巣地がある。<br />   その中には北大西洋の生息数の25%のシロカツオドリ、英国全体の50%のツノメドリなどが含まれる。<br />   群島には鉄器時代に家畜化されたソイ種の羊が再び野生に戻った状態で生息している。<br /><br />ストーンヘンジ、エイヴベリーと関連遺跡<br /><br /> 《1》ストーンヘンジ、エイヴベリーと関連する遺跡は先史時代における顕著な創造的・技術的偉業を例証している。<br />    ストーンヘンジは世界で最も建築的に洗練された先史時代の環状列石であり、水平な巨大まぐさ石が外環と三石塔(トリリトン)の上に横たわっていることが特徴で慎重に形成された接合部により固定されており、その意匠・独特な工学技術は他に類を見ないものである。<br />    それは2種類の異なる石(ブルーストーンとサルセン)の独特な使用、寸法(最大40トンを超える重量)、運ばれてきた距離(240キロに達する)により際立っている。<br />    周辺遺跡の内幾つかの純然たる規模においても顕著で、ストーンヘンジのカーサスとアヴェニューは共に約3キロの長さがあり、ダーリントンウォールは直径500メートルもある英国最大の環状遺跡であり、大規模で複雑なこれらの特徴を思考・設計・建造した先史時代の人々の能力を例証している。<br />    エイヴベリーの先史時代の環状列石は世界最大であり、180の地元産の不定形な立石が、小さな円を2ヶ所と外周を囲む大きな円が内部にある巨大な塚と円周1.3キロもの溝で構成されている。<br />    4つの入口の内2ヶ所からは平行な立石で出来たウェストケネットとベッカンプトンアヴェニューに続き、景観内の他の遺跡へと直結している。<br />    もう1つの顕著な遺跡に欧州最大の円丘シルベリーヒルがあり、紀元前2400年頃の建造、高さ39.5メートルで50万トンもの石灰石で造られているものの、その堂々とし技巧的な工学的記念碑の目的は依然不明瞭のままである。 <br /><br /> 《2》ストーンヘンジ、エイヴベリーと関連遺跡は先石器時代から青銅器時代までの2000年を超える記念碑建造の発展と継続的な使用と景観の形成の発展の顕著な表現を提供している。 <br />   これら記念建造物と景観は建築家・芸術家・歴史家・考古学者に揺ぎ無い影響を及ぼし、依然今後の調査への大きな可能性を残している。<br />   世界遺産地域の巨石製・土製の遺跡群は紀元前3700年から2000年前後の間の記念建造物を通した景観の形成を例証しており、両地域にその重要性・影響力が反映されている。<br />   ストーンヘンジがヘンリー=オブ=ハンティントンやジェフリー=オブ=マンモスら年代記作家らに世界の不思議の1つと考えられた12世紀以降、ストーンヘンジとエイヴベリーは好奇心を刺激し、研究や憶測の主題となった。<br />   ジョン=オーブリー、イニゴー=ジョーンズ、ウィリアム=スチュークリらの初期調査によりそれらは建築家・考古学者芸術家・歴史家に揺ぎ無い影響を及ぼした。<br />   2ヶ所の世界遺産地域は今後の調査に素晴らしい機会を提供するものである。<br />   今日ではこれらの地域は精神的な関連性も有しているともされる。<br /><br /> 《3》ストーンヘンジとエイヴベリーの記念建造物群の総体は新石器時代及び青銅器時代の英国における埋葬と祭礼の慣習への優れた見通しを呈しており、それらの立地環境や関連遺跡は並ぶものの無い景観を形成している。<br />   記念建造物群と遺跡群の意匠・構成・内部関連性は環境に対し彼らの概念を課す事を可能にした豊かで高度な相互連関的な先史社会の証拠を有している。<br />   顕著な例としてストーンヘンジアヴェニュー(おそらく行列用通路)の連なりや夏至の日の出・冬至の日の入りの軸上にストーンヘンジの環状列石が来ることなど、彼らの祭礼的・天文学的特徴を指し示している。<br />   エイヴベリーにおいては2キロ以上離れた環状列石と聖域を結ぶウェストケネットアヴェニュー等数例の長さと規模がこの事のより深い証拠である。<br />   時代ごとの葬儀文化の変化における深い洞察は火葬場としてのストーンヘンジの使用、南イングランド最大として知られた新石器時代の集合石室墓であるウェストケネットロングバロウ、葬儀の発展を例示する数百のその他の墓地遺跡により示されている。<br /><br />ファウンテンズ修道院遺跡を含むスタッドリー王立公園<br /><br /> 《1》ファウンテンズ修道院遺跡を含むスタッドリー王立公園はその独創性と印象的な美により英国の広大な中世の遺構を中心に創造された人格化された景観であった。<br />    水庭園そのものの計画と結びついたこれらの特徴の利用は人類の創造的資質の紛れもない傑作である。<br /> <br /> 《4》イングランドの豊かな修道院の遺構と結びつき、ジャコビアン時代のファウンテンズホールやバージェスの手による小規模なネオゴシックの傑作である聖メアリー教会と水庭園や鹿公園は調和的総体を成していることによりファウテンズ修道院遺跡を含むスタッドリー王立公園は中世の修道制度の権勢及び18世紀の欧州の上流階層の嗜好と富裕を例証している。<br /><br />ブレナム宮殿<br /><br /> 《2》古典主義のフランスの型を拒んだことにより、ブレナム宮殿と庭園は着想・国としての原点への回帰・自然の敬愛といったことの折衷技法論に特徴付けられるイギリスロマン主義運動の始まりを例証している。<br />   18〜19世紀におけるブレナム宮殿の建築・空間構成への影響はイングランド及び諸外国にまで広く及んだ。<br /> <br /> 《4》英雄の1人を称える為に国家によって建てられたブレナム宮殿は最初のマールバラ公爵となった英国貴族の館であり、ルイ=ラゲールによる“グレート・ドローイング・ルーム”の装飾に窺う事が出来る。<br />   この基準に際して、ヴュルツブルクの宮殿やブリュールのアウグストゥスブルク宮殿と別邸ファルケンルスト同様ブレナム宮殿は18世紀ヨーロッパの王宮の典型であり、世界遺産リストに未だ代表例の少ない(登録時点で)種のものである。<br /><br />バース市街<br /><br /> 《1》周辺の丘に広がり緑の谷に置かれたバースの荘厳なパッラーディオ主義の新古典様式の弧を描く家並・テラス式住宅街・広場は建築・都市設計・景観設計の統合と美観都市の意図的な創造と同水準の秀逸さの証明である。<br />   素晴らしい特徴を有するアセンブリールームやパンプルームの様な個別の建造物だけでなく100年以上に渡り調和的・論理的に発展してきた広大な都市景観全体は共に趣深い審美主義により緩和されたパッラーディオの教えを反映する手法における公私の建造物・空間を描き出している。<br />   バースの建築・都市設計の特質はその視覚的均質性と美観が、温泉都市やその物理的環境・自然資源(特に温泉やバース産の魚卵状石灰岩)により示された独特な機会への対応においてパッラーディオ主義を受容・発展させた18〜19世紀の建築家・夢想家の技巧・創造性の証拠である。<br />   建築家ジョン=ウッド=シニアー、起業家で採石場の所有者ラルフ=アレン、著名な社会形成者で司会(マスターオブセレモニー)であったリチャード”ボー”ナッシュの3人の男はこの社会的・経済的・物理的再生の誘因を提示し、結果バースは当時の社会的・政治的・文化的先導者となった。<br />   その後に続く建築家達は主要計画も単独の庇護者も無しに100年の経過を超え働き続けた事が、各々の個別の発展が周囲や広大な景観に関連するよう計画することを妨げなかった為、自然環境と至上の美観が調和する協調的で論理的な都市を生み出している。<br /><br /> 《2》バースは審美的な眺望・形式を達成せんとし景観内に建造物や都市を配置する着想に向け、15〜17世紀の間支配したルネッサンス都市の内政重視の均一的な街路構造からの脱却を例示しており、特に19世紀の欧州中で反響を呼んだ。<br />   このバース全体で見られる自然と都市の統一はロイヤルクレッセント(ジョン=ウッド子の作)やランスダウンクレッセント(ジョン=パーマー作)においておそらく最もよく明示されている。<br />   バースの都市空間・景観は、19世紀の都市計画家により発展した庭園都市の原則に向けられている、それらを流動的に結びつけ視覚的(時に物理的)に緑の周辺環境に特有の庭園都市の雰囲気を生み出す建造物群により創造されている。<br /><br /> 《4》バースは人類史上重要なローマ・ジョージ王朝の2つの時代を反映している。<br />   ローマ浴場と寺院の総体はそれらの周辺で成長したアクアスリスの町の遺跡と共にローマの政治・宗教社会の理解と観賞に重要な貢献を成している。<br />   18世紀の再発展は顕著な都市建築と空間構成そして社会史の独特な組み合わせである。<br />   バースは一般家屋の記念碑化、景観と都市の統合、都市空間の創造と結合といった18世紀の新古典主義都市の主題を例示しており、交遊・保養の目的地としてのバースの人口増加への対応や湯治客や社交訪問者に相応しい審美的な環境や施設を提供する為に設計・発展した。<br />   バースが最大の重要性を獲得したのはローマ及びジョージ王朝時代であったが、18世紀の近代都市の中心にローマ時代の寺院と浴場のすぐ隣に壮麗な中世の修道院教会が建ち並ぶ2000年以上の継続的な発展が反映されている。<br /><br />ローマ帝国の国境線<br /><br /> 《2》【英】ハドリアヌスの長城は300年余りの間、ブリテン島のローマ帝国の国境線の空間構成に重大な影響を与えた。<br />      この国境線は現在でもタイン川〜ソルウェイ川間の景観の一部であり続けている。<br /><br />   【独】リーメスはローマ帝国の軍事建築の発展と輸送路・都市化の発達への国境線の影響を反映している。<br /><br /> 《3》【英】長城の軍事区域は砦を備えた数多くの人類居住地によりローマ帝国の植民地化の稀な証拠を有している。<br />      ヴィンドランダの町は平和時において兵士やその家族が塹壕で囲まれた駐屯地から離れてどのように暮らしていたかの理解に貢献する要塞集落の極めて稀な例である。<br /><br />   【独】ローマ帝国の国境線は産業化以前の国家建築として世界で最も重要なものの1つであるローマ帝国の最大の記念建造物である。<br />      砦・物見塔・集落・属領地域といったリーメスの物証はヨーロッパや地中海世界にかかる様々な要素を統合したローマ文化の複雑性を反映している。 <br />      既に登録されたローマ帝国の建造物群とは異なり、リーメスの建造物はローマ帝国の最果ての証

    【アルメニア】

    ハフパットとサナヒンの修道院

     《2》《4》ハフパットとサナヒンの修道院は10〜13世紀にアルメニアで発展した、ビザンツ様式の教会建築とこの地域特有の伝統的な建造物の様式の要素の混成により独特とされる教会建築の優れた例である。
       
    エチミアツィンの大聖堂、聖堂とズヴァルトゥノツの遺跡

     《2》エチミアツィンの聖堂群とズヴァルトゥノツの考古遺跡による優れた手法に表される教会建築の発展は、広域に渡る教会設計に深い影響を与えた。

     《3》エチミアツィンの聖堂群とズヴァルトゥノツの考古遺跡はその創建以降のアルメニア教会の精神性と革新的な芸術達成を鮮明に描き出している。

    ゲガルトの修道院とアザト渓谷上流

     《2》注目に値する岩窟教会と墓地を伴うゲガルトの修道院は周辺地域の後の発展に深い影響を与えた数多くの革新的特徴を有する中世アルメニアの修道院建築と装飾芸術の極めて良好に保存された完璧な例である。

    【アゼルバイジャン】

    城塞都市バクー

     《4》城塞都市バクーはゾロアスター教・ササン朝・アラブ・ペルシャ・シルヴァーン朝・オスマン=トルコ・ロシアの文化の影響を受けた歴史的都市・建築の顕著で稀な例である。

    ゴブスタンの岩石画の文化的景観

     《3》ゴブスタンの刻画は特にこの地域の気候・植生が今日より温暖かつ湿潤であった時代を反映する、狩猟・漁獲に関連した行動を生き生きと表す、消滅した生活様式の稀な証拠である。

    【グルジア】

    博物館都市ムツヘタ

     《3》ムツヘタの教会群はその地域の中世史に重要な役割を果たした、消滅したグルジア王国の芸術・文化とその高い地位の証拠を有している。

     《4》ムツヘタの歴史的教会群はコーカサス地方の中世教会建築の顕著な例である。

    バグラチ大聖堂とゲラチ修道院

     《4》バグラチ大聖堂とゲラチ修道院は中世グルジアの建築の最高点を示すものである。

    アッパー・スヴァネティ

     《4》《5》アッパー・スヴァネティ地方はその人類集落の配列・形態・建築において特筆すべき、建設当時の中世の様相を際立った度合いで残す優れた景観である。

    【チェコ】

    プラハ歴史地区

     《2》プラハ歴史地区は中世から現代に至るまでの継続的な都市発展の過程を見事に例証している。
       14世紀以降の中欧の政治的・経済的・社会的・文化的発展の重要な役割と建築的・芸術的伝統はプラハが中・東欧の大部分の都市発展の重要な見本とされたことを意味している。

     《4》プラハは個々の記念碑や町並みにおいて顕著な価値が見られる都市建築物群であり、世界中に知られている。

     《6》中欧での中世のキリスト教の発展及び都市の発展・形成への影響におけるプラハが果たした役割は顕著である。
       中世後期及びそれ以降の政治的重要性により、このことはプラハの建築的・芸術的至宝の富裕さに貢献したヨーロッパ全土の建築家・芸術家を引き寄せた。
       15世紀のカレル大学の創設によりプラハは良く知られた学問の中心地となり、その評判は現在まで響いている。
       カール4世の治世以降プラハはその地域の知的・文化的中心地となり、またウォルフガング=アマデウス=モーツァルトやフランツ=カフカといった世界的な著名人との永久的な関係性を有している。

    チェスキークルムロフ歴史地区

     《4》チェスキークルムロフはその経済的重要性と500年余りの比較的影響を受けていない独自の発展による歴史地区の構造や建造物群を有する、中世に遡る中欧の小都市の顕著な例である。
       チェスキークルムロフは雄大な自然美を有する自然環境を備えたヴルタヴァ川の蛇行部にて発展した。
       時を越えたその発展はその建造物群や都市構造に驚くほど鮮明な証拠を見ることが出来る。

    テルチ歴史地区

     《1》テルチは顕著な価値を有する建築的・芸術的全体効果を見せるものである。
       現在まで良好に保存された、見事な壁面装飾を有するルネサンス様式の建造物群に囲まれた三角形の市場広場は重要な文化的価値と共に卓越した美と調和を有している。

     《4》中欧における中世後期は政治統制と経済拡張の理由による原生林地域への計画的入植の植民地化の時代と考えられ、テルチは最も良好な状態で現存する例である。

    ゼレナー・ホラの巡礼聖堂

     《4》聖ヨハネ=ネポムーク巡礼聖堂はゴシックからバロックへの伝統の推移の橋渡しをする建築様式の顕著な例である。

    補足 ICOMOSの報告書では《1》での登録も勧告されている。

     《1》ズジャール・ナト・サーサヴォウのゼレナー・ホラの聖ヨハネ=ネポムーク巡礼聖堂はバロック・ゴシック様式の建築の傑作である。

    クトナーホラ歴史地区

     《2》《4》クトナーホラは銀採掘により富や繁栄を得た中世都市の顕著な例をその都市構造や建造物群の中に構成している。
         その結果、後の中欧の建築の発展に深い影響を与えた聖バルバラ教会に著しい、高い建築的・芸術的価値を有する数多くの建造物群を得てきた。
         また、良好に保存された歴史地区の建造物群は同様の集落とは一線を画す社会的・経済的要素を示すため非常に重要である。

    レドニツェ=ヴァルチツェの文化的景観

     《1》《2》《4》レドニツェ=ヴァルチツェの文化的景観は啓蒙運動の中で発展し、その後ある一族の管理下にあった設計された景観の優れた例である。
           ここは続く時代の協和的な文化記念碑と固有・外来の自然要素を1つにまとめ、人類の創造性の傑作を創り上げる事に成功した。

    クロムニェジーシュの庭園と城館

     《2》クロムニェジーシュの庭園と城館、特に「喜びの庭園」は中欧におけるバロック様式の庭園と城館設計の発展に重要な役割を果たした。

     《4》クロムニェジーシュの庭園と城館は17〜18世紀の王宮と関連する景観の特に完璧で良好に保存された実例である。

    ホラショヴィツェの歴史的集落保存地区

     《2》ホラショヴィツェは南ボヘミア風バロックとして知られる耐久性の高い優れた様式を生み出した、2つの地方建築の伝統の融合を表していることに特別な重要性が見られる。

     《4》ホラショヴィツェの建造物群はその際立った完全性と極めて優れた維持活動により中欧の伝統的な農村集落の顕著な例となっている。

    リトミシュル城

     《2》リトミシュル城は最初にイタリアで発展し、チェコの大地で修正されることにより特別な建築特性を有する発展形態を生み出した建造物の型である拱廊型城館の顕著で完璧に保存された例である。

     《4》リトミシュル城はルネサンス期の中欧の貴族の館及びそれらの新たな芸術運動の下での後の発展がその特別優れた様相の中に示されている。

    オロモウツの聖三位一体柱

     《1》オロモウツの聖三位一体柱は中欧におけるバロック芸術の表現の最高点の中でも最も優れた実例の1つである。

     《4》聖三位一体柱の建造はバロック様式の時代の中欧における宗教的信仰心の独特な物証となっており、オロモウツの例はその最も顕著な表現を表している。

    ブルノのトゥーゲントハット邸

     《2》ドイツ人建築家ミース=ファン=デル=ローエは近代建築運動の急進的な新概念をトゥーゲントハット邸を通して居住用建造物の設計に取り入れることに成功した。

     《4》1920年代の近代建築運動により建築は刷新され、トゥーゲントハット邸に縮図的に示されるミース=ファン=デル=ローエの業績は世界規模でのその建築の波及と受容において主要な役割を果たした。

    補足 ICOMOSの報告書には《1》での登録も勧告されている。

     《1》トゥーゲントハット邸は近代建築運動の傑作である。

    トゥシェビチのユダヤ人地区と聖プロコピウス聖堂

     《2》トゥシェビチのユダヤ人地区と聖プロコピウス聖堂はユダヤ教とキリスト教という2つの異なる文化の何百年にも渡る共存と交流の証拠を有している。

     《3》トゥシェビチのユダヤ人地区は中欧におけるユダヤ人の離散に関わる文化的伝統の稀な証拠である。

    【エストニアをはじめとする10ヶ国】

    シュトルーヴェ測地弧

     《2》地球の正確な規模・形状の立証を助けた世界初の長大な経線の正確な測地は、地球科学の発展における重要な段階を示している。
       また様々な国からの科学者達が学術的協力の形をとったことによる人間的価値の交流の驚くべき例であると同時に学術的な理由から強国の君主達が協力した実例でもある。
       
     《4》シュトルーヴェの測地弧は測地技術の不動・無形の断片を成す経線の三角測量地点を示す技術的集合体の紛れも無い顕著な例である。

     《6》弧の測定とその結果は人類が地球の形状・規模に関して抱いていた疑問に直接的に関係しており、地球が正確な球体ではないというアイザック=ニュートンの学説とも関連している。

    【アルバニア】

    ブトリント

     《3》中世の終わり頃に住民にブトリントを放棄させることになった古の自然環境の発達はこの考古遺跡が現代のアルバニアの領土上に存在していた古代と中世の文明の貴重な証拠を呈していることを意味している。

    ギロカストラの博物館都市

     《3》ギロカストラ旧市街は殆ど途絶えてしまったオスマン=トルコ時代のイスラム教の文化・伝統に影響を受けた、長期間続いたが殆ど途絶えてしまった社会・生活形態の稀な例証である。

     《4》ギロカストラの歴史都市は13世紀建造の城塞に囲まれた大農場主らによって建てられた、良好に保存されたオスマン=トルコ時代の都市の希少な例である。
       その建築はギロカストラが幾つもの顕著な例を表すトルコ語で“クル”と呼ばれる塔状家屋の建造によって特徴付けられている。

    【拡大登録】ベラートとギロカストラ

     《3》ベラートとギロカストラはバルカン半島の都市社会の多様性及び今日では殆どが消滅してしまった長期間続く生活様式の顕著な証拠を有している。
       ギロカストラの都市計画や家屋群は中央権力に直結させることに意識を向けた土地所有の名士により建てられた、城塞都市である。
       ベラートはその手工芸や商業機能に関連する、より独立した生活様式の足跡を有している。

     《4》ギロカストラとベラートは共に、オスマン帝国古典時代の記念碑・地方都市住居の様々な類型の顕著な証拠を有している。
       特にベラートでは先立つ様々な中世の文化が継続して残り、大規模な少数派のキリスト教徒と共に平和的に共存する状態であった。

    【ベラルーシ】

    ミール城の建造物群

     《2》ミール城は見事に混成しこの地域の歴史の印象的な記念碑を生み出したゴシック・ルネサンス・バロックといった連続する文化的影響をその意匠・設計に反映する中欧の城館の優れた例である。 

     《4》ミール城が建つ地域は長きに渡る政治的・文化的な対面・合成の歴史を有しており、そのことは城の建造物群の型・外観に鮮明に表されている。

    ネスヴィシェにあるラジヴィル家の建築・住居・文化的遺産群

     《2》ネスヴィシェにあるラジヴィル家の建築・住宅・文化複合体は中欧における新たな建築の流派の樹立を導いた、西洋の伝統の統合に基づく新概念の植え付けの為の揺籃の地であった。

     《4》ラジヴィル家の遺産群は16〜17世紀の中欧の建築史における類型建造物の発展における重要な段階を表している。
       このことは特にその十字円蓋型教会に関連した類型の聖体祝日教会において重要である。
      
     《6》ラジヴィル家は南・西欧からの影響の解釈と中・東欧の思想の伝達に関係していた特に重要な存在であった。

    【ボスニア・ヘルツェゴヴィナ】

    モスタル旧市街の古い石橋地区

     《6》多様な文化的・民族的・宗教的背景からなる共同体の共存の優れた普遍的な象徴としてモスタル市街の象徴的意義は古い石橋と周辺地区の復興を伴うことにより強められ、大破壊に直面した時の人類の平和に向けた結束と力強い協力の限りない努力を際立たせている。

    メフメド・パシャ・ソコロヴィチ橋

     《2》戦略地政学的重要性を有する地に置かれた事からこの橋は長い歴史の間のバルカン半島・オスマン帝国・地中海世界及びキリスト教・イスラム教間の重要な文化的価値の交流の証拠を有している。
       この橋の管理や修繕はオスマン帝国の後はオーストリア=ハンガリー二重帝国・ユーゴスラビア連邦・ボスニア=ヘルツェゴヴィナ共和国と様々な政治的・文化的権力に委ねられた。
       この地域の住民の自己認知の問題はセルビアに近接していることからも複雑である。

     《4》ヴィシェグラードの橋はその価値観や偉業が人類史上重要な段階に位置するオスマン帝国の古典時代の最盛の顕著な建築的証拠である。

    【ベルギー】

    フランドル地方のベギン会修道院

     《2》フランドル地方のベギン会修道院はフランドル地方の文化圏に特化した様式における都市・田舎の計画立案と宗教・伝統建築の結合の顕著な物理的特徴を示している。

     《3》ベギン会は中世のヨーロッパ北西部における宗教的に独立した女性の文化的伝統の稀な証拠である。

     《4》ベギン会は世俗的・女子修道院的な価値観に結びつく中世の宗教運動の特徴に関連した複合建築の顕著な例である。

    ブリュッセルのグラン・プラス

     《2》グラン・プラスはこの地方一体の文化・社会を特徴付ける建築・芸術の様式の折衷・大成功を収めた融合の顕著な例である。

     《4》公共広場としてその建築・顕著な特性の本質・価値を通してグラン・プラスは優れた手法にて繁栄の絶頂を迎えたヨーロッパ北部の高い名声を得た商都の発展と業績を示している。

    四つのリフト

     《3》中央運河にかかる船舶昇降機は19世紀ヨーロッパの水力技術の際立った発展の稀な証拠である。
     
     《4》これらの昇降機は運河建設への工学技術の応用の最高点を象徴している。

    ベルギーとフランスの鐘楼群

     《2》鐘楼群はヨーロッパの公共建築の優れた代表的建造物であり、その“機能的”な形態の多様性と領主の権力の保持から商業権の保護のためへの目的の変遷から、鐘楼群は13世紀以降のヨーロッパの公共建築の重要な一面となっている。

     《4》鐘楼群は中世以降のこの地域一帯の歴史に刻まれた、市民権の発展を映し出す建造物である。
       また、人類史において重要なその地方特有の民主主義を導いた自由への渇望の独特な実現である。

    ブルッヘ歴史地区

     《2》ブルッヘ歴史地区は特に煉瓦製ゴシック様式に見られる建築の発展への多大な影響の交流の証拠であり、フランドル派の誕生の地であることによる中世絵画の発展における革新的な芸術の影響を裏付けている。

     《4》ブルッヘ歴史地区は公共・社会・宗教の施設が生きた証拠となっている、中世ヨーロッパの商業的・文化的領域における重要な段階を例証する建築集合体の顕著な例である。

     《6》ブルッヘの町はフランドル派絵画の誕生の地であり、ヤン=ファン=エイクやハンス=メムリンクらといった芸術家達により中世における絵画の発展・庇護の中心地であった。

    ヴィクトール=オルタの主な邸宅群

     《1》ブリュッセルのヴィクトール=オルタの邸宅群は芸術・建築に重要な役割を果たしたアール=ヌーヴォーの様式の高度な表現を示す、人類の創造的才能の傑作である。

     《2》19世紀末のアール=ヌーヴォーの出現は起こりうる後の発展を成功させた建築の発展における重要な段階を表しており、ブリュッセルのヴィクトール=オルタの邸宅群はその急進的な新たな試みの優れた証拠を有している。

     《4》オルタの邸宅群は芸術・思想・社会における19〜20世紀の変遷を鮮やかに例証するアール=ヌーヴォー建築の顕著な例である。

    スピエンヌの燧石採掘鉱

     《1》スピエンヌの新石器時代の燧石採掘鉱は人類黎明期の発明と応用の優れた証明である。

     《3》新石器文化の出現はスピエンヌの古代の燧石採掘鉱に鮮明に例証される人類の文化的・技術的発展の重要な段階を示している。

     《4》スピエンヌの燧石採掘鉱は人類の技術的・文化的発展の重要な段階を示す、新石器時代の燧石採掘の顕著な例である。

    トゥルネーのノートルダム大聖堂

     《2》トゥルネーのノートルダム大聖堂はゴシック建築の全盛に先立った12世紀初頭の短期間におけるイル・ド・フランス、ラインラント、ノルマンディーの建築間での重要な影響の交流の証拠を有している。

     《4》その壮大な規模においてトゥルネーのノートルダム大聖堂は広大なゴシック様式の大聖堂の前兆となるセーヌ川以北の流派の大規模建造物の顕著な例である。

    プランタン=モレトゥス家屋・工房・博物館複合体

     《2》プランタン印刷所の発行物を通して、プランタン=モレトゥスの複合体は学術・芸術の発展における16世紀ヨーロッパの人文主義の重要な中心地として主要な役割を果たしたことの証明となっている。

     《3》「世界の記憶」の全ての要素を考慮すると、印刷所の仕事記録・商業帳簿を含むプランタン家の記録資料や、世界的に知られた数多くの学者や人文主義者らの書簡は最重要性を有する文化的伝統の顕著な証拠とされる。

     《4》16〜18世紀の間の仕事世界や商業世界と家庭の生活環境との関係性の顕著な例として、プランタン=モレトゥスの複合体はルネサンス・バロック・古典主義の欧州史の重要な時代に関連する他に類の無い記録資料的価値を有している。

     《6》プランタン・モレトゥスの複合体は顕著で普遍的な重要性を有する思想・信仰・技術や文学・芸術作品に明白に関連している。

    ストックレー邸

     《1》建築家であり室内装飾家でもあったヨーゼフ=ホフマン監修の下で創られたストックレー邸はその総合芸術の美的・概念的要項、建築的語彙、独創性および装飾・家具・芸術作品・庭園の傑出した質からウィーン分離派の創造的資質の傑作である。
       それは20世紀初頭の西洋における構成的かつ美的な近代性の非常に良好に保存された象徴である。

     《2》ウィーン分離派やコロマン=モーザー、グスタフ=クリムトを含むそこに与する多くの芸術家等の価値を考慮すると、ストックレー邸はこの一派の最も典型的で精巧な作品である。
       アールヌーヴォーにとって重要拠点であったブリュッセルで創られたことにより、それは建築の近代化やアールデコの誕生に深い影響を及ぼした。

    【ロシア】

    サンクト・ペテルブルグ歴史地区と関連建造物群

     《1》都市設計の分野においてサンクト・ペテルブルグはその計画への熱望・計画の一貫性・施工の速度における独自の芸術的成果を表している。
       1703〜1725にかけてピョートル大帝は湿地・泥炭地・岩だらけの景観から、彼が望んだヨーロッパで最も美しい都市、サンクト・ペテルブルグの都のための石造・大理石製の建築様式を造り上げた。

     《2》ラストレッリ・ヴァーリン=デ=ラ=モーテ・カメロン・ロナルディ・ザカロフ・ヴォロニキーニェ・ロッシ・モンフェランらによりサンクトペテルブルグと周辺に設計された建造物群は18〜19世紀のロシアおよびフィンランドの建築・記念芸術の発展に重大な影響を与えた。
       都の規範的価値は科学学士院の創設により高められ、美術学士院の創設へと受け継がれた。
       エカチェリーナ2世やアレクサンドル1世・ニコライ1世の下で完成された未来の業績により明示されたサンクト・ペテルブルグの都市の型は、1812年の火災後のモスクワの再建やオデッサ・セヴァストーポリといった帝国南部に点在する新しい都市群の建設において見本とされた。

     《4》推薦された文化財はバロック・新古典主義様式の非常に優れた都であるサンクト・ペテルブルグの建造物群を含めたバロック様式の皇宮群の顕著な例である。
       第2次世界大戦における破壊後に修復されたペトロドヴァレツやツァールスコエ・セロの宮殿群は最も重要な建造物群の内の幾つかである。
       
     《6》サンクト・ペテルブルグは2つの普遍的重要性を有する出来事と関係している。
       デカブリスト広場に建つファルコンによるピョートル大帝の騎士像に思い出される、1703〜1725年にかけてのサンクト・ペテルブルグの建設は西洋世界に向けてロシアが開かれたことと国際情勢における専制君主“ツァーリ”の帝国の出現を象徴している。
       ボリシェヴィキ革命は1917年にペトログラード(当時の名称)にて勝利を収めた。
       サンクト・ペテルブルグの中心にある巡洋艦オーロラ号やマティルデ=クシェシンスカヤの邸宅(現ロシア政治史博物館)は、ソ連形成の象徴である。

    キジー島の木造教会

     《1》カレリア地方の人々に世界の8番目の不思議と考えられたキジー島の木造教会は実際、独特な芸術的偉業である。
       同じ敷地内に2つの多数の丸屋根を持つ教会と鐘楼を兼ね備えているだけでなく、これら珍しい設計がなされた完璧な外見を有する木造建造物群は周囲の景観との完璧な調和を見せている。

     《4》ロシア領内北西部に5つしか現存していない木造教会の中でキジー島のものは福音伝道者が遠方のキリスト教社会や苛酷な環境にうまく対処しなければならなかった、人がまばらに住んでいる地域における中世及びそれ以降の典型的な建築複合体の顕著な例となっている。
       この木造教会は例えば拝廊や身廊が食堂や会議場とされた様な特別な目的に使われた宗教建造物を形成している。
       
     《5》キジー島南部に野外博物館を形成している木造教会と建造物群はカレリア地方及びより全体的に見てロシア北部やフェノスカンディア地方の伝統的木造建築の優れた例である。

    モスクワのクレムリンと赤の広場

     《1》クレムリンはその城壁内に聖母受胎告知聖堂や聖母昇天総主教座大聖堂・アルハンゲルスキー聖堂・イヴァン大帝の鐘楼や聖母生誕教会・テレムノイ宮殿を併設するクレムリン大宮殿といった多くの建築・造形美術の傑作を有している。
       赤の広場に建つ聖ワシリー聖堂はロシア正教の主要建造物の1つである。

     《2》ロシア建築はクレムリンから発せられた影響力によりその歴史上何度も影響を受けたことが明らかである。   
       著しいのがイタリアルネサンスの影響で、アリストーテリ=フィオラヴァンティが聖母昇天総主教座大聖堂を建造した時代にその様式の影響が感じられ、マルコ=ラフォーとピエトロ=アントニ=ソラリによるグラノヴィータヤ宮殿にてその影響がより強くなり、同時期にソラリがミラノの技師によって確立された原則に則って建造したニコリスカヤ塔やスパスカヤ塔の城壁の塔にも同様に確認できるものである。
       ルネサンスの表現はアレヴィズ=ノーヴィにより1505〜9年にかけて再建されたアルハンゲルスキー聖堂の古典的な柱頭部分や外観により鮮明に見ることが出来る。

     《4》5つの門が貫き29の塔により強化された三角形の城壁を持つクレムリンはモスクワ川とネグリンナヤ川の合流地点の丘の上に1156年、ユーリー=ドルゴルーキーにより建てられた木造要塞の記憶を保存している。
       14世紀にドミトリー=ドンスコイが木造の城壁を建てさせ、後に最初の石造城壁が建てられたというその変遷の歴史と外観からモスクワのクレムリンはプスコーフ・トゥーラ・カザン・スモレンスクといった古のロシアの町々の中心部に築かれた城塞“クレムリ”の原型とされる。

     《6》13世紀からサンクト・ペテルブルグの創建まで、クレムリンはロシア史上の全ての主要な出来事に密接に関係してきた。
       200年に及ぶ暗黒の時代は再び政府の中枢となった1918年に終わりを告げ、今日ではソ連時代の閣僚会議や最高評議会・大会宮殿が入っている。
       赤の広場のレーニン廟はソ連を象徴する記念碑的建築の最高の例である。
       ニコリスカヤ塔とスパスカヤ塔の間の城壁内に組み入れられた革命の志士達の埋葬墓はロシア革命の普遍的重要性をはっきりと示している。
       クレムリンと赤の広場はそれ故近代史における最も重大な出来事の1つの現在まで残る証拠を伴う、過ぎ去りし日々の痕跡を優れた手法にて結合させている。

    補足 ICOMOSの報告書には《3》での登録も喚起されている。

     《3》クレムリンはその空間構成・建造物群・武器庫などのクレムリンの歴史と切り離すことが出来ない収集品による帝政ロシアの文明の独自の証拠を有している。

    ソロヴェツキー諸島の歴史的・文化的建造物群

     《4》ソロヴェツキー諸島の建造物群は中世の宗教社会の信仰心・不屈の精神・進取の気性を見事に例証するヨーロッパ北部の厳しい環境における修道院の顕著な例である。
       現存する数多くの全ての類型の遺構が続く歴史を生き生きと示している。
       
    ノヴゴロドと周辺の歴史的建造物群

     《2》ロシアの石造建築の誕生の場所として、またロシア最古の絵画の一派が生まれた場所として、ノヴゴロドは中世のロシア芸術の発展に大いに影響を与えた文化的中心地であった。

     《4》広大な領域に記念建造物群が残るノヴゴロドは中世以降(11〜19世紀)のロシア建築の紛れもない“温室”である。
       これらの建造物群はそれだけでロシア建築の発展を説明するに十分である。

     《6》ノヴゴロドはその記念碑や宝物が生きた証拠を有しているロシアの主要な文化的・精神的中心地の1つである。
       
    セルギエフ・ポサドのトロイツェ・セルギー大修道院の建造物群

     《2》セルギエフ聖三位一体大修道院はロシアの伝統建築と西欧のそれとを融合させ、東欧の広大な地域の建築の発展に強い影響を与えた東欧の様式を創り上げた。

     《4》大修道院は15〜18世紀の発展と拡張の時代の特徴的な軍事機能を備えた現在も機能する正教修道院の顕著で際立った完璧な例である。

    コローメンスコエの主昇天教会

     《2》コローメンスコエの主昇天教会は東欧の広い地域の教会建築に深い影響を与えたロシア正教の教会設計における創造的で革新的な前進を表している。

    コミの原生林

     《7》《9》コミの原生林に見られるヨーロッパロシアのタイガは亜寒帯の原生林における生物多様性に影響を及ぼす自然作用の研究に非常に優れた機会を提供するものであり、その規模や自然状況により独自のものとなっている。
         この地域は学術的に重要であることが証明されており、気候変動や産業伐採を通した亜寒帯の針葉樹林帯の保護への影響を調査する上でこのうえない自然の水準点である。

    バイカル湖

     《7》山岳や亜寒帯の森林・針葉樹林帯・湖沼群・湖島・大草原地帯を伴うバイカル湖の窪地周辺の絵の様な景観は傑出した自然美を誇っている。
       地球上の20%もの淡水を保有するバイカル湖は至上の自然現象を見せるものである。

     《8》バイカル湖は中生代以降の地質学的なリフト帯の作用により出現し、それ故世界最古・最深の湖である。
    様々な地殻運動の影響は湖底に近年出来た熱水の噴き出る穴により現在でも進行中であることが証拠付けられる。

     《9》長期間での水生動物の生態の進化は傑出した独特な固有の動植物相を育んだ。
       バイカル湖は「ロシアのガラパゴス」とされ、進化科学の重要な価値を有している。

     《10》バイカル湖は745種の固有種を含む1340種の動物と、150種の固有種を含む570種の植物が確認されている地球上で最も生物の多様性を見せる湖の1つである。
       湖周辺の森林には代表的な亜寒帯の種全てと国際的な10種の絶滅危惧種が生息している。

    カムチャッカ火山群

     《7》カムチャッカ火山群は火山群・湖沼群・野趣溢れる河川・優美な海岸線等が均整の取れた傑出した自然美を有する景観を見せている。
       また鮭の遡上する場所やベーリング海の海岸線沿いに広がる海鳥の営巣地などが野生生物の集中する至上の自然現象を内包している。

     《8》カムチャッカ火山群は世界でも有数の活火山の密度と様々な噴火形式(ストロンボリ式・ハワイ式・プレー式・ヴェスヴィオ式・プリニー式)と関連する全ての火山の特徴(間欠泉・泥溜まり・温泉・カルデラ・鉱化作用)を含む、地質学的作用と大地形成の傑出した例を見せている。

     《9》カムチャッカは広大な陸塊大陸と太平洋の間の特殊な立地の中で、島峡に相似する生物多様性を育み特有のものとしている、進行中の火山活動と大地形成を伴う自然作用を見せている。

     《10》カムチャッカ火山群は少なくとも16種の固有種と多くのロシアの絶滅危惧種を含む旧北亜区の植物相において傑出しており、またオオワシやコシジロイヌワシ・シロハヤブサ・ハヤブサといった多くの鳥類も遡上する鮭に引き寄せられて来ている。
       内部、あるいは隣接する河川は世界でも有数のサケ科の魚類の多様性で知られており、全部で11種もが共生している。
       
    アルタイ山脈

     《10》アルタイ地域は多くの希少種・固有種を含むアジア北部の山地性の動植物の多様性の重要な原始の姿を留める場所である。

    西コーカサス

     《9》最後の氷河作用以降、西コーカサス山脈では生態学的遷移が起こった結果、生態系の多様性が生まれた。
       手付かずで残る森林はヨーロッパの視点から見て生態学的過程が1000年以上に渡り続いている顕著な場所であり、植生は家畜の放牧による影響を受けずに来ている。
       また、有蹄類や狼の個体群にとって重要であり、家畜と捕食動物間の競争関係の相互作用の研究に最適である。
       
     《10》コーカサス山脈は国際的な植物多様性が見られる場所であり、西部には第三紀の遺存種や地中海、アジアのテューラニア=イラン原産のものも含む6000種の植物が確認されており、高山帯に生息する3分の1程、森林の3分の1程が固有種である。
       動物相も豊かで、野生のものと再移入されたヨーロッパバイソンの亜種が生息しており、また多くの大型哺乳類が群れを成している。
       鳥相も豊富で多くの固有種を含んでいる。  
       
    フェラポントフ修道院の建造物群

     《1》フェラポントフ修道院の聖母生誕大聖堂に描かれたディオニシーによるフレスコ画は15〜16世紀のロシアの壁画芸術の最高の表現である。
       
     《4》フェラポントフ修道院の建造物群はロシアの文化的・精神的発展における決定的な時代である15〜17世紀の東方正教の修道院の最も純粋で最も完璧な例である。

    カザンクレムリンの歴史的建造物群
     
     《2》カザンクレムリンの建造物は異なる文化により生み出された重要な価値の交流が行われることとなった、長期に渡る歴史的継続と文化多様性の優れた証拠を表している。

     《3》カザンクレムリンは汗による支配時代の稀な証拠を表す建設当時の都市計画の構想の痕跡を伴う現存する唯一のタタール城塞である。

     《4》カザンクレムリンの主要建造物群はブルガール・モンゴル帝国・タタール・イタリア・ロシアの異なる文化を統合した、建築におけるタタールとロシアの影響の統合の顕著な例であり、イスラム教やキリスト教の影響も示している。   

    シホテ=アリン山脈中央部

     《10》シホテ=アリン山脈中央部は世界でも最も特徴的な自然地域の1つであり、氷河期の歴史・気候・氷河の後退により世界有数の豊かで独特な温帯林が発達している。
       他の温帯性の生態系と比較してみても固有の植物種・無脊椎動物の水準の高さが伺える。
       トラやヒマラヤグマの様な亜熱帯の動物と北方タイガのヒグマやトナカイが生息地を共にしており、またコウライアイサやシマフクロウ・アムールトラなどの絶滅危惧種の生息地として重要である。

    デルベントの城塞と古代都市

     《3》デルベントの古代都市遺跡は紀元前1000年以降カスピ海西岸地域の南北の縦断路を押さえるのに極めて重要であった。
       5世紀にササン朝により築かれた防御建造物はその後ペルシャ人・アラブ人やモンゴル帝国・ティムール帝国と続く支配者に1500年余りに渡って継続的に使用された。
       
     《4》デルベントの古代都市跡と防御建造物はササン朝により北方の国境線に沿って設計・建造され、19世紀にロシアの占拠を受けるまで続く支配者達が維持してきた戦略的防御網の最も重要な部分である。

    ウヴス湖盆地

     《9》ウヴス湖の盆地内だけで発達した塩湖の分類体系は気候的・水文学的変動の型の研究にとって国際的に重要であり、遊牧民による放牧に何千年もの間使われてきたウヴス湖盆地の草原地帯はその自然性を失っておらず、その結果ウヴス湖と周辺の湖は塩水湖となり栄養分が豊富になったことが明らかになっている。
       これらの過程は現在でも進行中であり、地球物理学的・生物学的特徴からウヴス湖盆地は地球温暖化の調査地域にも選ばれている。

     《10》ウヴス湖地域は数多くの固有種を含むユーラシア大陸東部の主要な植物群集の幅広い生態系を見せている。
       ウヴス湖盆地は何千年も前から人類の遊牧生活が行われてきたが、山岳・森林・草原・砂漠などは多くの絶滅危惧種を含む幅広い野生動物の重要な生息地であり続けている。
       草原地帯の生態系は豊富な鳥類多様性を育み、砂漠地帯はアレチネズミやトビネズミ・マダライタチ等の多くの種が生息している。
       盆地西部の山岳地帯は国際的に絶滅が危惧されているユキヒョウ・アルガリ・アジアアイベックスなどの種の重要な生息地である。
       ウヴス湖自体は水鳥やシベリアから南下してくる渡り鳥の重要な営巣地となっている。

    ノヴォデヴィチ修道院の建造物群

     《1》ノヴォデヴィチ修道院はモスクワ周辺地域で流行した「モスクワバロック」と呼ばれる建築様式の優れた例である。
       その見事な建築や精細な装飾もさることながら、ノヴォデヴィチ修道院は都市計画的価値基準により特徴付けられるものである。

     《4》ノヴォデヴィチ修道院は17世紀後期の建築の特に「モスクワバロック」様式を表す飛び抜けて良好に保存された修道院の顕著な例である。

     《6》ノヴォデヴィチ修道院の建造物群は既に世界遺産となっているモスクワクレムリンの政治的・文化的本質を集約している。
       修道院自体はロシア正教及び特に16〜17世紀のロシア史に密接に関係している。
       
    ウランゲル島保護区の自然形態

     《9》ウランゲル島保護区は固有の島の生態系を育んでおり、第4紀の北極圏のほぼ全てを覆った氷河作用に影響されずに長期に渡る進化の過程が起こってきたことの十分な証拠である。
       急速に発展し凍土帯の植物相を埋める幾つもの群落を伴う固有の植物種や近年のマンモスの牙や頭蓋骨の発見・狭小な地理的空間での種々の地形や地質形成はウランゲル島の豊かな自然史や北極圏での独特な進化状況に目に見えて示されている。
       これらの過程は現在も続いており、他の北極圏の地域には見られないレミングの特徴的な生態や密度・トナカイの物理的順応に観察され、現在では本島の同類から切り離された個体群の中で進化している。
       種々の相互作用による環境への適応は高度であり、それらは島全体、特にシロフクロウの他種からの保護や移住性の種やキツネの集団の危険を知らせる役割を果たす営巣に表われている。
       
     《10》ウランゲル島保護区は高緯度の北極圏内でも高度な生物多様性を見せており、アジア地域で唯一の絶望的な個体数から少しづつ回復の兆しを見せるハクガンの営巣地である。
       海洋環境はメキシコからやって来るコククジラの営巣地として重要になりつつある。
       チュコト海最大の海鳥の集団を持つ島々はハヤブサ等の絶滅危惧種を含む100種以上の渡り鳥の最北の営巣地であり、凍土帯の鳥類が北極やそれ以外の地域からやってくる種と共生しており、また何代にも渡るホッキョクグマの群れの世界で最も高い密度を誇っている。
       ウランゲル島は時期になると重要な海岸のペンギンの群れにタイヘイヨウセイウチの群れなど100000体程の動物が集まってくる。
       ウランゲル島は高度な生物多様性と地域毎の気候・環境を持ち、全体的な時期毎の種の生殖活動の失敗は聞かれていない。
       比較的この地域が小さいことを考慮してもウランゲル島保護区はカナダ北部の北極圏地域の中でも特異な場所とされる。

    ヤロスラヴリ市街の歴史地区

     《2》17世紀の教会建築と新古典主義の公共建築と放射状の都市平面を有するヤロスラヴリの歴史都市は、西欧とロシア帝国の文化的・建築的影響の交流の顕著な例である。

     《4》ヤロスラヴリはエカチェリーナ2世が全ロシアで1763〜1830にかけて行った都市改革の中でも顕著な例である。

    プトラナ高原

     《7》広大で多様な印象的な自然美の景観を誇るプトラナ高原は人類の基盤が及んでいない原始のままの場所である。
       その至高の自然の特徴は数多くの渓谷により分かたれた広大な玄武岩の層位トラップ、数千もの滝を伴った数え切れないほどの冷水の河川・小川、大規模な高低差の変動に関連したフィヨルド風の地形に特徴付けられる25000以上の湖を含んでいる。
       広大な北極圏の亜寒帯の景観が今に残り、一面に広がる地衣類や森林はこれほどの北緯では稀である。

     《9》プトラナ高原はその多様な北極圏・亜北極の生態系に関連した生物学的・生態学的過程の包括的な一例を表している。
       そのツンドラとタイガのバイオームの境界であり東西シベリアの移行地帯にあるという生物地理学的立地によりプトラナ高原は北極圏における数少ない植物種の豊富さを誇る場所の1つとなっている。
       景観の多様性、遠隔性、自然性、保護の度合は並はずれている。
       加えてプトラナ高原は適正な調査・研究が行われれば大規模な北極圏の自然の生態系への気候変動の影響に価値のある証拠が得られるとされている。

    【イギリス】

    グウィネズのエドワード王の城郭

     《1》グウィネズの城郭群はその外観と石工術や中央平面に大いに関係した13世紀後期の軍事建築に特徴的な二重壁構造を兼ね備えていることにおける独特な芸術的偉業である。
       これらは1290〜3年にハーレフの指揮官となった王の主任建築家ジェームズ=オブ=セント=ジョージの傑作である。

     《3》グウィネズにある古の公国の王城群は中世の構造様式の独特な証拠であり、王の権限が記録資料にて十分に立証されるものである。
       1963年にロンドンで発行された「王の業績の歴史」の帳簿はイングランドの各地から連れてこられた職人達の素性を明細に記しており、その地において切り出された石材の使用を記述している。
       それらは建造作業の資金調達法の要点を述べ、職人達の日常生活の解釈を示していることにより中世史の重要な参考資料の1つとなっている。

     《4》グウィネズの城郭と城塞都市は13世紀後期から14世紀初頭のヨーロッパの軍事建築の中でも最も良好に保存された実例である。
       その建造は1283年に始まり1294年のウェールズ人マドック=アプ=ルーエリンの反乱により遅れ、カナーヴォンでは1330年まで、ボーマリスでは1331年まで続いた。
       それらは最小限度の修復だけが行われ、初期のままの状態にて物見櫓・跳ね橋・要塞門・障害物・砦・地下牢・塔・非耐力壁といった中世建築の類型の紛れもない宝庫の様を呈している。
       
    ダラムの城と大聖堂

     《2》ダラム大聖堂はイングランドにおけるノルマン様式建築の最大かつ最も完璧な記念建造物である。
        その一部が小規模な城付属の礼拝堂は11世紀のロマネスク様式の彫像の発展を示している。

     《4》ダラム大聖堂は最初のゴシック様式の記念建造物と考えるには語弊があるが(12世紀にイル・ド・フランス地域に建造された教会との関連性も指摘されるが定かではない)、革新的な穹窿の大胆さによりシュパイヤーやクリュニーの大聖堂同様、この建造物は当時の最先端を行く試作的な雛型の類型である。

     《6》カスバートやベーダといった聖人の聖遺物を中心として、ダラムはノーサンブリアの福音伝道と初期のベネディクト会の修道生活の記憶を留めている。

    ジャイアンツコーズウェイとコーズウェイ海岸

     《7》アントリム高原の先端に露出する巨大な玄武岩の石柱は傑出した自然美を持つ景勝地であり、コーズウェイ海岸の断崖の際立った一画と露出した石柱の特性は数々の重要な特徴を表している。

     《8》第3紀の地質活動はコーズウェイ海岸にその跡が残る玄武岩を内包する地層と溶岩流の継起によって示されており、その解釈から北大西洋における第3紀の事象の詳細な分析が可能となっている。
      
    アイアンブリッジ峡谷

     《1》コールブルックデイルの溶鉱炉は1709年にコークスによる製鉄法を発見したエイブラハム=ダービー1世の創造的な業績を不朽のものとしている。
       その製法とトーマス=ファーノス=プリチャードの製図に基づいてエイブラハム=ダービー3世により1779年に建てられた世界初の鉄製の橋であるアイアンブリッジは人類の創造性の才能の傑作である。
       
     《2》コールブルックデイルの溶鉱炉とアイアンブリッジは技術と建築の発展に重大な影響を与えた。

     《4》アイアンブリッジ峡谷は近代の産業地域の発展の魅力的な概略を示している。
       採掘地区・変化を示す遺構・製造工場・労働者居住区・輸送網は良好に保存され、教育的潜在性が非常に高い首尾一貫した集合体を作り上げている。

     《6》毎年30万人の訪問客に門戸を開くアイアンブリッジ峡谷は18世紀の産業革命の世界に知られた象徴の1つである。

    セントキルダ

     《3》セントキルダは200年に及ぶ過酷な条件下での生活が営まれてきたことの稀な証拠である。

     《5》セントキルダの文化的景観は狩猟・農業・牧畜によって自給自足の経済を行ってきたことによるものの顕著な例である。
       これには長年にわたる伝統と土地利用が含まれるが、最後の居住者がこの島を去って以来その文化は消滅の危機を迎えている。

     《7》第三紀の火山による列島の景観は風化し、氷河に覆われることによって劇的な外見を生み出している。
       3つの主要な島のヨーロッパでも最大級の断崖は最高で海抜375mの高さから緑の草原を突き抜け海へと繋がっている。
      
     《9》セントキルダは狭小地域でありながら非常に多数の鳥類が生態的地位を占めている。
       この地域は生態系を保つ上で重要な3つの海洋地域を含んでいる。

     《10》セントキルダには100万羽を超えるヨーロッパ最大の海鳥の営巣地がある。
       その中には北大西洋の生息数の25%のシロカツオドリ、英国全体の50%のツノメドリなどが含まれる。
       群島には鉄器時代に家畜化されたソイ種の羊が再び野生に戻った状態で生息している。

    ストーンヘンジ、エイヴベリーと関連遺跡

     《1》ストーンヘンジ、エイヴベリーと関連する遺跡は先史時代における顕著な創造的・技術的偉業を例証している。
        ストーンヘンジは世界で最も建築的に洗練された先史時代の環状列石であり、水平な巨大まぐさ石が外環と三石塔(トリリトン)の上に横たわっていることが特徴で慎重に形成された接合部により固定されており、その意匠・独特な工学技術は他に類を見ないものである。
        それは2種類の異なる石(ブルーストーンとサルセン)の独特な使用、寸法(最大40トンを超える重量)、運ばれてきた距離(240キロに達する)により際立っている。
        周辺遺跡の内幾つかの純然たる規模においても顕著で、ストーンヘンジのカーサスとアヴェニューは共に約3キロの長さがあり、ダーリントンウォールは直径500メートルもある英国最大の環状遺跡であり、大規模で複雑なこれらの特徴を思考・設計・建造した先史時代の人々の能力を例証している。
        エイヴベリーの先史時代の環状列石は世界最大であり、180の地元産の不定形な立石が、小さな円を2ヶ所と外周を囲む大きな円が内部にある巨大な塚と円周1.3キロもの溝で構成されている。
        4つの入口の内2ヶ所からは平行な立石で出来たウェストケネットとベッカンプトンアヴェニューに続き、景観内の他の遺跡へと直結している。
        もう1つの顕著な遺跡に欧州最大の円丘シルベリーヒルがあり、紀元前2400年頃の建造、高さ39.5メートルで50万トンもの石灰石で造られているものの、その堂々とし技巧的な工学的記念碑の目的は依然不明瞭のままである。 

     《2》ストーンヘンジ、エイヴベリーと関連遺跡は先石器時代から青銅器時代までの2000年を超える記念碑建造の発展と継続的な使用と景観の形成の発展の顕著な表現を提供している。 
       これら記念建造物と景観は建築家・芸術家・歴史家・考古学者に揺ぎ無い影響を及ぼし、依然今後の調査への大きな可能性を残している。
       世界遺産地域の巨石製・土製の遺跡群は紀元前3700年から2000年前後の間の記念建造物を通した景観の形成を例証しており、両地域にその重要性・影響力が反映されている。
       ストーンヘンジがヘンリー=オブ=ハンティントンやジェフリー=オブ=マンモスら年代記作家らに世界の不思議の1つと考えられた12世紀以降、ストーンヘンジとエイヴベリーは好奇心を刺激し、研究や憶測の主題となった。
       ジョン=オーブリー、イニゴー=ジョーンズ、ウィリアム=スチュークリらの初期調査によりそれらは建築家・考古学者芸術家・歴史家に揺ぎ無い影響を及ぼした。
       2ヶ所の世界遺産地域は今後の調査に素晴らしい機会を提供するものである。
       今日ではこれらの地域は精神的な関連性も有しているともされる。

     《3》ストーンヘンジとエイヴベリーの記念建造物群の総体は新石器時代及び青銅器時代の英国における埋葬と祭礼の慣習への優れた見通しを呈しており、それらの立地環境や関連遺跡は並ぶものの無い景観を形成している。
       記念建造物群と遺跡群の意匠・構成・内部関連性は環境に対し彼らの概念を課す事を可能にした豊かで高度な相互連関的な先史社会の証拠を有している。
       顕著な例としてストーンヘンジアヴェニュー(おそらく行列用通路)の連なりや夏至の日の出・冬至の日の入りの軸上にストーンヘンジの環状列石が来ることなど、彼らの祭礼的・天文学的特徴を指し示している。
       エイヴベリーにおいては2キロ以上離れた環状列石と聖域を結ぶウェストケネットアヴェニュー等数例の長さと規模がこの事のより深い証拠である。
       時代ごとの葬儀文化の変化における深い洞察は火葬場としてのストーンヘンジの使用、南イングランド最大として知られた新石器時代の集合石室墓であるウェストケネットロングバロウ、葬儀の発展を例示する数百のその他の墓地遺跡により示されている。

    ファウンテンズ修道院遺跡を含むスタッドリー王立公園

     《1》ファウンテンズ修道院遺跡を含むスタッドリー王立公園はその独創性と印象的な美により英国の広大な中世の遺構を中心に創造された人格化された景観であった。
        水庭園そのものの計画と結びついたこれらの特徴の利用は人類の創造的資質の紛れもない傑作である。
     
     《4》イングランドの豊かな修道院の遺構と結びつき、ジャコビアン時代のファウンテンズホールやバージェスの手による小規模なネオゴシックの傑作である聖メアリー教会と水庭園や鹿公園は調和的総体を成していることによりファウテンズ修道院遺跡を含むスタッドリー王立公園は中世の修道制度の権勢及び18世紀の欧州の上流階層の嗜好と富裕を例証している。

    ブレナム宮殿

     《2》古典主義のフランスの型を拒んだことにより、ブレナム宮殿と庭園は着想・国としての原点への回帰・自然の敬愛といったことの折衷技法論に特徴付けられるイギリスロマン主義運動の始まりを例証している。
       18〜19世紀におけるブレナム宮殿の建築・空間構成への影響はイングランド及び諸外国にまで広く及んだ。
     
     《4》英雄の1人を称える為に国家によって建てられたブレナム宮殿は最初のマールバラ公爵となった英国貴族の館であり、ルイ=ラゲールによる“グレート・ドローイング・ルーム”の装飾に窺う事が出来る。
       この基準に際して、ヴュルツブルクの宮殿やブリュールのアウグストゥスブルク宮殿と別邸ファルケンルスト同様ブレナム宮殿は18世紀ヨーロッパの王宮の典型であり、世界遺産リストに未だ代表例の少ない(登録時点で)種のものである。

    バース市街

     《1》周辺の丘に広がり緑の谷に置かれたバースの荘厳なパッラーディオ主義の新古典様式の弧を描く家並・テラス式住宅街・広場は建築・都市設計・景観設計の統合と美観都市の意図的な創造と同水準の秀逸さの証明である。
       素晴らしい特徴を有するアセンブリールームやパンプルームの様な個別の建造物だけでなく100年以上に渡り調和的・論理的に発展してきた広大な都市景観全体は共に趣深い審美主義により緩和されたパッラーディオの教えを反映する手法における公私の建造物・空間を描き出している。
       バースの建築・都市設計の特質はその視覚的均質性と美観が、温泉都市やその物理的環境・自然資源(特に温泉やバース産の魚卵状石灰岩)により示された独特な機会への対応においてパッラーディオ主義を受容・発展させた18〜19世紀の建築家・夢想家の技巧・創造性の証拠である。
       建築家ジョン=ウッド=シニアー、起業家で採石場の所有者ラルフ=アレン、著名な社会形成者で司会(マスターオブセレモニー)であったリチャード”ボー”ナッシュの3人の男はこの社会的・経済的・物理的再生の誘因を提示し、結果バースは当時の社会的・政治的・文化的先導者となった。
       その後に続く建築家達は主要計画も単独の庇護者も無しに100年の経過を超え働き続けた事が、各々の個別の発展が周囲や広大な景観に関連するよう計画することを妨げなかった為、自然環境と至上の美観が調和する協調的で論理的な都市を生み出している。

     《2》バースは審美的な眺望・形式を達成せんとし景観内に建造物や都市を配置する着想に向け、15〜17世紀の間支配したルネッサンス都市の内政重視の均一的な街路構造からの脱却を例示しており、特に19世紀の欧州中で反響を呼んだ。
       このバース全体で見られる自然と都市の統一はロイヤルクレッセント(ジョン=ウッド子の作)やランスダウンクレッセント(ジョン=パーマー作)においておそらく最もよく明示されている。
       バースの都市空間・景観は、19世紀の都市計画家により発展した庭園都市の原則に向けられている、それらを流動的に結びつけ視覚的(時に物理的)に緑の周辺環境に特有の庭園都市の雰囲気を生み出す建造物群により創造されている。

     《4》バースは人類史上重要なローマ・ジョージ王朝の2つの時代を反映している。
       ローマ浴場と寺院の総体はそれらの周辺で成長したアクアスリスの町の遺跡と共にローマの政治・宗教社会の理解と観賞に重要な貢献を成している。
       18世紀の再発展は顕著な都市建築と空間構成そして社会史の独特な組み合わせである。
       バースは一般家屋の記念碑化、景観と都市の統合、都市空間の創造と結合といった18世紀の新古典主義都市の主題を例示しており、交遊・保養の目的地としてのバースの人口増加への対応や湯治客や社交訪問者に相応しい審美的な環境や施設を提供する為に設計・発展した。
       バースが最大の重要性を獲得したのはローマ及びジョージ王朝時代であったが、18世紀の近代都市の中心にローマ時代の寺院と浴場のすぐ隣に壮麗な中世の修道院教会が建ち並ぶ2000年以上の継続的な発展が反映されている。

    ローマ帝国の国境線

     《2》【英】ハドリアヌスの長城は300年余りの間、ブリテン島のローマ帝国の国境線の空間構成に重大な影響を与えた。
          この国境線は現在でもタイン川〜ソルウェイ川間の景観の一部であり続けている。

       【独】リーメスはローマ帝国の軍事建築の発展と輸送路・都市化の発達への国境線の影響を反映している。

     《3》【英】長城の軍事区域は砦を備えた数多くの人類居住地によりローマ帝国の植民地化の稀な証拠を有している。
          ヴィンドランダの町は平和時において兵士やその家族が塹壕で囲まれた駐屯地から離れてどのように暮らしていたかの理解に貢献する要塞集落の極めて稀な例である。

       【独】ローマ帝国の国境線は産業化以前の国家建築として世界で最も重要なものの1つであるローマ帝国の最大の記念建造物である。
          砦・物見塔・集落・属領地域といったリーメスの物証はヨーロッパや地中海世界にかかる様々な要素を統合したローマ文化の複雑性を反映している。 
          既に登録されたローマ帝国の建造物群とは異なり、リーメスの建造物はローマ帝国の最果ての証

  • 【スペイン】<br /><br />グラナダのアルハンブラ宮殿・ヘネラリーフェ・アルバイシン地区<br /><br /> 《1》《3》《4》グラナダのアルハンブラ宮殿とヘネラリーフェは独特な芸術的偉業であり、16世紀のムスリム・スペインの稀な証拠を有している。<br />       これらはマグレブ・マシュリク両地方の大部分の建造物のように破壊されることも徹底的な修復により変質してしまう事も無かった中世のアラブ人の王宮の極めて重要な例であり、アルハンブラ宮殿とヘネラリーフェは時代の移り変わりから逃れてきた姿を見せている。<br />       キリスト教徒の奪回後の発展にも関わらず、アルバイシン地区はその都市構造・建築・主要な特徴(形状・建材・色彩)を変えぬままキリスト教徒の生活様式に順応させた外観により中世のムーア人社会の証拠を残し続けている。<br /><br />補足 報告書ではアルバイシン地区の《5》での登録も勧告されている。<br /><br /> 《5》アルバイシン地区は現在も住宅地であるだけでなく、伝統的なアンダルシア建築と協和的に混成したムーア様式の地方建築の宝庫である。<br />   世俗建築の主要部は中世のムーア人都市のそれである当初の都市構造に合併されていった。<br /><br />ブルゴス大聖堂<br /><br /> 《2》ブルゴス大聖堂は様々な時代の建築・彫刻芸術の発展に多大な影響を与えてきた。<br />   特に、13世紀のフランスのゴシック芸術の型のスペインへの伝播における役割、ラインラント・ブルゴーニュ・フランドル地方からの芸術家達がスペインの建築家・彫刻家を訓練したことにより中世末期に最も繁栄した芸術一派の1つを造り上げた15〜16世紀の工房の国際的重要性、フランス人建築家ガルニエがディエゴ=デ=シロエによる階段に想を得てパリのオペラ座の階段を造り上げた19世紀全体の見本としての役割の3つにおいて重要である。<br /><br /> 《4》ブルゴス大聖堂は教会部分・回廊・別館を備えたゴシック様式大聖堂として優れた例である。<br />   400年以上に渡り増築が続けられた大聖堂は建築家・彫刻家・職人らの創造的才能の証を有している。<br /><br /> 《6》スペインの英雄エル=シドとその夫人ヒメナの墓を持つブルゴス大聖堂は国土回復運動とスペイン統一の歴史に完全に関係している。<br />   初期のカスティーリャ王家の一族の遺体は主祭壇の下に納められている。<br />   聖フェルディナントの名声はこのスペイン王室の象徴的建造物の建設と結びついている。<br /><br />コルドバ歴史地区<br /><br /> 《1》決して真似する事の出来ない装飾の表現の崇高さの規模と大胆さによりコルドバのモスクは独特な芸術的創造作品となっている。<br /><br /> 《2》その独自性にも関わらずコルドバのモスクは8世紀以降の西洋のイスラム芸術及び19世紀の“ネオ・ムーア”様式の発展に多大な影響を及ぼした。<br />   <br /> 《3》このモスクは929〜1031年の歴代カリフの統治と高い関連性のある証となっている。<br />   300のモスクと夥しい数の宮殿を数えるコルドバは当時、コンスタンティノープルやバグダッドに匹敵する大都市であった。<br /><br /> 《4》コルドバのモスクはイスラム教の宗教建築の顕著な例である。<br /><br />補足 報告書は1994年のモスクの拡大登録のものしか見ることが出来ない。<br /><br />マドリッドのエルエスコリアル修道院<br /><br /> 《1》聖ロレンソに捧げられたこの王立修道院は正に独特な芸術的偉業である。<br />   この建造物の計画性・形状・目的は突出したものである。<br /><br /> 《2》国家の体質に少なからず合致したエスコリアル修道院は半世紀近くの間スペインに多大な影響を与えた。<br />   バリャドリドの未完のままの巨大な聖母被昇天大聖堂は1580年にフアン=デ=エレーラにより簡素な様式で建造が始められた。<br />   類似の影響はマドリッドにおけるフアン=ゴメス=デ=モラの作品にも認められる。<br /><br /> 《4》王の隠遁地であり典型的な奉納された建造物であるエスコリアル修道院はフェリペ2世の治世の最晩年において、当時の重大な政治権力の逆説的な中心地であった。<br /><br />補足 報告書において《6》の内容は《4》の基準に合致するとして推薦されている。<br /><br />アントニ=ガウディの作品群<br /><br /> 《1》アントニ=ガウディの作品群は19世紀末から20世紀初頭にかけての建築・建造技術の発展への顕著で優れた創造的貢献を象徴している。<br /><br /> 《2》ガウディの作品は彼の生きた時代の文化・芸術の潮流と密接に関連した重要な価値の交流を示しており、カタルーニャ地方のモデルニスモを代表するものである。<br />   これらは20世紀の近代建築の発展に関連した数多くの型や技術に先んじ、影響を与えたものである。<br /><br /> 《4》ガウディの作品は20世紀初期の居住用及び公共の建造物の類型の中の顕著な例とその発展への彼が成した重要で創造的な貢献を表している。<br /><br />アルタミラ洞窟<br /><br /> 《1》その美術的特性の観点から「先史時代のシスティーナ礼拝堂」と称されるアルタミラは、当時の独特な芸術的成果を表している。<br /><br /> 《3》アルタミラは南ヨーロッパのマドレーヌ文化の開化の稀な証拠を有している。<br /><br />【拡大登録】旧石器時代時代の洞窟壁画<br /><br /> 《1》カンタブリア地方のコルニケ(海岸沿いの断崖や山腹の曲がりくねった道)はホモサピエンスの非常に長い歴史上、紛れも無く最初に達成された人類芸術を十分かつ明確に例証している。<br />   それは上部旧石器時代の異なる時期の人類の創造性の才能の証拠を有している。<br /><br /> 《3》推薦物件の総体は10000年以上前に消滅した、人類文明の大昔の段階の顕著で独特な証拠を有している。<br />   それは上部旧石器時代の狩猟採集民族が彼らの人類社会の熟達した芸術的・象徴的・精神的表現を完成した時代である。<br /><br />補足:ICOMOSの評価では《4》も評価されているが、委員会では《1》《3》にて拡大登録が認められた。<br /><br /> 《4》旧石器時代の装飾洞窟群は人類環境の稀な発展の証拠を有している。<br />   最終氷河期の気候変動により人類は発展した穴居へと移り、長期間に渡り保存された洞窟芸術が形成する芸術的・精神的構成要素の生存技術・社会組織を刷新し、20000年以上の間繁栄した新たな文化が誕生した。<br /><br />アストゥリアス王国とオビエドの建造物群<br /><br /> 《1》プレロマネスクのアストゥリアス王国の建築は先キリスト教芸術の変貌ともカロリング朝美術とも違う独自の芸術的成果を表している。<br />   全体的にアーチ形の長堂式の平面を有し、窓間壁の代わりに角柱を用いたこれらの教会群は小アジアの著名な聖域との関連性を見せる西ゴート族やアラブの要素・様式を含む非常に豊かな装飾を有している。<br /><br /> 《2》アストゥリアス王国の建造物群はイベリア半島における中世建築の発展に決定的な影響を与えた。<br /><br /> 《4》オビエド近郊の宮殿や教会はコルドバ王国の絶頂時代の小さなキリスト教国家であったアストゥリアス王国の文明の突出した証を呈している。<br /><br />アビラ旧市街と城壁外の聖堂<br /><br /> 《3》アビラはほぼ完璧な状態で残る中世城塞都市の顕著な例である。<br />   城壁の内外の宗教・世俗建築の密度は都市景観を傑出したものとしている。<br /><br /> 《4》アビラはトレド奪還の直後にカスティーリヤ王国の復興の信念の下で造られた城塞都市の最も知られたものである。<br /><br />セゴビアの旧市街と水道橋<br /><br /> 《1》エレスマ川とクレモレス川の合流により形作られた断崖に聳えるセゴビアは、その美しさや典型的な歴史的重要性において紛れも無く顕著な建造物群を含んでいる。<br />   その中で水道橋・王宮・大聖堂は独自性という必要条件に合致する主要建造物である。<br /><br /> 《3》セゴビアは全体として歴史的事実を暗示する集合体となっている。<br />   その区域や街路・家屋はイスラム教・キリスト教・ユダヤ教という異なる文化的共同体の1つへの帰属により影が投げかけられた階層社会における社会構造に委ねられたものとなっている。<br />   これらは中世の長き時代において共存し、16世紀の製造業の急発展の時代には共に精を出していた。<br /><br /> 《4》セゴビアは幾つもの伝統に基づいた西洋都市の顕著な証拠を呈している。<br />   家屋建築から重大な宗教建造物や軍事建造物まで、造られた環境の全ての構成物件には世界的に見られる建造技術や様式を見出すことが出来る。<br /><br />サンティアゴ・デ・コンポステーラ旧市街<br /><br /> 《1》ロマネスク芸術の傑作として世界に知られる大聖堂周辺にサンティアゴ・デ・コンポステーラはキリスト教の最も重要な聖都の1つとされる貴重な歴史都市を残している。<br /><br /> 《2》ロマネスクとバロックの時代においてサンティアゴの聖域は建築・芸術の発展においてガリシア地方だけでなくイベリア半島北部にまで深い影響を与えた。<br /><br /> 《6》サンティアゴ・デ・コンポステーラは中世史における重要な出来事の1つに関連している。<br />   数百年に渡り北海沿岸やバルト海地域からも巡礼者が巡礼の証であるホタテガイと杖を携え信仰の道であるサンティアゴへの巡礼路を通りガリシアの聖地へと足を運んだ。<br /><br />ガラホナイ国立公園<br /><br /> 《7》ガラホナイ国立公園には希少種と固有種の植物が多く生息しており、豊富な固有種の無脊椎動物の生態や2種の希少な鳥類を見ることが出来る貴重な固有の遺存植物相が存在している。<br /><br /> 《9》ガラホナイ国立公園は国際的に重要な34種の固有植物が生息し、一時は周辺地域で一般的に見られた生態系である月経樹林の生物学的進化の顕著な例となっている。<br /><br />トレド旧市街<br /><br /> 《1》トレドは町全体が独自の芸術的成果を表し、西ゴート族の教会から18世紀初期のバロック建築までの著しい成果の途切れない成功を示している。<br /><br /> 《2》トレドはナルボンヌ地方まで及んだ王国の都であった西ゴート族の支配時代やスペインで最も重要な芸術的中心地の1つとなったルネサンス期の両方に深い影響を与えた。<br /><br /> 《3》トレドは広場に残るものや水道橋・下水道にローマ、ワンバ王の城壁跡・サンタクルス博物館に収められた人工遺物に西ゴート族といった消滅した様々な文明の稀な証拠を有している。<br />   コルドバ王国の文明は破壊されたバーニョ・デ・ラ・カバ橋の橋脚、ビサグラ旧門、トルネリア・モスク、999年に完成された私的礼拝堂ビブ・マルドゥム・モスク、天使の小路、ポゾ・アマルゴ通りといった数々の重要なイスラム芸術の記念碑を建造していった。<br />   また1085年にキリスト教徒に奪回されてからはサンタ・マリア・ラ・ブランカ礼拝堂やトランシト礼拝堂の様な優れたユダヤ教の宗教建造物群が教会と同時期に建てられた。<br />   これらは6世紀に建てられモスクに転用されていた大聖堂の様に元々あったものの上やサン・ロマン教会やサンティアゴ・デル・アラバル教会、サン・ペドロ殉教者教会の様に何もない土地の上に建てられたものである。<br />   その上トレドは城壁やサン・セルバンド城の様な要塞建造物、橋梁、家屋、街路全体といった中世からの建造物群の世界的な見本を有している。<br /><br /> 《4》トレドはサン・フアン・デ・ロス・レイエス聖堂や大聖堂、サン・フアン・バウティスタ病院、サンタクルス病院、ビサグラ新門といった15〜16世紀の建造物の顕著な例を残しており、これらはスペインの黄金時代の宗教・病院・軍事建築に特有の型の完璧な例である。<br />   さらにトレドは西ゴート族とイスラム芸術の構造的・装飾的要素を結合し、13世紀建造のサンティアゴ・デ・アラバル教会、14世紀のムーア人の作業場や太陽の門、15〜16世紀のサンタクルス病院の板張りや大聖堂の参事会室といった続く様式に適応させたムデハル様式の中世に始まるその出現の証拠となっている。<br /><br />カセレス旧市街<br /><br /> 《3》カセレスの町を囲む防壁はムワッヒド朝がスペインに建造した要塞の稀な証拠である。<br />   カセレスの防壁や見張り塔は良好に保存された、1つの文明を示すものである。<br /><br /> 《4》カセレスはその空間構成に著しく影響を与えた要塞家屋・宮殿・見張り塔といった14〜16世紀の内部競合に特徴付けられた都市の顕著な例である。<br />   この実例は中世から古典主義時代までのイスラム芸術・北方ゴシック・イタリアルネサンス・新世界の芸術といった高い多様性や絶え間ない影響の痕跡を有するエストゥレマドゥラ地方のこの都市の歴史的特徴から独特なものである。<br /><br />セビリアの大聖堂とアルカサル、インディアス古文書館<br /><br /> 《1》厳密に計算された外観を持つ風見塔はムワッヒド朝建築の独特な芸術成果を示す傑作である。<br />   大聖堂内部のモスクを改修して造られた5つの身廊はヨーロッパでも最大級のゴシック建築の1つである。<br />   エルナン=ルイスの手による聖堂参事会の楕円形の空間はルネサンス建築の中でも最も美しい建築作品の1つである。<br /><br /> 《2》風見塔は後のスペイン及び国土回復後のアメリカの多くの塔の建設に影響を与えた。<br /><br /> 《3》セビリアの大聖堂と城館はムワッヒド朝文明及び1248年から16世紀までの国土回復運動時代に遡るムーア人の影響に晒され続けたアンダルシア地方のキリスト教文明の稀な証拠である。<br /><br /> 《6》大聖堂と城館・古文書館は1492〜1493年にかけてのコロンブスの新世界発見という普遍的重要性を有する出来事と密接に結びついている。<br />   コロンブスの遺体は大聖堂に安置されており、アドミラルホールではマゼランやエルカノによる地球一周等の歴史上重大な航海計画が練られた。<br />   古文書館にはアメリカへの入植に関する重要な記録が数多く保管されている。<br /><br />サラマンカ旧市街<br /><br /> 《1》1710年にフェリペ5世による公式決定により造られたサラマンカのマヨール広場はバロック芸術の独特な偉業である。<br />   アルベルト=チュリゲラが描き上げた設計図に従って1729年に始められ、途中ニコラス=チュリゲラ・ホセ=ラーラ=チュリゲラの助力も得てアンドレス=ガルシア=キノネスにより1755年に完成された広場は18世紀ヨーロッパの最も重要な都市建造物の1つである。<br /><br /> 《2》マヨール広場、イエズス会神学校、カラトラヴァ大学、サン・アンブロシオ学舎やサン=セバスチャンやサンタクルス=カニサレスの教会群、新大聖堂やサン・エステバン修道院を有するサラマンカはカタルーニャ地方からやって来た建築家、装飾家、彫刻家の集団チュリゲラ一族の芸術の重要な拠点であった。<br />   「チュリゲラ」様式は18世紀、イベリア半島のみならずラテンアメリカの国々にも多大な影響を及ぼした。<br /><br /> 《4》ボローニャ、パリ、オックスフォードのものよりはその創設が遅かったけれども1250年には既に設立されていたサラマンカ大学はヨーロッパの最高学府の1つであり、キリスト教世界における大学施設の多様な機能を例証する賞賛すべき建築遺産を残している。<br />   エストゥディオ病院や大規模〜小規模な学校、15〜18世紀の間に増加した様々な大学を有するサラマンカ大学は、多くの民間・宗教建築により傑出した歴史都市において優れた結合性を有する一群を形成している。<br /><br />ポブレー修道院<br /><br /> 《1》ポブレー修道院は12〜14世紀のシトー会の様式を完璧に表現した独特の芸術的偉業の1つである。<br />   修道院にはダミアン=フォルメントによる縞大理石の衝立を始め、数多くの傑作が納められている。<br /><br /> 《4》ポブレー修道院は明確な適用により全体的に残された建築形態の独特の融合を表している。<br />   ポブレー修道院は大規模な軍事設備として、また王宮や住居・会堂としても機能した最も大きく最も完璧なシトー会修道院の1つとされる。<br />   <br />メリダの考古遺跡<br /><br /> 《3》《4》メリダの建造物群は帝国の繁栄の時代と続く帝国の歴史を物語る、主要なローマ帝国の州都の公共建造物の顕著な例である。<br /><br />サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路<br /><br /> 《2》サンティアゴへの巡礼路は中世におけるイベリア半島とヨーロッパの残りの地域との文化的発展の相互の交流の促進において基礎的な役割を果たした。<br /><br /> 《4》聖地への巡礼は中世ヨーロッパの精神的・文化的生活の重要な一面であり、彼らの通った巡礼路は精神的・物理的に良好に整備されたものであった。<br />   サンティアゴへの巡礼路は大小含めた教会・世俗建築・住居・土木建造物の型の最も完璧な物質的記録を保っている。<br /><br /> 《6》サンティアゴへの巡礼路は中世及びそれ以降のヨーロッパの全ての国・全ての階級の人々の信仰の強さと影響力の顕著な証拠である。<br /><br />グアダルーペの王立修道院<br /><br /> 《4》グアダルーペの修道院は400年にも及ぶ宗教建築複合体の傑出した重要性を有するものである。<br /><br /> 《6》グアダルーペの修道院は1492年の同じ年に起こった世界史上の2つの重要な出来事、イベリア半島からのイスラム勢力の完全な排除・コロンブスによるアメリカ大陸の発見を象徴するものである。<br />   この修道院の著名な聖母像は新世界の大部分のキリスト教化の優れた象徴ともなった。<br /><br />ドニャーナ国立公園<br /><br /> 《7》《10》ドニャーナ国立公園は5種の絶滅が危惧される改良種の生息地と、地中海地域最大のサギの営巣地の1つや50万羽を超える水鳥の越冬地を含み、旧北亜区の渉禽類の渡り路の重要拠点に位置する高い鳥類学的価値を有している。<br /><br /> 《9》ドニャーナ国立公園は海浜・海岸砂丘・沼沢地・河川・池や地中海地域の低木林・マツ林・ビャクシン林・コルクガシ林・オリーブ林の生物の生息域の高度な多様性とそれらの相互作用に顕著で普遍的な価値が見出されるものである。<br /><br />歴史的城塞都市クエンカ<br /><br /> 《2》《5》クエンカは12〜18世紀の宗教・世俗建築を多く持ち、当時のままの都市景観を著しく保つ中世城塞都市の傑出した例である。<br />     またクエンカは立地の田園景観と自然景観を融合させその価値を高めていることにおいても傑出している。<br /><br />バレンシアのラ・ロンハ・デ・ラ・セダ<br /><br /> 《1》《4》バレンシアの絹商品取引所は地中海地域の有力な商都の富と権力をありありと示す、後期ゴシック様式による世俗建築の顕著で普遍的な価値を持つものである。<br /><br />ラス・メドゥラス<br /><br /> 《1》《2》《3》《4》ラス・メドゥラスの金採掘地域はローマ帝国の革新技術の顕著な例が産業・領土内の古代景観の中に優れた度合いで残るものである。<br /><br />バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院<br /><br /> 《1》《2》《4》バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院は20世紀初頭のバルセロナで流行した、想像的かつ華麗なアールヌーヴォーの傑作である。<br /><br />ピレネー山脈<br /><br /> 《3》《4》《5》フランスとスペインに跨るピレネー山脈は風景美と過去に起源を持つ社会・経済構造を兼ね備えた、ヨーロッパでは殆ど見られなくなった山岳地域での生活形態の例証となる文化的景観の顕著なものである。<br /><br /> 《7》《8》ピレネー山脈の深淵な峡谷と圏谷を含む石灰質の断崖は古代の土地構造を示す。<br />     それらは牧草地・湖沼・洞窟・山岳の森林と相まって優美な自然景観を作り上げており、学術的・保護的観点からも高い価値を有している。<br />     <br />サンミリャン・ジュソとスソの修道院<br /><br /> 《2》《4》《6》サンミリャン・デ・ラ・コゴーラ村のジュソとスソの修道院は6世紀から現代までのキリスト教の修道院制度の導入と継続する遺風の優れた証拠である。<br />       この修道院は現行のスペイン語の誕生の地としても顕著な重要性を有している。<br /><br />イベリア半島の地中海沿いの岩絵群<br /><br /> 《3》スペイン東部の地中海沿いの盆地に描かれた先史時代後期の岩絵群は、ヨーロッパに存在する岩絵の中でも最も集中的に広範囲に渡って存在しており、人類の文化的進化の重要な段階における生活形態を示している。<br /><br />アルカラ・デ・エナレスの歴史的大学都市<br /><br /> 《2》アルカラ・デ・エナレスは大学都市として設計され単独で建造された最初の都市であり、後のヨーロッパ・アメリカ地域の学問の中心地となる場所の見本とされた。<br /><br /> 《4》神の都市という理想都市の概念がアルカラ・デ・エナレスにて初めて物質的に表現され、ここから世界中へと広がっていった。<br />   <br /> 《6》アルカラ・デ・エナレスの人類の知的発展への貢献は、神の都市の具現化・ここで行われたスペイン語の定義に少なからぬ前進があった言語学の進展・彼の地の申し子ミゲル=デ=セルバンテス=サアベドラの作品群と傑作「ドン=キホーテ」を通した表現へと結びついていった。<br /><br />イビサ=生物多様性と文化<br /><br /> 《2》イビサの16世紀の要塞はルネサンス期の美学原理や軍事に関する建築・技術の独特の証左であり、このイタリア・スペイン型は特に新世界における城砦建築に影響を与えた。<br /><br /> 《3》サ・カレタのフェニキアの遺跡とプッチュ・デ・モリンスのフェニキア人や古代カルタゴ人の墓地遺跡は地中海西部のフェニキアの植民都市での都市化や社会生活の稀な証拠である。<br />   それらは量や重要性においてフェニキアやカルタゴの墓地から出る資料の独特な収集源となっている。<br /><br /> 《4》イビサの上の町は初期のフェニキア人住居からムスリム・カタルーニャ王国・ルネサンス期の要塞に至るまでの続く時代の痕跡を城壁・都市景観に優れた形で残す要塞都市の素晴らしい例である。<br />   防御壁の建造は初期の姿や街路構造を破壊せずに長期に渡って進められたが、最終段階において全てが1つにまとめられた。<br /><br /> 《9》イビサの海岸線の発達はポシドニアが海床部と海洋部の生態系の相互作用に影響を与えていることの優れた一例である。<br /><br /> 《10》海洋生物の多様性を有し支えるポシドニアは地中海において絶滅の危機にあるが、イビサにおいては良好な保護下にある。<br /><br />サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナ<br /><br /> 《2》《4》サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナは城砦化されていない最初の植民都市であり、その都市景観はアメリカ大陸の多くの植民都市の見本になった。<br /><br />タラゴナの考古遺跡<br /><br /> 《2》タラゴナのローマ遺跡はローマ帝国の都市計画の発展の傑出した重要性を有し、ローマ世界の州都の見本とされた。<br /><br /> 《3》タラゴナは古代の地中海地域の歴史の重要な段階を雄弁に物語る、他に類のないものである。<br /><br />アタプエルカの考古遺跡<br /><br /> 《3》ヨーロッパの人類の最も早く、最も豊富な証拠がアタプエルカ山脈の洞窟で見つかった。<br /> <br />《5》アタプエルカの化石遺構はヨーロッパの初期人類社会の生活形態と実質に関する情報の優れた宝庫である。<br /><br />ボイ渓谷のカタルーニャ風ロマネスク様式教会群<br /><br /> 《2》ボイ渓谷でのロマネスク様式の芸術と建築の重要な発展は特にピレネー山脈を跨いだ中世ヨーロッパの深い文化交流の証左である。<br /><br /> 《4》ボイ渓谷の教会群は田園景観の中にそのままに残るロマネスク芸術の特に純粋で疑う余地のない例の1つである。<br /><br />エルチェの椰子園<br /><br /> 《2》エルチェの椰子園は北アフリカからヨーロッパへ、1つの文化が大陸を越えたことによる特徴的な景観の移動の顕著な例を表している。<br /><br /> 《5》椰子林及び椰子園は北アフリカの代表的な特徴であり、イスラム勢力がイベリア半島の大部分を支配していた頃にヨーロッパへともたらされ、現在まで残っている。<br />   古代の灌漑設備は現在でも機能しており、格別な重要性を有している。<br /><br />ルーゴのローマ時代の城壁<br /><br /> 《4》ルーゴのローマ時代の城壁はローマ帝国後期の軍事城壁の最も良好な状態で残る例である。<br /><br />アランフェスの文化的景観<br /><br /> 《2》アランフェスは多様な文化が1つになって新たな文化的景観を生み出したものであり、この分野の発展の形成に影響を与えた。<br /><br /> 《4》アランフェスの複雑に設計された文化的景観は幾つもの要素から成り立っており、景観設計の発展における重要な発展段階を示している。<br /><br />ウベダとバエサのルネサンス様式建造物群<br /><br /> 《2》ウベダとバエサの16世紀の建築と都市設計はスペインにルネサンスの思想を伝える役割を果たした。<br />   アンドレア=ヴァンデルヴィラの著書を通してこれらの例はラテンアメリカへ広まっていった。<br /><br /> 《4》ウベダとバエサの中心部は16世紀初期のスペインのルネサンス様式の市民建築と都市計画の顕著な初期の例である。<br /><br />ヴィスカヤ橋<br /><br /> 《1》ヴィスカヤ橋は形状・機能間の全体的な均衡の取れた関係性を反映する技術的創造性の傑出した表現の1つであり、河口部に劇的で美的に優れた要素を加味している。<br /><br /> 《2》新たな鋼索による懸架型輸送機械の発達と鉄の実用的技術の融合を通してヴィスカヤ橋は、建造後30年を超える世界中の橋梁の発展に影響を与えフランスやスペインの諸技術を発信した新たな建造物の型を生み出した。<br /><br />テイデ国立公園<br /><br /> 《7》テイデ山はラス・カニャーダスの裂目が入った急斜面とテネリフェ島を世界で3番目に高い火山体構造とする中央火山に影響を受けた際立った火山景観である。<br />   この景観には火山体の形成・変形の様々な段階を明らかにし、その独自の地理学的多様性を強調する至上の地形が揃っている。<br />   さらには景観の性格や雰囲気の絶え間無い変化や山岳に印象的な背景を添える雲海を生み出す大気環境が視覚的衝撃を強調している。<br /><br /> 《8》テイデ国立公園は相対的に古く・遅く・地質学的に複雑で成熟期に入った火山系の優れた例であり、海洋島の発達を実証する地質学的過程の多様な証拠を呈することから国際的重要性を有しており、その価値はハワイ国立公園等の世界遺産リスト登録の火山関連の諸物件を補完するものである。<br />   テイデ国立公園は比較的限定された地域における訪れ易い火山の特徴・景観の集合体である。<br />   この地域はテイデ山を火山学史上重要な地とした、特にフォン=フンボルト・フォン=ブーフ・ライエルの業績を通した地質学・地形学上の影響の長い歴史の国際的調査の主要拠点である。<br />   <br />ヘラクレスの塔<br /><br /> 《3》ヘラクレスの塔は古代における塔台使用を証明している。<br />   塔はローマ人により最初に組織されてからの大西洋航路の継続の証拠でもあり、中世の大部分を通じ近現代における飛躍的な発展へと繋がっていった。<br /><br />【スウェーデン】<br /><br />ドロットニングホルムの王領地<br /><br /> 《4》ドロットニングホルムの城館・劇場・中国茶亭・庭園の複合体は18世紀にスウェーデンで建造された王宮の最も優れた例であり、西・中・北欧の王宮建設に及んだヴェルサイユ宮殿の影響を受け継いだ当時の全てのヨーロッパ建築の典型である。<br /><br />ビルカとホーヴゴーデン<br /><br /> 《3》ビルカとホーヴゴーデンは経済的・政治的拡張が起こった200年間にバイキングが確立した広範囲に及ぶ交易網の抜きん出て良好に保存された証拠を有している。<br /><br /> 《4》ビルカは8〜10世紀のバイキングの交易用集落の最も完璧に残る実例の1つである。<br /><br />エンゲルスバーリ製鉄所<br /><br /> 《4》エンゲルスバーリは重要な技術遺産や管理棟・労働者の住居を現在まで残す、17〜19世紀のヨーロッパに影響を及ぼした産業複合体の顕著な例である。<br /><br />ターヌムの岩絵<br /><br /> 《1》ターヌムの岩絵は高い質を誇る青銅器時代の芸術の顕著な例となっている。<br /><br /> 《3》ターヌムの岩絵の主題はヨーロッパの青銅器時代の生活様式の稀な証拠を示している。<br /><br /> 《4》ターヌムの岩絵・考古遺跡・現代の景観の特徴に示される入植の継続性と土地利用の一貫性はこの地を人類史の8000年を超える継続性の顕著な例としている。<br /><br />スコーグスシュルコゴーデン<br /><br /> 《2》スコーグスシュルコゴーデンでのアスプルンドとレーヴェレンツの創造は世界中の墓地設計に深い影響を及ぼした墓地の新たな形態を立ち上げた。<br /><br /> 《4》スコーグスシュルコゴーデンは地形と自然植生を建築的特徴と混合させ、墓地としての設計目的に理想的に適合させた景観を創り上げた、意匠された文化的景観の大成功の実例である。<br /><br />補足 ICOMOSの報告書では《1》《2》での推薦となっている。<br /><br />ヴィスビー<br /><br /> 《4》《5》ヴィスビーは重要な人類集落の類型の形態・機能を生き生きと示す、都市景観と高い価値を持つ古代建造物群を極めて完璧に残す北欧の中世城塞交易都市の顕著な例である。<br /><br />ルーレオのガンメルスタード<br /><br /> 《2》《4》《5》ルーレオのガンメルスタードはスカンジナビア半島北部の伝統的教会村として顕著な例であり、厳しい自然環境の特殊な地理・気候条件への伝統的な都市設計の適応を見事に例証している。<br /><br />サーミ人地域<br /><br /> 《3》《5》先史時代からサーミ人の土地であったこの地は人類の経済的・社会的発展の初期の段階に遡り一時は広範囲に及んだ慣習で、大規模なトナカイの群れによる夏季の放牧に関連した季節移動が行われる地域の最後の1つで間違いなく最大で最良の保存状態を誇る例である。<br /><br /> 《7》《8》《9》サーミ人地域は進行しつつある地質学的・生物学的・生態学的過程の実例や優れた美的要素を有する多様な自然現象、ヒグマの個体群や高山植物相を含む重要な生物多様性を内包している。<br /><br />カールスクローナの海軍港<br /><br /> 《2》カールスクローナは他国において既に設立されていたものに由来する要素を組み入れたヨーロッパの計画的海軍都市であり、類似機能を有する後の都市の見本となった。<br /><br /> 《4》海軍基地は海軍力がヨーロッパの現実政策を決定するとされた数百年において重要な役割を果たし、カールスクローナは現存するものの中でも最良の状態で保存された最も完璧なものである。<br /><br />エーランド島南部の農業景観<br /><br /> 《4》エーランド島南部の景観は地形・地勢の物理的制約にうまく適応させた、その長い文化史において形作られていった形態を見せるものである。<br /><br /> 《5》エーランド島南部は単一の島における多様な景観の型の最適な利用が成された人類居住地の顕著な例である。<br /><br />ハイ・コースト/クヴァルケン諸島<br /><br /> 《8》ハイ・コーストは氷床の退氷後に地表の隆起が起きている場所の1つであり、その合計は294mにも昇り、他を遙かに凌いでいる。<br />   ここは地殻均衡説の調査の1つの型を示す場所であり、この現象はここで始めて認識され研究された。<br />   5600の島々と周辺海域を含むクヴァルケン諸島は2つの理由から傑出した地質学的価値を有している。<br />   1つはクヴァルケン諸島が世界で最も高い比率での急速な退氷後の隆起を見せる場所であり、その隆起が現在も進行中で氷河期以降の水域の主要な変化に関連していること、もう1つはこの地域の氷河景観の特徴に多様性を加え、ハイ・コーストの登録に際して前述の正当性を強めるものとなるデ・グレアー氷堆石の様な氷河の堆積作用を受けた地形の特徴的な一群を有していることである。<br />   ハイ・コーストとクヴァルケン諸島は大陸氷床の融解に対する地殻反応の過程を理解する上で重要な地域である。<br />   <br />ファールンの大銅山採掘地域<br /><br /> 《2》ドイツの技術の影響を受けたファールンの銅鉱山は17世紀には主要な銅の生産地になり、200年間に渡り世界の諸地域の採掘技術に深い影響を与えた。<br /><br /> 《3》ファールンの景観は9世紀の早きに開かれ20世紀に閉山を迎えるまで続いた銅の採掘・生産の遺構に著しい影響を受けた。<br /><br /> 《5》ファールン地域での銅工業の“家内工業”の形態から完全工業生産になるまでの経済・社会発展の連続する段階は、この産業を特徴付ける現存する豊富な産業・都市遺構や家屋群に見ることが出来る。<br /><br />ヴァールベリの無線電信局<br /><br /> 《2》グリムトン地区のヴァールベリの無線電信局は第一次世界大戦以後の時代の通信技術の発展段階を示す顕著な記念建造物である。<br /><br /> 《4》ヴァールベリの無線電信局は1920年代始めの技術的成果を表し、その後30年程の急速な発展を記録する通信基地の飛び抜けて良好に保存された例である。<br /><br />ミュスタイルのベネディクト会修道院<br /><br /> 《3》ミュスタイルの聖ヨハネ修道院はカロリング朝時代および中世初期の修道院建築の最も密集した例である。<br />   この修道院の壁画は「最後の審判」の様な特定のキリスト教の象徴的表現形式の主題の発展の理解において特に重要である。<br /><br />補足 明確な適応理由は不明。報告書から適応しそうな箇所を結びつけたものである。<br />  <br />ザンクト・ガレンの修道院<br /><br /> 《2》基準寸法の建築原則に基づいたザンクト・ガレン修道院の平面の規範的価値に関しては議論の余地があるが、ゴスベルトの修道院はアーヘン公会議後の修道院建築の発展に多大な影響を与えたことが明白である。<br /><br /> 《4》ザンクト・ガレン修道院は豪華な図書館と写本室を備え芸術と学問の中心とされた広大なベネディクト会修道院の代表例とされる。<br />   修道院の空間の続く改築はその発達中の宗教的・文化的機能を証明している。<br /><br />ベルン旧市街<br /><br /> 《3》ベルン旧市街は中世の都市性の典型的な例である。<br /><br />補足 報告書では審議延期が勧告されており明確な適応理由は不明。報告書から適応しそうな文を抜き出したものである。<br /><br />ベリンツォーナの3つの城塞<br /><br /> 《4》ベリンツォーナの城塞群は戦略上重要とされたアルプス越えの街道を押さえていた中世後期の防御建造物の顕著な例である。<br /><br />ユングフラウ・アレッチ・ビエッチホルン<br /><br /> 《7》ユングフラウ・アレッチ・ビエッチホルンの印象的な景観はヨーロッパの文学・芸術・登山・高山観光に重要な役割を果たし、この地域の美的要素は世界中の常連を魅了し国際的な山岳景勝地の1つと認められている。<br />   ハイ・アルプスの印象的な北壁は至上の風景美を見せ、高山分水嶺南部においては地殻変動と氷河の浸食により壮観な峰々とユーラシア大陸西部最長の2つの氷河を育む渓谷体系をつくり上げている。<br /><br /> 《8》ユングフラウ・アレッチ・ビエッチホルン地域は2000〜4000万年前の地質学的年代区分における第3紀の隆起と圧縮によるハイ・アルプスの形成の顕著な例である。<br />   標高900〜4274m間においてこの地域にはアフリカプレートの北方への漂移による時代の若いこの地域原産の石灰岩の堆積物の上に、4億年前の時代の古い結晶岩が乗り上げた衝上断層が見られる。<br />   また、この地域では山岳形成の過程における数多くの地形学的・氷河学的特徴が見られ、U字谷や圏谷・氷食尖峰・氷食谷・氷堆石を大量に有している。<br />   同地域はアルプス山脈で最も氷河作用を受けた地域であると共にユーラシア大陸西部最大・最長のアレッチ氷河と繋がっており、それ故氷河の歴史・進行中の特に気候変動に関連した過程において重要な学術的価値を有している。<br />   <br /> 《9》ユングフラウ・アレッチ・ビエッチホルン地域はその高山帯や乾燥した南部・湿潤な西部の露出面に高山帯・亜高山帯の幅広い生物の生息地が存在している。<br />   結晶岩・炭酸塩岩の2つの主要な基質には重要な人類の介入が存在しなかった為に様々な生態系が発達してきたものであり、アレッチ森林の特徴的な高域・低域の高木限界を含む生物学的遷移の上質な例が存在している。<br />   地球規模での気候変動の現象は特にこの地域に良く示されており、異なる氷河の後退率の変動や進行中の地質学的遷移の新基質に表れている。<br /><br />サン・ジョルジョ山<br /><br /> 《8》サン・ジョルジョ山は三畳紀の海洋生物の記録や重要な陸生動物の化石を良く残すものである。<br />   この地域では数多くの多様な化石が発掘され、傑出した完全性と細密な保護を誇っている。<br />   この地域の研究の長期に渡る歴史と資料の厳密な保護により、傑出した特性を持つ標本が目録に収められ、地質学関連の文献の基準となっている。<br />   その結果、サン・ジョルジョ山は世界中の三畳紀の海洋生物の化石のこれからの発掘に関連した重要な参照地となっている。<br /><br />ラヴォーの葡萄園段丘<br /><br /> 《3》ラヴォーの葡萄園景観はその土地特有の長期間続く文化的伝統の継続と発展を示す良好な保存状態の景観・建造物を通して、1000年にも及ぶ発達と発展を目にも鮮やかな面に示している。<br /><br /> 《4》大地の上に証拠付けられたラヴォーの葡萄園景観の発展は、ローザンヌ地域の発展に実質的に貢献し地政文化地域の歴史に重要な役割を果たした、この高い価値のワイン生産地域の庇護・統治・保護の歴史を生き生きと示している。<br /><br /> 《5》ラヴォーの葡萄園景観は、地方経済の重要な一面であった高い価値のワイン生産の為、土地の資源を最大限利用した非常に特殊で生産的な手法における人と環境との数百年の相互作用を示す顕著な例である。<br />   急激に成長する都市社会への直面によるその脆弱性は地方社会に強く支えられた保護政策を促した。<br /><br />アルブラ線/ベルニナ線のレーティッシュ鉄道の景観<br /><br /> 《2》アルブラ線・ベルニナ線のレーティッシュ鉄道は顕著な技術的・建築的・環境的総体を構成している。<br />   今日では単一のアルプス横断路線に統合されている2つの路線は、その建築的・土木工学的偉業及び路線の景観との美的調和により、山岳鉄道技術の発展における重要な人間的・文化的価値の交流の証拠を有する非常に包括的で多角的な革新的解決策の数々を実現している。<br /><br /> 《4》アルブラ線・ベルニナ線のレーティッシュ鉄道は20世紀最初の10年間における標高の高い地域での山岳鉄道の発展の非常に重要な例証である。<br />   それは山岳での長期間の人類活動の発展になった、重大な価値を有するこの上ない例を表しており、この時代の人類と自然の関係の繁栄に重要である鉄道との連結により変化に富む景観を呈している。<br /><br />スイス・サルドナの地殻構造境界<br /><br /> 《8》スイス・サルドナの地殻構造境界は山岳形成の地殻構造の優れた例を呈しており、18世紀以降、地質学における重要な地として認識されている。<br />   グラールス衝上断層の明確な露出面は要所ではあるが、ここのみでは重要な特徴とは言えなかった。<br />   この特徴に上下する岩石の露出は3つの側面に視認出来、それを伴って山岳形成の地殻構造の理解に実質的に貢献するものとなっている。<br />   詳細な国際規模での比較分析により、この資産は顕著で普遍的な価値を有すると認められる非常に数少ない場所の1つであり、その地質的特徴は全ての訪問者により容易に鑑賞できるものである。<br />   同資産は山岳の環境における現象の明確な露出・その研究史・現在も続く地学への貢献の組合せにより、他の類似地域とは区別される。<br /><br />ラ・ショー・ド・フォン/ル・ロックルの時計製造の都市計画<br /><br /> 《4》ラ・ショー・ド・フォンとル・ロックルは18世紀より現在まで、時計製造を中心とした都市と建築の独特な総体を形成している。<br />   時計製造の作業場と生活空間は非常に密接な関係にあり、共存している。<br />   都市空間の合理的・実用的かつ開放的な計画性はこの単一産業の持続的発展に寄与し、手工業都市と呼ばれるまでに発展させた。<br /><br />アルプス周辺の湖畔住居群遺跡<br /><br /> 《3》湖畔住居遺跡群は紀元前5000〜500年頃の欧州における初期農業社会の研究に最も重要な考古資料の1つである。<br />   常識的知識において欧州の新石器時代と青銅器時代の重要な変化と特にアルプス周辺地域の相互作用の理解に顕著な貢献をなす有機物が浸水という状況により保存されてきた。<br /><br /> 《5》湖畔住居遺跡群はほぼ5000年を超える欧州人の高山・亜高山地域における先史時代の湖畔での初期農業社会の住居や内部調整に極めて詳細な洞察が可能である。  <br />   露わになった考古学的証拠により新技術や気候変動の影響への対応における環境と相互に影響したこれら社会の道程の独自の理解が可能となっている。<br />   <br />【キプロス】<br /><br />パフォス<br /><br /> 《3》《6》その古代における重要性と、ホメロスの叙事詩の下で愛と美の理想とされ、多くの文筆家・詩人を触発した女神アフロディーテと密接に関係していることは顕著で普遍的である。<br /><br />トロードス地方の壁画教会群<br /><br /> 《2》12世紀においてキプロスと西洋キリスト教の美術は密接な関係にあった。<br />   ここにはその2つのキリスト教社会に繋がりがあったことを示し、フランク王国に先立って東洋と西洋の美術交流の基礎的役割を果たした。<br /><br /> 《3》この教会群の壁画はビザンツ帝国コムネノス王朝時代の文明を示す顕著な例である。<br />   <br /> 《4》トロードス地方の教会群はビザンツ帝国時代の地方宗教建築の良好に保存された例である。<br />   田舎風の様式を持つ帝国後期の画家によりこれらの地方建築と調和が取れた作品が描かれている。<br /><br />ヒロキティア<br /><br /> 《2》先史時代においてキプロスは中東からヨーロッパ世界への文化伝達に重要な役割を果たした。<br /><br /> 《3》ヒロキティアはアジアから地中海世界への文明の拡散への高い重要性を有する学術的な情報を今までも、そしてこれからも提供するであろう極めて良好に保存された考古遺跡である。<br /><br /> 《4》未発掘の部分も合わせてヒロキティアは地中海地域および周辺地域における最初の都市型集落の起源をはっきりと示している。<br /><br />【デンマーク】<br /><br />イェリング墳墓と教会<br /><br /> 《3》イェリングの建造物、特に原始宗教時代の墳墓と2つのルーン文字石碑は先キリスト教時代の北欧文化の顕著な例である。<br /><br />ロスキレ大聖堂<br /><br /> 《2》《4》ロスキレ大聖堂は北欧の初期の頃のレンガ製の主要な教会建築であり、この地域一帯の同様の目的でのレンガの使用の広まりに深い影響を与えた。<br />     その形態と時代背景においてロスキレ大聖堂は、特にここがデンマーク王家の霊廟として使用された数百年の間に付け加えられた門や付属礼拝堂などに採用された続く時代の建築様式が特筆すべきものである、北欧の大聖堂建築の顕著な例である。<br /><br />クロンボー城<br /><br /> 《4》クロンボー城はルネサンス様式の城として顕著な例であり、北欧のこの地域の歴史において非常に重要な役割を果たした。<br /><br />イルリサット・アイスフィヨルド<br /><br /> 《7》巨大な氷床と急速な氷河移動が合わさって作られた氷河に覆われたフィヨルドはグリーンランド及び南極でのみ見られる現象であり、イルリサットでは氷河が滝の様に流れ落ち、フィヨルドを繋ぐ様を間近で観察することが出来る。<br />   氷河の移動の際に生み出される劇的な音を伴う岩石・氷・海の野趣溢れる高度な風景美は顕著な自然の壮大さを見せるものである。<br /><br /> 《8》イルリサット・アイスフィヨルドは第4紀の最終氷河期の頃の地球の歴史の段階の顕著な例である。<br />   氷河は世界でも有数の速さを誇り、年毎に出る35k?を超える氷塊は南極のどの氷河よりも多くグリーンランド全体で生み出されるものの10%にも達する。<br />   250年の間ここは科学の目が向けられ、氷原雪氷学や気候変動、関連する地形過程の研究にとって重要である。<br /><br />【アイスランド】<br />   <br />シンクヴェトリル国立公園<br /><br /> 《3》アルシングが行われた場所と関係するシンクヴェトリル国立公園は民主集会が行われたことを示す集会所跡及びそれらが確立された時代に遡ることの出来る集落跡を通して、中世の北方・ゲルマン文化を反映した特有のものであり、980年の創設から18世紀に至るまでその本質が存続してきたものである。<br /><br /> 《6》この集会所跡の力強い自然景観は12世紀の「サガ」を通して知られ、19世紀の独立闘争において強化された中世のゲルマン・バイキングらの統治法であるアルシングとの強い関連性の誇りは、集会所跡の力強い自然環境と共にこの地を象徴的価値を有する国家的な聖地たらしめている。<br /><br />スルセイ島<br /><br /> 《9》スルセイ島は1963〜67年の間に新たな火山島として誕生して以来、遷移・定着の研究において重要な役割を果たしてきた。<br />   この地は動植物・海洋有機体による陸地への定着の過程の独特な科学的記録を提供するとして、原初の遷移における世界規模での研究が長期間行われている数少ない場所の1つである。<br />   そこはまた地理的に孤立しているだけでなく誕生以来、法的に保護されており、人類活動の影響を受けていない原始的な自然の研究所を世界に提供している。<br />   以上のことから、その保護の継続性によりスルセイ島は未来に渡って続く生物学的定着における計り知れないほど価値のある資料を提供し続けるとされる。<br /><br />【アイルランド】<br /><br />ボイン渓谷の建造物群<br /><br /> 《1》ボイン渓谷の遺跡はヨーロッパにおける先史時代の巨石造形芸術の最大かつ最も重要な表現を表している。<br /><br /> 《3》この重要な儀式の中心地における社会・経済・埋葬関連の建造物群の集中と先史時代〜中世後期の長期に及ぶ継続によりこの地はヨーロッパにおける最も重要な考古遺跡の1つとなっている。<br /><br /> 《4》高度な表現がもたらされたこの地の新石器時代後期の巨石墓室は先史時代のヨーロッパおよび周辺地域において顕著な重要性を有する特徴となった。<br /><br />スケリグ=マイケル<br /><br /> 《3》《4》スケリグ=マイケルは特殊な環境により残った、海洋の三角岩に意図的に造営された初期の宗教的入植地の様々な点において独特で稀な例である。<br />     スケリグ=マイケルは他地域には示されない、北アフリカ・中東・ヨーロッパの大部分を特徴付けるキリスト教の禁欲生活の極端な例を例証している。<br /><br />【イスラエル】<br /><br />マサダ<br /><br /> 《3》マサダはイスラエルの古代のユダヤ人の王国と1世紀後半の凄まじい破壊及びその後のユダヤ人の離散の象徴である。<br /><br /> 《4》マサダのヘロデ大王の宮殿跡はローマ帝国初期の時代の豪奢な別荘の顕著な例であり、それらの建造物を取り囲む兵士の宿舎や城塞跡は現在まで残った最も良好で完璧なローマ帝国の包囲攻撃用の要塞である。<br /><br /> 《6》マサダの要塞や宮殿に立て篭もったユダヤ人亡命者の最後の時代における戦略的出来事はこの地をユダヤ人の文化的独自性及び、より普遍的には人類の圧制と自由の間の闘争の継続の象徴としている。<br /><br />アッコ旧市街<br /><br /> 《2》アッコは18〜19世紀に遡る既存のイスラム教の要塞都市の真下に中世の十字軍の建造物の遺構が保存されている優れた歴史都市である。<br /><br /> 《3》既存の街路の上下に残るアッコの十字軍都市の遺構は中世十字軍のエルサレム王国の都の設計・構造の稀な具現となっている。<br /><br /> 《5》現在のアッコは良好に保存され、一部のものは基礎を成す十字軍の建造物の上に建てられた城塞・モスク・隊商宿・公衆浴場を有するオスマン=トルコの城塞都市の重要な例である。<br /><br />テルアビヴの白亜の建築群―近代建築運動―<br /><br /> 《2》テルアビヴの白亜の都市は20世紀初期の建築・都市計画における近代運動の様々な流行の顕著な重要性を統合したものである。<br />   それらの影響はその地の文化的・気候的条件に適合させられ、土地の伝統と組み合わされた。<br /><br /> 《4》テルアビヴの新都市は特定の文化的・地理的背景の必要性に適合させたことによる20世紀初期の新たな都市計画・建築の顕著な例となっている。<br /><br />聖書時代の遺跡丘―メギド・ハツォール・ベエルシェバ―<br /><br /> 《2》3つの遺跡丘は広大な範囲の交易路と他国家間の連合を通して築かれた古代中東地域全体の人間的価値の交流を表しており、エジプト・シリア・エーゲ海地域の建築様式の混成により独特なその地方特有の様式を生み出した建築様式に明らかである。<br /><br /> 《3》3つの遺跡丘は都市計画・要塞・宮殿・灌漑技術の創造性の表現に明らかである、既に消滅した青銅器時代のカナン諸都市と鉄器時代の旧約聖書に記された都市群の文明の証拠である。<br /><br /> 《4》聖書時代の都市群は聖書の物語を通して後の歴史に多大な影響を及ぼした。<br /><br /> 《6》3つの遺跡丘は聖書における各々の記述を通して顕著で普遍的な価値を有する宗教的・精神的証拠となっている。<br /><br />ネゲヴの砂漠都市群<br /><br /> 《3》ナバテア王国の都市群と交易路はヘレニズム・ローマ世界に対する香料の経済的・社会的・文化的重要性を雄弁に物語るものである。<br />   その交易路は香料やその他の交易品だけでなく民族や思想が行き交う手段ともなった。<br /><br /> 《5》ネゲヴ砂漠の交易路沿いに一列に並ぶ殆ど化石化してしまった都市・城壁・隊商宿・洗練された農業施設の遺構は苛酷な砂漠環境に対する優れた対策及びそれらが500年に渡り繁栄した事を示している。<br /><br />ハイファとガリラヤ地方西部のバハーイー教の聖地<br /><br /> 《3》バハーイー信仰の最も神聖な地として毎年世界中から数千の巡礼者が訪れるバハーウッラー聖廟とバーブ聖廟はバハーイー教巡礼の強固な文化的伝統の稀な証拠を提示しており、力強い伝達者である。<br /><br /> 《6》2つのバハーイー教の聖所は世界の宗教の1つに多大な意義を有することが明白な場所である。<br /><br />エルサレム旧市街<br /><br /> 《2》エルサレム旧市街にはキリスト教・イスラム教の宗教建築に多大な影響を与えた聖墳墓教会や岩のドームの様な重要な建造物群が点在している。<br /><br /> 《3》先史時代から居住が続いてきたエルサレムの遺跡はエブス人(紀元前3000〜紀元前1000)・古代イスラエル人(ダビデ王の時代〜70年のティトゥスの包囲攻撃)・ローマ帝国(アエリア・カピトリーナと改名され東部の最も重要な入植地となった135年)・ビザンツ帝国及びアラブ人とキリスト教徒の共存(638〜1099)や西洋人の追放劇(1244)・スレイマン大帝の治世下で最盛期を迎えたトルコ人統治により特徴付けられた連続する中世の文明といった幾つもの消滅した文明の稀な証拠を示している。<br /><br /> 《6》エルサレムは人類の3つの重要な一神教であるユダヤ教・キリスト教・イスラム教の歴史に直接的・実質的に関わっている。<br /><br />【マルタ】<br /><br />ヴァレッタ旧市街<br /><br /> 《1》ヴァレッタ旧市街は新プラトン主義の哲理に触発された均一の都市平面及び選定された立地の自然地域と任意に嵌植された重要な記念碑の周囲に組織された堡塁を有する後期ルネサンスの特に優れた理想的創造作品である。<br /> <br /> 《6》ヴァレッタは軍事史及び1566年にこの都市を創設し、以後250年間維持してきたエルサレムの聖ヨハネ慈善騎士団の歴史に取り消し得ない結びつきがある。<br />   それ故ヴァレッタは近代ヨーロッパの最も偉大な軍事的・倫理的部隊の1つの歴史と関係している。<br /><br />ハル=サフリエニ地下墳墓<br /><br /> 《3》ハル=サフリエニ地下墳墓は紀元前2500年ごろまで遡る地中海地域の青銅器時代の建造物の唯一知られる例であり、その建築的特性と注目すべき保存状態から極めて重要な先史時代の記念碑となっている。<br /><br />補足 明確な適応理由は不明。報告書から適宜抜き出したものである。<br /><br />マルタの巨石神殿群<br /><br /> 《4》マルタの巨石神殿群は文化的・芸術的・技術的分野における主要な発展を表す構造物の最も典型的な例を構成している。<br /><br />【ノルウェー】<br /><br />ブリュッゲン<br /><br /> 《3》1702年の火災後に再建された現在の姿において、調和の取れた古の街であるブリュッゲンはハンザ商人達の居住地区における空間使用を例証している。<br />   この地区はリューベックやノヴゴロドでさえ及ばない北方の“フォンダコ(商館)”の典型である。<br /><br />ウルネスのスターヴ教会<br /><br /> 《1》《2》《3》フィヨルドの自然景観の中で特別な様相を見せるスターヴ教会はスカンディナヴィア半島の伝統的木造建築の顕著な例である。<br />       この木造教会にはケルト美術・バイキングの伝統・ロマネスク様式の空間構造の足跡を辿ることが出来る。  <br /><br />補足 明確な登録理由は不明。概略を要約したものである。<br /><br />鉱山都市レーロース<br /><br /> 《3》1644年、レーロースの山で銅鉱が発見されてから採掘が終焉を迎えた1977年までドイツの採掘技術を起点としてドイツ人・デンマーク人・スウェーデン人・ノルウェーの移民を雇うことで遠隔で人口希薄な地域で価値ある銅を取り出す独特な文化が発展した。<br />   今日ではこの地域では採掘作業は行われていないがレーロースの鉱山都市と採掘・精錬所・輸送・水力管理の足跡は自然環境と立地の遠隔性の必要性への技術の適応の独特な証拠を有している。<br /><br /> 《4》レーロース都市景観と関連する産業・田園景観は都市環境の中にそれらと連結した産業活動と家庭・農業の宿泊施設を伴うことで、過酷な環境で生活していかなければなかった人々がどのように適応したか、また住まいの提供・生計を立てる食糧の生産・富国への貢献に使用可能な土地の資源をいかに使ったかを顕著に例証している。<br />   技術的にそれらの建造物や設備は過酷な環境への対応の社会的重要性に同時に便宜を図り採掘と農業の近接した慣習を機能的に満たす調達可能な土地の物資の使用を通して発展した。<br />   <br /> 《5》レーロースの鉱山都市と周辺環境は伝統的な集落と土地利用の顕著な例である総体を構成している。<br />   この地域で行われた様々な活動は結合した相互依存の単一体を形成している。<br />   これらの活動は鉱山と鉱山都市が厳しい気候の過酷な環境において可能であることの限界点に接する、複雑で時に影響を受けやすい組織としてどのように機能したかの独特な具現を提供する文化的景観を形成した。<br /><br />アルタの岩絵<br /><br /> 《3》アルタの岩絵は先史時代に極北の地で人類の営みが行われていたことの重要な証拠の1つである。<br /><br />ヴェガオヤン―ヴェガ群島ー<br /><br /> 《5》ヴェガ群島は何世代もの漁民・農民ら

    【スペイン】

    グラナダのアルハンブラ宮殿・ヘネラリーフェ・アルバイシン地区

     《1》《3》《4》グラナダのアルハンブラ宮殿とヘネラリーフェは独特な芸術的偉業であり、16世紀のムスリム・スペインの稀な証拠を有している。
           これらはマグレブ・マシュリク両地方の大部分の建造物のように破壊されることも徹底的な修復により変質してしまう事も無かった中世のアラブ人の王宮の極めて重要な例であり、アルハンブラ宮殿とヘネラリーフェは時代の移り変わりから逃れてきた姿を見せている。
           キリスト教徒の奪回後の発展にも関わらず、アルバイシン地区はその都市構造・建築・主要な特徴(形状・建材・色彩)を変えぬままキリスト教徒の生活様式に順応させた外観により中世のムーア人社会の証拠を残し続けている。

    補足 報告書ではアルバイシン地区の《5》での登録も勧告されている。

     《5》アルバイシン地区は現在も住宅地であるだけでなく、伝統的なアンダルシア建築と協和的に混成したムーア様式の地方建築の宝庫である。
       世俗建築の主要部は中世のムーア人都市のそれである当初の都市構造に合併されていった。

    ブルゴス大聖堂

     《2》ブルゴス大聖堂は様々な時代の建築・彫刻芸術の発展に多大な影響を与えてきた。
       特に、13世紀のフランスのゴシック芸術の型のスペインへの伝播における役割、ラインラント・ブルゴーニュ・フランドル地方からの芸術家達がスペインの建築家・彫刻家を訓練したことにより中世末期に最も繁栄した芸術一派の1つを造り上げた15〜16世紀の工房の国際的重要性、フランス人建築家ガルニエがディエゴ=デ=シロエによる階段に想を得てパリのオペラ座の階段を造り上げた19世紀全体の見本としての役割の3つにおいて重要である。

     《4》ブルゴス大聖堂は教会部分・回廊・別館を備えたゴシック様式大聖堂として優れた例である。
       400年以上に渡り増築が続けられた大聖堂は建築家・彫刻家・職人らの創造的才能の証を有している。

     《6》スペインの英雄エル=シドとその夫人ヒメナの墓を持つブルゴス大聖堂は国土回復運動とスペイン統一の歴史に完全に関係している。
       初期のカスティーリャ王家の一族の遺体は主祭壇の下に納められている。
       聖フェルディナントの名声はこのスペイン王室の象徴的建造物の建設と結びついている。

    コルドバ歴史地区

     《1》決して真似する事の出来ない装飾の表現の崇高さの規模と大胆さによりコルドバのモスクは独特な芸術的創造作品となっている。

     《2》その独自性にも関わらずコルドバのモスクは8世紀以降の西洋のイスラム芸術及び19世紀の“ネオ・ムーア”様式の発展に多大な影響を及ぼした。
       
     《3》このモスクは929〜1031年の歴代カリフの統治と高い関連性のある証となっている。
       300のモスクと夥しい数の宮殿を数えるコルドバは当時、コンスタンティノープルやバグダッドに匹敵する大都市であった。

     《4》コルドバのモスクはイスラム教の宗教建築の顕著な例である。

    補足 報告書は1994年のモスクの拡大登録のものしか見ることが出来ない。

    マドリッドのエルエスコリアル修道院

     《1》聖ロレンソに捧げられたこの王立修道院は正に独特な芸術的偉業である。
       この建造物の計画性・形状・目的は突出したものである。

     《2》国家の体質に少なからず合致したエスコリアル修道院は半世紀近くの間スペインに多大な影響を与えた。
       バリャドリドの未完のままの巨大な聖母被昇天大聖堂は1580年にフアン=デ=エレーラにより簡素な様式で建造が始められた。
       類似の影響はマドリッドにおけるフアン=ゴメス=デ=モラの作品にも認められる。

     《4》王の隠遁地であり典型的な奉納された建造物であるエスコリアル修道院はフェリペ2世の治世の最晩年において、当時の重大な政治権力の逆説的な中心地であった。

    補足 報告書において《6》の内容は《4》の基準に合致するとして推薦されている。

    アントニ=ガウディの作品群

     《1》アントニ=ガウディの作品群は19世紀末から20世紀初頭にかけての建築・建造技術の発展への顕著で優れた創造的貢献を象徴している。

     《2》ガウディの作品は彼の生きた時代の文化・芸術の潮流と密接に関連した重要な価値の交流を示しており、カタルーニャ地方のモデルニスモを代表するものである。
       これらは20世紀の近代建築の発展に関連した数多くの型や技術に先んじ、影響を与えたものである。

     《4》ガウディの作品は20世紀初期の居住用及び公共の建造物の類型の中の顕著な例とその発展への彼が成した重要で創造的な貢献を表している。

    アルタミラ洞窟

     《1》その美術的特性の観点から「先史時代のシスティーナ礼拝堂」と称されるアルタミラは、当時の独特な芸術的成果を表している。

     《3》アルタミラは南ヨーロッパのマドレーヌ文化の開化の稀な証拠を有している。

    【拡大登録】旧石器時代時代の洞窟壁画

     《1》カンタブリア地方のコルニケ(海岸沿いの断崖や山腹の曲がりくねった道)はホモサピエンスの非常に長い歴史上、紛れも無く最初に達成された人類芸術を十分かつ明確に例証している。
       それは上部旧石器時代の異なる時期の人類の創造性の才能の証拠を有している。

     《3》推薦物件の総体は10000年以上前に消滅した、人類文明の大昔の段階の顕著で独特な証拠を有している。
       それは上部旧石器時代の狩猟採集民族が彼らの人類社会の熟達した芸術的・象徴的・精神的表現を完成した時代である。

    補足:ICOMOSの評価では《4》も評価されているが、委員会では《1》《3》にて拡大登録が認められた。

     《4》旧石器時代の装飾洞窟群は人類環境の稀な発展の証拠を有している。
       最終氷河期の気候変動により人類は発展した穴居へと移り、長期間に渡り保存された洞窟芸術が形成する芸術的・精神的構成要素の生存技術・社会組織を刷新し、20000年以上の間繁栄した新たな文化が誕生した。

    アストゥリアス王国とオビエドの建造物群

     《1》プレロマネスクのアストゥリアス王国の建築は先キリスト教芸術の変貌ともカロリング朝美術とも違う独自の芸術的成果を表している。
       全体的にアーチ形の長堂式の平面を有し、窓間壁の代わりに角柱を用いたこれらの教会群は小アジアの著名な聖域との関連性を見せる西ゴート族やアラブの要素・様式を含む非常に豊かな装飾を有している。

     《2》アストゥリアス王国の建造物群はイベリア半島における中世建築の発展に決定的な影響を与えた。

     《4》オビエド近郊の宮殿や教会はコルドバ王国の絶頂時代の小さなキリスト教国家であったアストゥリアス王国の文明の突出した証を呈している。

    アビラ旧市街と城壁外の聖堂

     《3》アビラはほぼ完璧な状態で残る中世城塞都市の顕著な例である。
       城壁の内外の宗教・世俗建築の密度は都市景観を傑出したものとしている。

     《4》アビラはトレド奪還の直後にカスティーリヤ王国の復興の信念の下で造られた城塞都市の最も知られたものである。

    セゴビアの旧市街と水道橋

     《1》エレスマ川とクレモレス川の合流により形作られた断崖に聳えるセゴビアは、その美しさや典型的な歴史的重要性において紛れも無く顕著な建造物群を含んでいる。
       その中で水道橋・王宮・大聖堂は独自性という必要条件に合致する主要建造物である。

     《3》セゴビアは全体として歴史的事実を暗示する集合体となっている。
       その区域や街路・家屋はイスラム教・キリスト教・ユダヤ教という異なる文化的共同体の1つへの帰属により影が投げかけられた階層社会における社会構造に委ねられたものとなっている。
       これらは中世の長き時代において共存し、16世紀の製造業の急発展の時代には共に精を出していた。

     《4》セゴビアは幾つもの伝統に基づいた西洋都市の顕著な証拠を呈している。
       家屋建築から重大な宗教建造物や軍事建造物まで、造られた環境の全ての構成物件には世界的に見られる建造技術や様式を見出すことが出来る。

    サンティアゴ・デ・コンポステーラ旧市街

     《1》ロマネスク芸術の傑作として世界に知られる大聖堂周辺にサンティアゴ・デ・コンポステーラはキリスト教の最も重要な聖都の1つとされる貴重な歴史都市を残している。

     《2》ロマネスクとバロックの時代においてサンティアゴの聖域は建築・芸術の発展においてガリシア地方だけでなくイベリア半島北部にまで深い影響を与えた。

     《6》サンティアゴ・デ・コンポステーラは中世史における重要な出来事の1つに関連している。
       数百年に渡り北海沿岸やバルト海地域からも巡礼者が巡礼の証であるホタテガイと杖を携え信仰の道であるサンティアゴへの巡礼路を通りガリシアの聖地へと足を運んだ。

    ガラホナイ国立公園

     《7》ガラホナイ国立公園には希少種と固有種の植物が多く生息しており、豊富な固有種の無脊椎動物の生態や2種の希少な鳥類を見ることが出来る貴重な固有の遺存植物相が存在している。

     《9》ガラホナイ国立公園は国際的に重要な34種の固有植物が生息し、一時は周辺地域で一般的に見られた生態系である月経樹林の生物学的進化の顕著な例となっている。

    トレド旧市街

     《1》トレドは町全体が独自の芸術的成果を表し、西ゴート族の教会から18世紀初期のバロック建築までの著しい成果の途切れない成功を示している。

     《2》トレドはナルボンヌ地方まで及んだ王国の都であった西ゴート族の支配時代やスペインで最も重要な芸術的中心地の1つとなったルネサンス期の両方に深い影響を与えた。

     《3》トレドは広場に残るものや水道橋・下水道にローマ、ワンバ王の城壁跡・サンタクルス博物館に収められた人工遺物に西ゴート族といった消滅した様々な文明の稀な証拠を有している。
       コルドバ王国の文明は破壊されたバーニョ・デ・ラ・カバ橋の橋脚、ビサグラ旧門、トルネリア・モスク、999年に完成された私的礼拝堂ビブ・マルドゥム・モスク、天使の小路、ポゾ・アマルゴ通りといった数々の重要なイスラム芸術の記念碑を建造していった。
       また1085年にキリスト教徒に奪回されてからはサンタ・マリア・ラ・ブランカ礼拝堂やトランシト礼拝堂の様な優れたユダヤ教の宗教建造物群が教会と同時期に建てられた。
       これらは6世紀に建てられモスクに転用されていた大聖堂の様に元々あったものの上やサン・ロマン教会やサンティアゴ・デル・アラバル教会、サン・ペドロ殉教者教会の様に何もない土地の上に建てられたものである。
       その上トレドは城壁やサン・セルバンド城の様な要塞建造物、橋梁、家屋、街路全体といった中世からの建造物群の世界的な見本を有している。

     《4》トレドはサン・フアン・デ・ロス・レイエス聖堂や大聖堂、サン・フアン・バウティスタ病院、サンタクルス病院、ビサグラ新門といった15〜16世紀の建造物の顕著な例を残しており、これらはスペインの黄金時代の宗教・病院・軍事建築に特有の型の完璧な例である。
       さらにトレドは西ゴート族とイスラム芸術の構造的・装飾的要素を結合し、13世紀建造のサンティアゴ・デ・アラバル教会、14世紀のムーア人の作業場や太陽の門、15〜16世紀のサンタクルス病院の板張りや大聖堂の参事会室といった続く様式に適応させたムデハル様式の中世に始まるその出現の証拠となっている。

    カセレス旧市街

     《3》カセレスの町を囲む防壁はムワッヒド朝がスペインに建造した要塞の稀な証拠である。
       カセレスの防壁や見張り塔は良好に保存された、1つの文明を示すものである。

     《4》カセレスはその空間構成に著しく影響を与えた要塞家屋・宮殿・見張り塔といった14〜16世紀の内部競合に特徴付けられた都市の顕著な例である。
       この実例は中世から古典主義時代までのイスラム芸術・北方ゴシック・イタリアルネサンス・新世界の芸術といった高い多様性や絶え間ない影響の痕跡を有するエストゥレマドゥラ地方のこの都市の歴史的特徴から独特なものである。

    セビリアの大聖堂とアルカサル、インディアス古文書館

     《1》厳密に計算された外観を持つ風見塔はムワッヒド朝建築の独特な芸術成果を示す傑作である。
       大聖堂内部のモスクを改修して造られた5つの身廊はヨーロッパでも最大級のゴシック建築の1つである。
       エルナン=ルイスの手による聖堂参事会の楕円形の空間はルネサンス建築の中でも最も美しい建築作品の1つである。

     《2》風見塔は後のスペイン及び国土回復後のアメリカの多くの塔の建設に影響を与えた。

     《3》セビリアの大聖堂と城館はムワッヒド朝文明及び1248年から16世紀までの国土回復運動時代に遡るムーア人の影響に晒され続けたアンダルシア地方のキリスト教文明の稀な証拠である。

     《6》大聖堂と城館・古文書館は1492〜1493年にかけてのコロンブスの新世界発見という普遍的重要性を有する出来事と密接に結びついている。
       コロンブスの遺体は大聖堂に安置されており、アドミラルホールではマゼランやエルカノによる地球一周等の歴史上重大な航海計画が練られた。
       古文書館にはアメリカへの入植に関する重要な記録が数多く保管されている。

    サラマンカ旧市街

     《1》1710年にフェリペ5世による公式決定により造られたサラマンカのマヨール広場はバロック芸術の独特な偉業である。
       アルベルト=チュリゲラが描き上げた設計図に従って1729年に始められ、途中ニコラス=チュリゲラ・ホセ=ラーラ=チュリゲラの助力も得てアンドレス=ガルシア=キノネスにより1755年に完成された広場は18世紀ヨーロッパの最も重要な都市建造物の1つである。

     《2》マヨール広場、イエズス会神学校、カラトラヴァ大学、サン・アンブロシオ学舎やサン=セバスチャンやサンタクルス=カニサレスの教会群、新大聖堂やサン・エステバン修道院を有するサラマンカはカタルーニャ地方からやって来た建築家、装飾家、彫刻家の集団チュリゲラ一族の芸術の重要な拠点であった。
       「チュリゲラ」様式は18世紀、イベリア半島のみならずラテンアメリカの国々にも多大な影響を及ぼした。

     《4》ボローニャ、パリ、オックスフォードのものよりはその創設が遅かったけれども1250年には既に設立されていたサラマンカ大学はヨーロッパの最高学府の1つであり、キリスト教世界における大学施設の多様な機能を例証する賞賛すべき建築遺産を残している。
       エストゥディオ病院や大規模〜小規模な学校、15〜18世紀の間に増加した様々な大学を有するサラマンカ大学は、多くの民間・宗教建築により傑出した歴史都市において優れた結合性を有する一群を形成している。

    ポブレー修道院

     《1》ポブレー修道院は12〜14世紀のシトー会の様式を完璧に表現した独特の芸術的偉業の1つである。
       修道院にはダミアン=フォルメントによる縞大理石の衝立を始め、数多くの傑作が納められている。

     《4》ポブレー修道院は明確な適用により全体的に残された建築形態の独特の融合を表している。
       ポブレー修道院は大規模な軍事設備として、また王宮や住居・会堂としても機能した最も大きく最も完璧なシトー会修道院の1つとされる。
       
    メリダの考古遺跡

     《3》《4》メリダの建造物群は帝国の繁栄の時代と続く帝国の歴史を物語る、主要なローマ帝国の州都の公共建造物の顕著な例である。

    サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路

     《2》サンティアゴへの巡礼路は中世におけるイベリア半島とヨーロッパの残りの地域との文化的発展の相互の交流の促進において基礎的な役割を果たした。

     《4》聖地への巡礼は中世ヨーロッパの精神的・文化的生活の重要な一面であり、彼らの通った巡礼路は精神的・物理的に良好に整備されたものであった。
       サンティアゴへの巡礼路は大小含めた教会・世俗建築・住居・土木建造物の型の最も完璧な物質的記録を保っている。

     《6》サンティアゴへの巡礼路は中世及びそれ以降のヨーロッパの全ての国・全ての階級の人々の信仰の強さと影響力の顕著な証拠である。

    グアダルーペの王立修道院

     《4》グアダルーペの修道院は400年にも及ぶ宗教建築複合体の傑出した重要性を有するものである。

     《6》グアダルーペの修道院は1492年の同じ年に起こった世界史上の2つの重要な出来事、イベリア半島からのイスラム勢力の完全な排除・コロンブスによるアメリカ大陸の発見を象徴するものである。
       この修道院の著名な聖母像は新世界の大部分のキリスト教化の優れた象徴ともなった。

    ドニャーナ国立公園

     《7》《10》ドニャーナ国立公園は5種の絶滅が危惧される改良種の生息地と、地中海地域最大のサギの営巣地の1つや50万羽を超える水鳥の越冬地を含み、旧北亜区の渉禽類の渡り路の重要拠点に位置する高い鳥類学的価値を有している。

     《9》ドニャーナ国立公園は海浜・海岸砂丘・沼沢地・河川・池や地中海地域の低木林・マツ林・ビャクシン林・コルクガシ林・オリーブ林の生物の生息域の高度な多様性とそれらの相互作用に顕著で普遍的な価値が見出されるものである。

    歴史的城塞都市クエンカ

     《2》《5》クエンカは12〜18世紀の宗教・世俗建築を多く持ち、当時のままの都市景観を著しく保つ中世城塞都市の傑出した例である。
         またクエンカは立地の田園景観と自然景観を融合させその価値を高めていることにおいても傑出している。

    バレンシアのラ・ロンハ・デ・ラ・セダ

     《1》《4》バレンシアの絹商品取引所は地中海地域の有力な商都の富と権力をありありと示す、後期ゴシック様式による世俗建築の顕著で普遍的な価値を持つものである。

    ラス・メドゥラス

     《1》《2》《3》《4》ラス・メドゥラスの金採掘地域はローマ帝国の革新技術の顕著な例が産業・領土内の古代景観の中に優れた度合いで残るものである。

    バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院

     《1》《2》《4》バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院は20世紀初頭のバルセロナで流行した、想像的かつ華麗なアールヌーヴォーの傑作である。

    ピレネー山脈

     《3》《4》《5》フランスとスペインに跨るピレネー山脈は風景美と過去に起源を持つ社会・経済構造を兼ね備えた、ヨーロッパでは殆ど見られなくなった山岳地域での生活形態の例証となる文化的景観の顕著なものである。

     《7》《8》ピレネー山脈の深淵な峡谷と圏谷を含む石灰質の断崖は古代の土地構造を示す。
         それらは牧草地・湖沼・洞窟・山岳の森林と相まって優美な自然景観を作り上げており、学術的・保護的観点からも高い価値を有している。
         
    サンミリャン・ジュソとスソの修道院

     《2》《4》《6》サンミリャン・デ・ラ・コゴーラ村のジュソとスソの修道院は6世紀から現代までのキリスト教の修道院制度の導入と継続する遺風の優れた証拠である。
           この修道院は現行のスペイン語の誕生の地としても顕著な重要性を有している。

    イベリア半島の地中海沿いの岩絵群

     《3》スペイン東部の地中海沿いの盆地に描かれた先史時代後期の岩絵群は、ヨーロッパに存在する岩絵の中でも最も集中的に広範囲に渡って存在しており、人類の文化的進化の重要な段階における生活形態を示している。

    アルカラ・デ・エナレスの歴史的大学都市

     《2》アルカラ・デ・エナレスは大学都市として設計され単独で建造された最初の都市であり、後のヨーロッパ・アメリカ地域の学問の中心地となる場所の見本とされた。

     《4》神の都市という理想都市の概念がアルカラ・デ・エナレスにて初めて物質的に表現され、ここから世界中へと広がっていった。
       
     《6》アルカラ・デ・エナレスの人類の知的発展への貢献は、神の都市の具現化・ここで行われたスペイン語の定義に少なからぬ前進があった言語学の進展・彼の地の申し子ミゲル=デ=セルバンテス=サアベドラの作品群と傑作「ドン=キホーテ」を通した表現へと結びついていった。

    イビサ=生物多様性と文化

     《2》イビサの16世紀の要塞はルネサンス期の美学原理や軍事に関する建築・技術の独特の証左であり、このイタリア・スペイン型は特に新世界における城砦建築に影響を与えた。

     《3》サ・カレタのフェニキアの遺跡とプッチュ・デ・モリンスのフェニキア人や古代カルタゴ人の墓地遺跡は地中海西部のフェニキアの植民都市での都市化や社会生活の稀な証拠である。
       それらは量や重要性においてフェニキアやカルタゴの墓地から出る資料の独特な収集源となっている。

     《4》イビサの上の町は初期のフェニキア人住居からムスリム・カタルーニャ王国・ルネサンス期の要塞に至るまでの続く時代の痕跡を城壁・都市景観に優れた形で残す要塞都市の素晴らしい例である。
       防御壁の建造は初期の姿や街路構造を破壊せずに長期に渡って進められたが、最終段階において全てが1つにまとめられた。

     《9》イビサの海岸線の発達はポシドニアが海床部と海洋部の生態系の相互作用に影響を与えていることの優れた一例である。

     《10》海洋生物の多様性を有し支えるポシドニアは地中海において絶滅の危機にあるが、イビサにおいては良好な保護下にある。

    サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナ

     《2》《4》サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナは城砦化されていない最初の植民都市であり、その都市景観はアメリカ大陸の多くの植民都市の見本になった。

    タラゴナの考古遺跡

     《2》タラゴナのローマ遺跡はローマ帝国の都市計画の発展の傑出した重要性を有し、ローマ世界の州都の見本とされた。

     《3》タラゴナは古代の地中海地域の歴史の重要な段階を雄弁に物語る、他に類のないものである。

    アタプエルカの考古遺跡

     《3》ヨーロッパの人類の最も早く、最も豊富な証拠がアタプエルカ山脈の洞窟で見つかった。
     
    《5》アタプエルカの化石遺構はヨーロッパの初期人類社会の生活形態と実質に関する情報の優れた宝庫である。

    ボイ渓谷のカタルーニャ風ロマネスク様式教会群

     《2》ボイ渓谷でのロマネスク様式の芸術と建築の重要な発展は特にピレネー山脈を跨いだ中世ヨーロッパの深い文化交流の証左である。

     《4》ボイ渓谷の教会群は田園景観の中にそのままに残るロマネスク芸術の特に純粋で疑う余地のない例の1つである。

    エルチェの椰子園

     《2》エルチェの椰子園は北アフリカからヨーロッパへ、1つの文化が大陸を越えたことによる特徴的な景観の移動の顕著な例を表している。

     《5》椰子林及び椰子園は北アフリカの代表的な特徴であり、イスラム勢力がイベリア半島の大部分を支配していた頃にヨーロッパへともたらされ、現在まで残っている。
       古代の灌漑設備は現在でも機能しており、格別な重要性を有している。

    ルーゴのローマ時代の城壁

     《4》ルーゴのローマ時代の城壁はローマ帝国後期の軍事城壁の最も良好な状態で残る例である。

    アランフェスの文化的景観

     《2》アランフェスは多様な文化が1つになって新たな文化的景観を生み出したものであり、この分野の発展の形成に影響を与えた。

     《4》アランフェスの複雑に設計された文化的景観は幾つもの要素から成り立っており、景観設計の発展における重要な発展段階を示している。

    ウベダとバエサのルネサンス様式建造物群

     《2》ウベダとバエサの16世紀の建築と都市設計はスペインにルネサンスの思想を伝える役割を果たした。
       アンドレア=ヴァンデルヴィラの著書を通してこれらの例はラテンアメリカへ広まっていった。

     《4》ウベダとバエサの中心部は16世紀初期のスペインのルネサンス様式の市民建築と都市計画の顕著な初期の例である。

    ヴィスカヤ橋

     《1》ヴィスカヤ橋は形状・機能間の全体的な均衡の取れた関係性を反映する技術的創造性の傑出した表現の1つであり、河口部に劇的で美的に優れた要素を加味している。

     《2》新たな鋼索による懸架型輸送機械の発達と鉄の実用的技術の融合を通してヴィスカヤ橋は、建造後30年を超える世界中の橋梁の発展に影響を与えフランスやスペインの諸技術を発信した新たな建造物の型を生み出した。

    テイデ国立公園

     《7》テイデ山はラス・カニャーダスの裂目が入った急斜面とテネリフェ島を世界で3番目に高い火山体構造とする中央火山に影響を受けた際立った火山景観である。
       この景観には火山体の形成・変形の様々な段階を明らかにし、その独自の地理学的多様性を強調する至上の地形が揃っている。
       さらには景観の性格や雰囲気の絶え間無い変化や山岳に印象的な背景を添える雲海を生み出す大気環境が視覚的衝撃を強調している。

     《8》テイデ国立公園は相対的に古く・遅く・地質学的に複雑で成熟期に入った火山系の優れた例であり、海洋島の発達を実証する地質学的過程の多様な証拠を呈することから国際的重要性を有しており、その価値はハワイ国立公園等の世界遺産リスト登録の火山関連の諸物件を補完するものである。
       テイデ国立公園は比較的限定された地域における訪れ易い火山の特徴・景観の集合体である。
       この地域はテイデ山を火山学史上重要な地とした、特にフォン=フンボルト・フォン=ブーフ・ライエルの業績を通した地質学・地形学上の影響の長い歴史の国際的調査の主要拠点である。
       
    ヘラクレスの塔

     《3》ヘラクレスの塔は古代における塔台使用を証明している。
       塔はローマ人により最初に組織されてからの大西洋航路の継続の証拠でもあり、中世の大部分を通じ近現代における飛躍的な発展へと繋がっていった。

    【スウェーデン】

    ドロットニングホルムの王領地

     《4》ドロットニングホルムの城館・劇場・中国茶亭・庭園の複合体は18世紀にスウェーデンで建造された王宮の最も優れた例であり、西・中・北欧の王宮建設に及んだヴェルサイユ宮殿の影響を受け継いだ当時の全てのヨーロッパ建築の典型である。

    ビルカとホーヴゴーデン

     《3》ビルカとホーヴゴーデンは経済的・政治的拡張が起こった200年間にバイキングが確立した広範囲に及ぶ交易網の抜きん出て良好に保存された証拠を有している。

     《4》ビルカは8〜10世紀のバイキングの交易用集落の最も完璧に残る実例の1つである。

    エンゲルスバーリ製鉄所

     《4》エンゲルスバーリは重要な技術遺産や管理棟・労働者の住居を現在まで残す、17〜19世紀のヨーロッパに影響を及ぼした産業複合体の顕著な例である。

    ターヌムの岩絵

     《1》ターヌムの岩絵は高い質を誇る青銅器時代の芸術の顕著な例となっている。

     《3》ターヌムの岩絵の主題はヨーロッパの青銅器時代の生活様式の稀な証拠を示している。

     《4》ターヌムの岩絵・考古遺跡・現代の景観の特徴に示される入植の継続性と土地利用の一貫性はこの地を人類史の8000年を超える継続性の顕著な例としている。

    スコーグスシュルコゴーデン

     《2》スコーグスシュルコゴーデンでのアスプルンドとレーヴェレンツの創造は世界中の墓地設計に深い影響を及ぼした墓地の新たな形態を立ち上げた。

     《4》スコーグスシュルコゴーデンは地形と自然植生を建築的特徴と混合させ、墓地としての設計目的に理想的に適合させた景観を創り上げた、意匠された文化的景観の大成功の実例である。

    補足 ICOMOSの報告書では《1》《2》での推薦となっている。

    ヴィスビー

     《4》《5》ヴィスビーは重要な人類集落の類型の形態・機能を生き生きと示す、都市景観と高い価値を持つ古代建造物群を極めて完璧に残す北欧の中世城塞交易都市の顕著な例である。

    ルーレオのガンメルスタード

     《2》《4》《5》ルーレオのガンメルスタードはスカンジナビア半島北部の伝統的教会村として顕著な例であり、厳しい自然環境の特殊な地理・気候条件への伝統的な都市設計の適応を見事に例証している。

    サーミ人地域

     《3》《5》先史時代からサーミ人の土地であったこの地は人類の経済的・社会的発展の初期の段階に遡り一時は広範囲に及んだ慣習で、大規模なトナカイの群れによる夏季の放牧に関連した季節移動が行われる地域の最後の1つで間違いなく最大で最良の保存状態を誇る例である。

     《7》《8》《9》サーミ人地域は進行しつつある地質学的・生物学的・生態学的過程の実例や優れた美的要素を有する多様な自然現象、ヒグマの個体群や高山植物相を含む重要な生物多様性を内包している。

    カールスクローナの海軍港

     《2》カールスクローナは他国において既に設立されていたものに由来する要素を組み入れたヨーロッパの計画的海軍都市であり、類似機能を有する後の都市の見本となった。

     《4》海軍基地は海軍力がヨーロッパの現実政策を決定するとされた数百年において重要な役割を果たし、カールスクローナは現存するものの中でも最良の状態で保存された最も完璧なものである。

    エーランド島南部の農業景観

     《4》エーランド島南部の景観は地形・地勢の物理的制約にうまく適応させた、その長い文化史において形作られていった形態を見せるものである。

     《5》エーランド島南部は単一の島における多様な景観の型の最適な利用が成された人類居住地の顕著な例である。

    ハイ・コースト/クヴァルケン諸島

     《8》ハイ・コーストは氷床の退氷後に地表の隆起が起きている場所の1つであり、その合計は294mにも昇り、他を遙かに凌いでいる。
       ここは地殻均衡説の調査の1つの型を示す場所であり、この現象はここで始めて認識され研究された。
       5600の島々と周辺海域を含むクヴァルケン諸島は2つの理由から傑出した地質学的価値を有している。
       1つはクヴァルケン諸島が世界で最も高い比率での急速な退氷後の隆起を見せる場所であり、その隆起が現在も進行中で氷河期以降の水域の主要な変化に関連していること、もう1つはこの地域の氷河景観の特徴に多様性を加え、ハイ・コーストの登録に際して前述の正当性を強めるものとなるデ・グレアー氷堆石の様な氷河の堆積作用を受けた地形の特徴的な一群を有していることである。
       ハイ・コーストとクヴァルケン諸島は大陸氷床の融解に対する地殻反応の過程を理解する上で重要な地域である。
       
    ファールンの大銅山採掘地域

     《2》ドイツの技術の影響を受けたファールンの銅鉱山は17世紀には主要な銅の生産地になり、200年間に渡り世界の諸地域の採掘技術に深い影響を与えた。

     《3》ファールンの景観は9世紀の早きに開かれ20世紀に閉山を迎えるまで続いた銅の採掘・生産の遺構に著しい影響を受けた。

     《5》ファールン地域での銅工業の“家内工業”の形態から完全工業生産になるまでの経済・社会発展の連続する段階は、この産業を特徴付ける現存する豊富な産業・都市遺構や家屋群に見ることが出来る。

    ヴァールベリの無線電信局

     《2》グリムトン地区のヴァールベリの無線電信局は第一次世界大戦以後の時代の通信技術の発展段階を示す顕著な記念建造物である。

     《4》ヴァールベリの無線電信局は1920年代始めの技術的成果を表し、その後30年程の急速な発展を記録する通信基地の飛び抜けて良好に保存された例である。

    ミュスタイルのベネディクト会修道院

     《3》ミュスタイルの聖ヨハネ修道院はカロリング朝時代および中世初期の修道院建築の最も密集した例である。
       この修道院の壁画は「最後の審判」の様な特定のキリスト教の象徴的表現形式の主題の発展の理解において特に重要である。

    補足 明確な適応理由は不明。報告書から適応しそうな箇所を結びつけたものである。
      
    ザンクト・ガレンの修道院

     《2》基準寸法の建築原則に基づいたザンクト・ガレン修道院の平面の規範的価値に関しては議論の余地があるが、ゴスベルトの修道院はアーヘン公会議後の修道院建築の発展に多大な影響を与えたことが明白である。

     《4》ザンクト・ガレン修道院は豪華な図書館と写本室を備え芸術と学問の中心とされた広大なベネディクト会修道院の代表例とされる。
       修道院の空間の続く改築はその発達中の宗教的・文化的機能を証明している。

    ベルン旧市街

     《3》ベルン旧市街は中世の都市性の典型的な例である。

    補足 報告書では審議延期が勧告されており明確な適応理由は不明。報告書から適応しそうな文を抜き出したものである。

    ベリンツォーナの3つの城塞

     《4》ベリンツォーナの城塞群は戦略上重要とされたアルプス越えの街道を押さえていた中世後期の防御建造物の顕著な例である。

    ユングフラウ・アレッチ・ビエッチホルン

     《7》ユングフラウ・アレッチ・ビエッチホルンの印象的な景観はヨーロッパの文学・芸術・登山・高山観光に重要な役割を果たし、この地域の美的要素は世界中の常連を魅了し国際的な山岳景勝地の1つと認められている。
       ハイ・アルプスの印象的な北壁は至上の風景美を見せ、高山分水嶺南部においては地殻変動と氷河の浸食により壮観な峰々とユーラシア大陸西部最長の2つの氷河を育む渓谷体系をつくり上げている。

     《8》ユングフラウ・アレッチ・ビエッチホルン地域は2000〜4000万年前の地質学的年代区分における第3紀の隆起と圧縮によるハイ・アルプスの形成の顕著な例である。
       標高900〜4274m間においてこの地域にはアフリカプレートの北方への漂移による時代の若いこの地域原産の石灰岩の堆積物の上に、4億年前の時代の古い結晶岩が乗り上げた衝上断層が見られる。
       また、この地域では山岳形成の過程における数多くの地形学的・氷河学的特徴が見られ、U字谷や圏谷・氷食尖峰・氷食谷・氷堆石を大量に有している。
       同地域はアルプス山脈で最も氷河作用を受けた地域であると共にユーラシア大陸西部最大・最長のアレッチ氷河と繋がっており、それ故氷河の歴史・進行中の特に気候変動に関連した過程において重要な学術的価値を有している。
       
     《9》ユングフラウ・アレッチ・ビエッチホルン地域はその高山帯や乾燥した南部・湿潤な西部の露出面に高山帯・亜高山帯の幅広い生物の生息地が存在している。
       結晶岩・炭酸塩岩の2つの主要な基質には重要な人類の介入が存在しなかった為に様々な生態系が発達してきたものであり、アレッチ森林の特徴的な高域・低域の高木限界を含む生物学的遷移の上質な例が存在している。
       地球規模での気候変動の現象は特にこの地域に良く示されており、異なる氷河の後退率の変動や進行中の地質学的遷移の新基質に表れている。

    サン・ジョルジョ山

     《8》サン・ジョルジョ山は三畳紀の海洋生物の記録や重要な陸生動物の化石を良く残すものである。
       この地域では数多くの多様な化石が発掘され、傑出した完全性と細密な保護を誇っている。
       この地域の研究の長期に渡る歴史と資料の厳密な保護により、傑出した特性を持つ標本が目録に収められ、地質学関連の文献の基準となっている。
       その結果、サン・ジョルジョ山は世界中の三畳紀の海洋生物の化石のこれからの発掘に関連した重要な参照地となっている。

    ラヴォーの葡萄園段丘

     《3》ラヴォーの葡萄園景観はその土地特有の長期間続く文化的伝統の継続と発展を示す良好な保存状態の景観・建造物を通して、1000年にも及ぶ発達と発展を目にも鮮やかな面に示している。

     《4》大地の上に証拠付けられたラヴォーの葡萄園景観の発展は、ローザンヌ地域の発展に実質的に貢献し地政文化地域の歴史に重要な役割を果たした、この高い価値のワイン生産地域の庇護・統治・保護の歴史を生き生きと示している。

     《5》ラヴォーの葡萄園景観は、地方経済の重要な一面であった高い価値のワイン生産の為、土地の資源を最大限利用した非常に特殊で生産的な手法における人と環境との数百年の相互作用を示す顕著な例である。
       急激に成長する都市社会への直面によるその脆弱性は地方社会に強く支えられた保護政策を促した。

    アルブラ線/ベルニナ線のレーティッシュ鉄道の景観

     《2》アルブラ線・ベルニナ線のレーティッシュ鉄道は顕著な技術的・建築的・環境的総体を構成している。
       今日では単一のアルプス横断路線に統合されている2つの路線は、その建築的・土木工学的偉業及び路線の景観との美的調和により、山岳鉄道技術の発展における重要な人間的・文化的価値の交流の証拠を有する非常に包括的で多角的な革新的解決策の数々を実現している。

     《4》アルブラ線・ベルニナ線のレーティッシュ鉄道は20世紀最初の10年間における標高の高い地域での山岳鉄道の発展の非常に重要な例証である。
       それは山岳での長期間の人類活動の発展になった、重大な価値を有するこの上ない例を表しており、この時代の人類と自然の関係の繁栄に重要である鉄道との連結により変化に富む景観を呈している。

    スイス・サルドナの地殻構造境界

     《8》スイス・サルドナの地殻構造境界は山岳形成の地殻構造の優れた例を呈しており、18世紀以降、地質学における重要な地として認識されている。
       グラールス衝上断層の明確な露出面は要所ではあるが、ここのみでは重要な特徴とは言えなかった。
       この特徴に上下する岩石の露出は3つの側面に視認出来、それを伴って山岳形成の地殻構造の理解に実質的に貢献するものとなっている。
       詳細な国際規模での比較分析により、この資産は顕著で普遍的な価値を有すると認められる非常に数少ない場所の1つであり、その地質的特徴は全ての訪問者により容易に鑑賞できるものである。
       同資産は山岳の環境における現象の明確な露出・その研究史・現在も続く地学への貢献の組合せにより、他の類似地域とは区別される。

    ラ・ショー・ド・フォン/ル・ロックルの時計製造の都市計画

     《4》ラ・ショー・ド・フォンとル・ロックルは18世紀より現在まで、時計製造を中心とした都市と建築の独特な総体を形成している。
       時計製造の作業場と生活空間は非常に密接な関係にあり、共存している。
       都市空間の合理的・実用的かつ開放的な計画性はこの単一産業の持続的発展に寄与し、手工業都市と呼ばれるまでに発展させた。

    アルプス周辺の湖畔住居群遺跡

     《3》湖畔住居遺跡群は紀元前5000〜500年頃の欧州における初期農業社会の研究に最も重要な考古資料の1つである。
       常識的知識において欧州の新石器時代と青銅器時代の重要な変化と特にアルプス周辺地域の相互作用の理解に顕著な貢献をなす有機物が浸水という状況により保存されてきた。

     《5》湖畔住居遺跡群はほぼ5000年を超える欧州人の高山・亜高山地域における先史時代の湖畔での初期農業社会の住居や内部調整に極めて詳細な洞察が可能である。  
       露わになった考古学的証拠により新技術や気候変動の影響への対応における環境と相互に影響したこれら社会の道程の独自の理解が可能となっている。
       
    【キプロス】

    パフォス

     《3》《6》その古代における重要性と、ホメロスの叙事詩の下で愛と美の理想とされ、多くの文筆家・詩人を触発した女神アフロディーテと密接に関係していることは顕著で普遍的である。

    トロードス地方の壁画教会群

     《2》12世紀においてキプロスと西洋キリスト教の美術は密接な関係にあった。
       ここにはその2つのキリスト教社会に繋がりがあったことを示し、フランク王国に先立って東洋と西洋の美術交流の基礎的役割を果たした。

     《3》この教会群の壁画はビザンツ帝国コムネノス王朝時代の文明を示す顕著な例である。
       
     《4》トロードス地方の教会群はビザンツ帝国時代の地方宗教建築の良好に保存された例である。
       田舎風の様式を持つ帝国後期の画家によりこれらの地方建築と調和が取れた作品が描かれている。

    ヒロキティア

     《2》先史時代においてキプロスは中東からヨーロッパ世界への文化伝達に重要な役割を果たした。

     《3》ヒロキティアはアジアから地中海世界への文明の拡散への高い重要性を有する学術的な情報を今までも、そしてこれからも提供するであろう極めて良好に保存された考古遺跡である。

     《4》未発掘の部分も合わせてヒロキティアは地中海地域および周辺地域における最初の都市型集落の起源をはっきりと示している。

    【デンマーク】

    イェリング墳墓と教会

     《3》イェリングの建造物、特に原始宗教時代の墳墓と2つのルーン文字石碑は先キリスト教時代の北欧文化の顕著な例である。

    ロスキレ大聖堂

     《2》《4》ロスキレ大聖堂は北欧の初期の頃のレンガ製の主要な教会建築であり、この地域一帯の同様の目的でのレンガの使用の広まりに深い影響を与えた。
         その形態と時代背景においてロスキレ大聖堂は、特にここがデンマーク王家の霊廟として使用された数百年の間に付け加えられた門や付属礼拝堂などに採用された続く時代の建築様式が特筆すべきものである、北欧の大聖堂建築の顕著な例である。

    クロンボー城

     《4》クロンボー城はルネサンス様式の城として顕著な例であり、北欧のこの地域の歴史において非常に重要な役割を果たした。

    イルリサット・アイスフィヨルド

     《7》巨大な氷床と急速な氷河移動が合わさって作られた氷河に覆われたフィヨルドはグリーンランド及び南極でのみ見られる現象であり、イルリサットでは氷河が滝の様に流れ落ち、フィヨルドを繋ぐ様を間近で観察することが出来る。
       氷河の移動の際に生み出される劇的な音を伴う岩石・氷・海の野趣溢れる高度な風景美は顕著な自然の壮大さを見せるものである。

     《8》イルリサット・アイスフィヨルドは第4紀の最終氷河期の頃の地球の歴史の段階の顕著な例である。
       氷河は世界でも有数の速さを誇り、年毎に出る35k?を超える氷塊は南極のどの氷河よりも多くグリーンランド全体で生み出されるものの10%にも達する。
       250年の間ここは科学の目が向けられ、氷原雪氷学や気候変動、関連する地形過程の研究にとって重要である。

    【アイスランド】
       
    シンクヴェトリル国立公園

     《3》アルシングが行われた場所と関係するシンクヴェトリル国立公園は民主集会が行われたことを示す集会所跡及びそれらが確立された時代に遡ることの出来る集落跡を通して、中世の北方・ゲルマン文化を反映した特有のものであり、980年の創設から18世紀に至るまでその本質が存続してきたものである。

     《6》この集会所跡の力強い自然景観は12世紀の「サガ」を通して知られ、19世紀の独立闘争において強化された中世のゲルマン・バイキングらの統治法であるアルシングとの強い関連性の誇りは、集会所跡の力強い自然環境と共にこの地を象徴的価値を有する国家的な聖地たらしめている。

    スルセイ島

     《9》スルセイ島は1963〜67年の間に新たな火山島として誕生して以来、遷移・定着の研究において重要な役割を果たしてきた。
       この地は動植物・海洋有機体による陸地への定着の過程の独特な科学的記録を提供するとして、原初の遷移における世界規模での研究が長期間行われている数少ない場所の1つである。
       そこはまた地理的に孤立しているだけでなく誕生以来、法的に保護されており、人類活動の影響を受けていない原始的な自然の研究所を世界に提供している。
       以上のことから、その保護の継続性によりスルセイ島は未来に渡って続く生物学的定着における計り知れないほど価値のある資料を提供し続けるとされる。

    【アイルランド】

    ボイン渓谷の建造物群

     《1》ボイン渓谷の遺跡はヨーロッパにおける先史時代の巨石造形芸術の最大かつ最も重要な表現を表している。

     《3》この重要な儀式の中心地における社会・経済・埋葬関連の建造物群の集中と先史時代〜中世後期の長期に及ぶ継続によりこの地はヨーロッパにおける最も重要な考古遺跡の1つとなっている。

     《4》高度な表現がもたらされたこの地の新石器時代後期の巨石墓室は先史時代のヨーロッパおよび周辺地域において顕著な重要性を有する特徴となった。

    スケリグ=マイケル

     《3》《4》スケリグ=マイケルは特殊な環境により残った、海洋の三角岩に意図的に造営された初期の宗教的入植地の様々な点において独特で稀な例である。
         スケリグ=マイケルは他地域には示されない、北アフリカ・中東・ヨーロッパの大部分を特徴付けるキリスト教の禁欲生活の極端な例を例証している。

    【イスラエル】

    マサダ

     《3》マサダはイスラエルの古代のユダヤ人の王国と1世紀後半の凄まじい破壊及びその後のユダヤ人の離散の象徴である。

     《4》マサダのヘロデ大王の宮殿跡はローマ帝国初期の時代の豪奢な別荘の顕著な例であり、それらの建造物を取り囲む兵士の宿舎や城塞跡は現在まで残った最も良好で完璧なローマ帝国の包囲攻撃用の要塞である。

     《6》マサダの要塞や宮殿に立て篭もったユダヤ人亡命者の最後の時代における戦略的出来事はこの地をユダヤ人の文化的独自性及び、より普遍的には人類の圧制と自由の間の闘争の継続の象徴としている。

    アッコ旧市街

     《2》アッコは18〜19世紀に遡る既存のイスラム教の要塞都市の真下に中世の十字軍の建造物の遺構が保存されている優れた歴史都市である。

     《3》既存の街路の上下に残るアッコの十字軍都市の遺構は中世十字軍のエルサレム王国の都の設計・構造の稀な具現となっている。

     《5》現在のアッコは良好に保存され、一部のものは基礎を成す十字軍の建造物の上に建てられた城塞・モスク・隊商宿・公衆浴場を有するオスマン=トルコの城塞都市の重要な例である。

    テルアビヴの白亜の建築群―近代建築運動―

     《2》テルアビヴの白亜の都市は20世紀初期の建築・都市計画における近代運動の様々な流行の顕著な重要性を統合したものである。
       それらの影響はその地の文化的・気候的条件に適合させられ、土地の伝統と組み合わされた。

     《4》テルアビヴの新都市は特定の文化的・地理的背景の必要性に適合させたことによる20世紀初期の新たな都市計画・建築の顕著な例となっている。

    聖書時代の遺跡丘―メギド・ハツォール・ベエルシェバ―

     《2》3つの遺跡丘は広大な範囲の交易路と他国家間の連合を通して築かれた古代中東地域全体の人間的価値の交流を表しており、エジプト・シリア・エーゲ海地域の建築様式の混成により独特なその地方特有の様式を生み出した建築様式に明らかである。

     《3》3つの遺跡丘は都市計画・要塞・宮殿・灌漑技術の創造性の表現に明らかである、既に消滅した青銅器時代のカナン諸都市と鉄器時代の旧約聖書に記された都市群の文明の証拠である。

     《4》聖書時代の都市群は聖書の物語を通して後の歴史に多大な影響を及ぼした。

     《6》3つの遺跡丘は聖書における各々の記述を通して顕著で普遍的な価値を有する宗教的・精神的証拠となっている。

    ネゲヴの砂漠都市群

     《3》ナバテア王国の都市群と交易路はヘレニズム・ローマ世界に対する香料の経済的・社会的・文化的重要性を雄弁に物語るものである。
       その交易路は香料やその他の交易品だけでなく民族や思想が行き交う手段ともなった。

     《5》ネゲヴ砂漠の交易路沿いに一列に並ぶ殆ど化石化してしまった都市・城壁・隊商宿・洗練された農業施設の遺構は苛酷な砂漠環境に対する優れた対策及びそれらが500年に渡り繁栄した事を示している。

    ハイファとガリラヤ地方西部のバハーイー教の聖地

     《3》バハーイー信仰の最も神聖な地として毎年世界中から数千の巡礼者が訪れるバハーウッラー聖廟とバーブ聖廟はバハーイー教巡礼の強固な文化的伝統の稀な証拠を提示しており、力強い伝達者である。

     《6》2つのバハーイー教の聖所は世界の宗教の1つに多大な意義を有することが明白な場所である。

    エルサレム旧市街

     《2》エルサレム旧市街にはキリスト教・イスラム教の宗教建築に多大な影響を与えた聖墳墓教会や岩のドームの様な重要な建造物群が点在している。

     《3》先史時代から居住が続いてきたエルサレムの遺跡はエブス人(紀元前3000〜紀元前1000)・古代イスラエル人(ダビデ王の時代〜70年のティトゥスの包囲攻撃)・ローマ帝国(アエリア・カピトリーナと改名され東部の最も重要な入植地となった135年)・ビザンツ帝国及びアラブ人とキリスト教徒の共存(638〜1099)や西洋人の追放劇(1244)・スレイマン大帝の治世下で最盛期を迎えたトルコ人統治により特徴付けられた連続する中世の文明といった幾つもの消滅した文明の稀な証拠を示している。

     《6》エルサレムは人類の3つの重要な一神教であるユダヤ教・キリスト教・イスラム教の歴史に直接的・実質的に関わっている。

    【マルタ】

    ヴァレッタ旧市街

     《1》ヴァレッタ旧市街は新プラトン主義の哲理に触発された均一の都市平面及び選定された立地の自然地域と任意に嵌植された重要な記念碑の周囲に組織された堡塁を有する後期ルネサンスの特に優れた理想的創造作品である。
     
     《6》ヴァレッタは軍事史及び1566年にこの都市を創設し、以後250年間維持してきたエルサレムの聖ヨハネ慈善騎士団の歴史に取り消し得ない結びつきがある。
       それ故ヴァレッタは近代ヨーロッパの最も偉大な軍事的・倫理的部隊の1つの歴史と関係している。

    ハル=サフリエニ地下墳墓

     《3》ハル=サフリエニ地下墳墓は紀元前2500年ごろまで遡る地中海地域の青銅器時代の建造物の唯一知られる例であり、その建築的特性と注目すべき保存状態から極めて重要な先史時代の記念碑となっている。

    補足 明確な適応理由は不明。報告書から適宜抜き出したものである。

    マルタの巨石神殿群

     《4》マルタの巨石神殿群は文化的・芸術的・技術的分野における主要な発展を表す構造物の最も典型的な例を構成している。

    【ノルウェー】

    ブリュッゲン

     《3》1702年の火災後に再建された現在の姿において、調和の取れた古の街であるブリュッゲンはハンザ商人達の居住地区における空間使用を例証している。
       この地区はリューベックやノヴゴロドでさえ及ばない北方の“フォンダコ(商館)”の典型である。

    ウルネスのスターヴ教会

     《1》《2》《3》フィヨルドの自然景観の中で特別な様相を見せるスターヴ教会はスカンディナヴィア半島の伝統的木造建築の顕著な例である。
           この木造教会にはケルト美術・バイキングの伝統・ロマネスク様式の空間構造の足跡を辿ることが出来る。  

    補足 明確な登録理由は不明。概略を要約したものである。

    鉱山都市レーロース

     《3》1644年、レーロースの山で銅鉱が発見されてから採掘が終焉を迎えた1977年までドイツの採掘技術を起点としてドイツ人・デンマーク人・スウェーデン人・ノルウェーの移民を雇うことで遠隔で人口希薄な地域で価値ある銅を取り出す独特な文化が発展した。
       今日ではこの地域では採掘作業は行われていないがレーロースの鉱山都市と採掘・精錬所・輸送・水力管理の足跡は自然環境と立地の遠隔性の必要性への技術の適応の独特な証拠を有している。

     《4》レーロース都市景観と関連する産業・田園景観は都市環境の中にそれらと連結した産業活動と家庭・農業の宿泊施設を伴うことで、過酷な環境で生活していかなければなかった人々がどのように適応したか、また住まいの提供・生計を立てる食糧の生産・富国への貢献に使用可能な土地の資源をいかに使ったかを顕著に例証している。
       技術的にそれらの建造物や設備は過酷な環境への対応の社会的重要性に同時に便宜を図り採掘と農業の近接した慣習を機能的に満たす調達可能な土地の物資の使用を通して発展した。
       
     《5》レーロースの鉱山都市と周辺環境は伝統的な集落と土地利用の顕著な例である総体を構成している。
       この地域で行われた様々な活動は結合した相互依存の単一体を形成している。
       これらの活動は鉱山と鉱山都市が厳しい気候の過酷な環境において可能であることの限界点に接する、複雑で時に影響を受けやすい組織としてどのように機能したかの独特な具現を提供する文化的景観を形成した。

    アルタの岩絵

     《3》アルタの岩絵は先史時代に極北の地で人類の営みが行われていたことの重要な証拠の1つである。

    ヴェガオヤン―ヴェガ群島ー

     《5》ヴェガ群島は何世代もの漁民・農民ら

  • 【スロヴァキア】<br /><br />バンスカ・シュティアヴニツァの歴史都市と近隣の技術遺構<br /><br /> 《4》バンスカ・シュティアヴニツァの都市・産業の複合体と周辺地域は近代まで続き典型的で特徴的な型とされた、重大な経済的重要性を誇った中世の鉱山都市の顕著な例である。<br /><br /> 《5》操業停止と鉱山技師学校の廃止によりバンスカ・シュティアヴニツァの町は存在理由の大部分を失い、結果その特徴と都市構造は急激な衰退に対して脆くなっている。<br /><br />スピシュスキー城と関連文化財<br /><br /> 《4》スピシュスキー城と関連するスピシュスキー・ポドフラディエ、スピシュスカ・カピトゥラ、ジェヘラの町は中世ヨーロッパには多くあったがこれほど完璧で変わっていない状態で現存するものは殆どない、軍事的・政治的・宗教的要素を備えた稀な典型である。<br /><br />2009年に拡大登録し名称改変<br /><br />レヴォチャ、スピシュスキー城と関連文化財<br /><br /> 《4》スピシュスキー城とスピシュスケ・ポドフラディエ、スピシュスカ・カピトゥラ、ジェヘラの関連する文化財は、レヴォチャやスピシュのパウロの作品群まで拡大され、その軍事的・政治的・宗教的・商業的・文化的機能において東欧の中世集落の典型である非常に良好に保存された真正な建造物群の顕著な例を構成している。<br /><br />ヴルコリニェツ<br /><br /> 《4》ヴルコリニェツは主に山岳地帯に見られた丸太組み建築による典型的な中欧の型の珍しく現在まで集落単位で残るものである。<br />   村落の外見は昔と変わらずにその建築的特徴を良く残し、この種のものとしては最も良好に保存されたものである。<br /><br /> 《5》村落に残る変わらない45の家屋は多くの初期の構造上の特徴を残している。<br /><br />補足 報告書のICOMOSの勧告欄は審議延期となっている。<br />   これは政府による定義付けの文である。<br /><br />バルデヨフ市街保全地区<br /><br /> 《3》バルデヨフの要塞都市は中世における中欧の交易都市の経済・社会構造の飛び抜けて良好に保存された証拠を呈している。<br /><br /> 《4》バルデヨフの基礎平面・建造物・要塞は中世の中欧において当時の一大交易路沿いの重要拠点で発展した複合都市を例証している。<br /><br />カルパチア山脈のブナ原生林<br /><br /> 《9》カルパチア山脈のブナ原生林は、北半球の広大な分布とその生態学的重要性に寄与する、国際的に重要とされるブナ属の歴史と進化の研究に不可欠なものである。<br />   これらの人の手が及んでいない温帯混交林は多様な環境状況を越えたヨーロッパブナの単純林の包括的な生態学的傾向・過程を示している。<br />   ブナは温帯広葉樹林群系において最も重要な要素の1つであり、最終氷河期以降現在も続く陸生の生態系・生物群集の再定着・発達の顕著な例を表している。<br /><br />カルパチア山脈のスロヴァキア側の木造教会群<br /><br /> 《3》木造教会群はカルパチア地域北西部の伝統的宗教建築及びローマカトリックとビザンツの文化が出会い重複した比較的狭小な地域の相互的な民族的・文化的特徴の顕著な証拠を呈している。<br />   ルター派教会は17世紀の反ハプスブルク暴動や反乱の時代の上ハンガリーにおける宗教的寛容性の稀な証拠とされる。<br /><br /> 《4》木造教会群は中世後期から18世紀末にかけての木造宗教建築の最良の例を表している。<br />   それらの特徴的な外観・建造技術、さらには繊細な装飾は、ゴシック・ルネサンス・バロック様式の専門的建築概念に部分的に影響を受けた初期の地方伝統に由来する物である。<br />   西部(ローマカトリック)と東部(東方正教)の建築概念はこれらの木造建造物に反映されており、変化に富む意匠・技術的解決策・独特な装飾表現を伴う特異な宗教建築を生み出している。<br /><br />【ウクライナ】<br /><br />キエフの聖ソフィア大聖堂と関連修道院建築、ペチェールスカヤ大修道院<br /><br /> 《1》キエフの聖ソフィア大聖堂はその建築的概念と優れた装飾における独特な芸術的偉業である。<br />   12の柱が内部を5つの身廊に分かつ設計によりこの聖堂は18世紀の玉葱屋根の修復にて減ずることのなかった力強い表現が成された、ピラミッド状に並ぶキリストと12使徒を喚起させる様配置された13の丸屋根という象徴的概念と建築の完璧な混成を表している。<br />   東側の後陣の5つの礼拝堂と後陣へと繋がる非対称の塔がある北・南・西側の二層の桟敷の基礎平面は構造・技術共に独自のものである。<br />   丸天井の「全能の主キリスト」・袖廊の「受胎告知」・後陣の「祈る聖母」「聖餐」「デイシス」といった傑作を含む260?をも覆う独特なモザイク装飾によりキエフの聖ソフィア大聖堂はキリスト教芸術の金字塔となっている。<br />   大部分が修復された3000?にも及ぶ壁画はそのモザイク装飾全てを備え、オシオス=ルカス修道院の様なビザンツ帝国の同時期の大建造物と比較できるほどの豊かさを有した楽園の様な光景に寄与している。   <br /><br /> 《2》見本とされた聖ソフィア大聖堂の建築構造の様に、その装飾における絵画様式の特徴はキエフで活躍したイコン画家により11世紀のキエフルーシ全体に広まった。<br />   1240年のバトゥ=カーンに率いられたモンゴル軍及び1416年、1482年のクリミア・タタールによる侵略の中でその作品の大部分が失われたにも拘らず、それらの影響はノヴゴロド、プスコーフ、ヴラジーミル、スズダーリの中心部に垣間見ることが出来る。<br />   <br /> 《3》聖ソフィア大聖堂の装飾、特にキエフのオリガ王妃のコンスタンティノープル訪問という歴史的出来事あるいは熊狩り・リス狩り・猪狩り・楽士と宮廷芸人といった逸話を描いた西の塔の絵画は、民族間での交流により特徴付けられた広範な地域の中世文明の極めて稀な証拠を有している。<br /><br /> 《4》コンスタンティノープルのハギア・ソフィアに匹敵するとされたキエフの聖ソフィア大聖堂はギリシャ十字型教会の顕著な例である。<br />   横断部分以外に使用された中央の空間平面はより発展したものとなっている。<br />   ここは11世紀における東方正教の主要な大建造物の1つである。<br />   ビザンツ様式の手本に想を得た大聖堂はキエフの君主らのスラヴ人文化・世界主義的な文化に強く影響を受けた独特な記念碑の重要な独創性を有している。<br /><br />補足 ペチェールスカヤ大修道院の定義については不明。<br />   聖ソフィア大聖堂は報告書では《6》での登録も勧告されている。<br />  <br /> 《6》キエフ市街の中心部にある聖ソフィア大聖堂は聖ヴラジーミルの息子により創設されたキリスト教国家の都である“新たなコンスタンティノープル”を象徴している。<br />   ここは歴代の君主が戴冠し、ヤロスラフ賢公が1054年に十字架・椰子・貝殻で飾られた大理石製の石棺に埋葬されて以降は後の君主の埋葬場所ともなった大聖堂である。<br />   最盛期にはここには全ロシア初の図書館が備えられた。<br />   キエフの聖ソフィア大聖堂はピョートル大帝の時代でさえも彼の地でのその大成を祝賀するロシア国家創建の歴史に直接・明白に関係している。  <br /><br />リヴィフ歴史地区<br /><br /> 《2》その都市構造・建築においてリヴィフは東欧とイタリア・ドイツの建築的・芸術的伝統の融合の顕著な例である。<br /><br /> 《5》リヴィフはその政治的・商業的役割から引き寄せられた多くの文化・宗教の異なる民族が分立し、それぞれの共同体を作り上げていた事が現在の町の景観に見て取れる。<br /><br />【フランス】<br /><br />シャルトル大聖堂<br /><br /> 《1》非常に早く建てられたシャルトル大聖堂はその建築と装飾の統合によって中世キリスト教の最も調和の取れた様相を有する完璧で完全な表現を構成している。<br /><br /> 《2》シャルトル大聖堂はフランス内外のゴシック芸術の発展に多大な影響を及ぼした。<br />   ランス・アミアン・ボーベ等の大聖堂の建築家達がドイツのケルン・イギリスのウェストミンスター・スペインのレオンで模倣されたシャルトルの基礎設計を豊かにした。<br />   ステンドグラスの分野においてシャルトルの工房の影響はシャルトルのステンドグラス職人による地方工房の創設及び彩色硝子の周辺地域への輸出を通してブールジュからサンス・ルマン・トゥール・ポワティエ・ルーアン・カンタベリーにまで広く及んだ。<br /><br /> 《4》シャルトル大聖堂はゴシック大聖堂の文化的・社会的・美学的本質を定義するようになったとされる最も説明的な例の象徴であり、基本的な建造物の典型である。<br /><br />ヴェゼール渓谷の先史遺跡群と装飾洞窟群<br /><br /> 《1》「ローセルのヴィーナス」やキャップ・ブランの等身大の彫刻が彫られた壁面、モンティニャックで発見され1940年を先史芸術史の重要な年とした、その観察力の高さや色彩の豊富さ・表現の快活さが驚嘆すべき百体近くの動物が描かれた狩猟場面のラスコー洞窟の壁画といったヴェゼール渓谷の洞窟の表象芸術は先史芸術の傑作として世界中に認識されている。<br /><br /> 《3》ヴェゼール渓谷で発見された芸術の対象と作品は理解が非常に難しい、遥か昔に消滅した文明の極めて稀な証拠である。<br />   この旧石器時代に遡る人類史上最古の時代の理解に計り知れない程貴重な資料は古代(ローマ・ギリシャ・エジプト)より遥か以前の時代に起因するものである。<br /><br />モン・サン・ミッシェルとその湾<br /><br /> 《1》モン・サン・ミッシェルは自然立地と建築の先例の無い統合によるとされる独自の美的実現を成している。<br /><br /> 《3》モン・サン・ミッシェルは小島の限られた範囲での修道院と要塞村落の共存及び自らに忘れることの出来ないシルエットを浮かび上がらせる建造物の配置の独創性により比類無き複合体となっている。<br /><br /> 《6》モン・サン・ミッシェルは中世キリスト教文明の重要な聖地の1つである。<br /><br />ヴェルサイユの宮殿と庭園<br /><br /> 《1》ヴェルサイユの宮殿と庭園はその規模・特性・独創性による独特な芸術表現を構成している。<br /><br /> 《2》ヴェルサイユは17世紀末期から18世紀にかけてのフランス化したヨーロッパに多大な影響を与えた。<br />   クリストファー=レンはハンプトンコートにて、アンドレアス=シュリューターはベルリンの王宮のファサードの設計にヴェルサイユについての記憶を具体化させた。<br />   縮小型ヴェルサイユ宮殿がニンフェンブルク・カールスルーエ・ヴュルツブルク・ストックホルム・ポツダム等各地に建造されていった。<br />   アンドレ=ル=ノートルにより設計された庭園はウィンザーからカッセル・ラ=グランハといった都市やスウェーデン・デンマーク・ロシアに至る各地で数え切れないほど模造された。<br />   <br /> 《6》ヴェルサイユ宮殿は150年に及ぶフランス宮廷生活の全てを示すものである。<br />   ここでルイ14世によりエチケットの概念が定められた。<br /><br />ヴェズレーの丘と聖堂<br /><br /> 《1》ヴェズレーの聖堂はブルゴーニュ・ロマネスク芸術の傑作である。<br />その中央身廊は穹稜状穹窿の下方への押圧力により僅かに歪められている。<br />   しかしながら、この歪みはその様式及び世俗的寓意画や聖書・聖文集の場面といった描かれた主題の多様性において独特な、柱頭や丸みのある馬蹄形アーチを有する二種の色の石造弓形門を伴う拱廊の力強い律動を唯一強調するものである。<br />   身廊と拝廊との間の彫刻門はヴェズレーの名を普遍のものとしている。<br />   百科事典的な霊感に起因する中央のタンパンに彫られた「使徒に使命を与えるキリスト」はこの時代の科学の有様を明らかにしており、さらには西洋ロマネスク芸術の重要な記念碑の1つをこの地に残した彫刻家その人の創意の才能と情熱を止める事のなかった知識・経験の広さと複雑さをも示している。<br /><br /> 《6》12世紀、ヴェズレーの丘は中世キリスト教の精神性が胎動の様なものを引き起こしたことにより霊的交渉や叙事詩から十字軍まで様々な表現の形に息吹を与えた、一種の神秘的な力を持った場所であった。<br /><br />アミアン大聖堂<br /><br /> 《1》《2》アミアン大聖堂はジョン=ラスキンが偉大な芸術傑作の1つに数え、その建築やゴシック彫刻の発展への影響はブランナーやメッディングの作品に際立って見ることが出来る。<br /><br />アルルのローマとロマネスク様式の建造物群<br /><br /> 《2》城壁内の中庭を伴うサン・トロフィーム聖堂はプロヴァンス地方のロマネスク芸術の主要な記念碑の1つであり、12〜13世紀の地中海世界におけるその影響性は重要なものであった。<br /><br /> 《4》アルルはイタリアのヴェローナ同様、中世のヨーロッパ文明による古代都市の収用の特に重要な例を表している。<br /><br />フォントネーのシトー会修道院<br /><br /> 《4》シトー会の建築には規律と美的要素の理想を求めた優れた形態が見られる。<br />   フォントネーの修道院には農地・産業施設・工房・礼拝所などを備えた自給自足の精神の歴史的に重要な一面が見られる。<br /><br />補足 明確な登録理由は不明。報告書から適当と思われる部分を抜き出したものである。<br /><br />フォンテーヌブローの宮殿<br /><br /> 《2》フォンテーヌブローの宮殿の建築と装飾はフランス、引いてはヨーロッパの芸術発展に深い影響を与えた。<br /><br /> 《6》「世紀の家」と呼ばれナポレオン1世が誰よりも愛したフォンテーヌブローの王宮は、ヘンリ4世・ルイ13世・ルイ15世・ルイ16世が躊躇うことなく継ぎ足していった装飾の全ての様式や彼等の統治の痕跡を残している。<br /><br />補足 明確な登録理由は不明。報告書から適当と思われる部分を抜き出したものである。   <br />   <br />オランジェ<br /><br /> 《3》オランジェのローマ劇場は類型の中で、独自性は無いけれども稀な例となっている。<br /><br /> 《6》オランジェの凱旋門に彫られたローマ帝国のガリア人らとの戦いやローマ支配の確立は普遍的重要性を有している。<br /><br />アルケスナンの王立製塩所<br /><br /> 《1》《2》《4》宮殿同様の建築的特性の観念を構成する工場であるアルケスナンの王立製塩所は産業社会の誕生を取り成した文化的変質を完璧に例証する労働者の殿堂である。<br />       未完の都市の極めて重要な要素によりアルケスナンの王立製塩所は理想的ではあったが理想郷とはなりえなかった機能的な都市の原型への突き詰めた追求の稀有な例の1つとなっている。<br /><br />上記2009年に拡大登録し名称改変<br /><br />サラン・レ・バンの大製塩所からアルケ・スナンの王立製塩所までの、天日製塩施設<br /><br /> 《1》アルケセナンの王立製塩所は働く場所として設計されたもので規模・基準において最初の建築複合体であり、宮殿や重要な宗教施設と建築的特質と同等の関連性・関心により建てられた工場の最初の例である。<br />   それは観念的建築の稀な例の1つである。<br />   製塩所はクロード=ニコラ=ルドゥーの想像した理想都市の核であり工場を円形に取り囲むよう設計された。<br />   その製塩所の未完の理想建築はその未来への伝言の影響を余す所無く伝え続けている。<br /><br /> 《2》アルケセナンの王立製塩所は産業社会の誕生した18世紀終わりの欧州における根本的な文化的変容の証拠を有している。<br />   啓蒙時代の欧州を席巻した全ての哲学的潮流の完璧な実例である上、王立製塩所は後の50年を発展させることとなった産業建築の到来を告げた。<br /><br /> 《4》サランレバンとアルケセナンの製塩所は、少なくとも中世から20世紀まで行われていた、地下塩水の揚水と煎熬による塩の抽出・生産の顕著な技術的総体を呈している。<br /> <br />サン・サヴァン・シュル・ガルタンプの修道院と教会<br /> <br /> 《1》サン・サヴァン・シュル・ガルタンプの教会には11〜12世紀の壁画美術の最高傑作が揃っている。<br /><br /> 《3》サン・サヴァン・シュル・ガルタンプは11世紀にトゥール・ベリー・リモーザンといった地方に広まった精神性の痕跡を伝えている。<br /><br />補足 明確な適応理由は不明。報告書から適応しそうな部分を抜き出したものである。<br /><br />ナンシー<br /><br /> 《1》ナンシーは啓蒙君主の出資による都市化の最も美しく創造性に満ちたものの一例である。<br /><br /> 《4》ナンシーの広場は啓蒙君主が民衆の必要性を考え行った都市計画による近代都市を代表する、最古のものの1つである。<br /><br />補足 明確な適応理由は不明。報告書から適宜抜き出したものである。<br /><br />ポン・デュ・ガール<br /><br /> 《1》《3》《4》ポン・デュ・ガールはローマ帝国の技師と建築士の高度な技術を示す独特な例証である。<br /><br />ストラスブール旧市街<br /><br /> 《1》1230年頃の「天使の柱」から1439年頃の北の塔の完成までの各建造段階においてストラスブールのゴシック様式の大聖堂は独特な芸術的偉業とされる。<br />   142mの高さに届く、複雑な金線細工が施された桃色砂岩の尖塔は19世紀まで他に並ぶものの無い技術的偉業の1つであった。<br /><br /> 《2》ストラスブールの大聖堂はゴシック様式の芸術運動が遥か東方にまで及んでいたことを示す。<br />   この型がドイツ地方の彫塑芸術に及ぼした深い影響は、「天使の柱」・内陣仕切り・正面扉のそれぞれの影響の3段階に分けられる。<br />   ゲーテはストラスブールのノートルダム大聖堂を一際優れたゴシック大聖堂と評価し、19世紀の大聖堂の見本としてウルムやケルンの大聖堂の尖塔といった突飛な発想を引き起こしていった。<br />   <br /> 《4》ストラスブール旧市街は中欧の特徴的な都市構造と15〜16世紀のライン渓谷特有の家屋群の顕著な例である。<br /><br />ランス<br /><br /> 《1》13世紀の新たな建築技術の優れた使用及び建築と彫刻の協和的な融合により、ランスのノートルダム大聖堂はゴシック芸術の傑作とされる。<br /><br /> 《2》建築の完全性と教会の彫刻群は特にドイツ地域の、後の多くの同様の建造物に影響を与えた。<br /><br /> 《6》ランスの大聖堂・司教館・修道院はフランスの修道院史、引いてはフランス史に密接に関係している。<br />   ここは歴代の国王が戴冠式を執り行ってきた場であり、その教会と国家間の絶妙な均衡により、フランスの君主制は近代までヨーロッパ全体の政治の規範とされた。<br /><br />パリのセーヌ河岸<br /><br /> 《1》パリのセーヌ河岸には特にノートルダム大聖堂、サント・シャペル、ルーヴル宮、フランス学士院、廃兵院、コンコルド広場、旧陸軍士官学校、造幣局、シャンゼリゼ通りのグラン・パレ、エッフェル塔、シャイヨー宮を含む時代を超えて建造されてきた傑作群が建ち並んでいる。<br />   <br /> 《2》1853年に知事となったオスマンの都市西部の改造計画は新世界、特にラテンアメリカの大都市の構造の規範となった。<br />   エッフェル塔とシャイヨー宮は19〜20世紀にかけて高い重要性を持った万国博覧会の生きた例証となっている。<br /><br /> 《4》ノートルダム大聖堂やサント・シャペル等の建造物群はゴシック様式の影響力の強さを示し、コンコルド広場や廃兵院前の並木道はヨーロッパの各首都の都市発展に影響を与えた。<br />   マレ地区やサン・ルイ島には17〜18世紀の高い重要性を持つパリ市民の建築が密集している。<br /><br />補足 報告書では《1》《2》のみでの推薦となっており、ここの《4》の理由は《1》から適宜抜き出した<br />   ものである。<br /><br />ブールジュ大聖堂<br /><br /> 《1》ブールジュ大聖堂は熟達した空間管理と高い質を有する装飾や協和的な外観を結びつけた著しい美観を誇っている。 <br />  <br /> 《4》ブールジュ大聖堂はゴシック建築の発展において重要であり、中世フランスのキリスト教勢力の強大さの象徴ともなっている。<br /><br />補足 報告書では《1》のみでの推薦となっており、《4》の理由も《1》に含まれている。<br /><br />アヴィニヨン歴史地区:法王庁宮殿と司教関連建造物群、アヴィニョン橋<br /><br /> 《1》《2》《4》アヴィニヨン歴史地区の記念建造物群は中世後期の教会・行政・軍事建築の顕著な例であり、教皇と民衆の力の間の関係の発展において重要な時期であった頃のヨーロッパの広範囲にその特徴的な文化を広め、発展させる重要な役割を果たした。<br /><br />ミディ運河<br /><br /> 《1》《2》《4》《6》ミディ運河は産業革命や近代の技術革新による時代を直接導いた技術隆盛の見本を示す、近代の工学技術の最大の偉業の1つである。<br />         ミディ運河は殆ど並ぶものの無い、建築・景観設計の高い美学原理への配慮と技術革新とを結びつけた、設計された景観の優れた例となっている。<br /><br />歴史的城塞都市カルカッソンヌ<br /><br /> 《2》《4》ローマ時代後期に遡る城壁の上に築かれた巨大防御設備を有するカルカッソンヌの歴史都市は中世城塞都市の優れた例であり、後の保護の原理や慣例の発展に深い影響を与えたヴィオレ=ル=デュクによる19世紀後半の修復作業により傑出した重要性を有している。<br /><br />リヨン歴史地区<br /><br /> 《2》リヨンはヨーロッパ各地からの文化伝統が混ざり合って活発に継続している社会を生み出した商業的・戦略的重要性を有する土地での2000年以上に渡る都市への居住の継続の優れた証拠を有している。<br /><br /> 《4》空間的な発展の特殊性から見て、リヨンは数百年に及ぶ建築設計・都市計画の進歩・進展を優れた様相の中にて例証している。<br /><br />フランス側のサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路<br /><br /> 《2》サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路は中世後期の宗教的・文化的な交流・発展において重要な役割を果たし、その巡礼路沿いに建つ建造物群はそのことを明確に示している。<br /><br /> 《4》サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼者の物理的・精神的必要性はフランス側にてより発展した、もしくはここから生じた多くの特殊な型の礼拝堂の発展に繋がった。<br /><br /> 《6》サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路は中世ヨーロッパの全ての国、全ての階級の人々のキリスト教信仰の強大さ・影響性の優れた証拠を有している。<br /><br />サンテミリオン自治区<br /><br /> 《3》サンテミリオンの自治区はそこで行われてきた活動が現在まで続いている歴史的ワイン畑の景観の顕著な例である。<br /><br /> 《4》正確に区分けされた地域でのワイン生産の為の集約的な耕作とその結果誕生した景観をサンテミリオンの歴史的自治区は優れた様相の中に例証している。<br /><br />シュリー・シュル・ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷<br /><br /> 《1》ロワール渓谷はブロワ・シュノン・オルレアン・ソーミュール・トゥールのような歴史都市の質の高い建築遺産において特筆すべきものであり、その中でもシャンボール城は世界的名声を博している。<br />       <br /> 《2》ロワール渓谷は、2000年以上に渡る人類と環境の相互作用の協和的発展と人類の価値の交流の証拠を有する主要な河川沿いの著名な文化的景観である。<br /><br /> 《4》ロワール渓谷の景観と特にそこに建つ多数の文化財は西欧の思想と設計におけるルネサンス期と啓蒙時代の理想を優れた度合いで例証している。<br /><br />中世市場都市プロヴァン<br /><br /> 《2》2度目の黄金時代の到来によりプロヴァンはヨーロッパ北部と地中海世界とを繋ぐ一大定期市の会場となったシャンパーニュ伯領の町の1つであった。<br /><br /> 《4》プロヴァンは中世の一大市場都市であったことを特徴付ける建築と都市構造を高い度合いで残している。 <br /><br />オーギュスト=ペレによる再建都市ル・アーヴル<br /><br /> 《2》ル・アーヴルの第2次世界大戦後の再建計画は都市計画の伝統と近代の建築・技術・都市計画の発展の先駆的施工の中での統合の顕著な例である。<br /><br /> 《4》ル・アーヴルは組み立て式の工法と形式・基準寸法の機能的利用・コンクリートの革新的使用に基づく都市計画・建築の顕著な第2次世界大戦後の例である。<br />       <br />月の港ボルドー<br /><br /> 《2》月の港ボルドーは2000年以上に渡る人間的価値の交流の稀な証拠を構成している。<br />   これらの交流は19世紀から現代まで続いた稀な都市・建築の変遷を示す、他に類のない文化財である啓蒙時代の国際都市を作り上げた。<br />   この港湾都市の建造・発展の異なる段階はその都市計画、特に18世紀初期以降に行われた一大変遷に明白である。<br /><br /> 《4》月の港ボルドーは啓蒙時代に創造された顕著な都市・建築の複合体を表し、その重要性は20世紀前半まで続いた。<br />   ボルドーは200年以上に渡り文体上の断絶が起きることの無かった、都市と建築的な古典・新古典主義の表現の統合において稀なものである。<br />   その都市形状はこの都市を人文主義・普遍性・文化の坩堝とすることを望んだ哲学者達の成功を表している。 <br /><br />ヴォーバンの要塞<br /><br /> 《1》ヴォーバンの作品群は近代の西洋軍事建築の代表である、典型的な稜堡式要塞の最高峰の証拠を有している。<br /><br /> 《2》ヴォーバンは要塞史における主要な役割を果たした。<br />ヨーロッパ及びアメリカ大陸における彼の軍事建造物の基本形式の模倣や、中東の要塞の見本としての彼の要塞の形式の使用に沿った理論的思考のロシア・トルコへの普及は彼の業績の普遍性の証拠を有している。<br /><br /> 《4》ヴォーバンの作品は人類史上重要な段階を表している。<br />   それは軍事的な戦略・建築・建造技術・土木工学及び社会的・経済的組織構成に充てられた精神の業績である。<br /><br />ニューカレドニアの礁湖:珊瑚礁の多様性と関連する生態系<br /><br /> 《7》ニューカレドニアの熱帯礁湖と珊瑚礁は比較的狭小な地域における形状・形態の多様さから、世界で最も美しい珊瑚礁系の1つと考えられており、広大な二重鎖構造・外礁・珊瑚島から西部の沿岸に近い網目状の珊瑚礁の形態までの幅広さを有している。<br />   景観や沿岸背景の豊富さや多様性は優れた特性を有する、特徴的な美観に寄与している。<br />   この美麗さは珊瑚礁の中にアーチ・洞窟・大きな裂け目を伴う巨大な珊瑚の構造という珊瑚の多様性の劇的な展望により海面の下にまで続いている。<br /><br /> 《9》この連続的な資産の珊瑚礁の総体は海洋に「独立」し、ニューカレドニアを取り囲んでおり、様々な海洋露出の多様性を呈し暖流・寒流の両方を含むことから地球規模で独特である。<br />   この珊瑚礁の総体は裾礁から環礁といった全ての主要な珊瑚礁の種類の他、沿岸・海洋における関連する生態系も含む、一大的な形態の多様性を有している。<br />   重要な海洋の傾斜が広がることにより、ここは熱帯の礁湖及び珊瑚礁系の基礎となる生態学的・生物学的過程の地球最良の例の1つであり、最古かつ最も複雑な生態系の類型の1つである。<br /><br /> 《10》この資産はマングローブから海草までの生息地の連続体や広大な範囲の珊瑚礁の形態により、優れた多様性を有する海洋地域である。<br />   ニューカレドニアの堡礁や環礁は広大さで世界でも3本に数えられる珊瑚礁の1つであり、フィジーの珊瑚礁と共にオセアニアで最も重要な珊瑚礁である。<br />   それらは国際的分類制度に基づく146種の珊瑚礁構造という世界で最も多様な珊瑚礁の集中地域であり、珊瑚・魚類の多様性においては遥かに広大なグレートバリアリーフと同等あるいは凌ぐとさえされている。<br />   また、世界でも3番目に多くのジュゴンの個体群を含む、数多くの絶滅が危惧される魚類・亀甲類・海洋哺乳類の生息地を提供している。<br /><br />レユニオン<br /><br /> 《7》火山現活動、地質構造の地滑り現象、多雨、河食の総体はピトン・ド・ネージュの休火山とピトン・ド・ラ・フルネーズの活火山の2座の火山の峻峰を抱く印象的な優美さを併せ持つ峻厳で劇的な景観を形成している。<br />   その他の主要な景観の特徴には「城壁」と称される多様な地質学的年代・特徴を有する断崖絶壁や目を引く高度と垂直さを併せ持つ巨大な天然の円形演技場と評される「圏谷」が含まれる。<br />   ここには亜熱帯雨林・雲霧林・荒野を伴う一部が森に覆われた深淵の渓谷や急斜面が顕著で視覚的に心を打つ生態系と景観の特徴の総体を築き上げている。<br /><br /> 《10》本資産は高度な固有性を有する植物多様性の地球的中心地であり、多様な希少林の類型を含むマスカレーヌ諸島の陸生植物多様性の保護に最も重要な遺存する自然の生息地を含んでいる。<br />   マスカレーヌ諸島における環境への主要な、あるいは一部の抗しきれない人的影響を考慮すると、本資産は膨大な数の固有種・危急種・絶滅危惧種の生存にとって最後の避難所とされる。<br />   <br />司教座都市アルビ<br /><br /> 《4》アルビの歴史的都市は顕著な中世の建築・都市の総体を呈している。<br />   それはその地方の焼成煉瓦の一般的・永続的使用による高度な視覚的結合性を有する高質な都市景観を通して表現されている。<br />   聖セシル大聖堂は南フランスの文脈へのゴシック様式の適応の優れた建築的・装飾的一例である。<br /><br /> 《5》アルビの都市地域は漸進的に、特に中世以降から発展した。<br />   アルビジョワ十字軍は大聖堂や司教の城塞宮殿を中心とした象徴的な司教座都市へと変貌させた。<br />   ここはこの種の総体として、これ程の高度な完璧で良好な保存度合のものとしては稀な一例である。<br />   アルビは中世・ルネッサンス期の欧州の典型的な都市居住区の類型の非常に包括的な例を表している。<br /><br />【スロベニア】<br /><br />シュコツィアン鍾乳洞<br /><br /> 《7》シュコツィアン鍾乳洞群は良好に保存されたカルスト地形の浸食の独特な例を見ることが出来、幾つもの地下河川やその印象的な大きさ・崩壊ドリーネ・地下の滝は世界でも独特である。<br />   また、19世紀以降より続くカルスト地形の基礎研究にとって重要であり、「カルスト」・「ドリーネ」の言葉はこの地方に由来するものである。<br /><br /> 《9》シュコツィアン鍾乳洞群の数千年に渡る石灰質の鍾乳洞の生物の分類体系は特異なものの1つであり、関連する様々な自然状態や地下の特徴からも世界でも有数の典型的カルスト地形の研究に適した場所となっている。<br /><br />【ブルガリア】<br /><br />リラの僧院<br /><br /> 《6》リラの僧院は18〜19世紀のブルガリアルネサンスの特徴的な例であり、数百年の支配の後に続くスラブ人の文化的独自性を象徴している。<br /><br />補足 明確な理由は不明。概要の項から適当と思われる部分を抜き出したものである。<br /><br />古代都市ネセバル<br /><br /> 《3》《4》ネセバルは消滅した複数の文明の証拠を残すと共に、様々な事由において瀕死の帝国の辺地に位置する辺境都市の重要な歴史的立場を例証している。<br /><br />ピリン国立公園<br /><br /> 《7》ピリン国立公園の山岳景観は傑出した優美性を有している。<br />   高峰・峻厳な岩山が牧草地・河川・滝と対照を成し、バルカン地域の山岳景観の優美を経験する機会を提供している。<br />   遠隔と自然性を体験する能力は本資産の顕著で普遍的な価値の重要な特質である。<br /><br /> 《8》ピリン国立公園の主要な地球科学的価値は圏谷・深淵の峡谷・70以上の氷河湖を含む幅広い特徴により例証された、その氷河地形に関連している。<br />   ピリン国立公園の山岳は多様な形状を示し、複数の異なる岩石の種類を発達させた。<br />   自然作用が機能している事で継続する本資産の地形の発達の研究が可能となっており、他の高地帯の理解に一役買っている。<br /><br /> 《9》ピリン国立公園は数多くの固有種と遺存種により証拠付けられる継続する植物相進化の好例であり、また本資産はバルカン高地の重要な自然の生態系の典型である機能的生態系の一例を保護している。<br />   ピリン国立公園の天然の針葉樹林はマケドニアマツやボスニアマツ等、多くの古生木を含んでいる。<br />   全体でブルガリアの植物相の3分の1となる1315種の維管束植物が生息、86種がバルカン固有、17種がブルガリア固有、18種がこの地方の固有である。<br />   ピリン国立公園の動物相はヒグマ、オオカミ、ムナキテンを含む45種の哺乳類と159種の鳥類を含んでいる。<br />   ピリンはまた8種の両生類、11種の爬虫類、6種の魚類の棲家でもある。<br />   森林帯は幾分か歴史的使用の影響を受けているはいるものの生態系の自然機能はその地域的に重要な生物多様性の価値を守り続けている。<br /><br />スレバルナ自然保護区<br /><br /> 《10》スレバルナ自然保護区はかつてブルガリア全土に広がっていた湿地の類型の重要な例を保護している。<br />   それは絶滅に向かいつつある動植物種の多様性を守っている。<br />   湿地は重要な繁殖・準備・越冬地域であり、ヨシの浮島と沈水した柳の森は重要な鳥類繁殖の場である。<br />   湖最北部ではヨシが湿性低茎草地を徐々に形成しつつあり、最北西部とドナウ河岸部にはセイヨウシロヤナギの単純老木による河岸林帯が存在している。<br />   スレバルナ自然保護区により支えられる豊富な鳥類はその国合い的重要性の基礎となっており、種の生存に重要とされる鳥類の個体群を育んでいる。<br />   それはブルガリア唯一のハイイロペリカンの群集やより国際的な絶滅危惧種であるコビトウ、メジロガモ、オジロワシ、ウズラクイナの最大の繁殖個体群を育んでいる。<br />   スレバルナはヨシゴイ、ゴイサギ、カンムリサギ、コサギ、ムラサキサギ、ブロンズトキ、ヘラサギ、アカツクシガモの維持において欧州規模での重要性も有しており、3種のアジサシも生息している。<br />   国際的な絶滅危惧種であるコビトウやアオガンが保護区で越冬し、中でもマガンやハイイロガン、ノハラツグミの越冬する個体群が顕著である。<br /><br />スヴェシュタリのトラキア人墓地<br /><br /> 《1》スヴェシュタリのトラキア人墓地は逆さにしたパルメット(椰子の葉を模した装飾)形のキトン(古代の毛織着衣)を纏った半分人で半分植物の様な女人像を有する独特な芸術的偉業である。<br />   黄土色・茶色・青色・赤色・薄紫色といった当時のままの多色装飾が残っているということが、人に似た形をした土台が一種の祭儀舞踊を思わせる抽象的な姿勢に固定された嘆く一団の印象を思い起こさせる印象的な構成の妖艶な魅力に加味している。<br /><br /> 《3》スヴェシュタリの墳墓は古代の地理に調和したギリシャ人・ヒュペルボレオス人の世界との接触の為にヘムス(現在のスタナ・プラニナ)北部に定住していたゲト−トラキア民族の文化の稀な証拠である。<br /><br />【クロアチア】<br /><br />プリトヴィチェ湖群国立公園<br /><br /> 《7》プリトヴィチェ湖群国立公園には統治体系の歴史的発展に寄与した、長期の定住等の文化と自然の要素の優れた混成が見られる。<br /><br /> 《9》プリトヴィチェ湖群国立公園はその景観と水文学的体系の特徴を形作る、他の影響を受けていない湧泉沈殿物(凝灰岩)の生成が見られ、凝灰岩とそれが育む植物群は同公園の生態系に影響を与える重要な要因となっている。<br />   また、同公園は人類と自然景観の相互作用が見られる場所でもある。<br /><br />ポレチュ<br /><br /> 《2》《3》《4》ポレチュ歴史地区のエウフラシス聖堂建造物群はその完全性と独特な長堂式の大聖堂において稀な初期キリスト教の司教の建造物の顕著な例である。<br /><br />トロギール<br /><br /> 《2》《4》トロギールは近代の干渉を最小限に抑え、その都市構造を傑出した度合いで残すローマ・ギリシャ時代の都市の上に築き、適応させた中世都市の傑出した例であり、そこでの社会的・文化的発展の軌跡は町並みのそこかしこに鮮明に見ることが出来る。<br /><br />シベニクの聖ヤコブ大聖堂<br /><br /> 《1》ゴシックとルネサンスの様式が混成されたシベニクの聖ヤコブ大聖堂の構造的特徴は独特で顕著なものである。<br /><br /> 《2》聖ヤコブ大聖堂は15〜16世紀における北イタリア・ダルマツィア地方・トスカーナ地方の3つの異なる文化を持つ地域間の少なからぬ影響の交流が結実したものである。<br />   これらの交流は大聖堂の穹窿とドーム建造における技術的・構造的問題の独特で顕著な解決策を生み出す環境を作り上げた。<br /><br /> 《4》シベニクの聖ヤコブ大聖堂は教会建築におけるゴシックからルネサンスへの変遷の独特な証明である。<br /><br />スタリ・グラド平原<br /><br /> 《2》紀元前4世紀に遡るスタリ・グラド平原の土地分配制度は地中海世界の農地分配におけるギリシャの幾何学的手本の普及の証拠を有している。<br /><br /> 《3》スタリ・グラドの農耕平原は2400年の間、最初に生産された穀物と同様の物が生産されている継続的使用が依然として残り、その不変性と持続性の証拠を有している。<br /><br /> 《5》スタリ・グラドの農耕平原とその環境は、今日では過疎と伝統的農耕慣習の放棄による近代の経済発展の脅威の下にある、非常に歴史のある伝統的人類集落の一例である。

    【スロヴァキア】

    バンスカ・シュティアヴニツァの歴史都市と近隣の技術遺構

     《4》バンスカ・シュティアヴニツァの都市・産業の複合体と周辺地域は近代まで続き典型的で特徴的な型とされた、重大な経済的重要性を誇った中世の鉱山都市の顕著な例である。

     《5》操業停止と鉱山技師学校の廃止によりバンスカ・シュティアヴニツァの町は存在理由の大部分を失い、結果その特徴と都市構造は急激な衰退に対して脆くなっている。

    スピシュスキー城と関連文化財

     《4》スピシュスキー城と関連するスピシュスキー・ポドフラディエ、スピシュスカ・カピトゥラ、ジェヘラの町は中世ヨーロッパには多くあったがこれほど完璧で変わっていない状態で現存するものは殆どない、軍事的・政治的・宗教的要素を備えた稀な典型である。

    2009年に拡大登録し名称改変

    レヴォチャ、スピシュスキー城と関連文化財

     《4》スピシュスキー城とスピシュスケ・ポドフラディエ、スピシュスカ・カピトゥラ、ジェヘラの関連する文化財は、レヴォチャやスピシュのパウロの作品群まで拡大され、その軍事的・政治的・宗教的・商業的・文化的機能において東欧の中世集落の典型である非常に良好に保存された真正な建造物群の顕著な例を構成している。

    ヴルコリニェツ

     《4》ヴルコリニェツは主に山岳地帯に見られた丸太組み建築による典型的な中欧の型の珍しく現在まで集落単位で残るものである。
       村落の外見は昔と変わらずにその建築的特徴を良く残し、この種のものとしては最も良好に保存されたものである。

     《5》村落に残る変わらない45の家屋は多くの初期の構造上の特徴を残している。

    補足 報告書のICOMOSの勧告欄は審議延期となっている。
       これは政府による定義付けの文である。

    バルデヨフ市街保全地区

     《3》バルデヨフの要塞都市は中世における中欧の交易都市の経済・社会構造の飛び抜けて良好に保存された証拠を呈している。

     《4》バルデヨフの基礎平面・建造物・要塞は中世の中欧において当時の一大交易路沿いの重要拠点で発展した複合都市を例証している。

    カルパチア山脈のブナ原生林

     《9》カルパチア山脈のブナ原生林は、北半球の広大な分布とその生態学的重要性に寄与する、国際的に重要とされるブナ属の歴史と進化の研究に不可欠なものである。
       これらの人の手が及んでいない温帯混交林は多様な環境状況を越えたヨーロッパブナの単純林の包括的な生態学的傾向・過程を示している。
       ブナは温帯広葉樹林群系において最も重要な要素の1つであり、最終氷河期以降現在も続く陸生の生態系・生物群集の再定着・発達の顕著な例を表している。

    カルパチア山脈のスロヴァキア側の木造教会群

     《3》木造教会群はカルパチア地域北西部の伝統的宗教建築及びローマカトリックとビザンツの文化が出会い重複した比較的狭小な地域の相互的な民族的・文化的特徴の顕著な証拠を呈している。
       ルター派教会は17世紀の反ハプスブルク暴動や反乱の時代の上ハンガリーにおける宗教的寛容性の稀な証拠とされる。

     《4》木造教会群は中世後期から18世紀末にかけての木造宗教建築の最良の例を表している。
       それらの特徴的な外観・建造技術、さらには繊細な装飾は、ゴシック・ルネサンス・バロック様式の専門的建築概念に部分的に影響を受けた初期の地方伝統に由来する物である。
       西部(ローマカトリック)と東部(東方正教)の建築概念はこれらの木造建造物に反映されており、変化に富む意匠・技術的解決策・独特な装飾表現を伴う特異な宗教建築を生み出している。

    【ウクライナ】

    キエフの聖ソフィア大聖堂と関連修道院建築、ペチェールスカヤ大修道院

     《1》キエフの聖ソフィア大聖堂はその建築的概念と優れた装飾における独特な芸術的偉業である。
       12の柱が内部を5つの身廊に分かつ設計によりこの聖堂は18世紀の玉葱屋根の修復にて減ずることのなかった力強い表現が成された、ピラミッド状に並ぶキリストと12使徒を喚起させる様配置された13の丸屋根という象徴的概念と建築の完璧な混成を表している。
       東側の後陣の5つの礼拝堂と後陣へと繋がる非対称の塔がある北・南・西側の二層の桟敷の基礎平面は構造・技術共に独自のものである。
       丸天井の「全能の主キリスト」・袖廊の「受胎告知」・後陣の「祈る聖母」「聖餐」「デイシス」といった傑作を含む260?をも覆う独特なモザイク装飾によりキエフの聖ソフィア大聖堂はキリスト教芸術の金字塔となっている。
       大部分が修復された3000?にも及ぶ壁画はそのモザイク装飾全てを備え、オシオス=ルカス修道院の様なビザンツ帝国の同時期の大建造物と比較できるほどの豊かさを有した楽園の様な光景に寄与している。   

     《2》見本とされた聖ソフィア大聖堂の建築構造の様に、その装飾における絵画様式の特徴はキエフで活躍したイコン画家により11世紀のキエフルーシ全体に広まった。
       1240年のバトゥ=カーンに率いられたモンゴル軍及び1416年、1482年のクリミア・タタールによる侵略の中でその作品の大部分が失われたにも拘らず、それらの影響はノヴゴロド、プスコーフ、ヴラジーミル、スズダーリの中心部に垣間見ることが出来る。
       
     《3》聖ソフィア大聖堂の装飾、特にキエフのオリガ王妃のコンスタンティノープル訪問という歴史的出来事あるいは熊狩り・リス狩り・猪狩り・楽士と宮廷芸人といった逸話を描いた西の塔の絵画は、民族間での交流により特徴付けられた広範な地域の中世文明の極めて稀な証拠を有している。

     《4》コンスタンティノープルのハギア・ソフィアに匹敵するとされたキエフの聖ソフィア大聖堂はギリシャ十字型教会の顕著な例である。
       横断部分以外に使用された中央の空間平面はより発展したものとなっている。
       ここは11世紀における東方正教の主要な大建造物の1つである。
       ビザンツ様式の手本に想を得た大聖堂はキエフの君主らのスラヴ人文化・世界主義的な文化に強く影響を受けた独特な記念碑の重要な独創性を有している。

    補足 ペチェールスカヤ大修道院の定義については不明。
       聖ソフィア大聖堂は報告書では《6》での登録も勧告されている。
      
     《6》キエフ市街の中心部にある聖ソフィア大聖堂は聖ヴラジーミルの息子により創設されたキリスト教国家の都である“新たなコンスタンティノープル”を象徴している。
       ここは歴代の君主が戴冠し、ヤロスラフ賢公が1054年に十字架・椰子・貝殻で飾られた大理石製の石棺に埋葬されて以降は後の君主の埋葬場所ともなった大聖堂である。
       最盛期にはここには全ロシア初の図書館が備えられた。
       キエフの聖ソフィア大聖堂はピョートル大帝の時代でさえも彼の地でのその大成を祝賀するロシア国家創建の歴史に直接・明白に関係している。  

    リヴィフ歴史地区

     《2》その都市構造・建築においてリヴィフは東欧とイタリア・ドイツの建築的・芸術的伝統の融合の顕著な例である。

     《5》リヴィフはその政治的・商業的役割から引き寄せられた多くの文化・宗教の異なる民族が分立し、それぞれの共同体を作り上げていた事が現在の町の景観に見て取れる。

    【フランス】

    シャルトル大聖堂

     《1》非常に早く建てられたシャルトル大聖堂はその建築と装飾の統合によって中世キリスト教の最も調和の取れた様相を有する完璧で完全な表現を構成している。

     《2》シャルトル大聖堂はフランス内外のゴシック芸術の発展に多大な影響を及ぼした。
       ランス・アミアン・ボーベ等の大聖堂の建築家達がドイツのケルン・イギリスのウェストミンスター・スペインのレオンで模倣されたシャルトルの基礎設計を豊かにした。
       ステンドグラスの分野においてシャルトルの工房の影響はシャルトルのステンドグラス職人による地方工房の創設及び彩色硝子の周辺地域への輸出を通してブールジュからサンス・ルマン・トゥール・ポワティエ・ルーアン・カンタベリーにまで広く及んだ。

     《4》シャルトル大聖堂はゴシック大聖堂の文化的・社会的・美学的本質を定義するようになったとされる最も説明的な例の象徴であり、基本的な建造物の典型である。

    ヴェゼール渓谷の先史遺跡群と装飾洞窟群

     《1》「ローセルのヴィーナス」やキャップ・ブランの等身大の彫刻が彫られた壁面、モンティニャックで発見され1940年を先史芸術史の重要な年とした、その観察力の高さや色彩の豊富さ・表現の快活さが驚嘆すべき百体近くの動物が描かれた狩猟場面のラスコー洞窟の壁画といったヴェゼール渓谷の洞窟の表象芸術は先史芸術の傑作として世界中に認識されている。

     《3》ヴェゼール渓谷で発見された芸術の対象と作品は理解が非常に難しい、遥か昔に消滅した文明の極めて稀な証拠である。
       この旧石器時代に遡る人類史上最古の時代の理解に計り知れない程貴重な資料は古代(ローマ・ギリシャ・エジプト)より遥か以前の時代に起因するものである。

    モン・サン・ミッシェルとその湾

     《1》モン・サン・ミッシェルは自然立地と建築の先例の無い統合によるとされる独自の美的実現を成している。

     《3》モン・サン・ミッシェルは小島の限られた範囲での修道院と要塞村落の共存及び自らに忘れることの出来ないシルエットを浮かび上がらせる建造物の配置の独創性により比類無き複合体となっている。

     《6》モン・サン・ミッシェルは中世キリスト教文明の重要な聖地の1つである。

    ヴェルサイユの宮殿と庭園

     《1》ヴェルサイユの宮殿と庭園はその規模・特性・独創性による独特な芸術表現を構成している。

     《2》ヴェルサイユは17世紀末期から18世紀にかけてのフランス化したヨーロッパに多大な影響を与えた。
       クリストファー=レンはハンプトンコートにて、アンドレアス=シュリューターはベルリンの王宮のファサードの設計にヴェルサイユについての記憶を具体化させた。
       縮小型ヴェルサイユ宮殿がニンフェンブルク・カールスルーエ・ヴュルツブルク・ストックホルム・ポツダム等各地に建造されていった。
       アンドレ=ル=ノートルにより設計された庭園はウィンザーからカッセル・ラ=グランハといった都市やスウェーデン・デンマーク・ロシアに至る各地で数え切れないほど模造された。
       
     《6》ヴェルサイユ宮殿は150年に及ぶフランス宮廷生活の全てを示すものである。
       ここでルイ14世によりエチケットの概念が定められた。

    ヴェズレーの丘と聖堂

     《1》ヴェズレーの聖堂はブルゴーニュ・ロマネスク芸術の傑作である。
    その中央身廊は穹稜状穹窿の下方への押圧力により僅かに歪められている。
       しかしながら、この歪みはその様式及び世俗的寓意画や聖書・聖文集の場面といった描かれた主題の多様性において独特な、柱頭や丸みのある馬蹄形アーチを有する二種の色の石造弓形門を伴う拱廊の力強い律動を唯一強調するものである。
       身廊と拝廊との間の彫刻門はヴェズレーの名を普遍のものとしている。
       百科事典的な霊感に起因する中央のタンパンに彫られた「使徒に使命を与えるキリスト」はこの時代の科学の有様を明らかにしており、さらには西洋ロマネスク芸術の重要な記念碑の1つをこの地に残した彫刻家その人の創意の才能と情熱を止める事のなかった知識・経験の広さと複雑さをも示している。

     《6》12世紀、ヴェズレーの丘は中世キリスト教の精神性が胎動の様なものを引き起こしたことにより霊的交渉や叙事詩から十字軍まで様々な表現の形に息吹を与えた、一種の神秘的な力を持った場所であった。

    アミアン大聖堂

     《1》《2》アミアン大聖堂はジョン=ラスキンが偉大な芸術傑作の1つに数え、その建築やゴシック彫刻の発展への影響はブランナーやメッディングの作品に際立って見ることが出来る。

    アルルのローマとロマネスク様式の建造物群

     《2》城壁内の中庭を伴うサン・トロフィーム聖堂はプロヴァンス地方のロマネスク芸術の主要な記念碑の1つであり、12〜13世紀の地中海世界におけるその影響性は重要なものであった。

     《4》アルルはイタリアのヴェローナ同様、中世のヨーロッパ文明による古代都市の収用の特に重要な例を表している。

    フォントネーのシトー会修道院

     《4》シトー会の建築には規律と美的要素の理想を求めた優れた形態が見られる。
       フォントネーの修道院には農地・産業施設・工房・礼拝所などを備えた自給自足の精神の歴史的に重要な一面が見られる。

    補足 明確な登録理由は不明。報告書から適当と思われる部分を抜き出したものである。

    フォンテーヌブローの宮殿

     《2》フォンテーヌブローの宮殿の建築と装飾はフランス、引いてはヨーロッパの芸術発展に深い影響を与えた。

     《6》「世紀の家」と呼ばれナポレオン1世が誰よりも愛したフォンテーヌブローの王宮は、ヘンリ4世・ルイ13世・ルイ15世・ルイ16世が躊躇うことなく継ぎ足していった装飾の全ての様式や彼等の統治の痕跡を残している。

    補足 明確な登録理由は不明。報告書から適当と思われる部分を抜き出したものである。   
       
    オランジェ

     《3》オランジェのローマ劇場は類型の中で、独自性は無いけれども稀な例となっている。

     《6》オランジェの凱旋門に彫られたローマ帝国のガリア人らとの戦いやローマ支配の確立は普遍的重要性を有している。

    アルケスナンの王立製塩所

     《1》《2》《4》宮殿同様の建築的特性の観念を構成する工場であるアルケスナンの王立製塩所は産業社会の誕生を取り成した文化的変質を完璧に例証する労働者の殿堂である。
           未完の都市の極めて重要な要素によりアルケスナンの王立製塩所は理想的ではあったが理想郷とはなりえなかった機能的な都市の原型への突き詰めた追求の稀有な例の1つとなっている。

    上記2009年に拡大登録し名称改変

    サラン・レ・バンの大製塩所からアルケ・スナンの王立製塩所までの、天日製塩施設

     《1》アルケセナンの王立製塩所は働く場所として設計されたもので規模・基準において最初の建築複合体であり、宮殿や重要な宗教施設と建築的特質と同等の関連性・関心により建てられた工場の最初の例である。
       それは観念的建築の稀な例の1つである。
       製塩所はクロード=ニコラ=ルドゥーの想像した理想都市の核であり工場を円形に取り囲むよう設計された。
       その製塩所の未完の理想建築はその未来への伝言の影響を余す所無く伝え続けている。

     《2》アルケセナンの王立製塩所は産業社会の誕生した18世紀終わりの欧州における根本的な文化的変容の証拠を有している。
       啓蒙時代の欧州を席巻した全ての哲学的潮流の完璧な実例である上、王立製塩所は後の50年を発展させることとなった産業建築の到来を告げた。

     《4》サランレバンとアルケセナンの製塩所は、少なくとも中世から20世紀まで行われていた、地下塩水の揚水と煎熬による塩の抽出・生産の顕著な技術的総体を呈している。
     
    サン・サヴァン・シュル・ガルタンプの修道院と教会
     
     《1》サン・サヴァン・シュル・ガルタンプの教会には11〜12世紀の壁画美術の最高傑作が揃っている。

     《3》サン・サヴァン・シュル・ガルタンプは11世紀にトゥール・ベリー・リモーザンといった地方に広まった精神性の痕跡を伝えている。

    補足 明確な適応理由は不明。報告書から適応しそうな部分を抜き出したものである。

    ナンシー

     《1》ナンシーは啓蒙君主の出資による都市化の最も美しく創造性に満ちたものの一例である。

     《4》ナンシーの広場は啓蒙君主が民衆の必要性を考え行った都市計画による近代都市を代表する、最古のものの1つである。

    補足 明確な適応理由は不明。報告書から適宜抜き出したものである。

    ポン・デュ・ガール

     《1》《3》《4》ポン・デュ・ガールはローマ帝国の技師と建築士の高度な技術を示す独特な例証である。

    ストラスブール旧市街

     《1》1230年頃の「天使の柱」から1439年頃の北の塔の完成までの各建造段階においてストラスブールのゴシック様式の大聖堂は独特な芸術的偉業とされる。
       142mの高さに届く、複雑な金線細工が施された桃色砂岩の尖塔は19世紀まで他に並ぶものの無い技術的偉業の1つであった。

     《2》ストラスブールの大聖堂はゴシック様式の芸術運動が遥か東方にまで及んでいたことを示す。
       この型がドイツ地方の彫塑芸術に及ぼした深い影響は、「天使の柱」・内陣仕切り・正面扉のそれぞれの影響の3段階に分けられる。
       ゲーテはストラスブールのノートルダム大聖堂を一際優れたゴシック大聖堂と評価し、19世紀の大聖堂の見本としてウルムやケルンの大聖堂の尖塔といった突飛な発想を引き起こしていった。
       
     《4》ストラスブール旧市街は中欧の特徴的な都市構造と15〜16世紀のライン渓谷特有の家屋群の顕著な例である。

    ランス

     《1》13世紀の新たな建築技術の優れた使用及び建築と彫刻の協和的な融合により、ランスのノートルダム大聖堂はゴシック芸術の傑作とされる。

     《2》建築の完全性と教会の彫刻群は特にドイツ地域の、後の多くの同様の建造物に影響を与えた。

     《6》ランスの大聖堂・司教館・修道院はフランスの修道院史、引いてはフランス史に密接に関係している。
       ここは歴代の国王が戴冠式を執り行ってきた場であり、その教会と国家間の絶妙な均衡により、フランスの君主制は近代までヨーロッパ全体の政治の規範とされた。

    パリのセーヌ河岸

     《1》パリのセーヌ河岸には特にノートルダム大聖堂、サント・シャペル、ルーヴル宮、フランス学士院、廃兵院、コンコルド広場、旧陸軍士官学校、造幣局、シャンゼリゼ通りのグラン・パレ、エッフェル塔、シャイヨー宮を含む時代を超えて建造されてきた傑作群が建ち並んでいる。
       
     《2》1853年に知事となったオスマンの都市西部の改造計画は新世界、特にラテンアメリカの大都市の構造の規範となった。
       エッフェル塔とシャイヨー宮は19〜20世紀にかけて高い重要性を持った万国博覧会の生きた例証となっている。

     《4》ノートルダム大聖堂やサント・シャペル等の建造物群はゴシック様式の影響力の強さを示し、コンコルド広場や廃兵院前の並木道はヨーロッパの各首都の都市発展に影響を与えた。
       マレ地区やサン・ルイ島には17〜18世紀の高い重要性を持つパリ市民の建築が密集している。

    補足 報告書では《1》《2》のみでの推薦となっており、ここの《4》の理由は《1》から適宜抜き出した
       ものである。

    ブールジュ大聖堂

     《1》ブールジュ大聖堂は熟達した空間管理と高い質を有する装飾や協和的な外観を結びつけた著しい美観を誇っている。 
      
     《4》ブールジュ大聖堂はゴシック建築の発展において重要であり、中世フランスのキリスト教勢力の強大さの象徴ともなっている。

    補足 報告書では《1》のみでの推薦となっており、《4》の理由も《1》に含まれている。

    アヴィニヨン歴史地区:法王庁宮殿と司教関連建造物群、アヴィニョン橋

     《1》《2》《4》アヴィニヨン歴史地区の記念建造物群は中世後期の教会・行政・軍事建築の顕著な例であり、教皇と民衆の力の間の関係の発展において重要な時期であった頃のヨーロッパの広範囲にその特徴的な文化を広め、発展させる重要な役割を果たした。

    ミディ運河

     《1》《2》《4》《6》ミディ運河は産業革命や近代の技術革新による時代を直接導いた技術隆盛の見本を示す、近代の工学技術の最大の偉業の1つである。
             ミディ運河は殆ど並ぶものの無い、建築・景観設計の高い美学原理への配慮と技術革新とを結びつけた、設計された景観の優れた例となっている。

    歴史的城塞都市カルカッソンヌ

     《2》《4》ローマ時代後期に遡る城壁の上に築かれた巨大防御設備を有するカルカッソンヌの歴史都市は中世城塞都市の優れた例であり、後の保護の原理や慣例の発展に深い影響を与えたヴィオレ=ル=デュクによる19世紀後半の修復作業により傑出した重要性を有している。

    リヨン歴史地区

     《2》リヨンはヨーロッパ各地からの文化伝統が混ざり合って活発に継続している社会を生み出した商業的・戦略的重要性を有する土地での2000年以上に渡る都市への居住の継続の優れた証拠を有している。

     《4》空間的な発展の特殊性から見て、リヨンは数百年に及ぶ建築設計・都市計画の進歩・進展を優れた様相の中にて例証している。

    フランス側のサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路

     《2》サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路は中世後期の宗教的・文化的な交流・発展において重要な役割を果たし、その巡礼路沿いに建つ建造物群はそのことを明確に示している。

     《4》サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼者の物理的・精神的必要性はフランス側にてより発展した、もしくはここから生じた多くの特殊な型の礼拝堂の発展に繋がった。

     《6》サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路は中世ヨーロッパの全ての国、全ての階級の人々のキリスト教信仰の強大さ・影響性の優れた証拠を有している。

    サンテミリオン自治区

     《3》サンテミリオンの自治区はそこで行われてきた活動が現在まで続いている歴史的ワイン畑の景観の顕著な例である。

     《4》正確に区分けされた地域でのワイン生産の為の集約的な耕作とその結果誕生した景観をサンテミリオンの歴史的自治区は優れた様相の中に例証している。

    シュリー・シュル・ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷

     《1》ロワール渓谷はブロワ・シュノン・オルレアン・ソーミュール・トゥールのような歴史都市の質の高い建築遺産において特筆すべきものであり、その中でもシャンボール城は世界的名声を博している。
           
     《2》ロワール渓谷は、2000年以上に渡る人類と環境の相互作用の協和的発展と人類の価値の交流の証拠を有する主要な河川沿いの著名な文化的景観である。

     《4》ロワール渓谷の景観と特にそこに建つ多数の文化財は西欧の思想と設計におけるルネサンス期と啓蒙時代の理想を優れた度合いで例証している。

    中世市場都市プロヴァン

     《2》2度目の黄金時代の到来によりプロヴァンはヨーロッパ北部と地中海世界とを繋ぐ一大定期市の会場となったシャンパーニュ伯領の町の1つであった。

     《4》プロヴァンは中世の一大市場都市であったことを特徴付ける建築と都市構造を高い度合いで残している。 

    オーギュスト=ペレによる再建都市ル・アーヴル

     《2》ル・アーヴルの第2次世界大戦後の再建計画は都市計画の伝統と近代の建築・技術・都市計画の発展の先駆的施工の中での統合の顕著な例である。

     《4》ル・アーヴルは組み立て式の工法と形式・基準寸法の機能的利用・コンクリートの革新的使用に基づく都市計画・建築の顕著な第2次世界大戦後の例である。
           
    月の港ボルドー

     《2》月の港ボルドーは2000年以上に渡る人間的価値の交流の稀な証拠を構成している。
       これらの交流は19世紀から現代まで続いた稀な都市・建築の変遷を示す、他に類のない文化財である啓蒙時代の国際都市を作り上げた。
       この港湾都市の建造・発展の異なる段階はその都市計画、特に18世紀初期以降に行われた一大変遷に明白である。

     《4》月の港ボルドーは啓蒙時代に創造された顕著な都市・建築の複合体を表し、その重要性は20世紀前半まで続いた。
       ボルドーは200年以上に渡り文体上の断絶が起きることの無かった、都市と建築的な古典・新古典主義の表現の統合において稀なものである。
       その都市形状はこの都市を人文主義・普遍性・文化の坩堝とすることを望んだ哲学者達の成功を表している。 

    ヴォーバンの要塞

     《1》ヴォーバンの作品群は近代の西洋軍事建築の代表である、典型的な稜堡式要塞の最高峰の証拠を有している。

     《2》ヴォーバンは要塞史における主要な役割を果たした。
    ヨーロッパ及びアメリカ大陸における彼の軍事建造物の基本形式の模倣や、中東の要塞の見本としての彼の要塞の形式の使用に沿った理論的思考のロシア・トルコへの普及は彼の業績の普遍性の証拠を有している。

     《4》ヴォーバンの作品は人類史上重要な段階を表している。
       それは軍事的な戦略・建築・建造技術・土木工学及び社会的・経済的組織構成に充てられた精神の業績である。

    ニューカレドニアの礁湖:珊瑚礁の多様性と関連する生態系

     《7》ニューカレドニアの熱帯礁湖と珊瑚礁は比較的狭小な地域における形状・形態の多様さから、世界で最も美しい珊瑚礁系の1つと考えられており、広大な二重鎖構造・外礁・珊瑚島から西部の沿岸に近い網目状の珊瑚礁の形態までの幅広さを有している。
       景観や沿岸背景の豊富さや多様性は優れた特性を有する、特徴的な美観に寄与している。
       この美麗さは珊瑚礁の中にアーチ・洞窟・大きな裂け目を伴う巨大な珊瑚の構造という珊瑚の多様性の劇的な展望により海面の下にまで続いている。

     《9》この連続的な資産の珊瑚礁の総体は海洋に「独立」し、ニューカレドニアを取り囲んでおり、様々な海洋露出の多様性を呈し暖流・寒流の両方を含むことから地球規模で独特である。
       この珊瑚礁の総体は裾礁から環礁といった全ての主要な珊瑚礁の種類の他、沿岸・海洋における関連する生態系も含む、一大的な形態の多様性を有している。
       重要な海洋の傾斜が広がることにより、ここは熱帯の礁湖及び珊瑚礁系の基礎となる生態学的・生物学的過程の地球最良の例の1つであり、最古かつ最も複雑な生態系の類型の1つである。

     《10》この資産はマングローブから海草までの生息地の連続体や広大な範囲の珊瑚礁の形態により、優れた多様性を有する海洋地域である。
       ニューカレドニアの堡礁や環礁は広大さで世界でも3本に数えられる珊瑚礁の1つであり、フィジーの珊瑚礁と共にオセアニアで最も重要な珊瑚礁である。
       それらは国際的分類制度に基づく146種の珊瑚礁構造という世界で最も多様な珊瑚礁の集中地域であり、珊瑚・魚類の多様性においては遥かに広大なグレートバリアリーフと同等あるいは凌ぐとさえされている。
       また、世界でも3番目に多くのジュゴンの個体群を含む、数多くの絶滅が危惧される魚類・亀甲類・海洋哺乳類の生息地を提供している。

    レユニオン

     《7》火山現活動、地質構造の地滑り現象、多雨、河食の総体はピトン・ド・ネージュの休火山とピトン・ド・ラ・フルネーズの活火山の2座の火山の峻峰を抱く印象的な優美さを併せ持つ峻厳で劇的な景観を形成している。
       その他の主要な景観の特徴には「城壁」と称される多様な地質学的年代・特徴を有する断崖絶壁や目を引く高度と垂直さを併せ持つ巨大な天然の円形演技場と評される「圏谷」が含まれる。
       ここには亜熱帯雨林・雲霧林・荒野を伴う一部が森に覆われた深淵の渓谷や急斜面が顕著で視覚的に心を打つ生態系と景観の特徴の総体を築き上げている。

     《10》本資産は高度な固有性を有する植物多様性の地球的中心地であり、多様な希少林の類型を含むマスカレーヌ諸島の陸生植物多様性の保護に最も重要な遺存する自然の生息地を含んでいる。
       マスカレーヌ諸島における環境への主要な、あるいは一部の抗しきれない人的影響を考慮すると、本資産は膨大な数の固有種・危急種・絶滅危惧種の生存にとって最後の避難所とされる。
       
    司教座都市アルビ

     《4》アルビの歴史的都市は顕著な中世の建築・都市の総体を呈している。
       それはその地方の焼成煉瓦の一般的・永続的使用による高度な視覚的結合性を有する高質な都市景観を通して表現されている。
       聖セシル大聖堂は南フランスの文脈へのゴシック様式の適応の優れた建築的・装飾的一例である。

     《5》アルビの都市地域は漸進的に、特に中世以降から発展した。
       アルビジョワ十字軍は大聖堂や司教の城塞宮殿を中心とした象徴的な司教座都市へと変貌させた。
       ここはこの種の総体として、これ程の高度な完璧で良好な保存度合のものとしては稀な一例である。
       アルビは中世・ルネッサンス期の欧州の典型的な都市居住区の類型の非常に包括的な例を表している。

    【スロベニア】

    シュコツィアン鍾乳洞

     《7》シュコツィアン鍾乳洞群は良好に保存されたカルスト地形の浸食の独特な例を見ることが出来、幾つもの地下河川やその印象的な大きさ・崩壊ドリーネ・地下の滝は世界でも独特である。
       また、19世紀以降より続くカルスト地形の基礎研究にとって重要であり、「カルスト」・「ドリーネ」の言葉はこの地方に由来するものである。

     《9》シュコツィアン鍾乳洞群の数千年に渡る石灰質の鍾乳洞の生物の分類体系は特異なものの1つであり、関連する様々な自然状態や地下の特徴からも世界でも有数の典型的カルスト地形の研究に適した場所となっている。

    【ブルガリア】

    リラの僧院

     《6》リラの僧院は18〜19世紀のブルガリアルネサンスの特徴的な例であり、数百年の支配の後に続くスラブ人の文化的独自性を象徴している。

    補足 明確な理由は不明。概要の項から適当と思われる部分を抜き出したものである。

    古代都市ネセバル

     《3》《4》ネセバルは消滅した複数の文明の証拠を残すと共に、様々な事由において瀕死の帝国の辺地に位置する辺境都市の重要な歴史的立場を例証している。

    ピリン国立公園

     《7》ピリン国立公園の山岳景観は傑出した優美性を有している。
       高峰・峻厳な岩山が牧草地・河川・滝と対照を成し、バルカン地域の山岳景観の優美を経験する機会を提供している。
       遠隔と自然性を体験する能力は本資産の顕著で普遍的な価値の重要な特質である。

     《8》ピリン国立公園の主要な地球科学的価値は圏谷・深淵の峡谷・70以上の氷河湖を含む幅広い特徴により例証された、その氷河地形に関連している。
       ピリン国立公園の山岳は多様な形状を示し、複数の異なる岩石の種類を発達させた。
       自然作用が機能している事で継続する本資産の地形の発達の研究が可能となっており、他の高地帯の理解に一役買っている。

     《9》ピリン国立公園は数多くの固有種と遺存種により証拠付けられる継続する植物相進化の好例であり、また本資産はバルカン高地の重要な自然の生態系の典型である機能的生態系の一例を保護している。
       ピリン国立公園の天然の針葉樹林はマケドニアマツやボスニアマツ等、多くの古生木を含んでいる。
       全体でブルガリアの植物相の3分の1となる1315種の維管束植物が生息、86種がバルカン固有、17種がブルガリア固有、18種がこの地方の固有である。
       ピリン国立公園の動物相はヒグマ、オオカミ、ムナキテンを含む45種の哺乳類と159種の鳥類を含んでいる。
       ピリンはまた8種の両生類、11種の爬虫類、6種の魚類の棲家でもある。
       森林帯は幾分か歴史的使用の影響を受けているはいるものの生態系の自然機能はその地域的に重要な生物多様性の価値を守り続けている。

    スレバルナ自然保護区

     《10》スレバルナ自然保護区はかつてブルガリア全土に広がっていた湿地の類型の重要な例を保護している。
       それは絶滅に向かいつつある動植物種の多様性を守っている。
       湿地は重要な繁殖・準備・越冬地域であり、ヨシの浮島と沈水した柳の森は重要な鳥類繁殖の場である。
       湖最北部ではヨシが湿性低茎草地を徐々に形成しつつあり、最北西部とドナウ河岸部にはセイヨウシロヤナギの単純老木による河岸林帯が存在している。
       スレバルナ自然保護区により支えられる豊富な鳥類はその国合い的重要性の基礎となっており、種の生存に重要とされる鳥類の個体群を育んでいる。
       それはブルガリア唯一のハイイロペリカンの群集やより国際的な絶滅危惧種であるコビトウ、メジロガモ、オジロワシ、ウズラクイナの最大の繁殖個体群を育んでいる。
       スレバルナはヨシゴイ、ゴイサギ、カンムリサギ、コサギ、ムラサキサギ、ブロンズトキ、ヘラサギ、アカツクシガモの維持において欧州規模での重要性も有しており、3種のアジサシも生息している。
       国際的な絶滅危惧種であるコビトウやアオガンが保護区で越冬し、中でもマガンやハイイロガン、ノハラツグミの越冬する個体群が顕著である。

    スヴェシュタリのトラキア人墓地

     《1》スヴェシュタリのトラキア人墓地は逆さにしたパルメット(椰子の葉を模した装飾)形のキトン(古代の毛織着衣)を纏った半分人で半分植物の様な女人像を有する独特な芸術的偉業である。
       黄土色・茶色・青色・赤色・薄紫色といった当時のままの多色装飾が残っているということが、人に似た形をした土台が一種の祭儀舞踊を思わせる抽象的な姿勢に固定された嘆く一団の印象を思い起こさせる印象的な構成の妖艶な魅力に加味している。

     《3》スヴェシュタリの墳墓は古代の地理に調和したギリシャ人・ヒュペルボレオス人の世界との接触の為にヘムス(現在のスタナ・プラニナ)北部に定住していたゲト−トラキア民族の文化の稀な証拠である。

    【クロアチア】

    プリトヴィチェ湖群国立公園

     《7》プリトヴィチェ湖群国立公園には統治体系の歴史的発展に寄与した、長期の定住等の文化と自然の要素の優れた混成が見られる。

     《9》プリトヴィチェ湖群国立公園はその景観と水文学的体系の特徴を形作る、他の影響を受けていない湧泉沈殿物(凝灰岩)の生成が見られ、凝灰岩とそれが育む植物群は同公園の生態系に影響を与える重要な要因となっている。
       また、同公園は人類と自然景観の相互作用が見られる場所でもある。

    ポレチュ

     《2》《3》《4》ポレチュ歴史地区のエウフラシス聖堂建造物群はその完全性と独特な長堂式の大聖堂において稀な初期キリスト教の司教の建造物の顕著な例である。

    トロギール

     《2》《4》トロギールは近代の干渉を最小限に抑え、その都市構造を傑出した度合いで残すローマ・ギリシャ時代の都市の上に築き、適応させた中世都市の傑出した例であり、そこでの社会的・文化的発展の軌跡は町並みのそこかしこに鮮明に見ることが出来る。

    シベニクの聖ヤコブ大聖堂

     《1》ゴシックとルネサンスの様式が混成されたシベニクの聖ヤコブ大聖堂の構造的特徴は独特で顕著なものである。

     《2》聖ヤコブ大聖堂は15〜16世紀における北イタリア・ダルマツィア地方・トスカーナ地方の3つの異なる文化を持つ地域間の少なからぬ影響の交流が結実したものである。
       これらの交流は大聖堂の穹窿とドーム建造における技術的・構造的問題の独特で顕著な解決策を生み出す環境を作り上げた。

     《4》シベニクの聖ヤコブ大聖堂は教会建築におけるゴシックからルネサンスへの変遷の独特な証明である。

    スタリ・グラド平原

     《2》紀元前4世紀に遡るスタリ・グラド平原の土地分配制度は地中海世界の農地分配におけるギリシャの幾何学的手本の普及の証拠を有している。

     《3》スタリ・グラドの農耕平原は2400年の間、最初に生産された穀物と同様の物が生産されている継続的使用が依然として残り、その不変性と持続性の証拠を有している。

     《5》スタリ・グラドの農耕平原とその環境は、今日では過疎と伝統的農耕慣習の放棄による近代の経済発展の脅威の下にある、非常に歴史のある伝統的人類集落の一例である。

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