デルフィ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2000・4.21日の旅日記http://4travel.jp/traveler/u-hayashima/album/10057893/から以下を抜粋<br /> ミケーネからデルフィーに至る道路の周囲にはユーカリの木、糸杉、オリーブ、オレンジの木々が立ち並び、一方で黄色いみもざの花やエニシダが咲き誇れば、他方では赤紫色のユダの花もこれに負けじとばかり妍を競っていた。ユダの花はギリシァ語ではクツピアというらしいが花蘇方によく似ていて非なるものである。山腹や田野に立ち並ぶ民家は一様に橙色の屋根に白壁であった。そのうちにバスは山中に入り、やがて峠を越えると遠く前方の山腹に折からの陽光を受けて白く光っている小さな町並みが見えてきた。これがパルナッサッソ山に抱かれたデルフィーである。遠望するとそこは山深く雲が立ち込めていそうで如何にも神域という感じのする場所である。デルフィーの町に到着して、標高650mの所にあるボウザホテルの部屋から見下ろすと山々に囲まれた平地は一面オリーブ畑で埋めつくされており、遙に望める低地のドルフィンの村落まで続いていた。<br /><br /> デルフィーの博物館へ入ると階段の踊り場にデルフィーの神託が行われた「大地の臍」と呼ばれている石が展示されている。その他展示場は全部で11室に別れていてアルカイック時代(前800年〜前500年)からローマ時代(前31年〜1453年)までの美術の変遷を見ることができるようになっている。<br /><br /> 古代世界でのデルフィーはギリシャの聖域であるだけではなく、全世界の中心と考えられていた。デルフィーが世界の臍であると信じられていたのは世界中の都市国家がアポロン神への信仰を持っており、その神託で国の運命を決定するという祭政一致の世界観を持っていたからである。アポロン神はもっともギリシャ的な晴朗な神で神話ではゼウスとレトの子でアルテミスと双子の兄妹で、音楽、弓術、医術、託宣を司るものと考えられていた。ときとして太陽神ともみなされていた。デルフィーの歴史は神話と伝説の世界にその起源をもっている。ミケーネ時代(紀元前12世紀)からこの地は神を祀る場所になっていたがその全盛期は紀元前6世紀頃に迎えた。このデルフ ィーの神域はローマの皇帝テオドシウス(379〜395)によって閉鎖され衰退した。<br /><br /> デルフィー遺跡の入り口から曲がりくねった参道を登って行くと、険しく迫る山を背景にアポロン神殿跡がある。往時には岩間から立ちのぼる蒸気を吸って神がかりになった、巫女が神の御告げを授ける神事が行われたのである。<br /><br /> 神殿に至る参道の両側には多くの都市国家が神託の御礼として奉納した宝庫や奉納記念碑が立ち並んでいた。しかし現在の姿は礎石や折れた石柱が並んでいるだけで説明がなければ素人目にはそれが何であったかはよく判らない。それでもアポロン神殿だけは柱が数本立ち残っており、敷地の区画を辿ってみるとその神殿の規模を想像することは可能である。アポロン神殿から更に上へ登っていくと円形劇場があり、これは保存状態がよいので即物的に素人目にも劇場であることが判る。劇場から更に上へ十五分ばかり登っていくと山の尾根に造られた楕円形の競技場がそれとわかる形で残っている所へ至る。ここまで来て俯瞰してみると、険しい山の中腹に築かれたデルフィーの遺跡群が如何に清浄で荘厳な環境の中に営まれていたかということが実感できる。<br /><br /><br />

ワープロで描いた俳画・・・デルフィーのアポロンの神殿

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2000/04/21 - 2000/04/21

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早島 潮

早島 潮さん

2000・4.21日の旅日記http://4travel.jp/traveler/u-hayashima/album/10057893/から以下を抜粋
 ミケーネからデルフィーに至る道路の周囲にはユーカリの木、糸杉、オリーブ、オレンジの木々が立ち並び、一方で黄色いみもざの花やエニシダが咲き誇れば、他方では赤紫色のユダの花もこれに負けじとばかり妍を競っていた。ユダの花はギリシァ語ではクツピアというらしいが花蘇方によく似ていて非なるものである。山腹や田野に立ち並ぶ民家は一様に橙色の屋根に白壁であった。そのうちにバスは山中に入り、やがて峠を越えると遠く前方の山腹に折からの陽光を受けて白く光っている小さな町並みが見えてきた。これがパルナッサッソ山に抱かれたデルフィーである。遠望するとそこは山深く雲が立ち込めていそうで如何にも神域という感じのする場所である。デルフィーの町に到着して、標高650mの所にあるボウザホテルの部屋から見下ろすと山々に囲まれた平地は一面オリーブ畑で埋めつくされており、遙に望める低地のドルフィンの村落まで続いていた。

 デルフィーの博物館へ入ると階段の踊り場にデルフィーの神託が行われた「大地の臍」と呼ばれている石が展示されている。その他展示場は全部で11室に別れていてアルカイック時代(前800年〜前500年)からローマ時代(前31年〜1453年)までの美術の変遷を見ることができるようになっている。

 古代世界でのデルフィーはギリシャの聖域であるだけではなく、全世界の中心と考えられていた。デルフィーが世界の臍であると信じられていたのは世界中の都市国家がアポロン神への信仰を持っており、その神託で国の運命を決定するという祭政一致の世界観を持っていたからである。アポロン神はもっともギリシャ的な晴朗な神で神話ではゼウスとレトの子でアルテミスと双子の兄妹で、音楽、弓術、医術、託宣を司るものと考えられていた。ときとして太陽神ともみなされていた。デルフィーの歴史は神話と伝説の世界にその起源をもっている。ミケーネ時代(紀元前12世紀)からこの地は神を祀る場所になっていたがその全盛期は紀元前6世紀頃に迎えた。このデルフ ィーの神域はローマの皇帝テオドシウス(379〜395)によって閉鎖され衰退した。

 デルフィー遺跡の入り口から曲がりくねった参道を登って行くと、険しく迫る山を背景にアポロン神殿跡がある。往時には岩間から立ちのぼる蒸気を吸って神がかりになった、巫女が神の御告げを授ける神事が行われたのである。

 神殿に至る参道の両側には多くの都市国家が神託の御礼として奉納した宝庫や奉納記念碑が立ち並んでいた。しかし現在の姿は礎石や折れた石柱が並んでいるだけで説明がなければ素人目にはそれが何であったかはよく判らない。それでもアポロン神殿だけは柱が数本立ち残っており、敷地の区画を辿ってみるとその神殿の規模を想像することは可能である。アポロン神殿から更に上へ登っていくと円形劇場があり、これは保存状態がよいので即物的に素人目にも劇場であることが判る。劇場から更に上へ十五分ばかり登っていくと山の尾根に造られた楕円形の競技場がそれとわかる形で残っている所へ至る。ここまで来て俯瞰してみると、険しい山の中腹に築かれたデルフィーの遺跡群が如何に清浄で荘厳な環境の中に営まれていたかということが実感できる。


同行者
友人
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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