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2000・4・18の旅日記http://4travel.jp/traveler/u-hayashima/album/10057893/より以下を抜粋<br /><br /> 暫しの快眠を貪った後、正午からアクロポリスの見学に出掛けた。今日はたまたまパナテナイア祭と言って四年に一度の祭日だそうで、アクロポリスは多くの観光客で賑わっていた。アクロポリスの入り口まではオリーブの樹木の生い茂る林間の勾配の小さな女道を通って行った。<br /><br /> ギリシャ古代遺跡のハイライトである「アクロポリス」とは「高い丘の上の都市」という意味で、古代には神殿が建てられていた聖域である。更に都市国家(ポリス)防衛の要塞として二重の役割を果していた場所でもある。                <br /> アクロポリスへの入り口は丘の西端にある。参道の階段を登っていき前門に向かって右側を見上げると美しいイオニア式の柱を東西に四本ずつ持つ小さな美しいアテナ・ニーケの神殿が建っている。紀元前424年に完成されたもので、別名「翼なき勝利の女神」の神殿と呼ばれている。戦いで常勝を願ったアテネ市民は勝利の女神がどこへもいけないように翼を切り落としてこの神殿に祀ったと伝えられている。<br /><br /> 参道を登りきる時に通る建物がプロピュライアと呼ばれる聖域入り口の正門であるが、左に北翼、右に南翼の建物と組み合わされている。しかし、今は何れの建物も屋根が落ちて柱列と壁面だけしか残っていないが、中央の建物の柱はドーリヤ式で左右のものはイオニア式である。ドーリヤ式は柱に溝があるだけで何の飾りもなく剛健な重量感を受けるのに対してイオニア式は柱頭に渦巻きの飾りを持ち柱にも繊細な優雅さを感じさせる。<br /><br /> 正門を通り抜けると目前にパルテノン神殿がドーリヤ式の石柱に囲まれて雄大な景観をつくり出している。アテネの守護神アテナを祀ったパルテノン神殿は大理石で出来ており横31m、縦70m、柱の高さ10mの威容は市内のいたる所から眺められる。この神殿は幾多の変遷を経て起源前438年に完成したと考えられている。現在では柱と梁だけしか残っていないが往時には建物全体が芸術性の高い数多くの彫刻や浮き彫り(レリーフ)で飾られていたのである。レリーフや破風の像の一部はアクロポリス博物館や大英帝国博物館に収蔵展示されている。またパルテノン神殿の北側にはアクロポリスの中でも最も聖なる場所で多くの神々の家であるエレクティオンが建っている。この建物も屋根が壊れて無くなっているが、目をひくのは柱代わりに使われている五人の少女の彫像でカリアティディスと呼ばれている。カリアティディスは、頭にイオニア式の伝統的なキーマの装飾で飾られた籠を載せ、その上に正面の屋根がのっている。踵まである衣服を着て土台の上にしっかりと乗っているにもかかわらず、足を僅かに曲げたその動きは、支えている屋根の重さを全く感じないかのような、優雅さと淑やかな美しさを表現している。<br /><br /> アクロポリスの丘から周囲を展望するとアテネ市内が一望できてアテネ市街が果てし無く広がっているように見える。北東にはリカビトスの丘が一際高く聳え立っているのも手にとるようにみえる。アテネ市街は予想していたよりは遙に大きな都市であった。手元の手帳の控えを見てみるとアテネ市の人口は303万人と記されている。アテネ市はギリシャ国の人口が1060万人であるから国民の三割が住む大都会であることに納得のいく眺望であった。ギリシャ人ガイドのカテリーナさんの説明によればアテネで生活するには最低月四万円必要であるという。ちなみにギリシャの一人当たりGNPは99年の統計で年間11640US$であり、日本のそれは97年の統計で年間38160US$である。<br /><br />

ワープロで描いた俳画・・・アクロポリスの丘

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2000/04/18 - 2000/04/18

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早島 潮

早島 潮さん

2000・4・18の旅日記http://4travel.jp/traveler/u-hayashima/album/10057893/より以下を抜粋

 暫しの快眠を貪った後、正午からアクロポリスの見学に出掛けた。今日はたまたまパナテナイア祭と言って四年に一度の祭日だそうで、アクロポリスは多くの観光客で賑わっていた。アクロポリスの入り口まではオリーブの樹木の生い茂る林間の勾配の小さな女道を通って行った。

 ギリシャ古代遺跡のハイライトである「アクロポリス」とは「高い丘の上の都市」という意味で、古代には神殿が建てられていた聖域である。更に都市国家(ポリス)防衛の要塞として二重の役割を果していた場所でもある。                
 アクロポリスへの入り口は丘の西端にある。参道の階段を登っていき前門に向かって右側を見上げると美しいイオニア式の柱を東西に四本ずつ持つ小さな美しいアテナ・ニーケの神殿が建っている。紀元前424年に完成されたもので、別名「翼なき勝利の女神」の神殿と呼ばれている。戦いで常勝を願ったアテネ市民は勝利の女神がどこへもいけないように翼を切り落としてこの神殿に祀ったと伝えられている。

 参道を登りきる時に通る建物がプロピュライアと呼ばれる聖域入り口の正門であるが、左に北翼、右に南翼の建物と組み合わされている。しかし、今は何れの建物も屋根が落ちて柱列と壁面だけしか残っていないが、中央の建物の柱はドーリヤ式で左右のものはイオニア式である。ドーリヤ式は柱に溝があるだけで何の飾りもなく剛健な重量感を受けるのに対してイオニア式は柱頭に渦巻きの飾りを持ち柱にも繊細な優雅さを感じさせる。

 正門を通り抜けると目前にパルテノン神殿がドーリヤ式の石柱に囲まれて雄大な景観をつくり出している。アテネの守護神アテナを祀ったパルテノン神殿は大理石で出来ており横31m、縦70m、柱の高さ10mの威容は市内のいたる所から眺められる。この神殿は幾多の変遷を経て起源前438年に完成したと考えられている。現在では柱と梁だけしか残っていないが往時には建物全体が芸術性の高い数多くの彫刻や浮き彫り(レリーフ)で飾られていたのである。レリーフや破風の像の一部はアクロポリス博物館や大英帝国博物館に収蔵展示されている。またパルテノン神殿の北側にはアクロポリスの中でも最も聖なる場所で多くの神々の家であるエレクティオンが建っている。この建物も屋根が壊れて無くなっているが、目をひくのは柱代わりに使われている五人の少女の彫像でカリアティディスと呼ばれている。カリアティディスは、頭にイオニア式の伝統的なキーマの装飾で飾られた籠を載せ、その上に正面の屋根がのっている。踵まである衣服を着て土台の上にしっかりと乗っているにもかかわらず、足を僅かに曲げたその動きは、支えている屋根の重さを全く感じないかのような、優雅さと淑やかな美しさを表現している。

 アクロポリスの丘から周囲を展望するとアテネ市内が一望できてアテネ市街が果てし無く広がっているように見える。北東にはリカビトスの丘が一際高く聳え立っているのも手にとるようにみえる。アテネ市街は予想していたよりは遙に大きな都市であった。手元の手帳の控えを見てみるとアテネ市の人口は303万人と記されている。アテネ市はギリシャ国の人口が1060万人であるから国民の三割が住む大都会であることに納得のいく眺望であった。ギリシャ人ガイドのカテリーナさんの説明によればアテネで生活するには最低月四万円必要であるという。ちなみにギリシャの一人当たりGNPは99年の統計で年間11640US$であり、日本のそれは97年の統計で年間38160US$である。

同行者
友人
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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