2010/02/17 - 2010/02/17
10位(同エリア322件中)
ツッチーさん
肇興のすぐ近くにある紀堂侗寨では、毎年春節の4日目(初四)に「多耶祭薩“抬官人”」と言う、伝統行事のお祭りが行なわれていて、今回の旅行でも最も楽しみにしていた一つです。
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D1 2/13 関空0930-北京1150(CA162),北京1610-貴陽1900(CA1437)
D2 2/14 貴陽0900-凱里1200(BUS),凱里1240-西江苗寨1320(TAXI)
----- 【西江千戸苗寨】
D3 2/15 西江0800-凱里0900(BUS),凱里1100-黎平1840(BUS)
D4 2/16 黎平0800-肇興1100(BUS),【肇興:厦格侗寨、堂安侗寨】
D5 2/17 【肇興:看々五座鼓楼、中学観景台、長桌宴】
----- 【肇興:紀堂侗寨 】
D6 2/18 【肇興:地坪風雨橋、地坪侗寨】(BUSで往復)
D7 2/19 肇興0940-黎平1145(BUS),【黎平:天生橋、鳳古翹街】
D8 2/20 黎平0820-貴陽1820(BUS)
D9 2/21 貴陽0840-上海1100(CA4561),上海1715-関空2015(CA163)
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス
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11時10分
紀堂侗寨へ歩いて向かいます。
前方には肇興トン寨の寨門が見えます。
紀堂までは、車道を進み、途中から近道の田舎道を歩いて行きます。総2.5km、1時間程度で着くだろうと予想。
紀堂のお祭り行事「多耶祭薩“抬官人”」は、肇興の“旅游公司”で1時開始と確認しているので、十分に間に合う予定。 -
紀堂侗寨へ
しばらく歩くと、近道の標識がありました。
*このまま車道を進むと、距離は約4kmらしい。 -
紀堂侗寨へ
近道はこんな感じ。
1本道なので迷うことはありません。 -
紀堂侗寨の寨門(村の入口)に到着。
50分で着きました。
往路1110-1200(所要50分) -
紀堂侗寨
寨門から少し歩くと、すぐに村が見えてきました。
案外大きそうな村です。 -
紀堂下寨の鼓楼
立派な鼓楼です。
未だ12時05分。お祭りはここで行なわれるそう。
お祭りの1時まで、村の散策に出かけます。 -
紀堂トン寨
小さくてっぺんだけ見える鼓楼は、先ほどの下寨鼓楼です。
トン寨の村は、なんでこうもびっしりと詰めて家を建てるんだろう?
山間部で土地が無いのが第一理由だろうが、やはり昔は他民族から身を守る為なんだろうか。。。 -
紀堂上寨の鼓楼
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紀堂上寨の戯台
比較的新しい戯台でした。 -
紀堂トン寨の紹介看板・・・
紀堂は肇興の南西4kmに位置し、海抜は670m。
宋代後期(1100〜1279年)から肇興侗寨の村人が移り住み、現在は戸数400軒余り、1800人超の人々が暮らしている。
紀堂の上村,下村,小村の各村には各々鼓楼があり、下村の鼓楼は190年余り前に建てられた。
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肇興は海抜410mなので、紀堂は260mほど高い。 -
紀堂下寨
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紀堂トン寨の車道側の寨門に来ました。
お祭り会場の下寨鼓楼の方へ引き返します。 -
車道から観光バスがやってきて、15人位のヨーロッパ人が降りてきました。
オーストリアから来たそうです。 -
紀堂民家訪問
紀堂下寨の鼓楼に戻るも、1時になっても誰もいない。。
付近の人に聞くと「その内に始まるよ。」と。なるほど、その内に。。
で、今度は下寨鼓楼付近の散策をしようと歩き出すと、丘の上の家で、チラッと民族衣装を着た子供が見えた。
行ってみよう。。 -
民家の子供。ちょっとポッチャリ型。
もう正装していて、お祭りにいくみたい。 -
民家の人たちとお話しして、、
ちょっと記念撮影。。 -
おじいちゃんも。。
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と、、、家の中から娘さんがひょっこり現れました。
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おばあちゃんが、服装を直して、、
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はい、これがこの地域のトン族の(未婚女性の)正装です。
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青年も参加する様子で、
頭にトン族独特の布地をおじさんらに巻いてもらっています。 -
はい、出来上がり。
下はジーパン。男は簡単なんだ。 -
2人並んで。。
*帰国後に民家の人々の写真を20枚デジカメプリントして、お礼の手紙と共に郵送しました。 -
下寨鼓楼に戻ると、祭りのお店も出ていました。
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「多耶祭薩“抬官人”」について
(1) 多耶祭薩“抬官人”は、貴州省東南部のトン族の村々で行なわれてきた伝統行事です。
春節の間、トン族の村々ではお互いに招き招かれ、楽しく過ごす習慣が受け継がれています。
ただ、この行事は華やかさと共に、ちょっと変わった風習があり、旅行者にとっても非常に魅力的なお祭りとも思えます。
←13時50分 祭りの参加者が次々と現われました。 -
(2) 祭りは、紀堂侗寨の下寨鼓楼で午後2時頃から始まりました、下寨の青年少女がトン族の民族衣装で正装して鼓楼に集まり、先ず鼓楼近くにある「薩壇」と言う祠(ほこら)へ一列になって向かいます。
「薩壇」の「薩」は祖母を顕す意ですが、ここでは古代トン族の母系社会の祖母神様のような扱いで、「薩壇」は祖母神様をお奉りしている祠になります。
←13時55分 祠(ほこら)へ向かう青年少女たち。 -
(3) 「薩壇」へのお祈りが終わると、正装した男女の隊列は、下寨の村を巡回してから、鼓楼広場へ戻ります。巡回中には祭りの始まりを告げる意味だろうか、爆竹を鳴らしながらの行進でした。
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←村を行進している。
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←一周して鼓楼に戻って行きます。
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(4) 鼓楼広場に着くと、一列の隊列は、そのまま円形になり、歌いながら手振り足振りの踊りもしながら、少しずつ円は反時計方向に回転していきます。
円の内側に少女の列、その外側には青年達が並び、円形の輪のまま延々と歌い、踊りが続きます。
←14時10分 -
←円の中央には、村の長老達の席があり、10人近くの長老が見守っています。
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“鼓楼とお祭り”
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←綺麗な眺めです。
広場横の民家2階が絶好のポイントで、お伺いすると「どうぞ、どうぞ、綺麗に見えるよ。」と上がらせて頂いた。 -
銀飾り。
全部揃えると高いんだろうな〜〜 -
後ろ姿。
飾りにはそれぞれ謂れがあるんだろうな。。 -
(5) 突然、素っ裸に近い男が数人現れ、円形の輪を突っ切って逃げて行きました。
一瞬の出来事で「まさか変態者か!?」と思って、ちょっとギクッ!
←14時35分 -
(6) しかし、少ししてまた素っ裸に近い男たちが奇妙に踊りながら、ややゆっくりと通り過ぎます。
素っ裸?・・・ではなく、・・・一応急所は粗い麻布みたいなので隠していました。
顔はすっぽりとボロ布でできた袋みたいな頭巾をかぶっています。
そう、これが「抬官人」と言う伝統行事の幕開けとも言えます。 -
(7) 『村々ではお互いに招き招かれ、楽しく過ごす習慣』の始まりです。
先ほどの素っ裸に近い人達は別の村人達が訪問する村への先鋒隊に当たり、今から我々隣村の住人がお邪魔しますよ〜と知らせに来たような役目になりそうです。 -
←少女達は何事も無かったように踊り続けていた。 -
蘆笙で遊ぶトン族の子供
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(8) その後、蘆笙隊を先頭に少女達の列が続き・・・
この少女達は一様に傘をさして、片手には何かを入れた竹籠を持っています。
←鼓楼近くに現れた隣村の少女達の列。
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(9) 傘は「花笠」に当り、傘の骨にはタオルが巻きつけられていますが、これは何の意味だろう?
手に持った竹篭にはビスケットやお菓子や飴などが入っています。
昔は竹篭にモチや豚肉や粽(ちまき)等の食料が入っていたらしく、今風にアレンジされてる様子が伺えます。これらの食料は訪問先の長老や村人に奉げられます。 -
(10) 蘆笙隊と笠や竹篭を持った少女隊の長い行列の後、輿(こし)に乗った子供が続いてます。そうこれが“抬官人”です。
遠い昔、役人が輿に乗って多くの家来を引き連れて村に来た様子を、子供を役人に見立てて、非常にウイットに効いた配役で、見事に揶揄した感じです。
“抬官人” -
“抬官人”
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(11) と・・・、子供の“抬官人”の後ろには奇妙な人々が続いています。
乞食の格好の人、妖怪の人、変な化粧の人、山賊、・・・色んな格好の人。
鍬クワや鋤スキを担ぐ人、餅突きの臼や野菜や芋や・・・色んな“物”を持ってる人たちも。
皆んなボロ布を纏い、顔には墨を塗って・・・。ここまでくるとヨシモトもビックリ顔負けの“奇祭”にも見えてきます。 -
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(12) 訪ねた村人に楽しんでもらう為、喜んでもらう為の行状ですが、これらが轟大な爆竹音と共に、行進、やってきます。
←蘆笙隊 -
(13) この行列が下寨鼓楼に到着したとき、祭りは最高潮に達します。爆竹隊も全部を一度に鳴らしたのか!?と思えるほどに、強烈点火で轟音が響き続けた。
ひと昔前までは、この行列到着時には、3発の銃声を鳴り響かせたそう。
←客人歓迎の儀礼。
米酒?清水?を村の長老が与えている。
この間、すざましい爆竹の轟音と共に。 -
←餅つきの杵と臼を担ぐ隣村からの客人。
無茶重そうです。。 -
抬官人
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全員で
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(14) 待ち受ける村人と訪れた村人が一緒になって、鼓楼広場で円形に踊りながら、歌いながら。
周囲の観衆もどこからこんなに来たの?と思えるくらい、身動き取れない状態になりました。
以上(1)〜(14)は、理解不足で表現に間違いがあるとは思いますが、大体こんな感じのお祭りです。
参考資料
http://www.gakushuin.ac.jp/univ/let/rihum/project_suwa.html
http://www.toguizhou.com/japanese/ShowArticle.asp?ArticleID=791 -
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←紀堂の“抬官人”祭りには、付近の村々からも沢山の人たちが見学に来るそうです。
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←女装してる青年。
*男装してる少女もいた。
こう言う自由な雰囲気がいいですね。 -
←笠に括られてるタオル。全ての笠にくくられてる。
意味あいは・・・不明。。。 -
人で一杯。。
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こんな感じに。
非常に賑やかなお祭りで、大変見応えがありました。 -
お祭りの終盤になると、えらい自由な雰囲気に。
お祭り参加者と観客の垣根が殆ど無くなる感じです。
踊っている少女たちに「ちょっと写真撮らせて」ってのも気さくに立ち止まって撮らせてくれました。 -
髪飾り、耳飾り、首飾り。
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その後ろ姿。
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お祭り前に訪ねた民家の娘さん。
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民家の娘さん。
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毎年毎年こう言うお祭りがあると、故郷は忘れられないだろうな〜。。
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16時12分。お祭り終了、またまた爆竹と共に。
改めて「夜の部」が20時からここで開催されるそうで、トン族大歌や踊りがあるそう。
もうヨダレが出るほどの催しで見たかったが、夜の冷え込みに耐える服を持って来なかったのと、初の「多耶祭薩“抬官人”」だけでも大満足状態だったので、夜の部は見なかった。 -
皆さん自宅へ
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駄菓子屋さんの前で休憩していた娘さんたち。
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最後に、名残り惜しく銀飾りを拝見させて頂いて、、
肇興に戻ることにしました。
大満足の“紀堂トン寨”でした。
*紀堂には民宿もあるので、次回来る時にはここで1泊してみたい。
乗合い軽四で肇興に戻りました。
復路1635-1650(乗合い軽四,5元)
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