2010/02/18 - 2010/03/02
52位(同エリア121件中)
だいさんさん
次はメリダからカンクンへの旅行記です
【旅行記は全5冊です】
☆日程
2010/2/18 伊丹→東京→ロサンゼルス・・・アメリカン航空
2010/2/18 夜行便でメキシコシティ(2泊)・・・メキシカーナ航空
2010/2/21 メキシコシティ→メリダ(1泊)・・・メキシカーナ航空
2010/2/22 メリダ→カンクン(3泊)・・・レンタカーで移動
2010/2/25 カンクン→ニューヨーク(5泊)・・・アメリカン航空
2010/3/2 ニューヨーク→成田→大阪・・・アメリカン航空
2010年メキシコの旅①出発からロサンゼルス→ メキシコシティまで
http://4travel.jp/traveler/daisan/album/10430825/
2010年メキシコの旅②メキシコシティ編
http://4travel.jp/traveler/daisan/album/10431716/
2010 年メキシコの旅③メリダ編
http://4travel.jp/traveler/daisan/album/10432694/
2010 年メキシコの旅④カンクン(プエルト モレロス)編
http://4travel.jp/traveler/daisan/album/10432906/
2010 年メキシコの旅⑤ニューヨーク編
http://4travel.jp/traveler/daisan/album/10435069/
【明細】約20万(航空券+ホテル)
航空券代・・・100000円(税金、サーチャージ含)
メキシコ国内線(メキシコシティ→メリダ)・・・・8000円
レンタカー・・・ロス6500円、メリダ28000円、ニューヨーク6500円
ホテル(1人当り)・・・メキシコシティ2泊(フォーシーズン)15000円、メリダ1泊(Cascadas de Merida)3333円、カンクン3泊30000円(Hotel Marina El Cid Spa & Beach Resort All Inclusive)、ニューヨーク5泊(BEST WESTERN PRESIDENT HOTE)35000円
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2日間のメキシコシティの旅を終え、メリダへ向かいます
フォーシーズンも格安でした。2泊で1泊分の宿泊料金(380ドル+tax)でスイートルームでしたし、1日2回のベッドメイキング、アメニティもロクシタンとさすが豪華です。 -
ホテルから空港ですがホテルのタクシーだと38ドルと高いのでシティオタクシーを呼んでもらいました。料金は150ペソです。
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日曜日だったので9時出発15分程で空港についてしましました。11時45分の3時間くらいあったのでメリダ行きの便を調べると10時15分発の便があったので、メキシカーナ航空の係員に交渉すると簡単に変えてくれました。
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チェックインしている間前の売店に日本で人気のクリスピードーナツのショップがありました。値段は1個15ペソだそうです。
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メキシカーナ航空です。今回のMEX→MIDの移動は国際線とは別にwebで予約しました。料金は500ペソくらいでしたがtaxもろもろで1000ペソくらいでした
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飛行機からの風景です
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今回メリダからカンクンまでレンタカーを借りました。いつもはハーツ、AVISなど大手なのですが乗り捨て料金が高いのでnetで見つけた現地レンタカーを予約しました。ところがこのレンタカー会社空港に営業所がないようで次便に合わせて迎えにくるシステムのようで空港の他のレンタカー会社に話をすると値段を合わせるからうちにしないか?と提案してきました。しかも車種をグレードアップしてくれるといことで5日間乗り捨て料金、保険込みで330ドルに負けてくれましたので、このレンタカー会社にしました。ちなみに車種は日産ティーダです。
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今回meridaに来たのは世界遺産ウシュマルを見に来るためです。ウシュマルはチチェンイッツァ、パレンケ、コパン、ティカルなどと肩を並べてマヤ文明を代表する大遺跡です。ウシュマルはメキシコのユカタン半島北部のプウク地方にあり、マヤ文明が最盛期にあった7世紀から10世紀にかけて、政治と経済の中心地として繁栄した古代都市です。
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この地方で崇められた雨の神「チャク」に焦点を当てます。マヤ人はこの地方を「丘」を意味する「プウク」と呼んでいたことから、ウシュマルの建築様式は後に「プウク様式」と名づけられました。石のブロックを積み重ねた建物は二層になっていて、上部の壁に様々なモザイク紋様が施されているのが特徴です。こうした建物の飾りに、雨の神「チャク」がたくさん見られるのがウシュマル遺跡の特徴でもあります。人々が雨の神「チャク」を崇めたのは、この地方が乾燥した丘陵地帯であることに大きな理由があります。水を確保することが難しく、雨の神が深く信仰されたのです。ウシュマル周辺は、今もマヤ人の集落が点在することで知られています。
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ユカタン半島名物イグアナです。
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ウィキペディア(Wikipedia)より
ウシュマル (Uxmal) は、メキシコ、ユカタン州にある古典期後期から後古典期のマヤ文明の遺跡。
メリダの南方78kmの地点にあり、カンペチェへ向かうメキシコの高速自動車国道261号線で、メリダから110kmの地点にある。ウシュマルという地名は、オシュ=マハアルと発音されたと考えられ、マヤ語の研究者の間でその由来について論争があるが、コロンブス到着以前の古いマヤ語の名称と考えられ、「三度にわたって建てられた町」という意味である
多くの観光客の目的地となるためにウシュマルの建造物の整備や復元にたくさんの労力が注がれる一方で、細々とであるが真摯な考古学的な発掘調査や研究がなされてきた。この都市の占地が行われた時代はよくわかっていないが、人口は、現時点では概算で2万5千人ほどと推定されている。ただし、あくまでも非常に大づかみな推定であるため、より詳細なデータによって見直されることが望まれる。 今日目にすることのできる大多数の建造物は、だいたい紀元700年から1100年の間に建てられたものである。 -
マヤの年代記によれば、ウシュマルは、フン=ウィツィル=トゥトゥル=シウによって紀元500年に建てられた町であるという。ウシュマルは何代にもわたってシウ家によって支配され、ユカタン西部でもっとも強力な都市であった。そしてチチェン・イッツアと同盟を結んで北部ユカタン全域を支配していた。紀元1200年以降は主要な建築物を新たに建築することは行われなくなる。このことは、ウシュマルと同盟者チチェン・イッツアの衰退とマヤパンへユカタンの権力が移っていく過程と関係しているとおもわれる。 シウ家が、マニへ首都を移すとともに、ウシュマルの人口は減少していった。
スペインによる征服後、シウ家自身は、スペインの同盟者となったが、初期植民地時代の記録によると、ウシュマルは、1550年代までは、ある程度の数の人々が住む重要な場所であったが、そこにスペイン風の町が建てられることはなくやがてウシュマルは放棄されることとなった。 -
総督の館
壮大な基壇の上に長いがそれほど高くない建造物が建てられている。これは、コロンブス到着以前のメソアメリカでは、最長の外観をほこる建造物である。 -
魔法使いのピラミッド
いくつかの点で通常ではない良好な状態の建造物である。ピラミッドを構成する何層かの基壇は、メソアメリカでは通常長方形に造られる基壇を卵型に造っている。メソアメリカでは、通常古い神殿ピラミッドの上にかぶせて新しい神殿ピラミッドを築くが、古いピラミッドの中央よりわずかに東に偏って新しいピラミッドを築いている。そのため、古いピラミッドの西側部分は保護されてその上に二度と新しい建物が築かれることはなかった。 -
大球戯場
メソアメリカ独特の球戯が行われた場所で、901年にチャン=チャク=カクナル=アハウという王によって奉献されたという銘文が刻まれている。 -
約1時間の遺跡見物を終えメリダの市内で予約したB&Bに向かいます。
今日泊まるのはtripadvisorで高い評価を得ていた「Cascadas de Merida」です。全部で4部屋しかありません。
住宅街の一角にあります。最初はこんなところにホテルが?
☆tripadvisorの評価
http://www.tripadvisor.com/Hotel_Review-g150811-d595293-Reviews-Cascadas_de_Merida-Merida_Yucatan_Peninsula.html
☆ホテルのHP
http://www.cascadasdemerida.com/index.php -
中に入るときれいなプールがあります。
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部屋の中です
コンパクトにまとめられた室内です -
オーナーの趣味でしょうか?
ちなみにオーナーはdannyさんでアメリカ人でニューヨーク生まれだそうです。
28歳になる息子さんがおられビックリ!2年前まで日本で仕事をしていてその後はニューヨークのアバクロで建築関係の仕事をして銀座のアバクロを手掛けたそうです。 -
今日は日曜日です。夕方ソカロに散歩&夕食に向かいます。カーニバルといえばブラジルが有名だけど、
私たちが居るメキシコ、メリダでも連日連夜街中どんちゃん騒ぎ。メキシコ、ユカタン半島の中ではメリダが一番盛り上がるんだそうです。 -
お祭り真っ最中。屋台もいっぱい出てます。
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『ウィキペディア(Wikipedia)』より
メリダ (Mérida) は、メキシコにある都市で、ユカタン州の州都である。人口約79.3万人(2003年)。近年、メリダの人口は周辺の村からの人口流入により上昇を続けており、市の一番外側を走る外周道路(anillo perferico)を越えて宅地造成がなされている。
1542 年、スペイン人入植者フランシスコ・デ・モンテホによって、都市が開かれた。中央広場(ソカロ)の南側には今でもモンテホの宮殿が残されており、現在は銀行として使われている。市の中心部はコロニアル様式の町並みが広がっており、また中央広場北側にあるユカタン州庁舎の2階には先住民の生活、寓話、ユカタンの歴史的出来事をあしらった大きくて立派な絵画がある。
現在の町の中心地である歴史地区(Centro Histórico)が主にスペイン人たちの居住区であった。そしてその周りにメスティソや先住民が住んでいた。数字的には圧倒的少数派であったスペイン人達は多数派の先住民に対する警戒心は相当なもので、反乱に対して特に神経質であったと言われている。
基本的にメリダ市内のブロックは縦の通りが偶数、横の通りが奇数になっており比較的わかりやすい碁盤の目のような造りになっている。
19世紀〜20 世紀にはエネケンと呼ばれる竜舌蘭から獲れる繊維の大量買占めが米国資本によって行われ、それを昔から栽培していたメリダ市を含む周辺地域で空前のエネケンブームがおこる。 メリダ市のメインストリートであるモンテホ通り(Paseo Montejo)やその他市内を走る立派な道路などのインフラ整備はこの好況によって作られたものである。
市内の見所は中心部に集中しており、散策するには適している。ソカロの周りにはモンテホ宮殿・ユカタン州庁舎があり、60番通りには土産屋がたくさんあり、その通りを北上するとモンテホ通りにたどり着ける。パリのシャンゼリゼ通りをモデルに作られたきれいな通りの両サイドにはエネケンで一儲けした資本家の宮殿がまだ残っている。市内観光にはトゥリブス(turibus)と呼ばれる2階建てバスもあり、これに乗れば市内の要所を一度に見て回れて大変便利。中央広場発着で定期的に出ている。
市街地の西側イツァエス通り(Avenida Itzaes)に無料で入れる動物園(地元ではセンテナリオと呼ばれている)もあり、ユカタン特有種の動物も展示されており、見ごたえがある。
ユカタン州の民芸品を買うには中央広場から3ブロックほど南にある民芸品市場(メルカード・デ・アルテサニーア)があり、豊富な種類の民芸品が販売されている。 またメリダはマヤ遺跡観光の拠点であり、ウシュマルやチチェン・イッツァ、マヤパン、ジビルチャルトゥンなどバスで気軽に行ける距離に優れた遺跡が多数存在する。また25キロほど北へ行くとプログレソという港町があり、海水浴も楽しめるビーチがある。そして西へ80キロほど行くとセレストゥン国立公園があり、マングローブの林やフラミンゴの大群を見ることができる。カリブ海の一大リゾート地カンクンへも1等バスで4時間程で行くことができる。
メリダ市街地の治安はメキシコの他の地域と比較しても良い。 夜、街に出て散策をするのも特には問題ない。 しかし、人通りの少ない通りを歩いたり、高価な物を身につける事は避けるべきである。 観光スポットもなく日本人が訪れる事はほとんどないが、メリダ市の南部は低所得者が住む地帯で市街地や北部と比べると安全な場所ではないので注意が必要。
またメキシコ他州と同様、アルコールを野外で飲酒することは法律で禁止されており、小売店やコンビニエンスストアでは平日は午後10時以降、アルコールの販売が禁止されており、土曜日、日曜日は午前10時から午後5時までのみ購入できる。ただ飲食店での飲酒は曜日、時間を問わず、可能である。
メリダ周辺の村にあるセノーテ(地底湖)への探検も非常に面白い。ユカタン半島の地質は石灰岩でできており、しみこんだ雨水が石灰でろ過され、地下にきれいな湖を形成している。観光に適しているのはメリダからバスで1時間少々南に行ったクサマというところにあるセノーテである。ここのセノーテは観光用に整備されており、子供から大人まで気軽に楽しめるのが利点。エネケン農園の正面に入り口があり、馬が牽引するトロッコでセノーテまで連れて行ってくれる。5つの大きなセノーテがあり、もちろん遊泳も可能である。ユカタン州を象徴するエネケン農園とセノーテの2つが一度に見られて、訪れた観光客からは非常に好評である。 -
最初はガイドブックなどでも紹介されている「Los Almendros」に行こうと思ったのですが、おかみさんいわく安くておいしいんだったら「ラチャヤ」に行きなさいとのアドバイスでここにしました。
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ユカタン料理の特徴は豚肉と七面鳥をよく食べるということ。豚肉料理で有名なコチニータ・ピビルとポク・チュック。前者は裂いた豚肉が赤いソースに絡めてります。
今回はお店のおまかせ料理をコースにして食べました。ちなみに料金はコース3人前、コーラ3本、コーヒー2杯、デザート2人前で約400ペソしないくらい格安でした。 -
メキシコのお母さんというべき人が1個1個トルティージャを焼いています。
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おいしいお店でした。宿からは歩いて10分くらいの距離です。メリダはなかなかいい街です。コロニアル都市とよばれる植民地時代にできたもので、通りが碁盤目になっている。通りの名前も数字で順に並んでいるので 分かりやすい。ただし、南北の通りは偶数、東西の通りは奇数だけを使っていて、そこだけ注意すれば住所だけでも探しあてられます。
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朝のホテルです。すがすがしくちょうどいい温度です。
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宿自慢の朝食です
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プレート一杯のフレッシュフルーツ。これを自家製のヨーグルトと合わせて食べます
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ホームメードのパン、これに卵料理やおくさん手作りのタコスなど朝からボリューム満点です。人気の秘密がわかりました。
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楽しかったメリダを後に車で300km離れたカンクンへ向け出発です。
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メリダから約1時間半で次の目的地「チチェンイツァ遺跡」に到着です。エルトンジョンのコンサートも4月に行われるのだそうです。
チチェンイツァの古代都市遺跡は、メキシコ・ユカタン半島の突端付近にあり、9世紀から13世紀に栄えたマヤ文明の遺跡です。紀元前、現在のグアテマラで発祥したと言われるマヤ文明は、ユカタン半島までの広大なエリアにその痕跡を残していきました。
チチェンイツァの遺跡で最も際立っているのは階段状のピラミッドで、最上部は「ククルカンの神殿」と呼ばれます。ククルカンとは「羽毛のあるヘビ」の意味で、メキシコ中央高原で重要な神であるケツァルコアトルが、マヤの地に来て呼び名を変えたと言われています。
ククルカンの神殿の隣に「戦士の宮殿」があります。正面にはチャクモール像があり、腹部は平らな台になっていて、生贄(いけにえ)となった人間の心臓が供え物として神に捧げられました。人間の心臓は、西に沈み疲れた太陽に、再び東から昇るための活力を与えると考えられていました。地下世界に行った太陽が、再び天界によみがえり、新しい時間がそこから始まると考えられていたのです。
この遺跡とエルトンジョン どんなコンサートなのでしょうか? -
お土産屋さんがいっぱいです。入場料は118ペソとだいぶ値上がりしています。10年前に初めてここに来た時とは違い道路やショップなど整備されています
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10年前に来た時はピラミッドに登れたのですが今は禁止されているようです。
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チチェン・イツァは10〜13世紀にかけて栄えた「マヤ・トルテカ文化」を代表する遺跡である。
高度な天文学の知識と建築技術を持つ反面、神に生け贄の人身御供を捧げるなど、血なまぐさい儀式も行なわれたそうです。 -
ウシュマルと違いカンクンから近いこともありすごい人数の観光客がやってきます
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セノーテ(聖なる泉)
雨が降らない時や豊作を願う時に、神の予言を伺うために、財宝や生贄の人間が投げ込まれたという。
スペイン征服時のスペイン人の記録によれば、吉兆を占うために、定められた日に女性を放り込んだとしている。また、この記録によれば、この女性は後に泉から引き上げられ、吉兆を語ったとされている。
後にアメリカの探検家エドワード・トンプソンがこの泉にもぐり、人骨やたくさんの財宝を発見した。 -
遺跡の近くにあるセノーテでスイミングです。入場料1人70ペソ
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大型バスが何台もきていて遺跡同様すごい人です
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水はあまり冷たくなく心地よい感じです。
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セノーテを後に200km先のカンクンへ向け出発です。
ハイウェイ無料だと思っていたのですが普通車220ペソでした。現地の物価からすると高いのでしょう!だから
車が少なかったようです。
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