2007/03 - 2007/03
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ドクターキムルさん
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昭和の時代は鉄筋コンクリートで再建される天守閣が多かったが、平成になると木造で再建された天守閣も目に付く。平成になると小峰白河城御三階櫓(天守閣)の木造での復元に続いて、掛川城天守閣が木造で復興され、平成の木造での天守閣再建ブーム(、最近では本丸御殿の復興がブームのようであるようだが)、のはしりに建てられた城でもある。いうまでもなく、日本の伝統建築は木造であり、近世の建築物を木造で再建復興すればその良さを実感することができよう。
掛川城には二の丸御殿が現存しているが、木造の三層天守閣が復興された。山内一豊が築城し、江戸時代寛延元年(1748年)に概観は創建当時の姿のままで再建された高知城を模して再建された。当時の掛川市長は天守閣再建のために高知城や犬山城の視察に訪れたそうである。けれども、お妾さん同伴で早々に立ち去ったそうである。次の選挙でこの市長は落選した。さもありなんの出来事である。
(表紙写真は掛川城復元天守閣と太鼓櫓)
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太鼓櫓。かつて掛川には1ヶ月ほど出張していたことがあり、当時は東海道新幹線駅はなかったが、この太鼓櫓と二の丸御殿が現存していた。
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掛川城復元天守閣と太鼓櫓。天正18年(1590年)に山内一豊が5万1千石(のち5万9千石)で入り、天守閣などを整え、近世城郭とした。以降は、松平(久松)家1万石、安藤家2万8000石、松平(久松)家 3万石、朝倉家(徳川忠長附家老)、青山家2万6000石後3万3000石、松平(桜井)家4万石、本多家7万石、松平(藤井))家2万5000石、北条家3万石、井伊家3万5000石、松平(桜井)家4万石、小笠原家6万石、太田家(延享3年(1746年)9月〜慶応4年(1868年)9月)5万石。何と城主の交代と石高の変動の多いこと。
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掛川城復元天守閣。1994年(平成6年)に、木造による天守閣が再建された。それ以降も何度か見に来た。馴染みの天守閣だ。
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太鼓櫓。
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二の丸御殿。太田氏5万石の時代の文久元年(1861年)に再建された。二条城二の丸御殿や川越城本丸御殿(現在は修理中)ほど立派ではないが、高知城本丸御殿とは、本丸と二の丸、あるいは石高の差はあるが、まあ比べることはできる程度か。
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復元された城門。天守閣が再建された後に、掛川の街は見違えるように綺麗に整備された。昔の街並みを知っている私の目には驚くばかりに写る。天守閣の再建が町興しになったのだろう。
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