2006/08 - 2006/08
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ma2okaさん
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Wieskirche
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ヴィースの巡礼教会はドイツバイエルン州南部、ヴィースにあるカトリック教会。涙を流す救い主像に人々は奇跡を信じ、惜しみない祈りを捧げてきた。1745 年から54年にかけてヨハン・バプティストとドミニクス・ツィンマーマンらによって建てられた祈りの場は、ロココ様式の最高傑作と称される奇跡の教会である。
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外観は牧場の中に建つ何の変哲もない教会だが、ロココ様式の内部の装飾はロココの極限に達していると言われており、その天井画は「天から降ってきた宝石」とも讃えられている。
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設計はドイツ・ロココの完成者として名高いドミニクス・ツィンマーマン。それまでにも数多くの建築を手がけていたが、この教会には特別な愛情と情熱を傾け、完成後もこの教会から離れることを嫌い、すぐ近くに居を移し、生涯この教会を見守り続けた。
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左の柱は説教壇である。
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説教壇には、ギリシア・ローマの伝説を物語る天使像がある。少年が毎日イルカと一緒に泳ぎ友情を結ぶ。しかし少年は背鰭で傷つき死んでしまう。イルカは少年の墓を見つけ出し死ぬ為にそこへ横たわる。
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右の柱は修道院長席である。創立者でもあるマアリヌス2世マイヤーは1773年までの生涯をここで過ごした。彼は「この場所に幸運が宿り、ここに魂は安らぐ」と刻んでいる。
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北側、左脇の祭壇画。祭壇画はヨハン・ベルクミュラーの作。罪の女がファリサイ人シモンの家での食事風景を描いている。脇には頭蓋骨と鞭を持つエジプトのマリヤ。十字架と鞭を持つマルガレタ。
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南側、ヴィースの鞭打たれる救い主の為の信心会の祭壇。ペドロがイエスを否定する場面がドミニクス・ベルクミュラーによって1756年に制作され、ユダス・タデウスとベルンハルト・ラミスによって彩色された。上部には神の知恵を象徴する女性像が配され「神の知恵」が要約されている。
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イエス像の上には黄金のペリカンが配されている。ペリカンの母は餌を見つけられず瀕死の時、自らの心臓を心臓を突き、その血で雛を養う。
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中央祭壇円柱群に配置されているルカとマタイ。彼らの福音書は教会の信徒を支える柱である。
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ヴィースの起源、鞭打たれる救い主は、1730年マグヌス・シュトラウプ神父とルカス・シュバイガー修道士がシュタインガーデンのプレモントレ修道院において、聖体行列用にこの像を作ったが、鞭打たれる救い主像は、あまりに痛々しかった為、信者の同情を呼び暫く使われなくなった。その後修道院付属の食堂エレミアスの屋根裏に忘れ去られる。1738年マリア・ローリーの元へやってきた救い主は、1738年6月14,15日に涙を流した。その噂は瞬く間にヨーロッパ全土に広がった。ヴィースの奇跡を信じた多くの人を迎える為、一般からの浄財を募るなどして建設資金を捻出し教会の建設が始まった。
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大天井画。中心は復活されたキリスト。天使たちが終末のラッパを吹き鳴らしているが、キリストは虹王座で自らの心臓を示しながら天を仰いでいる。用意された最後の審判用の玉座についていないし、永遠への門もまだ開かれていない。創造の使命、世界の出来事、個人のささやかな場に於いても責任を持って働き、共に形作る時はまだ私達には残っている。
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オルガンの制作年は1757年とされ、制作はミンデハイム近郊、ディルレヴァンク出身のヨハン・ゲオルク・ヘルタリッヒ。その優美は「目で見るメロディー」と称される。
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この教会を去る時、もう一度、天井の永遠の命の門を目にする、それは教会からのメッセージ。希望と目的に向かってこそ、その門は開かれる。
出口頭上には、ドミニク・ツイーマンのサインが残されている。その時代の天才が作り出した世界。それは、時代を超えて人々を魅了し、世界の創造と私達の救い主の奇跡の業に対して人々に喜びと感謝の念を起こさせる。
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