国分寺・小金井旅行記(ブログ) 一覧に戻る
西ゾーンには、大正、昭和初期の洋風建築や江戸時代中期・後期の農家が復建されています。<br />大正時代には珍しい洋間は、西洋建築を取り入れつつ、日本人に合った様式で設計されていて、とても面白かったです。<br />

近代日本の建築家・江戸東京たてもの園 −3 Koganei, Tokyo

8いいね!

2010/01/07 - 2010/01/07

274位(同エリア525件中)

0

49

belledune

belleduneさん

西ゾーンには、大正、昭和初期の洋風建築や江戸時代中期・後期の農家が復建されています。
大正時代には珍しい洋間は、西洋建築を取り入れつつ、日本人に合った様式で設計されていて、とても面白かったです。

  • 昭和12年(1937)に板橋区常盤台1丁目に建てられた常盤台写真場・TOKIWADAI PHOTO STUDIO<br />健康住宅地として開発された郊外住宅地にあります。<br />

    昭和12年(1937)に板橋区常盤台1丁目に建てられた常盤台写真場・TOKIWADAI PHOTO STUDIO
    健康住宅地として開発された郊外住宅地にあります。

  • 1階の和室

    1階の和室

  • 台所から食堂を見たところです。

    台所から食堂を見たところです。

  • ダイニング・チェアーも座るところがちょっとへこんでいます。

    ダイニング・チェアーも座るところがちょっとへこんでいます。

  • 勉強部屋

    勉強部屋

  • 2重窓になっています。内側は障子ですが。

    2重窓になっています。内側は障子ですが。

  • 2階は写真撮影所です。

    2階は写真撮影所です。

  • スタジオは安定した照度が得られるように、スラントという自然光を取り入れるため北に大きな窓があります。

    スタジオは安定した照度が得られるように、スラントという自然光を取り入れるため北に大きな窓があります。

  • 上部にも磨硝子の明かり取りがあります。

    上部にも磨硝子の明かり取りがあります。

  • 三井同族十一家の総領家(北家)の三井八郎右衛門高公氏の前後の住宅。<br />今井町(現在の港区)にあった邸宅が戦災で焼失したため、財閥解体後の昭和27年(1952)に麻布笄町に本邸を建築しました。<br />

    三井同族十一家の総領家(北家)の三井八郎右衛門高公氏の前後の住宅。
    今井町(現在の港区)にあった邸宅が戦災で焼失したため、財閥解体後の昭和27年(1952)に麻布笄町に本邸を建築しました。

  • 玄関の扉には三井家の家紋が彫り抜いてあります。

    玄関の扉には三井家の家紋が彫り抜いてあります。

  • 廊下の壁紙も織った布が張ってあります。

    廊下の壁紙も織った布が張ってあります。

  • 土蔵の扉にある家紋の取っ手。<br />越後屋の絹蔵と言い伝えられ、三井家では大事にされている。<br />明治7年(1874)に建てられた土蔵を復元してあります。

    土蔵の扉にある家紋の取っ手。
    越後屋の絹蔵と言い伝えられ、三井家では大事にされている。
    明治7年(1874)に建てられた土蔵を復元してあります。

  • 蔵の内部は3階まであります。

    蔵の内部は3階まであります。

  • 1階の書院のニ間は、明治30年(1897)頃に完成した京都油小路三井邸の奥書院の一部で、戦後、港区に移築されたものです。

    1階の書院のニ間は、明治30年(1897)頃に完成した京都油小路三井邸の奥書院の一部で、戦後、港区に移築されたものです。

  • お客用の椅子は敷物に跡がつき難いよう摺り足が付けられている。

    お客用の椅子は敷物に跡がつき難いよう摺り足が付けられている。

  • 邸内の各部屋には、明治期の丸山四条派の画家が描いた襖絵が填め込まれています。<br />

    邸内の各部屋には、明治期の丸山四条派の画家が描いた襖絵が填め込まれています。

  • 食堂の椅子にも摺り足。

    食堂の椅子にも摺り足。

  • 客間、食堂の天井は、織布が格天井に貼られている

    客間、食堂の天井は、織布が格天井に貼られている

  • 廊下脇に坪庭が造ってありました。<br />ガラス窓の枠下部にもデザインの工夫がありました。<br />外側から見るとこうなっているんですね。

    廊下脇に坪庭が造ってありました。
    ガラス窓の枠下部にもデザインの工夫がありました。
    外側から見るとこうなっているんですね。

  • 茶室として使われていましたが、元々は絵を描くための仕事場でした。そのため、自然光が多く取り入れられ、三方が窓になっています。<br />

    茶室として使われていましたが、元々は絵を描くための仕事場でした。そのため、自然光が多く取り入れられ、三方が窓になっています。

  • 1月9日に初釜があるそうで、準備が進められていました。<br />年に数回お茶会があり、誰でも参加できるそうです。

    1月9日に初釜があるそうで、準備が進められていました。
    年に数回お茶会があり、誰でも参加できるそうです。

  • 茶室入口横にあった紫檀に鳥が図案化して彫ったものがありました。

    茶室入口横にあった紫檀に鳥が図案化して彫ったものがありました。

  • 庭から見た全景

    庭から見た全景

  • 1階の客間・食堂のある邸の外観<br />庭園には今井町から景石が移され、邸に風格を添えている。

    1階の客間・食堂のある邸の外観
    庭園には今井町から景石が移され、邸に風格を添えている。

  • 廊下の明り障子を外側から見たところ。<br />ちゃんと横に折り戸の雨戸がありました。

    廊下の明り障子を外側から見たところ。
    ちゃんと横に折り戸の雨戸がありました。

  • さっき見た坪庭と同じ窓枠がここにも使われています。

    さっき見た坪庭と同じ窓枠がここにも使われています。

  • 土蔵に影を落とす石塔

    土蔵に影を落とす石塔

  • 江戸時代後期、八王子市追分町に建てられた八王子千人同心組頭の家<br />八王子同心は甲斐の国との国境を警備するために配備された武士団でした。関が原の戦いの頃、千人くらいの規模になったので、こう言われています。平常は、農耕を営む半農半士という生活でした。<br />周辺の農家と比べても広くはありませんが、式台付き玄関は格式の高さを示しています。

    江戸時代後期、八王子市追分町に建てられた八王子千人同心組頭の家
    八王子同心は甲斐の国との国境を警備するために配備された武士団でした。関が原の戦いの頃、千人くらいの規模になったので、こう言われています。平常は、農耕を営む半農半士という生活でした。
    周辺の農家と比べても広くはありませんが、式台付き玄関は格式の高さを示しています。

  • 明治26年(1893)に日野の大火で家を焼失した溝呂木家が八王子にあった千人同心の子孫である塩野家から建物を買い取り、その部材を転用して日野市に農家を建てました。<br />塩野家は、千人同心の組頭を勤める家柄で、先祖に「桑都日記」を書いた塩野適斎がいる。

    明治26年(1893)に日野の大火で家を焼失した溝呂木家が八王子にあった千人同心の子孫である塩野家から建物を買い取り、その部材を転用して日野市に農家を建てました。
    塩野家は、千人同心の組頭を勤める家柄で、先祖に「桑都日記」を書いた塩野適斎がいる。

  • お風呂場の窓の目隠し?も凝っています。

    お風呂場の窓の目隠し?も凝っています。

  • 玄関横には、外と内の両方から出入り出来る風呂場があります。<br />外から帰って直ぐに汚れた足を洗うことが出来る便利な配置になっています。

    玄関横には、外と内の両方から出入り出来る風呂場があります。
    外から帰って直ぐに汚れた足を洗うことが出来る便利な配置になっています。

  • 建物横にある紅梅の木も2月には咲いて、綺麗だそうです。

    建物横にある紅梅の木も2月には咲いて、綺麗だそうです。

  • 江戸時代中期に世田谷区岡本3丁目に建てられた綱島家(農家)<br />多摩川付近のの台地上にあり、広間型の間取りの茅葺きの民家。<br />広間を囲む長方形断面の大黒柱、押し板などの古い形式の板から建物の歴史が感じられます。

    江戸時代中期に世田谷区岡本3丁目に建てられた綱島家(農家)
    多摩川付近のの台地上にあり、広間型の間取りの茅葺きの民家。
    広間を囲む長方形断面の大黒柱、押し板などの古い形式の板から建物の歴史が感じられます。

  • 江戸時代後期に三鷹市野崎2丁目に建てられた吉野家(農家)。<br />江戸時代に野崎村(現在の三鷹市野崎)の明主役を務めた家で、式台付きの玄関、付け書院のある奥座敷などに格式が高いことが分かる。

    江戸時代後期に三鷹市野崎2丁目に建てられた吉野家(農家)。
    江戸時代に野崎村(現在の三鷹市野崎)の明主役を務めた家で、式台付きの玄関、付け書院のある奥座敷などに格式が高いことが分かる。

  • 江戸時代末期に鹿児島県大島郡宇検村に建てられた奄美の高倉。<br />奄美大島にあった高床式の倉庫です。<br />湿気や鼠の被害から穀物を守るために、建物を地面から高く上げる高床式の建物は、八丈島などにも見ることができます。

    江戸時代末期に鹿児島県大島郡宇検村に建てられた奄美の高倉。
    奄美大島にあった高床式の倉庫です。
    湿気や鼠の被害から穀物を守るために、建物を地面から高く上げる高床式の建物は、八丈島などにも見ることができます。

この旅行記のタグ

8いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP