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正面入り口から右手に行くと高橋是清邸、西川家別邸、伊達家の門、会水庵があり、更に進みと東ゾーンになります。<br />昔の商家、銭湯、居酒屋などを復元した下町です。<br />(1)での写真が多くなりすぎたので、続けて天明家(農家)を廻った後、西ゾーンへ行きます。

近代日本の建築家・江戸東京たてもの園 −2 Koganei, Tokyo

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2010/01/07 - 2010/01/07

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belledune

belleduneさん

正面入り口から右手に行くと高橋是清邸、西川家別邸、伊達家の門、会水庵があり、更に進みと東ゾーンになります。
昔の商家、銭湯、居酒屋などを復元した下町です。
(1)での写真が多くなりすぎたので、続けて天明家(農家)を廻った後、西ゾーンへ行きます。

  • 下町中通りに建つ民家。昭和初期の普通の家だったんですが。新建材の登場で今はあまり見られない。

    下町中通りに建つ民家。昭和初期の普通の家だったんですが。新建材の登場で今はあまり見られない。

  • 当時の広告看板を取り付けて、昭和初期の雰囲気を出しています。

    当時の広告看板を取り付けて、昭和初期の雰囲気を出しています。

  • 昭和3年(1928)に台東区池之端2丁目の不忍通りに面して建てられた化粧品屋、村上精華堂。<br />創業者の村上道三郎はアメリカの文献を研究して、化粧品を奥の土間で製造し、卸売りや時に小売を行なっていた。<br />看板建築の一種で、人造石洗い出し仕上げとなっている。前面の柱はイオニア式。<br />

    昭和3年(1928)に台東区池之端2丁目の不忍通りに面して建てられた化粧品屋、村上精華堂。
    創業者の村上道三郎はアメリカの文献を研究して、化粧品を奥の土間で製造し、卸売りや時に小売を行なっていた。
    看板建築の一種で、人造石洗い出し仕上げとなっている。前面の柱はイオニア式。

  • イオニア式の柱のレプリカが展示されていました。

    イオニア式の柱のレプリカが展示されていました。

  • お店の帳場

    お店の帳場

  • お店の商品を販売していたところだと思われますが、ここもやはり格天井。

    お店の商品を販売していたところだと思われますが、ここもやはり格天井。

  • 江戸時代後期に大田区鵜の木1丁目にあった天明家は、代々鵜の木村の村役人の年寄り役を務めた旧家でした。

    江戸時代後期に大田区鵜の木1丁目にあった天明家は、代々鵜の木村の村役人の年寄り役を務めた旧家でした。

  • ちょうどボランティアによる燻煙が行なわれていました。

    ちょうどボランティアによる燻煙が行なわれていました。

  • 千鳥破風を持つ主屋は書院などが増改築された。<br />

    千鳥破風を持つ主屋は書院などが増改築された。

  • 主屋前の広い庭、書院前の枯山水などが旧家としての格式があった。

    主屋前の広い庭、書院前の枯山水などが旧家としての格式があった。

  • 側面に部屋を持つ長屋門。<br />

    側面に部屋を持つ長屋門。

  • 長屋門へ続く道

    長屋門へ続く道

  • 会水庵は、大正期に宗偏流の茶人・山岸宗住(会水)が施主となって新潟県長岡市に建てた茶室。<br />その後、昭和2年(1927)山岸家が東京移住に伴い、吉祥寺に移築。<br />昭和32年(1957)劇作家・宇野信夫が買い取り、西荻北5丁目に移されました。

    会水庵は、大正期に宗偏流の茶人・山岸宗住(会水)が施主となって新潟県長岡市に建てた茶室。
    その後、昭和2年(1927)山岸家が東京移住に伴い、吉祥寺に移築。
    昭和32年(1957)劇作家・宇野信夫が買い取り、西荻北5丁目に移されました。

  • 茶室は三畳台目と勝手からなっています。

    茶室は三畳台目と勝手からなっています。

  • 屋根は桟瓦葺きで、庇は銅版葺きとなっている。

    屋根は桟瓦葺きで、庇は銅版葺きとなっている。

  • 露地には、腰掛待合と蹲、灯籠を配しています。

    露地には、腰掛待合と蹲、灯籠を配しています。

  • この茶室は元々母屋に接して建てられていたので、ここでは西川家別邸に付ける形となっています。

    この茶室は元々母屋に接して建てられていたので、ここでは西川家別邸に付ける形となっています。

  • 寛永寺灯籠 寛永4年(1751)

    寛永寺灯籠 寛永4年(1751)

  • 法篋印塔 文化8年(1811)川越市

    法篋印塔 文化8年(1811)川越市

  • 慶安5年(1652)に市ヶ谷富久町の自証寺の中に建てられた。<br />徳川家光の側室であるお振りの方を祀った霊廟。

    慶安5年(1652)に市ヶ谷富久町の自証寺の中に建てられた。
    徳川家光の側室であるお振りの方を祀った霊廟。

  • 建築には、幕府作寺方大棟梁・甲良氏が関わった。甲良家は江戸時代の有力な大工で江戸城、日光東照宮の建築に携わっている。<br />戦災を免れた数少ない建造物で、現在東京都指定有形文化財に指定されている。

    建築には、幕府作寺方大棟梁・甲良氏が関わった。甲良家は江戸時代の有力な大工で江戸城、日光東照宮の建築に携わっている。
    戦災を免れた数少ない建造物で、現在東京都指定有形文化財に指定されている。

  • 禅宗様と和様の折衷様式となっている。

    禅宗様と和様の折衷様式となっている。

  • 大正14年(1925)、田園調布4丁目に建てられた大川邸。<br />居間を中心にして食堂、寝室、書斎があります。当時としては珍しい全室が洋室となっています。<br />玄関外のランプが鳥が使われていて、この建物ととてもマッチしています。

    大正14年(1925)、田園調布4丁目に建てられた大川邸。
    居間を中心にして食堂、寝室、書斎があります。当時としては珍しい全室が洋室となっています。
    玄関外のランプが鳥が使われていて、この建物ととてもマッチしています。

  • 玄関にある照明も凝っています。

    玄関にある照明も凝っています。

  • 居間の照明ですが、布製のフードです。

    居間の照明ですが、布製のフードです。

  • 大正時代の電話機はテレビでは見たことがありましたが、実際目にするのは初めてでした。

    大正時代の電話機はテレビでは見たことがありましたが、実際目にするのは初めてでした。

  • 食堂は台所からサービスが出来るように小窓が付いた戸棚で仕切ってあります。明かり取りにもなっています。キッチンには、当時としては最新の電気器具が所狭しと置いてありました。

    食堂は台所からサービスが出来るように小窓が付いた戸棚で仕切ってあります。明かり取りにもなっています。キッチンには、当時としては最新の電気器具が所狭しと置いてありました。

  • ラジオでした。

    ラジオでした。

  • 居間に会った小物入れ。猫足のようなカーブ。上部も細部にこだわって作られています。

    居間に会った小物入れ。猫足のようなカーブ。上部も細部にこだわって作られています。

  • 居間のテーブルは<br />U字型になっています。安定性はどうでしょう。ここに手を付いてたりすると、倒れてしまいそう。

    居間のテーブルは
    U字型になっています。安定性はどうでしょう。ここに手を付いてたりすると、倒れてしまいそう。

  • コーヒーポット?

    コーヒーポット?

  • 応接間に横から車椅子で入れるようになっている。

    応接間に横から車椅子で入れるようになっている。

  • 日本の近代建築に貢献した建築家・前川國男の自宅として、昭和17年(1942)に品川区上大崎3丁目に建てられたもの。<br />外観は、切り妻屋根の和風、内部は吹き抜けの居間を中心に書斎、寝室という間取りです。

    日本の近代建築に貢献した建築家・前川國男の自宅として、昭和17年(1942)に品川区上大崎3丁目に建てられたもの。
    外観は、切り妻屋根の和風、内部は吹き抜けの居間を中心に書斎、寝室という間取りです。

  • 居間から庭を眺めた景色

    居間から庭を眺めた景色

  • 居間の玄関側の窓は、ガラス戸があり、その内側に上下分かれた障子戸となっています。

    居間の玄関側の窓は、ガラス戸があり、その内側に上下分かれた障子戸となっています。

  • 庭側から大きな窓から太陽光が入ってくるため、とても明るくなっています。壁一面の大きな硝子窓から光が入ってきます。上は硝子の嵌め殺し窓で、下は障子戸となっていて、格子戸が和風、全体のデザインが洋風となっていますが、しっくり溶け込んでいます。

    庭側から大きな窓から太陽光が入ってくるため、とても明るくなっています。壁一面の大きな硝子窓から光が入ってきます。上は硝子の嵌め殺し窓で、下は障子戸となっていて、格子戸が和風、全体のデザインが洋風となっていますが、しっくり溶け込んでいます。

  • 玄関にあった靴を脱いだり、履いたりする時にちょっと腰掛けるための便利な腰掛板があります。

    玄関にあった靴を脱いだり、履いたりする時にちょっと腰掛けるための便利な腰掛板があります。

  • 外から見ると、窓が大きく取ってあることが分かります。

    外から見ると、窓が大きく取ってあることが分かります。

  • 大正14年(1925)、文京区西片2丁目に建築家が堀口捨己氏が建てた小出邸。<br />日本のモダニズムを主導したかれは、当時ヨーロッパで流行していたデザインと、日本の伝統的な造形を折衷した建築。

    大正14年(1925)、文京区西片2丁目に建築家が堀口捨己氏が建てた小出邸。
    日本のモダニズムを主導したかれは、当時ヨーロッパで流行していたデザインと、日本の伝統的な造形を折衷した建築。

  • 玄関を入って、正面にある照明も隅の壁についていてモダニズムのデザインを良く表しています。

    玄関を入って、正面にある照明も隅の壁についていてモダニズムのデザインを良く表しています。

  • 1階の応接間にストーブが置いてあるコーナーも、タイルが使われていてユニークです。

    1階の応接間にストーブが置いてあるコーナーも、タイルが使われていてユニークです。

  • 応接間の椅子もモダニズムのデザインです。

    応接間の椅子もモダニズムのデザインです。

  • 1階の日本間の障子は真ん中が小さく両側に開けられ、明かりや、景色を見ることができます。細かい仕事です。

    1階の日本間の障子は真ん中が小さく両側に開けられ、明かりや、景色を見ることができます。細かい仕事です。

  • 2階への階段の手摺りもやはりモダニズム・デザイン

    2階への階段の手摺りもやはりモダニズム・デザイン

  • 玄関には、ちょっと腰掛ける靴箱があります。玄関で靴を脱ぐということは、ヨーロッパには当時なかったので、こういう設置は日本特有でしょう。

    玄関には、ちょっと腰掛ける靴箱があります。玄関で靴を脱ぐということは、ヨーロッパには当時なかったので、こういう設置は日本特有でしょう。

  • 玄関外の丸と四角のコンビネーションがユニークです。

    玄関外の丸と四角のコンビネーションがユニークです。

  • 庭側から見ると、1階、2階とも障子がガラス越しに見えます。<br />和洋折衷の建築として面白いものです。

    庭側から見ると、1階、2階とも障子がガラス越しに見えます。
    和洋折衷の建築として面白いものです。

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