2009/11/22 - 2009/12/02
352位(同エリア1750件中)
tymyさん
11月になってようやく遅〜い夏休みがとれました。ヨルダンに行こうといろいろ調べていたところ、お隣の国シリアにも見所がたくさんあることを知り、こりゃ両方行っちまおうと決断。上司と部下に無理を聞いてもらい11連休をGet。シリアのアレッポからヨルダンのペトラまで、バスで移動の一人旅。やっぱり駆け足の9日間でした。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
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-
ヨルダンのアンマン(バスターミナル)には夕方到着しました。
タクシーをつかまえダウンタウンに向かいます。
シリアに比べると道路の標識に英語が使われていたり、タクシーもメーター方式がたくさん走っていたりと少しだけ警戒心が薄くなってきます。
しかし最初に乗ったタクシーは、私の希望する場所(ダウンタウン)がわからなかったようで、降ろされた場所はそことは遠く離れた場所でした。
近くにいた警官にここはどこだと聞いてみると、最初に到着したバスターミナルのすぐ近く。ぐるぐる回った割には進んでいなかったようです。
違うタクシーに乗り、ダウンタウンに着いたのは夜の9時頃でした。 -
ホテルはダウンタウンの中心部にある「Farah Hotel」に部屋を取りました。
シングル10JD、欧米人が多く、ツアーもあるようなのでここにしたのですが、このツアーが私にとっては吉とは出なかったですね。
ツアーは6人集まらないと催行されないらしく、ツアーで死海やペトラに行こうと思っていた私は、早速出鼻をくじかれます。明日催行予定のツアーは今のところ無し。
スタッフに聞いてみたところ明日どこかへいきたいのなら、自分で手配した方が間違いないよと素っ気ない返事。
ペトラなら早朝Jettバスに乗ればいけると教えてもらい、明日はペトラ行き決定。
死海ツアーの申し込み欄に名前とルームナンバー、希望日を書き催行されることを祈り就寝。
一人で死海に行ってもつまらなそうですからね。 -
翌日の早朝、ペトラ遺跡に行くためJettバスのオフィスに向かいます。
予約もしていなかったのですが、チケットは無事確保。日帰り往復分を購入しました。
6時30分出発。ペトラまでは約3時間。
今回の旅のメインイベントに胸がたかなります。
バスは概ね満席。隣の席には家族旅行のお父さん。この方はトルコ人、奥様がヨルダン人。3人の子供たちのために休暇を取って、ペトラに5日間滞在するそうです。
日帰りで行こうとしている私に、今度くるときはもっと時間を作ってゆっくりするんだよと、優しい声をかけてくれました。
ヨルダン人奥様手作りのクッキーは大変美味しかったです。 -
ようやくバスはワディ・ムーサという町に到着。Jettバスは町を通り過ぎ、遺跡の近くまで乗客を運んでくれます。
帰りのバスの出発時間は16時。約6時間の自由時間。気合い入れて歩くぞォと遺跡に向け出発。
チケット売り場で1日券を購入(21JD)、メインゲートをくぐり、緩やかな下り坂の砂利道を歩きます。
道は中央に分離帯があり、右側は観光客、左側は観光客を乗せた馬や馬車が走る道です。
天気も良く、ペトラにきた高揚感でウキウキですが、漂う臭いに少しがっかり。このフンの臭いだけは何とかならんものでしょうか。 -
早足で15分ほど歩くとシークの入口が見えてきます。
シークとは岩の裂け目のことで、高いところでは100mほどの高さの崖もあるそうです。
入口から少し歩くと、崖は見上げるほど高くそして通路は狭くなり、弥が上にも期待値は高まります。
団体ツアーのガイドの説明を盗み聞きながらきょろきょろズンズン足を進めます。世界中から訪れている観光客。色々な国の言葉がシークの中に響きます。
このシークは約1kmあるのですが、緩やかな下りのため往路はさほどつかれません。 -
ペトラといえばこのエル・ハズネ。これには感動しましました。
狭いシークが突然開け、目の前に巨大な遺跡が姿を現します。シークを前奏とした自然の演出。思わずオオッ!と声を出してしまいます。
しばらくは口をポカンと開け、崖を削りくり抜き造ったこの巨大神殿に見とれます。
「インディ・ジョーンズ」世代の私は思わず聖杯探しに中に入りますが、当然そこには何もありません。
ただ広い部屋がそこにあるだけです。
おそらく秘密の扉があるんだと信じ、エル・ハズネをあとにします。 -
エル・ハズネの左奥に進路は進みます。ローマ劇場、王家の墓を横目にひたすら奥へ歩きます。
ロバやラクダに乗らないかと声をかけてくる子供たち。しかし$10払って乗るほどは疲れていないので、誘惑の声をふりきり歩く歩く。
天気がよいのでかなり汗をかきます。水分補給を忘れずに。 -
石畳や円柱通りを過ぎると、レストランが2軒あります。時間は12時少し前。しかし目指すはさらに奥のエド・ディル。
食事は後にして、ここからは細い山道を登るルートです。レストランを過ぎたところにロバの誘惑が待っています。しかし自分の足を信じそのまま山へ入りました。途中何度この決断を後悔したか。体力に自信のない方はロバに乗ることを進めます。
もしまたここへ来ることがあれば私は迷わずロバに乗ります。
山を登り、休憩のたびに心が折れそうになりました。しかし降りてくる人のもう少しだよという言葉に元気づけられ、重い腰を上げて先に進みます。 -
約1時間30分の登山をして、エド・ディル到着。
この神殿の前に立つと、登りのつらかった思いも吹き飛びます。いや、苦労して登ってきたからこそ、より大きな感動が得られたのだと思います。
エド・ディルの正面に腰掛け、その姿を目に焼き付けます。
ここで時計は13時20分、帰路はゆっくりと遺跡を観ながら帰れそうです。 -
山を下り、先ほどのレストランKhimaで遅い昼食をとります。ビュッフェスタイルで一人10JD、向かいのBasinは17JD。
疲れた身体を休め、今来た道を再び歩いて戻ります。ふと横を見ると、屋根付きの駐車場?
王家の墓や祭壇、チョロチョロと歩き回って各遺跡をチェックしていきます。
エル・ハズネの前を通り、再びシークの狭い道を歩きます。 -
朝、期待感MAXで歩いた道を、満足感と帰りたくない想い一杯で戻ります。
馬にもロバにももちろんラクダにも乗らずメインゲートに戻ってきました。ゲートをくぐりペトラ終了。
バスに乗るまで少し時間があったので、土産物屋をひやかします。絵はがきを2枚買い、ビジターセンター脇の郵便局から日本に手紙を送りました。
復路のバスの中はほとんど寝ていましたが、おかげで到着した頃には少しだけ疲れもとれておりました。 -
翌日も期待のツアーは催行されず、仕方ないので午前中はアンマンの町を闊歩します。
まず訪れたのが、ローマ劇場。それにしても結構劇場跡って残っているのねって感じです。
それでもシリアのボスラがやっぱり一番かな。
次にアンマン城まで歩いて行きます。山の上のため、距離の割には時間がかかりました。現在、入口や園内を整備の為、いたる箇所で工事中。
入場料2JDを払おうとすると係員がいいから行けと、手を払います。面倒なのか工事中の売り場での仕事がイヤなのかはわかりませんが、私は無料で入場できました。
山の頂上からはダウンタウンが一望できます。そして反対側には巨大なヨルダン国旗がたなびいてます。 -
一度宿に戻り、ツアーの応募状況を聞いてみることにしました。
写真のような小さな路地を歩いてダウンタウンに向かいます。途中、小さな家の前で炉端会議をしていたおばさま達に声をかけられ、お茶をごちそうになりました。甘くて美味しかったです。
宿に戻ると、やはりツアーは予定無し。テレビを見ていたツーリストに声をかけたが、皆死海は行かないとつれない返事。スタッフはバスで行くように進め、行き方をメモに書いてくれましたが・・・。
部屋に戻って予定の立て直し。明後日にはアンマンを発たなくてはいけないので、残されたのは今日の午後と明日一日。死海ツアー希望者は私ともう一人だけ。明日までにあと4人集まるか少し不安になってきました。
昼食をとるため一度外に出かけます。 -
ふと近くにあるMansur Hotelに寄ってみました。スタッフに聞くと部屋は空いているそう。
ソファでくつろぐ若い日本人2人に話を聞くと、明日2人で死海に行く計画を立てているとのこと。一緒に行っていいかと聞いてみると快く受け入れてくれました。ありがたい。
早速宿も移ることにして、Farah Hotelをチェックアウト。すぐに荷物を持ち、改めてチェックイン。シングル、シャワー付き10JDでした。
明日の出発時間を打ち合わせをし、今日の午後はジェラシュに行ってみることにしました。
明日の予定も決まり、ホッとして旅を続けることができます。 -
タクシーでムジャンマ・シャマーリー(バスターミナル)へ。
アンマンでは黄色いボディのタクシーはメーター付き、白のボディは乗り合いのため交渉制。交渉は面倒だし、ぼられるので黄色に乗ることを進めます。
バスで約1時間。バスはジェラシュの町に入ってすぐに左折します。ガソリンスタンドがあるところ。そこが降りるポイントでした。私は降りそびれてバスターミナルまで行ってしまいました。
バスターミナルで途方に暮れていると、親切なセルビス運転手が遺跡前まで送ってやると声をかけてくれました。お言葉に甘え遺跡の真ん前で下車。お金を払おうとすると、親指を立ててそのまま行ってしまいました。感謝します。 -
メインゲートをくぐり、遺跡に入ります。すぐに列塔に囲まれた広場フォルムに到着。ここから右手に列柱が並びます。
南側の丘を登ると、遺跡の奥まで一望できました。
ここにもありますローマ劇場。さすがにここはチラ見で終わらせてしまいました。 -
かなり広い遺跡のため、歩く距離も必然的に多くなります。
教会跡や大聖堂、見所はバッチリチェックし奥へ歩を進めます。
奥へ進むにつれ、人影も疎らに。石畳の真ん中に座り込み、そして大の字で寝転がったり、遺跡独り占めのような錯覚に陥ります。 -
アンマン行きバス乗り場です。とは言ってもただの道ばたですが。
すぐに小さなミニバスがやってきて、アンマンへ向け出発。・・・しない。運転手が車を降りて後続のバスへと歩いていきました。
5分、10分と時間は過ぎていきます。乗客達も何やってんだとイライラオーラ出しまくり。
どうやら後ろのバスと客をとったのとられたのと揉めているようです。乗客が仲裁に入りやっと出発。
気が立っているのか、非常に運転が荒くなり、山道を走るバスは恐怖感たっぷりでした。 -
夜に少し時間があったので、アブドゥーン地区へ。
各国の大使館が数多くある高級住宅街。ショッピングセンターやブランド店が多く出店しています。
スターバックスでマグカップを買い、コーヒーをすすりながら一休み。
マグとコーヒーで3日分の宿代と同じとは・・・。 -
アンマン最終日。いよいよ今日は死海へ。
町では上着がいるほどの気温ですが、死海は泳げるほど暖かいのか少し心配。
宿にいた日本人6人で、タクシーを2台手配して11時出発。
20代の若者に紛れて一人オヤジが参加です。皆、何ヶ月も旅をしている様で、たくましくそして優しく、気持ちよい人ばかりでした。 -
アンマンを出て約1時間。死海に到着。
車を降りるとそこは汗ばむほどの気温。これなら泳げます。
アンマンビーチは一般7JD、高級12JDと価格差のある二つのビーチが並んでいる公営ビーチです。
私たちは一般のビーチに入場。
我先にと死海に走ります。 -
驚くほど浮きます。
鞄に入っていた日本の雑誌でお決まりのポーズ。
死海にくる道中、浮き輪を売っている店を目にしていたので、実は大して浮かないんではないかと疑っていたのですが、そんなことァありません。
ここに来れば誰でも浮きます(断言)
しかしヒゲの剃り跡がヒリヒリするほどの塩分濃度。
少しなめたら・・・苦っ!
死海の浮遊は非常に楽しい体験でした。 -
アンマンで最後の晩餐。
死海で一緒に楽しい時間を過ごした旅人達と一緒です。
最後に楽しい時間を共有してくれた彼(彼女)達に大きな感謝。
明日は朝の5時の飛行機で出国です。振り返ると短い9日間。11日間の休暇ではやっぱりものたらないっ。
限られた時間でしか旅できないサラリーマン。でも今回の旅はその時間の中ではずいぶん効率よくまわれたのではないかと思う。
時間があればいい旅ができると言うことではないが、何とか今後も時間を作って旅を続けたいものです。
金無し、時間無し、度胸無しの三無い魂で今後もがんばります。
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