2009/12/31 - 2010/01/01
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フロッガーさん
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あけましておめでとうございます。
今年もチャカチャカと曖昧に行動していくつもりでおります。
本年もよろしくお願いいたします。
2010年最初の遠っ走りは、西のほうへと決めていました。
年末の暫定では名古屋方面。
犬山城にて初日の出を迎える目論見ではあったのですが、大晦日の天気予報ではなにやら不穏な・・・
日本海側が降雪となっており、当初予定をしていた中央高速ルートは危険すぎで取りやめ。友人6氏の家に行って合流、一悶着の後はとりあえず名古屋行きはあきらめずに東名高速へ向かいました。
それが千葉から東京を抜けるルートで手違い勃発(爆)。ナビが2010年問題を抱えてしまい私たちが暴走する前に暴走、なぜかディズニーランドやレインボーブリッジを横目に見ながら高速を降ろされて横浜をさまよいます(汗)[6氏の購入した車が横浜育ちだったという噂もチラホラ]
なんとか年明けまでに東名高速に乗りたかったのですが、4分遅れでの東名入りとなりました。この4分、ちょっと手前のSAにて私がハンバーガーを注文したときの店側との「4分少々お待ちいただけますか?」というやりとりが・・・ここに響いたのは言うまでもありません( ´△`)。
ということでひたすら西に向かってみたものの、愛知に入ったあたりで雪が本降りに。道路情報で土岐方面が封鎖されているとの表示。東名高速自体は注意情報も出てはいなかったのですが、犬山城に行くとなると一宮ICまで行くことになります。どうみても四駆とはいえノースタッドレスタイヤな6氏の車では危険すぎる(汗汗)
ということで、あと20分弱での名古屋入り目前にして涙の撤収となりました。う〜ん、やっぱり無謀でした。
そして戻り始めて向かったのは久能山です。
これはこれで大変でした(爆)
自分は日光の東照宮しか知らないので、久能山東照宮は初めてだったのですがあんなに険しいとは・・・。噂では聞いていましたが、行くまで忘れていました(笑)。しかも真っ暗の中を登り始めたので、てっきりまっすぐ登るかと思いきやずっとスイッチターン(泣)
石段は1159段というのは後で知りましたが、それ以上に風が強いのに参道のガードは低くて、ちょっと間違ったら落ちそうな。夜が明けて見下ろしたときに初めて恐怖感全開になりました。絶景っちゃ絶景でした。
ま、もっと驚いたのは・・・麓参道の駐車場には参道のお店が駐車場を有料で空けているのです。その駐車場は一応、整理係の方が何人かいるのですが縦に何台も連ねて停めるので、あっちの人が動かすためにも鍵はつけっぱなしなこと。そして自己責任一切とらんと。つーことは帰りに駐車料金さえ払えば、どの車でも乗って帰れる(爆)。
横の車との隙間もかなり狭く置かれるので、車を大切にされている方は、参拝シーズン中には他の交通機関で行くのがよろしいかと思います(笑)
肝心の初日の出には間に合いましたが、雲があってなかなか太陽が見えないことに精神的に耐えられなくなりちょっと見えたところで東照宮内の見物に行っちゃいました。
それではツラツラと写真もはじまり、はじまり〜!
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一の鳥居から。
出店はなぜか鯛焼き屋さんだけ。。。 -
さて、ひたすら登ります(笑)
久能山は、標高270mほどの山です。
推古天皇の時代に久能忠仁が観音菩薩を安置。
「補陀落山・久能寺」として開山したことから久能山と称するようになったといわれています。
この当代は多くの僧が集まっていて、僧坊・宿坊が300以上も存在し栄えていました。行基や聖一国師(静岡茶の始祖と云われる)なども行き来していたそうです。
その後の永禄十一年(1568)に駿府へ進出した武田信玄によって久能寺は矢部(静岡市清水区)に移されました(現在の鉄舟寺)。
そしてこの地に久能城を築きます。武田氏の滅亡とともに駿河は徳川家康の領地となり、久能城も家康の領地下に置かれました。 -
中腹から。
下の様子がわかりますが、全体的には何もわかりません( ´△`) -
一の門。
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つらさをはしょって、日の出です。
雲の上に出るまでは待てませんでしたσ(^◇^;)
6時20分あたりから、待っていたのですがちょうど7時ごろの日の出になりました。目前が海だとわかってきたのもこのあたりです ̄m ̄ -
ということで、不完全ながらも観光開始。
勘介井戸です。
この井戸は山本勘介が戦国時代に掘った井戸とされています。深さは33mだそうです。 -
社務所前。どんどん行列ができていました。
左手では甘酒や豚汁を売っているお店がありまして、その奥が日本平ロープウェイの駅です。 -
社務所で拝観券を買ったら、楼門へ向かいます。
楼門には後水尾天皇が書いた「東照大権現」の額が掲げてあります。このことから勅額御門とも呼ばれます。
久能山東照宮は2006年度の50年に一回行われる、大改修がほぼ終わった状態とのことです。久能山東照宮 寺・神社・教会
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久能山東照宮の社殿は、徳川幕府2代将軍・徳川秀忠によって創建されました。
元和二年五月(1616)より元和三年十二月(1617)に造営されました。
日光東照宮の創建される19年ほど前のことです。久能山東照宮 寺・神社・教会
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ここの狛犬は、通常と違って内側に宮内を向く形であります。
う〜む、グレイト。 -
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神楽殿の吊るし雛。
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家康公御手形。
徳川家康の手形のコピーです。
手形が押された時の年齢は38歳、身長は155cm、体重は60kgだったそうです。 -
五重の塔跡。
徳川幕府三代将軍・徳川家光によって造られた高さ30mに及ぶ五重塔が存在していましたが、明治に入っての神仏分離令・廃仏毀釈によって五重塔は解体されてしまいました。
今は、敷石が残るのみです。 -
鼓楼。
元々は鐘楼だったそうです。
今は太鼓が納められているそう。 -
唐門前では、行列ができていました。
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唐門へ。
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唐獅子?
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御社殿は権現造りで拝殿・石の間・本殿の三棟からなります。
唐門から本殿の色彩は、どことなく日光輪王寺・大猷院に似ている気がします。黒基調なせいでしょうか。 -
本殿。
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御廟所参道。
寄進された石灯籠が並びます。 -
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御廟所。
家康公の廟所になります。
家康公の遺言によりここへ埋葬されました。
西国への睨みをきかせるために西向きに建てられています。
そして御霊は日光へ祀られることになります。
・・・と自分は聞いていますが、1年後には亡骸そのものを掘り起こして日光に改葬した説もあります。
巫女さんの説明によれば御霊だけが日光へ、という遺言通りだそうです。 -
それでは下山します。
楼門裏側。 -
社務所周辺から。
久能海岸です。 -
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表参道石段あたり。
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休憩したいのはヤマヤマですが・・・怖いです(;・д・)
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見事なつづら折。
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麓へ戻ってきました。
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看板。
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一の鳥居から。
あー、こうだったのかと理解した瞬間です(T-T*) -
最後は富士川SAからの富士山です。
富士川サービスエリア 道の駅
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