2008/12 - 2009/01
473位(同エリア605件中)
okuraさん
- okuraさんTOP
- 旅行記85冊
- クチコミ0件
- Q&A回答1件
- 50,928アクセス
- フォロワー1人
サンパウロに戻ってきて、ブラジル滞在の最終日を迎えた。
いまさら新しいホテルを開拓する気もなく、初日と同じ「ニッケイ パレスホテル」に泊まる。
フロントの人は日系2世、3世あるいは4世以降の世代なんだろうが、日本語が通じる。ただ、完璧な日本語で、逆に言うと特徴はない。
ここ日本人街=リベルダージ地区は、ブラジル到着初日に比べると人通りも多くて非常に賑やか。
だが、初めてここに来た1999年3月と比べて、どうなんだろう、とふと思った。
「日本人」顔の人が非常に多く歩いているのは変わらないのだが、通りに日本語の演歌はかかっていない。
日本語の会話を聞くことは前回よりずっと少ない。いやほとんど無い。
何よりも「1世」と思われる年代の人が見られなくなった。
9年前は、70,80歳を過ぎているであろう日本人夫婦が、日本語で会話しながらけっこう歩いていた。
2008年は、ブラジル移民100周年。
日本政府の移民支援政策が終了してからも50年が経過している。
ほとんど詐欺同然、儲け話か一旗揚げる出稼ぎ話でブラジルに移民した日本人、戦争で人生は大きく変わった。
ブラジルは真珠湾攻撃の翌月1942年1月に日本との国交を断絶、連合国の一員として1945年6月に日本に宣戦布告し、日本語教育の禁止、日本語書籍の没収、集会の禁止など、戦時中は日本人・日系人への敵対的な政策を行っている。いくら親米英とはいえ、同時に最大級の対日「友好国」を敵に回した大日本帝国は・・・愚かな戦争だった。
一方、日本人、日系人はといえば、情報も乏しい中、天皇の玉音放送を聴いてなお、「日本は勝った」「日本が負けるはずがない」と信じ込む日系人が多く、「日本は負けた」「日本人を捨てるべき」と、日章旗を破り、天皇の写真を踏みつける日系人と2つに分かれて、過激派が相手の指導者を襲うほど分裂、この「日系内ゲバ」の死者は2ケタに上るそうだ。
「日本は勝った」と信じた「勝ち組」日系人は、「戦勝国日本」に帰れると騙され、全財産を処分して紙くず同然の日本円を買ったものも多く、その末路は・・・
そんな歴史も過去のものになりつつある。
みんながブラジル生まれブラジル育ちの日系人になれば、「日系人社会」はどうなるのだろうか?
初日に入った日本食レストランで見た老夫婦は、まだ訛りのある日本語で会話していた。その家族と思われる人々は、ポルトガル語を話し、箸の握り方もちょっとおかしかった。
もっとも「日本文化」は完全に定着している。昨日発見して迷わず入った「居酒屋」(!)、出てきた餃子もコロッケもブラジルサイズだが味は東京でも立派に通用する。これに「ボヘミア」という当地のビールがよく合うので、大瓶2本空けてしまった。
さらに、「東麒麟」という日本酒(SAQUE AZUMAKIRIN)も試してみた。日本酒だが・・・なんというか、15度はあるのだが、香りがのほかな日本酒で、味はちょっと「薄い」感じ。
ほかに飲んではいないが「大地」という銘柄もあって、ブラジルらしいネーミング。スーパーに行けば、輸入らしい「日本盛」もある。
ホテルの朝食で、ご飯とみそ汁、焼き鮭、なすの味噌炒め、野菜炒め・・・どれもうまかった。なんと、このホテルにもう1年間滞在している日本人の方もいるそうで・・・ご苦労様というかなんというか・・・
まとまりもなく書いてしまった。
ただ、ブラジル旅行は気持ちがよかった。リオ・デ・ジャネイロもイグアスも大満足。
ここは、最高の旅行先の1つだ。
リベルダージ地区を出たところに、「和風」?マクドナルド発見。
夕方サンパウロ空港へ向かう。南アフリカ航空の夜行便で、大西洋を渡ってアフリカ大陸へ!
<この記事は、以前au oneブログに掲載していたものを、JustBlogにて加筆・修正・写真追加など再編集したものです>
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
サンパウロ(ブラジル) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
3