2009/10/11 - 2009/10/11
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kawabekentarouさん
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久々にゆで卵を食べた〜、めっちゃうまい、もちろん塩はつけますよ〜。ゆで卵をたくさん食べておならが臭く、コレステロールを取りすぎたけど、気にしないぜ!!とにかくこの街を出よう、!今日はオランダに行こうと思うけど、アントワープにもよっちゃえ〜。というこで、来ちゃいました、アントワープ!!アントワープに着いた。ブリュッセルと違い、綺麗で、歩きやすい街だ。至る所にダイヤモンド屋がある。なんか華やかな街やね☆人も、清楚だし、優しい。ルーベンスの家やノートルダム寺院、市庁舎などにも行った。広場には日本人の観光のおばちゃんがいっぱいいて、「おにいちゃん、一人で旅なんてさびしいね〜」余計なお世話だ、思わずit is none of your business!!と捨て台詞を吐いてしまった。ワッフルも初めて食べたけど、美味かった!!でも、甘いのは苦手だ〜。アントワープの少年たちとも仲良くなったり、十分に楽しめた。よ〜し、オランダに向かうか!!
概要
フランデレン地域のアントウェルペン州の州都でベルギー第2の都市。日本では英語名のアントワープ(Antwerp)としてよく知られる。2004年1月1日の総人口は455,148人(男性 222,395人、女性 232,753人)。面積は204.51km²、人口密度は2,225.51人/km²
スヘルデ川(Schelde)の右岸に位置する。スヘルデ川はオランダ南西部ゼーラント州の西部スヘルデ河口域(Westerschelde)を経て北海につながっている。アントウェルペンは世界最大級の港の一つであり、ヨーロッパではロッテルダムに次ぐ港である。街の名アントウェルペンは、市内を流れるスヘルデ川に住んだという伝説の巨人アンティゴヌス(Antigonus)に由来する。この巨人は川の関守だった。巨人があるとき倒されると、その手は切断され、川に「手が投げ込まれた」(フラマン語:hand werpen)。または、巨人が通行料を払わない人間の手を切断していた。ここからアントウェルペンの名が起こったという。ユダヤ系ベルギー人のLodewyk van Berkenがen:Scaifを発明させてからユダヤ人のダイアモンドカット職人が多く、アントウェルペンには大きな正統派ユダヤ人(ハシディズム)のコミュニティがあり、そこから「西のイェルサレム」との綽名がある。
ダイヤモンド取引およびカット・研磨の中心として著名である。港町でもあり、貨物船が多く来航する。1990年代からはファッションの街としても名がある。これは王立美術学校の何人かの卒業生がモード界で国際的な成功を収めたことに起因する。
アントウェルペン動物園は、世界でも最古また最も有名な動物園のひとつである。この動物園は市の中心部にあり、4000種以上の動物を飼育している。王立動物学協会は多くの動物の扱いを見守っており、100年以上に渡って絶滅危惧種の保護にあたってきた。
歴史
16世紀になると、これまでのブルッヘに代わりアントウェルペンがネーデルラント南部の経済的中心となり、大航海時代(大交易時代)の到来にともない、アントウェルペンは大西洋貿易の活況にも支えられて栄華を誇った。しかし、八十年戦争において、1576年や1585年にスペイン軍による占領を受けて街は荒廃した。こうした戦乱を逃れてアントウェルペンの商工業者(ゴイセン中心)がアムステルダムを中心ととするネーデルラント北部などに逃れた上、スペインに奪われた後は北部によるスヘルデ川封鎖を受けて衰退していった。1568年の段階で約10万人いたとされる人口は、1589年までに約4万2千人にまで減少したとされる。
第二次世界大戦中はドイツに占領され、1944年9月4日にイギリス第11機甲師団(11th Armored Divison)によって解放された。連合軍はアントウェルペン港を物資の搬送に使ったため、この後、ドイツ軍はアントウェルペン港を破壊しようと試みた。街は第二次大戦史上最多のV2ロケットで攻撃されたが、港はロケット攻撃による破壊を免れた。しかしながら街自体はこの攻撃で大きな被害を受けた。
アントウェルペンは1920年の夏季オリンピックの開催地でもある。(オリンピックにまつわる、ある調査において「最も有名でない(国と都市名が一致しない都市)開催地」という結果があった。)
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ダイヤが至るところで売られています
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子供たちとカートで遊びました
めっちゃ無邪気で楽しかったし、良い子達でした -
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ブラボーの噴水
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マルクト広場
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ルーベンスの家
生涯
17世紀、バロック時代のヨーロッパを代表する画家である。ルネサンス期絵画の均整のとれた構図や理想化された人物表現とは一線を画し、ルーベンスの絵画は、動きの多い劇的な構図、人物の激しい身振り、華麗な色彩、女神像などに見られる豊満な裸体表現など、バロック絵画の特色が十二分に発揮されたものである。人物のまとう毛皮の色などに、黒を色彩のひとつとして積極的に用いていることも特筆される。
1577年、アントウェルペン出身だった両親が亡命していたドイツのジーゲンに生まれた。ルーベンスが10歳の時に父親が没し、母親はルーベンスを連れて故郷へ戻る。絵の修業を始めたのは14歳頃からである。師匠の一人であったオットー・ファン・フェーンは、ギリシア・ローマの古典に造詣の深い、教養ある人物で、ルーベンスはこの師から多大な影響を受けている。
1600年にはイタリアへ渡り、マントヴァ公の宮廷画家となった。イタリアで約8年間活動した後、1608年にはアントウェルペンに戻っている。1609年、長らく争っていた隣国オランダとの間に休戦協定が結ばれ、平和が戻ったフランドルでは絵画の需要が急増し、イタリア帰りのルーベンスには注文が殺到した。この年からスペインの王女イサベル(ネーデルラントの統治者でもあった)の宮廷画家となったルーベンスは、前世紀のヴェネツィアの画家同様、工房を設置し、多くの弟子たちを動員して大量の注文制作をこなした。 -
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マックでなくクイックバーガー
ヨーロッパに多く、マックよりも多少安いです -
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