2009/10/10 - 2009/10/10
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kawabekentarouさん
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ブリュッセルに着いたがホステルまでの行き方がわからない。。。メトロを乗らなければいけない。。。そしたら、アイルランド人が気がついて、乗り方や場所などを丁寧に教えてくれた。めっちゃ良い人だった!!切符を買うとき、駅員のおっちゃんはめっちゃ面白く、沖縄に行くのが夢だと言っていた。メトロでcomte de flambreに着いたが、アラブ人町で、言葉は悪いが、スラムっぽくて正直怖かった。英語もまったく通じず、宿に着くまでにかなり迷い、歩きまくった。。。一刻も早く、この町を出たいと感じてしまった。。ホステルに着いたらバーカウンターがあり、早速ベルギービアーを飲んだ!爽快なり〜、元気になったぜ!!その後観光地に行った。着くまでは黒人やアラブ人だらけで、少し怖くなり、催眠スプレーを携帯した。夜は絶対に危険だよ〜。中心部に着いた。街並みとても華やかで、いたるところでパフォーマーがいる。見ていて楽しい、音楽もあるしね☆グランプラス広場やそのとおりは歩いていてかなり楽しい!至る所にチョコレート屋や、ビールがたくさん売られていた。もちろんワッフルもね。小便小僧はすごく小さかった。一目ぼれして、小便小僧のちんこがコルクになっている栓抜きを買った。これで、いつでもワインが飲めるぞ!!って、さっそくワインのコルクを抜いていたら、ちんこコルクが抜けてしまった。。。やはり子供だ。。小便おやじがあれば、立派だし、抜けなそう〜。はい、下ネタはここら辺にしときます。中心部のはずれのアラブ人街と中心分の間では、アラブ人と白人が対立しているようにも思えた。ファンキーな白人とアラブ人が大声で喧嘩してたり、帰り道も警察がアラブ人に尋問してるところにいた野次馬のアラブ人が怒りだして、なぜかわからないけど、ビール瓶を俺に向かって投げつけてきた。。マジでびびった。。。早めにこの街というか、アラブ人街から抜け出したい。。。
概要
ベルギーの首都である。名称は「沼、湿地(bruoc、bruc、broek)」、「家(sella、zele)」という単語から来ている。英語読みでブラッセルと表記されることもある。
人口103万人(2007年)。欧州連合(EU)の本部が置かれているため、欧州の政治の一大拠点となっていることから、欧州有数の世界都市とされる。ベルギーの連邦構成主体の一つであるブリュッセル首都圏地域は19の行政区から構成され、その一つがブリュッセル=ヴィル(Bruxelles-ville)である。これを狭義のブリュッセルと表現することもある。北緯50度50分37秒、東経4度21分27秒。
市街は美しく世界遺産にも登録され、「小パリ」とも呼ばれている。2008年には、グローバリゼーションと世界都市の研究グループおよびネットワーク(GaWC)により、ミラノやマドリードと同ランクである第1級世界都市に選ばれている
ブリュッセルはフランス語とオランダ語の2言語地域で、市民はフランス語話者とオランダ語話者に分かれるため、街中にある看板、標識、駅名などは、フランス語、オランダ語の二ヶ国語表示が義務付けられている。市民の8割はフランス語話者である。市民は話す言語によって通う学校などが異なり、フランス語、オランダ語話者に対する文教、言語政策についてはそれぞれフランス語共同体政府とフランデレン政府が担当する。ブリュッセルはフランデレン地域の首都でもあり、フランデレン地域の政府と議会が置かれている。近年はアフリカ、アジア、中近東などからのイスラム系の移民が非常に増加し、移民系の住民が過半数を占めると言われる。近年生まれた男子に最も多く付けられた名前は、イスラム系の「ムハンマド」である。
歴史
都市名は、オランダ語で「沼の村」を意味するブルークゼーレに由来するといわれ、新石器時代の紀元前2250年ごろから農耕民族が住んでいた。やがてローマ文化をうけいれたガリア人が、センヌ渓谷の沼沢地に定住てローマ帝国の属領とし、紀元前1世紀から2世紀にかけて荘園を増やしていった。
12世紀には、地理的な利点を最大限に活かし、交易と交通の中継点として商業や手工業で栄え、職人や貿易商たちは事業を確立していき、貴族たちは要塞や城を築いて土地の所有権を宣言した。1312年と1356年にはブラバント公の特許状を得ることで、ブリュッセルの交易や産業はさらに発展した。
1383年、ブラバント公国の宮廷がルーヴァンからこの地に移され、その後4世紀間にわたって変転するヨーロッパの政治の中心地として繁栄した。1430年にブルゴーニュ公国の支配下に置かれ、ついで1477年以降はハプスブルク家の領地となった。
1555年にハプスブルク家の神聖ローマ皇帝兼スペイン王カール5世が退位し、息子のフェリペ2世に統治を譲る。ブリュッセルの市民は、スペインに住むこの新しい君主に、宗教、文化、階級の違いからことごとく反発し、暴動を起こした。次第に信奉者が増えていくプロテスタントに対して、カトリックを信奉するスペイン・ハプスブルク家は厳しい弾圧をもってのぞんだ。この宗教的対立は、聖像破壊運動を経てついにプロテスタントの反乱、宗教改革となった。1567年この地域へ派遣されたスペインのネーデルラント総督アルバ公フェルナンド・アルバレス・デ・トレドは、ブリュッセルに司令部をおいて反乱を鎮圧した。彼の恐怖政治によって、エフモント伯、ホールネ伯らがここで処刑された。
1576年ブリュッセルはスペインの支配を脱し、勝利をおさめたネーデルラント連邦共和国に入ったが、1585年にはアレッサンドロ・ファルネーゼが指揮するスペイン軍に攻略され、再びスペイン領ネーデルラントに加えられる。1792年にはフランス革命軍によって占拠され、ナポレオン戦争が終結する1815年までフランスの支配下にあった。1815年のウィーン条約によって、現在のベルギーとオランダを含むネーデルラント連合王国の都市となった。
ベルギー独立革命に際しては、ブリュッセルはその中心地となり、1831年にベルギー王国の首都となった。第二次世界大戦後の1958年には盛大な万国博覧会を開催し、北大西洋条約機構と欧州委員会の本部をブリュッセルへと誘致した。
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ジュピラー
お決まりの産地ビール -
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昼だけど何気に怖いぞ
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思わず防犯スプレーを取り出してしまった
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サンミッシェル大寺院
音楽のパフォーマーがいて、楽しかった -
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カラフルすぎやろ
少し不気味です -
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マジで華やかででかかった、グラン・プラス広場
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人形になるパフォーマー
写真を撮ってお金を払わず去ったら追いかけてきた。。。 -
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小便小僧は、放尿する少年を模した像、噴水。 同様のものは世界各地に存在するが、ここでは起源とされているブリュッセルに設置されているものを中心に述べる。
1619年にフラマン人彫刻家ジェローム・デュケノワにより製作された。現在設置されている像はレプリカであり、オリジナルの像は1960年代に紛失した。
近くに屈んで放尿する小便少女の像もある。 -
喧嘩現場
かなりの大声で叫んでたし、怖かった -
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俺の好きなフウーズボール
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ファンキーな階段。はじめてみたときは驚いた
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