2009/11/06 - 2009/11/06
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スーポンドイツさん
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2000年から始まった平成の大修理がようやく終わり、11月1日に落慶法要が行われました。国宝金堂や仏像の一般公開は4日から。
〜天平を駆け抜けた男と女たち〜というTVドラマを見て、井上靖の「天平の甍」とその映画を思い出しました。2号にミーハーと笑われながらも懐かしさがこみ上げてきて、奈良までひとり車を飛ばして行ってきました。
- 交通手段
- 自家用車
-
暖かくて天気もいいし、いざ奈良へ!
阪神高速・第二阪奈道路を快適に突っ走り、宝来ランプを出れば10分ほど、穏やかな懐かしい景色が広がります。このバス停の奥、すぐ西に唐招提寺があります。 -
唐招提寺
http://www.toshodaiji.jp/index.html
拝観は 8:30〜17:00(受付は16:30まで) 大人600円
駐車場(500円)に車を置いて南大門から入ります。 -
「唐招提寺」勅額の複製です。実物は講堂内に展示されています。
孝謙天皇の直筆とのこと、TVドラマでは南野陽子さんが演じていました。 -
1998年「古都奈良の文化財」が世界文化遺産に登録されました。
東大寺・正倉院・興福寺・春日大社・元興寺
薬師寺・唐招提寺・平城宮跡・春日山原始林 -
現代の匠たちが技術の粋を結集して行われた修復工事が終わり、久々に金堂のお目見えです。
-
実に美しいフォルム!
平成の甍、平成の鴟尾(しび)です。今の技術を持ってしても新しく造るのにかなりのご苦労があったとTVで知りました。
もとの西側の鴟尾は創建当初のものでしたが、今は新宝蔵(入館料100円)に展示されています。風雪に耐えてきた力強さに圧倒され、涙が出そうなほどです。 -
「金堂」の内部は写せませんので外から上を向いて。
もちろん修復にはほとんどの材木をリユースしています。
創建当初も資金難で、木をつなぎ合わせたり、いらなくなった材木を貰ってきて使ったりとか、苦労の跡が・・。
金堂内の天井が当初の緑や青、赤に塗り替えられているのかオソルオソル見上げてみましたが、それはそのままでした。 -
写真はカタログから
ご本尊は大きな「盧舎那仏座像」(国宝)みなさん思わず手を合わせてしまいます。
「脱活乾漆造」といって、麻布を漆で貼り合わせ整形し、内部の粘土を後で掻きだして造られます。漆は高価な貴重なものですから、財力・権力ある貴族が造らせたものなのでしょう。また、背後の光背の化仏の数は、864体、もともとは1000体あったそうです。
向かって右に大きな「薬師如来立像」(国宝)左には、まさしく千本あるような手に持物いっぱい!のびやかな「千手観音立像」(国宝)「梵天」「帝釈天」「四天王立像」もあります。 -
東側の瓦だけは明治時代のものが混ざっていてグラデーションになっています。
解体修理時に、桧の柱を年輪年代測定法で検査すると791年のものであったと判明しました。鑑真和上は生きているうちに金堂を見ることはなかったのです。 -
どこから見ても美しい。。。
屋根から吊らされた風鐸(ふうたん)のある辺りは風雨による痛みが最も激しく、今回新しい木を使って修復されたそうです。
映画「天平の甍」で鑑真を演じたのは田村高弘さん、鑑真が来日するまでの苦難の道を描いていました。
今回のTVドラマの鑑真役は中村嘉葎雄さん、雰囲気が出ていました。映画の時は普照役でしたから偉くなりました!? -
「金堂」の裏(北)側です。
扉の向かって右横の柱だけは新しいものを使わざるをえなかったそうです。
中村獅童の演じた如宝って誰?
鑑真と一緒に来日し金堂創建に尽くした如宝はペルシャ人とかソグド人とか言われています。青い眼の人だったのでしょうか。20歳そこそこで来日したようですが、ギリシア建築エンタシスの柱も知っていたのか?両サイドへ行くほど窓が小さくなっているこのデザイン、建築の美意識も確かなものです。 -
避雷針の電線が見えますか〜?
TVドラマの主役は藤原仲麻呂、藤原刷雄、和気清麻呂、そして如宝でした。歴史に翻弄されながら金堂が完成するまでの苦労と友情のお話、なかなか新鮮でした。
和気清麻呂は平安京遷都を進言した人ですが、正義感あふれて素敵!いっぺんにファンになりました。やっぱミ〜ハ〜 刷雄(やすお)は権力者仲麻呂の息子ですが、政治に関わらず信心深くひたすらお勉強していたので生き延びれたのです。如宝は足に血を滲ませながら托鉢。ドラマのストーリーを全部信じ込んで感情移入したままです(^^ゞ -
「講堂」です。
建物は平城宮の東朝集殿を移築したもので国宝です。焼けていませんが、背の高い弥勒如来(重文)を納めるために鎌倉時代にリフォームしています。
ボランティアの方がいらしてユーモアを交えながら解説、わかりやすく記憶に残りましたので、その一部をご紹介します。 -
講堂の中は写せません。
内部には、本尊「弥勒如来坐像」(重文・鎌倉)と、「持国天」「増長天立像」(重文・奈良)の他、多くの仏像が安置されています。
「全寮制の私立鑑真大学と思ってください。」と解説がありました(笑)ここに実際に鑑真がいたのですね。
鑑真和上の座る台座が左側に(右は一番弟子用)があります。授業は漢文、紙が高価な時代ですから、聞いただけて丸暗記なんてみんな秀才(☆。☆) -
写真はカタログから
講堂のご本尊、弥勒如来坐像(重文)です。8個を組み合わせた寄木造りで、つなぎ目がはっきりわかります。
弥勒菩薩は長年かかって如来になるそうですが、人々はそれを待ちきれずに像を造ってしまったとか。
如来は青毛ですって(☆。☆) 体は金!
さぞ綺麗だったでしょうね。左手は邪鬼を押さえ込んでいる印相だそうです。さすが鎌倉時代の力強さがあります。
透かし彫りの美しい光背にはこれまた美しい人面鳥がいますよ。 -
写真はカタログから
重文の増長天立像は少々メタボ!鑑真と一緒に来日した唐の仏師の作といわれています。天平美人もふっくらぽっちゃりのはず。光明皇后役の島田陽子さんはちょっとスリムだったなぁ〜
右には日本人が造ったとされる持国天立像もあります。四天王のあと二つ、広目天・多聞天は消失・・実は奈良の某お寺にあるそうですが、争いを避けるためナイショ!? -
金堂と講堂の間の東側、右奥の2階建ての建築は「鼓楼」(国宝 鎌倉)です。
鑑真和上が持ってこられた仏舎利を安置しているので、「舎利殿(しゃりでん)」とも呼ばれています。
春には「うちわ撒き」が行われるところです。
手前の鐘は午前5時・午後5時の二回撞かれます。 -
いたる所に消火栓もしっかりあります(^_^)v
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西端に「戒壇」があります。
僧となるための授戒が行われる場所です。
ここの石段のみ鎌倉時代、上は昭和のものだそうです。
ちなみに鑑真和上が聖武天皇や光明皇后に授戒を行ったのは東大寺です。 -
東端に、日本最古の高床式の校倉(あぜくら)があります。手前の小さいほうが「経蔵」大きいほうが「宝蔵」です。
さらに東奥には1970年に建てられた「新宝蔵」があり、奈良時代末期の木彫像群や鴟尾がありました。ピンク色の鉄筋コンクリートの建物は写していません。 -
校倉造りって正倉院だけじゃないんですね。
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南北に長いこの建物の南側は「礼堂(らいどう)」(重文・鎌倉)といい、左隅に写っている「鼓楼」に安置された仏舎利を礼拝するための堂です。
この北側は、馬道(めどう)と呼ばれる通路をはさんで「東室」(重文・鎌倉)と続きます。 -
馬道(めどう)から見た礼堂の東側。
無粋と言われればそれまでですが、消火バケツも避雷針の電線もしっかりあります(^_^)v -
こんな鍵、いつ付けられたのでしょう。
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風雨にさらされた土塀にツワブキ、素敵な雰囲気です。
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瓦です。
759年、戒律を学ぶ人たちのための学校兼宿舎として開かれたので、当初「唐律招提(とうりつしょうだい)」と名付けられました。
新田部親王(にいたべのしんのう)の土地や旧宅を賜ったといいますが、事実上の隠棲!荒れた寂しいところだったようです。
朝廷や貴族からの寄進を受け、体裁が整い寺となるまでには、藤原仲麻呂の乱や道鏡の台頭時代を挟みかなりの苦労があったとTVドラマで知りました。 -
「旧開山堂」の手前にある松尾芭蕉の句碑です。
「若葉して御目の雫拭はばや」 -
北西にある「本坊」でようやく色づいた紅葉を見つけました。
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生活用水として使われていた井戸です。鑑真和上も飲まれたのでしょうか。
写経ではここの水が使われるそうです。 -
御影堂(みえいどう)
鑑真和上坐像(国宝)があります。これも脱活乾漆(だっかつかんしつ)天平時代を代表する日本最古の肖像彫刻です。不屈の精神を感じる像ですが、公開は6月初旬の数日だけとのこと、ざんね〜ん!
ここには東山魁夷氏による障壁画も収められています。
1975年神戸大丸で展覧会があり感動しましたが・・もう一度会いたかった〜
6月には是非再訪したいものです。 -
門をくぐると、、突然静謐な別世界が広がります。
杉木立の木漏れ日が苔をやさしく照らします。 -
御影堂から鑑真和上御廟へ向かう道
なんだか空気が変化!?スピリュチャルを感じます。 -
開山御廟
鑑真和上(688〜763年)のお墓です。
742年、日本からの留学僧・栄叡(ようえい)普照(ふしょう)から、朝廷の「伝戒の師」としての招請を受け来日を決意。12年間に5回の渡航を試みて失敗。失明しますが、諦めず6回目にしてようやく日本の地へ。
最初の5年は東大寺で、残りの5年を唐招提寺で過ごし、天皇を始めとする多くの人々に戒を授けました。
また、薬草をにおいをかぐだけで識別できたとか、医療活動や社会事業を行い人々を救ったそうです。 -
静かな木立の中、「天平の甍 井上靖」の碑が柔らかな陽を浴びています。
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趙紫陽手植えの瓊花(けいか)
鑑真和上の故郷・揚州から贈られたもので、春〜夏にかけて白い花が咲くそうです。
趙紫陽氏は、和上像の里帰りや日中仏教交流に努めたとかで、廟の玉垣に詩文が刻まれていました。しかし彼は学生運動に理解を示し天安門事件で失脚、軟禁生活ののち亡くなられたそうです。 -
休憩所には無料のお茶が用意され、売店もあります。
1980年、鑑真和上が中国に里帰りされたときの写真が飾ってありました。
この東にある鎮守社、うっかり行き忘れたのですが、そこにはこんな言い伝えが・・
鑑真が日本に向かう航海中、海が荒れ大海蛇が現れて舎利瓶を奪い取りました。竜神に違いないと考え祈り続けたところ、波は静まり舎利瓶を背にのせた黄金色の亀が現れました。亀は老人に姿を変え「寺の東南に竜王と白い石が現れ、舎利と寺を守るだろう。」と予言して舎利瓶を返します。唐招提寺創建の時、本当に白い石が寺の東南に現れたとか。そこで鑑真和上は池を作り竜神を祀りました。
唐招提寺が火事にあわず今日あるのは、この竜神のおかげだと信じられています。
-
こちらは消火銃(^_^)v
竜神さまのお陰で今まで守られてきたのですから、これから我々も大切にしていかなければ! -
道端には晩菊
気がつくと3時間ばかりゆったりと過ごしていました。 -
駐車場のお店で一服、桑の実のアイスとせんとくん
桑の実の他、柿・抹茶金時・黒豆きなこ・いちじく・黒ごまなど300円 -
秋篠川の遊歩道にて
公園の地下に浄化槽があり、ここへ川の水を直接取り込んで80分間かけて綺麗にし、また戻しているそうです。
「故郷」の歌に出てきそうな懐かしい風景、のんびりと釣りをする姿も見かけられましたが、こういった努力があるのですねぇ。 -
帰り道、薬師寺が映える大池へ寄ってみました。
薄い色になっている山が若草山、TVドラマの主人公達が夕陽を見ながら将来を熱く語り合ったところです。偶然息子がそのロケに遭遇したそうです。
薬師寺は唐招提寺から歩いてすぐです。西塔復興(1981年)のための高田好胤さんの講話や写経でブームになった頃、そして一昨年玄奘三蔵院伽藍にある平山郁夫氏の「唐西域壁画」を見るために訪れました。
西塔がだんだん落ち着いた色になってきましたが、今度は東塔が解体修理に入るため、足場が組まれています。
奈良っていいなぁ〜なんだかほっとするところ、いにしえに思いを馳せしばらく佇んでいました。
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この旅行記へのコメント (14)
-
- willyさん 2020/04/29 23:09:28
- 今年
- すーぽんさま
前の方が仰っておられるように、劣等感に苛まれながらありがたく拝見しました。
というのも、長らく憧れていた唐招提寺、この2月にやっと訪れる機会が巡ってきたのですが、まったく、なにをみてきたのかと自分を叱りたくなったからです。
しっかりお調べになっての記述、本当に恐れ入りました。
私も胸躍らせながら近づいた金堂をのぞいて、冷ややかな空気を嗅いだ途端、どっと涙が溢れてきて慌てました。
なんとも表現できないのですが、魂を打たれ、圧倒される力の波に飲まれた感じでした。
講堂が修理中で入れませんでしたが、心嬉しかったあの日が蘇りました。
willy
- スーポンドイツさん からの返信 2020/04/30 13:37:23
- RE: 今年
- willyさま
お褒めいただき恐縮です。
今年の2月にいらしたのですか!落ち着いた奈良に戻っていた頃でしょうか。
神聖な場所に踏み込んだ瞬間、空気が違いますね。
大きな歴史の中に包み込まれる感じがします。
読み直してみましたが、付け焼き刃ではだめですねぇ〜細々と調べたことはすっかり忘れて、思い浮かぶのは南野洋子の姿。情けない!
記録として残すのも大切だなぁと思いました。
すーぽん
-
- 義臣さん 2009/12/07 11:56:08
- 丁寧
- 素晴しい写真の数々 説明。。
私も次に作成するつもりでしたが、、
劣等感にさいなまれます(笑)
唐招提寺さんは古くから来ていますので、、変化の様子がみて取れます。
まだ独身時代、戒壇院の上部も平らな頃 上にあがって見たことも
写真があったら。。と思いますが、、無くて残念。
歌碑も以前と違う位置かと?、、
娘と来た時、記念写真を写した時付近のようすも違うようで、
義臣
- スーポンドイツさん からの返信 2009/12/07 12:23:17
- RE: 丁寧
- 義臣さん、ご訪問と投票いただき有難うございます。
> 素晴しい写真の数々 説明。。
いえいえ、ただミ〜ハ〜で飛んできました(~_~;)
> まだ独身時代、戒壇院の上部も平らな頃 上にあがって見たことも・・
すごい!身近にあったのですねぇ。
私も30数年前ここを訪れた時、駐車料金が不要だったので「さすが鑑真さん」と感激でした(笑)そのとき廟にお参りしたのかどうか記憶になく、ひょっとして、”仁和寺のある法師”状態だったのかしらん!?
相変わらずあわて者でどじなんですよ。
義臣さんの旅行記を楽しみにしております。
すーぽん
-
- たらよろさん 2009/11/19 10:56:06
- 唐招提寺
- こんにちわ。
唐招提寺の大改修、やっと終わったのですね〜
長かった・・・
私も一昨年行ったときに、改修の為、美しい本殿が見れなくてすごく残念だったんです。
この冬、行ってみようかな〜
素晴らしい建築と仏像に心から癒されそう。
私もサクッと奈良へ・・・・訪れたいと思います。
たらよろ
- スーポンドイツさん からの返信 2009/11/19 23:51:35
- RE: 唐招提寺
- たらよろさん、ようこそ♪
> 唐招提寺の大改修、やっと終わったのですね〜
そう、やっとですよ〜私たちも数年前薬師寺だけで帰ってきました。
> この冬、行ってみようかな〜
サクッとね。ウン、いい言葉!たらよろさんならびゅ〜んと
たらよろさんの京都の紅葉、楽しませていただいています。
すーぽん
-
- morino296さん 2009/11/19 07:45:32
- 行ってみたい
- スーボンドイツさん
初めまして。
平成の大修理を終えた唐招提寺、行ってみたいとおもっているのですが、
こちらの旅行記で詳しく解説を拝見させていただき、有難うございます。
修理が始まる直前に行ったのですが、どうなったのか、やはり見てみたいです。
この日は、お天気も良く、お楽しみになれて良かったですね。
有難うございました。
morino296(森のフクロウ)
- スーポンドイツさん からの返信 2009/11/19 08:53:35
- RE: 行ってみたい
- morino296さん、はじめまして。
なんて素敵なお名前♪
実は、昨日の新着旅行記からお邪魔しました。
写真の美しさもさることながら、どの旅行記でもポイントを抑え、しっかり観察されておられるのに感心しました。我々はふらっと予習なしで出かけることが多く、morino296さんのコメントを読んで、「あぁそうだったのか!」「しまった、見落とした!」とか・・(^_^;)
この日はまさしく小春日和♪完成を祝しているかのようでした。
その後、急に寒くなってこもっております(^^ゞ
ご訪問と投票いただき、有難うございました。
すーぽん
-
- 前日光さん 2009/11/16 22:51:15
- 録画していたドラマ、やっと見ましたよ〜
- こんばんは〜
あのドラマを見てから改めて、スーポンさんのこのブログを見ると、とても良く分かる部分があって、フムフムと頷いてしまいました。
実はドラマ放映の日、途中を時々のぞき見たりしながら、う〜〜ん、なんだかなぁと思っていたのですが、最初からちゃんと見たら、やっぱりおもしろかったです。
特にあの鴟尾、平成の職人さんの作ったあの鴟尾は、いったい何百年後に、また未来の人々によって、解体されたりするんだろう?なんて思ったら、とても気が遠くなってきました。
素敵な仕事だなぁ、宮大工さんとか瓦職人さんとか。。。だって、なが〜く自分の仕事が残るんですよ。
唐招提寺、この前、久しぶりに行ったのに、その解体修理の真っ最中で、肝心の金堂が見られなかったのはショックでしたが、今こうして、スーポンさんのブログで再び蘇った姿を見ることができました。
ありがとうございま〜す(^_^)/~
前日光
- スーポンドイツさん からの返信 2009/11/17 09:06:06
- RE: 録画していたドラマ、やっと見ましたよ〜
- 前日光さん、有難うございます。
実はドラマになったらやめようと思っていたのに、つい引き込まれてしまいました。
××年○○事件、と個々に覚えていたものが一気に横に繋がって・・「そうだったのか、日本古代史」(笑)感動しました。
> 特にあの鴟尾、平成の職人さんの作ったあの鴟尾は、いったい何百年後に、また未来の人々によって、解体されたりするんだろう?なんて思ったら、とても気が遠くなってきました。
鬼師の山本さんは2000年は持つとおっしゃったような・・。見事な生き方ですねぇ。
ニュースによると、落慶法要では鑑真和上坐像が輿に載せられて参列者の間を練り歩きたそうですよ。6月にまた参拝したいものです。
いつか前日光さんと万葉故地を歩きたいですね。
すーぽん
-
- waterlilyさん 2009/11/09 12:40:49
- 天平を駆け抜けて
- スーポンドイツさん、こんにちは。
先日の「天平を〜」の番組、私も観ていました。
鴟尾のフォルムは本当に美しいですね。
壮大な修復作業にもただただ感服するばかりで、元の天井があんなにカラフルだったとは知りませんでした。
今回の修復で天井もあのようにカラフルに塗り直されたのかしらと思って見ていたのですが、それはそのままなのですね。
戦国時代や幕末と違ってこの時代のドラマって、あまり作られないですからほんといろいろ新鮮でしたよね。
あの番組を見て修復が終わった唐招提寺に行ってみたい〜と思っていたところ、タイミング良くスーポンドイツさんの旅行記で拝見することが出来、とても嬉しく感謝!です。
ありがとうございました。
- スーポンドイツさん からの返信 2009/11/09 17:47:44
- RE: 天平を駆け抜けて
- waterlilyさん、ようこそ♪
> 先日の「天平を〜」の番組、私も観ていました。
まぁ、嬉しい〜(*^_^*)
> あの番組を見て修復が終わった唐招提寺に行ってみたい〜と思っていたところ・・
本当ですか!!ますます嬉しい〜\(~o~)/これで笑っていた2号に大きな顔ができます。ちょうど11月3日に和気清麻呂ゆかりの足腰の守護神・護王神社へお参りした所でした。薄れかけていた断片的な知識がドラマの中で繋がって、よけいに感情移入してしまうすーぽんです。
> 今回の修復で天井もあのようにカラフルに塗り直されたのかしらと思って見ていたのですが、それはそのままなのですね。
そうなんです。私もそれが一番気になっていました。昔、薬師寺の西塔の朱色を見たときもショックでしたから。でも当時の人々はあの鮮やかさに感動したわけですよね。長い時代を経て、気候や仏事の香煙やほこりで黒ずんだりしたものを今私たちが有難く感じるのは、、、さぁどうなんでしょう?
絵なら現状のまま模写したり、写真を撮ったり、科学的に顔料などを研究して復元推定模写を作ったりできますが、建物ではねぇ・・。
オリジナルを尊重して、芸術性を損なうことのないよう蘇らせる修理、とても大変なことだと思いました。
すーぽん
-
- はなかみno王子さん 2009/11/08 21:39:23
- 脱活乾漆造
- スーポンドイツさん
こんばんは。
秋の西ノ京、いいですね。
しかも詳細なガイダンスもいただだき感銘です。
王子、奈良市出身なので写真一枚一枚に郷愁を
感じさせていただきました。
晩秋から初冬にかけての奈良、訪れる人が少なく
なってますます素敵に感じられる季節ですよ。
脱活乾漆造も手の込んだ製法ですね。
はなかみno王子
- スーポンドイツさん からの返信 2009/11/08 23:33:48
- RE: 脱活乾漆造
- はなかみno王子さま
コメント有難うございます。
奈良へは学生時代によく行っていました。のどかな風景の中でゆったりとした気持ちなれますね。弟は気に入って奈良へ引っ越したくらいです(笑)
> しかも詳細なガイダンスもいただだき感銘です。
いえいえ、、仏像のことは詳しくないのですが、TVドラマの前に修復の説明があったので記憶に残っていました。技術の進歩、職人さんの技に感動しました。
すーぽん
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