2009/10/19 - 2009/10/19
843位(同エリア2131件中)
こざくらさん
九州3日目は知人を訪問してから、
恐縮にも熊本城に送っていただく。かたじけのうござります。
で、熊本城にいざ、見参~~。
姫路城がその優美な姿から白鷺城と呼ばれるように、
熊本城は清正が植えたイチョウの木に因んで別名銀杏城という。
加藤清正は城造りの名手の誉れ高く、これを含めて、日本三名城の大阪城、名古屋城の作者である。
清正自身が石垣を手積みで造ったワケでは無いが。無い無い
あの、武者返しのカーブの見事さ!!惚れ惚れします。
ダムも好きだけど、本来城好きです。
もっと時間が欲しかった~~。
2時間半ほど時間を費やしたが、まだ見残した所があった。
夫は辟易して、歩きすぎたとぼやいていた。
昼食もとっていないし、久留米行きの列車の時間を考慮すればもうタイムリミット。
後ろ髪引かれながら城を後にする。
表紙は平左衛門丸からの天守閣。(東側)
-
国指定重要文化財
宇土櫓
創建当時から残る唯一の多層櫓(1607年落成)
三層五階地下1階、第3の天守とも呼ばれる。 -
頬当御門
門番さんがお出迎え。一緒に写真OKです。 -
頬当ご門から入ると、もう目前に天守が聳えている。進むと突き当たり直角に曲がらなければならない。なおも進むと左手に首かけ石があり、平左衛門丸に着く。
-
裾がぎりぎりに入った。
仁王立ちの熊本城。
惚れ惚れ〜〜!!
1955年熊本城址が国の特別史跡に指定。
1960年外見復元。
2008年本丸御殿復元 -
平左衛門丸の隅っこには先ほど外から見た威風堂々、天守のような風格のある宇土櫓。
創建当時のままの内装を見てみましょう。 -
狭間
内側は広く外側は狭い。外からの反撃を受けにくい。頬当ご門から入るとすぐ右手に聳える石垣の塀にあけられている狭間からのぞく。 -
宇土櫓の内部。
古いお寺のようだ。それもそのはず400年前の内装。 -
急な階段を上って、三層5階からの展望。
さっき眺めた大小天守閣方面。 -
西出丸方面
長塀と西大手門 -
同じく西出丸と長塀遠くにやまなみが見える
-
奉行丸方面
中央上に南大手門その後に未申櫓 -
この紋は細川家のもの。
宇土櫓の出口から出て加藤神社との境の塀。 -
モデルさんみたいに足長さん。奇麗なカーブ。
-
本丸側から見た天守閣
大天守 三層6階地下1階 高さ30m
小天守 二層4階 高さ19mやや北にずれて建てられた -
左の巨木は清正公手植えのイチョウ。
清正公が「この銀杏が天守閣と同じ高さになったとき、城に災いが降りかかるだろう」と言ったと伝えられている。
それが明治10年に起きた西南戦争に当たるそうだ。
西郷隆盛が率いる士族軍9700人、熊本城に拠点を置いた迎え撃つ政府軍・熊本鎮台3300人。
最新兵器で攻めるも、難攻不落の熊本城は攻め落とす事がでできなかった。
西郷は、「加藤清正に負けた」と言葉を残した。
ただ、天守はその前日に謎の出火で燃えてしまっていた。
その戦火で焼失した櫓など多数。銀杏の木も焼けたそうだ。しかし、新しい芽が息吹、いまや、小天守の高さになったそうだ。 -
ひごまるくんと記念写真を撮りました。
-
小天守閣。
大小天守閣に入場するには、左に黒く見える入り口から。 -
鯱
急いでいたので説明読んでいません。
謎の出火で焼失した天守のものでしょうか?
熊本城は天守閣など焼失したにもかかわらず、52日間の篭城に耐え、難攻不落の堅固な造りを天下に知らしめたそうです。 -
熊本城城郭模型
江戸時代後期の城下町の状態を再現した模型1/500 -
説明文を見てこなかったのでいつの物か解らない。
焼失前の熊本城天守?
かなり古い写真。 -
これも大天守に展示されていた写真。
-
西南戦争(明治10年)を題材にした絵画
熊本城天守は西郷軍が攻め入る前日に謎の焼失をしたので、この図のようなことは無かったと書かれていた。 -
大天守から。
-
大天守から小天守を見る。
-
イチョウの木
銀杏城の謂れが書かれています。 -
大御台所
左右2つの囲炉裏。 -
本丸御殿の台所
-
江戸時代の食事。
-
大広間
60畳の鶴之間から梅之間、櫻之間、桐之間が連なる -
大広間の縁側
-
若松之間
藩主が家臣と対面する間 -
昭君之間 障壁画
中国の故事「王昭君」の物語。
ある説によると、昭君之間の昭君は将軍の隠語で、その将軍とは豊臣秀頼のことで、徳川家の時代になっても、豊富家の重臣だった清正公の思いが秘められているという。しかし秀頼はここに来た事はない。
王昭君とは、政略結婚により、前漢から匈奴(モンゴル)に嫁がされた悲劇の美女。
右から2番目の白馬に乗っている。 -
昭君之間
御殿の中で1番格式の高い部屋。慶長期の特徴である鉤上段と帳台構えを設け、
床・棚・付け書院を備え、漆塗り家具が配され、荘厳な雰囲気。(パンフ説明文より) -
昭君之間の天井
折上格天井・60種の花の絵が描かれている。 -
欄間の細工
名前は忘れました???
よく見ると加藤家の家紋が配されている -
-
-
-
数奇屋(茶室)
清正公が師事していたといわれる古田織部好み。 -
闇(暗がり)通路の入り口
-
闇り(暗がり)通路
本丸御殿は2つの石垣を跨ぐように建てられたため、地下通路があります。
御殿への正式な入口であり、 「闇り通路」と呼ばれています。 -
闇り(暗がり)通路
この上は大広間なのでしょうね。 -
石段を下りて、「振り返れば天守がいる。」
-
かくれんぼ
-
本丸御殿と左奥に天守」
-
本丸御殿、天守、左の木々は桜
-
二様の石垣
慶長年間は築城の技術が急速に進んだのでこのような違いがでた。
カーブの違いをアップで。手前の緩やかなカーブのほうは古い方式、奥の急なカーブは少し時代が新しい。 -
戦火にさらされたのか黒々とした石垣と二様の石垣
-
これから東竹の丸の櫓群①~⑤ 重文指定
石垣の上には平屋の櫓が築かれ、その長さや、管理した人の名がついている。
①田子櫓②七間櫓 -
③十四間櫓
-
⑤源之進櫓
④四間櫓の写真はありません。 -
東竹の丸の東北側
五間櫓と北十八間櫓 重文指定 -
不開門 重文指定
完全な櫓門。鬼門である東北にある。陰陽道では塞いでも、開け放してもだめ、締切りにしておかなければならず、この名がついたそうだ。 -
平櫓これも重文指定
-
不開門くぐってみました。
-
飯田丸五階櫓
本丸の南西にあり、高さ14m。当時6棟あった五階櫓の1つ。
ここも復元されて奇麗になっていた。残念ながら時間が無いので入らなかった。 -
東竹の丸から竹の丸に下りていく。
-
石垣の間を直角に下りていく。
-
石段は歩きにくい。
1段1段の奥行きと高さが意図的に違うように作られている。スムーズな進軍を阻止するためだ。
右側に新しく歩きやすい石段が作られている。 -
五階櫓跡
飯田丸五階櫓のほかに5棟あったというから、これもその1つだったのだろう。 -
西南戦争を体験したのね〜。
-
櫨方(はぜかた)門
-
備前堀と飯田丸五階櫓と天守
ここはもう城外です。
熊本城駆け巡りでした。 -
熊本城の碑
-
大木の付近は下馬橋跡。その陰には馬具櫓、
そして244.44mの長塀(重文指定)が
坪井川沿いに続く。 -
加藤清正公の像
領民を大切に扱い、領民に慕われたそうだ。
熊本城築城の際、農作業の期間を避け、充分な賃金を与えたという。 -
清正公。
桜のころにまた来たいです!!
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- シベックさん 2009/11/03 11:36:07
- 黒い城
- こざくらさん、こんにちは!
熊本城見せていただきました。
よい天気で、青空に天守閣がくっきり・・。
綺麗な写真で、黒いお城を楽しませていただきました。
数年まえ2度ほど行きましたが、本丸御殿はまだ工事中でした。
御殿もご覧になられたようで、素晴らしかったでしょうね!
また、行ってみたい熊本城です。
シベック
- こざくらさん からの返信 2009/11/03 23:23:22
- RE: 黒い城
- シベックさん
こんばんは。
投票書き込み、ありがとうございます。
今、シベックさんの熊本旅行記にお邪魔しました。
お城のダイナミックさが伝わってきます。
私は行けなかった火口の写真も見せていただきました。
噴煙が迫力ありますね、呼吸困難になりそうな勢いですね。
見れないことも多いそうですから、
ラッキーにもご覧になれて、よかったですね。
本丸御殿は、ピカピカで眩しいくらいでした。
創建当時の感激が甦るようです。
清正公と同じものが見ることが出きるとは、感動ものです。
では、またお邪魔します。
ありがとうございました。
こざくら。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
67