![標高550mの山間に突如現れる赤褐色の集落”吹屋”、どうしてこんな山の中に・・・。<br />ここは、江戸時代中期より吹屋銅山の町として発展し、幕末頃から明治にかけては銅鉱とともに副産物である赤色顔料弁柄(べんがら:酸化第二鉄)の日本唯一の製造地として繁栄しました。<br />弁柄格子と石州瓦による赤褐色の商家の町並みが往時の面影を残しています。<br /><br />後半は、西江邸、ベンガラ館、吉岡銅山笹畝坑道、広兼邸です。<br />西江邸、広兼邸は、ベンガラで巨大な富を築いた富豪の館です。<br />また、ベンガラ館ではベンガラの製造工程が見学できます。](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/10/38/42/650x_10384288.jpg?updated_at=1254748288)
2009/10/03 - 2009/10/03
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morino296さん
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標高550mの山間に突如現れる赤褐色の集落”吹屋”、どうしてこんな山の中に・・・。
ここは、江戸時代中期より吹屋銅山の町として発展し、幕末頃から明治にかけては銅鉱とともに副産物である赤色顔料弁柄(べんがら:酸化第二鉄)の日本唯一の製造地として繁栄しました。
弁柄格子と石州瓦による赤褐色の商家の町並みが往時の面影を残しています。
後半は、西江邸、ベンガラ館、吉岡銅山笹畝坑道、広兼邸です。
西江邸、広兼邸は、ベンガラで巨大な富を築いた富豪の館です。
また、ベンガラ館ではベンガラの製造工程が見学できます。
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西江邸への入り口
西江邸は、高台というよりも山の上にあると言ってよいほど、急な坂道を上ります。
年寄りには、ちょっとキツイ坂道ですが、昔、住んでいた人たちはどうしたのでしょうか? -
西江邸
江戸時代から明治にかけて銅とベンガラで栄えた町、備中・高梁。
ここ西江邸は、前半で紹介したベンガラの町並みから少し離れた成羽町坂本にあります。
宝暦元年(1751)、本山銅山を拓いた6代目・西江兵右衛門が、ベンガラの原料となる緑礬の量産に成功し、巨万の富を得て、建てたのがこの西江邸です。 -
西江邸
西江家のベンガラは、品質の高さから「赤の中の赤」と賞賛され芸術家たちに愛されたそうで、他の「弁柄」との違いを主張するために「紅柄」とされているそうです。
(ここは「吹屋ふるさと村周遊券」には含まれておらず、別料金500円が必要です) -
西江家の由来
室町時代末期よりこの地に居住する地方豪族で、関東平家の一つ、三浦氏の出自となっている。
関ヶ原の後、幕府の天領となった当地を預かる惣代庄屋となり幕府御用銅山を経営。などなど -
西江邸
現存する建物は宝永正徳年間(約290年前)のもので、幕府御用宅のため「館構え」という特別な型式となっている。
用材は、床上部分は欅・桜などを多用し、床下部分には栗材を用い、堅牢であることを旨としているそうです。 -
西江邸 郷倉
飢餓に備えた救済用の食糧を備蓄していた郷倉。
現在は、資料館として、紅柄で彩色された作品や資料が展示されています。 -
西江邸 簡易白州跡
幕府代官御用所を兼ねていたため、司法権を与えられており、微罪(喧嘩、ばくち、こそ泥など)は、代々の当主がここで裁いたそうです。
明治以降、不要となったため白州を庭園に改造しているそうです。 -
西江邸 簡易白州跡に置かれていた下駄
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西江邸にて
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西江邸の庭
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西江邸の庭(座敷側から)
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西江邸 屋敷の裏側
ここからは立ち入り禁止でした。 -
西江邸 郷倉とモミジ
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西江邸 玄関横にて
石州瓦のカエルのでしょうか。
このお陰で、お金が返ってきたのかも? -
西江邸 玄関の屋根
獅子が逆立ちしているように見えます。 -
西江邸 玄関の上
鬼瓦と言ってよいのか? -
西江邸 玄関の左横
こちらから台所、手習い場へ続きます。 -
西江邸 台所の入口にて
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西江邸 役宅部分
土間から続く五間続きの部屋。
座卓の置いてある部屋は、元幕府銅勘定所の御用部屋で、床下には石を積んであり、扉に鍵をかければ部屋全体が金庫となるそうです。 -
西江邸 土間の横にある上がり
奥様がいろいろ説明をしてくれました。
約300年前の建物が、びくともせずに今に伝わっていることに、往時の財力と代々続く皆さんの努力に頭が下がりました。
この後、もう一度、吹屋のベンガラの町並みに戻り、昼食としました。 -
和味の里ラ・フォーレ吹屋
吹屋小学校の近くにあり、小学校の外観に合わせてデザインされたそうです。
ランチをいただきました。
松花堂弁当1050円(割引券で10%引き、945円)は、なかなか良かったです。
でも、ここに宿泊するのはどんな人なんでしょうか?
映画のロケ班かな?
少し調べてみたら、森ビルのラ・フォーレとは無関係のようです。 -
ベンガラ館
ここでは、ベンガラの製造工程が展示されています。 -
ベンガラ館 釜場室
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ベンガラ館 釜場室の中
工程1
原料の緑礬をよく乾燥させホーロク(土器皿)に少量ずつ盛る。
これを釜の中に200枚前後積み重ね、下から松薪を焚き、1〜2昼夜700℃くらいの火力で焼くと赤く変化した弁柄のもとが出来上がる。これを「焼き」という。(解説より) -
ベンガラ館 弁柄製造工程の解説図
工程2 水洗い、ひき臼
窯で焼いた「焼き」には不純物が多く、階段式水槽で不純物を取り除く。
水洗いが終わると水車を使った石臼でひき、粒子を小さくする。
工程3 脱酸
前工程で出来たものは酸性が強く、酸を抜く作業(あく抜き)を行う。
工程2でできたものを水槽に入れ、清水で沈殿させる作業を数十回繰り返し、酸を抜く。
こうして硫酸分のなくなった泥上の弁柄を干棚に並べ天日乾燥させる。
乾燥させた弁柄をトンコにかけて粒子を整え完成。 -
ベンガラ館
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ベンガラ館にて
ベンガラの原料となる硫化鉄と黄銅鉱の混在する鉱石 -
吉岡銅山 笹畝坑道
大同2年(807)に発見されたと伝えられるが、吹屋も銅山としての記録は、戦国時代尼子氏と毛利氏の紛争戦以来、江戸時代初期一時、成羽藩の支配下にあったが、大部分の間は天領幕府直轄地で代官の支配下にあったもの。(パンフレットより) -
吉岡銅山 笹畝坑道
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吉岡銅山 笹畝坑道の解説
江戸時代の採掘は手掘りで鉱区も小範囲であったが、明治以降、三菱金属の経営となり、自家発電所を設け、削岩機を使い、精錬などの作業を機械化し日本初の洋式溶鉱炉を造り、日本三大鉱山の一つになったそうです。 -
笹畝坑道
行動に入るには、このヘルメットは欠かせません。
坑道の天井が低く、頭をしこたまぶつけてしまいます。 -
笹畝坑道の入り口を入った所
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笹畝坑道
入口付近は天井が低いので、頭をぶつけないように注意が必要です。 -
笹畝坑道
行動の中の気温は14℃ほどで、半袖シャツでは少し肌寒いです。 -
笹畝坑道
ところどころで、昔の採掘の様子が見られます。 -
笹畝坑道の中にある日本酒の長期熟成庫
この坑道の温度が日本酒の熟成に適しているようです。 -
笹畝坑道
銅の含有量が多いのでしょうか?
緑青のような結晶がありました。 -
笹畝坑道の出口
出口は、入り口よりも高い山の途中にあります。
約20分の坑道見学でした。 -
広兼邸
大野呂の庄屋で、同家2代目元治が享和、文化の頃に小泉銅山と緑礬製造を営み巨大な富を築きました。
まるで城の石積みと同じような石垣を持つ要塞のような豪邸です。
映画「八つ墓村」のロケが昭和52年と平成8年の2度にわたり行われたそうです。見覚えのある方も多いのかも? -
広兼邸の入り口
楼門があり、ここには不寝番部屋が設けられています。
夜は寝ずの番がここから見張っていたようです。 -
広兼邸 楼門を入ると正面は台所の土間から控えの間になります。
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広兼邸の庭
高台にある庭からの眺めも格別です。
「遊龍の松」が右に伸びています。
広兼邸の敷地は2,581?、建物は本家323?、
離れ座敷117?、長屋103?、土蔵153?、楼門8?だそうです。 -
広兼邸 離れ座敷
離れは大正の建築で茶室、化粧部屋、客間、風呂などを供える座敷で、当主の結婚式に一度使われただけで、その後は使われていないそうです。 -
広兼邸 客間から玄関、店の間
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広兼邸 水琴窟
とても澄んだ音が聞かれました。 -
広兼邸 台所の釜場
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広兼邸 控えの間への上がり
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広兼邸 控えの間から客室まで
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広兼邸 囲炉裏端
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広兼邸 楼門の左手に伸びる長屋
下男部屋、番頭部屋、下女部屋や厩が連なります。 -
広兼邸 屋根の鬼瓦
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広兼邸 庭の「遊龍の松」
横に長く伸びる松の全体を写すのは一苦労です。 -
広兼邸 石垣と楼門
どうみても、お城にしか見えませんね。 -
広兼邸 高さ15mの石垣を下から
ベンガラで築き上げた富豪の館、「凄い」のひとことでした。
「八つ墓村」のビデオを借りてこようかな。
この後は、備中松山城に向かいます。
(13:50頃)
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この旅行記へのコメント (9)
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- romanさん 2009/10/11 11:36:31
- 感動!
- morino296さん、こんにちは。
ベンガラの町並みに一目惚れです。
なんて味わいのある色目なんでしょうか!
インドのベンガル地方産のものを輸入したんですね。
お勉強になりました。
吹屋小学校は、今も使用されているんなんて
素晴らしいですね!
私もこんな校舎で勉強したかった。
まるで映画のセットにも見えてしまうレトロな作りに感動です。
長尾醤油酒店も凄い歴史ですね!
今も現役だなんて、素晴らしいですね。
吹屋のしょうゆ、味噌は、さぞかし美味しいんでしょうね。
郷土館の奥座敷の障子戸と透かし彫りにもクラッときました。
なんて、繊細で美しいのでしょうかーーー!
贅沢な材料がたくさん使われていて、実際に見てみたいと思いました。
日本って、奥深い。
いつもmorino296さんに色々教えて頂けて心より感謝です。
ろまん
- morino296さん からの返信 2009/10/11 18:37:45
- RE: 感動!
- romanさん
こんにちは!
いつも有難うございます。
ベンガラの町並み、こんなところがあったのですね。
私も、今回訪ねてみて、驚きました。
ベンガラ(弁柄、紅がら)が、赤色顔料でいろんな用途があることも勉強させてもらいました。
この色合いは、romanさんに気に入っていただけるのではないでしょうか?
戦後は、化学的に作られる製品が増えて、ベンガラの町は廃れていったようですが、町並みや、御殿は保存されていて良かったです。
また、今回の旅で一番驚いたのは、西江邸の現在の当主が、私の知り合いだったことです。
(家に戻ってから、確認できたので、手紙で御挨拶しておきました。)
岡山県高梁市、わざわざここを目指してお出掛けになる方も少ないのかもしれませんが、いろいろ興味をそそりますね。
機会がありましたら、是非、お出掛けください。
まだまだ、知らない日本がいっぱいなので、頑張って、出掛けま〜す。
morino296
-
- ホーミンさん 2009/10/07 20:44:21
- 八つ墓村のロケ地
- morino296さま
台風が近付いてきましたね。
今回の台風は大型で勢力も強いそうで、被害が出ないか心配です。
後半も拝見しました。
西江邸の、「部屋全体が金庫」には驚きました。
お金持ちなのですね〜。
使いようによっては、シェルターにもなりますね。
そして私にとってはメインの広兼邸。
立派なお屋敷です。
どこかの小さいお城より、ずっと立派ですね。
お手入れもよくされているのがわかります。
最初のお写真で、映画を思い出しました。
でも、横溝先生の作品の映画はいろいろ観たので、どれがどれかごっちゃになってはっきりしませんでした。
なので「八つ墓村」のストーリーをまず復習。
これは実話に基づくということなので、そのモデルになった津山30人殺人事件も調べていたら、随分と時間がかかってしまいました。
ここにはさすがに、地下通路はないようですね。(笑)
Morino296さんのお写真は明るく撮られているので、映画とはまた印象が違いますね。
落ち着いて見られます。
これが映画監督に手にかかると暗くて恐くて、効果音と相俟って、全然違うものに写るのですね。
- morino296さん からの返信 2009/10/07 23:47:04
- RE: 八つ墓村のロケ地
- ホーミンさん
こんばんは。
台風18号、直撃しそうですね。
被害がないと良いのですね。
そちらは、今頃、暴風雨ではないでしょうか?
西江邸、奥様らしき方が説明をしてくださいましたが、
「私の知り合いに岡山出身の西江さんがいるのですが、御親戚でしょうかね?」
なんて話をして帰って来たのですが、なんと、こちらの当主だったのです。
(ビックリ仰天)
広兼邸、本当に要塞そのものですね。
財宝を守るためには、お城に匹敵する構えが必要だったのでしょうね。
映画八つ墓村、しっかり見た記憶はないのですが、もう一度、確認のために見たいと思っています。
morino296
- ホーミンさん からの返信 2009/10/08 17:36:14
- RE: RE: 八つ墓村のロケ地
- > そちらは、今頃、暴風雨ではないでしょうか?
1時ごろ、風の音で目が覚めました。
夕べはあまり寝られませんでした。
うちは南西の角地の木造建築で、日当たり良し風当たり良しなのですが、台風の日は風の受け止め役で、家が揺れる事もあります。
溺愛犬R(パピヨン)も一晩ビビッておりました。
そちらは、台風の進行方向の右にあたりますよね。
大丈夫でしたか?
> 「私の知り合いに岡山出身の西江さんがいるのですが、御親戚でしょうかね?」
> なんて話をして帰って来たのですが、なんと、こちらの当主だったのです。
> (ビックリ仰天)
それはビックラポンですね。(◎o◎)
世間は狭いですね。
> 広兼邸、本当に要塞そのものですね。
> 財宝を守るためには、お城に匹敵する構えが必要だったのでしょうね。
どんなにたくさんの財産なのでしょう!?
たくさん持つと、守るのも大変ですね。
↑
(含・持ってない者の僻みf(^^; )
> 映画八つ墓村、しっかり見た記憶はないのですが、もう一度、確認のために見たいと思っています。
ロケ地に行ってから観たら、さらに面白いでしょうね。
私も観ようかな・・・。
-
- waterlilyさん 2009/10/07 18:51:37
- このような町があるとは。
- morino296さん、こんにちは。
“吹屋”、morino296さんのこの旅行記で初めて知りました。こんなに趣のある素敵な町があったのですね。
日本にはまだまだ知らない所があるのだと、いつもながら痛感しました。……って私が無知なだけかも(^_^;)
「べんがら」はインドのベンガル地方から来ている言葉だということも教えて頂き、いつもとても勉強になります。
そして、吹屋小学校の何て味わいのあることでしょう!
こんなに素敵な校舎が今でも使われているのですね。驚きです。
郷土館の欄干の互い違いになった意匠が現代にも通じる斬新さで、その下の奥座敷の外光に透けた透かし彫りのお写真もとても素敵です。
西江邸の白洲跡の下駄も面白い形ですね。片方だけだったら教えて頂かないと下駄とは解らなかったかも。鼻緒が無くてもこれだけで履けるって、究極のシンプルの美ですね。どんな歩き心地かちょっと履いてみたいです(^^)
広兼邸もまた凄い(@_@)
そういえば、こういう感じの光景、確かに「八つ墓村」で見たような気がします。
morino296さんの旅行記でもう一度映画を観てみたくなりました。
こういう所が実際にあるなんて!
「有龍の松」もよくこんな風に形作れたものですね。
ほんとに珍しいものを沢山見せて頂き、ありがとうございました。
- morino296さん からの返信 2009/10/07 23:36:27
- RE: このような町があるとは。
- waterlilyさん
こんばんは!
いつも有難うございます。
私も、吹屋という町は、ほとんど知らなかったのですが、
今回訪ねて、兎に角、ビックリしました。
説明を聞けば、確かに銅山で栄えた町なのでしょうが、
自分の知っている世界とは隔絶していて、驚きました。
吹屋小学校、今も現役ですが、見るのと使うのとでは、きっと違うのでしょうね。
そして、紹介していませんが、もう一つ驚きがあったのです。
西江家の現在の当主(18代目)は、なんと私の知り合いだったのです。
また、広兼邸が映画八つ墓村の使われたと知り、私も改めて映画を見たくて、レンタルを探しているところなんですよ。
国内にも、まだまだ知らないところがいっぱいありそうですね。
だから、旅するのが楽しいのでしょうね。
morino296
-
- annakさん 2009/10/04 20:14:15
- 吹屋・・・びっくりしましたね
- morino296さん今晩は、annakです。作成中に失礼します。
備中松山そして吹屋の旅記拝見しています。
初訪した時バスがどんどん山の中に入っていき、何処に連れて行かれるの?状態でいきなりあのベンガラ色の町並みを見たときは本当にびっくりしました。
annakはこの町が結構お気に入りで、3回ほど訪問しています。
なんとなくですが心落ち着く町だと思います。
morino296さんのコメントをお待ちしていますね。
作成中に失礼でしたが思わず書き込みしました。
お城は下から登りましたので結構きつかったです。
annak
- morino296さん からの返信 2009/10/04 21:13:27
- RE: 吹屋・・・びっくりしましたね
- annakさん
こんばんは。
いつも有難うございます。
早速ご覧いただき有難うございます。
吹屋、ベンガラ色の町並み、本当に驚きですね。
どうしてこんな山の中に?と思いましたが、やっと謎が解けました。
今回は、トラベラーのはなかみno王子さんとご一緒させていただきました。
私は、以前から備中松山城へ行きたかったのですが、王子さんは吹屋へ行きたいと思っていらっしゃったようで、ご一緒することになりました。
お城には、鞴峠から歩きましたが、下から上るのは大変だったことでしょうね。
私だったら、辿り着かなかったと思います。
morino296
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